ホテルマンの幸せ
鮮やかなタイミング☆
おはようございます♪
いつものブログもけっこう皆さまにはどうでもいいような事を書いてしまっておりますが、今日のブログはさらにど~~~~~でもいいような事を書いてしまいます事をご了承下さいませ…☆
これは私と同じ職場の人以外は何の参考にもならない内容なのです…
でも私と同じ職場の人たちにはこれからの時期とても参考になる内容なので見てほしいと思います。
それは…
まず私が毎朝出社した後で停めるパーキングはホテルの斜め向いにあるこの場所です。
大切な話しはここです!!!
(何が…?!)
この車を停めた後に車外に出て歩き出すタイミングなのです!!
私は一貫して必ず同じタイミングで歩き始めます☆
じゃ~実際に歩き始めてみますね♪
ガチャっ。
バタンっ☆
(ドアの閉める音)
テクテクテクテクっ
テクテクテクテクっ
さらにテクテクテクテクっ
この時、ローソンに大友さんがいないかチラっと見ます☆
大友さんがいたら満面の笑みで手を振ってくれます♪
(朝からとても嬉しい気持ちになれます☆)
あ、話しが逸れそうなので大友さんの話しは止めて…
テクテクテクテクっ
横断歩道が近づいて来ましたね☆
さぁ!!!
ここで皆さん(職場の人以外は不必要な情報ですが…)ここで注目です!!!
はいっ♪
信号機を見てっ!!!
車側の信号機が黄色になったでしょっ☆
で、数秒後には赤!!
と!言うことは…♪
歩道側の信号機がこのタイミングで…
パッっ!!!と到着と同時に『横断歩道が青』です☆
この鮮やかなタイミングで青なのです!!!
これは極寒の真冬にはとても貴重な情報ではないでしょうかね…♪
…というかなりの限られた人たちへの情報ブログでした…?♪
あ、どのタイミングで降りるか…ですが知りたい人には教えて差し上げますので声かけて下さいね☆
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12/12(日) これはもうmushanavi 的 情熱大陸だ!! Couturier Ty 宮崎智子という人
これほどまでにドラマティックな人生を歩んできた女性に出会ったことがあっただろうか? そう思うほどにのめり込ませる取材をさせた人。 倶知安在住、Couturier Ty 代表 宮崎智子さんを訪ねました。 智子さんが洋服のオーダーを請け始めたのは2000年頃のこと。 ブランドを立ち上げたのは2007年のこと。 そして倶知安に店舗を持ったのは2018年4月のことでした。 ↑デザイン段階でこの様な作業が入るとは知りませんでした。 「針と糸を使っての物作りならば大体のことはできます。」 そうおっしゃる通り、洋裁・編み物・刺繍・リメイク・修繕・革小物・布小物etc.なんでもこなされます。 ↑たくさんの糸や布が並びます。 ↑ツイードで作られた清楚なボディーコンシャスワンピース♡ ↑優しいオレンジ♡ ↑これを堂々と着こなして颯爽と街中を闊歩してみたい♡ ↑刺繍用の機械です。 地元の太鼓チームの半被を製作中。 ↑こういうワッペンも作ります。 実は、智子さんの最初の師匠はお母様でした。 今の智子さんと同じ様に何でもこなされていたお母様から、先ず習ったのは編み物でした。 「小学生の頃からビーニーやセーターなど、自分で編んだものを身に着けていました。 でも何故か洋裁には手を出しませんでした。ですが、洋裁をする母は私の憧れでした。 それなのに、母は私に一切無理強いしなかったのです。」 編み物以外しなかった智子さんに転機が訪れたのは20歳の時でした。 それは、お母様のこの一言が引き金でした。 「私の娘なのにスカート一枚作れないなんて…」 この言葉は、智子さんを発奮させました。 そして、お母様に習いながら初めて一枚のタイトスカートを作ったのでした。 このことがきっかけとなり、洋裁への転向を決めることになりました。 ↑落ち着いたカラーだからこそ、きっとパーティーで目立つはず♡ ↑取材時に智子さんが着ていらしたジャケット。とてもカッコよかった♡ そこからはお母様に師事をして洋裁の猛勉強を始めました。 また、文化服装学院を通信教育で卒業し、指導員の資格も取得しました。 とにかく物凄い集中力を持った頑張り屋さんなのです。 どんなことでも「やりたい!」と思ったら命懸け。 中途半端は大嫌い。 本気度は半端ない! 例えば英語。 ほとんど独学で、留学することなくTOEIC 900点を採ってしまったり。 スキーもプロ級の腕前だったり。 ↑パウダーもこの通り! そんな多才な人だから、全てが順調だったのかと思いきや…。 運命は智子さんをすんなりと洋裁の道へと導いてはくれませんでした。 2度の結婚と別離。 仕事も色々変わりました。 そんな智子さんに再び転機が訪れます。 「やはり洋裁道を極めたい! お客様のこだわりを100%表現し、デザインも着心地もお客様にピッタリ合うものを作って差し上げたい!」 改めてそう決心した智子さんは、再び猛勉強を始めました。 それも生半可ではない勢い。 しかも結果も残しました。 ↑これらの賞状や賞はほんの一部です。他にも色々と壁に飾られていました。 そして立ち上げたのが「Couturier Ty」なのでした。 「実は、Tは私の名前の頭文字。Yは母の名前の頭文字なのです。」 なるほど。 お店の名前にお母様は生きていらっしゃるのですね。 ↑出産祝いのオーダー品。オーガニックコットンで作られています。 25年前にお母様を亡くされた智子さんは、のちに運命的に出会った師匠に師事、猛吹雪のさなかでも中山峠を越えて札幌まで習いに行ったそうです。 ところが、またもや神様は智子さんに試練を与えました。 その先生も急逝されてしまったのです。 あれだけの資格や賞をいただいているのですから、師匠は必要ないのでは?と思うのですが… 「上には上がいます。常に技術向上をし続けていたいのです。だから今も師匠を探しています。」 いかにも智子さんらしい謙虚さ。 まだまだ勉強することはたくさんある! 前進あるのみの精神です。 ところで。 このお店を通して伝えたいことはありますか? とお尋ねしてみました。 「洋裁教室の指導者としては、食わず嫌いにはならずにやってみましょう!と伝えたいです。やってみようとしないで “出来ない” って思うのはもったいないです。 また、洋服の仕立て屋としては、自分サイズの服の心地よさを知ってほしいと思っています。 色々取り扱っていますが、一番好きなのはドレスオーダーを受けて仕立てるお仕事です。 日本人にも華やかなカラーを堂々と着て、思い切りファッションを楽しんでほしいと思っています。」 ↑こちらは既に終わりましたが、小物作りの講師の他、定期的に初心者向けの洋裁教室も開催されています。1日で服が作れるプログラムになっています。 工房に所狭しと置かれた道具や機械や糸や布を見ていると、筆者も自分だけの1着が欲しくなってしまいます。 夢を実現させることへの熱量が人並み外れて高い智子さん。 きっともっともっと大きな夢があるに違いない!と次なる目標をお尋ねしてみました。 すると、とても恥ずかしそうに教えてくれました。 「フランスに住みたいです。 ヨーロッパの色彩豊かな生地を使って洋服を作りたい! そして、思い切り大胆にファッションを楽しむ人に私の服を着て喜んでほしいのです。」 なんと、しっかりとフランス語の勉強も始められています。 これは必ず掴む夢だな…と感じてしまいました。 華やかな外見とは裏腹な、物凄く泥臭く地道な努力をされる智子さん。 その情熱に強く引き込まれ、頭の中には葉加瀬太郎さんのバイオリンが鳴り響いていました。 Couturier Ty(制作中ページあり) https://tymode.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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03/29(水) 雑貨店『風花』に咲く 〜三橋真紀子さんの名刺「❤️のA」にこめられた想い
いただいた名刺がまるでトランプのような❤️のA 。きっと何か意味があるはず!そう思いながらも、終始ニコニコクルクルと笑う可愛らしい『風花』オーナーの三橋真紀子さんの楽しいペースにはまり、その意味をすっかり聞きそびれてしまいました。 今は、お洒落な雑貨屋さんですが 、“ 元々は60年続いた作業衣料のお店だった “ と伺い、その意外性にまず驚かされました。 「祖父が、室蘭市と伊達市で “働来館(ワーク館)”という店を営んでいました。その後、バラ好きな母がこの場所にガーデニングショップを開きました。その頃、私はある会社の事務職員をしていたのです。」 『風花』は広い店舗に豊富な商品の品揃えがあります。 「私は、若い頃から大の雑貨好きでした。たまに東京へ行くと、雑誌に載っているような可愛くて素敵なものがたくさんあり、見ていても触れていてもウキウキと楽しくて色々買ってきていました。それにね、雑貨をワクワクと活き活きとした表情で嬉しそうに選んでいる方のお顔がもう本当に大好き!いつかは自分が発信する側、売る側になりたいとその頃から思っていました。ただね、母が営むガーデニングショップは私のイメージしている店とはちょっと違っていました。時々、母から手伝い要請がかかるのですが、商品が重たいものばかりで、ラッピングも管理も大変だなあと感じていました。もちろん、選んでいるお客様は楽しそうなのですが…。」 ところがこれ、どうやらお母様の作戦だったのではないか?と真紀子さんは言います。 「私の雑貨好きを見込んで、ガーデニングショップを私に任せるつもりだったようです。会社勤めをしていた私は、その策略にまんまとひっかかったわけですが ^^; 私は私で、ずっとやりたいと思っていた自分の好きな雑貨屋にしちゃいました。」 と、いたずらっぽく笑う真紀子さんでした。 なるほど〜。 そんな歴史が! きっと、真紀子さんの夢を知っていたお母様が、場を作って背中を押してくれたのではないかと想像します。 その後、お母様は伊達市でバラに特化した園芸のお店を開き、現在は野菜を中心に果樹も育て、赤いルバーブジャムやアロニアジャム・ブルーベリージャム、黒ニンニクなどの製造も手掛けていらっしゃいます。 風花ファーム →https://www.kazahana-garden.jp/風花ガーデンの移り変り/ さてところで、真紀子さんの雑貨店『風花』は創業21年となりました。 「雑貨って生活の中では無くても困らないものですよね。世の中、シンプルかつ便利なものにシフトしてきている中で、まあ、実用的ではないしムダかな?と思うようなものでも、それがあることでなんとなく心が弾み、笑顔になるのならば決してムダなものではないと思うのです。って、実は自分自身がそうなのですが^^; 私と同じように感じるお客様もきっといらっしゃると思い、そういうお客様の気持ちに寄り添いたいと思っているのです。『可愛い!』とか『おもしろい!』とか『なんか笑っちゃう』とかいうもの。正直、仕入した後で『なんでこれ買っちゃったんだろう?』っていうこともあります。それはもう、その時のインスピレーションっていうか、遊び心を発揮しちゃうというか。『あ!これ!』みたいな直感で買ってしまうんですよね。たまにお客様から『またこんなものを仕入れて!』と言われたり(笑)、でもそう言いながら買ってくださったり。本当にうちのお客様は私のことを良く理解してくださっているので助けられています。それにね、仕入れをする時に、いつもお客様のお顔が浮かんじゃうんです。あ!これは〇〇さんが好きそうだから買っちゃえ!とかね。」 このお話だけ伺ってもお客様とのコミュニケーションがしっかりととれていることが分かります。 さらに真紀子さんのお話は続きました。 「なんだかね、常連様も多くいらっしゃるのですが、もう本当に素敵なお客様ばかりで。子どもが小さかった頃、お店が忙しかったりすると、お客様が子どもをみていてくださったこともありますし、時には私の食事のことまで心配してくださったり。皆様とっても優しくて。本当に周りの方々に助けられていることを感じています。ありがたいです。」 このお話を伺い、筆者は気づきました。 それは何より、真紀子さんご自身がお客様を大切にされているからこその関係だということを。 雑貨を見に来ているけれど、実は真紀子さんに会いに来ているのですよね。 さて実は、『風花』は雑貨だけでなく食品も扱っています。 伊達のお母様の店『風花ガーデン』でも食品製造を行なっていますが、真紀子さんも安心安全な食品には元々強い関心を持っていました。 類は友を呼ぶではないですが、真紀子さんの周りには真面目に真摯に食品に向き合っている方が多いようです。 例えばこの塩。 なんと、牧場主さんが手作りで作っています。 「大切な牛たちに納得できないものは舐めさせられない!」という思いからだそうです。 牧場で塩作りというのは初めて耳にしました。 詳しくはこちらを →https://www.n-slow.com/shopdetail/000000000364/ それからこちらの醤油。 白醤油は見たことありますが、透明な醤油って…。 詳しくはこちらを →https://www.fundodai.com これらも真紀子さんの感性にピンときたものたちです。 そしてこちらも。 何事にも誠心誠意まっしぐらで頑張る真紀子さんは、カンボジアで有機栽培農業をしている農家さんが手摘みで収穫し、管理された工場で丁寧に作られている希少種のクメール種胡椒で作られた「生胡椒の塩漬け」の販売を始めました。 しかも、より確かな保証が付いたものをお届けしたいと「有機JAS(オーガニック)」の認証までご自分で取得したのです。 この認証を取得するにはとても厳しい審査にクリアしなければなりませんし、取得した後の商品管理はもちろん、ラベル管理に至るまで厳しくチェックされています。 さらに、現在では北海道内でオーガニック認証を受けた事業者同士で集まり、『既存の農業生産に付加価値をつけ、国内外へのPRと、次世代に北海道農業の魅力と可能性を伝えていくこと』を理念とした「Green horaizon」という団体の一員にもなりました。 真紀子さんは、「生胡椒の塩漬け」を厳正に管理された部屋で袋詰めし、オーガニック認証ラベルを貼って販売をすることをご自分の使命にしています。 雑貨はもちろんですが、今最も真紀子さんが力を入れている商品です。 「とにかく、安心して美味しく食べていただきたいのです!」 そのまま食べても美味しいのですが、例えばこんなお料理に使ってみてほしいとのことでした。 「それにこの生胡椒の塩漬けで雇用も生みたいのです!ですから、もっと販路を拡大していきたい!」 コロコロと可愛らしく笑う真紀子さんから出てきた言葉は、本気が強く感じられる決意の言葉でした。 「コロナ禍が長引いたので、まだ行けてないのですが、今年はカンボジアの胡椒農場を訪れたいと思っています。想いを共感できる生産者さんを縁の下で支え、発信していく側として頑張りたいです。」 その言葉は、『風花』であつかう商品全般に対しての想いなのでしょう。 そうそう! 帰宅後、どうしても気になった「❤️のA」の意味を改めて伺うことができました。 「❤️は、実はプレゼントをする方の気持ちを表しています。販売する側としては、その “あなた”の気持ちを届けるお手伝いをさせていただきます!という想いです。そして、Aは “あなた”を表すAです。」 ものすごく納得☆ やはり素敵な想いがこもった名刺だったのですね。 店舗には、選んでくださる「A」あなたの「❤️」気持ちに寄り添った商品を揃え 常に向上心を持って決して止まらず まっすぐに突き進んでいく 『風花』オーナー三橋真紀子さんのそんな姿に大いに勇気をいただいた筆者でした。 ―「風花」情報― Instagram(風花) https://www.instagram.com/kazahana.zakka/?igshid=YmMyMTA2M2Y%3D Instagram(noproblem.3bridge : オーガニック生胡椒の塩漬け) https://instagram.com/noproblem.3bridge?igshid=Mzc1MmZhNjY= Base https://kazahana.base.shop/ GREENHORIZON https://www.greenhorizon-group.com/
Rietty
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02/15(火) 身体の中身と容姿、各部バランスがつりあう幸せ ♡ “均整きぃとす” で整う時間を
身体の痛みを抱える不安と恐れは、おそらく誰もが経験したことがあるはずです。 人は、その痛みの場所を示すことができても、その痛みを引き起こしている根本的な原因はわからないことが多いです。 あるいは、わかっているつもりだったけれど思い違いだったということもありますね。 見えない身体の中のことだから、不安や恐れは痛みをさらに増長させる。 筆者自身も経験があります。 そんな時、自分の心配の話にしっかりと耳を傾けて寄り添ってくださるところに出会いました。 先ほどの写真の左側が代表の島川弘美さん(理学療法士)、右側が店長の福田知美さん(看護師)。 医療従事者としての確かなバックグラウンドをお持ちのお二人による “均整きぃとす“です。 実は、お二人とは以前から緩い繋がりはあったのですが、この度ゆっくりとお話しを伺い、施術を体験させていただき、“均整きぃとす“ に絶大なる信頼感を持ってしまいました。 さて、“均整きぃとす“が何をされているのか? ここにホームページから一部転載させていただきます。 ↑“均整きぃとす“HPより抜粋 施術・パーソナルトレーニングなどのメニューは上の通りです。 ↑こちらは高濃度酸素の吸入器 実は筆者、ここ一年くらい身体中がカチコチで、常に胃や背中や横隔膜が痛かったのです。 それをお話しすると…。 「あ〜。 頭使いすぎですね〜。まずは体験してみてください。」 とのことで、このマットに横になることに…。 ↑興味深いポスターが貼られていました。 ふむふむ…。 正直、整体の類はあまり得意ではなく…。 というのは、ひどく痛く辛い思いをしたことが何度もあり…。 この方ならば!の安心感はあるものの、ただでさえ硬い体を、さらに硬くして横になったわけです。 ↑怖がらなくても大丈夫よ〜!と看板猫のニャンズたちが柵の向こうで見守ってくれていました ^^(猫アレルギーの方がいらっしゃるときは、柵からこちらに来られないように躾けられています。) ところが…拍子抜け ^^; それは今まで経験したことがない方法でした。 「え? これで効くの?(ほんと、ごめんなさい!)」 と疑ってしまったほど優しいタッチ。 自分で行うストレッチより痛くない! というより気持ち良い。 そして、施術前後に撮っていただいた写真を見てビックリ!! ただ優しく触れていただいただけなのに、こんなに変わるの!? なぜ?なぜ!? と、驚くばかりでした。 思わず、「魔法みたい」と口走ってしまったほど。 今まで食わず嫌いをしていた自分を叱りたくなりました。 そしてわかったこと。 身体をお任せできるには信頼感が大切だということ。 そして、間違いのない技術。 実際に身体均整法を体験してみて、まったく微塵も痛くなかったことには驚きました。 今回はお試しということもあり、施術の前に身体の状態を詳しくお話はしなかったのですが、お二人には私の立ち姿を見てすぐにどこをどうすれば私の身体の歪みが整うのかが分かるということが驚きです。 「この身体均整法の特徴は、身体の歪みに注目して分析し、その日の体型に効果のある方法を選んで調整するということです。それと、あくまでも健康サービスなので、安全に行えることを気にかけています。ですから、痛みのあるところは直接刺激しません。動きの悪いところを無理やり伸ばさないので拍子抜けされる方も多いのですが、安全に不調を改善できる調整法なのです。」と島川さん。 なるほど…。 思い返せば、私が過去に経験したものは、痛いところに直接触れるものばかりでした…。 だから、恐怖症になってしまったわけです。 さらに島川さんのお話は続きました。 「身体の中は繋がっていますからちゃんと効果があるし、施術後もどんどん身体が変わっていくので、きっちり仕上げてしまうと変わりすぎてしまい、具合が悪くなることもあるのです。 施術をしたら終わりではなく、また不調を起こす歪みができないように、身体の上手な使い方や暮らし方の工夫、運動方法などもお伝えしています。」 もう、すこぶる納得! 施術を体験したあとの2日間の経過がそのお話しを証明していました。 その場しのぎではなく、身体の中から間違いなく好転したという実感を得たことにも感動しました。 まさに、『本物』です。 もっと早くお二人と本業でのお付き合いをさせていただきたかった! そんな想いが駆け巡りました。 そして、何よりも絶大な信頼感を感じたのはこんなお話しからでした。 「身体均整法やパーソナルトレーニングを通し、ひとりひとりに合った運動方法や身体の動かし方、上手な暮らし方、どなたにも安全で、なおかつ各自が取り組みやすく成果が出る方法を提案しています。囲い込みはしない主義です。 X線検査やMRI・エコーなどはここではできません。医療が必要な方には、早期発見していただくためにも適切な医療・相談機関へと繋いでいます。時には逆のケースもあります。病院や介護施設など各種機関と信頼関係を作り、お客様のためにより良い方法で連携し合うことこそ大切だと考えています。 ですから、インタビューやカウンセリングの時間はしっかりと取ります。主観と客観からの分析をしながら一番良い改善方法を探るためにも、お客様の心身の状態にきちんと向き合って、交通整理をし、次へのアクションをとるためには非常に重要なことだからです。それとね、『手』はスーパーセンサーなのです。文字通り、『触れること』いわゆる触診も大切にしています。私たちが目指すのは、繰り返しこういうところに来ないようにすることです。 」 とてもとても心に響く、ありがたいお話しでした。 ↑“均整きぃとす“は伊達市の健康づくりサポーターにも登録をされています。 ―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―* 健康づくりサポーターとは(伊達市HPより引用) 健康づくりサポーターとは、日頃の活動を通して市民の健康づくりを支援している関係団体・企業・グループなどです。市は、登録した団体などの情報を市の広報紙「広報だて」やホームページなどでお知らせします。また、登録した団体は、その他のサポーターの活動を知ることができ、サポーター同士の新たな連携や協力体制を作ることもできます。 ―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―* ところで〜 『市民の総合的な健康づくり=命を守る』ことを実践されている“均整きぃとす“では(特に島川代表)、『防災』への取り組みにも精を出されています。 ですが、この話題はとても長くなりそうなのでまたの機会に〜。 最後に、代表の島川さんはこう話してくださいました。 「年をとっても障がいを抱えていても、どんな状態状況であっても、どこで暮らしていても安心安全に笑顔で暮らしていくことが私たちの目指すところです。 これからも誰もが健康で幸せな生活を送っていけるようがんばっていきます。」 確かな裏付けがあるからこそ、信頼できるお言葉です。 体に不調を感じていらっしゃるあなたに。 体験者として、“均整きぃとす“を心からオススメいたします。 ホームページ https://kinseikiitos.jimdofree.com 過去の特集記事はこちら↓↓ [clink url="https://mushanavi.com/specials/10489/"] ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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11/20(土) 「あなたのまま とっぽとっぽと歩きましょ」作品が語りかける『陶っ歩や』の世界。
伊達市稀府町で陶芸教室を営む『陶っ歩や』さんを訪ねました。 お話を伺ったのは、主宰の木村友子さんです。 大きな目で真っ直ぐに相手を見つめながら、優しく話される友子さんは旭川のご出身。 旦那様のお仕事の関係で転勤を何度か繰り返し、気に入った伊達に移住されました。 「今まで、ピンチや転機の時、いつも周りの方が助けてくださいました。」 そう話す友子さんは、いくつかのエピソードを話し始めました。 長和にある旦那様の会社の社宅に住んでいた時のこと。 厚真町に住んでいた時の陶芸との出会いのこと。 稀府に家を建てた時のこと。 窯が自宅にやってきた時のこと。 陶芸教室の第一歩。 陶芸教室の第二段階、そして今。 作品販売へのきっかけ。 などなど。 感心することに、それらのお話しに苦労話は一つもなく、ましてや自慢話もなく、何事にも心からの感謝を込めてお話をされる友子さんを見ていると、これらのエピソードは全て人徳によるものに違いないと感じるのでした。 出会った方をとても大切になさる友子さんだからこそ、きっと周りの方が放ってはおかないのでしょう。 2003年より始めた陶芸教室には、現在生徒さんが23名いらっしゃるそうです。 ちょうど取材にお伺いした時もお教室の日でした。 ↑玄関からお教室に続く可愛らしい足跡♡ 様々なところで友子さんの優しい配慮があります。 それぞれに思い思いの作品を作る生徒さんたち。 和気藹々と本当に楽しそう。 この日はいらっしゃいませんでしたが、男性の生徒さんもいらっしゃるそうです。 現在、ご自宅の陶芸教室以外にも市内の星の丘中学校で年に一度、また、長生大学、カルチャーセンタでの「大人の粘土遊び」などの出張教室を行っていらっしゃいます。 「陶芸は、まだ形のないところから土を捏ねると始まります。粘土遊びを通して " 作者みんなが主役で、失敗なんてなくて、何を作ってもよくて、みんなで一緒の時間を過ごせて良かった! " そんな想いを共有できたら嬉しいなと思っています。」 友子さんはそう話してくださいました。 そんな優しい空気感の中で出来上がった作品を手にした作者の達成感は、きっと自己肯定感に繋がっていくのだと思いますし、「ここに居て良かった。」という安心感に繋がっていくのだろうと、「陶っ歩や」さんの世界を想像します。 お教室の生徒さんたちの楽しそうだけれど無心な姿の中で色々なお話を伺っていると、じわじわと心が温かく解放されていく感覚を覚えました。 本当に素敵な空間。 『陶っ歩や』のお名前の由来も伺ってみました。 「陶という字は入れたかったのです。 それに間が抜けた感じにしたかった 笑 “ とっぽとっぽ “ とゆっくり歩いている感じがいいなあと思いました。」 なんだかもう、いかにも友子さんらしい♡ でももちろん、プロの陶芸家としてのキリッとしたお顔もお持ちでした。 「作家としては、見て楽しく、触って嬉しく、使ってほっとする物つくりを心がけています。また、教室の主宰者としては、できる限り生徒さんの作品に手を加えることはしないようにしているのです。なぜならば、あくまでも主役は作者ですから。もちろんサポート役としてご相談を受けたらいくつかの選択肢はご提示します。でもやはりそのチョイスは作者に預けたいと思っています。 生徒さんたちには私をどんどん踏み台にして欲しいですし、私もときには生徒さんの良いところを学ばせていただいたりもしています。 皆様と過ごす時間の中で、お互いに陶芸を通して何かを感じあって、日常生活から離れた自分に向き合う時間を共有しあって、みんなで大切にしあえたら幸せです。」 そんなお話をとても柔らかく静かにお話をしてくださいました。 コロナ前までは毎年、生徒さんたちの作品展をされていました。 再開できることを皆んなで楽しみにしているそうです。 友子さんの作品は、教室または北湯沢の「緑の風リゾート」様、あるいは洞爺湖の「ザレイクビューTOYA 乃の風リゾート」様で購入することができます。 作品は、見るほどに友子さんに似ていらして、素朴で飾らず優しいお茶目さんたちでした。 『陶っ歩や』さんの世界に浸り、幸せいっぱいになってお教室を後にしました。 陶芸教室に興味がある方は、是非お問い合わせくださいね。 優しい友子さんと、可愛い作品たちが皆様をお待ちしています。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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10/16(日) どさん子料理人が描くおいしい「世界地図」。 多国籍料理Kiko図【喜茂別】
中山峠を越えて札幌方面に向かうとき、かならず通る、峠のふもとの喜茂別町。 のどかな景色を横目で眺めつつ、通り過ぎてしまうことが多いのですが、通る度に気になっていたお店がありました。 壁に並ぶ、たくさんのフライパン。 看板に描かれた、不思議な鳥。 外観から溢れ出す、エキゾチックでポップな雰囲気。 車庫カフェKiko図(キコズ)です。 海外を旅し、さまざまな国のシェフたちと仕事をしてきた料理人Kikoさんのおいしい多国籍料理をたっぷりと味わってきました! 魅惑の多国籍料理、いろいろ。 ドアを開けると、カラフルなピンクや黄色の壁に、エスニックな調度品の数々。 店内にはにぎやかな音楽が流れ、開放的かつホッと落ち着く居心地のよさ。異国の風がさあ〜っと吹き抜けるような、気持ちのいい空間です。 もともと車庫だった建物を改装して店舗にしたとのこと、驚きました。言われてみれば、トタンがのぞく天井などに車庫の名残りが。それがかえって、なんとも渋いいい味を醸し出しています。 カウンターの奥で、キビキビと立ち働いているのが店主のKikoさんこと松宮亜樹子さん。 スパイスが混じり合う豊かな香りが、お店中に広がっていました。 Kiko図は2019年7月にオープン。この夏、3周年を迎えました。 札幌出身の松宮さんは、30代から40代にかけて10年ほど、海外を旅しながら、ニセコと外国を行き来する暮らしをしてきました。 日本では札幌やニセコを中心に、海外はカナダやニュージーランドなどの国のホテルやレストランで、国際色豊かなシェフ達と仕事をし、料理の腕を磨いたそうです。 南米、アジア、中東、ヨーロッパなど、訪れた国は多数。旅の途上で出会った現地の味や、海外の友人たちに教わった料理の数々を独自にアレンジして提供しています。 「日本の方には海外の味を、外国の方にはほっとする味を」がkiko図のテーマです。 壁に並ぶフライパンは、ペルーで行った料理屋さんから着想を得たそう。そのお店にはものすごくたくさんのフライパンがかかっており、とてもかっこよかったのだとか。 時々「磨きたくなる」と言われるそうですが、「このサビがいいんです」と松宮さん。確かに、渋くていい感じのサビですネ! さてさて、ランチメニューは不定期でいろいろと替わります。どんな一皿に出会えるかその時々のお楽しみです。 今回は人気メニューのひとつファラフェルと、濃厚なタイカレーヌードルをいただいてきました! カラフルなファラフェルプレート。 中東の家庭料理ファラフェルをメインに、さまざまな国の味を楽しめる盛りだくさんでヘルシーな一皿です。この日はフムス、ギリシャのパイ・スパナコピタ、南米のトルティーヤ、穀物や野菜たっぷりのサラダなど、珍しいお料理がずらり。(※プレートの内容は、ファラフェル以外はその時によって変わります) 一部チーズを使用していますが、肉や魚はなしのベジタリアン仕様。 別々のルーツを持つ料理が、同じお皿の上で見事にマッチし、おいしいハーモニーを奏でています! ファラフェルは、つぶしたひよこ豆にスパイスを混ぜて揚げたコロッケのような料理。イスラエルが発祥と言われますが、中東地域ではどこでもポピュラーに食べられているそうです。 日本ではあまり馴染みのないひよこ豆ですが、クセがなくサクッ&フワッとした食感で食べやすい。松宮さんによれば、冷めても硬くならないように、現地の一般的なレシピの工程や食材をオリジナルにアレンジして作っているそう。お子さんはもちろん、エスニック料理に慣れていない年配の方にも好評です。 それからこちらは、タイのレッドカレーをライスヌードルでいただくスパイシーな一皿。たっぷりのパクチーにエビやチキンなどの具材が入り、スパイスとナンプラーが濃厚に香る本格派。汗をかきかき食べたら、ここが北海道だということを忘れてしまいそうです。 ハブタウンに活気を。道産子料理人のチャレンジ 窓の外を見れば、国道230号線が目の前を走っています。中山峠の入口まで車で10分弱、という立地。 交通量は多いものの、飲食店など人の集まるスポットは少ないエリアだけに、なぜ喜茂別でお店を?というのが気になって伺いました。 松宮さん: もともとはニセコ・倶知安でお店を開こうと考えていました。海外の方が多く多国籍料理はニーズがありますし、知り合いもたくさんいるので。ただ、なにせ高くなりすぎていて、手が出なくて。 喜茂別は小さな町ですが、周辺にはニセコ、留寿都、洞爺湖、峠を越えれば札幌と、いろんな地域につながるハブタウンなんですよね。それなのに立ち寄るところが少ないことがもったいない。 そこで中継地点であるこの町がもっと盛り上がれば、周辺地域も含めて全体がさらに活気付くのではないかな、と思ったんです。 道産子としては、やはり何かちょっとでも自分ができることで、北海道を活気づけたい、という気持ちがあります。いろんな地域でたくさんの方が、過疎といわれる地域を、少しでも面白くするような活動に取り組んでいらっしゃいますが、喜茂別でそれができたらいいな、と思いました。 最初は家族や友人みんなに心配されましたけどね。 喜茂別を選んだ背景に、道産子スピリットともいうべき、松宮さんの北海道への熱い思いがあることを知りました。 お料理や空間はグローバルな世界観。でもその根っこにはローカルな視点もあって、地域を大切にしながら根付いている。海外の方にも、日本の方にも、国籍を問わず親しまれるKiko図の魅力は、そういったところにも所以があるのかもしれないな、と思いました。 お店のシンボルである鳥のイラストは、松宮さんがご自身で描いたもの。カラフルな色使いと独特のフォルムが印象的です。まるで生きているかのような存在感を放つこの鳥は、大切なご友人がモデルなのだそう。優しい眼差しでお店とお客さんを見守っています。 ドリンクメニューも多国籍。コーヒーだけでもベトナムコーヒー、イスラエルコーヒー、ココナッツミントコーヒーとあり、エスニック好きにはたまらないラインナップでした。上の写真は、ブラックコーヒーにカルダモンを効かせたイスラエルコーヒー。食後にピッタリな一杯です。 Kiko図の図は、地図の図。 Kikoさんがお店をキャンバスに描く地図、というわけです。 「これから展開していきたいことが、まだまだたくさんあります」と松宮さん。幅広く豊富な海外経験と、プロフェッショナルな料理の技術から生み出されたオリジナルの世界地図は、これからもどんどん広がり厚みを増していくことでしょう。 旅する気分で世界を味わう…そんなとてもとても素敵なひとときでした! 店舗での営業は例年、雪解け〜降雪前まで。 今シーズンの店舗での営業は、10月10日にて終了しました。 冬季はお店はクローズし、ルスツエリアにて営業予定です(詳細はKiko図のSNSをご確認ください)。 記事が遅くなり、お店のシーズン中に掲載が間に合わず、大変申し訳ありません。 冬の営業予定など、インスタグラム等で最新情報をチェックして、ぜひぜひ、お出かけください! 車庫カフェ Kiko図 店舗情報 住所 北海道虻田郡喜茂別町伏見332-3 HP https://akikokikokikoz.wixsite.com/kikoz-kimobetsu オープン日、イベント出店情報はSNSをご覧ください。 Instagram Facebook ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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01/01(土) 「SeicomartのCMソングを歌いたい!!」 伊達のArtist 藤河 ちあき の未来予想図
むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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01/29(日) 旅するイタリアンレストランを目指して☆ 〜洞爺湖 Lagorto ファンキーコンビは今日もいく〜
左側は代表の木村香葉子さん。 伊達市ご出身。 東日本フェリーの船内で6~7年勤めたのち、派遣バイトを始め各地を転々としていました。 ある時はキロロで、またある時は礼文島で、そんな時、所属していた派遣会社を通して右側の利光優子さんと知り合いました。 そして真狩の佐伯農園さんで働いたことが、その後の二人を決定づけることになりました。 優子さんは愛知県のご出身。 29歳でホテル調理の仕事を始め、イタリアンやフレンチの修行を積みました。 育った場所も経歴も違う二人。 この二人を今に繋げたのは、佐伯農園さんが経営する『Pomme ポム』というファームレストランでした。 シェフを探していた佐伯さんに優子さんを紹介したのが香葉子さんだったのです。 そして優子さんは即断して北海道にやってきました。 裏の思いとして、あるメリットを感じたからでした ということで。 今回は洞爺湖温泉に2021年6月 カジュアルなイタリアンレストラン『Lagorto』をOPENされた香葉子さんと優子さんを尋ねました。 仕込み時間という短い時間をいただいた取材だったため、実は事前にお二人の人となりがなんとなく分かる写真のご提供をお願いしていました。 すると届いた写真がこちら〜。 むむむ〜! なんてファンキーな!! 今となってはどの人がお二人なのか分かりませんが、このイカした面々のうちのお二人がのちのLagortoコンビなのでした。 なるほど〜! これが裏のメリットか〜!! 筆者はライター・ガイドの他にもスキーインストラクターをしているのでイメージできるのですが、ちょうど彼女たちの世代の方々は、いわゆるリゾートバイトなどをしながら冬山に籠り、リフト券貸与の恩恵を受けながら、スキーやスノーボードをしまくる!という生活をする方が当時は多かったのです。 現在若い世代の方にはあまり見かけないワーク&ライフスタイルです。 これまで様々なジャンルの方を取材させていただきましたが、実はコロナ禍に新たな道を開拓された方が多いです。 そして成功されている。 それは決して火事場の馬鹿力ではなく、自分の生き方をしっかりと見つめ直し、コロナ禍をチャンスと見ることができた方々でした。 何を食べても美味しいとすぐに話題となった『Lagorot』では、顧客の7割が地元の方だそうです。 わずか2年余りで地域に根付くのは素晴らしいことです。 きっとそれだけ、おふたりの店への想いが強いということなのでしょうね。 ところで、店名『Lagorto』の意味を訊ねました。 なるほど、『洞爺湖を望む坂の途中にある菜園のようなレストラン』ということですね。 こちらはメニューのごく一部です。 Lagortoさんのメニューラインナップは、基本、お酒のつまみにもなるものが多いです。 それなのに、実は違いの分かるお子様にも人気なのだとか? パスタの具にご注目。 真狩佐伯農園さんとのつながりがあるからこその、ふんだんに使われた百合根! これ、都会で食べたらとんでもないお値段になります^^; なるほど。 『旅するイタリアン』というわけですね〜。 旅先では楽しく遊んだり、飲み歩いたりもしつつ、料理はガチで本物を提供する。 やっぱりファンキー! カッコいい!と思います。 めっちゃ喧嘩をするとは言いながらも、「二人でやりたいです!」とキッパリと話してくれました。 洞爺湖の『Lagorto』で食べるイタリアンはもちろん美味しいけれど、ふらりと出かけた旅先で、お二人に会えたら嬉しいなあ〜と思った筆者でした。 ―Lagorto情報― ・代表 木村香葉子 ・シェフ 利光優子 ・北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉54秋田ビル1F ・詳細はFBまたはInstagramよりご覧ください
Rietty
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06/30(金) BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 毒まんじゅう?? と、びっくりされた方にちょっと説明的にこちらの画像を〜。 というわけです。 で、このキャラクターこそが「むろらんくん」。 大輔氏はさまざまな場面で登場させる「むろらんくん」を育成事業と呼んでいます。 そしてついにはLINEスタンプ販売まで育成事業は発展しました。 つぎに、「たたら製鉄への関わり」です。 地域おこし協力隊時代、ムロランワンパクに来てもらったご縁で「登別室蘭たたらの会」石崎会長と知り合った大輔さんは、石崎家で玉鋼のナイフ鍛造体験をさせてもらいました。 その後、「なんか話の流れで、たたら製鉄の手伝いをすることになった」のだそうです。 大輔さんの父方の祖父が鍛冶屋だったこともあり、職人的なことへのあこがれもあり、もともと手仕事好きなのもありで、製鉄も鍛造も興味深いし楽しい!と感じたそうです。 そんなこんなで「たたら製鉄への関わり」を持つようになりました。 「室蘭は鉄の町だけど、鉄を身近に体感できる体験コンテンツはすごく少ないんです。その点でたたら製鉄と鍛造体験は質の良いコンテンツになる可能性があると思いました。しかしとにかく炭代と人の手がかかるので、ちゃんと体験メニューとして稼げるように仕立てるにはどうすればよいのか目下考え中です。」 最後に さて。 この辺りでそろそろ最後にしたいと思います。 初めに「この人は一体全体何者なんだろう?」という筆者の興味はほぼ満足しました。 …と思わなければいけないくらい、やはり、佐藤大輔氏はヌマすぎました。 この上なく、果てしなく面白すぎました。 なので、どこまでもしつこく追求してしまいそうなのでこの辺りで止めることにしました。 でも、はっきりと分かったことがありました。 こんなこと書いたら「恥ずかしいから止めて〜!」と言われるかもしれません。 でも、きっぱり言います。 直球ストレートではないけれど。 「ゆるっと・しれっと熱く、人間愛・室蘭愛に溢れる方」でした。 仕事の上でも、出会った人との繋がりも、「もったいない」の心を大切にしてきたからこそ多くの依頼があるのだと感じました。 参ったなあ…。 ファンになってしまったじゃないですか。 佐藤大輔氏、すっかり目が離せない存在になってしまいました。 ―佐藤大輔氏情報― Facebook https://www.facebook.com/daiske.sato Instagram https://instagram.com/satodaiske?igshid=MzRlODBiNWFlZA== BROCKEN https://www.brocken.work SUM-i-CA https://www.sum-i-ca.com
Rietty
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06/21(金) 【あの人に会いに】表現を愉しむ [ 村井裕介さん / 洞爺 ]
Love & Peace な好青年。 自然にありのままに、穏やかに。 けれど、どこか静かに自分を内観してる。 陰と陽、内に秘めた熱さ。 【あの人に会いに】vol.3 3人目の今回は、 ROUGH LAUGH Coffee の 村井 裕介 さんです。 一歩ずれていたら、全く違った道を 全く別人のように歩いていたかもしれない、 そんなストーリーを伺いました。 『人生このまま終わるのか?』 裕介さんは登別市出身。高校卒業後は美容師を目指して専門学校に進みます。しかし、なんと1週間で辞めてしまいます。始まりからパンチの効いたストーリーです。 「辞めた理由を色んな人に聞かれるんですけど、わからなくて。まあ明らかに無理だなって。でも1週間なんで、ハサミも持ってないんですけどね !!」 札幌に引っ越して家具も一式揃えたのに、引き返すという思い切りの良さ。 「自分に嘘がつけないっていうのは子供の頃からありました」 専門学校を辞めたあとは登別の実家に戻り、工場で働き始めます。 「働いて、結婚して、車買ってマイホーム建てて……っていうのが”普通”の環境で」 日々淡々と、真面目に働きました。しかし1~2年ほど経った頃、『人生このまま終わるのか?』とふと思うようになります。 「働いていて『これじゃない感』というか……」 転職や、やりたいことを考え始め、ハローワークに通いましたが、そこに興味のある求人はありませんでした。 「仕事も辛くて、行きたくなくなって、鬱みたいな。今みたいに外に出ることも少なくて、ずっとスマホ見て、求人見たりSNS見たり、夜更かしして。テラスハウス(当時大人気だったテレビ番組。夢を追う若者たちのシェアハウス生活を映し出していた。)見て、『俺もやりたいことが見つかれば……』とか思ったり」 夜更かしにスマホで質の悪い睡眠、抜け出せない負のループ。そんな生活を続けていると、身体に不調が現れ始めます。 「めまいが半年くらい続いちゃって。脳外科も行ったけど、何も悪くなかった」 看護師である彼女に、自律神経では?と言われ、心の不調に気付きます。 「その時は”自律神経”という言葉すら知らない。『自律神経 直す』とかググって……夜更かししながら (笑) 」 夜中にスマホが教えてくれた答えは、皮肉にも ”朝日を浴びる”。 「めまいが辛いから、もうやるしかなかった」 『早起き』から流れが変わった 早起きして、朝日を浴びて、深呼吸。 そして朝読書。 朝に心が整う気持ち良さ。 自分を悦ばせられることを体感し、朝型のライフスタイルにシフトしていきました。 「自然のリズムで暮らしたら、普通に自然になるじゃないですか。そしたら働きながらでも良くしていけるなって。早起きして本読んでから仕事に行けば、良い感じなんじゃないって。土日は休みなんだから、お出かけして、楽しく過ごせばいいんじゃんって。本当に普通の、当たり前のことなんですけどね」 転機が訪れたのは23歳のとき。 急遽、沖縄へ移り住むことを決めます。 「彼女から『沖縄に住みたい』と結構本気で伝えられたのがきっかけで。最初はビックリ。でも次の日には、良いかもな……と思うようになって。それで3日後にはもう、会社辞めます、って。沖縄が好きだったし、旅や移住に興味はあったので……」 興味があったとは言っても、北から南への大移動、更に長い間辞められなかった会社の辞職、とても大きな決断です。そうと決めたら早い!専門学校を1週間で辞めたという冒頭の話が思い出されます。 いざ沖縄へという時も、思い切りの良いエピソードが。「飛行機高くない?お金そんなに変わらないなら、車で行っちゃおう!って。日本縦断しました」 今だから見える 地元・西胆振 のポテンシャル 2人は沖縄で1年ほど暮らしたのち、”なんとなく自然と” 北海道に戻って来ました。 裕介さんの現在の主軸は、農業・スノーボード・珈琲の3本。 夏はひたむきに農業に打ち込み、 冬は目一杯スノーボードを愉しみます。 スローライフ、自給自足、自然の近くで暮らすライフスタイルに惹かれていた裕介さん。自然な流れで農に携わるようになりました。 巡り巡って地元に戻って来た裕介さん。今、この地域に可能性を感じていると言います。 「西胆振で生まれ育って、沖縄に住んだり、日本縦断の旅で色々見てきたけど、結局ここに帰って来てる。これはひとつ強みだなと思ってます」 田舎出身者の良くある話、裕介さんも例に漏れず、地元は ”何も無いところ” だと思っていました。しかし一度外に出て戻ってくると、西胆振のポテンシャルが見えるようになりました。 「海も山も、湖も、活火山もあって。ちょっと車を走らせれば世界的なパウダースノーがある。これって凄いこと」 今まで当たり前すぎて気付かなかった豊かさ。大人になり珈琲や農の世界にも出て、新しい繋がりもどんどん広がっていきます。Uターン勢の今後が楽しみです。 珈琲は表現のひとつ 「早起きを始めてからは、全部 ”きっかけ” とか ”理由” とかがなくて、自然な流れでそうなってきた」と語る裕介さんにとって、珈琲も自然と極めていったものの一つ。農に携わる傍ら、イベント等で珈琲を淹れたり、地域のお店に自家焙煎の珈琲豆を卸したりするようになりました。 「珈琲もスノーボードも、”表現”。音楽と同じような感じ。楽しくて歌っちゃうのと同じ」 『ROUGH LAUGH Coffee』は店舗は持たず、不定期でイベントに出店しています。アーティスティックであり、職人気質でもある裕介さんの、”表現”としての一杯を味わいに、ぜひ立ち寄ってみてください。珈琲片手にゆるりと語り合えるような心地の良いイベントが多いので、肩の力を抜いて楽しめるはず。 イベント出店情報は、『ROUGH LAUGH Coffee』インスタグラムをチェック! ______________________ \直近イベント情報/ ●6月21日(金) 「夏至のたそがれ」麻麦カフェ(ルスツ) ● 7月6日(土) ニセコでイベント出店予定 ● 7月12日(金) 麻麦カフェ営業日(ルスツ) [ 月1程度で出店中!] ※ 詳細はインスタグラムにて @roughlaugh_coffee.creation
misaki
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10/21(木) 人生の道を楽しむ。マイワールド全開な癒しカフェ!道楽
南黄金に昨年2020年オープンしたカフェをご紹介します。 国道から山側入り、気仙川の橋を渡って少し進むと、「道楽」と壁に描かれた楽しげなペイントが見えてきます。 こちらがカフェ道楽。 自然に囲まれて佇んでいます。 海も川も山も近くにある国道沿いのエリア。伊達にこういう場所があったのか…と思わせるような、独特の隠れ家的雰囲気があります。 古い住宅をほとんどDIYで改装したという店内は、なんとも独創的! 手作りの温もりと遊び心にあふれるギャラリー風の空間です。 陶芸や手芸など、素朴な風合いのいろいろな作品が飾られていました。店主の鎌田さんと教室仲間の皆さんの作品だそうです。 個性的な陶芸作品の数々。 実物大ワンちゃん。なんと愛らしい! 店主の作業場。 窓の外には庭が広がっています。野鳥がたくさん訪れるそうで、運がよければ窓際の席からバードウォッチングが楽しめます。 夏真っ盛りの緑の庭。秋には紅葉、冬は雪景色と、四季折々の自然が見られます。程よく手の入ったナチュラルな雰囲気がステキ。いました!さっそく野鳥発見。 庭のあちらこちらに、野鳥のためにさりげなく置かれた種。なるべく人工的でなく自然に溶け込むよう工夫して置いているのだそうです。 倒木を利用したナチュラルな餌台。 食事はポークカレーとナポリタンの2品。手作りにこだわって提供しています。有機栽培コーヒーや、日替わりの焼き菓子も人気です。本を読んだり、おしゃべりをしながらのんびりランチやティータイムを楽しんでいく方が多いそうです。 ナポリタンの食欲をそそる香り! お米もこだわり!自家製ポークカレー この日の焼き菓子はガトーショコラ。畑でとれたブラックベリーとミントを添えて! 「人生の道を楽しんで」との願いを込めて「道楽」。 「お客さまに楽しい時間を過ごしていただき、自分も一緒に楽しめたら」と話す鎌田さん夫妻のセンスとアイデアが随所に光っていました。 まさに「マイワールド」全開! かつ、ゆったり過ごせる居心地の良さも大きな魅力です。 自分の手で、オリジナルなものを作ることの素晴らしさ、豊かさを教えていただいた気がしました。私も何か作ってみたい!創作意欲が湧いてきました。 窓辺の特等席で野鳥を眺めながらの一杯。コーヒーのおいしさが染み渡ります。 なんと庭から出てきたという縄文式土器!北黄金貝塚が近いですが関連があるのでしょうか・・・ カフェ道楽 住所 伊達市南黄金町163-10 営業時間 木・金・土10:00~17:00/日曜10:00~16:00 定休日 月曜・火曜・水曜 TEL 080-1879-2009 https://date-insyokuten.jp/archives/1017 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューなどは変わることがあります(取材2021年)
むしゃなび編集部
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08/03(水) 〜栄養と音楽で人生に彩りを〜
『ニュートリション&ミュージックルーム』 主宰 石岡祥子さんプロフィール ピアノ、ウクレレ、チャイルドコーチ 発達凸凹ちゃんレッスン オーソモレキュラー こども分子栄養学アドバイザー 中医学、自然、アロマ、ワイン好き HSS型HSP はじめて石岡祥子さんのプロフィールを拝見した時、正直「??」が飛び交いました。 自然、アロマ、ワイン好き…はともかく、音楽以外のお仕事が頭の中でつながらなかったからです。 この方は一体どんな方なのかしら…? そんな疑問を持ちながらも、顔いっぱいの笑顔にとても魅せられ、Instagramをフォローさせていただき、「いつか取材をさせていただきたい!」とチャンスを狙っていた筆者でした。 ということで、そのチャンス到来! 今回は『ニュートリション&ミュージックルーム』主宰 石岡祥子さんにお話を伺いました。 分子栄養学と音楽の関係のこと そこはグランドピアノが置かれた音楽教室でした。 いしおかミュージックルーム 「音楽業界でのお仕事は26年になります。ヤマハとローランドの講師資格を取得して、自宅教室を主宰しています。今でも室蘭教室はありますが、3年前に伊達市に移住してきたのです。」 早速、疑問を投げかけてみました。 「分子栄養学と音楽教室の関係が見えづらいのですが、具体的にどのような活動をされていらっしゃるのですか?」 すると祥子さんは、まるで音楽が流れるように話してくださいました。 「栄養学を学んだきっかけは、私自身の体調不良でした。不定愁訴もあり、常に体調がすぐれないことが悩みでした。そんな状況から抜け出したくて、7〜8年前から栄養学・漢方・中医学などを学び、食生活の改善や生活習慣の改善に取り組みました。その過程で出会ったのが分子栄養学でした。私自身初めて目にするものでしたが、ある方の講演を拝聴して強く感銘を受けたのです。 その後、トップ講師の方から分子栄養学を学ぶ機会を得て、分子栄養学アドバイザーの資格を取得したのが3年前のことでした。自分自身が分子栄養学に基づいて食生活の改善をした結果、みるみる体調が改善されていくのを実感しました。」 「なるほど…。活動の背景には祥子さんご自身の体験があったわけですね。でも、音楽との関連がいまひとつ見えて来ないのですが…。」 「26年間音楽教室をしていますと、3歳から習いにきてくださったお子様も成人します。とても長い期間のお付き合いになるわけです。ですから、幼児特有のイヤイヤ期やメソメソ期、思春期で不安定な時期なども時を一緒に過ごします。なかには発達がゆっくりめのお子様がいらしたり、とても繊細だったり、悩みを抱えていたり、そのような場面にも遭遇します。中には、それらが要因となって生きづらさを感じてしまうこともあるわけです。かつての私のように…。」 音楽教室といえども、20年以上も同じ時間を過ごされている中で、生徒さんの成長を音楽以外でも見守り、寄り添いながら、人間同士のお付き合いをされているということなのですね。 誰にも人生を謳歌してほしいという願いをこめて 「体だけでなく心の不調も、実は食生活改善によって大きく解消されます。体調がよくなるとパフォーマンスも上がることを知ったのは大きな収穫でした。本来、その人が発揮できるはずの力を支えているのは、毎日の食事と睡眠です。 分子栄養学的アプローチで、生活改善をすると日常のストレスも軽減されるということを、多くの方に知ってほしいと思っています。私がお伝えしていることは、私の心身で実証された実体験がベースです。そこに音楽をプラスすることで、人生をより楽しく謳歌してほしいと願って活動しています。」 「私の中では、音楽も食も人生をより豊かにするものだと思っています。決して音楽と食を融合しようとしているわけではありませんが、どちらも人生には不可欠なものだと思っています。誰でも皆、人生を楽しみたいですよね。ところが、お子様でも大人でも、様々な心身の悩みを抱えていたり、生きづらさを感じていたりする方は多いです。ですので、私は音楽と食の面から、人生を楽しむお手伝いをしたいのです。分子栄養学を学んで実践していただくことで、心身の不調の原因を推測できるようになり、ご自分の身体を整える方法を知ることができます。分子栄養学も音楽も、その方の人生に彩りを加えることができるものと信じています。」 ここまでお話を伺い、ストンと腑に落ちました。 ものすごく納得しました。 祥子さんのお話は、自らのお体で実証済みですし、科学的裏付けもあるのでとても説得力があります。 さまざまな講座を開講☆ どの企画も興味津々! これらは既に終了した企画ですが、次回開催に期待したいです。 ※画像はクリックで拡大表示できます そして・・・ なんと! 8月10日には「なつやすみこども分子栄養クッキング」教室が開催されます! 皆様に人生を楽しく謳歌してほしい! 生徒さん、お一人お一人に寄り添いながら、栄養と音楽の両方からサポートを続けている石岡祥子さんです。 ―『ニュートリション&ミュージックルーム』情報― 住所 伊達市南稀府町 電話 090-9080-5877 ◆「お子さまとママを幸せにする栄養のお話」 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆「からだ」と「こころ」に必要な栄養のお話 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆その他個別相談 1回1時間〜1時間半 3,000円 ホームページ http://ishiokapiano.music.coocan.jp/ LINE公式 lnktr.ee/ShokoIshioka Instagram https://instagram.com/musicroom_is?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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09/27(火) 「手を動かす人たち」へのリスペクト。お酒と木と本の店 BACKWOOD【洞爺湖町】
8月下旬、洞爺湖町入江にお酒と本と木工作品を扱うお店がオープンしました。 「へき地、辺境、奥地」といった意味を持つ「BACKWOOD(バックウッド)」という名前のお店です。 その名の通り、入江地区の奥深く、人家もまばらな場所にひっそりと佇んでいます。 移住者の店主が、古い納屋をリフォームしてつくりあげた、素敵な空間をご紹介します! アパレル業界から田舎暮らしをもとめ洞爺湖町へ 国道から有珠山側に車を走らせること数分。 看板を頼りに細い路地を入っていくと、深い緑の中に三角屋根のお店が現れました。 有珠山の麓のすぐ近く、自然豊かでとても静かなエリアです。 黒いトタンの壁と看板の木材の色あいが緑に溶け込むようにやさしく目に映りました。 中を覗くと個性的な木のクラフトが並んでいます。 壁には本がいっぱい。 大きな冷蔵庫ではカラフルなラベルのビールがずらりと冷えていました。 元の家主が廃材を使い建てた築20年の納屋を改装したという店内。剥き出しの梁や壁はほとんど当時のままだそう。 レトロな雰囲気を残しつつ、今風でもあり。素朴で洒落ていて、どこかホッとするような温もりのある空間です。 店主の菅松 剛士さんは2021年2月に一家で東京から洞爺湖町に移住しました。 「会社勤めは向いていないと思いながらも、楽しく働いていた」という菅松さん。もとはバリバリのビジネスパーソンで、競争の激しいアパレル小売業界にて、ブランドの立ち上げ等に長く携わってこられたそうです。 お子さんの就学を機に、長年思い続けてきた「いつか田舎で暮らしたい」という夢を実現し洞爺湖町へ。 当初はもう少し中心街寄りの場所に住んでいたそうですが、ランニング中に偶然この土地を見つけて購入を決め、昨年末に移り住みました。 この古い納屋を見たときに「ここでお店を始めよう」と閃いたそうです。 菅松さん: もともと「いつか田舎に」というのはずっとあったんです。 20代の頃は沖縄と思っていましたが、年を重ねるにつれて住みたい場所がどんどん変わってきました。 妻の両親の実家が北海道なので、子供が産まれて連れてきた際に、日高のあたりを海沿いにドライブしていたんです。 その時に「うわあ、北海道に住みたい」と思ったのが、移住先に北海道を選ぶきっかけとなりました。 廃材を組み合わせたオーダーメイドの入り口ドア。今では貴重な磨りガラスや「総合案内」の文字が渋い味わいを醸し出しています。 北海道の人は「手を動かす人」 BACKWOODでは「北海道を軸に、クリエイターや素材にこだわったいいもの」をテーマに商品を取り揃えています。 「お店を始めるならまずは酒屋を」と以前から思っていたそうで、ワイン、日本酒など様々な北海道産の酒類の中から、専門店の少ないクラフトビールとスピリッツを扱っています。 クラフトビールは現在、4社をセレクト。おいしいクラフトビールが道内各地にある中で、厳選に厳選を重ねたこだわりのラインナップです。 左から 美深白樺ブルワリー: 日本最北のクラフトビール工場。希少な白樺樹液を副原料として使用。 忽布古丹(ホップコタン): 上富良野の地場産ホップで醸したクラフトビール。 NORTH ISLAND BEER(札幌): 「BEER IS ART」をコンセプトにカナダで修行したブルーマスターが醸造。 41 BEER CRAFT WORKS: 2021年にスタートした余市の醸造所。積丹岳の雪解け水(伏流水)を使用。 地場産ボタニカルの芳醇な味わいが広がる積丹ジン「火の帆(HONOHO)」。東京に住んでいた頃から愛飲していたという店主イチオシの一品です。 菅松さん: コロナの影響で、家の中で過ごす時間が増えましたが、それが意外といいな、ということを再認識した方が多いのではないかと思います。 僕もその一人で、大勢で飲んだり、みんなでわいわい過ごすのも楽しいですけど、一人で静かに過ごしたり、家族でのんびりしたり、気の合う友達と少人数で飲んだり喋ったりするのも、結構素敵な時間じゃないですか。 そういう時間をさらに盛り上げるものとして品揃えの軸を決めています。 例えばクラフトビールは、それほどたくさん飲まなくても、一人でゆっくり味わえば満足しますし、本も一人で楽しめますよね。 そしてそういう部屋に、木の道具や作品があったらさらに楽しい。 お酒と本と木の3つをもって、豊かな時間を過ごすお手伝いができればいいな、というのが発想のもとです。 木工は北海道在住のクリエイターの作品とBACKWOODのオリジナル商品を販売しています。 ARAMAKI(恵庭) 新巻鮭の木箱をリサイクルし制作を行うクリエイターチーム。独特の赤や黒の文字がインパクト大かつ手に取ると軽く、機能性も抜群です。代表の作家さんは優れた技術を持つ宮大工であり、設計が素晴らしいと菅松さん。 https://aramaki.world/ BACKWOODオリジナル商品 オリジナルデザインをプロの職人が制作。ただそこにあるだけで、空間がちょっと素敵になるような存在感ある品々。上画像は「自在STOOL」。椅子にしたり小物を置いたり、単独でもで重ねても使える5枚1組のスツール。 こちらは「FLAT PLATE」。縁なしで真っ平の珍しいデザインです。食材をのせるとすごく映えるそう。 鹿乃舎木工(伊達) まるで生き物のような、有機的で不思議な形のイス。有珠に工房を構え、古木や北海道産の木材を使用して制作するクリエイターの作品です。 https://shikanoya.theshop.jp/ このほか、豊浦の Horsemade Landscape の器類も取り扱っています。山から木を切り出して、馬に引かせて運び出す「馬搬」という昔ながらの技法に取り組み、素材の調達からこだわって制作されています。 https://horsemadelandscape.com/ 菅松さん: 北海道っていいものがたくさんあるし、作っている方もすごい方ばかり。 職業として作る人はもちろん、「こんなの自分で作るの」と思うようなものを暮らしの中で個人レベルで作っている人が沢山いますよね。 そういう方々に出会って、北海道の人は「手を動かす人たち」だなあ、と思います。 例えば近所のおじいちゃんを見ていても、なんでも自分でやるじゃないですか。 それに対して、都会の人ってなんでもやってもらう側で。 北海道には手を動かしている人が大勢いて、素材も食材も、素晴らしいものが豊富にあって、いいものがいっぱい生み出されている。 それを都会をはじめ、全国の方に向けて発信していければいいな、と思っています。 古本は、「飲む」、「食べる」、「自然」などお酒や木工と親和性の高いジャンルの本がカテゴリー別に並んでいます。開店してみたら予想以上に本が好評で「手元に置いておきたい本からなくなっていく」のだとか。 本の交換コーナーもあり。来店した方が持参したいろいろな本が置かれていました。地域の人の本が集まる楽しいコーナーです。 さて、お店の外に出ると、裏にはこんもりと緑が生い茂る庭が広がっていました。 りんごやなしなどさまざまな果樹が生えているそう。元の家主さんが植えたものだそうで、取材時には丸々とキウイが実っていました。 家や納屋を自分で建て、庭や畑も作っていた元家主さんは、まさに菅松さんが移住して出会った「手を動かす人」のおひとりでした。 その方の手から菅松さんの手へと受け継がれて、古い納屋がお店へと生まれ変わりました。 そうして誕生したBACKWOODの店内にいると、 「暮らしの中で手を動かして、生活に必要なものを作ってきた北海道の人々へのリスペクト」 というような、あたたかく真摯な心意気を感じました。 つくることの素晴らしさと、いいものが放つ輝きに満ちた小さなお店。 北海道の良い品を探しに出掛けてみませんか。 商品はWebサイトでも購入できます。 また、ビールは「角打ち(立ち飲み)」OK。お庭を眺めながら飲んだら、おいしいビールが何倍も味わい深く感じられそうですね。 BACKWOOD 店舗情報 住所 北海道虻田郡洞爺湖町入江265-55 営業時間 木曜〜土曜:13時〜18時、日曜:13時〜17時 HP・ショップ https://backwood.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。取扱商品、メニュー等は変更になることがあります。取材2022年
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08/13(火) 【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
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06/28(金) 【あの人に会いに】納得いくまで突き進む [あいなさん / 壮瞥]
『臥薪嘗胆』 ―目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。 「曲がったことが嫌い。 筋を通して生きるって言う事と、 根拠のない自信はどこかにある ってスタイルで生きてきたかも」 【あの人に会いに】vol.4 今回は、『美容室AINA.』こと あいなさんにフィーチャーします。 美容師で、東京のど真ん中へ あいなさんは壮瞥町出身。中学生の頃には既に美容師になることを決めていました。「子どもの頃から髪をアレンジするのが好きでした。美容師になるなら東京!と、もう東京しか見えていなかった」 高校卒業後、東京の美容専門学校に進学。卒業後に短期間メイクの学校に通った後、銀座の美容室に就職します。場所柄、メインとなる業務は夜職のママたちのヘアセット。しかし、あいなさんには目指していたところが別にありました。 「憧れていた有名な美容室が、原宿にありまして……」 何事も中途半端が嫌いで、せっかくやるなら一番いいところまで行きたい、という気持ちが強いあいなさん。東京まで出てきたなら、美容師になったなら、”ここまで行きたい” そう思うところがありました。 「その頃の流行がビビットカラー。髪の毛しましまにしたりとか、オレンジ・金・緑って3~4色いれたり、刈り上げたりとか。そんなデザインが好きだったし、その人たちと働きたいなって」 憧れていたものの、ほとんどが新卒採用のみの業界。しかしある時、その憧れの美容室で中途採用枠が出たのです。 「働いていた銀座のお店の先輩が、『あんたなら受かると思うよ』って背中を押してくれたの」 先輩の一言が支えとなり、採用試験を受けることを決意。面接のたびに毎回ヘアスタイルを変えるなど、努力とアピールを惜しみませんでした。 その結果、たった2名の枠で採用!めでたし……かと思いきや、”中途半端が嫌い”なあいなさん、この狭き門の合格を勝ち取ってもなお上を見ていました。配属が決まった店舗では納得できず、一番の有名店である原宿店で働きたい!と入社直後から直談判します。 「今思えば本当にただ生意気……普通はあり得ない、ダメなんですよ、そんなの。でも、ど~しても、ここでは気が済まない!と猛アピールして。憧れのスタイリストが在籍する原宿店に行きたい!と」 その熱意が伝わり、なんと入社後たった3ヶ月で原宿店へ異動が叶います。一流スタイリストはもちろん、アシスタントですらファッション誌に載る人が沢山いるようなお店です。 「下積みですね、がむしゃらに練習してた。仕事終わってから練習して、練習後にモデルハントして(街中で自分のスタイリング練習のためのモデルを探す)、レッスンノート書いて、デッサンして、って寝る暇なく」 結果として、アシスタントの中でも一握りの人しか就くことができない、トップスタイリストのアシスタントにまで辿り着きます。 「おかげさまで、全部見させてもらいました。ファッション誌の撮影現場とか、早朝から撮影の下準備させてもらったり……」 業界の第一線でアシスタントとしての全てを経験することができました。その後ジュニアスタイリストになり、このまま順調に美容師の道を進むかと思いますが……ここで驚きの方向転換に至ります。 諦めきれず、歌の舞台へ 「歌も諦められなくて」 実は、子どもの頃から歌が大好きだったあいなさん。歌の道を進む事を決意します。 「みんなと歌いに行くと楽しくて、やっぱり歌でステージに立ちたいなって」 ここでも、やるならいいところまで行きたい。歌をやると決めたなら、芸能事務所に入るところを目指します。 とはいえ東京で音楽をやっていたわけではなく、ゼロからのスタートでした。 「はじめは仲間探しから。音楽スタジオに行って掲示板のビラを見て……スマホも無い時代だから!!男性ボーカル希望って書いてあるバンドにまで電話して、まず一回練習入らせてくださいって。そうしたら女性だけど気に入ってくれたんだよね」 音楽の好みや雰囲気が合っていたロックバンドに加入し、そこで長く歌っていくこととなります。 お昼は美容師、夜は夜職の方々のヘアメイクに戻り、そして時折ライブハウスでライブをする生活を送りました。活動を続けるうちに事務所からオーディションの話も来ましたが、バンドに愛着があったあいなさんは、ボーカルのみのオーディションを受けられなかったと言います。「このバンドで音楽をやっていたい」と、活動を続けました。 地元・壮瞥で繋ぐ、ご縁の美容室 精力的に音楽活動を続けていきましたが、ハードな生活に不摂生。とうとう身体を壊してしまい、音楽の道は夢半ばで終わりを迎えます。 療養のため一度北海道に帰るも、再び東京に戻ったあいなさん。そしてご縁があり、30歳のときに出産。転機は子どもが2歳になるとき。シングルマザーとなり、壮瞥町に戻ることを決めました。 「東京に居たいと思っていたけど、ひとりで育てるには厳しくて……選択肢が無かった」 あいなさんのご実家は壮瞥町。祖父の代から商店を営んでいました。もちろん、町での知名度はバッチリです。 「育った環境上知っている人も多いから、肩身狭く感じていたというか……。周りの目があるから、娘としてもママとしても、ちゃんとしなきゃ、みたいな。自由にいられないなと」 窮屈さを感じていたあいなさんが、壮瞥町をまた好きになっていけたのは、人との出会いが大きかったと言います。 「本当に、ママ友と、この美容室のゆみさんとの出逢いだね。この方達がいなければ、壮瞥ではやっていけなかった」 美容室AINAとしてオープンした今の美容室は、元はゆみさんという別の美容師さんが営んでいたお店でした。あいなさんは壮瞥に帰って来てから、ゆみさんの美容室に通っていたそうです。 「ゆみさんは、子ども共々お世話になった人」 大切な人からのバトンを繋ぎ、生まれ故郷の壮瞥町でお店を開くこととなりました。 「洞爺湖が好きで、温泉街でお店を開きたいと思っていて……まさか壮瞥でお店をやるとは思ってもみなかった。でも、ゆみさんへの想いとご縁でここで始めて、本当にたくさんの人からずっと応援してもらっているなって」 お店のオープン時には沢山のお花が届き、多くの人に支えられていることを実感したそうです。お店のインスタグラムには感謝の言葉がずらりと綴られています。 これからは”健康” のことを伝えていきたい 2024年3月に無事にお店をオープンしたばかりですが、今後はどんな展望があるのでしょうか。 「自分自身、身体を壊したことから健康オタクで。東京の時だけでなく、北海道に帰って来てからも身体に出て。骨盤が痛くて眠れなかったりとか。自分の身体の不調は、息子にも悪影響。本当にボロボロで……40歳まで生きられないかも、そしたら息子はどうしようとか、ずっと不安に思っていた」 今のエネルギッシュなあいなさんからはとても想像ができませんが、疲れが取れない、アレルギー、痛みからの不眠、等々……様々な身体の問題に悩んできたそうです。ヨガ、体操、骨盤矯正、とにかく端から端まで色々なものを試し、最終的に辿り着いたのは『栄養学』。独学で勉強、更にオンラインで先生と学んでいるそう。今後はしんどそうな悩める女性を助けていきたいと考えているそうです。 「中途半端が嫌いと言いつつ、方向転換してきているから中途半端になっていたと思うこともあるし……自分に自信が持てなかったときもある。けど、その時その時でがむしゃらにやってきたから、全て無駄にはならずに今に繋がっていると思う」 美容師も、歌の道も、本気で全力で突き進んだからこそ辿り着いた”今”のあいなさん。 悩める女性の皆さんは特に、パワフルなあいなさんにぜひ一度会いに行ってみてください! 美容室は壮瞥町役場 山美湖 の目の前というわかりやすい立地!美容室のご予約は電話とインスタグラムのDMで受け付けています。 美容室AINA 営業時間:月~金 8:30~18:00 / 土 8:30~17:00 定休 :日曜日&第1・3月曜日 電話 :0142-66-2527 場所 :壮瞥町滝之町284 (壮瞥町役場 山美湖の前)
misaki
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11/28(日) ミツバチの声を聴きたい!「anmi」が選んだ道
なんて素敵な笑顔の人なんだろう!! それは、今年の夏、初めて彼女に出会った時の印象でした。 ここまで顔いっぱいに心からの嬉しい!を表現する人はなかなかいないと思いました。 一体この人は何者なんだろう? どんな生き方をしている人なんだろう? 俄然興味が沸いたのを覚えています。 さて、今回のご紹介は豊浦町の地域おこし協力隊で養蜂家の久保亜由美さんです。 亜由美さんは、高校生までを札幌で過ごし、カナダの大学に留学しました。 専攻は開発学とスペイン語のダブルメジャー。 その後、カナダの大学の交換留学でメキシコへ1年、スペイン語の習得のため渡りました。 「サスティナブルデベロップメント」という言葉が今の様に頻繁に使われる前から、それを学び、大学卒業後もそれに携わっていた亜由美さんです。 でもある日、自分の生き方に疑問を持ち始めました。 「サスティナブルな社会を目指し、多様性を真に尊重する社会になるために、私はどう生きればよいのか?」 亜由美さんは、そんな深く困難な壁にぶつかり、自分の道を知るために手当たり次第アルバイトを始めました。 そして、東京の農業ベンチャー企業で働いていた2014年、ついに養蜂と出会います。 その後に働いたのが「銀座みつばち」さんでした。 初めてミツバチという生き物の生態を知り、亜由美さんは大きく心を揺さぶられました。 そして、社会性昆虫と言われるミツバチにのめり込んでいく自分を感じました。 悩み抜いた挙句に亜由美さんが出した答え。 それは。 「多様なものは多様なままの未来である続けるために、私は農業と教育に力を注いでいきたい!」 というものでした。 真面目で正直で信じたらとことん突き進むタイプの亜由美さんは、1年間、埼玉の養蜂家に師事し、さらに知見を深めようと1カ月間、ニュージーランドでのワークアウェイへと旅立ったのでした。 ↑ニュージーランドにて。養蜂の師匠と。 亜由美さんにとって、ミツバチの魅力って何ですか? と質問をしてみました。 「ミツバチは、集団生活をする上でそれぞれにはっきりとした役割を持っているのです。 女王蜂の存在は絶対ではあるのですが、実は集団の統制を執っているのは働きバチです。 何よりも感動したのが、“それぞれのハチたちが個のために生きているのではない”ということでした。種が持続可能であるために、各々の役目を全うしている(このあたりは捉え方が様々だと補足してくれました)。」 筆者は、このお話を伺って大いに腑に落ちました。 ミツバチたちは、まさにサスティナブルな社会を実現している! 亜由美さんは、学生時代から学んできた学問の答えをミツバチ社会に見出していたのでした。 ↑スズメバチが来たぞ! の合図のもと、警備隊がスクラムを組んでいる様子。 ↑なんて美しいハニカム! それぞれの場所が決まっています。 そしてこうも話してくれました。 「ミツバチは私のパートナーです。私の役割は、彼らが棲み良い環境を作り、病害虫から守ることです。棲み良い環境作りのためには、豊富な蜜源も必要ですし、冬の寒さからも守らなければいけません。働いてくれているのはミツバチたちなので、私は私の役割を全うしたいと思うのです。」 ↑亜由美さん手作りの巣箱。 ↑冬はこの洞窟に巣箱を入れてあげます。北海道は越冬が難しいと言われますが、亜由美さんは昨年の冬に試したことで手応えを感じていると言います。 ↑後ろには昆布岳。水色の巣箱は昨年初めて作ったもの。 お話を伺ううちに、筆者には亜由美さんがミツバチに見えてきました ^^; まさにミツバチ社会の一員になろうとしている亜由美さん。 ほんとうに一途です。 ↑夏の洞窟はこんな感じになります。 「私、ミツバチの声を聴きたいんです!!」 なんと!唐突な! 「ミツバチたちが私に何をして欲しいのかが知りたいのです。 ベテラン養蜂家さんの話によると、会話ができる方もいるらしいのです。」 ここまで熱いミツバチ論を聴くと、筆者自身もあながち思い込みでしょ?とは思えなくなりました。 というよりも、亜由美さんならきっとそうなれると思ってしまいます。 いま存在している養蜂家は、約9割が移動養蜂の形をとっています。 亜由美さんのように定地養蜂をされている方はごくわずかです。 「定地で行うには、蜜源確保が重要になります。ですから、里山作りにも取り組み始めました。ハーブ園も作りたいと思っています。 偵察部隊のミツバチが見つけて情報共有された蜜源を自由に採ってきてほしいので、蜜源環境を整えるのは私の役目です。現在、製品として販売している蜂蜜は、季節ごとに蜜源が変わり多種類の密で作られる“百花”なのです。」 ↑自然との共生を共に考えるための様々なワークショップも行ってきました。倒れた白樺の皮を使った作品にもチャレンジしました。 なるほど。 ミツバチのための環境作りとして里山作りにも力を入れているというのは、結果として人間の社会生活にも良い環境を与えていますね。 ミツバチへの関わりからあらゆることが良い方向へ循環していく。 亜由美さんが描く未来に次第に近づいていっているのがわかりました。 ↑こうやっていただいたことがあります。気絶ものの美味しさでした。 ↑初代の友人手作りの遠心分離機。現在、2代目を手配中だそうです。 養蜂家亜由美さんの屋号は ” anmi ” 製品名は “ 888 はちみっつ “ という名前で販売されています。 ↑蜜蝋です。 今後の構想についても伺ってみました。 「蜜蝋を有効活用したいと思っています。ビーラップや蝋燭も作りたいです。現在、ほとんどの養蜂家たちが処分してしまっている蜜蝋を回収したいとも考えています。ミツバチたちは、1gの蜜蝋を作るためにその8~10倍の蜂蜜を使うのです。捨てるなんてもったいないです。ミツバチたちが力一杯働いて作ったものですから、大事にして有効に使わせていただきたいのです。」 亜由美さんの愛溢れるビーワールドに筆者もすっかりはまり込んでしまいました。 ここまで愛されたパートナーのミツバチたちは幸せです。 だからこんなにも “ anmi の888はちみっつ ” は、体にも心にも沁み渡る美味しさなのだ!と納得してしまいました。 ↑商品は豊浦のセブンイレブンさん、しおさい温泉前 たけしま商店さん、洞爺のトイタさんで購入できます。 亜由美さんが選んだミツバチとの道。 そう遠くはない未来に、素敵な笑顔の亜由美さんとミツバチが語る姿が見えた気がしました。 『anmiの888 はちみっつ』 皆様にもぜひ出会ってほしいです。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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11/19(金) 人生は後半戦が面白い。楽輝己書道場・兼子孝子さん
大町ミニギャラリー(伊達市大町3番地7)で11月26日まで楽輝己書(ラッキーおのれしょ)道場の作品展が開催されています。 独特の丸いフォルムが特徴の己書。筆ペンを使って誰でも手軽にできて、「描いて楽しい、見て楽しい、もらって嬉しい」のが魅力です。 会場には笑顔を誘う優しくておおらかで、ユーモラスな作品たちが賑やかに並んでいました。 兼子さんと生徒及び推薦した師範の皆さんの作品 楽輝己書道場の代表・兼子孝子さんは登別在住。「人生は後半戦が面白い。楽しんで輝いて生きましょう!」をモットーに登別、室蘭、伊達、白老、苫小牧、と西胆振中心に、札幌、旭川他、道外でも教室を主催しています。 都道府県ご当地地蔵シリーズ 5年前、知人のFacebookに投稿された己書を見て衝撃的な出会いをしたという兼子さん。それまでは一人で飛行機に乗れなかったそうですが、一念発起して本州に通い師範、さらに上席師範の資格を取得。北海道で己書を広めるため道場を開き、現在は指導者の育成にも力を注いでいます。 今年の作品展は室蘭市民活動センター、旧室蘭駅舎、カフェアンジュリエ登別、のぼりんと続いて大町ギャラリーで年内最後となります。 一番の見どころは壁一面に広がるカラフルな小型のパネル!ひとつひとつに素敵な文字が書かれています。通称「なっとう額」、なんと納豆のフタに土佐和紙を貼った手作りの額縁です。その数なんと544枚! ギャラリーの壁を一眼見てひらめき、お弟子さんたちと力を合わせて展示したそうです。 ほかにも個性的な作品がたくさん! だるまと招き猫シリーズ。かわいい! 「己書は己の書だから他人と比べなくていいんです」と兼子さん。 筆ペンなので二度書き、三度書きOK。筆圧がなくてもかけるので、年齢問わず体が不自由な方や病気の方にも喜ばれるそう。 私も体験させてもらったのですが、一文字一文字、ゆっくり書いていると心が安らぎ、まるでセラピーのような癒しの時間だな、と思いました。 兼子さん「自分の時間が形になって楽しめること。みんなに喜んでもらえることが一番の魅力だと思います。己書に出会ってからご縁がどんどん繋がって活動が広がり今があります。涙が出るほど嬉しいです!」 コロナ禍で生徒さんが教室に来られない状況が続く中、オンラインレッスンを活用して活動の幅を広げ、さらに今年は自宅で己書を楽しんでもらおうと仲間とアマゾンから電子書籍(無料)を出版しました↓↓ 筆ペンで描いた 淳ちゃんとカネちゃんから贈りもの 一期一会を大切に、面白がって新しいことにチャレンジし続ける兼子さん。おおらかな笑顔が己書のお地蔵さんの表情と重なりました。 作品展は2021年11月17日〜26日まで(最終日の展示は13時まで)。 各教室のほか、年賀状講座も募集中です。 手書きでちょっとしたものをサラッとかけるようになり、実用性もかなり高い己書。あなたもはじめてみませんか。 兼子孝子さん 日本己書道場公認 上席師範 楽輝己書道場 代表 090-1388-4716 オンライン幸座も受付中!! Facebook Instagram むしゃなび掲載ページはこちら ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
むしゃなび編集部
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08/31(土) 【あの人に会いに】自分で決めない [ 鈴木 昌樹子 さん / 豊浦 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.8 今回は、豊浦町『Horsemade Landscape』の 鈴木 昌樹子(まきこ) さんです。 ニックネームで通称”たまきさん”と呼ばれているので 以下、 ”たまきさん” と表記させていただきます。 馬の鈴木さん 2021年に豊浦町に移住された鈴木夫妻。Horsemade Landscapeという屋号で、農耕馬と共に農業・林業を営んでいます。 鈴木さんは日本で二番目に多い苗字。この地域も例に漏れず、話の中で ”どの鈴木さん?” となるのはよくある話で、こちらの夫妻は ”馬の鈴木さん” と呼ばれています。犬や猫と違い、馬を飼っているということがとても珍しくなった現代。馬を飼っていると聞くと、ものすごく強い意志とエネルギーの持ち主だろうとイメージしてしまいませんか? たまきさんから出てきた言葉は、そんな私たちの勝手なイメージとは正反対のものでした。 「自分で決めない、ってことかな」 「全部自分で決めてないと思う。馬を飼ったことも、農業していることも」 「やりたくないこと・出来ないことは常にハッキリしていて。そういうのを避けてきたら、ここしかなかったというか」朗らかに笑いながら、これまでを振り返るたまきさん。 デスクワークはできない、環境に悪いことはしたくない……そうやって一つずつ嫌なことを避けてきたゆえの選択だったと言います。いわゆる『消去法』、しかし、実際は前向きで自然な流れだったようです。そんなたまきさんのストーリーを伺いました。 馬との出会いや暮らしについては、ここには収まらず……たまきさんの著書『馬と働く』を是非お読みください。(オンラインショップ、または洞爺湖町の本屋さんBACKWOODで販売中!)私たちが体験し得ない馬との距離感を見せてくれるエピソードの数々、するすると引き込まれてしまうたまきさんの文才を体感してみてください。 実は、東京のミュージシャン夫妻 まずはこちらをご覧ください。 鈴木家がゲストと共に奏でる、『野良と音楽』がとても素敵なのです。 『野良と音楽』 食べ物や道具、エネルギーなどなど、自給できるモノは出来る限り自分達の手で!という事で「娯楽の自給」も田舎暮らしにおける私たちのコンセプト。音楽の大好きな私たちは、農園と森 オシアンクルを訪れてくれた仲間と音楽するのが楽しみです。楽器やバンド経験なんて関係なし!野良仕事の後のビールと音楽は最高です。 今では農家イメージがバッチリついていますが、実は鈴木夫妻はお二人ともプロのミュージシャンです。 大阪生まれ、仙台育ちのたまきさん。子どもの頃からジュニアオーケストラでファゴットを吹き、ファゴット奏者となるために上京。東京で出会った旦那様もプロのパーカッショニストです。 ザ・ミュージシャンな完全に夜型の不摂生、都会の消費生活を送っていたと言います。 「雑誌『天然生活』をずっと憧れで読んでいて。棚に瓶詰の食品が並んでる写真がよくあるでしょ、あれ見て『私も瓶に何か入れたような暮らしをしたい……!』って泣きながら言ってた、って(旦那様に)今でもネタにして笑われてる」 今では『天然生活』をゆうに超えられるほどの瓶が並ぶ、鈴木家の台所。そんな時代があったなんて想像がつきません。 東京生活は派遣の仕事で生活を繋ぎながら、オーケストラの欠員を待つ日々。 「精神的にも経済的にもこれを続けていけないなって思ったときに、じゃあ元々好きだった料理を仕事にしようと思って」 「音楽は聴く人と聴かない人がいるけど、どんな人でもご飯は食べる!」 食の背景を知る Cafe Slowとの出会い 興味のあった日本食料理店で働き始めますが、お父様が癌で倒れてしまい、一時仙台に帰省することに。 「食事療法をしようと癌のことを調べて、そこで食のことに辿り着くんだよね。ある本で目にした、癌は国策病だという一文にショックを受けて。政治的なこととか、例えば自分で選択できない給食のこととか、いろんな因果関係を知って……」。自分たちが口にしてきた食物がどのように食卓まで届いているか、食の背景を知ることとなります。 その後たまきさんは東京に戻りますが、もう普通の食の世界には戻れないと感じ、自然食品店などで仕事を探していました。9.11のアメリカ同時多発テロ事件後の平和祈念イベントがきっかけとなり『Cafe Slow』を知り、そこで働けることになりました。Cafe Slowは、スロー=つながりでエコロジカルな暮らしを提案するオーガニックカフェです。 ~『Cafe Slow』 HPより抜粋~ ひとつのつながりの先には、さらにたくさんのつながりが広がっています。例えば、お米。一杯のお茶碗の向こう側には、それが育まれる田んぼや風土、歴史があり、長年にわたり田んぼを守り継いできた人の想いが込められています。 一方で、ファストフードのように画一的に大量生産される食べ物は、効率と便利さを追求することで成り立っています。今の社会の中では、効率と便利さと、つながりや想い、命を大切にすることはなかなか両立し得ない現状があります。 私たちは、「スロー」という言葉に、「つながりなおし」という想いを込めています。 「Cafe Slowで働き始めて、その世界、出会う人も本当に面白くて。ここから大きく軌道が変わっていった」 エコロジカルやオーガニックに関するイベントも多く、日々大量の情報を全身に浴び、思考や行動が急速に変わっていきました。 「買い物に行けなくなったりね。スーパーに行っても用が無い……くらい何も買えなくなったり(大量生産・大量消費の場で購入したいと思えるものがなくなった)」 地方移住、馬との出会いは偶然に 大きな影響を受けたCafe Slowでしたが、妊娠をきっかけに退職、出産を機に地方移住を考えるようになります。関西各地の移住先を探す旅を経て、行き着いた先は沖縄。さらに高知、そして北海道と移住を重ねました。 「高知は”田んぼ付き”のお家を見つけて、下見もせずに決めたの。毎回、もうここしかない、もう後がない、ってノリで行ってなんとかしようとするから……。そこで展開される学びに自分をどう沿わせていくか、みたいなことをずっとやってる気がする」 ”自分で決めない” 選択の数々、その先はいつも波乱万丈です。 鈴木家の初めての馬との出会いは、沖縄でした。 「1歳だった息子を「みちくさ牧場」という馬がメインの牧場のフリースクールに預けていて。そこが初めての”馬と一緒にいるっていいね”、という体験だった」 この体験から、”馬と暮らしたいな”、”馬がいたら機械を使わずに田んぼを耕せるな”、と考えるように。高知県四万十市に住んでいた頃、養老牧場で一頭の馬と出会います。 「オーナーから、この馬はまだ余生ではなくて、老人ホームにいるべき馬じゃないから、ぜひ連れて帰ってほしいと言われて」。その馬こそ、今も鈴木家と共に働き暮らす農耕馬、”花雪” でした。花雪の出生は、青森の天然記念物とされる尻屋崎の”寒立馬”。寒気と粗食に耐え、持久力に富む農用馬として重用されていた馬です。 そうして2017年の冬、鈴木家に馬がやって来ました。 「夜中にふと『もう戻れない』と不安になるときもあった」とたまきさんは言います。大きな動物と暮らすということは、大きな責任を背負うことになります。 しかし、現在ではさらに1頭増え、2頭の馬と共に暮らしているたまきさん。では、馬を飼って一番楽しかったことはなんでしょうか? 「子どもが馬に乗って走っているのを見る時!」 ”農家が一番幸せな職業”を目指して 全部自分で決めていなかったたまきさんですが、ひとつ、向かうところだけは決めていました。それは、『農家が一番幸せな職業になっている状態』。今もまだ道の途中だと言います。 高知県四万十市で9年暮らした後、北海道は豊浦町に移住を決めた鈴木家。現在は、『農園と森 オシアンクル』で、”Horsemade Landscape" :馬と協働して、命が循環する美しい風景をつくっています。 ”オシアンクル”は小説『静かな大地』(池澤夏樹著)に登場するアイヌの青年の名前です。この土地を、”所有している資源”ではなく、人として扱おうと名付けました。自然環境への負荷の少ない、持続可能な技術である馬耕や馬搬を用いることで、オシアンクルは傷つくことなく、のびのびと成長しています。 「何ここ~?!みたいな、びっくりするような農園をつくりたい。この土地に潜在しているポテンシャルをすべて活かせるような、全部の命が喜べるような農園」。田園の風景とのびのび暮らす動物たちは、既にその一角を担っています。 お知らせ①:”通りすがらない”直売所スタート! そんな平和な風景が見られる『オシアンクル』にて、7月から『farm stand』をスタートさせました。野菜の無人直売所です。 「農家は野菜を作るだけでは生きていけない。売れるように綺麗な写真を撮り、パッケージを考え、包装し……本当はその時間とエネルギーを畑、土に費やしたい。farm stand は、その”省力化”の試み。畑からとったままの状態で置いてあって、みんなが買いにきてくれる形。その省力化の分、オンラインとは値段が違います」 「高知に『良心市』というのがあって。置いてある野菜をとって、空き缶に決められた金額を入れていくという、良心で成り立つ場所」 そんな、とても無防備で爽やかな仕組みになぞらえて始まったfarm stand。基本的に無人販売なので、お気軽にお立ち寄りください。(社交的でフレンドリーな動物たちが店番しているかもしれません) ご用の際は畑やお家にお声がけくださいとのこと。葉付きの人参が欲しいとなれば畑からひいて来てくれる、本物の”ファームtoテーブル”がここにあります。 ”通りかからない、わざわざ行く直売” 、ぜひ足を運んでみてください。 現代人に足りていないものを感じられるかもしれません。 お知らせ②:新ビールの発売と記念イベント! ======================================== \新商品 馬耕米クラフトビール第二弾が登場/ 洞爺湖町の、酒と本と木のお店『BACKWOOD』と 『Horsemade Landscape』のコラボレーションによる オリジナルビールの第二弾、 【Japanese Pepper Lager】が9月から発売予定! 農家による、農家の為の、農家の季節と共に生まれたビール。第二段はピリッと山椒香るビール、ぜひお試しください! ======================================== \クラフトビール第二弾発売記念イベント/ 『畑のサモサとビールの会』 9/15(日)14:00~ | 参加費 2,500円 (Japanese pepper lager, ランチ、食後のお茶付き) 畑のでビールを飲みながらサモサを作って食べるイベント!新じゃがマチルダ、かぼちゃとドライマルベリーの2種のサモサ!畑のアウトドアキッチンで、乾杯しましょう! 【ご予約はインスタグラムDMにて↓】 ======================================== Horsemade Landscape 【農園と森 オシアンクル】 馬耕、馬搬。風景を作る人と馬の仕事 ▶ online shop 森のプライベートキャンプサイト、 本、馬耕で育てた米・野菜の販売など。
misaki
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10/15(金) アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
旧市街地のレトロな街並みで知られる室蘭駅周辺で、アートとまち歩きを楽しむイベントが10月9日から始まりました。 ムロランアートプロジェクト(MAP)。 室蘭の歴史的建造物が期間限定のアートギャラリーに大変身!10月31日まで土日限定で観覧できます。 初日の10月9日(土)に遊びに行ってきました。 まずは本部のある旧室蘭駅舎へ。公式パンフレットが配布されています。 この黄色いパンフレットがまち歩き「MAP」として、道案内をしてくれます。 さっそくまち歩きスタート! 旧室蘭駅舎には室蘭出身のアーティスト・中村岳さんのインスタレーションが展示されています。 初日のこの日、公開製作が行われていました。完成まであと少しというところの製作風景です。 明治45年に建造された旧駅舎の構内に、巨大な立体作品が次第に姿を現してきました。 鮮やかな赤茶色が室蘭の工場風景や鉄を彷彿とさせます。ドームのような不思議な形。設計図はなく、インスピレーションで形を作っていくのだそうです。 国内各地で活躍する中村さんですが、出身地の室蘭では今回が初の本格的な製作・展示となります。完成したインスタレーション、ぜひ生でご覧になってみてください。 続いて、千穐萬歳堂(せんしゅうばんぜいどう)へ。 大正14年に建てられた歴史ある倉庫です。入り口から佇まいというか、存在感に圧倒されました。こういう建物が保存されていることもすごいことだなあ、と思います。 中は改修され、ギャラリーとなっています。 1階は室蘭工業大学山田研究室のプロジェクト、2階は川上りえさんの造形作品が展示されています。木骨石造ということで、石の壁と木の骨組みが独特の雰囲気を醸し出していました。建物とアートのコラボレーション!美術館での展示とは全く違う味わいがありますね。 坂をのぼって次の会場へ。 景色を眺めながら気持ちよいまち歩き!会場間が遠すぎず近すぎず、程よい距離でコースが組まれており、お子さんから高齢の方まで、歩きやすいのがポイントです。 旧丸越山口紙店。こちらも大正時代の建造物です。レンガの壁からロマンの香りが漂ってくるよう!ゆっくり眺められるのは徒歩ならではですね。 古い調度品に溶け込むようにして、岩崎麗奈さんの写真作品が展示されていました。作品と建物、どちらも見応えがあります。普段は入ることができない建物だけに内部を見られる貴重な機会でもあります。 途中にカフェや飲食店が多くあるので、ランチやお茶を楽しむのもおすすめです。昔ながらの甘味処として親しまれる「すずや」に立ち寄りました。若者からマダムまで、幅広い年齢層の女性客が甘いものを楽しんでいました。 MAPにもおすすめリストが載っています。 室蘭プリンスホテルでは、10月8日〜10日の3日間限定でMAP連動企画として「中央町懐古展」が開催されました。来場者はホテルのクラシックな雰囲気の中、昔の写真や映像を楽しんできました。 さて、最後は中央町たのしま横丁(大辻医院跡地)へ。 初日のこの日、オープニングイベントとして大黒淳一さんによる音楽ワークショップが開催されました。街の音を録音して、音楽をつくる一日限りのスペシャル企画。地域の子ども達で賑わっていました。 音楽作りの様子。公式Facebookをご覧ください↓↓ ムロランアートプロジェクトは「室蘭の未来地図をつくる」をコンセプトに3カ年開催を予定しています。 プロジェクト代表の荒井純一さんは 「繁華街だった室蘭駅周辺をコンパクトに歩けるルートを制作しました。室蘭は普段気づかないポテンシャルがたくさんある街だと思います。アートや街歩きを通してそれを発見してもらえたらと思います。」 と話していました。 建物、まち歩き、アートと、いろんな切り口からいろんな楽しみ方ができるところが面白いな、と思いました。古い建物と現代アートがお互いに美しさを引き立てあって、新しい街の魅力が生まれ出てくるような、そんなワクワクする気持ちになりました。 芸術の秋、ご家族やお友達と出かけてみませんか。 各会場では入り口で消毒、検温、記名を行い、感染対策に配慮されています。 Muroran Art Project2021 2021年10月9日〜10月31日 土日のみ開催 12:00〜18:00 入場無料 ※MAPは旧室蘭駅舎で配布されるほか、公式HP(https://muroranart.wixsite.com/website)からダウンロードできます。 主 催 / Muroran Art Project 協 力 / 大町商店会、室蘭工業大学山田研究室、蘭歴建見会 後 援 / 室蘭市、室蘭商工会議所、室蘭観光協会、北海道新聞室蘭支社室蘭民報社、FMびゅー 助 成 /北海道開発協会助成事業 会 場・展示アーティスト :旧室蘭駅舎(MAP本部)中村 岳 | 千穐萬歳堂(海岸町3-2-6) 川上りえ 室蘭工業大学 山田研究室 |旧丸越山口紙店(海岸町2-5-8) 岩崎 麗奈 | 中央町たのしま横丁(中央町1-2-7):大黒 淳一 (10.9日のみ) 詳細・最新情報はこちらからどうぞ ムロランアートプロジェクト muroranart.wixsite.com/website Facebook
むしゃなび編集部
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11/18(木) 雑貨屋intime time的生き方「そこに “大好き!” はあるかい?」
伊達市周辺ではきっと知らない方はいない位の有名雑貨店ですが、あえて取材に訪れました。 人口34000人程度の小さな町で、これだけの規模で、この量の商品を扱い、16年間続けてこられる秘密を知りたい。 そんな想いから訪ねたのでした。 ↑玄関扉の前には可愛いビー玉が埋め込まれています。 お話を伺ったのは、紋別市ご出身でオーナーの鹿野内浩子さん。 実は浩子さんとは今はなきオホーツクサイクリングを通じた、20年以上前からの知り合いでした。 その時の浩子さんは沿道での応援担当。 休憩地点に先回りしては仲間をサポートしてくださっていました。 そして、サイクリングで214kmを走っていたのは旦那様と当時小学生だった息子さんでした。 一家揃って頑張り屋さんの温かいご家族だった印象があります。 当時、ユニクロ室蘭店で補正担当スタッフだった浩子さんが一念発起し、16年前に始めたのが「intime time アンティムティム」でした。 ↑細かいところまで行き届いています。灯りの色も優しい。 浩子さんは竹を割った様な性格の方。 真っ直ぐ。 正直。 その代名詞の様な方です。 そして。 「究極な我儘」だとご本人は高らかに笑います。 嫌なものは嫌。 好きなものは好き。 中途半端は大嫌い。 やると決めたら徹底的にやる!! 絶対に力は抜かない!! 好きなことへの情熱なら誰にも負ける気がしない!! どちらかというと筆者もそのタイプですが、ここまでの気迫はなく… ^^; もう素敵すぎて本当に脱帽でした。 ↑残り少ないですが、クリスマスカラーの用品も☆ プレゼント好適品もたくさん揃います。 でもだからこそずっと人気店でいられる。 16年間その座を守ってこられた秘密は、浩子さんの底抜けの明るさと、開けっぴろげさと、負けるもんか!な ”ど根性” と、絶対的なプロ意識なのだとわかりました。 そしてもう一つわかったこと。 ご家族の協力でした。 一緒にサイクリングで走っていた頃から、旦那様がとても優しい理解のある方だとは気づいていましたが、常に浩子さんの背中を押し、支えていてくれたからこそというお話も伺いました。 本当に素敵なご家族。 きっとそんなご家族との関係があったからこそ、お店にいらしたお客様を大きく優しく楽しく包み込む空間にしているのでしょうね。 お店の商品選びについてお尋ねしました。 「商品は全てカタログで選びます。でも写真と簡単な説明しか書かれていません。それだけの情報で私が “ これ大好き!! “と思ったものだけを仕入れますが、入荷したら必ず全て使ったり試食したりします。そこでイメージと違ったものは絶対に店には置きません。お客様にご質問をいただいたらきちんとお答えできる自信があるものだけを陳列します。時折、営業の方に売れ筋や流行り物を勧められますが、私、それには乗らないタチなんです(笑)」 ここでも、浩子さんのハッキリとした性格が現れました。 何事も「それが大好きかどうか?」が浩子さんのベースになっているのです。 だから、お話をしていて本当に気持ちが良い☆ 次に「intime time アンティムティム」のお名前の由来を伺ってみました。 「同じ言葉を繰り返す名前にしたかったのです。 また、intime(アンティム) とはフランス語で “ 親しむ ”という意味です。そこでtimeをもう一つつけてアンティムティムとしました。この名前には、ここで雑貨を親しむ時間(time)を持っていただきたい♡ という想いが込められています。」 なるほど〜! とっても素敵な由来があったのですね。 ↑これ、筆者的にツボでした♡ そして次にコンセプトをお尋ねすると〜。 「ワクワク気分が盛り上がる雑貨店」です! 即答でした。 納得〜! まさに浩子さん込みのintime timeそのものです♡ とってもカラフルな店内なのに煩さを微塵も感じさせない。 浩子さんのセンスの良さに、本当にワクワクが止まらなくなります。 伊達市竹原町にある雑貨店 intime timeさん。 キッパリと書きます。 最大の魅力はまちがいなくオーナー鹿野内浩子さんです☆ まずは雑貨を。 そして浩子さんとの会話を楽しみにぜひ訪れてくださいね。 ―intime time(アンティムティム)情報― 〒052-0011 北海道伊達市竹原町77-35 電話 080-5595-2828 Open 水曜日〜日曜日 10:00~19:00 Close 月曜日・火曜日 Blog http://blog.livedoor.jp/intime_time/ (商品情報満載) ※記事の情報は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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06/19(月) チャンスは逃さない! 進化しつづける人 〜『グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨のお店 ま〜の』代表 沖本洋子さん
今回はもしかしたら知らない方はいないくらいの有名人。 『ま〜の』代表 沖本洋子さんにお話を伺いました。 まずは『ま〜の』の歴史から …とその前に、『ま〜の』の由来から〜 ま〜の はイタリア語・スペイン語で「指」という意味。 そこから解釈して、「指先からひろがる世界のイメージ」で名付けました。 なんと、弟さんが洋子さんへのプレゼントとして、プロの方にお願いして誕生したお名前でした。 〜2009年12月創業時 “いつきても誰がきても楽しめる街の小さな雑貨屋“『ま〜の』〜 2009年12月創業時は雑貨屋さんでした。 雑貨は今も少し取り扱いされていますが、当時は受託販売も行っていました。 ですので、今よりずっと商品が多い店を切り盛りされていたのです。 とっても賑やかな店内。 多くの作家さんの作品を受託販売されていました。 店内をキラキラに飾るサンキャッチャーは洋子さんご自身の作品です。 こちらのサンキャッチャーのほか、ご自身も各種アクセサリーなどを制作する作家『ゆりりん』として活動され、近隣の各種イベントなどにも出没するタフぶりを発揮されていました。 『ゆりりん』作品の制作時間も確保しながら店舗の切り盛り。 そして二人の子育て。 その忙しさといったら、側で見ていても目を見張るほどでした。 常にアンテナがフル受信状態の『ゆりりん』さんは、誰よりも早くスイーツデコに取り組んでいました。 筆者が出会ったのはちょうどその頃のこと。 この人、夜も寝ていないのではないだろうか?と良く心配をしていました。 洋子さんの、あのパワフルさの原動力の全ては、どうやらお子様たちにあったようです。 どんなに忙しくても、親ってそういう姿を我が子に見せたいのですよね。 わかる。 わかる…。 筆者も遠い目…。 そして洋子さんには「必ず到達する!」と、確信に満ちた将来への展望がありました。 それは。 最も得意分野の『食』をテーマにした店にしたい! ということ。 どれだけ得意種目があるのだろう!!?と驚きますが、実はママになる前は調理師として活躍されていたのでした。 「本当は初めから『食』に取り組みたいという気持ちがありました。でも子育ても手を抜かずにしたかったので、スタート時はこのスタイルを選んだのです。」 そう話す洋子さんでしたが、スタート時のスタイルでも十分大変だったことは容易に想像できます。 「私、とことんやりたがり屋なんです 笑」 はい。 確かにそのとおりです!! 「とにかくなんでも手づくりは大好きです。子どもの頃からビーズやフェルト手芸は良くしていました。大人になって調理師として働いていた店で今のベースとなるような勉強をさせていただきました。そこは無添加の食材を使い、全て手作りで提供するレストランでした。また一方で、拘った本物の食材を使ったお菓子作りを8年間習っていました。また、室蘭の雑貨屋で5年間働いていました。思えば、子どもの頃からの『手づくり好き』がどんどん形を変えていき、今の形へのベースを作っているように感じます。」 〜2018年4月 “グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨のお店 『ま〜の』”〜 店舗のスタイルを一新しました。 それが今の形態、グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨の店へのリニューアルです。 そしてここにも物語が隠れていました。 「2016年、突如、いままで見たことないような水泡状の湿疹が腕に現れました。皮膚科に通い、薬を処方されましたが原因も分からず…。子育ても続いていたので、自分でなんとか治さないと!と、ファスティングも試してみました。同時に原因を突き止めようと、めちゃくちゃ調べました。『とことんやる』はこんな時も発揮しますから笑 その途中で、これだ!と行き着いたのがグルテンアレルギーという症状でした。さっそく小麦を抜く生活を始めてみました。すると、みるみる効果が現れ始めたんです。あんなに悩まされた症状がなんと3週間で治ってしまいました。 思えば当時、趣味でパン作りブームが起きていた頃でした。だから小麦断ちにはとても苦労しました。小麦が入っているものは調味料から全て台所から排除しました。でも当時この辺りにはそういう食品は売っていませんでしたので探すのにも時間がかかりました。」 原因を自分で突き止め、その原因を排除することで体内環境を変え、体質改善してしまう。 ここには短大の時に取得した栄養士としての化学的知見が生きていたのでしょう。 こうしてグルテンアレルギーを克服した洋子さん。 「きっと同じ症状で苦しんでいる人は多いはず。グルテンアレルギーのお客様が安心して楽しめる。アレルギーではないけれど、ここのお菓子は安心て食べられるし美味しい。そんなふうに思ってもらえるような店を作りたいと思いましたし、いよいよ『食をテーマにした店』にリニューアルする時だ!と思いました。」 そう思った時がチャンス。 チャンスは逃さない洋子さんです。 ちょうどお子様たちも手を離れ。 自分の体でもすでに治験済み ^^; 雑貨も思い切り減らし、受託販売もやめました。 「コンタミネーションで、材料にも拘りました。製品はもちろん小麦粉を使わず、全て米粉を使っています。また、砂糖はきび糖、乳・卵・ナッツ不使用製品もあります。ありがたいことに、今では道内各地、遠方からも買いに来てくださる方もいらっしゃいます。『自分の子どもに食べさせたいもの』、でも『あれだめこれだめ』と言ったり、極端に偏ったりすると長続きしないことも、グルテンアレルギーを持つ栄養士・調理師の立場からも提案したいです。近隣の方から遠方の方まで、訪れてくださるお客様のおかげで求められている実感を得て、今年秋頃を目標にネット販売も始めることにしました。」 品数も多いです。 やはり常に前進! 実体験がものがたり、専門家としてのスキルもあるので説得力あります。 さすが、とことんやる派☆ こうして『ま〜の』さんは創業14年目にして “グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨のお店 『ま〜の』” としてリニューアルされました。 さて、これで満足しないのが洋子さん。 「実はね、これもやろうと思うんです^^」 嬉しそうに見せてくれたそれは、いかにも洋子さんらしいものでした。 「でもね。これはまだ書かないでね。」 どうやらしばらくは趣味として大事に育てたい様です。 ずっと走り続けてきた洋子さん。 子育ても一段落し、ようやくご自分の時間が持てるようになったということでしょうか。 とことんやりたがり屋の洋子さんが、その趣味をどこまで持っていくのか、こっそり注目したいと思います。 ―ま〜の情報― 室蘭市中島町 電話:0143-50-6433 Instagram
Rietty
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07/08(土) ♡心と体で楽しむ健康なハーブを提供したい♡ 〜店舗リニューアルからの新たなチャレンジ 高橋敬子さんの想い
今回は洞爺湖町、洞爺湖へ向かう坂の途中にある香る丘「ハーバルランチ」代表の高橋敬子さんを訪ねました。 この敬子さんの笑顔と、この広げた腕が、まさに「ハーバルランチ」の温かさを象徴しているように感じます。 2000年噴火後の洞爺湖を盛り上げたい! ハーバルランチは2007年創業、毎年6月〜10月の営業です。 「小樽の春香から2002年に移住してきました。もともと春香でホースランチを営んでいた夫の手伝いをしていたんです。2000年に有珠山の噴火があり、テレビで復興に取り組む観光事業者さんたちの姿を見ました。噴火後2年経っても、観光客が2割しか戻ってきていないという現実を知った時、「私たちも復興に関わりたい!」「噴火後の洞爺湖を盛り上げたい!」と思いました。とくに、洞爺湖のこの素晴らしい景色の中で、自然を生かした遊び・体験の拠点を作りたいと考えました。」 けれども待っていた現実は厳しかったと言います。 当時は「体験」メニューの走り的存在でした。 まだまだハーブの認知度が低かったこと、当時の拠点がモンゴルのゲルだったこと、何よりも余所者だったこと、などからかなり怪しまれたそうです。 それこそ。 「あの変なテントみたいな家で一体何しているんだろう?」「ハーブって何?」「草でお金を取るの?」「蒸留って何?」 そんな悲しくなるような声がちらほらと聞こえても、なんとか地域に溶け込もうと頑張ってきたそう。 認知度が低いからこそ敷居は低くしたい。 そう考えていた敬子さん。 「難しく考えなくても良いように、とにかく間口を広くして気軽に直ぐに楽しめるコンテンツを作りました。」 敬子さんとハーブとの出会い ところで、少しお話を戻して〜。 敬子さんとハーブとの出会いのお話をさせてくださいね。 ・ 洞爺湖の景観にマッチすることは何か。 ・ 自然を生かしたプログラムは何か。 ・ お客様が楽しく癒されて健康に貢献できることは何か。 そんなことを考えていた時、たまたま近所の会社でアロマとばったり出会いました。 ピンと来た敬子さんは、ハーブ園を作ることを思い立ちました。 そして、直ぐにそこでハーブやアロマのことを学ぶことになり、ハーブコーディネーターやアロマテラピー検定1級の資格も取得されました。 この場所を選んだことも、もしかしたら洞爺湖が敬子さんを導いたのかもしれません。 「実は私、思いついたら行動までが早いんです笑 畑には、化学肥料や農薬は使わず、夫が経営するホースランチのお馬さんたちの堆肥を漉き込みました。この辺りは元々火山灰土壌なのですが、そこに質の良い馬堆肥を入れたことでハーブにはとても良い土になったようです。目指しているのは循環型の農です。ただちょっと困るのは、お馬さんの糞に残っていた牧草の種が発芽して生えてきてしまうことです。農薬を使っていないので、せっせと手で摘み取ります。 頑張ったご褒美で、ハーブ好きなお客様から『ここのハーブは味も香りも良いね!』とおっしゃっていただけるので嬉しくて。そうそう!そういえば!畑を作り始めたばかりの初期の頃、ようやく畑に苗を植えたところで、なんと修学旅行の予約が入ってしまったんです。『え!?どうしよう‥』と思ったのですが、『はい!』と受けてしまいました笑」 生育が間に合わないというのに受けてしまった敬子さん。 ここでも行動の早さというか、腹の括りの早さが見えます。 もちろん、ハーブをやりくりしながら見事やってのけました。 「その後だんだん道外での認知度が上がり、メディアへの露出も増えました。それでも地元の認知度は依然として低いまま。これではいけないと、地域のイベントにどんどん出展するようにしました。」 その努力の甲斐あってか、ようやく地元での市民権を得たハーバルランチでした。 今では道外・道内・地元からもリピーターさんが多くなったそう。 この日、実は取材と並行してヴィーガンのお菓子を習っていた敬子さん。 出張レッスンにいらしていた先生のもと、マフィン・スコーン・クッキーを試作中でした。 そして一緒にいただいたハーブティーは、題して「敬子ブレンド=リラックスブレンド」。 フレッシュなラベンダー+シソ+ペパーミントのお茶でした。 実はラベンダーの香りがする食べ物や飲み物は苦手な筆者ですが、こちらは衝撃的な香りと味でした! 嫌どころかお代わりしたいくらい美味しい!! 敬子さん、魔法かけた?? いえいえ。 やはり、良い土を作り、ハーブの特長と特徴を良くご存知だからこそのブレンドなのですね。 だって、どれをとっても癖のある強い香りのものばかりなのに、この素敵な味と香り! 「ハーブたちが良いお仕事をしてくれるんです。働き者のハーブがお客様に寄り添えるように、私はそのお手伝いをするだけです。」 ところで、マロウの後ろにある建物をご覧ください。 いつの間にかゲルからすり替わっていますね…。 拠点をゲルから手作り小屋へ 15年間苦楽をともにしたゲルでしたが、老朽化によりついにお別れをすることになりました。 「この形がもうなくなってしまう寂しさもありましたが、この形があったから、たくさんの人に喜んでもらえたと、ゲルには感謝の気持ちでいっぱいになりました。」 そこで今年の5月にリニューアルされた拠点がこちらの建物。 なんと旦那様の手作りです! 仲間の協力も得てついに完成しました☆ どうぞ画像をご覧ください〜。 南保子さんに、家庭でもできる簡単なハーブの使い方をお聞きしました。 「ミント・セージ・バジルなどはハンバーグや餃子に混ぜ込むと美味しいわよ♪増えすぎて困るアップルミントは出汁袋へ入れてお風呂へどうぞ〜♪」 なるほど! それなら筆者にもできる! アップルミントの侵略に困っていたんです ^^; 再び敬子さんにお尋ねしました。 「建物のリニューアルをされて、新しく加わったメニューを教えていただけますか?」 「ゲルからこの建物になったことで厨房も出来、長年の想い『食の提供』ができるようになりました。ハーブを心と体から楽しんでいただけるようになったのは大きなリニューアルです。ご提供するお料理やお菓子には、目の前の畑で元気に育ったハーブをふんだんに使っています。『ハーバルランチに行ったら元気になってリフレッシュできた!』そう思っていただけたら幸せです。」 まるで洞爺湖を独り占めしているかのようなこの景観だけでも贅沢な気分になるというのに、たくさんのハーブに囲まれて、おしゃれなランチやハーブティーをいただけたら、敬子さんの想いが伝わらないはずがありません。 はい! ここからはバトンを「LUX TOYA」に渡しましょうか☆ 今回は少し趣向を変えます。 「LUX TOYA」の謎は次回にします♪ どうぞお楽しみに〜!! 「私にとって、ラヴィンもハーブも大切な家族です。いつも側にいてくれてとても安心。いつでも寄り添ってくれる大切な大切な存在なんです。」 ―ハーバルランチと高橋敬子さん情報― ハーバルランチ http://www.jphorseriding.com/herbal/ ハーバルランチInstagram https://instagram.com/herbalranch?igshid=Y2IzZGU1MTFhOQ== 敬子さんFB https://www.facebook.com/keiko.takahashi.902
Rietty
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11/22(月) 木地師+α な多才人「工房夕花野」主宰 “ 石垣 拓也 “という人間に出会った。
大滝 三階滝近く、前夜雪が降り気温2度の寒い日。 広い建物にはストーブもなく、ほぼ我慢比べ状態の中取材をさせていただきました ^^; しかも2時間半。 今までの最長時間でした。 なぜならば、今回お会いした石垣拓也さんのお話がめちゃくちゃ面白い! それはもちろんお笑い的とかではなく、共感できるワクワク話が多かったのです。 もう、何をしに行ったのか忘れそうになるほどでした。 それはつまりはこんなお話し〜〜。 石垣さんは、今年の8月に置戸町から伊達市大滝区へ移住して来られた地域おこし協力隊員さんです。 そして、実は木地師でもあります。 そう、何を隠そうあの40年ほどの歴史がある「オケクラフト」の元職人さんでした。 しかも奥様も(奥様のお話はまた日を改めて。一緒に書いてしまうのは勿体ない程貴重な方なので〜)。 ここで少し「オケクラフト」についてご説明しますね。 https://okecraft.or.jp/about/ より引用 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 『オケクラフトは、置戸町の「オケ」、昔から地域産業として生産されていた曲げ桶の「オケ」と、「クラフト」を合わせた地域クラフトブランドです。 1983年(昭和58年)に置戸町と著名な工業デザイナーであった秋岡芳夫さんとの出会いから始まりました。誕生以来、置戸町では町を挙げた活動として、作り手養成のための研修制度、オケクラフトの販売、作り手への材料提供などをおこない、オケクラフトの生産、普及に努めてきました。』 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 地域を挙げてブランド作りに取り組み、成功した「オケクラフト」。 その影には元「Uni (鉛筆)」のデザイナーだった秋岡氏の存在がありました。 大量生産に疑問を持ち始めた秋岡氏が目指したのは、地域の木を使い、一つ一つ丁寧に作るクラフト職人を育てることでした。 その秋岡氏のマインドに共感し、師事されていたお一人が石垣さんだったのです。 でもちょっと疑問が…。 それは、何故、材料入手も販路も安定していた「オケクラフト」を卒業し大滝に来られたのか? 「たしかにオケクラフトを出るリスクはありました。オケクラフトにいれば販路は安定しています。 工芸家一本で食べていくのはとても難しいですから生活するには安心です。でも卒業しました。正直、職人として独立してもそれ一本では食べていけません。手作りなので数は作れませんから、収入は限られてくるのです。特にこの二年のコロナ禍では、それまで開催していた大手デパートでの展示会へもお客様が集まらなくなりましたし、中止になったものもありました。つまりコロナ禍での工芸品は、贅沢品で別に無くても困らない二の次の物になってしまったのです。」 ↑コロナ前までは札幌三越・さっぽろ東急百貨店などで展示販売をされていました。 このお話しは、観光に関わる仕事をしている筆者にも痛いほどに分かり共感しました。 でも、石垣さんは安定を捨てました。 「納品先(オケクラフトの場合は町)が安定しているということは、同じものを大量に作らなければいけなくなります。ここまで育てていただいたことにはとても感謝をしています。でも、もっとチャレンジがしたかった。たとえ時間が掛かったとしても、たとえ少ししか作れなかったとしても自由な発想で手間暇惜しまず物づくりがしたかった。大量生産から少量生産に切り替えたかった。つまり、作る量を半分に減らせば質は上がる!という結論を出したのです。でも、収入は確実に減る。…ということは、他に収入が無ければ食べていけません。」 なるほど。 とても納得します。 さらに石垣さんのお話しは続きました。 「他の収入を考えた時、広い工房を持って “ ワークショップ ” や ” 体験学習 ”を行って収入源にしようと考えました。対象は子供と親子。作品の材料となる木が生える森へ出かけていき、森、そして木に親しんでほしい。作品の背景となる木についても知ってほしかったので、近代化された都市部に行くつもりはありませんでした。自然豊富な環境に恵まれた地域で、そこに住む方たちと連携しながら、みんなで自分たちの住む地域を盛り上げていける所を探していて辿り着いたのが大滝でした。というか、ここしかない!と思いました。自然環境も人も建物環境も全て自分たちには最適な場所だったのです。 ここは本当にポテンシャルが高いです。札幌や千歳からのアクセスもとても良いですし。 あとは、どんなコンテンツを作ってどう発信していくか?だと思っています。もちろん資金確保の問題もありますが…。」 ↑材料はその木が育った森が分かるものを生木で購入します。材となり薬に浸かったものや外国産のものは使いません。あくまでも安心安全な北海道産のものに拘っています。 ↑皮を剥ぎ、用途に合わせて切り出していきます。 ここまで伺って、筆者はワクワクが加速していってしまいました。 なんて素敵な方が伊達市に来てくださったのだろう!! しかも石垣さん、オケクラフトメンバーになる前は店舗マネジメントのお仕事を8年ほど経験されておられ、その構想のお話しがただの夢物語ではなく、きちんとマーケティング理論に基づくものだということが分かりました。 なんとも頼もしい限りです。 掘れば掘るほど壮大な構想が出て来るご様子でしたが、今回はここまでの取材にとどめることにしました。 続きは素敵な奥様(曲師)の取材の時に伺いたいと思いますので乞うご期待! ↑奥様もオケクラフトご出身の曲げ職人さん。早く取材させていただきたい! 最後に、近々のご予定を伺いました。 「現在準備中の工房が年明けには整いそうです。 将来のワークショプのために、近々、木育マスターの資格も取得しようと考えています。そして来年9月には料理研究家の菅田奈海さんとのコラボで「食育と木育」のイベントを行います。対象は近隣の子供達と親子。伊達市内の会場を予定しています。」 話しは尽きなかったのですがここでタイムオーバー。 でも、筆者が石垣さんとお話ししていてはっきりと分かったことがありました。 それは子供たち、そして選んだ地域への愛でした。 日本の宝としての子供たちに、自分の仕事として何ができるか? 同時に、家族とともに協力しあいながら生活を支えるためにはここで何がしたいのか? 選んだ土地で、地域全体、そして自分が楽しく幸せに暮らせるために何をすべきか? すでにその答えは出ていました。 それらを考えた上での大滝移住でありビジョンなのでした。 地域おこし協力隊で 木地師+αの多才人 石垣拓也さんが起こす風。 風向きを見届けつつ応援したいと思います。 伊達市、ますます楽しくなりそうです。 ↓「夕花野」Instagram https://instagram.com/yuhanano_hokkaido ↓夕花野オンラインショップ https://yuhanano.handcrafted.jp/ 夕花野 主宰 石垣 拓也 E.mail : gakkey326@gmail.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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06/08(土) 『Cafe Pito』&『Pitoゼミ』 〜満たされる場であるために カフェと塾=食と教育 その融合を目指す檜山夫妻の実践とは
以前から気になりながらも、なかなか訪れることができなかった『Pito』さんのドアを開けたのは早春の頃でした。 看板料理、スープをひとくち口に運んだ時、「おいしい…」。と心が言いました。 なんと表現をしたら良いのか? 有名シェフの高級料理を口にした時の「美味しい〜!!」というのではなくて。 おふくろの味に安心する「うん、うまい」。というのでもない。 ほっと心が落ち着いて、しみじみとその美味しさと、作り手の優しさがじわじわと伝わってくる味と言ったら良いのかな…。 ということで、その「おいしい…」スープをいただいた瞬間、是非、こちらを取材させていただきたい!となったのでした。 室蘭出身の檜山祥太さん35歳は、大学院卒業後、新規オープンの塾に携わるなどして塾講師をされていました。 福島県出身の檜山翠さん33歳は、大学卒業後企業の管理栄養士として働いていました。 そんな時にやってきたあのコロナ禍。 「ずっと機械的に同じことを繰り返す毎日に疑問を感じるようになりました。働き方やライフスタイルを変えたいと思ったのです。この先は、自分たちでなければできないことをしていきたいと考えました」。 そう語る檜山夫妻。 取材を通し、同じようにコロナ禍をきっかけにライフスタイルを変えた方々に出会ってきましたが、その多くが何故か同じくらいの年齢の方々でした。 心機一転、当時住んでいた岡山県から祥太さんの生まれ故郷室蘭にUターンされましたが、選んだのは実は翠さんなのだと言います。 「空き家利用助成金制度が有り難かったのもありますが、なんというか、室蘭の奥ゆかしさというか、さびれ加減の良さというか、昔ながらというか、静かな感じがよかったんです」。 と、翠さんは、スープをいただいた時に感じたお人柄そのままに、丁寧に言葉を選びながら 優しく話してくれました。 そうそう! こちらも! こちらは取材の日にいただきました。 世界のスープDayと称して、月替わりで世界各国のスープを提供しています。 この月の「ウクライナのスープ」は、本当に具沢山でからだ喜ぶ味。 そして、ユニークだったのがシシャモの天ぷら! 煮豚も柔らかくて「おいしい…」。 シシャモの天ぷらは、福島では当たり前に食卓に上るのだそう。 こちらはウクライナではなく、翠さんの故郷の味でした。 「ところで、メニューへのこだわりを教えていただけますか?」 「管理栄養士でもあるので、なにより栄養を一番に考えています。Pito Cafeはスープがメインの店なので、できればスープで栄養も完結させたいと考えています。できるだけ調味料を使わず、素材そのものの味を活かすように工夫して調理をしています。お握りにしているのは、ちいさなお子様からお年寄りまで食べやすいから。ご希望によっては、グルテンフリー・ハラル・ベジタリアン・ヴィーガン対応もします」。 「それと、世界のスープは、スープをきっかけに室蘭以外の世界の歴史にも目を向けて欲しいと願う夫の提案です」。 まさに、教育と食の融合スープなのですね。 しかも、各種嗜好や宗教にも対応されるとは、世界のスープに着眼されるだけのことはあります。 そうそう! この日は「ドッグカフェの日」でした。 年一回開催されるお隣の「犬の洋服屋さん」のイベントに合わせ、ワンちゃん用のお食事とデザートを用意して開放されています。 また、このイベントの日ではなくても、ワンちゃん用のスープ・バースデーケーキ・お菓子などの注文も受け付けているそうです。 大の犬好きな翠さん。 筆者が飼っていた犬が亡くなった時の話をすると、目を腫らして泣いてくれました。 本当に優しいお人柄。 「この町で、Cafeをやっていて良かったと思う時はどんなときですか?そして、これから先、どんな存在でありたいと思いますか?」 カフェの取材の最後に聞いてみました。 「好きなことができて、好きな町でできて、本当に良かったなあと道を歩いていて思うんです。だから、Pitoもいつもそこにあって、ふらっと寄れる場所でありたいと思います」。 ここまで気負わない自然体の翠さんと、もっと一緒にお話をしたいと思った筆者でした。 さてそして、Pitoゼミの祥太さんにもお話を伺いました。 「妻はこの町を選びましたが、実は、室蘭出身の僕は帰って来たくなかったんです」。 いきなりそんな話から始まり、少々焦る筆者…。 「Pitoゼミは、もしかしたら世間の流行とは逆行しているかもしれません。僕のスタイルは褒めて伸ばすのではなく、やる気の見えない生徒は徹底的に怒るスタイル。だから、入塾前の保護者を交えた説明会でもそのことをしっかりと伝えます。すると、何人かは入りません。それと、親の説得を受けて嫌々入った子は途中離脱する子もいます」。 またもや過激な発言…。 そして、「僕の喋ることは半分も書けないかもしれませんよ」。と… なんだかドキドキしてきた筆者。 カフェの取材だけでやめておけば良かったかも…と後悔半分…。 でも、実は祥太さんにはその台詞を言うだけの強い信念と覚悟がありました。 「今の室蘭の子どもたちって、たとえば、勉強をダラダラとしていたとしても、学校でも家でもあまり怒られていない。だから僕は、敢えて怒るべき時はきちんと怒りたい。それが何故かというと、たとえ地方で乗り切れたとしても、そんなんじゃ全国へ行ったら戦えないんです。僕は一人でも戦える人間を育てたい。受験は人生を賭けた戦いです。Pitoゼミとしては、受験対策を通して「学ぶ」ということを学ぶ。「自立」ということを学ぶ。それを伝えていきたいと考えています。例えば、文献の調べ方・データの取り方などを知らなければ、今盛んに叫ばれている真の「探究学習」などできません。洞察力を高めたり、自分を認識できるようになるなど、本来「探究学習」はとても大切なんです。でも、僕から見たら、どうしても表面的なところで満足しているように見えてしまう。だから、本物を伝えたいと考えています」。 生ぬるい優しさを捨て、自ら嫌われ役を買って出てでも子どもたちの将来を真剣に思う。 強烈な愛の表現です。 「カフェだけの取材だけでやめておけば・・・」と一瞬でも思った自分を恥じました。 「ですから、入塾前の保護者説明会では、子どもがどれだけ真剣に「学ぶ」に向き合っているかを見ています。そこで、僕の方針をきちんと親御さんと共有しなければいけませんから」。 確かに。 共通認識のもとに始めなければトラブルの元になりかねませんね。 それにしても営業的にはどうなのかと、余計なお世話が働く筆者・・・。 ところでPitoゼミは大人対象にも塾を開催しています。 たとえば ・論理的思考を高めたい ・学びなおしたい ・公務員試験対策をしてほしい ・英検やTOEIC対策をしてほしい ・講演会の講師をしてほしい などなど、様々なご要望にお応えされているそう。 最後に 「Pitoゼミの未来も根幹を変えるつもりはありません」。 そうきっぱりと話してくれた祥太さん。 長いものに巻かれない確固たる信念に、清々しさを感じた筆者です。 Pito Cafe と Pitoゼミ=食と教育の融合 室蘭で、唯一無二の存在として、これからも発展していく予感がしました。 早くまたスープをいただきたい! ―Pito Cafe & Pitoゼミ情報― 室蘭市中央町2丁目7−10 P : 大町商店街お客様用駐車場利用のこと 電話:080-3233-6454 Pito Cafe https://www.instagram.com/cafe_pito?igsh=MWVnN3VyMGxmaTA5dQ== 定休日:日曜日 Pito ゼミ https://www.instagram.com/pito_semi.study?igsh=aDdlcm54ZHRkeDVu
Rietty
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03/15(火) 嘘のない循環を生み出す〜『天花地星』オーナー木村洋子という人
「え! 私の写真撮るの!? ちょっと待ってて!すぐ着替えて来るから!」 そして、ほんの1分くらいで笑顔で戻ってきた洋子さん。 「じゃん! 店のTシャツ着てきた!」「どこで撮る?」とキョロキョロしながらおっしゃる。 せっかくなので、店の原点だという子どものおもちゃの前に立っていただきました。 とにかく相手を飽きさせない。 少しも飾り気なく、元気で可愛いノリ。 筆者、すっかり洋子ワールドに引き込まれてしまいました。 では改めて〜。 函館ご出身の木村洋子さんは、2011年に今の『天花地星』をOPENさせたオーナーさんです。 今回は、一瞬で人を惹きつける不思議な魅力を持つ洋子さんの人物像に迫ってみました。 店名『天花地星』の由来 「雪は天に咲く花。 北海道ではその雪が結晶となって星のように降って来る。 地に降りた星のような雪は、地上の花への恵みの水となる。 そして再び空気となった水は天へ戻り、雪は天に咲く花となる。」 なるほど…。 ずっと知りたかった店名の由来がストンと腑に落ちました。 大好きな北海道の雪をベースに、自然の循環を店名に込めていたのですね。 「自然豊かなところで暮らしたい。」 洋子さんのご両親が青森に住んでいたこともあり、20年以上前、洋子さんご夫婦は青森の山奥に住んでいました。 ところが直ぐに想いと環境のギャップに悩まされる事件が起きました。 実は、住んでいたその地の近くには産業廃棄物処理場があり、ダイオキシン混じりの黒い煙が辺り一帯に漂うところだったのです。 洋子さんは、自分達のためにも周辺住民のためにも必要だと感じて反対運動を起こしました。ですが、仲間を得られず同意も得られず、いきなり厚い壁に打ち当たってしまいます。 「反対運動なんかしてもらったら農産物が売れなくなるから困る! 止めてくれ!」 それは洋子さんたちにとって、我が耳を疑う衝撃的な出来事でした。 「みんな、この状態を黙って受け入れるのか? 何故!?」 愕然とした想いに陥りながらも、その後洋子さん夫婦は環境問題に取り組むようになりました。 そして、それは自分達の生き方を見つめ直すきっかけにもなりました。 ↑さまざまなカゴが並びます。天花地星の人気商品です。 ↑アフリカ製品 「買い物をすればゴミは増えます。自分達もゴミを増やすことに加担している。でも生きるためには買い物は必要…。 買う者・使う者としての責任も考えるようになりました。 行動をしながらも悶々とした日々の中で、シュタイナー教育と出会い伊達に移住して来ました。」 さて。 3人の子どもを授かりましたが、ほどなくして洋子さんはシングルマザーとなりました。 30代の頃です。 ↑こちらはとても履き心地が良く丈夫なヘンプの靴下。 「子どもの学費を捻出するため、仕事をいくつも掛け持ちしながら必死で働きました。当時の写真を見ると、今の方が若々しいと子どもたちに言われます。」 そんな洋子さんが18歳から続けていたのはエアロビクスでした。 他にもリズム体操なども教えていらっしゃいます。 まさに芸は身を助けました。 それと同時に、地道に続けて来た環境問題への取り組みの延長線上に、『天花地星』の前身である通販サイトも2004年より立ち上げました。 本当にバイタリティー溢れる方♡ 当時扱っていたのは「子どもが安心して遊べる玩具」でした。 主に木製のドイツ製品だそうです。 洋子さんの店のコンセプトは、今も昔も” 心と体に優しいこと “ “ 最終的に地球に還るものであること“ ですから、塗料は極力ケミカルを排除しました。 クレヨンは小さなお子様が口に入れても安全な材料で作られているものを選びました。 その後、2011年に今の場所とご縁があり実店舗を作りました。 実店舗ができた当初は玩具だけの取り扱いでしたが、今は一般食品から雑貨、服飾雑貨、フルーツまで多種多様な物を扱っていらっしゃいます。 ↑とても思い入れが強いフェルトシューズ。何年も探していたそうです。丈夫で長持ち、ものすごく暖かい。 ↑風呂敷のような布バッグ。色や柄のバリエーションも豊富です。 その取り扱い商品が広がっていった理由が、いかにも洋子さんらしくて面白い。 「なんだか気がついたらこうなっちゃっていたの! 生徒さんたちやインストラクター仲間との繋がりの中で、どんどん商品の種類が増えっちゃって。繋がりって面白いよね〜。でもね、これ絶対いい!って自信があるものしか仕入れない。食品はできるだけ無添加のもの・オーガニックのもの・アレルギーに配慮されたもの・フェアトレードのものに拘っているし。だから胸を張って勧められる。絶対損はさせない!って言えるの。」 ↑身体にとって良くないものが含まれるものは扱いません。 強い拘りを持ち吟味されて選ばれたものは、似たようなものを値段だけで比較すれば「高い」と思われます。 けれどもモノやコトの価値を値段で測らない『天花地星』のラインナップは、自分にとって本当に必要なものを、その商品の背景も含めて判断してほしいという願いを洋子さんは持っています。 「類は友を呼ぶ」 とはよく言ったものです。 いまや『天花地星』は、洋子さんの理念を理解して足を運ぶ人、口コミで買い物に来る”食べ物ジプシー(様々な事情で特定のものしか口に入れられない人)” にとっての大切な存在になっています。 「うちの店ね、胆振管内一入りにくい店って言われてるの!笑 ぱっと見 普通の家だしね。 でも大丈夫だから!笑 どんどん入って来ちゃって大丈夫って書いておいて!笑」 1時間ほど話していて、「この人は本当に開けっぴろげで嘘をつかない人だなあ…」ということを感じました。 常に直球勝負で潔い。 自分の言動にはきちんと責任を持つ。 自分の中に矛盾があるのは許せない。 だからあらゆることに辻褄が合うように努力する。 かくいう筆者にも似たところがあるので、これら一つ一つのお話に大きく頷いてしまいました。 ↑全国各地に仲間がいる洋子さんは大のフルーツ好き。天花地星の玄関には、一年中全国の果物が並びます。 ところで洋子さんは2010年からヨガインストラクターをされています。 ↑インドにて〜。 ヨガのポーズにはそれぞれ意味があるそうですが、生徒さん一人一人に目指してほしいゴールがあるそうです。 目指してほしいのは、一人一人が心も身体も健康になるためのゴールとその道筋。 ↑右側の男性がインド人の洋子さんの師匠です。この先生に師事できること自体がすごいこと。 「自分も含めて、何故それをするのか?何のためにやっているのか分からないと心身ともに納得して取り組めない。ヨガにはね、人は生きている間に7回生まれ変わるという思想があるの。そして最後は泡になる。ヨガはきれいな泡になるための修行。 私はまだまだきれいな泡にはなれてないけどね。」 正直、体験していない筆者にはよく理解ができない表現でしたが、身体には「理想的な動かし方」つまり「理にかなった動かし方」がきっとあり、それが健康に結びついていくということなのでしょう。 「7回生まれ変わる」「きれいな泡になる」については、次回詳しく教えていただこうと思います。 ↑インドでの修行の途中にて〜。 洋子さんは最後にこんなお話をしてくださいました。 「商品は国内だけのものではなくて海外のものも多くある。海外旅行が好きだから、以前は現地に買付にも行っていたの。でも今は仕入れ方を変えた。だって、買付に行ったら国内でお金が回らないでしょ? だから国内の輸入事業者から仕入れるようにした。もうね、自分のところだけ儲かればいいって時代じゃないよ。いろんな国のいろんな人とも関わって、いろんな人たちが幸せになった方がいいもの。」 このお話は、洋子さんの生きる姿勢を端的に表す言葉だなあと感じました。 人の繋がりを何よりも大切にして、関わる人を心から大切にする。 その結果、嘘のない好循環が生まれていく。 架け橋としても。 実践者としても。 洋子さんが繋ぐ人々の活動が正当に評価され、みんなが幸せになる。 本当に素敵です。 小さな体でなんという大きなパワーを持つ人なんだろう!と、終始屈託ない笑顔の洋子さんに圧倒された時間でした。 さて、その洋子さん。 実はさらなる夢の実現に向けて大きく動いています。 なんと、5月〜6月を目標に「こども食堂」を展開されるそうです! そちらについてはいずれまた〜。 『天花地星』情報 *むしゃなびページhttps://mushanavi.com/author/tenk/ *ヨガサークル サントーシャ https://mushanavi.com/author/mutenka2/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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01/16(月) 自然と人との調和を追求したい 〜美のクリエイター 長友加也の世界
お二人のお子様のママ。 そして。 珈琲焙煎所のオーナー。 またある時は。 ヨガインストラクター&美容整体師。 と、思えば。 時に少女。 時に少年。 果たしてその実態は…。 以前から、いつか取材をさせていただきたいと思っていた長友加也氏。 ようやくお話を伺うことができました。 お邪魔したのは『TOYACAFE』。 6年前に壮瞥町の地域おこし協力隊として移住をして来られ、3年の任期を終えて開業されたのが壮瞥温泉町の湖畔にある珈琲焙煎所『TOYACAFE』でした。 長友加也氏は静岡県浜松市生まれの39歳。 日本女子体育大学をご卒業されているので、バリバリの体育会系体質かと思いきや、意外にもそういう方ではありません。 いえ、そういう面も持ちながら感性豊かでしなやかな方です。 『TOYACAFE』を拠点に20年ほどのキャリアを持つ美容整体と、13年のキャリアを持つヨガインストラクターの仕事もマイペースで行っていらっしゃいます。 「珈琲焙煎については独学でした。小さな子どもがいますので、親になってからは、あくまでも子どもを中心に置いた上で、自分がやりたいことは何かを考えながら無理のないペースでやってきました。」 珈琲焙煎所のオーナーとしての加也さんについても詳しく書きたいところですが、そこの部分については今回こらえて…。 主にフェアトレードの豆を丁寧に手煎りで焙煎されているとだけ伝えておきます。 この度取材をさせていただいたのは、最近宣言された新たな肩書き『フォト(動画)クリエーター』としてのお仕事についてでした。 一見、お一人で何役も同時にこなすのは超人的だ!と思ってしまうのですが、なぜか加也さんからは、必死感というか、がむしゃら感というか、がんばっている感が伝わってきません。 淡々と。 粛々と。 自然体で自分の想いの方向に向かっているという自由な雰囲気を醸し出している。 これってものすごくクール! かっこいいなあと思います。 そんな加也さんに自己分析をしていただきました。 出た……宇宙人。 実は前回の記事の主人公も宇宙人でした ^^; 筆者はどうも宇宙人に引き寄せられるらしい…。 かくいう自分も宇宙人? いやそれはさておき…。 さらに続けてこう話されました。 これを伺って安心しました。 決してセンスだけで物事を極めているわけではなく、とことん追求してめいっぱい努力し、きちんと結果を出す人だということがわかったからです。 でも決してそれを表に出さない。 やはりかっこいい。 さらに尊敬してしまいます。 さて。 話をフォト(動画)クリエーターに戻します。 このお話。 実は加也さんのキャリアに裏付けられていました。 なんて素敵な!! これは、加也さんならでは、加也さんだからこそ撮れるものです。 そして今も続々と撮影依頼が来ているそうです。 独立宣言をするや否や舞い込む依頼に加也さん自身が驚いているご様子でした。 それは、これまでの加也さんの活動や発信が、必要な方にしっかりと伝わっていた証だと思います。 今回の取材でわかったこと。 『TOYACAFE』を拠点に置き、珈琲焙煎所・フォト(動画)クリエイター・ビューディーサロン(美容整体・ヨガ)と多方面に活躍しつつも、それは全て1本の軸を外れない活動でした。 365日の時間割の中で、全てが子育を中心とした隙間時間に見事に整理されていました。 長友加也氏は、しなやかな自由人かつ被写体に寄り添う美のクリエーターでした。 *画像は全ていただいたものです。 ―長友加也 情報― 長友加也Instagram https://instagram.com/kaya.n_film?igshid=YmMyMTA2M2Y= 長友加也Facebook https://www.facebook.com/takeuchi.kaya TOYACAFE Instagram https://instagram.com/toyacafe?igshid=YmMyMTA2M2Y= TOYACAFE HP https://toya-cafe.localinfo.jp クリエーター依頼 https://toya-cafe.localinfo.jp/pages/2702246/page_201903191041?fbclid=PAAaaRlA7qepU9u58JEGPIduBSXwsST_TFMjY2g7B4tXbxadOYI92yOhEeYlM (2023年1月取材)
Rietty
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02/07(火) 『心地よい毎日』へのキーワードは『整える』こと 〜La Flice代表 小野友美氏の思いとは
・『La Felice』代表 小野 友美氏 ・室蘭市出身 現在は伊達市在住 ・二児の母 『La Felice』とは、イタリア語で「心地よい」という意味だそうです。 代表の友美さんは、誰もが心地よい暮らしができるように、様々なアプローチで活動をされています。 今回は、友美さんが思う、より心地よい暮らしについてお話を伺いました。 友美さんは、約24年前から看護師のお仕事をされています。 けれども、子育て期間の6年半はお仕事を休んでいました。 友美さんの感心するところは、資格を取得したら直ぐに誰かに試してやってみて、直ぐに仕事にするところ。 しっかりとPDCA(Plan Do Check Action)を回すことです。 これって誰でも出来そうで、意外と出来ない人の方が多いこと。 友美さんの最大の強みのような気がします。 さて。 『La Felice』のロゴには 〜アロマとおかたづけ〜 と書かれていますが、実は友美さんの活動はそれだけではありません。 現在行なっている講座メニューを書き出すと… 1. アロマアナリーゼ 香りの心理分析 2. アロマテラピー講座 3. アロマハンドトリートメント 4. 片づけ心理学 5. おかたづけのきほん講座 6. おかたづけ相談・訪問 7. 片づけオンライン訪問 8. 方眼ノート1dayベーシック講座 9. 地元ラジオ番組「ときめきテラス」パーソナリティー こんなに色々なことをされています。 やはり直ぐやる課! ^^ 友美さん曰く「やる!と決めることが大事」なのだそう。 「やろうと思ったけれど」 「やるつもりだったのに」 これは筆者の得意のセリフ…^^; それではダメなのですよね。 わかってはいるのだけど…。 あ。これもダメなセリフ 笑 ふむふむ…。 なるほど〜。 実体験に基づいたお話は説得力があります。 そんなに良いものならば、一度体験してみよう〜!! ということで、筆者、「方眼ノートメソッド」を体験して参りました! 正直なところ、まだ出会ったばかりなので絶大なる効果を感じるまでには達していませんが、方眼ノートの活用によって、目指すゴールに向けての道筋が見えやすくなり、段階ごとの考えがスルスルと出てくる感覚はありました。 うん。 これはなかなかよいかも…。 現在、東京のある公立中学校では教員全員がこのメソッドを学び、生徒にも方眼ノートの書き方を指導し、生徒一人一人にとって何がどの程度わかり、何がどの程度わからないのか?を、誰にも見える化出来たことで、中間テストも期末テストも廃止したという実践報告もあるそうです。 公立学校でもそこまで出来るということには正直驚きました。 〜と、これまでご紹介したことを図式化されていました。 さらにさらに友美さん。 ワイラジオのパーソナリティーもされています。 番組名は「ときめきテラス」 お友達とお二人で30分の枠で様々なお話をされていいます。 パーソナリティーを始められたことで、話す訓練にもなっていることを実感しているそうです。 一見、多方面で活動されているように見えますが、実は「整える」というキーワードで全てが繋がる。 『全ての方が心地よい毎日を過ごしてほしい』という願いを込めた友美さんの活動なのでした。 ―La felice 情報はこちらから― おのともみFB https://www.facebook.com/tomomi206 La Felice Instagram https://www.instagram.com/lafelice_aroma.shuunou?igshid=YmMyMTA2M2Y HP https://la-felice.com/
Rietty
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08/28(日) 「またたび文庫」の羽地夕夏さん(羽ちゃん)〜人の心に風を送る人〜
嵐ではない。 そよ風でもない。 ヒュン!と人の心に風を送り。 ハッとさせてくれる人だと思いました。 ひさびさに「いいものみつけた!」という気持ちにさせてくれた人。 と、失礼な書き方をしましたが「なんて素敵な人なんだ!!」という意味です。 そして、実際には見つけたというよりも、出会いのきっかけは若い友人からの紹介でした。 ただその時には、羽ちゃんはその「光」を見せてはくれませんでした。 沖縄の人らしいのんびりした感じの印象。 表面的に溢れ出すオーラで、その存在の凄さを隠せない人はいますが、羽ちゃんはそういうタイプではないように見えました。 決して隠しているわけではなく、あくまでも自然体で、自分をそれ以上にも以下にも見せない人でした。 それがもう、話してみてビックリ! さらに彼女の書いたものを読んでみてビックリ! https://www.instagram.com/matatabibunko_hon/ ↑本の書評や所感などを書いています。 こちらを読むと、只者ではないことが分かります。 ということで、今回は白老を本拠地に移動本屋「またたび文庫」を展開している羽ちゃんこと羽地夕夏さんを取材させていただきました。 この日、またたび文庫は、白老の子育てふれあいセンター「すくすく3・9」の森のカフェイベントに参加されていました。 庭が森になっているそこには、小さい子を連れたお母さんや、地域の方々が来場者となって訪れていました。 その脇にあるニッセの小屋では、地元の店「カイザー」さんが珈琲を落としていました。 「すくすく森のカフェ」は、手作り感溢れるあったかい和みの空間でした。 そんな雰囲気の中で出店されていた、またたび文庫の羽地夕夏さんは、沖縄県読谷村出身の24歳。 大学で国際政治を学び、卒業後は東京の出版会社の営業を1年経験されました。 その後、2022年5月より白老町の地域おこし協力隊員として活動をされています。 「本は子供の頃から好きでした。学生時代は古本屋巡りが好きでした。何かを調べたい時は必ず本。ひとつのテーマについて深く知りたいときは、本を探して読みます。」 何故白老だったか 白老に来たきっかけは、先ほどお話しをした共通の若い友人でした。 それは羽ちゃんが大学4年生の時、初めてその友人に案内されて白老の森を歩き、すっかり白老の自然に魅せられました。 「それまでの人生では森歩きをしたことってなかったんです。」 同時期に読んでいたのはアイヌを題材にした小説「熱源」。 沖縄とは全く異なる北海道の自然への興味、アイヌ文化への関心も後押しをして、白老移住を決めたそうです。 そして実際に移住をした白老は期待通りだったと言います。 またたび文庫の誕生 「人口1万6千人の町 白老の文化拠点として、本屋をつくりたい。」 〜という想いで羽ちゃんは移住後、ほどなくして始めた 古本メインの移動本屋(新刊も1割ほどあり) 「またたび文庫」を立ち上げました。 マタタビといえば、あの齧った猫が恍惚状態になると言われる樹木の名前です。 「初めて北海道を訪れた時、森で初めてマタタビを口にし、とても美味しかったのです。これが猫もうっとりするというマタタビの木の実か!!」と。 きっと、その実は熟したオレンジ色をしていたのでしょう。 ほんのり甘いマタタビは、アイヌ文化史にもたびたび登場し、現代でも果実酒にして薬効を得るなど様々な利用法があります。 そしてまた。 羽ちゃんが好きなアーティスト奥田民生のCDにも「股旅」というタイトルのものがあるそうです。 こちらは旅のうたですが…。 旅先だった北海道に移住した羽ちゃんにとって、「またたび」という響きには特別な想いがあるのでした。 ところでこの日、鮭の木箱に入れて持ってきた本は100冊くらいでした。 「在庫はどのくらい持っているのですか? また、ここに持ってくる時の選書の基準は何でしたか?」 「在庫は2000冊くらいです。今は主にイベント出店という形で販売をしているので、出店するイベントの趣旨や、集まるであろうお客様の層を考えて、その志向を想像しつつ選書しています。今日は子育てイベントですので、お母さんが読める本・子ども向けの本をご用意しました。コンセプトは日と場所によって変わり、持ち歩く本も変わります。冊数もあえて少なくしています。」 この選書のセンスがまた抜群です。 ただの勘ではなく、自分のお客さまになりうる層をしっかりと分析しているようです。 それが証拠に、いらっしゃったお客様の年代・会話・購入された本などの記録をされています。 入れ替わり立ち替わりお客様がいらしたことと、雨が降り出したことでじっくり本を選ぶことができなかったのですが、どれもこれも気を惹くものばかりでした。 筆者の図書館司書の友達が、いたく褒めていたのが納得でした。 本へのおもい 「ところで何故、古本をメインにしているのですか?」 「一つには、誰かに大切にされていた本が次の人に回っていく循環に魅力を感じるからです。もう一つは、流行りものの宣伝にまみれた新刊書店より、ひっそりと本が積み上がっている古本屋での本との出会いの方が “ 自分の感覚で選んだ “という実感があり面白かった…という実体験からです。」 なるほど…。 ベースは大学生の頃の古本屋巡りだったのですね。 そしてこんな質問も〜。 「いちばん大切な本はなんですか?」 「いちばん長い期間、定期的に読み返している本は『星の王子さま』です。王子さまとキツネのお話しが大好きです。まわりの人やモノを大事にするとはどういう行為なのか、どんなふうに世界の見え方がかわるのか、美しい言葉で教えてくれます。」 筆者も遠い昔に読んだ本でしたが、このお話を伺い、また読みたくなりました。 羽ちゃんの言葉は、とても人を惹きつけ「読みたい!」気にさせてくれます。 ではもうひとつ。 少し難しい質問を投げかけさせていただきました。 「生き方を決定づけた本はありますか?」 「難しいですが…。平野啓一郎さんの『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本をあげさせていただきます。モラトリアム真っ盛りの大学生時代に読みました。自分のアイデンディティーは確固たるものではなく、他者との関係性の中でうまれる多様なものだという考え方に出会い、“ 自分とは何か?” という内向きの漠然とした悩みに対する執着がうすくなりました。」 う〜む。 深い…。 これもまた俄然読みたくなりました。 あらためて羽地夕夏という人 羽ちゃんはInstagramやnoteに本にまつわるいろいろを書いています。 その中から一部抜粋してみますね〜 『現時点のスタイル→本との一期一会の出会いの場をつくるというスタンスで、毎日本棚を入れ替える。POPをおくなどの装飾はとくにしない。自分の感性で本をえらぶという行為じたいを楽しんでもらいたい。。。と思いながら。』 こちらは移動文庫のスタイルのお話ですね。 おもしろい。 とにかく本と真摯に向き合っている。 そしてもう一話。 『〜前略〜「読書は人生に役立つのか?」というテーマに近づけたい。読書とは「自分で問いをたて、知識を得て、深めていく習慣」と定義してみる。特定のスキルや知識は陳腐化してしまう。だとしたら、せめて今の自分が本当に関わりたいものを、自分でえらべるようになること、ってすごく大事なのでは。。。読書が「自分のものさし」をアップデートしていく手段になるなら、「読書は人生に役立つ」と言えるんじゃ〜〜中略〜〜地理、社会、個人の思想を紐づけてみていくのは終わりがないから面白い。なんの役にたつかはわからないし、時間があるときのお楽しみになっちゃうけど。 今日もよい一日をおすごしください』 こちらは羽ちゃんの読書観。 と、こんな感じで羽ちゃんが発信するInstagramの書評や所感、あるいは考え方は、とてもグッとくる文章ばかり。 それでも物書きではなく、人や本との一期一会を大切にしたいと、売る側を選びました。 最後に地域おこし協力隊卒業後の構想を伺いました。 「拠点としての古本屋(店舗)を持ち、時々移動するというスタイルにしたいと考えています。 同時に、これから製本の勉強もする予定です。その後、絵本作りのワークショップを行ったり、出版のサポートもしたいと考えています。」 本を軸に活動の幅を広げていかれるようです。 今後の活動が楽しみです。 羽ちゃんの発する言葉ひとつひとつが筆者のこころに風を送ってくれた気がしました。 気がつけば秋。 読書を楽しみたいですね。 ―またたび文庫情報― クラウドファウンディングは2024年4月8日まで! 応援はこちらから。 白老でのおもな拠点は蔵、Haku hostel、観光協会(ポロトミンタラ)など。 出店予定は毎月更新されます。 営業時間は11:00~17:00 *出店予定は、Instagramにある月次予定表をご覧ください。 ・しらおい創造空間「蔵」 〒059-0906 白老郡白老町本町1丁目7-5 ・haku hostel+café 〒059-0905 白老郡白老町大町3丁目1-7 ・白老観光協会(ポロトミンタラ) 〒059-0902 白老郡白老町若草町1丁目1-21 Instagram https://www.instagram.com/matatabibunko_hon/ note https://note.com/matatabibunko/m/m10475c2e1abd?nt=magazine_mailer-2022-08-25 買取り情報
Rietty
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02/12(土) 『役』を捨て自分自身に戻る時間 “hinna produced by Toya Pirka Shop” で癒される時
今回はToya Pirka Shopのオーナーで基礎化粧品“ hinna ”の開発者 加藤亜貴絵さんにお話を伺いました。 待ち合わせ場所に現れた亜貴絵さんは、スラリと背が高く素肌の美しい方でした。 石狩市ご出身で、短大では経済学を学び、長らく銀行員をされていたそうです。そして、6年前に洞爺湖町に移住されてからも同じ銀行の支店で働いていらっしゃいました。 ↑湖畔で遊ぶ亜貴絵さんの愛息子様 「地元に密着した洞爺湖町の支店では店内のチームワークも素晴らしく、営業の立場から地元の皆様とお話をさせていただく機会も多くあり、どんどん洞爺湖町の魅力に惹かれていきました。気づいたら洞爺湖町の大ファンになっていて、洞爺湖町の良さを町外はもとより町内の皆様にもっと知ってほしい!と思うようになっていました。」 そしてこんなお話も。 「自分自身、洞爺湖町に移り住んでから性格が変わったと感じています。それまでは常に何かに追われるようにキリキリとした生活でした。でも、洞爺湖町に移り住み、美しい自然や温かい人々に囲まれているうちに、周りの自然や人に心から感謝するようになりました。そして、“ 肩肘張らなくてもよい。自分の精一杯を生きればよい。”と、思うようになったのです。」 なるほど…。 “ hinna “のお名前の由来がわかりました。 hinnaとはアイヌ語で感謝を表すことばです。 「全てのものに感謝して生きていきたい」そんな亜貴絵さんの気持ちを表していたのですね。 さて、今回の主役 “ hinna “のことについて 「でも何故、その想いが化粧品に結びついていったのでしょう?」 そんな筆者の問いに、亜貴絵さんはこう答えてくださいました。 「私は元々アレルギー体質でもあり、ものすごい乾燥肌なのです。ですから、ありとあらゆる化粧品を試しました。その中で、これはいいかも!と思う基礎化粧品に出会ったとしても、何かしらの矛盾や難しさを感じて持続できない。加えて自分をすり減らす都会の生活にも疲れた頃に洞爺湖町に転勤して……。 そして先ほどの話に繋がっていきます。 ある日、ある農家の方に教えていただいた洞爺湖町名産の財田米と赤シソを知ったことは、私の中でとてもとても大きな出来事でした。洞爺湖町産の赤シソは、農家さんが毎年タネを採り、それを毎年撒き、手作業で何十年も繰り返し育てられているのです。命と産物を繋ぐ作業を全て手作業で行っていることに感動を覚えました。それに、抗アレルギー作用がある赤シソは、アトピー体質の私にはジャストフィットでした。この本当に素晴らしい洞爺湖町の産物をなんとか多くの人に知ってほしい! しかも私らしい方法で! そんな想いが化粧品とリンクしていったのです。」 一念発起した亜貴絵さんは、会社を辞め、わずか半年で『日本化粧品検定1級』を取得しました。 さらにお話しは化粧品成分に及び、語りは熱く繰り広げられました。 「まず、財田米はとにかく食べて美味しい! 実は私の父は石狩の米農家で育ちました。ですので、いつも美味しいお米をいただいていて、『うちのお米が一番美味しい!』と思っていたのです。ところが、財田米を食べたらそれが覆されました。初めて味わったお米での敗北感でした 笑。 心から美味しいと感じるものは肌にも良いと思っています。 お米には保湿や血行を促進する成分があると言われています。 そして赤シソ。赤シソには殊の他強い思い入れがあります。実は洞爺湖町は北海道で1.2を争う赤シソの産地なのです。それは残念ながらあまり知られていない事実です。こんなに良いものなのに何故!?と叫びたいくらい。赤シソには抗アレルギー・抗酸化作用があると言われる他、美白や保湿の効果もあると言われています。 この2大主役に加え、北海道産のサラブレッド由来のプラセンタも配合しています。こちらには優れたペプチドやアミノ酸が含まれているのです。 それと、hinnaは着色料や合成香料を使っていませんが、化学成分は含まれています。自然由来にこだわりすぎず、『人間が長年研究をし続けてきたお肌にとって必要な成分=化学の力』とのハイブリッドで作っているのです。 」 ↑手のひらサイズより大きな葉の赤シソ畑 ↑黄金色に稔った財田米 北海道産のサラブレッドにこだわった理由は、「餌の面でも衛生的にも丁寧に管理されていることと、北海道の原材料を使いたかったということです。」とのこと。 亜貴絵さんとお話ししていると、全てのことに裏付けがあり、きちんと分析されての言動だということが分かります。 ご自分のお仕事に対して『腹を括っている』という潔さが伝わり、ものすごく説得力がある。 本当にスカッと気持ちが良い方です。 ↑パンフレットデザインもパッケージデザインも全てご自分で行なっていらっしゃいます。 本当にバイタリティー溢れる方です。 ↑この優しい紫色は、お米の研ぎ汁の白と赤シソの紫を足した色だそうです。 「ところで、作っているのは亜貴絵さんご自身ではありませんよね? どのように開発レシピ通りに化粧品を作ってくれる製造会社を見つけたのですか?」 すると、その行動力に感動するお答えが返ってきました。 「あちこち電話を掛けまくって、直接営業をしにいきました! ですが、個人の話を聞いてくださるところはなかなか見つかりませんでした。変なオバさん扱い。ですが、実はこのコロナ禍はチャンスでもありました。化粧品業界もテレワークなどが多くなり、化粧をする人が減り、取引先自体が増えないという悩みを抱えていたのです。ですので、個人の話でも前向きに聞いてくださる会社様も現れました。それが現在、製造をお願いしております(株)粧薬研究所様です。こちらでは、私の話を本当に良く聴いてくださり、OEMに快く応じてくださいました。」 きっと、数字でものを説明できるという前職でのご経験も強みになっているのでしょう。 コロナ禍は、亜貴絵さん自身にも会社員であることのメリットとデメリットを深く考えさせてくれたと話してくださいました。 “ ピンチをチャンスに! コロナ禍をチャンスに!” 多くの人がそう口にしますが、誰にでも簡単にできることではありません。 でも亜貴絵さんは、コロナ禍をチャンスと捉えました。 止まりたくない。 前進あるのみ。 たとえ失敗したとしてもこうと決めたら突き進みたい! そんな亜貴絵さんの強い想いにより、準備期間に多くの苦悩を抱えて過ごしながらも、構想から1年半というハイスピードで ” Toya Pirka Shop ” を立ち上げることができました。 立ち上げ前には80人のモニターの方に使っていただきました。 いただいた感想から成分配合の手直しを繰り返し、ついに2021年12月に” hinna “が世に送り出されました。 最後にこう話してくださいました。 「しばらくは『変なオバさん』扱いでしたが、最近メディアで取り上げていただけるようになり、活動を知っていただけるようになったのはとても嬉しく有り難いことです。 ” Toya Pirka Shop “のコンセプトは10年後、20年後も使い続けたい持続的なものであることです。持続的であるためには価格はとても重要です。ですから、” Toya Pirka Shop ”の製品は価格設定が先です。 製造以外、今は一人で回しているので、製品コストは最低限に抑えることが可能です。 hinnaは1本3300円ですが、150ml入っていますので、だいたい2ヶ月半はお使いいただけます。内容成分的には絶対の自信を持っています。 女性にはたくさんの役割がありますが、1日の内のせめて数分だけでも自分自身に戻ってほしい、自分に優しくしてあげてほしい、そう願っています。スキンケアは自分自身の手で労わることができる作業です。自分で自分を癒すために毎日お使いいただけたら幸せです。 」 お話をいただく間、何度も周りの方への感謝の気持ちや、自然への感謝の気持ちを口にされた亜貴絵さん。 お話を伺い、この商品には” hinna “ 以外の名前は見当たらない。 そう思った筆者です。 ↑洞爺湖町 230号線沿いにある「きつつきカナディアンクラブ」さん敷地内にある「森と休日」さんで委託販売中です。 ↑こちらは洞爺湖温泉街の「越後屋」さんで委託販売中です。 「そうべつ道の駅 サムズ」さんでも2/11より委託販売が開始されました。 ※記事の内容は取材時の情報にもと基づいています(取材2022年)
Rietty
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10/18(金) 【あの人に会いに】『認知症カフェ』の認知を上げたい! [ 猪股 薫 さん / 伊達 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい、地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】 今回は10月から『認知症カフェ』をスタートさせる 猪股 薫(いのまた かおる)さんです。 「末っ子の自分、両親に何ができるだろう」 薫さんは伊達市のご出身。保育や福祉のお仕事をされてきました。 「元々は人のお世話をするような人ではなく、末っ子で、全部”やってもらう側”で。両親が高齢になったときに、何にもできない自分って良くないなと思って……たまたまヘルパーの通信講座を受けたんです」 資格を取り働き始めると、次々と介護福祉士やケアマネージャーの資格もとることに。「ケアマネージャーの仕事を始めたら、認知症に悩む人が沢山いて。それで認知症について勉強し始めたら、ハマっちゃったんですね。色々な教授の講演を聞きに行ったりして勉強しました」 介護の知識・経験を身に着けていく中で、お母さまが入院された時、ご自身のスキルを活かしてサポートできたそうです。「それで、末っ子の自分が取れたような。自分にも親に何かできると思わせてもらえました」 『認知症カフェ』は、地域に開かれた交流の場 そんなやさしさに溢れた薫さんがこれから始めようとしているのが、『認知症カフェ』というものです。「認知症カフェなのに認知度が低くて」と笑う薫さん。きっと知らない方がほとんどだと思うので簡単にご紹介。 『認知症カフェ』とは、認知症の人、家族・介護者や友人、地域住民など、誰もが気軽に集える交流の場を開く活動で、世界中で行われている取り組みです。認知症に関する悩みを相談したり、お喋りすることで繋がりが生まれ、孤立防止にもなります。また、専門家から認知症に関する情報を得ることもできます。 『認知症カフェとは』 厚生労働省 伊達市には”チームオレンジ”という認知症サポーターの集いがあり、ケアマネージャーとして認知症について学び続けていた薫さんもそのメンバー。その活動の中では、病院や介護老人保健施設で認知症カフェを開催していました。 「これを、病院や施設ではなくて、民間でできないだろうか……と思い始めて」 認知症は、中途の段階が大変だと言います。「ちょっと物忘れが出てくる時、まだらボケ”とも言われるのだけど、その頃が一番苦しいし、周りの家族も苦しい。物忘れが出てきて「あれあれ、それそれ」と思い出せなくなる。人の名前を忘れちゃう。そんな自分をさらけだしたくなくて、だんだん外に出なくなっちゃう……」簡単なことができなくなる、物忘れしてしまう自分を恥ずかしく思い、段々と引きこもってしまうことも多いのだそうです。 「今までは簡単に喫茶店に入れたり、ラーメン屋さんにも行けたのに、行けなくなっちゃう。寂しいじゃないですか。気楽にお茶ができる場所をつくることができないかなと。老後楽しく豊かに暮らしたいと思うじゃない?軽度の人たちが頑張る気持ちになれると良いなと」 道がわからなくなっちゃっても、聞けばいいじゃない。人の名前を忘れてしまっても、また忘れちゃってって聞いても大丈夫。何も恥ずかしいことじゃなくて、みんな同じようなことで悩んでるから心配しなくて良いよ。認知症カフェは、そんな風に辛いこともまるっと含めて肯定してもらえる、誰もが安心できる場です。 「かっこつけたい時もあると思うけどね、何も気にせずに本来の自分の姿で……オープンマインドでいられる、気兼ねなく来られてリラックスできる場所にできたらなと」 認知症には珈琲が良いらしい?? コーヒーを飲む習慣は、認知症の発症リスクの減少と関連しているという研究が発表されており、コーヒーを1日に2~3杯飲んでいる人は、アルツハイマー病の発症リスクが21%低いことがわかっています。コーヒーなどに含まれるカフェインが、軽度認知障害や認知症に対して予防的に働いているそうです。 そんなこともあり、こちらの認知症カフェ『くるみ茶屋』では、会場であるカフェ道楽さんの美味しい珈琲や、茶道の師範である薫さんの御抹茶をいただけるとのこと。ちなみに、抹茶も珈琲と同等のカフェインを含んでいるんですよ。珈琲や薄茶をいただける認知症カフェ、とても贅沢ですね! 会場となる『カフェ道楽』。野鳥が飛んでくる素敵なお庭を眺め、癒されるお店です。過去にむしゃなびでもご紹介しています。(↑画像をタップ)ぜひご覧ください。 誰もがオープンマインドでいられる場所を 最後に、薫さんご自身の介護のお話を少しだけしてくださいました。 「父は100才まで生きてくれたんです。母が亡くなった後は一人でご飯を食べるのは可哀そうだから、ご飯はいつも一緒に食べるということだけは、やめなくてね。父はお蕎麦が大好きで。美味しいなって言ってお蕎麦をすする姿、珈琲を旨いな~と言って飲んでいる姿、そういうのがずーっと残ってるものでね」 「もしイライラしたときは、そういうところに立ち返ったりして。みんなが優しいところを持っていると思うんです。まずは相手のお話を聞くことが大切、傾聴ですね。あなたの意見はあなたの意見で、尊重はしているよ、と話し合っていくと真実みたいなものが見えてくるというか。理解し合える道を考えていく、ということかな」 もし今、介護のことで悩んでいる方がここを読んでいらしたら。そのもっと手前の、ちょっとした物忘れが気になっている方、またはそのご家族やご友人が読んでいらしたら。ぜひお気軽に、認知症カフェ『くるみ茶屋』、カフェ道楽へ足を運んでみてください。猪股さんとお喋りするだけで、不思議と気持ちが軽くなります。 暖かい気持ちを持つ有志の方々で立ち上げられた、”オープンマインドでいられる場所”。認知症に関わらず、全ての人にとって居心地の良い場所になることでしょう。月に一度の息抜きの場として、ぜひご活用ください。 認知症カフェ『くるみ茶屋』 日時 :毎月 第4月曜日 13:30~15:30 会場 :カフェ道楽(南黄金町163-10) 参加費:100円(飲み物・おやつ付き) ※ 申し込み不要、時間内出入り自由
misaki
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06/02(金) 『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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09/13(火) 終わりなき研究をしつづけるために〜谷藤貴昭さんの『チョコレート研究室』
店を継ぐ決意とチョコレート ごはん処「たにふじ」は室蘭の有名な老舗です。 主力商材は仕出し弁当。 もちろん、店内でお食事をすることも出来ます。 さて、北見のパティスリーで8年間パティシエとして活躍をされていた谷藤貴昭さんは、2021年9月にお父様が営む「たにふじ」を継ぐ決意をして帰郷されました。 今回は、ごはん処「たにふじ」の三代目 谷藤貴昭さんを取材させていただきました。 ただし、お話を伺ったのは和食の料理人としてではなく、bean to barを手掛けるパティシエとしてでした。 そう、貴昭さんは「たにふじ」を継ぐ決心だけではなく、チョコレート研究室を室蘭に立ち上げるために帰郷したのでした。 挑戦したかったチョコレートは、カカオ豆からチョコレートまでを一貫して手掛ける製法のbean to barチョコレート。 様々な産地から原料を仕入れ、カカオ豆という原点からオリジナルのチョコレートを製造されています。 オリジナルチョコレートとの出会い 高校卒業後調理師専門学校に進学した貴昭さんは、在学二年間のうち一年間は調理の勉強を、一年間は製菓の勉強をしました。 そして、卒業後は北見のパティスリーに就職、持ち前のコツコツ気質が徐々に頭角を現わし、1年に1度開催される国内最大規模の洋菓子コンクール「ジャパン・ケーキショー東京」では、銅賞の受賞するほどにパティシエとしての腕をあげていきました。 ところが、順調にスキルを磨いていた頃、コロナが蔓延し始めました。 「今年もコンテストで頑張ろう!と思っていた矢先のことでした。全精力を注ぎたいと考えていたのですがエントリーは叶いませんでした…。でもその時、そのエネルギーをお菓子に関わる何か未知のことに向けたい!!と、気持ちを切り替えることにしました。それがチョコレートでした。」 コロナだからと凹まず、エネルギー転換をする。 全てのことにおいて、その転換が出来た人が成功を手にしているような気がしています。 「当時お世話になっていたパティスリーのオーナーシェフが、フランスのチョコレートメーカー『カカオバリー』が行なっていた、オリジナルチョコレートを作れるサービスシステム(オ・ル・ノワール)の提供を受けていらっしゃいました。そして、店独自のチョコレートを作っておられたことに強く影響を受け、チョコレートに大きな興味を持つようになりました。」 それは、パティシエとして扱う素材の一つ、チョコレートが特別なものに見えた瞬間でした。 けれども貴昭さんは、オーナーの真似に止まりませんでした。 自分のオリジナルチョコレートを作りたい! 「カカオ豆からチョコレートを作るbean to barに挑戦しよう!」 そう考えた貴昭さんは、” 将来は親の店を継ぎたいこと “ “ どうしてもbean to barに挑戦したいこと “ をオーナーシェフに相談をしました。 すると、理解をしてくれたオーナーシェフは、店の厨房を貸してくれ、同時経営をしていたカフェの一角で販売することを認めてくれました。 こうして夢への第一歩を歩き出した貴昭さんは、オリジナルチョコレートのブランド名を「チョコレート研究室」としました。 「ところで、なぜ、『研究室』と名付けたのですか?」 「カカオ豆からチョコレートへと加工する『bean to bar チョコレート』に挑戦したいと思ったものの、当時はそのやり方を全く知りませんでした。そこで『bean to bar チョコレート』の数少ない実践者(全国でも少ない)に教えていただいたり、独学をするなどして工程を習得していきました。同時に『チョコレート検定』にもチャレンジをしてカカオ豆の知識はもちろん、チョコレートの歴史なども学びました。カカオ豆の香りや味わいは、産地によって全く違います。それが、焙煎具合や洗練時間、副材料によって複雑に混ざり合った結果、芳醇な香りを作り出すことができます。学んでも学んでも、本当に奥が深い世界で、日々研究をし続けなければなりません。だから研究室にしました。」 なるほど…。 地道な努力を続けようとする、貴昭さんの決意の現れなのですね。 「たにふじ」に工場を作る! さて、帰郷した貴昭さんでしたが、「たにふじ」には製菓スペースがありませんでした。 保健所の許可を得るためには、料理をする厨房とは別に工場を作らなければなりません。 そこで、ご両親の許可を得て、亡くなった御祖父様の寝室を工場にさせてもらうことにした昭貴さんは、2022年4月、クラウドファンディングで資金を集めることにしました。 そして見事に資金集めに成功。 元寝室が、念願の工場に生まれ変わりました。 「室蘭にオープンされて5ヶ月ですね。チョコレート研究室を通して皆様に伝えたいことがあれば聞かせていただけますか?」 「実は、現在日本に入ってきているカカオ豆の産地はそのほとんどがガーナ産なのですが、カカオ豆は産地によって香りやテクスチャーが全く異なるのです。その違いを含めてチョコレートや産地に興味を持っていただけたら嬉しいです。それと、カカオ豆農場で働く人々の労働環境などを考えて、可能な限り正当な取引をしようとすると実はとても高価であることに気づきます。そういうことも含めて、チョコレートについての認識を新たにしていただき、チョコレート研究室を通してチョコレートの価値を上げていきたいと考えています。」 取材させていただき、チョコレートの社会問題をも含めたその深い歴史と、魔力とも言える魅力に満ちたbean to barに惹き込まれました。 そして、bean to barに取り憑かれた貴昭さんが、コツコツとひたむきにチョコレートと向き合う姿に、原点を知る人の真の魂を見た気がしました。 本物との出会いに感謝しながら、ショコラとコーヒーのジュレを堪能させていただきました。 ―チョコレート研究室情報― ※ 公開初日に「貴昭さん」のお名前を間違えて公開してしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
Rietty
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06/18(土) 景色がごちそう☆ “ モントーヤ “ ですごす ゆったり時間
温泉街から国道230号線を車で走ると、洞爺湖の上、畑の真ん中に突如現れる黒いコンテナ。 直線道路なので、気になりながらも通り過ぎ、農機具の倉庫かな?一体なんだろう?と気に留めていた昨年。 そんな、筆者のような読者の方もきっといらっしゃったことと思います。 そして今年、どうやらOPENしたらしい!との情報を得て、謎を解くべく取材をさせていただきました。 ↑この束石がポツネンとあるだけの国道からの入り口 ちょっぴり勇気がいる入り口からコンテナを目指して奥へ向かうと、そこには遮るものがほとんどない空間。 畑だと思っていたこの土地は、実は畑ではありませんでした。 周りを見渡して感動しました。 ぐるっと300度くらい見渡せます。 しかも、羊蹄山・尻別岳・ニセコ連邦・昆布岳・有珠山などなどが一望でした。 尻別岳 羊蹄山 取材に訪れたことをうっかりと忘れ、うっとりとゆったりモードにスイッチが入りそうになってしまったほどの眺望です。 「危ない 危ない」と、気を取り直して玄関に向かうと、思わず開けたくなる可愛らしい赤いドアがありました。 ↑入り口にメニューがあるのは安心します ↑ドアを開けると可愛いくて不思議でユニークなディスプレイ ↑厨房で忙しそうないずみさん こちらは、2022年5月にオープンしたカフェ&キャンプサイト “ モントーヤ “です。 札幌から6年前に移住して来られた オーナー 井上啓二さんと奥様 いずみさんが営むお店です。 実はお会いして驚いたことがありました。 ご縁というのは不思議なものだとも思いました。 ↑大きな窓からは遠くの山がよく見えます 奥様のいずみさんは2年前、筆者が企画したワークショップに参加してくださった4名様のうちのお一人だということ。 オーナーの啓二さんは、筆者がどうにも気になって気になって、何度も探しに行った洞爺湖畔の幻の珈琲ソフトクリーム屋さんのオーナーさんだったということ(数ヶ月で満足して閉店)。 そうだったんだ! そうだったんだ! このような形でお会いできるとは! と、敷地に入った最初から少々興奮気味の筆者…^^; 店内は、外からは想像できないくらい落ち着いていて、どこか懐かしい雰囲気の調度品が並んでいます。 ジャズが心地よく流れ、レコードジャケットやコレクションの古いカメラが並びます。 ↑筆者好みのアーティストとレコードジャケット ↑昭和感漂うレトロなコーナー。 「東京に居た頃は服飾デザインの仕事をしていました。いわゆるDCブランドの服です。札幌に戻ってからは、もともと好きだった馬の仕事に携わりました。馬の競りのためのプロモーションビデオを制作したり、牧場のWebを制作したりする仕事です。札幌競馬があるときは、競馬場で売店も営みます。だからまあ、そちらの仕事が本業かな。」 ↑こちらはオーナーの本業。代表取締役としての会社「inox」のwebページ なるほど…。 馬に関わる映像のお仕事と“ モントーヤ “の関連がいまひとつ見えませんでしたが、飲食業にはすでに携わっていらっしゃったわけです。 そして、奥様とのご縁も馬が取り持ったとか♡ ↑コンテナは雨よけにもなり、イベントなどのショップにもご利用いただけます。 1本だけ残したドロノキ(ヤマナラシかも)は、シンボルツリーになっています 「この5000平米の土地は、僕が買う前は何十年も手付かずだったそうです。太くなった木も草も伸び放題のジャングル状態。崩れ落ちた家もそのままで荒れ放題。呆然としてしまうような荒地となっていました。水道も通っていませんでしたので、大掛かりな工事になりました。途方に暮れるほどの手間を掛け、足掛け4年がかりで開墾していきました。」 「そこまで苦労して…。この場所の何にそんなに惹かれたのですか?」 「景色です。どこを見ても山があるこの景色を見ながら珈琲が飲みたかった。ただそれだけです。」 それまで、クールな面持ちで話をされていたオーナーの目が、ふっと力が抜けて優しくなった瞬間でした。 この景色を見ながら一杯の珈琲(お店の珈琲は札幌の有名焙煎ショップ「斉藤珈琲」の豆使用)が飲みたいというそれだけで、4年間も開墾をしてしまう井上夫妻がなんとも素敵です。 「でも、そもそも何故札幌から移住して来られたのですか?」 「きっかけはスイスを訪れたことでした。もう本当にスイスが素晴らし過ぎて、人生観が変わりました。ほんと、絶対に行ったほうがいい!」 この時のオーナーの目はキラキラに輝いていました。 そのご様子だけで、どれほどスイスが素晴らしかったのかが分かりました。 「帰国後、札幌に住まなくても今の仕事はできるよね?と夫婦で話すようになりました。その時の場所の候補は、北海道の都会ではない景色の良いところ、もしくは南阿蘇でした。 そうして洞爺湖畔に居場所を見つけ、その2年後、周りの山々が見渡せるこの場所が気に入り購入しました。」 それから、足掛け4年の開墾の日々が始まったのでした。 店舗は、コンテナ7つを繋げて造られています。 大きな窓の店内はオーナー自らがデザインされたもので、お気に入りの調度品は、山を楽しむためのレイアウトになっています。 「ところでメニューを見せていただけますか?」 とお願いし、見せていただいたのがこちら。なんと、絵本でした。可愛い〜♡ ↑画像はありませんが、珈琲おいしくチーズケーキが絶品です! ↑次回はこちらを食べてみたい! ↑生パスタも美味しそう〜♡ そういえば、入り口にも店内にも絵本が飾られていました。 てっきり、いずみさんのご趣味かと思いきや…。 なんと、「僕のアイディアです」と。 この時のオーナーはちょっとハニかんだ笑顔でした。 ↑思い切り照れたお顔で振り返ってくださったショット ところで、“ モントーヤ “ の “モン“ とは、フランス語で “私の”という意味だそうです。 つまり” 私の洞爺”。 それでも湖畔ではなく、300度にわたり遠くに山を望めるここを選んだのは、「ここで珈琲が飲みたかったから」。 ここがオーナーにとっての「私の洞爺」なのですね。 「洞爺湖も有珠山もいい。でも、ここから眺める羊蹄山も洞爺湖町のランドマークであって欲しいのです。阻害するものが何もない畑のど真ん中で、この景色を楽しみに来ていただきたいです。」 ↑キャンプサイトご利用の場合は店舗の玄関フード内のトイレが共用利用できます 今後は、プライベートキャンプサイトも整備して行くそうです。 ただし、利用できるのはオーナーの友達か、友達の紹介限定だそうです。 優しく尖った カフェ&キャンプサイト“ モントーヤ “。 広大な土地にポツンとコンテナは目立ちますが、素敵な隠れ家を見つけました。 ―モントーヤ情報―虻田郡洞爺湖町成香19営業日時はInstagramまたはHPをご確認ください。Instagramhttps://instagram.com/montoya_108?igshid=YmMyMTA2M2Y=HPhttp://montoya.jp/*イベントのご利用も可能です。HPのお問合せフォームよりご相談ください。
Rietty
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01/15(土) 横乗りLOVEたちに寄り添う本物の専門店 “ ローズミスト “
今回は、地域と横乗りをこよなく愛し、花を愛する” ローズミスト “ のご紹介です。 え? 花も? と思われた方。 実は” ローズミスト “の母体は ” (有)フラワーショップえいわえん “ です。 50年前、花屋さんからスタートした双子の日栄兄弟の趣味が高じ、31年前に作ったスポーツ部門が ” ローズミスト “ でした。 いまでは息子さんたちも、インストラクター仲間もいるので “ Team ローズミスト “ とも言えます。 ↑販売からインストラクター、そしてwebも担当されている息子さんとツーショット。 ところで、「横乗り」とは横を向いて乗るボードのことです。 スノーボード、サーフボード、スケートボードなどがそれにあたります。 ↑冬でもサーフボードがあります。 日栄兄弟が最初に始めたのはサーフィンでした。 当時は全国的なサーフィンブーム。 本場、神奈川県の湘南海岸から遅れること5年、イタンキビーチにもその流行がやってきました。 ↑イタンキビーチ すでに始めていた友達の影響もあり、日栄兄弟はサーフィンブームに乗りました。 その後、ゴミで汚れていたビーチをきれいに保つためと、海で遊ぶための安全対策とマナーを利用者に理解・協力してもらうために “ イタンキサーフィンクラブ “ を設立し、ローカルルールを作りました。 現在は会員の高齢化などもあり活動はほとんど休止しているそうですが、当時はサーフィン大会なども催すなどして地域を盛り上げていたそうです。 さて。 そんなTeamローズミストが今一番力を入れているのは、横乗りスポーツの安全な楽しみ方と上達への普及活動です。 そう、遊びではなくスポーツとしての普及。 ↑カラフルで高品質のウェアが揃います。 ↑小物も色々 ですから、仕入れから販売そして販売後のケアー(メンテナンスと育成)まで、一貫して責任を持って取り組んでいらっしゃいます。 特に道具への拘り具合は半端なく徹底しています。 ほとんど全ての商品を試乗し、「これは確かだ!」と納得したもののみ仕入れます。 少しでも納得できないところとは一切取引をしません。 なので、自ずと量産品からは遠のくことになります。 メーカーとも問屋とも、もちろんお客様とも信頼関係を大切にされているからこその企業姿勢です。 例えばスノーボード。 オガサカなどの国内ブランドを中心に、海外はヨーロッパの商品を扱っています。 スノースポーツをされる方ならご存知かと思いますが、オガサカの板はスノーボードもスキーも量販店では取り扱えません。 つまり、ローズミストはメーカーに選ばれた存在なのです。 今、盛んにSDGsが叫ばれていますね。 その17のゴールのうちの12「つくる責任つかう責任」にまさに当てはまる、双方の行動だと思います。 プラスして、売る立場の責任をローズミストは果たしています。 商品のラインナップは、どの横乗りマテリアルもビギナーからエキスパートまで、また乗りたい場所によってお客さまに寄り添い的確なアドバイスをしてくださいます。 それに特筆したいのは、今大人気のブランド「コルア(ポーランド製)」を全道一揃えていること。 性能抜群で、ゲレンデでもパウダーでもOKのスノーボードなのに、お手頃価格ということもあり、なかなか手に入らず、探している人も多い商品なのです。 それを知っているファンは、全道から集まって来ると言います。 ファンならば絶対に店頭にチェックしに行くべき! ↑今、物凄い人気のスノーボード「コルア」の板 そして! サーフボードについては、ローズミストでお買い上げの方には「サーフィン無料レッスン」の嬉しい特典付きです。 実は筆者も利用させていただいております。 ↑波の読み方、選び方のレクチャー さらに! スノーボードをお買い上げの方には、「お買い上げ時無料ワックスサービス」もあります。 ↑ワックスの品揃えも豊富 しかも! ローズミストはJSBA公認のスノーボードスクールでもありますので、確かな技を持つ、プロのインストラクターのレッスンを受講できます。 確かな道具選びから、安全に横乗りを楽しむレッスンまで。 海や雪山利用のマナーも含めて指導をしてくださいます。 一貫した責任を持って、お客さまに寄り添う頼りになる兄貴たちなのです。 ↑右が社長の日栄 毅さん。左は店長の均さん。 そうそう! スケートボードのことも忘れてはいけない! ↑スケートボード。このほかにも色々あります。 元々、スノーボードの夏トレのために導入したスケートボードでしたが、ここ20年くらい若い世代を中心にスケボー熱が高まっていました。 ただ、どうしても「やんちゃな遊び」のイメージを超えていない。 それを危惧したTeamローズミストは、「やんちゃな遊び」から「マナーを守るスポーツ」への昇格を期待して、スケートボードパークの造成に向けて奔走しました。 そして出来たのが室蘭中央町にある「レインボーパーク」。 2021年の東京オリンピックでの選手の活躍により、さらにスケボー熱が高まった昨今の課題を伺ってみました。 「もっと広い場所で、あらゆる志向の競技者が練習できる施設を造れないかと室蘭市にも働きかける準備をしています。最大のオリンピック効果は親の理解と協力が発生したことです。 今後は、プロの指導者も必要ですよね。」 施設のお話は、さらに室蘭だんパラスキー場へも繋がっていきました。 http://www.muroran-resort.sakura.ne.jp/mysite1/index.html 皆様もご存知かと思いますが、ここのところ何年も室蘭だんパラスキー場の存続の危機が叫ばれています。 それに真っ向から立ち向かい、存続のための運動を始めたのもTeamローズミストでした。 何を隠そう、北海道ではまだ何人もスノーボードをする人がいなかった時代から、Team ローズミストはこの室蘭だんパラスキー場を拠点に、スノーボードの安全な普及に取り組み、近隣のローカルスキー場の発展に寄与してきたのです。 「室蘭の中心部から車で10分のアクセスでスキー場を利用できるというのは、とても素晴らしいことだということを広く近隣の皆様に知っていただきたいと思っています。 北海道から他所の都府県へ出て行くと、『北海道の人はスノースポーツが何でもできるんでしょ。』と言われることが多いです。 ところが、意外とそうではなかったりします。 雪が魅力の北の地に生まれた者としてスノースポーツを何も体験せずに巣立っていくのはとても残念なことです。 だから、スノーボードスクールを経営しているという立場だけでなく、広く地域の子供たちが利用できる『教育施設』としての位置づけで僕らは捉えて守ろうとしています。それに、「だんパラスキー場」には近郊にはないナイター設備もあり、夜22:00まで営業をしているのですよ! 仕事や学校の後でも気軽に行ける距離です。 もちろんルスツリゾートやニセコリゾートもありますが、夜に車を走らせて行くのはなかなか辛い。でも町から10分で着くのですから安心して楽しめる本当に貴重なスキー場なのです。 無くしてしまってはダメなんです! 存続を願って、3万人以上の署名も集めました。 室蘭だんパラスキー場は、地域の財産であり室蘭の大きな魅力でもあります。 一度潰してしまったスキー場は、2度と復活できません。 莫大な費用がかかるからです でも今なら工夫をすれば維持できます。 このスキー場が気に入って移住して来る人もいるのですから。絶対に残さないと!!」 このお話には激しく共感します。 実は筆者も室蘭だんパラスキー場の大ファンです♡ 親の立場から言えば、下から全てが見渡せるので安心して子供だけで滑らせられます。 我が子もここからスタートしました。 スキー指導者の立場から言えば、初めてのスキーの方には最適な斜面ですし、基礎練習にも最適です。 また、駐車場からすぐのところにリフト乗り場があるのも嬉しいですし、夜景や海が見えるロケーションも最高です。 こんな素敵なスキー場を無くすなんて考えられないことです。 純粋な地域愛溢れる日栄兄弟を中心としたTeamローズミストの皆様の想いが、どうか「いらない!」と言っている皆様に届きます様に…。 さて。 最後に今後のイベントスケジュールについて伺いました。 *2月13日(日) 13:00~15:00 室蘭だんパラスキー場にてJSBAスノーボードの無料レッスンがあります。 詳しくは、室蘭市広報をご覧ください。 ↑前回の無料講習会の様子。 *今年の夏にローズミストビーチクリーン作戦を予定しています。 *そして、Uターンで室蘭に戻って来られる息子さんがパーソナルトレーナーとして起業予定でもあります。 道内屈指の横乗り専門店「ローズミスト」。 『室蘭だんパラスキー場』存続も含め、本物のShop・本物のスクール・本物の地域愛に惚れた一人として、筆者自身も引き続き応援したいと思います。 皆様も是非お店を覗いてみてくださいね。 そして、冬&夏の横乗りにチャレンジしてください。 Teamローズミストは、親切丁寧フレンドリーな接客で、皆様をお迎えしてくださるはずです。 ―Rose mist(ローズミスト)情報― 北海道室蘭市東町2丁目6−6 Tel/Fax 0143-84-1991 代表取締役 日栄 毅 店長 日栄 均 HP https://rosemist1991.wix.com/snow-surf-skate FB https://www.facebook.com/rosemist1991 Instagram Rosemist_snow.surf.skate.shop Twitter @Rosemist_Shop オンラインストア https://rosemist.storeinfo.jp/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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07/15(月) 【あの人に会いに】"今” やってみる [田中イェイツ養子さん/豊浦]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.5 今回は、豊浦町の 『パン・菓子工房mem』 田中イェイツ養子(やすこ)さんです。 シュタイナー教育に惹かれ、豊浦町へ 養子さんは伊達市大滝のご出身で、ご実家は有機栽培の『アンパン&やんま農場』。大滝の大自然の中で育ち、高校はシュタイナー教育*を実践する『いずみの学校』へ進学しました。(当時はNPO法人、現在は高等専修学校。) 卒業後は国内外様々な場所で暮らしたのち、オーストラリア人の旦那様とご結婚され、出産。長女の成長を見守るうち、シュタイナー教育* が合うかもしれないと感じたことがきっかけとなり、豊浦町に移りました。 ご自身も通ったうえでお子さんの進学先にも選ばれたことは、母校への信頼を感じますが、当時はどのように体感されていたのでしょうか。 「一番記憶に残っているのは、先生方のこと。先生って子ども達のことをこんなに想ってくれているんだ!と。反抗期でトゲトゲしていた中学時代を経たというのもあると思うけど、”先生方って良い人なんだ”って気付けたというか……」 ちなみに、当時の先生方の多くが、今もいずみの学校にいらっしゃるそうです。 「授業もおもしろかった。覚えているのは、いろんな職業の人が来て、話を聞く授業。牧師さんとか、議員さんとか」。養子さんはいずみの学校の”第1期生”! 当時は高等部の保護者が毎春、校舎を作りに行っていたとか。さすがは『親と先生でつくる学校』ですね。 *シュタイナー教育とは……哲学者であるルドルフ・シュタイナーが提唱した、個性の尊重を重視した教育法。子どもの心身の発達を7年間のまとまりとして捉え、それぞれの年齢に応じた環境を準備し、ふさわしい働きかけをする。芸術作業を取り入れていることや、15年の一貫教育や8年間同一担任などが特徴的で、子ども自身の中にある学ぼうとする意欲を引き出しながら、人間の『意志、感情、思考』をバランスよく育んでいく。ドイツを中心にヨーロッパやアメリカなど世界60カ国、1000校以上が実践し、約100年もの歴史がある。 子育て真っ最中の姉妹がつくる、パンとお菓子 工房にあるお庭からは、いつも子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきます。 『パン・菓子工房mem』は 養子(やすこ)さんとお姉さんの文(あや)さん、 子育て真っ最中の姉妹で営まれています。 養子さんは3歳~8歳の3児の母、 文さんは11歳~21歳の4児の母です。 養子さんが豊浦に移って来たタイミングで、先に豊浦に住んでいたお姉さんと一緒に何かしようか、と始まりました。元々趣味でパンを焼いては友人知人にふるまっていたところ評判が良く、「売れるよ!」と声をかけてもらっていたことも後押しとなりました。 起業という選択、全てが自分次第に パン・菓子工房を始める際に、夫婦で会社を立ち上げることを決意。2022年、34歳の頃でした。国内外を大移動され、様々な経験をされてきている養子さんですが、直近のターニングポイントはこの『起業』だそうです。 「それまでは雇われてきたけど、自営になると全部自分の責任になるから。誰にも何もなすりつけられないし……やるもやらないも自分次第」 当時はまだ赤ちゃんを抱えながらの起業でした。「思いたったら即行動してるかな、後回しにしたら後悔するから」。起業の準備期間が子ども達の入園・入学と重なってしまったそうですが、それでも「子どもを言い訳にしない、絶対やればできると思っていて」と言う養子さんは乗り切りました。 「はじめた頃は(パンをつくるのも)子どもが寝たタイミングで!みたいな感じだった」。現在も、3歳の末っ子がいつも一緒です。 天然酵母でつくるパン memさんのパンは自家製の天然酵母でつくられています。イーストではなく、植物や果物からおこした酵母がパンを膨らませてくれます。 「カフェで働いていたときはイーストで作っていたけど、酵母がおもしろくて。その辺に生えているもの、庭のミントやオレガノなどから酵母がおこせるのが面白い!」 酵母の起こし方は、密閉容器に水と果物や植物を入れ、温度管理をして見守るだけ、といたってシンプル。ですが、酵母は生きていて、奥が深いのです。 「面倒を見れば見るほど元気になったり、でもいじりすぎてもダメだったり……。常に気にかける」。家を空ける時は一緒に連れて行ったりもするそうです! memさんのパンを手にとられた際には、ぜひ手塩にかけられた酵母たちにも想いを馳せてみてください。 今後の展望をお聞きすると、「工房での対面販売をオープンしたい!」とのこと。 現在の対面販売は、事前予約制の定期販売のみ。曜日が決まっているので、気になる方はお電話にてお問い合わせください。 【パン・菓子工房 mem】 北海道虻田郡豊浦町船見町127-13 お問い合わせはお電話にて:0142-82-7739 <<委託販売先>> ・天然豊浦温泉しおさい(豊浦町浜町109) :金曜日PM ・天花地星(伊達市末永町58−1) :火曜日PM ※ 日時は変更することがあります。 <<週末イベントに出店することも!>> インスタグラムで都度お知らせしていますので、 ぜひフォローしてチェックしてください。 ↓ ↓
misaki
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08/02(火) 今と未来への想いを商品に架ける
ファッションと自然素材の店『eco moko.u』(エコ・モコ・ユー)が目指すもの 2022年7月1日にグランドオープン! 今回は、6月1日よりプレオープン、7月1日よりグランドオープンをされた『eco moko.u』を訪ねました。 オーナーは西條恵子さんです。 「ビオプラス西條デザイン 伊達支店」の事務所内に開店されました。 もう25年も前から「素敵な店舗だなあ〜」と思っていた筆者でしたが、ようやくその中に入ることができた日となりました ^^ 恵子さんは静岡県沼津市のご出身。 三人のお子様を持つお母様でもあります。 子育てをするうちに、だんだん健康や環境への興味が増していくのを感じていたと言います。 年間約15億着もの衣類が廃棄!? 「一番下の子が小学校に上がった7年前までずっと専業主婦でした。アパレル関係の仕事を始めた頃からエシカルへの興味が膨らんできました。日本では1年間で約29億着の衣類が供給され、半分以上の15億着が廃棄されているとも言われています。その現実を知り、私なりにそれを生かす術はないものかと考える様になりました。」 なんという数字でしょう!! しかも先進国の中でも多い廃棄量らしいです…。 廃棄された衣料品の行方は ウエス、半毛綿(フェルト、綿)などの 原料になる 中古衣料品としてリユースされる 焼却・埋め立て処分される ですが、実はリサイクルやリユースされるのは全体の34%で、残りの多くは焼却や埋め立て処分されているのだそうです。 このことは世界的な問題になっており、国によっては衣料品の廃棄処分を禁止している国もあります。 またリユースについても、衣料廃棄物の海外輸出が、環境汚染や自国の衣料品メーカーへの影響など、新たな問題を引き起こす原因となっているとも言われています。 これらのことはなんとなく知ってはいたものの、この驚愕的な数字を見ると、消費者としてこのままにしてはいけないという気持ちになります。 少なからずも、自分もその原因を作っていた一人ならば、何か行動を起こさなくては!と恵子さんのように考えてしまいます。 商品選びの4本の柱 大量廃棄を防ぎ、おしゃれを楽しむセレクトショップ オーガニックやコットンなどのできるだけ肌にやさしく環境に配慮された衣類やアイテム 日常の暮らしの中に取り入れやすい身近な自然素材の日用品や雑貨 できるだけ無添加や化学調味料等を使用していない身体にやさしい食品 「子どもたちがこれから暮らしていく未来や社会が健やかであるようにとの願いがこもっています。大切な家族や大切にしているものを守りたいという気持ちは誰にでもあるものだと思っています。理想の姿をイメージできても、なかなか行動には移せないものですよね。 でも何かしなければ!という想いを持っている方はたくさんいらっしゃると思うのです。 『eco moko.u』との出会いが、その想いへの第一歩になれたらいいな…きっかけになれたらいいな…。そんな風に思っています。」 ただ一つ、筆者には気になることが…。 「エシカルを意識して暮らすこと、購買をすることが、環境にとっても生産国の労働対価の側面でも大切なことは理解していますが、値段を見ると続ける自信がなく躊躇してしまう…というのが課題のような気がしています。意識だけでなく行動をどう変化させていくか?その点はどのように考えていらっしゃいますか?」 「それはすごく良くわかります。私も専業主婦でしたし、子どもが3人おりますし。ですので、商品選びには先ほどの4本の柱はブラさず、主婦目線も忘れずに、自分で使ってみて良い!と思うもの、お値段も手頃なものを選ぶようにしています。そうすることで、無理なく毎日の生活の中に取り入れていただけるのではないかと思っています。」 家族の健康を守りたい!と強く思い、家計を守らなければ!と強く思う主婦目線で選ばれているということはとても安心します。 いえ。 誤解があるといけません。 主夫だって同じですね。 あ。 なにを隠そう、筆者の家庭の場合がそうです ^^; 「健康」と「家計」を守る主婦目線で選んだ商品たち さて。 “ 百聞は一見にしかず ”ということで、商品を拝見させていただきました。 フェアトレード商品に敏感なファンを多く持つ「People Tree」の商品の一部です(左下の2点)。 フェアトレード商品は、作り手の方にとって適正価格で取引がされています。 スタイリッシュで色も綺麗な大人気商品。目指せ脱ペットボトルの魔法瓶です。 すでに何度も仕入れをされているそう。 今や入手困難のバンブーファイバーで作られたカップ。色がとても美しくお洒落です。 アップルレザーなるものが存在することを恥ずかしながら知りませんでした。 林檎に留まらず、色々な果物の搾りかすや皮などの繊維を加工した合皮素材で作られています。とても軽くて柔らかく、触り心地もまるで皮革製品の様。 『eco moko.u』には、動物の皮革製品はありません。 シューズやサンダルも同様に皮革製品ではありません。 とても履き心地が良く、筆者は右側の白いサンダルを購入しました♪♪ こちらのサンダルと迷いました ^^; 甲高だん広な足にもとても楽でした。 こちらのシューズは一部再生ペットボトル繊維からできています。軽い! 布バッグの持ち手などに使われる手芸用リボンテープは、半端に残ったものなど(時には一巻ごと)捨てられているのだそうです。それを使ってバッグが作られています。 燃えている時の煙が健康を害さない材料で作られています。あえて香りの無いタイプ。 まだまだ沢山ありますが、それこそ ” 百聞は一見にしかず “で実物を店舗でご覧くださいね。 あ。 そうそう!最後に! 食品もあるのです。 あとは、店頭で〜。 「ところで、店名の由来を教えていただけますか?」 「こどもたちの名前なんです。 momoko、koudai、yudaiということで『eco moko.u』です ^^」 なるほど。 環境問題に興味を持たれたのがお母さんになられてからというお話しに繋がりますね。 「さて、まだオープンされたばかりですが、今後の展開のご予定について何かありましたら教えていただけますか?」 「衣類に関してはメンズ商品も増やし、環境負荷の少ない洗剤・シャンプー・リンスなども取り扱いたいと思っています。また、今後注目されるであろうヴィーガンレザーなどの商品ももっと仕入れていきたいと考えています。」 今でもお手頃価格で魅力的なラインナップですが、今後はさらに豊富な品揃えになるようで楽しみです。 「私自身学びながらの毎日ですが、購入した人も作った人も販売した人も、誰もが納得して幸せになれる社会になることを心から願っています。これからも等身大の自分で、エシカルな商品を揃えて発信していきたいと思っています。」 柔らかい雰囲気の恵子さんが、キリッと、キッパリと話してくださったお話が心に響きました。 eco moku.u 情報 住所 伊達市舟岡町50-28 電話 0142-22-0624 OPEN 11:00~18:00 定休日 日・月・木・最終土曜日・祝祭日 Instagram https://instagram.com/eco_moko.u?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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11/26(土) “食でみんなを幸せにしたい!” 前進する人『マルクマ』代表 福島嘉菜恵さん
初めてお会いした時の印象は、元気一杯な女子高生の様な方! ところが一旦お話が始まると、とても芯が強くて温かく、嘉菜恵さんが居るだけでその周りに明かりが灯るような魅力を持つ人だと感じました。 今回は、和漢薬膳『マルクマ』の代表、福島嘉菜恵さんにお話を伺いました。 嘉菜恵さんは、室蘭ご出身の33歳。 女の子のお子様を持つシングルマザーさんです。 高校ご卒業後、家電量販店、携帯電話会社に勤めていらっしゃった期間は7年間。 その後、一念発起して飲食業の世界に飛び込みました。 最初に働いたのは石垣島の民謡居酒屋。 そこで、嘉菜恵さんの生き方を決定づける出会いがありました。 「その店は観光客の方も多くいらっしゃるところでした。ある日、お母様と娘さんのお二人が訪れました。実はそのお母様は余命1ヶ月を宣告されていました。少しでも多くお母様との思い出を作りたいと、娘さんが企画した旅行でした。そのお二人が、嘉菜恵さんが働いていた民謡居酒屋でとても美味しそうにお食事をし、とても楽しそうに過ごされている様子を見て、『食をこのように楽しんでくださる方を増やしたい!私は飲食業が天職だ!!』 と気づきました。食を通して人を幸せにしたい!と思ったのです。」 そう語る嘉菜恵さんの明るく幸せそうな笑顔が、その言葉よりも、筆者にとっては印象的でした。 ご本人は気付いていらっしゃらないかと思いますが、きっと、そのお二人は、お店もお料理もさることながら、嘉菜恵さんに出会えたことに幸せを感じられたのだと思います。 嘉菜恵さんは、そこにいるだけでパッと周りを明るくするエネルギーをお持ちです。 さて、石垣島には2年の滞在で故郷室蘭に帰ってきました。 その時、タイミングよく室蘭焼き鳥の新店が出来、ご縁あってそちらに就職、頑張りが認められ店長にもなりました。 「娘の小学校入学に合わせて独立をしたいと考えていましたので勉強もしていました。元々東洋医学や中医学に興味があったため、通信教育で『和漢薬膳師』の資格も取得しました。独立については働いていた焼き鳥屋のオーナーさんも応援してくれましたので、2022年3月に退職、5月には独立しました。」 「けれども独自の店舗はすぐには持てませんでしたので、知り合いの店舗が休みの時にお借りするなどして営業をし、イベント出店をするなどしていました。いつもいつも周りの人に助けていただいて、本当に感謝してもしきれません。」 このスピード感と突進力! 素晴らしいです。 そしてお話し中、何度も何度も周りへの感謝を口にする嘉菜恵さん。 その姿勢が周りに人を呼ぶのですね。 実は、筆者も飲食業をしていましたので分かりますが、他人に店舗を貸すというのはとても不安があると思います。 それを越えて、なんだか応援したくなる! 協力したくなる! 嘉菜恵さんにはそういう魅力があるのでしょう。 そういう仲間を持てるというのは、嘉菜恵さんのお人柄がなせる技です。 「ところで、改めてマルクマさんが提供されているメニューについて教えていただけますか?」 「和風薬膳の考えを取り入れ、二十四節気の分類に応じて、季節ごとに身体に合った食材を取り入れています。例えば、これからの季節は体を温める効果がある南瓜などを使います。実は、人って知らず知らずに体が欲しているものを食べているものです。ですから、それらを体が欲する意味も含め、一つ一つの食材の価値をお伝えしたいと考えています。同時に、地産地消も目指していますので、生産者さんの想いも届けていきたいと思っています。」 なるほど。 体が欲している食材の意味や価値を知ることで、食の大切さに気づくことができますし、食材への感謝も生まれますね。 それに何より、食が楽しくなります♪ さらに勉強熱心な嘉菜恵さんは、『地域フード塾』にも参加し、メニュー開発やマーケティングの勉強も現在進行形でされています。 『地域フード塾』の仲間たちと先輩。 切磋琢磨でき、協力できる仲間がいるということはとてもありがたいことです。 実は、『地域フード塾』で学び得た知識やノウハウで、現在保存食を開発中です。 それは “ 災害食 “。 来年、発表されるそうです。 こちらも楽しみ! 「そういえば、以前は違う屋号でしたよね?お名前を変えた経緯と、今のお名前の由来を教えていただけますか?」 「以前は『薬膳ごはん iroha』という屋号でした。Iroha=いろは は実は娘の名前です。何度か会話の中で紛らわしいということもあり、改名を考えました。『マルクマ』の『マル』は、薬膳の考え方の基本である『気・血・水』のめぐりを円(丸)で表すことになぞりました。『クマ』は店として、店のキャラクターがあれば覚えていただけるかな?と、北海道らしい『クマ』にしました。」 たしかに、覚えやすい名前ですね。 というよりも、このロゴマークで覚えてしまいそう。 ただ、薬膳には結びつかない気はしました。 でも、それについては心配無用でした。 とても精力的に各種イベントに出展されていらっしゃり、いまやこちらから頼まなくてもあちこちからお声が掛かる様になりました。 それは、嘉菜恵さんが『マルクマ』のキャラクターそのものになっていらっしゃるからなのでしょう。 さあ! そしてついに自店舗を持つことになりました! 12/12 室蘭市中島町にOPENです! オープニングメニューは〜 ・お粥と季節のカレー ・おばんさい ・日本酒 *実は日本酒の勉強もされていました。本当に勉強熱心です。 そして、マルクマさんが関わっている年内のおすすめイベントはこちら〜⭐︎ 開催に当たっての主催者の想い↓ ━━━━━━━━━━━━━━━ 世間では子ども食堂と聞くと、経済的に困窮した家庭の子どもが通う場 所というイメージが定着することを、危惧しています。なぜなら、そのようなイメージの定着は、本当に支援を届けるべき子どもたちを 子ども食堂から遠ざけてしまう場合があるからです。 子ども食堂は、家庭の経済状 態に関わらず、全ての子どもが気軽に立ち寄れて、お腹いっぱい食事 を食べて、おしゃべりをして、自分らしく楽しい時間を過ごせる場所であるという共通の認識を、地域の中で育てる必要があると感じています。子どもたちの未来のために、子ども食堂=貧困支援というイメージを大胆に変えていくための行動が、今こそ必要だと痛感しています。 ━━━━━━━━━━━━━━━ この想いに深く共感をした嘉菜恵さんは、このイベントの食堂ブースのリーダーを任されました。 「食で人と人をつなげたい!」 「食は人を幸せにできる!」 その信念のもと、嘉菜恵さんは今日も笑顔全開で走り続けます! ―マルクマ情報― 店舗 12月12日OPEN! 住所 室蘭市中島町1丁目16 詳しくは今後のInstagramの発信をご確認ください。 Instagramはこちら
Rietty
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