おはようございます♪
ふと考えてみた…
私は18歳で高校を卒業した後、すぐにホテルマンになりました。
現在の「ザ ウインザーホテル洞爺」になる前のまだバブルが崩壊する前に誕生した高級リゾートホテル『APEX Resort TOYA 』に入社したのでした。


オープンして4年後に今の「ザ ウインザーホテル洞爺」に改名して1年間、合計5年間その高級リゾートホテルで働きました。
日本の経済はバブルが崩壊して拓殖銀行いわゆる『たくぎん』が破綻したためにその子会社になっていた当時の「ザ ウインザーホテル洞爺」も倒産したのでした。
そんな時、私の師匠の安住さんが『磯辺、一緒に農業しないか?』というお誘いを下さり、私は師匠のお誘いだったので即答で『はい!』と返事をしたのです。

そして当時の洞爺村へ春からの約1年間(雪が降るまで)の期間を毎日畑へ行って農作業の勉強をさせていただいたのです。
雪が降り、春までの期間何もすることがない期間があったのですが松永耕作さんという伝説のバーテンデーからの『磯!お前が手伝ってやれ!』というご指示で伊達市内バーに雇われ店長として手伝いに行ったのです。
今のアコースティックバー『KANZY』になる前の前の店の時です。
なので実はいつもKANZYでギターを弾いて唄ったりしているのですが20年近く前にあのカウンターでシェーカーを振ってカクテルを作ったりしていた時代があったのです。
そしてそれと同時期に同じく日頃お世話になっている方から『漁師の仕事を2ヶ月だけでいいので手伝ってやってくれ!!』と懇願されて毎朝浜へ漁師の仕事を手伝いに行っていたのです。
なので早朝から夕方まで浜で漁師の仕事を手伝って夜19:00からはバーに出向いて雇われ店長をして25:00まで働いていたのです。
両方とも私が志願したワケではなくてお世話になっている方からの『手伝ってやれ!』のお言葉の通りに活動したのでした。
まさに今の私のポリシーの1つ『頼まれ事は試され事』の実践でした。
そして農業の道からやっぱりホテルマンという道に戻るように師匠の安住さんに言っていただいたので今のホテルに入社して20年が経過しました。
ホテルマンとしては25年間で今のホテルでは20年間です。
そう、20年。
1日も欠勤なくひたすら頑張ってきました。

 

有珠山の噴火や東日本大震災、そして北海道胆振東部地震なども今のホテルで勤務している時に経験したのです。
元々伊達市には親戚や友人知人など誰1人として知り合いもいなくポツンと1人でやってきた場所でした。

今ではおかげさまでたくさんのお客様や友人、知人、恩人ができました。
26年もここの地に来て働いているんですから…
44歳なので人生の半分以上も伊達で過ごてきたのです。
そしてふと思う事。
この先どうする?

 

俺。
そんな事をふと思ったのでした…
今日も1日頑張ります!
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