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礼文島と焼尻島

最近、アイヌ民族の伝説にハマってまして…北海道の北の果て、宗谷岬の横と言えばいいのか?日本海側というのか、礼文島と焼尻島…この
島って、北海道で唯一の国際空港のある千歳市の山だった!という伝説があるらしいです。

昔、現在の千歳市の街の中に、大きな山があった…ある年その山奥で地殻変動が起きて、大陥没が起こり、その跡に泥水が渦巻いて大きな湖
が出来た…この激動で太平洋岸では大地を削るような大津波が押し寄せて来て、千歳付近の山々が洗い流された…その時現在の千歳神社の所に
あった大山がもぎ取られて、泡立ちながら押し流され、千歳川をグングンと流れ下って石狩の長沼町にあった山にぶつかり、それを横向きにね
じり倒したので、サマッキヌプリ(横になった山。現在の馬追山)と呼ばれるように曲がってしまったという…。

流れに下った山は石狩川の流れに沿って海に出て、日本海岸の上に漂い、更に北上して、現在の利尻島のところに引っかかっり、ついに利尻
島になったんだとさ…この利尻富士のあった所を現在もアイヌ語でコルエトエヒと呼んでいるのは、丘の切れた所という意味であるそうです。

この他に焼尻島も同じように、津波によって千歳にあった山が切れて漂流し、流れ流れて天塩の海岸の沖に行って止まったそうなの…焼尻島
の場合は、千歳の奥の山中で陥没があり、支笏湖が出来、太平洋から押し寄せた津波で山が切れて、日本海に漂っていたものだそうで、その時
山が流された跡が溝になって、江別川が出来たらしい…。

また礼文島も、昔千歳にあった山が、支笏湖の水が溢れて洪水になり、それに押し流され海に漂い流れて行って利尻島の北に留まった…。こ
の時、利尻島に女の神がいたのだけど、流れて来た礼文島に男の神が乗っていたので、驚いて恐れて逃げ出し、海を走って更に北のサハリン
に行き、突岨(トツソ)という山になったと伝えられています。それでサハリンの突岨山は女山なんだとさ…。

これらの日本海岸に浮かぶ島は、いずれも千歳市の所にあった山であったという事になっている訳で、太平洋と日本海に挟まれた千歳付近の
人々と、それらの島々との間には民族移動とか、その他何らかの関連があったのではないでしょうか…?

天塩川流域にも、これに似たものが伝承されていて…
「利尻島は、元国鉄宗谷線の中川駅の所にあった大山で、ある年の大津波で山の真ん中の所が切れて海に押し流されて利尻島になった
…。山の両端の残った所がペンケヌプリ(川上の山)と、パンケヌプリ(川下も山)になった…」

また、利尻島は、石狩川の中流の浦臼の近くにあったクマネシリ(乾棚のような山)の一部が、ある年の津波で欠けて流され、海に漂って現
在の位置に止まったもの…という伝承もあります。

アイヌ民族の伝承は、何故か世界中で言われる伝説や伝承と酷似している事も多く…非常に興味深いですね…。

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