日本人は、"8"という数字を好む傾向が強いようです。「八」の形状が「末広がり」になっていて、幸運を意味するから…と言われています
が、実は古代から八を神聖な数字とみなすしきたりだったようで、事実、日本最古の歴史書と言われえいる「古事記」には、1~10までの数字のうち八が最も多く登場します。

例えば、日本の事を「大八洲(おおやしま)」といい、神々は「八百万の神」と表現されます。また、スサノオノミコトは「八岐大蛇」を
退治し、天照大神は「八柱の神」を生み出しています。イザナギとイザナミの住居は「八尋殿」と言います。

こうした神話に基づいたのか、皇位継承の際に代々伝えられている三種の神器は「八尺瓊勾玉」「八咫鏡」と八の数字を冠していますし、
もう一つの「草薙の剣」も、元々は「八重垣の剣」といいますから、本当は全て八が冠されているそうです。

「古事記」が編纂されたのは奈良時代のようですが、この時代に八が神聖な数字とされるしきたりがあったらしい事が分かります…。八を
神聖視していたなごりが見られるのは「古事記」だけではなく、古代の王や権力者たちも八を神聖視していたようで、墳墓からもその様子が
伺われるらしいです。天智天皇をはじめ、天武、持統、文武等の歴代天皇の墓は八角形です。天智天皇の古墳は京都の山科にあって、上円下
方墳と言われますが、上円部は八角形をしています。天武天皇、持統天皇の墓は2人の合葬墓で、奈良県明日香村にありますが、こちらも堂
々とした八角形ですわ…。

聖徳太子も八を好んだ人のようで、聖徳太子が建立したとされる奈良県斑鳩の法隆寺夢殿は、八角形をしており、兵庫県太子町の斑鳩寺聖
徳殿奥堂は、夢殿を模して八角形に造られています。京都太秦の広隆寺桂宮院は、聖徳太子像を祀っていますが、ここも八角形をしていて、
聖徳太子に所縁のある建造物には八角形が多い…。

八角形の建造物を作るのは、四角形の建造物を作るより難しいと思われますが、何故、聖徳太子は八角形にこだわったんでしょうかね?一
説には、仏教の影響が考えられます。「三十二相」や「八十種好相」等、仏像を作る時には八の倍数がよく用いられますし、仏教を深く信仰
していた聖徳太子は、そのしきたりに従ったんでしょうかね?真相は分かりませんが、日本人が8を幸運の数字として好むのは、古代からし
きたりとして根付いていたようです。


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