ブログ閉鎖中の話題(2017年7月12日)

梅雨の合間を縫って、学生時代の友人達と御茶ノ水駅から水道橋駅までの裏通りを歩く企画をした。そして案内を出したら、暇人の5名が参加してくれた。
この辺りは大学が多い場所なので、友人達も馴染みがある。


右手はJR御茶ノ水駅 。 聖橋下の歩行者用トンネル。


午前10時30分にJR御茶ノ水駅に5人が集合して、すぐに歩き始める。
神田川に架かる聖橋(通称・眼鏡橋)を撮影する予定だったが、大規模な修理工事がまだ終らず、橋は工事用のパネルで隠されていて全く見えない。
仕方ないので、道路側の橋の下のトンネル撮影で我慢する。


ニコライ堂。


次は駅からすぐのニコライ聖堂の見学である。この教会は日本では珍しいロシア正教で、1891年にロシア人のニコライにより聖堂が完成した。早速、教会内を見学しようと入口に近付いたら貼り紙があり、「見学は13時から」と書かれていてガッカリ。
諦めて、次に進む。この辺りは商店も無いので、落ち着いた雰囲気である。


大学通りはヒッソリしている。


坂を下り靖国通りを突っ切って、古本屋街の裏通りを歩く。
「すずらん通り」を歩くと老舗の飲食店が多く、文士が愛した天婦羅屋とか、冷やし中華発祥の店などがある。
本屋の入り口に同級生の作家である嵐山光三郎くんの、新刊書記念対談の看板を見付けた。


すずらん通りの天婦羅屋「はちまき」は昭和6年(1931年)創業。


また靖国通りへ出て、昼飯には少し早いが「ランチョン」で食事とする。
ここは私の女房が子供の頃に父親に連れられてよく来ていたという店で、店は新しいビルになっていたが、店内は当時の木の床をそのまま貼っていていい感じを出している。
バーカウンターや壁の飾りなども昔のままで嬉しくなる。
ランチに食べた「メンチとグラタンセット」は格別に美味しかった。


裏通りにもある古本屋。          本屋で見付けた新刊記念対談のポスター。


食後はまた裏通りに入り、御茶ノ水小学校脇を右に曲がる。
この小学校は夏目漱石が卒業した学校だそうだ。
その先に豊島屋本店がある。ここは清酒「金婚」で有名で、醸造工場は村山市にあり、別会社となっている会社の社長は同じく今回の仲間の同級生である。
店に入り親戚関係に付いて事情を聞いたが良く分からないので、家に戻ってからメールで同級生に問い合わせをしている。


冷やし中華発祥(昭和8年)の店「揚子江菜館」。


更に裏道を進み、「山の上ホテル」に到着する。
ここは4年前に火災になり規模を縮小した。少々、疲れた我々はロビー横のカフェで休憩とする。1時間以上も寛いでから、最後の目的地の水道橋駅に向かう。

思い掛けない場所に出現した急勾配の「女坂」を下り記念撮影をした後に、水道場所駅で解散となったが、暑くて湿度が高い中でジジイ達は良く頑張ったが、「7月と8月はお休みにしよう」という結論になったのである。


キッチン「ランチョン」。         ランチョン店内のバーカウンター。


それでも東京から嫁をもらい、そしてそれを機会に東京人になろうと頑張り、遂には東京のド真ん中の中央区に住むようになったのであるから、人生はなんて不思議なものだろう。
同級生でJR中央線の駅で立川駅から更に先に住む友人達は「多摩格差がある」と嘆く。
一番感じるのは「立川駅で美人はみな降りてしまう」と言うから、本当かな?と思っている。


「山の上ホテル」


(おまけの話)
私が育ったのが小金井なので、実は東京の田舎者なのである。
中学から通った学校は国立にあるので、友達は殆どが多摩地区の住民である。
だから今頃、私が東京通と言っても、元がバレているので尊敬はしてくれない。


「豊島屋本店」。1596年創業。   明治神宮のお神酒はこの店が納入している。


築地問題が都議会選挙の最大の争点だと私は思っていたら、多摩に住む友人は「違う」と言う。彼の話から最大の争点は「子育て」、「老人介護」だと知り、少し驚いた。
選挙の結果はともかく、私は多摩格差を感じている友人達の為と、自分の健康の為にこれからも「都心を歩く会」を続ける。私でも、東京にはまだまだ新しい発見がある。


「女坂」はもの凄い急坂。近くに「男坂」もある。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

    Shinji
    Shinji

    ランチョン、揚子江、すずらん通り、神保町、お茶の水に水道橋、みんな子供の頃に連れいってもらったり、少し大きくなってからは、一人で歩き回っていた界隈です。懐かしさが溢れます。

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