
ホテルマンの幸せ
最近の学生バイトの名前のスゴさ♪
今年の高校生のアルバイトは……♪
平成8年生まれもいます♪
もうそろそろ学生バイトの親と私が同期って人が現れるでしょうね♪
で、学生バイトの皆さんの名前がオシャレなのです♪
昭和50年生まれの私世代は『大輔』はかなり人気の名前でした♪
現役のアルバイトの人達のお名前は……♪
最近ではあまり見なくなってきたけど聞き慣れた名前シリーズは……♪
和美☆カズミ
香織☆カオリ
裕美☆ユミ
こんな感じだとまぁ安心感のある女性的な名前ですよね♪
で、見た感じがオシャレシリーズでは…♪
希☆ノゾミ
悠☆ハルカ
葵☆アオイ
一文字の名前って見た感じが可愛らしいですよね♪
で、私の携帯に増え続けているシリーズは……♪
彩 ☆アヤ
彩可☆アヤカ
彩香☆アヤカ
彩乃☆アヤノ
文音☆アヤネ
わたしゃアヤマニアかっ?!
で、平成生まれって感じシリーズ…♪
梨那☆リナ
瑠璃☆ルリ
優芽☆ユメ
かれん☆カレン
来夢☆ラム
見た目もそうですけど発音が特徴的ですよね♪
だってカレンとかラムですよ♪
外国人みたいですよね♪
オシャレ♪
そんな中料飲課の佐々木さんはスゴく目立ちます……♪
佐々木 久世……♪
ササキ ヒサヨ☆です♪
何となく…
ドモホルンリンクルとか黄潤とかビゲンへアカラーとかという言葉が妙に似合います……♪
つい先日まで車は『カセットテープ』しか付いていませんでしたし……。
今でも売っていたとは…♪
佐々木さんのラジカセを見た事があります♪
ダブルカセットでダビィングが倍速で出来るタイプの物でした…♪
今でも現役!
恐るべし佐々木ヒサヨさん♪
さすが自分の携帯番号のメモ紙を直接携帯電話にセロテープで貼る人です♪
そんな佐々木さんは学生アルバイト達からはいつの時代も大人気です♪

こういうスタッフがいてくれるおかげで若いスタッフ達も頑張れるのです♪
いつもブログを見て下さる皆さまには心から感謝しております♪
おかげで日々アクセス数も増えてきておりまして夜な夜なブログを更新するエネルギーをいただいております♪

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『自然と科学のミュージアム「森の工舎」』 〜自然と人への愛を感じる癒しと学びの時間
2Fから吹き抜け越しに1Fのフロアを覗くと見えるこのソファ(?) 何をモチーフにしているのかお分かりでしょうか? 時間が経つのを忘れてしまう。 白老虎杖浜にある『ナチュの森』は、1日中居られる… いえ、1日では足りないと感じる心地よく学びの多いところでした。 今回は『ナチュの森』の中に2022年12月OPENされた「森の工舎」の取材で訪れたのですが、 ナチュの森の全てを案内していただきました。 丁寧な案内をしてくださったのが、「ナチュの森」広報担当の 山本祥史さんです。 さて。 皆様、いろいろな名前が出ているので、そろそろ混乱し始めていらっしゃいますよね…。 そこでちょっと、「ナチュの森」のこれまでの歩みと背景について簡単にご説明しますね。 ナチュの森の運営会社は東京本社の株式会社 ナチュラルサイエンスという名の低刺激スキンケア商品メーカーと北海道本社の株式会社 ナチュラルアイランドという名の北海道素材に着目したスキンケアメーカー 2011年 白老虎杖浜の工業団地用地を取得 2014年 地域説明会、協議会などを経て、閉校した旧虎杖中学校(1988年使用開始の校舎)土地建物売買契約を締結 2017年 ナチュラルアイランドの北海道工場竣工 2018年 ナチュの森オープン 2022年 自然と科学のミュージアム「森の工舎」オープン “ 校舎 ” が ” 工舎 ” に生まれ変わった時でした。 このような歩みを経て、虎杖中学廃校跡地を活用した工場&ガーデン施設「スキンケア工園 ナチュの森」は完成しました。 ただ、このように箇条書きにしてしまうと、その道は淡々と着々と進めてこられたように見えます。 けれども、「北海道の自然の恵みを素材にした商品作りをしたい」という構想から15年、 この地に出会ってから完成まで10年が経過しました。 このプロジェクトに向けられた大きな原動力は、自然と人への大きな愛でした。 それを実感できるのがこちら。 こちらの冊子は「ナチュラルアイランド」のものです。 表紙の花は、皮膚のガードマンとも呼ばれる万能ハーブのカレンデュラ。 ナチュラルアイランドのカレンデュラ製品は、全てナチュの森のファームで栽培された花を使っているそうです。 この冊子、「ナチュの森」を訪れた時、ぜひ開いて見ていただきたいです! 筆者は全26ページの冊子を美しい写真とともに読み終えた時、 胸が熱くなり幸せな気持ちになりました。 今やどこでも溢れている言葉。 「持続可能な」や「環境にやさしい」という文字はこの中のどこにもありません。 読み進めながら感じるのは、 「大切なものは敬意をもって守る」という自然へのリスペクトと人へのリスペクトでした。 さて、それではいよいよ今回の主役的な建物、 旧虎杖中学校校舎「森の工舎」のお話に入ります。 と、その前に。 実は〜 アポイントメントの時刻は13:00でした。 私が到着したのは10:00。 山本さんにお会いする前にどうしても体験したかったのがこちら。 「蒸留カフェ」も魅力的でした。 「花のある暮らし」〜エッセンシャルオイルを楽しめるドライフラワーアレンジ ワークショップ(こちらは2/28までの期間限定メニューです) 季節ごとにワークショップメニューが変わります♡ ワークショップが行われるスペースは「森の工舎」の無料スペースです。 このスペースには、「蒸留カフェ」と「ショップ」があります。 取材前のランチには、スパイシーでお肉ごろごろなカレーセットをいただきました。 この前に、蒸留した高知産生姜エキスを使った甘味ゼロのジンジャーエールもいただきました。 スッキリ爽やか!初めての味でした。 ママと赤ちゃんが一緒に使える、「ナチュラルサイエンス」看板商品の低刺激スキンケア製品も販売されています。 これすごい! 他の商品を知りません! 皆様、俱多楽湖や虎杖浜の語源をご存知ですか? どちらも「イタドリが生えるところ」を意味しているのです。 まさにここならではの商品です。 さて、それでは本題。 そもそも何故、「ナチュラルサイエンス」は北海道白老町の虎杖浜に『ナチュの森』『森の工舎』を作ったのでしょうか? 「弊社が北海道の豊かな自然の恵みで化粧品を作りたいと考え、 低刺激化粧品にとっての最も大切な原料である「水」を探し求めていたときに、 ようやく巡り会えたのが白老町に位置する倶多楽湖の湧水(カムイワッカ=神の水)でした。 それは、他の素材を最大限に活かせる肌に優しい軟水でした。 そして、湧水口の近くには既に閉校になることが決まっていた虎杖中学校がありました。 その中学校を見学させていただき大変驚きました。 校舎は古いのに、とても掃除が行き届いていて落書きひとつありませんでした。 ずっとずっと大切に綺麗に使われてきたことがすぐにわかりました。 そのとき、『この建物と、これまでの生徒さんたちや先生たちの想いを 「ナチュラルサイエンス」で引き継いでいきたい!』と強く思ったのです。 本当は水を探して北海道中走り回っていたので、 物件探しをしていたのではありませんでした。 ですが、その時そう思ったのです。 そして、「虎杖中学校の跡地に湧水を引き込んで工場を作れないか」「校舎や体育館は取り壊さずに、そのまま残して再利用できないか」と考えるようになりました。」 なるほど…、それが「ナチュの森」が生まれるきっかけだったのですね!ちなみに「校舎」が「自然と科学のミュージアム 森の工舎」になったのは何故ですか? 「はい。ナチュラルサイエンス・ナチュラルアイランド」の工場と「ナチュの森」を運営している中で、この校舎を活用し、周辺地域の自然の恵みを利用させていただき、地域に貢献できることは何かを探っていった結果の形が、私たちが大切にしている「ものづくり」を体感する「自然と科学を通して物事を体験する」場としての「森の工舎」となりました。 また、とても重要なこととして、自然の恵みを得るためにはそのままでは毒になることもあるということがあります。 大学や研究機関との連携の中で判明した研究結果の共有も、ここを通して行いたいという考えもありました。」 訪れた時、「蒸留実験室」では、ちょうどタイミングよく釧路産モミ(トド松)の蒸留を行っていました。 使われる水はもちろん俱多楽湖のカムイワッカ。 フラワーアレンジメントを途中にして飛んで見に行った筆者です。 仕込んでから40分ほどでエッセンシャルウォーターが採れます。 先ほどのドライフラワーアレンジメントには、好きなエッセンシャルオイルが付いていました。 実は私、この後のお話を知らずにこの和ハッカのものを選ばせていただいていました。 和ハッカの貴重品種「JM-23」を、滝上町の農家 瀬川さんは2haの広さの畑で大切に育てています。 世界で唯一、瀬川さんだけが栽培されている和ハッカはとても貴重です! また、この実験室では、四季に合わせた様々な植物を使った体験会なども行われます。 この日はラベンダーサシェ作りの準備がされていました。 「アトリエ」では、お子様向けの自然と科学をテーマにしたモノづくりを体験できます。 「香りのラボ」には調香室も備え、様々な香りを体験しながら、今の自分に合う香りを分析する体験ができます。 そして「ライブラリー」では数千冊の本が並びます。 とにかく選書が素敵すぎです! ネイチャー関連の本もたくさんあります。 なんと、なかなか見ることがない貴重な本まで!! ホント、びっくり!! どんな本があるのかは、ぜひ実際に訪れて見つけてみてくださいね☆☆ 読書のための椅子の配置も心地よい。 ここだけで1日いられます。 そして。 なんて素敵な〜!! と思ったのがこの空間♡ 元々は半円形だった天井を丸く整え、太陽をモチーフにした大きな照明をつけました。 灯りの点き方にも工夫が施されています。 そしてその下の吹き抜けのところには蛍光灯をリサイクルして作られたガラス照明「ウォーターバルーン」が、雨粒の如く各色ゆらゆらと煌めきます。 そしてその下には…。 そう、記事の最初に登場した丸いソファは俱多楽湖をイメージしたものでした。 そのソファーに寝転べば、こんな空が広がっていました。 太陽 雨 湖 それらの循環が表現されています。 そしてもっと素敵だったのがこちら〜 この日ちょうど、こちらのライブラリーで、旧虎杖中学校の卒業生の皆様と出会いました。 実は、山本さんのお隣にいらっしゃる女性は、虎杖中学校出身で現在は「ナチュの森」の工場の従業員の方でした。 そして、さらに左側の男性お二人も「ナチュの森」の従業員の方々でした。 こちらで働く従業員さんは、9割の方が地元採用だそうです。 だから、こちらの3名の方々の他にも、たくさんの卒業生がこちらで働いていらっしゃるはずです。 かつて、ここで学んだ生徒だった方々が、今度は働く場としてここに戻ってきている。 これもまた、素晴らしい循環です。 地域との関係の良さが窺えます。 学校ではなくなった今も、 こうして卒業生が気軽にこられる雰囲気作りをされていることに感動! あまりにも感動して、写真を撮らせていただきました♡ 「えほんの部屋」もあります。 0歳からのお子様と保護者の方のための部屋です。 ナチュラルカラーのマットを階段上に配置した向かい側には〜 人形劇などが上演できる舞台があります。 こちらでは今後、紙芝居などいろいろなイベントを開催するそうです。 「ギャラリー」では、北海道初上陸の「ようこそ絵本のまちへ展」を開催中です。 もと体育館だった「あそびのひろば」は、全天候型のあそび場になっています。 白老町の登別寄り、虎杖浜温泉から山の方に入ったところにある俱多楽湖のカムイワッカを引く親水公園の隣。 この水に惚れ込んだ会社「ナチュラルサイエンス・ナチュラルアイランランド」の建物が現れます。 ・自然の恵みを安全に大切に享受するために、自然を科学すること。 ・地域の人々の故郷への想いを大切にすること。 ・地域の人々と仲良くして、地域の役に立つこと。 これらを信条に、「森の工舎」は今後も進化していくことと思います。 朝から訪れたというのに、外に出ると薄暗くなっていました。 「森の工舎」は、時間を忘れて過ごせるところでした。 ―ナチュの森 森の工舎 情報― ナチュの森HP https://nachunomori.jp 森の工舎 https://nachunomori.jp/morinokousha_pre ナチュの森 Instagram https://instagram.com/nachunomori_official?igshid=YmMyMTA2M2Y= ナチュラルサイエンス Instagram https://instagram.com/naturalscience.official?igshid=YmMyMTA2M2Y= ナチュラルアイランド Instagram https://instagram.com/naturalisland_official?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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パンの店コスモス「えったまパンフェア」農福連携&フードロス削減に取組み
伊達市松ヶ枝町の「パンの店コスモス」で開催中の「えったまパンフェア」に行ってきました。 以前、特集で取り上げた伊達のブランド玉ねぎ「えったま333」を使用したオリジナルパンを販売する企画で9月30日まで開催予定です。 焼き上がり時間に合わせて伺うと、パンのいい匂いがお店いっぱいに広がっていました! 真ん中のテーブルには「えったまパン」がずらり。 形も味も様々な6種類が並んでいます。 社会福祉法人コスモス21ふみだすが運営する「パンの店コスモス」では、季節ごとに様々なパンフェアを開催していますが、今回の企画は「農福連携」の取組みの一環として初の企画となりました。 もちもち!えったま食パン。トーストしてもおいしい 一番人気のカマンベールオニオン 伊達の温暖な気候を利用して、越冬栽培で生産される「えったま333」は、ビタミンCや抗酸化力が高く、糖度も高いおいしい玉ねぎです。6月〜8月に収穫期を迎えます。 今回着目したのが、その「規格外品」。 農家さんが大切に育てた玉ねぎのうち、生産量の10%〜20%は規格外として堆肥になってしまうそうです。規格外といっても、形は不揃いですが味に変わりはありません。 そこで規格外品を仕入れて活用することで、「地産地消」に加え「フードロス削減」にも貢献できるという観点から、西関内の矢野農園、上長和の恵まれファームとの連携が実現しました。 ふみだす作業所での皮むきの様子 実を傷つけないよう、慎重にむきます 7月下旬から「ふみだす」で皮むき加工の作業が始まりました。納品先は洞爺湖温泉のホテルです。ホテルから農家へむき玉ねぎの注文が入り、それを受けてふみだすに玉ねぎが届けられ、皮むき加工をして業者がホテルに収める、という「循環の輪」が出来上がり、スムーズな連携が行われているそうです。そして8月下旬から「パンの店コスモス」でのパンフェアがスタートしました。 左:パイ生地とえったまが相性抜群!ソテードオニオンパイ。右:春のパンで好評なカマンベールチーズのえったまバージョン 所長の廣澤さんに伺ったところ、 「私たちの理念のひとつに『利用者さんの社会参加』があります。 皮むき加工とパンづくりによって、玉ねぎを介した地域の人たちとのつながりができ、スタートできてよかったなと感じています。 利用者さんもやりがいを持って取り組んでいるようでとても嬉しいです」 と話していました。 玉ねぎ型がかわいい、えったまちゃん えったまパンはパン工房の職人さんがレシピを考案。玉ねぎは茶系なので、特に苦労したのは「見栄え」だったそうです。 試作を繰り返し、美味しくて見た目にも個性的なえったまパンが誕生しました。 今月30日まで開催中です。ぜひ味わってみてください! パンの店コスモス 社会福祉法人伊達コスモス21ふみだす内 北海道伊達市松ヶ枝町59-4 営業時間 10時15分〜17時 定休日 木曜・日曜・祭日 電話 0142-25-0022 https://mushanavi.com/specials/7710/
むしゃなび編集部
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「あなたのまま とっぽとっぽと歩きましょ」作品が語りかける『陶っ歩や』の世界。
伊達市稀府町で陶芸教室を営む『陶っ歩や』さんを訪ねました。 お話を伺ったのは、主宰の木村友子さんです。 大きな目で真っ直ぐに相手を見つめながら、優しく話される友子さんは旭川のご出身。 旦那様のお仕事の関係で転勤を何度か繰り返し、気に入った伊達に移住されました。 「今まで、ピンチや転機の時、いつも周りの方が助けてくださいました。」 そう話す友子さんは、いくつかのエピソードを話し始めました。 長和にある旦那様の会社の社宅に住んでいた時のこと。 厚真町に住んでいた時の陶芸との出会いのこと。 稀府に家を建てた時のこと。 窯が自宅にやってきた時のこと。 陶芸教室の第一歩。 陶芸教室の第二段階、そして今。 作品販売へのきっかけ。 などなど。 感心することに、それらのお話しに苦労話は一つもなく、ましてや自慢話もなく、何事にも心からの感謝を込めてお話をされる友子さんを見ていると、これらのエピソードは全て人徳によるものに違いないと感じるのでした。 出会った方をとても大切になさる友子さんだからこそ、きっと周りの方が放ってはおかないのでしょう。 2003年より始めた陶芸教室には、現在生徒さんが23名いらっしゃるそうです。 ちょうど取材にお伺いした時もお教室の日でした。 ↑玄関からお教室に続く可愛らしい足跡♡ 様々なところで友子さんの優しい配慮があります。 それぞれに思い思いの作品を作る生徒さんたち。 和気藹々と本当に楽しそう。 この日はいらっしゃいませんでしたが、男性の生徒さんもいらっしゃるそうです。 現在、ご自宅の陶芸教室以外にも市内の星の丘中学校で年に一度、また、長生大学、カルチャーセンタでの「大人の粘土遊び」などの出張教室を行っていらっしゃいます。 「陶芸は、まだ形のないところから土を捏ねると始まります。粘土遊びを通して " 作者みんなが主役で、失敗なんてなくて、何を作ってもよくて、みんなで一緒の時間を過ごせて良かった! " そんな想いを共有できたら嬉しいなと思っています。」 友子さんはそう話してくださいました。 そんな優しい空気感の中で出来上がった作品を手にした作者の達成感は、きっと自己肯定感に繋がっていくのだと思いますし、「ここに居て良かった。」という安心感に繋がっていくのだろうと、「陶っ歩や」さんの世界を想像します。 お教室の生徒さんたちの楽しそうだけれど無心な姿の中で色々なお話を伺っていると、じわじわと心が温かく解放されていく感覚を覚えました。 本当に素敵な空間。 『陶っ歩や』のお名前の由来も伺ってみました。 「陶という字は入れたかったのです。 それに間が抜けた感じにしたかった 笑 “ とっぽとっぽ “ とゆっくり歩いている感じがいいなあと思いました。」 なんだかもう、いかにも友子さんらしい♡ でももちろん、プロの陶芸家としてのキリッとしたお顔もお持ちでした。 「作家としては、見て楽しく、触って嬉しく、使ってほっとする物つくりを心がけています。また、教室の主宰者としては、できる限り生徒さんの作品に手を加えることはしないようにしているのです。なぜならば、あくまでも主役は作者ですから。もちろんサポート役としてご相談を受けたらいくつかの選択肢はご提示します。でもやはりそのチョイスは作者に預けたいと思っています。 生徒さんたちには私をどんどん踏み台にして欲しいですし、私もときには生徒さんの良いところを学ばせていただいたりもしています。 皆様と過ごす時間の中で、お互いに陶芸を通して何かを感じあって、日常生活から離れた自分に向き合う時間を共有しあって、みんなで大切にしあえたら幸せです。」 そんなお話をとても柔らかく静かにお話をしてくださいました。 コロナ前までは毎年、生徒さんたちの作品展をされていました。 再開できることを皆んなで楽しみにしているそうです。 友子さんの作品は、教室または北湯沢の「緑の風リゾート」様、あるいは洞爺湖の「ザレイクビューTOYA 乃の風リゾート」様で購入することができます。 作品は、見るほどに友子さんに似ていらして、素朴で飾らず優しいお茶目さんたちでした。 『陶っ歩や』さんの世界に浸り、幸せいっぱいになってお教室を後にしました。 陶芸教室に興味がある方は、是非お問い合わせくださいね。 優しい友子さんと、可愛い作品たちが皆様をお待ちしています。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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【あの人に会いに】行動あるのみ! [ 星明子さん / 豊浦 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 一度は会いに行ってみてほしい、 地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画をスタートします! 【あの人に会いに】vol.1 初回は [ 豊浦町 ] から ”星の実ファーム” の 星明子さん です。 まずはじめに、明子さんを知るための3つの質問! 明子さんは、豊浦町礼文華にて ”星の実ファーム” を夫婦で営んでおり、主にイチゴとブロッコリーを生産しています。 2021年に新規就農、農業に奔走する傍ら、イベント等ではサンキャッチャー作りや糸掛け曼荼羅のワークショップを出店する一面も。過去にイベントを主催していた経験もあり、話し合いの場ではいつもアイデアマン!マルチに活躍されている明子さんの人生ストーリーを伺います。 北海道へUターン、子育てママたちとイベントを開催 明子さんは北海道池田町の出身。岩手県の高校、東京の専門学校と道外に進学。高校時代のボランティア活動がきっかけとなり、特別養護老人ホームで介護の仕事に就きました。 東京で就職し10年以上都会で暮らしましたが、北海道への想いは変わらずにありました。「帰省するときに飛行機の窓から見える十勝の景色、パッチワークのような広大な畑と、日高山脈に毎回感動していて……」30歳のとき、北海道へ戻ることを決意します。 北海道らしい仕事がしたい!と、酪農や畑作を経験したり、接客業に惹かれて飲食店で働いたり……。 そんな中、夫の雄介さんと出会い、結婚。転勤で移った浦河町が、明子さんにとってターニングポイントとなりました。 「女の子を出産して育てるうちに、なかなか好みのヘアアクセサリーが見つからず、自分で作るようになって。そうするとハンドメイド好きのお母さん方と繋がっていって、そんなママたちとイベントを開催したの」 会場にはなんと駅を利用し、イベントは大盛況!回を重ねるにつれてどんどん大きくなり、人気イベントとなりました。 「移住者で、地域のしがらみも何も知らないからこそ、無鉄砲に始められたんだと思う」 明子さんはそう言いますが、何も知らない移住先でイベントをゼロから作るなんて、誰にでもできることではありません。 「今すごく波に乗ってる!今ならいける!っていうとき、あるよね。”楽しそう”という気持ちだけで、自分の直感を信じて突き進んでた」 明子さん自身、なんと生後一か月の長男を抱えていたというので驚きです。 ”良いタイミング” だけでなく、そんな明子さんのエネルギッシュな姿が人々を惹きつけたのでしょう、周りのママたちを巻き込んでいきました。 「仲間と一緒に、それぞれが得意なことを発揮して作っていく、ということに喜びを感じてた!」 この経験から、自分の不得意なことは人に任せられるように。仲間と一緒だと大きな物も作り上げられる、大切な成功体験となりました。 『行動あるのみ!』 まずはやってみる そうして様々な経験を重ねた浦河町も転勤で離れることとなり、岩見沢市、札幌市へと移ります。そして2018年、夫の雄介さんが退職して農家になることを決心し、豊浦町に移住します。 「農業研修生の時に農業関係の人からよく言われていたのは、旦那さんが農家になりたいっていうのを、よくOKしたよねって。世の中で農業やりたいって思っている男の人は沢山いるけど、大抵は家族の了承が得られなくて諦める人が多いんだよと。」 安定した仕事を捨ててまで農家になるということ、そしてそれ以上に、大変だとわかっている農家という仕事に奥さんも一緒に就くということ。 「自然豊かなところで暮らしたいと思っていたし、畑仕事は嫌いじゃないし、やってみよう!くらいな感じで……今思えばだいぶ楽観的だったんだよね」 明子さんのモットーは、『行動あるのみ!』 行動することで、良いことも悪いことも沢山経験できる。諦めずにやりきることが成功に繋がる。浦河町での経験が、現在に活きています。 「とりあえずやってみよう!って。行動しなかったら何も見えてこない。”行動して飛び込んでいく” っていうのが、好きなんだよね」。 そう朗らかに笑う明子さんに、こちらまでエネルギーを貰います。 ”やり遂げた後の景色” を見てみたい —好きなことが沢山あると、どれも中途半端になってしまう……。 好奇心旺盛な人なら誰しも一度は通るジレンマではないでしょうか。明子さんも、サンキャッチャーづくりや糸掛け曼荼羅をはじめ、好きなことは沢山ありました。かといって、”これ一本で生きていく!” と言えるまでの思い入れはない……。 「一生かけてやる、という覚悟を持てるものが今までなかったんだけど、今は ”農業をひとつやり遂げる" そこで見えてくる景色を見てみたい、というのがあって」 しかし、大変なことや乗り越えなければならないことは山ほどあります。新規就農の大変さ、農業と生活との両立、夫婦で一緒に働くこと……苦しくなったり逃げたくなったりすることも多々。 「でも、自分で決めたことだから逃げたくない、自分に負けたくない」 自称負けず嫌いの明子さん、まだ見ぬ景色を見る日まで走り続けます。 美味しさで選んでもらえる農家に 豊浦ではまさに今、いちごのシーズンが始まりました! 星の実ファームのいちごは化学肥料・化学農薬不使用、健康的な土づくりを心がけています。そこには、子ども達に食物アレルギーがあったことで沢山悩んできたという背景がありました。食についてとことん学び、多くを知った明子さん。 「まず安心・安全、その上で、『美味しさで選んでもらえる農家』になりたい。美味しいって喜んでくれるお客さんの笑顔、今はとにかくそのために頑張ってる」 直売所は既にオープンしており、例年6月いっぱいまで。豊浦町は札幌ー函館の中間地点、キャンプ場もありますよ。ぜひ、元気ハツラツ、素敵な笑顔の明子さんに会いに行ってみてくださいね! 【 星の実ファーム 】 ~いちごをお求めの方は~ \明子さんに会える/ ▶ 直売がオススメ! 北海道虻田郡豊浦町礼文華403-4 インスタグラム{明子さん発信! DMで取り置きできます。 ▶ オンラインショップBASE ▶ 各ふるさと納税からもお求めいただけます。 国道37号線からは、真っ赤な看板が目印です!
misaki
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原体験に導かれて〜好きを極めた永遠の鉄道少年 横山靖樹氏
原体験 「父親に連れられて、今はなき室蘭機関区に蒸気機関車を良く見に行っていました。たしか2歳頃からだったと思います。当時は90%が貨物か客車を引っ張る機関車で、間近で聴く警笛の音に驚き、父の膝の上でビクッと飛び上がった記憶があります。」 そう語り始めたのは室蘭市舟見町ご出身の横山靖樹氏。 今回の主人公です。 数年前に伊達市役所を退職し、今は室蘭で週数日の仕事を請け負っていらっしゃるそう。 全く知らずに取材を申し込んだのですが、実はその世界の専門誌に登場する有名なモデラーとライターさんでもあることが発覚! なんとも恐れ多いことをしてしまいました。 ですが、とても気さくに丁寧に取材に応じてくださった横山靖樹氏でした。 「12歳になると鉄道模型に夢中になりました。二年間で貯めたお年玉1万1千円で初めて買ったのは金属モデル16番セット(日本規格のJゲージともいう)のBタンクと呼ばれるものです。だいたい6時間くらいで作ったかな…。当時はプラモデルがとても流行っていましたが、僕が作る鉄道模型は真鍮でできています。ですから、父からハンダ付けの道具を借りて作りました。今でもその時の模型は電源・レールともに保管してあります。」 わ! いきなり専門用語が出てきました。 Bタンクって何? 鉄道模型ってプラモデルとは違うんだ! 電源ということは動くの? これはお話に付いていけない予感…。 けれども靖樹氏は優しい口調で丁寧に説明してくださいました。 「Bタンクというのは動輪が二軸あることです。16番(Jゲージ)というのは実際の大きさの1:80の大きさと機能を表すものです。特徴としては加工がしやすくキットが豊富で精密にできます。つまり、より本物に近いものができる。精密に作ることができるので、1:80の大きさとパワーで本物っぽく動かすことができるのです。動かない鉄道模型は僕の中では認めていません。」 鉄道模型には強いこだわりがあるようです。 優しさの中に頑固さを見た瞬間でした。 鉄道模型への想いが熱い!! こちらも模型です。 雪煙を上げながら走るこの列車のカラーは国鉄色と呼ばれるオレンジ色です。 市役所現役時代から所属していた鉄道模型クラブの仲間同士の合同運転会などで、 情報交換やアドバイスをもらい技術を上げていったと言います。 なるほど! 文頭の画像は特別なものではなく、大きさは色々でも全て精巧に動くように作られているというわけです。 模型作りにどんどんハマる靖樹氏でしたが、子どもにはとても高価なのでそう簡単に買えるものではありませんでした。 ある日、中学生になった靖樹氏は鷲別機関区へ行きました。 「その頃は緩かったというか、車庫入りしている機関車に乗せてくれたり、警笛を鳴らさせてくれたりして、今でいう『体験』を通したさり気ない教育をしてくれたんです。」 結果、この時の体験は靖樹氏を『撮り鉄』の道へと駆り立てました。 北海道の蒸気機関車を撮りたい! 靖樹少年、ついに『撮り鉄』の旅を始めます。 「中学生の頃は学校の長期休みを使用しながら、日帰りで出掛けていました。カメラはお年玉で買いました。でも、ジュラルミン製のカメラバックと三脚は父が買ってくれました。」 「高校生になり、宿泊しながら撮りに行くようになりました。とは言っても、夜行列車を利用した車中泊です。いままで一度だけ遠軽の旅館に泊まったな。カメラは当時日給が高かった母方の親戚の酒屋のバイトをして一眼レフを手に入れました。室蘭は急な坂が多いでしょう。坂の下で車から荷物を下ろし、上り坂を担いで行くんです。キツかった…。」 「ところで、撮り鉄時代の面白エピソードや、車中泊や駅泊で困った思い出などありましたら教えていだけますか?」 「高校生時代からひとり旅を許されたのですが、予備フィルムやカメラ、列車時刻の確認、移動切符手配など、周到な準備で出かけるようにしていました。厳冬期 -25℃の道東の朝の出来事なんですが、メガネの金属製ヒンジがポロリと折れてしまいました。ツルの一つはかろうじて耳にかかっていましたが、直ぐずれて間抜けな顔に…。カメラファインダーも覗けず難義しました。メガネの予備を持たなかった失敗談です。また、あるお盆近くの日の出来事です。北見方面の長さ600m程の有名な怪談トンネルを訪れたのですが、トンネルの先は絶好の撮影スポットなので是非とも撮りたいと思っていました。信号所の職員さんに蛍光灯を点けてもらい、帰りもお願いしたのですが、帰りの約束の時間になっても蛍光灯は点かず辺りは真っ暗。職員さんは約束を忘れてしまっていたんです。山間はもう真っ暗でしたが、ダイヤを確認し勇気を振り絞りいざトンネルへ。そこで体験したのは超怪奇現象でした…。真っ暗なトンネル内で何度も転び、真っ黒になって信号所に助けを求めたところ、『あっ 忘れていた! また出たの!? しょっちゅうあるんだよね〜!』って…。今思い出しても寒気がする出来事です。」 「トンネルでの出来事は気になりますが、きっと、苦しい作業の末に亡くなられた成仏できない霊が彷徨っているのでしょうね…。勇気を振り絞って中に入った靖樹少年すごすぎます ^^;」 「また、こんなこともありました。夏の駅での野宿の時です。当時は、駅ホームの待合室では寝ていいよ、っていうのは結構ありました。でも夜中に貨物列車がゴウゴウと通過するのでその度に目が覚めます。でも屋根付きは良かった。特に雨の日。次の朝は蚊に刺され顔がむくんでいましたが笑 昭和の駅員さんはおおらかでした。」 「駅ホームの待合室泊…。実は筆者にも経験があります!今は締め出されちゃいますね。」 車中泊で全道各地の蒸気機関車を撮るようになった靖樹少年は、「もっと技術を上げて良い写真を撮りたい!」「自分で現像をしたい!」という思いから、高校では写真部に入部しました。 一度決めたらまっしぐら。 「現像のための暗室は自宅の一室に毛布をかけて作りました。家中酢酸の匂いがしていました笑」 カメラや鉄道にハマりながらも陸上部を掛け持ちし、短距離走が得意だったとも言います。 文武両道だったというわけですね。 〜というか、じっとしていられないタイプ? 自宅では模型を作り、外ではカメラを担いで蒸気機関車を追いかける日々。 そんな靖樹少年に辛い転機がやってきました。 国鉄の合理化です。 昭和50年代に入り、走る途中で水や石炭を補給しなければならない蒸気機関車は、真っ先に合理化のターゲットとなりました。 そしてついに、通常営業運転としては全国最後になった室蘭本線の蒸気機関車は消えてしまいました。 「被写体がなくなってしまい本当に気落ちしてしまいました。ディーゼルには興味がなかったので撮る気にはなれなかった。当時『赤ブタ』と呼んでいた機関車は撮りたい対象ではなかった。今となれば撮っておけばよかったと思いますが…。貨物車も、昭和の時代にはタンク車があったり、木材を積んだ貨車があったり、引っ張られている貨物車がバラエティーに富んでいたのですが、いまは画一化されたコンテナになり、それらさえも見ることがなくなってしまいました。」 「模型鉄」再開と新たな展開と その後しばらくして結婚。 そして子育ての時期。 「約15年間は鉄道から離れていました。けれども、札幌へ出張するたびに本屋へ行っては専門誌3冊を捲り、『またこの世界に戻りたいな…』という想いを膨らませていました。いつかは再開したいと思いつつも、再スタートの一歩を踏み出せずにいた僕の背中を押す記事を、ある日専門誌に発見してしまいました。自分が中学生の時よりも模型が数倍精密になっていたのです。それを知った時、俄然と模型作りをしたくなりました。実はちょうどその頃、超過勤務の給与を多くいただいていた頃で、それを原資にすることで再開することを決意しました。上の子どもが高校生の時でした。」 聞いて驚いたのが真鍮製機関車模型の価格。 なんと、1台20万円〜50万円くらいするそう! 何しろ、全てが本物の1 : 80なのですからその位はしてもおかしくないわけです。 ですから模型作りよりも家庭経済を優先させた靖樹氏の判断は当たり前と言えば当たり前でした。 「それは『我慢した』という感覚でした。」 15年ぶりの模型鉄再開はさぞかし嬉しかったことと思います。 さて、再開をした靖樹氏は鉄道模型を作るだけでなく、模型とジオラマの融合を始めました。 そして、仲間を集めて倶楽部活動も始めました。 先ほども少し触れたご自身が会長を務める「北軌道倶楽部」です。 「現在20名ほどの会員がいます。年代は40代から60代の方々。実は自分のような人間がいるのが不思議なくらい裕福な方が多いです。模型は高いですからね。その仲間で2~3ヶ月に1回くらい例会をしています。会でしていることと言えば、持ち寄った模型を走らせて酒の肴にして語り合う。そんな会です。」 どうやら想像以上にマニアックな会のようです。 「ところで、新たな展開としてジオラマも手掛けるようになったようですが、ジオラマも真鍮製なのですか?」 「真鍮も使いますが、ジオラマの材料のほとんどはお菓子の空き箱などのボール紙です。コルク板、発泡スチロール、集成材やプラスティック加工用のスプレーなども使います。他に使う材料は…、選ぶのがちょっと恥ずかしいのですが、100均のコスメパーツです笑。」 「え!? 化粧品ですか?」 「はい。たとえばネイルパーツなどをよく使います。」 つまりオリジナルの世界なのでキットでは作れないというわけです。 それではここで鉄道模型とジオラマの世界をとくとお楽しみください。 いかがでしょう? 細かい作業が苦手な筆者には、神業すぎて、素晴らしすぎて写真だけでもコーフンします。 もちろんこれらは靖樹氏のコレクションの極々一部です。 現在、車両のみで300両はあると言います。 それらは全て自宅納戸に保管されているそう。 「どれも皆素晴らしいですね!ところで、いま一番作りたいものは何でしょうか?」 「ジオラマでは鉄橋です。河川に架かる橋は鉄道車両と一体になる風景です。橋梁製作、法面の(植物)作成、河川表現等ジオラマの世界では高度な技術を駆使します。今、橋でも難しいリベット組立の魚腹ガーダー橋梁を使用したジオラマ製作を行なっています。」 最後に鉄道模型車両とジオラマ風景を融合させることの魅力を語っていただきました。 「まず、作ることそのものが魅力です。そして、ジオラマと融合させることで自分が育ってきた北の街の昭和の風景を再現することができる。あの頃の時代は戻らないけれど、自分で作ることでいつでも手の届く存在として側に置くことができる。まあノスタルジーですね。北軌道倶楽部のアジトにはレイアウトを考えた線路が常時敷かれた状態になっています。そこに人や樹木や草地や川や土手など風景を加えていくことで、想像の世界が広がっていきます。そうそう、今、会で『樹木ひとり一本運動』というのに取り組んでいます。一人一人が樹木を作り森を育てています。ジオラマの環境整備ですね。皆んなで作ることで、会員同士が交流し合い、切磋琢磨し合って、技術レベルも上げていきたいし、より素敵な模型とジオラマの融合の世界を作っていきたいと思っています。その過程が魅力です。若い人も増やしていきたいな。」 そして、実は「撮り鉄」も復活していました。 「撮り鉄はデジカメ時代になって復活しました。銀塩カメラ時代は現像して見ないと画像の確認ができませんが、今は出来をその場で確認できるのでとても便利で良いと思います。今でも車中泊の撮影旅(放浪の旅とも言う)を許してくれる嫁さんには本当に感謝しています。もちろん、キチンと1日一度安否報告はします。列車撮影、車中泊等全ての面でちゃんとコンプライアンスは厳守していますので、昔のようなエピソードはありません。でも、列車の遅れ、運休は昭和より多いですね。安全を考慮するとそうなるのかもしれませんが、『鉄道魂』と言うものが現場から消えかかっているのでしょうか…。時代は変化しているという事をつくづく感じます。」 永遠の鉄道少年靖樹氏は、終始にこやかに物語を話してくれました。 「どこかで常設展示していただきたい気持ちはありますが、車両1両が何十万円もする物ですし、輸送中壊れやすいジオラマもありますのでそう簡単なことではありませんね。」 是非「だて歴史文化ミュージアム」に横山靖樹コーナーを作って欲しい! 切に願います!
Rietty
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