明るく元気な町づくり 洞爺湖町
町内行事
虻田地区、温泉地区、洞爺地区の町内行事に出席。なかなかハードな日曜日でした(*^O^*)
洞爺湖町歴史公園
こんばんは。しもみち英明です。
今日は、虻田地区・温泉地区・洞爺地区の3地区の行事出席。
虻田地区の歴史公園で開催された「アイヌ先住民族慰霊祭」に初めて参加。
カムイノミ(神への祈り)から始まり、イチャルパ(慰霊祭)の神事では、大地の神である「モシリコルカムイ」に新酒を献げました。
温泉2自治会
今朝は町内一斉清掃が実施され、朝7時から自治会の皆さんと一緒にゴミ拾いしました。
町内一斉清掃のあと、同級生のご主人も出場している「洞爺グランフォンド2015」のスタートでお見送り。
洞爺湖文化センター前
自転車愛好家のアスリートが128キロ、165キロ、40キロコースを鬼踏しながら自然を堪能するスポーツイベント。
洞爺地区では、洞爺国際交流協会主催による「第1回とうやインターナショナルフェスティバル」を見学。
水の駅
日本の伝統文化を観る、体験する、多国籍料理を食べるフェス。
琴演奏、居合、洞爺音頭、茶道、アイヌ刺繍などイベントもあり、来場者を楽しませていました。
今日は、充実した一日を過ごすことが出来ました(*^O^*)
明日は議会最終日、ちょっと早めに就寝します (-_-)zzz
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
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10/21(木) 人生の道を楽しむ。マイワールド全開な癒しカフェ!道楽
南黄金に昨年2020年オープンしたカフェをご紹介します。 国道から山側入り、気仙川の橋を渡って少し進むと、「道楽」と壁に描かれた楽しげなペイントが見えてきます。 こちらがカフェ道楽。 自然に囲まれて佇んでいます。 海も川も山も近くにある国道沿いのエリア。伊達にこういう場所があったのか…と思わせるような、独特の隠れ家的雰囲気があります。 古い住宅をほとんどDIYで改装したという店内は、なんとも独創的! 手作りの温もりと遊び心にあふれるギャラリー風の空間です。 陶芸や手芸など、素朴な風合いのいろいろな作品が飾られていました。店主の鎌田さんと教室仲間の皆さんの作品だそうです。 個性的な陶芸作品の数々。 実物大ワンちゃん。なんと愛らしい! 店主の作業場。 窓の外には庭が広がっています。野鳥がたくさん訪れるそうで、運がよければ窓際の席からバードウォッチングが楽しめます。 夏真っ盛りの緑の庭。秋には紅葉、冬は雪景色と、四季折々の自然が見られます。程よく手の入ったナチュラルな雰囲気がステキ。いました!さっそく野鳥発見。 庭のあちらこちらに、野鳥のためにさりげなく置かれた種。なるべく人工的でなく自然に溶け込むよう工夫して置いているのだそうです。 倒木を利用したナチュラルな餌台。 食事はポークカレーとナポリタンの2品。手作りにこだわって提供しています。有機栽培コーヒーや、日替わりの焼き菓子も人気です。本を読んだり、おしゃべりをしながらのんびりランチやティータイムを楽しんでいく方が多いそうです。 ナポリタンの食欲をそそる香り! お米もこだわり!自家製ポークカレー この日の焼き菓子はガトーショコラ。畑でとれたブラックベリーとミントを添えて! 「人生の道を楽しんで」との願いを込めて「道楽」。 「お客さまに楽しい時間を過ごしていただき、自分も一緒に楽しめたら」と話す鎌田さん夫妻のセンスとアイデアが随所に光っていました。 まさに「マイワールド」全開! かつ、ゆったり過ごせる居心地の良さも大きな魅力です。 自分の手で、オリジナルなものを作ることの素晴らしさ、豊かさを教えていただいた気がしました。私も何か作ってみたい!創作意欲が湧いてきました。 窓辺の特等席で野鳥を眺めながらの一杯。コーヒーのおいしさが染み渡ります。 なんと庭から出てきたという縄文式土器!北黄金貝塚が近いですが関連があるのでしょうか・・・ カフェ道楽 住所 伊達市南黄金町163-10 営業時間 木・金・土10:00~17:00/日曜10:00~16:00 定休日 月曜・火曜・水曜 TEL 080-1879-2009 https://date-insyokuten.jp/archives/1017 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューなどは変わることがあります(取材2021年)
むしゃなび編集部
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02/20(火) クールに攻める両立への道 〜味と時間で勝負!地域にファーストフード文化を育てたい!『GOTHAM DRIVE IN』オーナー成田大海氏の戦略とは〜
取材に伺ったのはグランドオープン1週間前でした。 かっこよくコーヒーを落としてくれたので、さっそく聞いてみました。 「珈琲はどこで修行されたのですか?」 「YouTube先生です。いまどき修行なんて流行りませんよ。」 「え……。」 こんな会話から始まった今回の主人公は成田大海(Hiromi)さん。 3シーズンは俱多楽湖で「Paddle Street Outdoor Service」として カヤック・カヌー・サップガイド事業をされています。 入店いきなりの会話で「意外と軽い人?」と思いきや、 実は真逆なタイプであることが段々と分かってきました。 バックボーン(学生時代)のこと 改めて、成田大海さんは苫小牧市ご出身の35歳。 小さい頃から大学までアイスホッケーに勤しんでいました。 御祖父様からお父様、大海さんまで三代続くアイスホッケー一家だったと言います。 「大学にはスポーツ推薦で入学しました。 16歳の時に日本代表にもなりました。 でも、それほどアイスホッケーが好きだったのか?と問われると実は微妙です。練習が終わるのはいつも夜中の2:00頃でした。 競技場があまりないので、小さい子どもから順番に予約を入れていくと、大学生は夜中の割り当てになるんです。 これは結構キツかった…。 それに、本当は美術部に入りたかったし・・・(笑)絵を描くのが好きでしたから」。 「美術部ですか?また随分かけ離れていますが…。 それにしても練習終了が夜中の2:00とは驚きです。寝る間もなければ、学校へも行けなくなりますよね」。 「そうですね。大学では法律を学んでいましたが、授業はほとんど出ていませんでした。だから結局、退学して働くことにしました」。 「辞めてしまわれたのですね。授業はほとんど出ていなかったとのことですが、アイスホッケーは続けていらしたのですよね? 続けてやっていたことで今に繋がっていること、やっていて良かったと思えることはありますか?」 「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 なるほど。 このことについては、また後ほど触れるとして〜。 バックボーン(料理)のこと 「大学を辞め、勤めはじめたのは西麻布のバーでした。 そこは六本木や恵比寿にも店を持っていたので、その3店舗を昼夜行き来して働き、飲食店の辛さや面白さを4年ほど学ばせていただきました」。 「ほ〜!GOTHAM DRIVE INのルーツはそこにあるわけですね! その時、今の大海さんのその後を決定づけた方はいましたか?」 「はい、いました。かなりぶっ飛んだ人でしたが、メキシコ料理がすごく上手で美味しくて、いっつもテキーラを飲んでいる恵比寿店の店長でした 笑 でも、この店長のおかげで本物上質なテキーラを知り、メキシコ料理を学ぶことができました」。 なるほど! 繋がりました! バックボーン(パドル アクティビティー)のこと 「ありがとうございます。料理の背景は分かりました。では、パドルアクティビティーの世界へのきっかけを教えていただけますか?」 「趣味は釣りなんですが、その延長線上にあったのがカヤックでした。 カヤックに乗って釣りをしたいなあ〜と。 僕、基本、人見知りなんです。釣りなら一人でできますし。 学生時代からアイスホッケーにも釣りに行かないときは引きこもって調べ物ばかりしていました。 で、カヤックを色々調べていたら、小樽の塩谷でガイドをしている『ブルーホリック』に行きつきました。そのときは、へ〜!こんな仕事があるんだ…。と思った程度でした」。 「なるほど。飲食店で働き出す前から興味はあったのですね」。 「はい。北海道に帰って仕事をしたいと考え始めたとき、ブルーホリックを思い出して履歴書を送りました。 そうしたら、わざわざ代表の嘉藤さんが上京して会いにきてくれました。 事実上の出張面接となったのです」。 面接をパスして25歳で帰京。 ブルーホリックで働くことになった大海さんは、カヤック修行への道に入りました。 入店時、「修行なんていまどき流行りませんよ」 と言っていた大海さんでしたが、アイスホッケーにしても、カヤックにしてもその道をきちんと歩いたからこその台詞だったというわけです。 「上下関係の厳しさが身についているというのは私生活にも役立っていると思っていますが、特に仕事には必要なことだと思っています。 例えばブルーホリックの嘉藤さんは仕事には物凄く厳しいんです。 一歩間違えば大変危険な環境の海で行うカヤックというアクティビティーですが、どんな時でも、お客様の命を絶対に守らないといけないわけです。 だからどうしても指導は厳しくなる。 当然だと思います。 でも、そのような嘉藤さんの姿勢をなかなか理解できない人もいる。 そう言う意味で、僕はアイスホッケーにしても料理にしても上下関係が厳しい世界にいたので、耐えられたしそういうものだと捉えることができました。打たれ強さも育っていたかもしれません」。 先ほど、「アイスホッケーをやっていたことが今に生きていることは? の質問に「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 と答えてくれましたが、なるほど〜と思えたお話しでした。 大海さんはブルーホリックで2シーズンを修行した後、嘉藤さんの紹介を受け、沖縄座間味島でさらに2シーズン修行しました。 のちに独立を考えだした大海さんの背中を押してくれたのも嘉藤さんだったと言います。 「でも、強く押されたと言うよりも、『いいんじゃない?』と言った軽いかんじで・・・(笑) これ、嘉藤さんらしさです。 人の繋がりを大切にする本当に懐が広く深い方でとても尊敬しています。テキーラ好きな六本木の店長ともなんとなく似ているかも」。 二つの道を極めようとした背景には、二人の師匠がいらっしゃったわけですね。 それぞれのバックボーンを活かしたい! 独立を決めた時、飲食業とアウトドア業の両方をやりたい! と考えていた大海さんは、北海道に戻り活動フィールド探しを始めました。 2019年のことです。 本当は前職で貯めたお金で南米へ料理修行に行きたいと思っていたそうですが、それよりそのお金で早く事業を始めようと考え直し、南米行きを諦めたと言います。 支笏湖や洞爺湖も視野に入れつつフィールドを探し回り、倶多楽湖に出会った瞬間「ここだ!」と即決したそうです。 「俱多楽湖がなかったらここには来ませんでした。 とにかく水が綺麗で感動しました。 すぐに元々あった施設で当時休止中だったレイクリゾートのオーナーさんに交渉し、施設管理を条件に使わせていただけることになりました。 パドルアクティビティーの拠点は確保しましたが、飲食店の店舗探しには苦労しました。 予算の関係もあってなかなか決まらなかった。でも粘り強く探し、待ち、いまの場所を購入することができました」。 決断と行動の速さを感じるエピソードに、アイスホッケーでゴールキーパーを務めていた大海さんの判断の速さがリンクして聞こえた筆者です。 店舗は、以前『ケニア』というレストランだったところです。 登別駅から登別温泉方面に向かうメインストリートに位置するとても目立つ場所にあります。 ドア枠は大好きな緑に塗り変えました。 店内の内装は電気工事(資格も持っています)に至るまで、 ほとんど自分でリノベーションされています。 「ところで、GOTHAM DRIVE INという店名の由来を教えていただけますか?」 「映画のバットマンに出てくる地名です。 映画の中のGOTHAMはNEW YORKのことなのですが、劇中では薄暗いイメージに描かれています。 それが登別という晴天率の低い街と重なりました。 まあ、単純にバットマンが好きというのもあるんですけどね。 それと、うちは『CAFÉ』ではないんです。 あくまでも『DRIVE IN』として存在したいと考えています。つまりファーストフード店でありたい。 そういう意味で、クオリティーの高さと提供の早さを売りにしたい。 観光のお客様って結構時間に追われています。 レストランやカフェは14:00くらいで一旦閉めてしまうところが多いですよね? だから14:00を過ぎても開いていて、その時間に食べても夕食に影響が少なくて、車の中で片手でも食べられるものと考えたらこのようなメニュー構成になりました。 何より、大好きなメキシコ料理が提供できますし」。 「カルニタスの肉は牛肉と豚肉を別々に煮込み、合わせて作っています。 牛肉は肉の食感を残したいので歯応えを感じるように。 豚肉は柔らかく煮込んであります。 それと、メキシコ料理は辛いイメージがあると思いますが、お子様でも食べられるように、ベースの味付けには辛みスパイスは使用していません。辛いのが好きな方には別添えのスパイスで調整していただいています」。 味への拘りも相当なものでした。 時間を作っては、東京や大阪などの珈琲店や飲食店などを巡り、知識やアイディアの入手に努めているというお話しも伺いました。 日々の研究にも余念がありません。 「GOTHAM DRIVE INは、『おいしいね!』と言ってもらえるもの、手軽に直ぐに食べられるものを提供する親しみやすいファーストフード店を目指します」。 最後にそう語った大海さん。 日本マクドナルド創業者の藤田田さんを尊敬していると伺い、全てに合点がいった筆者です。 目指す師匠がもう一人いらっしゃいました。 もしかしたらいつの日か、西胆振にGOTHAM DRIVE INがチェーン店展開する日が来るかも? 大海さんがクールに目指すパドルアクティビティーとファーストフード店の両立。 心から応援したいと思いながらタコスを頬張りました。 次はナチョスをいただきます!! ―GOTHAM DRIVE IN 情報― https://www.instagram.com/gotham_drivein?igsh=MWx2eGk3dTI1bjJidg== 住所 〒059-0463 登別市中登別町174-9 電話 090-6937-7540 営業 10:00~18:00(水曜日11:00~22:00) 休み 木曜日 *2024.2月現在求人中 ―Paddle Street Outdoor Service情報― https://www.instagram.com/paddlestreet?igsh=enh5eGY3c3BuaDB1
Rietty
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12/16(木) 交わり・出会い・分かち合える場でありたい 「ヨツカド商店」が目指すコト
一つ目の角にはチーズがありました。 二つ目の角には珈琲がありました。 三つ目の角にはワインがありました。 四つ目の角には中継隊がいました。 四つの角の主となる二組の夫婦たちは、ある決意を持って、神奈川県から壮瞥町に移住してきました。 移住前、それに先立つ第一段階のアクションとして、2021年5月にオンラインショップを立ち上げました。 その名も「ヨツカド商店」です。 チーズ担当 今井真希さん ワイン担当 今井亮輔さん 珈琲担当 前橋史子さん 中継&橋渡し担当 前橋雄さん 「ヨツカド商店」物語は、四つの角=四人それぞれの物語から始まるのでした。 〜一つ目の角 真希物語 “チーズ”〜 青森県出身の真希さんは、大学で酪農とチーズ製造を学び、ナチュラルチーズの奥深さを知りました。 前職の会社のビジョンでもあった “食を通して地球や人を大事にする” という考え方に深く共感した真希さん。 “ミルクの生産者やチーズの作り手の想いも含め、チーズの美味しさを多くの人に伝えたい” “ミルク消費の手助けをしたい” “チーズと他の食材とのコラボの面白さと、チーズが加わる食の奥行きを多くの人に伝えたい” そんな想いをもって、8年前にナチュラルチーズを取り扱う「mikoto」を立ち上げました。 〜二つ目の角 史子物語 “珈琲”〜 青森県出身の史子さんは、大学生活とデザインの仕事で3年間をニューヨークで過ごしました。 そして、帰国後に勤めた珈琲店「Mui・所在地:神奈川県川崎市」で衝撃的な出会いをします。 「なんて美味しい珈琲なの!?」 豆の個性を知り、それを最大限生かすために適切な焙煎をし、ハンドピックを丁寧に行うことで生まれる美味しい珈琲。 そんな焙煎士の仕事ぶりと珈琲に魅了され、「このMuiの珈琲はたくさんの人が出会ってほしい」という強い想いに突き動かされた史子さん。 その後、全国のコーヒーフェスに参加したり、自身も食にまつわるイベントを催したりしてMuiの珈琲を紹介してきました。 そして、3年前に「yurulit」の屋号で活動を始め、本格的な販売を始めました。 〜一つ目の角と二つ目の角が出会う〜 ついに、真希さんと史子さんが出会いました。 同郷だったのは偶然のことでした。 初めは「mikoto」のお客様だった史子さん。 何度も通い、話をするうち、「珈琲とチーズの相性の良さを提案しよう!」とそれぞれの想いを共有し合い、一緒に活動をする機会が増えていきました。 〜三つ目の角 亮輔物語 “ワイン”〜 横浜ご出身の亮輔さんは、有名企業でITの仕事をしていました。 以前から都会生活者の需要と、田舎の豊かな資源を結び、田舎を守りたいと思っていた亮輔さんは、「ITはそのために必要なツール」と捉えていました。 遠くから見守り支援をしようと考えていたところからの一念発起、「田舎に住む」と決めた先には大きな夢がありました。 亮輔さんは、以前よりワインが好きでした。 真希さん(妻)が扱うチーズとの相性も良いことなどもあり、ぶどう本来の個性を活かしている自然派ワインを選んでいます。 ワインとチーズ、珈琲とチーズなどマリアージュの楽しみを伝えたい! さらに壮瞥町のおいしいものを組み合わせることで生まれる新しい体験を多くの方に楽しんでいただきたい! と想いは募ります。 〜四つ目の角 雄物語 “中継&橋渡し “ 〜 田舎への移住を決めてから、ふた家族は北海道で場所探しの旅をしました。 雄さんは、先ずは妻の史子さんを先発隊として送り出しました。 川崎に残った雄さんは、都会と壮瞥を繋ぐという「ヨツカド商店」の未来の構想への大きな役割を持っています。 この角がなければ、成り立たない「四つ角=ヨツカド」なのです。 現在、前橋史子さんと今井亮輔さんは、壮瞥町の地域おこし協力隊として働いています。 そして、今井真希さんはイベントに出店しながら次の準備をされています。 今は別々のステージを持ちながらも、近い未来のためにそれぞれの「角」を守りつつコツコツと活動をしています。 移住1ヶ月半にして壮瞥での物件探しも始めました。 「壮瞥に根を下ろそうと思った決め手は、なんと言っても人の温かさです。壮瞥の皆様が、私たちを全力でサポートしてくださりフォローをしてくださっています。ここならやっていけると確信を得ました。 1日も早く物件を見つけて四人の構想を実現させたいと思っています。」 とにかく行動の速さ、想いの強さと真っ直ぐさが本当に気持ちの良い皆様です。 ↑洞爺湖の前に四人が揃う日のために。四人で共有する夢を形にするために。いまはそれぞれがそれぞれの立場で活動をしています。 〜「ヨツカド商店」@壮瞥町 の未来〜 「将来は物販だけでなく、ゲストハウスやシェフインレジデンスも行いたいと思っています。シェフインレジデンスとは、期間限定でシェフがその土地に滞在し、地域の食材を選び、お客様に料理を提供するいわゆる出張レストランのようなものです。それぞれのシェフが創り出すそれぞれの食のスタイルを楽しんでいただきたいと考えています。 四つ角は交差点という意味を持ちます。私たち四人がそうだったように、一人一人が出会い、想いを分かち合い、想いを広げていく場所です。ヨツカド商店もそうありたいと思っています。ヨツカド商店を通して、人と人、人とその土地ならではの食が出会い、人々が自分の拠点に戻った時、暮らしに彩と心の豊かさが増している。そんな存在でありたいと思っています。」 ↑ワイン&チーズは当たり前。 ほかにも珈琲&チーズ、そして壮瞥町特産物の果物&ワイン、果物&チーズなど、ベストマッチな組み合わせをご提案いただけます。 ↑こちらはチーズとスイーツ。スイーツは史子さんが焼きます。 壮瞥に新しい食の提案と集いの場を作り、人と人が交わり・出会い・分かち合える場を作る! と決心した四つ角=ヨツカドたち。 「そうべつぐらしのときめきを伝える」 をコンセプトに、きっと明るく楽しく温かい四つ角になっていくに違いないと、楽しみで楽しみでワクワクが止まらなくなった筆者です。 既にイベント出店など、おもしろい取り組みが始まっています。 「ヨツカド商店」から目が離せません。 オンラインショップ https://yotsukado-shouten.com Instagram https://www.instagram.com/yotsukadoshouten 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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07/23(火) 【あの人に会いに】無理せずに巡っていく恩返し [ 岡本 里佳さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.6 今回は、洞爺地区で『TOYA親子塾』を主宰されている 岡本 里佳 さんです。 洞爺地区でどのようにして親子塾が生まれたのか、 そして10年も続いているという、その秘訣をお聞きしました。 巡っていく恩返し 里佳さんの原点となるエピソードがあります。 それは、静岡に住んでいた頃のお話。 車無しで、子どもを3人連れての病院帰りでした。 4歳の手を引き、2歳を乗せたベビーカーを押し、 更には赤ちゃんをおんぶして、 歩道もなく歩きにくい狭い道を なんとか歩いていました。 遠い道のりを頑張って歩いていたその時、 急に雨が降ってきてしまいました。 傘を持っておらず、そのまま歩き続けていると…… 横にスッと車が止まり、 中の方がビニール傘を差しだしてくれました。 「お礼がしたいと連絡先を聞こうとしたら、 『お礼は良いから、次はあなたがその傘を誰かに渡して』と」 「人にあげるものって、 ちゃんとしたものじゃないと!って思っていたけど、 高価なものじゃなくても良いんだって気付けて。 この時のことがすごく残っていて、 できる限りのことをしようって」 ちょっとしたことが物凄くありがたい、 無理をせずできる範囲でも恩を送ることができる。 この出来事は里佳さんの原点となりました。 塾がない、なら作っちゃおう 九州から洞爺地区に移住してきた岡本家、なんとお子さんが6人の大家族!「でも、この地域に来たときは周りに大家族が多くて、6人兄弟だって他に2家族もあったの!」と里佳さんは笑います。 親子塾は、お母さん方の会話から生まれました。 「近所のお母さんから、子どもたちが家ではなかなか勉強できない、というお悩みを聞いていて」 他の友人から『塾というより塾の”自習室”が良いらしい!』と耳にしたところで、ここには塾も無い。塾を作ろうにも、この町には大学生もいない。 「でも、自習室で良いなら、場所だけ提供すれば良いんじゃない?親子塾をやってみよう!ってなったの。役場にこんな活動がしたいと相談に行くと、じゃあうちの子も……とすぐに子どもは集まって。」 親たちが当番制で見守りをして、子ども達に学習の場を提供する『親子塾』がスタートしました。さらに、見守り担当の親も一緒に学ぶスタイルが定着しました。 親子塾には月に2回程度、食事提供の回があります。(冬季を除く)その名も、『親むすび子ろりん(おむすびころりん)』。中学生は部活帰りでごはんを食べずに親子塾に直行になることもあるらしく、ここでご飯を食べられる回はありがたいそうです。 「やっぱり食は繋げてくれるよね、参加率が高い。笑」 食事の提供には、地域の農家さんから野菜をいただいたり、フードバンクを活用したりしています。 美味しい!とニコニコでごはんを食べる小学生たち。そこに部活帰りの中学生たちもワイワイと加わります。学校の外で友達とごはん食べられるって、嬉しいですよね。食後の片付けは子ども達自身で。学年が異なる子どもたちの交流は、兄弟が増えたようで楽しそうです。 無理しない、出来る限りのことを 一緒に活動するメンバーに『里佳さんはどんな人?』と聞いてみると、『しっかりしてるのに、フワフワしてる。だから緊張しすぎないし、楽しく活動できる』とのこと。 「無理はしないって決めていて。トップが無理しちゃうと、みんなも苦しくなっちゃうから」。みんなで楽しく活動すること。そのためにはトップが程良い”ゆるさ”がを保つこと。持続可能な活動にするための秘訣はここにありました。 <運営するお母さんたちに話を聞いてみました> Q.なんで『TOYA親子塾/親むすび子ろりん』に参加していますか? A.「たのしい」「子育ての情報交換になる、先輩がたくさんいて何でも聞ける」 「友達と居る時の子どもの様子を見られる」 「子育てを離れても、小中高の話が聞けて情報が入る」 どなたもとても楽しそうに参加されており、 保護者のみなさんにとっても憩いの場となっていることが伺えました。 ここだから、続けてこられた 親子塾は、なんと今年で10周年! 子ども達は卒業していき、保護者も入れ替わる中、この活動が10年も続くというのはとても凄いことだと感じます。 子どもが卒業しても変わらずにお手伝いに来てくれる方もいるそうです。 「はじめはこんなに賛同して、協力してくれる人が沢山いるなんて思っていなかった。洞爺地区だから、この地域だから続けてこられた、というのは凄く思う」 洞爺地区に訪れると、地域で子育てをしている様子を見かけることがよくあります。ひとりの大人が沢山の子どもを連れていたり、他人の子どもでも自分の子どものように叱っていたり。みんなお互い様で、子ども達を見守り合っているコミュニティ。この地域力が根底にあることが、親子塾が存続できる理由だと里佳さんは言います。 「みんなが同じ方向を向いているから、助けて!って言いやすい、頼みやすい」 10年間ずっと続いているから、いつでも帰って来られる安心感。日々活動を積み重ね、子どもにとっても親にとっても大切なコミュニティが出来上がっていました。 さて、今後の展望はあるのでしょうか。 「私たちが老後になっていって、いろいろと困ることがあると思う。次はその問題を解決していくようになるのかな?」。何かあっても助け合える、心強い関係性は既にできているように見えました。 『TOYA親子塾』・『親むすび子ろりん』は、洞爺地区の親子が参加できます。 (毎週水曜19時から、洞爺総合センターの和室にて。) 次は誰かのために、と活動し続けられる優しさ、包容力あふれる里佳さん。子育てに悩む方にはぜひお会いしてほしい、素敵な”地域の母”でした。
misaki
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10/16(日) どさん子料理人が描くおいしい「世界地図」。 多国籍料理Kiko図【喜茂別】
中山峠を越えて札幌方面に向かうとき、かならず通る、峠のふもとの喜茂別町。 のどかな景色を横目で眺めつつ、通り過ぎてしまうことが多いのですが、通る度に気になっていたお店がありました。 壁に並ぶ、たくさんのフライパン。 看板に描かれた、不思議な鳥。 外観から溢れ出す、エキゾチックでポップな雰囲気。 車庫カフェKiko図(キコズ)です。 海外を旅し、さまざまな国のシェフたちと仕事をしてきた料理人Kikoさんのおいしい多国籍料理をたっぷりと味わってきました! 魅惑の多国籍料理、いろいろ。 ドアを開けると、カラフルなピンクや黄色の壁に、エスニックな調度品の数々。 店内にはにぎやかな音楽が流れ、開放的かつホッと落ち着く居心地のよさ。異国の風がさあ〜っと吹き抜けるような、気持ちのいい空間です。 もともと車庫だった建物を改装して店舗にしたとのこと、驚きました。言われてみれば、トタンがのぞく天井などに車庫の名残りが。それがかえって、なんとも渋いいい味を醸し出しています。 カウンターの奥で、キビキビと立ち働いているのが店主のKikoさんこと松宮亜樹子さん。 スパイスが混じり合う豊かな香りが、お店中に広がっていました。 Kiko図は2019年7月にオープン。この夏、3周年を迎えました。 札幌出身の松宮さんは、30代から40代にかけて10年ほど、海外を旅しながら、ニセコと外国を行き来する暮らしをしてきました。 日本では札幌やニセコを中心に、海外はカナダやニュージーランドなどの国のホテルやレストランで、国際色豊かなシェフ達と仕事をし、料理の腕を磨いたそうです。 南米、アジア、中東、ヨーロッパなど、訪れた国は多数。旅の途上で出会った現地の味や、海外の友人たちに教わった料理の数々を独自にアレンジして提供しています。 「日本の方には海外の味を、外国の方にはほっとする味を」がkiko図のテーマです。 壁に並ぶフライパンは、ペルーで行った料理屋さんから着想を得たそう。そのお店にはものすごくたくさんのフライパンがかかっており、とてもかっこよかったのだとか。 時々「磨きたくなる」と言われるそうですが、「このサビがいいんです」と松宮さん。確かに、渋くていい感じのサビですネ! さてさて、ランチメニューは不定期でいろいろと替わります。どんな一皿に出会えるかその時々のお楽しみです。 今回は人気メニューのひとつファラフェルと、濃厚なタイカレーヌードルをいただいてきました! カラフルなファラフェルプレート。 中東の家庭料理ファラフェルをメインに、さまざまな国の味を楽しめる盛りだくさんでヘルシーな一皿です。この日はフムス、ギリシャのパイ・スパナコピタ、南米のトルティーヤ、穀物や野菜たっぷりのサラダなど、珍しいお料理がずらり。(※プレートの内容は、ファラフェル以外はその時によって変わります) 一部チーズを使用していますが、肉や魚はなしのベジタリアン仕様。 別々のルーツを持つ料理が、同じお皿の上で見事にマッチし、おいしいハーモニーを奏でています! ファラフェルは、つぶしたひよこ豆にスパイスを混ぜて揚げたコロッケのような料理。イスラエルが発祥と言われますが、中東地域ではどこでもポピュラーに食べられているそうです。 日本ではあまり馴染みのないひよこ豆ですが、クセがなくサクッ&フワッとした食感で食べやすい。松宮さんによれば、冷めても硬くならないように、現地の一般的なレシピの工程や食材をオリジナルにアレンジして作っているそう。お子さんはもちろん、エスニック料理に慣れていない年配の方にも好評です。 それからこちらは、タイのレッドカレーをライスヌードルでいただくスパイシーな一皿。たっぷりのパクチーにエビやチキンなどの具材が入り、スパイスとナンプラーが濃厚に香る本格派。汗をかきかき食べたら、ここが北海道だということを忘れてしまいそうです。 ハブタウンに活気を。道産子料理人のチャレンジ 窓の外を見れば、国道230号線が目の前を走っています。中山峠の入口まで車で10分弱、という立地。 交通量は多いものの、飲食店など人の集まるスポットは少ないエリアだけに、なぜ喜茂別でお店を?というのが気になって伺いました。 松宮さん: もともとはニセコ・倶知安でお店を開こうと考えていました。海外の方が多く多国籍料理はニーズがありますし、知り合いもたくさんいるので。ただ、なにせ高くなりすぎていて、手が出なくて。 喜茂別は小さな町ですが、周辺にはニセコ、留寿都、洞爺湖、峠を越えれば札幌と、いろんな地域につながるハブタウンなんですよね。それなのに立ち寄るところが少ないことがもったいない。 そこで中継地点であるこの町がもっと盛り上がれば、周辺地域も含めて全体がさらに活気付くのではないかな、と思ったんです。 道産子としては、やはり何かちょっとでも自分ができることで、北海道を活気づけたい、という気持ちがあります。いろんな地域でたくさんの方が、過疎といわれる地域を、少しでも面白くするような活動に取り組んでいらっしゃいますが、喜茂別でそれができたらいいな、と思いました。 最初は家族や友人みんなに心配されましたけどね。 喜茂別を選んだ背景に、道産子スピリットともいうべき、松宮さんの北海道への熱い思いがあることを知りました。 お料理や空間はグローバルな世界観。でもその根っこにはローカルな視点もあって、地域を大切にしながら根付いている。海外の方にも、日本の方にも、国籍を問わず親しまれるKiko図の魅力は、そういったところにも所以があるのかもしれないな、と思いました。 お店のシンボルである鳥のイラストは、松宮さんがご自身で描いたもの。カラフルな色使いと独特のフォルムが印象的です。まるで生きているかのような存在感を放つこの鳥は、大切なご友人がモデルなのだそう。優しい眼差しでお店とお客さんを見守っています。 ドリンクメニューも多国籍。コーヒーだけでもベトナムコーヒー、イスラエルコーヒー、ココナッツミントコーヒーとあり、エスニック好きにはたまらないラインナップでした。上の写真は、ブラックコーヒーにカルダモンを効かせたイスラエルコーヒー。食後にピッタリな一杯です。 Kiko図の図は、地図の図。 Kikoさんがお店をキャンバスに描く地図、というわけです。 「これから展開していきたいことが、まだまだたくさんあります」と松宮さん。幅広く豊富な海外経験と、プロフェッショナルな料理の技術から生み出されたオリジナルの世界地図は、これからもどんどん広がり厚みを増していくことでしょう。 旅する気分で世界を味わう…そんなとてもとても素敵なひとときでした! 店舗での営業は例年、雪解け〜降雪前まで。 今シーズンの店舗での営業は、10月10日にて終了しました。 冬季はお店はクローズし、ルスツエリアにて営業予定です(詳細はKiko図のSNSをご確認ください)。 記事が遅くなり、お店のシーズン中に掲載が間に合わず、大変申し訳ありません。 冬の営業予定など、インスタグラム等で最新情報をチェックして、ぜひぜひ、お出かけください! 車庫カフェ Kiko図 店舗情報 住所 北海道虻田郡喜茂別町伏見332-3 HP https://akikokikokikoz.wixsite.com/kikoz-kimobetsu オープン日、イベント出店情報はSNSをご覧ください。 Instagram Facebook ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
ch
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03/15(火) 嘘のない循環を生み出す〜『天花地星』オーナー木村洋子という人
「え! 私の写真撮るの!? ちょっと待ってて!すぐ着替えて来るから!」 そして、ほんの1分くらいで笑顔で戻ってきた洋子さん。 「じゃん! 店のTシャツ着てきた!」「どこで撮る?」とキョロキョロしながらおっしゃる。 せっかくなので、店の原点だという子どものおもちゃの前に立っていただきました。 とにかく相手を飽きさせない。 少しも飾り気なく、元気で可愛いノリ。 筆者、すっかり洋子ワールドに引き込まれてしまいました。 では改めて〜。 函館ご出身の木村洋子さんは、2011年に今の『天花地星』をOPENさせたオーナーさんです。 今回は、一瞬で人を惹きつける不思議な魅力を持つ洋子さんの人物像に迫ってみました。 店名『天花地星』の由来 「雪は天に咲く花。 北海道ではその雪が結晶となって星のように降って来る。 地に降りた星のような雪は、地上の花への恵みの水となる。 そして再び空気となった水は天へ戻り、雪は天に咲く花となる。」 なるほど…。 ずっと知りたかった店名の由来がストンと腑に落ちました。 大好きな北海道の雪をベースに、自然の循環を店名に込めていたのですね。 「自然豊かなところで暮らしたい。」 洋子さんのご両親が青森に住んでいたこともあり、20年以上前、洋子さんご夫婦は青森の山奥に住んでいました。 ところが直ぐに想いと環境のギャップに悩まされる事件が起きました。 実は、住んでいたその地の近くには産業廃棄物処理場があり、ダイオキシン混じりの黒い煙が辺り一帯に漂うところだったのです。 洋子さんは、自分達のためにも周辺住民のためにも必要だと感じて反対運動を起こしました。ですが、仲間を得られず同意も得られず、いきなり厚い壁に打ち当たってしまいます。 「反対運動なんかしてもらったら農産物が売れなくなるから困る! 止めてくれ!」 それは洋子さんたちにとって、我が耳を疑う衝撃的な出来事でした。 「みんな、この状態を黙って受け入れるのか? 何故!?」 愕然とした想いに陥りながらも、その後洋子さん夫婦は環境問題に取り組むようになりました。 そして、それは自分達の生き方を見つめ直すきっかけにもなりました。 ↑さまざまなカゴが並びます。天花地星の人気商品です。 ↑アフリカ製品 「買い物をすればゴミは増えます。自分達もゴミを増やすことに加担している。でも生きるためには買い物は必要…。 買う者・使う者としての責任も考えるようになりました。 行動をしながらも悶々とした日々の中で、シュタイナー教育と出会い伊達に移住して来ました。」 さて。 3人の子どもを授かりましたが、ほどなくして洋子さんはシングルマザーとなりました。 30代の頃です。 ↑こちらはとても履き心地が良く丈夫なヘンプの靴下。 「子どもの学費を捻出するため、仕事をいくつも掛け持ちしながら必死で働きました。当時の写真を見ると、今の方が若々しいと子どもたちに言われます。」 そんな洋子さんが18歳から続けていたのはエアロビクスでした。 他にもリズム体操なども教えていらっしゃいます。 まさに芸は身を助けました。 それと同時に、地道に続けて来た環境問題への取り組みの延長線上に、『天花地星』の前身である通販サイトも2004年より立ち上げました。 本当にバイタリティー溢れる方♡ 当時扱っていたのは「子どもが安心して遊べる玩具」でした。 主に木製のドイツ製品だそうです。 洋子さんの店のコンセプトは、今も昔も” 心と体に優しいこと “ “ 最終的に地球に還るものであること“ ですから、塗料は極力ケミカルを排除しました。 クレヨンは小さなお子様が口に入れても安全な材料で作られているものを選びました。 その後、2011年に今の場所とご縁があり実店舗を作りました。 実店舗ができた当初は玩具だけの取り扱いでしたが、今は一般食品から雑貨、服飾雑貨、フルーツまで多種多様な物を扱っていらっしゃいます。 ↑とても思い入れが強いフェルトシューズ。何年も探していたそうです。丈夫で長持ち、ものすごく暖かい。 ↑風呂敷のような布バッグ。色や柄のバリエーションも豊富です。 その取り扱い商品が広がっていった理由が、いかにも洋子さんらしくて面白い。 「なんだか気がついたらこうなっちゃっていたの! 生徒さんたちやインストラクター仲間との繋がりの中で、どんどん商品の種類が増えっちゃって。繋がりって面白いよね〜。でもね、これ絶対いい!って自信があるものしか仕入れない。食品はできるだけ無添加のもの・オーガニックのもの・アレルギーに配慮されたもの・フェアトレードのものに拘っているし。だから胸を張って勧められる。絶対損はさせない!って言えるの。」 ↑身体にとって良くないものが含まれるものは扱いません。 強い拘りを持ち吟味されて選ばれたものは、似たようなものを値段だけで比較すれば「高い」と思われます。 けれどもモノやコトの価値を値段で測らない『天花地星』のラインナップは、自分にとって本当に必要なものを、その商品の背景も含めて判断してほしいという願いを洋子さんは持っています。 「類は友を呼ぶ」 とはよく言ったものです。 いまや『天花地星』は、洋子さんの理念を理解して足を運ぶ人、口コミで買い物に来る”食べ物ジプシー(様々な事情で特定のものしか口に入れられない人)” にとっての大切な存在になっています。 「うちの店ね、胆振管内一入りにくい店って言われてるの!笑 ぱっと見 普通の家だしね。 でも大丈夫だから!笑 どんどん入って来ちゃって大丈夫って書いておいて!笑」 1時間ほど話していて、「この人は本当に開けっぴろげで嘘をつかない人だなあ…」ということを感じました。 常に直球勝負で潔い。 自分の言動にはきちんと責任を持つ。 自分の中に矛盾があるのは許せない。 だからあらゆることに辻褄が合うように努力する。 かくいう筆者にも似たところがあるので、これら一つ一つのお話に大きく頷いてしまいました。 ↑全国各地に仲間がいる洋子さんは大のフルーツ好き。天花地星の玄関には、一年中全国の果物が並びます。 ところで洋子さんは2010年からヨガインストラクターをされています。 ↑インドにて〜。 ヨガのポーズにはそれぞれ意味があるそうですが、生徒さん一人一人に目指してほしいゴールがあるそうです。 目指してほしいのは、一人一人が心も身体も健康になるためのゴールとその道筋。 ↑右側の男性がインド人の洋子さんの師匠です。この先生に師事できること自体がすごいこと。 「自分も含めて、何故それをするのか?何のためにやっているのか分からないと心身ともに納得して取り組めない。ヨガにはね、人は生きている間に7回生まれ変わるという思想があるの。そして最後は泡になる。ヨガはきれいな泡になるための修行。 私はまだまだきれいな泡にはなれてないけどね。」 正直、体験していない筆者にはよく理解ができない表現でしたが、身体には「理想的な動かし方」つまり「理にかなった動かし方」がきっとあり、それが健康に結びついていくということなのでしょう。 「7回生まれ変わる」「きれいな泡になる」については、次回詳しく教えていただこうと思います。 ↑インドでの修行の途中にて〜。 洋子さんは最後にこんなお話をしてくださいました。 「商品は国内だけのものではなくて海外のものも多くある。海外旅行が好きだから、以前は現地に買付にも行っていたの。でも今は仕入れ方を変えた。だって、買付に行ったら国内でお金が回らないでしょ? だから国内の輸入事業者から仕入れるようにした。もうね、自分のところだけ儲かればいいって時代じゃないよ。いろんな国のいろんな人とも関わって、いろんな人たちが幸せになった方がいいもの。」 このお話は、洋子さんの生きる姿勢を端的に表す言葉だなあと感じました。 人の繋がりを何よりも大切にして、関わる人を心から大切にする。 その結果、嘘のない好循環が生まれていく。 架け橋としても。 実践者としても。 洋子さんが繋ぐ人々の活動が正当に評価され、みんなが幸せになる。 本当に素敵です。 小さな体でなんという大きなパワーを持つ人なんだろう!と、終始屈託ない笑顔の洋子さんに圧倒された時間でした。 さて、その洋子さん。 実はさらなる夢の実現に向けて大きく動いています。 なんと、5月〜6月を目標に「こども食堂」を展開されるそうです! そちらについてはいずれまた〜。 『天花地星』情報 *むしゃなびページhttps://mushanavi.com/author/tenk/ *ヨガサークル サントーシャ https://mushanavi.com/author/mutenka2/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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02/10(土) “ 一直線の縦糸 ” 〜 「手ぬぐい工房 さくら」代表 咲良あき の生き方
待ち合わせ場所を訪れると、華奢でたおやかな女性が立っていました。 その立ち姿が手ぬぐいを染めるという作家さんのイメージと重なり、「きっとあの方だ!」と直感したのですが…。 取材はまさかの展開になっていきました。 『手ぬぐい工房 さくら』代表の咲良あきさんは、2020年8月1日に洞爺湖が見える町に移住し、2021年11月には工房を開かれました。 すごいスピード感です。 「ただただ好き!というだけで突っ走ってきました」。 それまでの18年間は大阪で接客業に就かれていたそう。 最前線での接客業を退いた後は、運営・人事・教育などを担当されていたそうです。 まさにキャリアウーマンとして奔走されていました。 「順風満帆で活躍されていたように見えますが、なぜ、そのお仕事を辞めて洞爺湖へいらしたのですか?」 「ほかにどうしてもやりたいことがあったのです。ところが、会社を辞めた直後の世界的なコロナ禍。その時はその道を断念せざるを得ませんでした。洞爺湖に移住したのは、仲間が先に来ていたからです」。 「ところで、その、どうしてもやりたかったことって何ですか?」 「250kmのレースです!」 「え?え〜っと…それは、車のレースですか?」 「いえ、テント以外の1週間分の食料や装備、水を背負って走る自給自足のレースです。1週間で250kmを走ります。 会社を退職した時に目指していたのは2020年4月にアフリカのナミブ砂漠で開催されるレースでした」。 その突拍子もない答えに、目が点になりドギマギする筆者…。 詳しくお聴きするうちに、『手ぬぐい』とはどんどんかけ離れて行ってしまいそうになりました。 そしてさらに、筆者の混乱に追い討ちをかけるようなお話も飛び出しました。 「21歳の時にうつ病を発症し、その後は癌、バセドウ病になりました。 大病をし、治療を受けながら仕事を続ける中で気づいたのは、『明日が当たり前にあると思ってはいけない』ということでした。やりたいことがあってもやらない理由を探し、今度にしよう!と後回しにしていたことが多かった…。 だから、病気がわかった時、命あることへの限りない感謝と共に、『やりたいと思ったらやる』『会いたいと思ったら会う』と心に決めました。そんな時に『250kmアドベンチャーレース』の存在を知りました。 『このレースに出たい!』と瞬間的にそう思いました。強い想いはそれを引きつけると言いますが、その後、まさにそのレースに挑戦している人と出会ってしまったのです」。 そんなまるで一話のドラマのような出会いを経験し、主治医からレース出場の承諾書をもらい、トレーニングを重ね、咲良さんはニュージーランドで行われたレースに出場を果たしました。 けれども結果は、レース2日目でタイムアウトによるリタイアをしてしまいました。 →その時の様子をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」で観られます。(現在期間限定でYouTube にて無料公開中) https://www.youtube.com/watch?v=v5i6MBXc4Zw&t=4042s そして、リベンジをしようと目指したナミブ砂漠大会がコロナ禍により中止。 世界情勢など様々な理由が重なり、未だ再挑戦できていない状況が続いていると言います。 「それにしても病気が完治しない状態でなぜ、そのような過酷なレースにチャレンジしようと考えたのですか?」 「そのレースの存在を知った時、『元気になってこのレースで走りたい!』と1%ワクっとした気持ちを感じた自分に正直になりたかった。と同時に、その頃は自分の病気を人生の汚点だと思って生きていたので、私の挑戦が誰かの勇気に繋がるとしたら是非とも挑戦したいと思いました」。 あまりにも壮絶・壮大すぎて、お話しについて行くのに必死でしたが、次第に咲良さんと筆者の共通点・共感点が増えて行くのを感じていました。 「若い頃は一人旅が好きでした。手ぬぐい好きになったのはその頃です」。 訪れる先々で手ぬぐいを購入することが、 旅の一つの大切な目的にもなっていたそう。 「竹富島が大好きでよく通っていました」。 海好き、島好きも共通点です。 「はじめて手ぬぐいに出会ったのは2016年に瀬戸内国際芸術祭を訪れた時でした。 もともとアートには興味がありました。ただ、そこで手ぬぐいを手に入れたのは良いのだけれど、一体どうやって使うの?買ったけど私本当に使うの? そんな自問もあり、手ぬぐいの使い方などについて色々調べたりしていました。 ところがいざ使ってみるど、使うほどに洗うほどに柔らかく優しい肌触りになっていく。 そんな手ぬぐいがもう可愛くて可愛くて!すっかりとその魅力にはまってしまいました。集めた手ぬぐいは100枚くらい。それらの手ぬぐいたちは、その時の旅の記憶が蘇る愛おしい存在であり、ホッとする存在になっていきました」。 「なるほど。手ぬぐいとの出会いはわかりましたが…、なぜそれが作家への道へと進んで行かれたのですか? 全く異業種のご出身なのに…」。 「洞爺湖に移り住んだ時、いつもの旅先のようにお気に入りの手ぬぐいを探す中、洞爺湖の手ぬぐいはまだ買っていないということを友人に話したら、『自分で作ればいいじゃない?』 と言われました。なるほどそうか!やってみよう!となったのです」。 「え?そんなに簡単にやる気になったのですか?」 自らを猪突猛進型と認める咲良さん。 ここでも、やりたいからやる!となったわけです。 「先の計算ができない性質なんです笑 思ったら一直線だから」。 ああ…。 なりふり構わず。 計算せず。 一直線に突っ走る。 なんだか筆者と同じ匂いがすると思ったのは、どうやらこういうところだったようです。 染めについて並々ならぬ努力で独学をし、着実に実力を伸ばしてきた咲良さんは、ワークショップなどで講師活動も始めました。誰かに何かをレクチャーすることは、前職時代に培ったスキルでした。 内容が変わっても、楽しくわかりやすく伝えるスキルは共通していたのでしょう。 「染めの技術は学べたとしても、デザインセンスはそう簡単には育ちませんね。 何か芸術的なバックボーンをお持ちなのですか?」 「アートには元々興味がありましたので、手ぬぐいとの出会いの場となった瀬戸内国際芸術祭を訪れたわけです。 実は子供の頃からバレエをしておりまして、仕事としてジャズダンスのダンサーだった時期もありますし、ネイリストだった時期もあります。 もしかしたら芸術的に表現することの素地はあったのかもしれません」。 染めの原料は、環境に優しいベンガラを用いているそうです。 仕入れ先は、地元大阪。 生地もまた大阪から浴衣にも使用されている、手ぬぐい生地の『特岡』を用いているそうです。 「きめ細かい織り目が特徴の生地です。けれども使い込むほどにどんどん柔らかく優しく育っていく素材なのです」。 手ぬぐいが育つ。 素敵な言葉です。 なるほど。 手ぬぐい作家としての顔。 250kmレースのランナーとしての顔。 それぞれについては理解できましたが、今一つそれを繋ぐ糸が見つからず、さらに取材を続けさせていただきました。 …というよりも、咲良さんの生き方に強い興味を覚え、 もうすでに取材の域を超えていた筆者でした…。 すると、再び壮大なテーマを口にされた咲良さん。 「私、子どもの頃から『平和』にものすごく興味がありました。 小学生の時にイランイラク戦争が起こり、戦争や平和についての新聞の切り抜きを集めていた記憶があります。 その理由の一つには、学校が平和教育に熱心な学校だったこともあります。 今は、残された人生は平和に繋がることにも関わりたいとも考えています」。 またもや新たな情報に混乱する筆者…。 と、ここで、これまでの咲良さんのお話しを整理してみました。 ・病に向き合った20年間 ・旅を通した手ぬぐいとの出会い ・手ぬぐいの糸が手繰り寄せる旅の思い出 ・命への感謝と賛歌 ・平和への祈りを手ぬぐいに託す活動 ・当たり前ではない明日と今日への感謝 ・アート活動としての自己表現である染め ・誰かの勇気に繋がるならばと挑戦した250kmレース 取材中、急いで頭の中で整理し終えた後。 あ! 見えた! そう感じた瞬間がありました。 それは、咲良さんがバックの中に持参されていた ご自身が染めた普段使いの手ぬぐいに触れさせていただいた時でした。 その手ぬぐいは、横糸、縦糸がしっかりと織られているパリッとした『特岡』の生地で作られていました。 咲良さんが言うように、きっと洗うほどに肌に馴染んでいくのだろうと想像できる触り心地でした。 指への糸の感触を確かめた時、縦横直線の糸が織りなす手ぬぐいそのものこそが “ 咲良あき” だと気づきました。 一見器用そうに見える多才な方ですが、病気がちな華奢な体で、何にでもまっすぐ命懸けで取り組んできた1本1本の縦糸そのものが” 咲良あき “ であり、それぞれのシーンで彼女を支えてきた人々は横糸そのものであるということを。 一枚の布となったときの、そのしなやかさと、芯の強さ。 そして染めるという技法でさらなる命と愛を吹き込まれた『さくら工房の手ぬぐい』こそが ” 咲良あき “ なのだということを。 そして、それはきっと、真っ直ぐに平和に繋がっていくということを。 触れさせていただいた手ぬぐいから感じ取っていました。 最後にあきさんはこう話してくれました。 「平和についても命についても、 当たり前の未来はないと手ぬぐいを通して伝えたいですし、対象がなにであっても『大切』にする心を手ぬぐいを通して伝えたいと考えています。 染める時にはその一枚一枚を手にしてくださる方に寄り添えますようにと祈りを込めています」。 丁寧な語り口調で話してくださった1時間。 心が洗われたような取材の時間となりました。 ―手ぬぐい工房 さくら 情報― 代表 咲良あき(さくらあき) Instagram https://www.instagram.com/sakura.tenugui オンラインショップ https://sakurahappy.thebase.in/ [起業講座について準備中] ホームページや名刺・チラシなどの作製、イベント出展やワークショップ開催方法、起業するためのマインドが学べる『ハンドメイド作家さん向けの起業講座』をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」監督・プロデューサー小泉雅央と共に準備中。 *開催日程など詳細は【手ぬぐい工房 さくら】のInstagramでお知らせ予定
Rietty
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07/08(月) 「地域の皆様の健康を食で守りたい!」 〜北海道伊達市食生活改善協議会会長 岡村香奈氏が目指すこと
胸元のブローチをご覧ください。 もしかしたら、岡村香奈会長という呼び名よりもilo(Beads Jewel)の香奈さんと表現する方が馴染みがあるかもしれません。 でも今回は、敢えて北海道伊達市食生活改善協議会の新会長としての岡村香奈さんにフォーカスをしました。 〜食育アドバイザーを目指したきっかけ〜 岡村さんが食育アドバイザー(一般財団法人 日本食生活協会)の資格を取得したのは、平成25年に「考える栄養教室」という講座受講によるものでした。その後は、平成26年4月より食生活改善推進員として在籍し現在に至りますので、かれこれ10年間活動を続けて来られたことになります。 食生活改善協議会という名前はあまり耳慣れないものですが、実は歴史は古く、元々は戦後の食糧難の時代、国民の健康をサポートするために立ち上がった協議会なのだそうです。 団体の活動としては、「市民の健康を食で守りたい」という想いで集まった人たちのボランティアです。 全盛期は100名をこえていたこともあった会員数も、2024年4月16日付で男女合わせて会員数27名と小さな所帯。 平均年齢は66.7歳、最年長は83歳、最年少は岡村会長で47歳。 この会もライフスタイルの変化、高齢化に伴い、年々会員が減っている状況だそうです。 「岡村さんが、食育アドバイザーを目指したきっかけを教えていただけますか?」 「中、高校生くらいからずっと婦人科系の異変を感じていたのですが、鎮痛剤などで凌ぐ期間を長く過ごしていました。社会人になっても、常に体調を気にしながら生活をしていたので、いつも不定愁訴がまとわりついているような状態でした。 運動が大好きなだったので、中学では運動部に所属していたのですが、体調がいつも思わしくないので、周りが楽しそうにスポーツをしたり、留学したり、旅行したりしているのを見聞きしても、“自分はいつ体調が悪くなるかわからない”という不安から、行動は常に消極的でした。大人になり、結婚を機に伊達に移住したのですが、伊達に来てすぐは、ペーパードライバーでしたのであまり出歩くこともせず、友達もおらず、夫への食事を作ることが楽しみという生活がしばらく続きました。外へ出て働くということにもなかなか踏み切れないまま、家で過ごす日々。そんなある日、道の駅に行くと、ピンクのエプロンを着用した母親くらいの年齢の方達がお料理のデモンストレーションをして試食を配っていました。テーマは水菜。振る舞われていたのは、水菜の蒸しパンとスムージーでした。それがとてもおいしかったのです!! 水菜がこんなお料理になるのだという感動。そして、そのデモンストレーションをされていた皆さんはとても輝いていました。“私もこの方達の中に入って、お料理を覚えたい!” と思ったのがきっかけでした」。 この時はまだ、「この方達の仲間になりたい!こんなお料理ができるようになりたい!」という、純粋に自分のためという入り口だった岡村さんでしたが、活動を続けるうち、徐々にそれだけではない大切なこと、新たな目的意識が芽生えていきます。 〜食育アドバイザーとしての役割とは〜 会員同士が健康であるために学ぶということが第一目的の会ではありますが、相互に学んだことを伊達市民の皆さまにも還元し、食を通した健康のお手伝いをすることを役割とされています。そしてそれらは全てボランティア活動として行なっていらっしゃるのです。 「ところで、会長の役割と会の具体的な活動内容を教えていただけますか?」 「会長は、会の統括役です。北海道食生活改善推進員協議会からの連絡を担ったり、時には外部との連絡役を担ったり、また伊達市健康づくり推進協議会の会議に参加などをしています。会の活動としては、『私たちの健康は私たちの手で』という日本全国の食改さんたちが同じスローガンを掲げて様々な活動をしています。伊達市では、保健センターを拠点に年5回の例会で、会員相互に考えたレシピで調理をしたり、テーマを決めて勉強会などもしています。また、市民参加の例会もあります。例えば、雪印メグミルクより講師をお招きして、チーズについて学んだこともありました。 それと何よりも、伊達は野菜が最高に美味しいので、会では伊達野菜を食べることを推奨しているため、圃場見学研修なども行いました。 そのほか、伊達市保健センター、食育センターなどを使用し、依頼があった団体の方たちと一緒に調理実習をしたり、「子育て支援センターえがお」・「伊達開来高校」の栄養学の授業に講師として伺ったり、子宮がん乳がん検診時にBMI測定や健康的な食事の提案、または野菜についての情報提供などもしています。 そうそう!コロナ禍で活動が制限されたことをきっかけに始めた『食改さんおすすめレシピ』という手軽なレシピも年5回発行しているのですが、現在20号まで発行されておりとても好評です。(R6年度は21号からスタートします」。 「なるほど…。活動は多岐に渡っていますね。とても重要な活動をされていらっしゃいますが、全てがボランティアなのですか・・・」。 「はい。戦後の創設当初からそうなのです」。 ここまで素晴らしい活動をされているお話を伺うと、もう本当に頭が下がるばかりです。 戦後80年も経っているのですし、完全ボランティアでなく、そろそろ方針を変えてもよいのではないかと思うのは間違っているのかな・・・? 会員さんの時間の無償提供に、国も地方自治体もいつまでも甘えていてよいのかな? そんな悶々とした疑問が湧いてきてしまった筆者です。 〜一番大変だと思うこと・やっていて良かったと思うこと〜 「私自身にとっては、何より、年齢問わずいろんな方と関わらせて頂いたことで、人とのコミュニケーションの大切さを改めて知ったことが大きな収穫でした。 それに、お料理をしたあと、「楽しかった!おいしかった!やってみるね!」など参加者から自然と出る言葉や姿を見ていると、とても幸せな気持ちになり、達成感に満ち溢れます」。 あ…こういうところですね。 きっと。 他人の喜びを自分の喜びに変換できるところが、岡村さんはじめ会員の皆様の素晴らしいところなのだと納得しました。 「大変だと思うことは、会員の皆様の自分自身の仕事とボランティアの配分です。会の団体名からよく間違われるのですが、私たちは伊達市の職員ではありません。完全な無償ボランティア団体なのでお給料もありません。 特に子育て世代は働いている方も多く、仕事を休んで活動するというのはなかなか難しいのが現状です。例えば栄養教室があるときは、レシピを考え、担当者を決め、打ち合わせをし、前日に買い物に行き、当日は参加者より早く行って下準備し、終わったあとは綺麗に片付けます。皆んなへとへとになります。高齢になればなるほどそれはより感じるはず。このように、忙しすぎる活動は実は会員が減る原因にもなっています。ですので、会の活動が持続可能であるために、私が会長になってからは、ボランティアの活動は月3回くらいまでと取り決めをしました」。 〜モチベーションの維持について〜 「やはり、皆様とても大変な想いをされながら活動をされていらっしゃるのですね。ボランティアと仕事の配分に悩む中、モチベーションの維持はどこにも求めていらっしゃるのでしょうか?」 「はい。会の仲間同士や参加者の皆様との異年齢との交流、またお友達でも家族でも職場の仲間でもない仲間との交流ができることはとてもとても貴重なことだと思っています。プラスして、家族や自分の健康の維持にも役立っていますし。例えば我が家の娘は「伊達野菜が美味しい!」というように素材の味がわかるようになってくれました。これはとても嬉しいことです。 ちなみに、娘の弁当は栄養バランスを考慮したおかずを詰め、16雑穀米、化学的ではないふりかけなどを入れています。そのお陰か常に快便で、思春期ですがニキビ・肌荒れとは無縁のようです。こういう効果は母親として大変嬉しいことですし、活動への意欲にも繋がります。活動を始めて以来、特に家族を見ていても、自分自身でも医食同源を実感しています。そして何よりも自分の活動を一番に理解してくれる人がそばにいるという安心感は、モチベーションの維持に繋がっています。それに私、今まで辞めたいと思ったことはないのです。食育講座に「来て良かった!」「こんな料理の仕方があるんだ!」というような感想を聞くことも大きな励みになっているのですよ」。 このようなお話を伺い、ご自分の立ち位置と、ワークライフシナジーを考えた岡村さんの姿勢に大いに納得した筆者でした。 〜10年活動してきて気づいた課題・活動を通して伝えたいこと〜 「食育アドバイザーとして10年の節目に会長になられたわけですが、活動の中で見えてきた課題はありますか?また、その課題の解決に向けて今後どんな取り組みを考えていらっしゃいますか?また、市民の皆様にはどんなことを伝えていきたいですか?」 「食事に気をつけている方はとことん突き詰めている方が多く、一方で全く気にしていない方も多いのが現状です。多くの方は、おそらくは健康診断に引っかかったり、何らかの身体への異常を感じたり、周りにそのような方がいない限り、おいしいもの、食べたいものを好きな時に好きなだけ食べるのが一般的かと思います。そんな中、私たちにできることは、“こういうこともありますよ〜”と、地区栄養教室や検診時サポート、学校などで種まきをしてくることなのではないかと思っています。もっとも、私だって、いつも健康的な食事をしている訳ではありません。とにかく美味しいものが好きですし、流行りものにもすぐ食いついてしまいます。夫に「癒し系じゃなくて、いやしい系だよね。」と昔言われてしまったほど笑。ですから、±0にするくらいの気持ちでやっています。なんて、会長が言ってしまったらダメなのかな・・・。でも、敷居を低くして、みんなで健康について考えるきっかけを作りたいと思っています。どのくらい芽が出るか、興味を持っていただけるかは分かりませんが、種を蒔かなければ何も始まらないので、地道かもしれませんが、微力ながら、活動をしていきたいと思っています。そして、その上で会員数を増やしたいと思っています。 広報でも案内されますが、「考える栄養教室」という2年に一回開かれている講座を一定時間受講し、食生活改善協議会にご入会いただき是非仲間になっていただきたいです。その講座が今年の秋に開催されます」。 「活動を通して伝えたいこととしては、せっかく素材が豊富なところに住んでいるのだから、産物を体に必要な十分な量を調理法を工夫して美味しく食べて欲しいと思っています。がんじがらめに“ねばならぬ”ではなく、ちょっとした心がけで健康に結びつくということを伝え続けたいです」。 〜今までの自分・今の自分・そしてこれからの自分〜 「今まで10年間の食育アドバイザーのボランティア活動を通して岡村香奈個人として得たこと、これからの自分に生かしていきたいことはありますか?」 「数えきれないくらいあります。まず、食改には娘が幼稚園のときに入りましたので、娘も食に対する意識が高くなり、ボランティア活動に対する興味も自然と身についていました。ある日、落ちていたビニール袋いっぱいにゴミを拾って帰ってきたことがあったのです。手袋もせずに落ちているものを触るということに正直不安もありましたが、食改に入っていてよかったなと思った瞬間でした。 それから婦人科疾患については手術をして根治したものの、年齢的にも気をつけなければいけない数値が色々ありますので、食事のコントロールで維持しています。食物系に対してこんなに興味が湧くとは思っていませんでしたが、体調不良や病気を経験し、きっとこうなるべく道だったのだと思っています」。 「これからのワークライフシナジーとしては、正直行き当たりばったり人間なので、目の前にあることをできる時に100%でやるって感じでこれからもやって行くのではないかと思っています。対価をいただく仕事としてのアクセサリーの制作は、制作意欲にもなりますし、食改においては、私が年間予定を決めるまでもなく、先に埋まってくるので、そこを調節する感じかな?そして、食改はあくまでもボランティア活動なので、あまり忙しくせず、どなたが入っても自分のペースで活動ができるということを、私自身が身をもって示していきたいと思っています。 仕事もボランティアも一人でできることではなくて、こうして好きなようにさせてくれている夫や娘を含み家族には、常に感謝の気持ちでいっぱいです」。 「では最後に改めて、会長としての抱負をお話しいただけますか?」 「とにかく、皆が仲良く楽しく活動できるように取り計らっていきたいです。会を通じて知り合うはずのない人と知り合える機会をいただきますので、多様な背景の人や、多様な年齢の人との交流を大切にしながら、食の大切さを共有し、会員全員が「やってて良かったね」と思えて、相互に学んだことを市民に還元できるような会にしていきたいと考えています。そして、もっと仲間を増やしていきたいです!」 決して気負うことなく、自然体で淡々と目の前の課題に取り組む姿はまさに会長の風格でした。 医食同源を身をもって伝えている会の活動に敬意を表すと同時に、岡村会長の想いが市民の皆様に届くことを願います。 北海道伊達市食生活改善協議会についての情報 連絡先 https://lollubas.dcpc.jp/post-558/ イベント情報 7/19伊達野菜についての講和 9/6メグミルクの方によるヨーグルトについての講和
Rietty
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07/08(土) ♡心と体で楽しむ健康なハーブを提供したい♡ 〜店舗リニューアルからの新たなチャレンジ 高橋敬子さんの想い
今回は洞爺湖町、洞爺湖へ向かう坂の途中にある香る丘「ハーバルランチ」代表の高橋敬子さんを訪ねました。 この敬子さんの笑顔と、この広げた腕が、まさに「ハーバルランチ」の温かさを象徴しているように感じます。 2000年噴火後の洞爺湖を盛り上げたい! ハーバルランチは2007年創業、毎年6月〜10月の営業です。 「小樽の春香から2002年に移住してきました。もともと春香でホースランチを営んでいた夫の手伝いをしていたんです。2000年に有珠山の噴火があり、テレビで復興に取り組む観光事業者さんたちの姿を見ました。噴火後2年経っても、観光客が2割しか戻ってきていないという現実を知った時、「私たちも復興に関わりたい!」「噴火後の洞爺湖を盛り上げたい!」と思いました。とくに、洞爺湖のこの素晴らしい景色の中で、自然を生かした遊び・体験の拠点を作りたいと考えました。」 けれども待っていた現実は厳しかったと言います。 当時は「体験」メニューの走り的存在でした。 まだまだハーブの認知度が低かったこと、当時の拠点がモンゴルのゲルだったこと、何よりも余所者だったこと、などからかなり怪しまれたそうです。 それこそ。 「あの変なテントみたいな家で一体何しているんだろう?」「ハーブって何?」「草でお金を取るの?」「蒸留って何?」 そんな悲しくなるような声がちらほらと聞こえても、なんとか地域に溶け込もうと頑張ってきたそう。 認知度が低いからこそ敷居は低くしたい。 そう考えていた敬子さん。 「難しく考えなくても良いように、とにかく間口を広くして気軽に直ぐに楽しめるコンテンツを作りました。」 敬子さんとハーブとの出会い ところで、少しお話を戻して〜。 敬子さんとハーブとの出会いのお話をさせてくださいね。 ・ 洞爺湖の景観にマッチすることは何か。 ・ 自然を生かしたプログラムは何か。 ・ お客様が楽しく癒されて健康に貢献できることは何か。 そんなことを考えていた時、たまたま近所の会社でアロマとばったり出会いました。 ピンと来た敬子さんは、ハーブ園を作ることを思い立ちました。 そして、直ぐにそこでハーブやアロマのことを学ぶことになり、ハーブコーディネーターやアロマテラピー検定1級の資格も取得されました。 この場所を選んだことも、もしかしたら洞爺湖が敬子さんを導いたのかもしれません。 「実は私、思いついたら行動までが早いんです笑 畑には、化学肥料や農薬は使わず、夫が経営するホースランチのお馬さんたちの堆肥を漉き込みました。この辺りは元々火山灰土壌なのですが、そこに質の良い馬堆肥を入れたことでハーブにはとても良い土になったようです。目指しているのは循環型の農です。ただちょっと困るのは、お馬さんの糞に残っていた牧草の種が発芽して生えてきてしまうことです。農薬を使っていないので、せっせと手で摘み取ります。 頑張ったご褒美で、ハーブ好きなお客様から『ここのハーブは味も香りも良いね!』とおっしゃっていただけるので嬉しくて。そうそう!そういえば!畑を作り始めたばかりの初期の頃、ようやく畑に苗を植えたところで、なんと修学旅行の予約が入ってしまったんです。『え!?どうしよう‥』と思ったのですが、『はい!』と受けてしまいました笑」 生育が間に合わないというのに受けてしまった敬子さん。 ここでも行動の早さというか、腹の括りの早さが見えます。 もちろん、ハーブをやりくりしながら見事やってのけました。 「その後だんだん道外での認知度が上がり、メディアへの露出も増えました。それでも地元の認知度は依然として低いまま。これではいけないと、地域のイベントにどんどん出展するようにしました。」 その努力の甲斐あってか、ようやく地元での市民権を得たハーバルランチでした。 今では道外・道内・地元からもリピーターさんが多くなったそう。 この日、実は取材と並行してヴィーガンのお菓子を習っていた敬子さん。 出張レッスンにいらしていた先生のもと、マフィン・スコーン・クッキーを試作中でした。 そして一緒にいただいたハーブティーは、題して「敬子ブレンド=リラックスブレンド」。 フレッシュなラベンダー+シソ+ペパーミントのお茶でした。 実はラベンダーの香りがする食べ物や飲み物は苦手な筆者ですが、こちらは衝撃的な香りと味でした! 嫌どころかお代わりしたいくらい美味しい!! 敬子さん、魔法かけた?? いえいえ。 やはり、良い土を作り、ハーブの特長と特徴を良くご存知だからこそのブレンドなのですね。 だって、どれをとっても癖のある強い香りのものばかりなのに、この素敵な味と香り! 「ハーブたちが良いお仕事をしてくれるんです。働き者のハーブがお客様に寄り添えるように、私はそのお手伝いをするだけです。」 ところで、マロウの後ろにある建物をご覧ください。 いつの間にかゲルからすり替わっていますね…。 拠点をゲルから手作り小屋へ 15年間苦楽をともにしたゲルでしたが、老朽化によりついにお別れをすることになりました。 「この形がもうなくなってしまう寂しさもありましたが、この形があったから、たくさんの人に喜んでもらえたと、ゲルには感謝の気持ちでいっぱいになりました。」 そこで今年の5月にリニューアルされた拠点がこちらの建物。 なんと旦那様の手作りです! 仲間の協力も得てついに完成しました☆ どうぞ画像をご覧ください〜。 南保子さんに、家庭でもできる簡単なハーブの使い方をお聞きしました。 「ミント・セージ・バジルなどはハンバーグや餃子に混ぜ込むと美味しいわよ♪増えすぎて困るアップルミントは出汁袋へ入れてお風呂へどうぞ〜♪」 なるほど! それなら筆者にもできる! アップルミントの侵略に困っていたんです ^^; 再び敬子さんにお尋ねしました。 「建物のリニューアルをされて、新しく加わったメニューを教えていただけますか?」 「ゲルからこの建物になったことで厨房も出来、長年の想い『食の提供』ができるようになりました。ハーブを心と体から楽しんでいただけるようになったのは大きなリニューアルです。ご提供するお料理やお菓子には、目の前の畑で元気に育ったハーブをふんだんに使っています。『ハーバルランチに行ったら元気になってリフレッシュできた!』そう思っていただけたら幸せです。」 まるで洞爺湖を独り占めしているかのようなこの景観だけでも贅沢な気分になるというのに、たくさんのハーブに囲まれて、おしゃれなランチやハーブティーをいただけたら、敬子さんの想いが伝わらないはずがありません。 はい! ここからはバトンを「LUX TOYA」に渡しましょうか☆ 今回は少し趣向を変えます。 「LUX TOYA」の謎は次回にします♪ どうぞお楽しみに〜!! 「私にとって、ラヴィンもハーブも大切な家族です。いつも側にいてくれてとても安心。いつでも寄り添ってくれる大切な大切な存在なんです。」 ―ハーバルランチと高橋敬子さん情報― ハーバルランチ http://www.jphorseriding.com/herbal/ ハーバルランチInstagram https://instagram.com/herbalranch?igshid=Y2IzZGU1MTFhOQ== 敬子さんFB https://www.facebook.com/keiko.takahashi.902
Rietty
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09/10(金) パンの店コスモス「えったまパンフェア」農福連携&フードロス削減に取組み
伊達市松ヶ枝町の「パンの店コスモス」で開催中の「えったまパンフェア」に行ってきました。 以前、特集で取り上げた伊達のブランド玉ねぎ「えったま333」を使用したオリジナルパンを販売する企画で9月30日まで開催予定です。 焼き上がり時間に合わせて伺うと、パンのいい匂いがお店いっぱいに広がっていました! 真ん中のテーブルには「えったまパン」がずらり。 形も味も様々な6種類が並んでいます。 社会福祉法人コスモス21ふみだすが運営する「パンの店コスモス」では、季節ごとに様々なパンフェアを開催していますが、今回の企画は「農福連携」の取組みの一環として初の企画となりました。 もちもち!えったま食パン。トーストしてもおいしい 一番人気のカマンベールオニオン 伊達の温暖な気候を利用して、越冬栽培で生産される「えったま333」は、ビタミンCや抗酸化力が高く、糖度も高いおいしい玉ねぎです。6月〜8月に収穫期を迎えます。 今回着目したのが、その「規格外品」。 農家さんが大切に育てた玉ねぎのうち、生産量の10%〜20%は規格外として堆肥になってしまうそうです。規格外といっても、形は不揃いですが味に変わりはありません。 そこで規格外品を仕入れて活用することで、「地産地消」に加え「フードロス削減」にも貢献できるという観点から、西関内の矢野農園、上長和の恵まれファームとの連携が実現しました。 ふみだす作業所での皮むきの様子 実を傷つけないよう、慎重にむきます 7月下旬から「ふみだす」で皮むき加工の作業が始まりました。納品先は洞爺湖温泉のホテルです。ホテルから農家へむき玉ねぎの注文が入り、それを受けてふみだすに玉ねぎが届けられ、皮むき加工をして業者がホテルに収める、という「循環の輪」が出来上がり、スムーズな連携が行われているそうです。そして8月下旬から「パンの店コスモス」でのパンフェアがスタートしました。 左:パイ生地とえったまが相性抜群!ソテードオニオンパイ。右:春のパンで好評なカマンベールチーズのえったまバージョン 所長の廣澤さんに伺ったところ、 「私たちの理念のひとつに『利用者さんの社会参加』があります。 皮むき加工とパンづくりによって、玉ねぎを介した地域の人たちとのつながりができ、スタートできてよかったなと感じています。 利用者さんもやりがいを持って取り組んでいるようでとても嬉しいです」 と話していました。 玉ねぎ型がかわいい、えったまちゃん えったまパンはパン工房の職人さんがレシピを考案。玉ねぎは茶系なので、特に苦労したのは「見栄え」だったそうです。 試作を繰り返し、美味しくて見た目にも個性的なえったまパンが誕生しました。 今月30日まで開催中です。ぜひ味わってみてください! パンの店コスモス 社会福祉法人伊達コスモス21ふみだす内 北海道伊達市松ヶ枝町59-4 営業時間 10時15分〜17時 定休日 木曜・日曜・祭日 電話 0142-25-0022 https://mushanavi.com/specials/7710/
むしゃなび編集部
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01/28(日) マニアではなく科学する人 世羅繁宇氏の“ Stage 2 “〜自家焙煎ジャズ喫茶『COSSETTE COFFEE』
過去最長の書き上げ時間を要してしまいました…。 そのくらい筆者を悩ませた人、世羅繁宇氏が今回の主人公です。 お話を伺う限り、全てにエビデンスに基づく計算があるということを察しました。 きちんと科学する人でした。 実は感覚派の筆者には一番不得手なタイプ。 言い換えれば、一番興味をそそられるタイプ。 だからこそ、理解に時間がかかったという訳です。 「起業する前は大企業のエンジニアでした」。 全てが腑に落ちたご経歴の持ち主でした。 『COSSETTE COFFEE』をオープンされたのは2022年6月のこと。 会社員時代から珈琲焙煎は趣味でなんとなく行っていたそうです。 その時使っていたのは銀杏を炒る道具。 その後、当然のごとくエンジニアスピリッツがより良い焙煎機への開発へと繋がっていきます。 「珈琲焙煎という趣味は、アウトドアの趣味とは違い金銭メリットが生まれます。 料理もそう。遊びの中でメリットがある。そんな気づきが起業に結びつきました」。 世羅さんの言葉に、単に趣味が高じたわけではないというニュアンスを感じました。 「誰かに師事したことはありません。バイブルは『田口護 珈琲大全』のみです。 焙煎、ネルドリップの淹れ方はこの本で学びを深めました」。 この本の冒頭にはこのように書かれていました。 (引用) [コーヒーの焙煎は名人上手の専売特許ではなく、職人的なカンの世界などでもない。 理詰めの数学であり論理学の世界なのである。 生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、 各プロセス上に存在する複数の条件によって、 さまざまな味が生み出されるメカニズムに着眼した「システム珈琲学」。 豆の種類から焙煎方法まで網羅した本格的珈琲実用書。 珈琲生産地の現状や栽培状況、味の特徴を決める焙煎、カッティング・抽出までを ていねいに解説する。焙煎技術書としてプロも活用可能]。 なるほど…。 この文章を読んだ瞬間に世羅さんに少し近づけた気がしました。 珈琲を科学する世羅さんにとって、焙煎機は最も重要な相棒。 なので、その制作にも理詰めの数学と論理的思考が働きます。 持ち前のエンジニアスピリッツも相まって、 とことんこだわるということなのでしょう。 「拘ったのは極力 “ 風 ”を入れず、温度管理を徹底させた香りの調整です」。 「え? 温度はイメージできますが、風もですか?」 「はい。現在、95%の焙煎は半熱風式で行われていると言われています。 大手さんになると熱風式となります。僕は難しいとされているほんの数%の隙間を狙った焙煎機を作りたかった。できるだけ豆本来が持つ香りをなくしたくない。 焙煎された珈琲って、3000~4000くらいの化学物質が生成されるのです。 それが、150℃位で香りの成分が気化します。できるだけその香りたちを封じ込める焙煎機を作りたい。それには風と温度の管理が最も重要です。 だから常に課題を見つけては一つ一つ改善する。ひとりPDCAをくるくる回す日々です」。 これは、機械技術者としての誇りを感じるお話でした。 弛まぬ研究から生まれた機械は、2007年に第1号機、2009年に第2号機、そして最新の第3号機が現在店舗内で稼働しています。 「現在「浅煎り」と呼ばれるものがブームですが、うちで煎り上がった豆は、一般的なカテゴライズには入らないと思います。 シティーロースト風シティーローストとでも言うのかな…。 正直、うちより香り高い珈琲は飲んだことがありません。『世界にひとつだけの珈琲』だと自負しています」。 この話しを聞いた時、筆者はこう尋ねました。 「それは、自分の舌への絶対的な自信ですか?」と。 当然。 「そういうことじゃない」。 と一蹴されました。 今思えば愚問でした。 あくまでも世羅さんの自信は科学的根拠に基づくものなのです。 「嗅覚で感じた香りは脳で増幅させられて味覚に刺激を与え、『味』を作ります」。 「なるほど…。 それをどう感じ、好みかそうではないかは味わう人次第ということになるわけですね」。 ネルドリップは筆者が一番好きな淹れ方です。 この素敵な膨らみ! 銅のポットから注がれるお湯で、 ネル袋のなかにふんわりと膨らむ豆を見るだけで興奮し、 既に口の中が美味しくなります。 マイセンの素敵なカップ&ソーサー いつまでも香りが鼻腔に残る美味しい「パナマゲイシャ」をいただきました。 常時8種類くらいを扱います。 ところで、店内を見回すとなんとなくレトロな雰囲気の調度品が目立ちます。 そこで尋ねてみました。 「レトロなものがお好きなのですか?」 「いいえ、これも計算です」。 「な…。なるほど…」。 「信頼している苫小牧の家具屋のオーナーがいらっしゃるんですが、話していると時代の変わりで生活様式も変化しているということを言っているんです。だから、その度に売るものを変化させて対応するんだそうです。その言葉を聞いて、インテリアにも気を配るようになりました。モードの時代は終わり、レトロデザインの時代が来ているんですよ。レトロなものは落ち着きますしね」。 「調度品にもデータに基づく根拠があるわけですね!」 日本のレトロとは違う、アメリカっぽい感じが若い層にも男性にも刺さりそうです。 筆者みたいなおひとり様好きな女性にも好まれそう。 「では、もしかしてオーディオも?」 「そうです。珈琲もそうですが、音についても僕はマニアじゃない。全て計算の上で選んでいます。現在置いているオーディオはアルテック605Aで、アビーロードスタジオで使用されていたものです。この環境に合うものを選びました。高音質をお楽しみいただけますよ」。 ハイクオリティーなモノへの追求は止まるところを知りません。 「もしかして焙煎機も4号機計画があったりしますか?」 少し間をおいて、世羅さんは力強く頷きました。 エンジニアスピリットを持つ珈琲焙煎士 世羅さんは、 空間コーディネーターとしても最善のトータルでお客様をお迎えする姿勢を持つ人でした。 店内にはジャズのレコードがずらりと900枚並びます。 圧巻。 最後に尋ねました。 「ジャズも計算ですか?」 「ジャズはもともと好きです。 ピアノならキースジャレット。オルガンならジミースミス」。 この答えをいただき、なぜかホッとした筆者でしたが、 正直、世羅さんをもっともっと掘り下げたい! そんな衝動を抑えながら、悶々と『COSSETTE COFFEE』を後にしました。 ん?? これももしかしてリピーターを生むための計算? ふとそんなことが頭をよぎりつつ、 今度はカレーを食べに行こう!と、決めていた筆者です。 ―COSSETTE COFFEE 情報― Web page https://cossette.theshop.jp Instagram https://www.instagram.com/cossette_coffee?igsh=MzRlODBiNWFlZA== 世羅繁宇氏FaceBook https://www.facebook.com/sera.shigetaka
Rietty
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05/23(月) 垣根のないコミュニティー作り “ とうや水の駅食堂 TSUDOU ” の未来像
交流の場つくり はじめにお二人がタッグを組み“とうや水の駅食堂 TSUDOU “ をつくりました。 一人目。 運営担当 折原 英明さんは札幌ご出身の46歳。 8年間、フランチャイズの外食産業においてスーパーバイザーとして勤めていました。 そして二人目。 店長 石塚 誠さんは伊達ご出身の44歳。 23年間、洋食の調理を経験されていました。 さて、始まった“ TSUDOU “ の未来をお二人はどのように想い描いているのでしょうか? 今回は、洞爺水の駅に5月6日に新規オープンされた“ TSUDOU “の運営担当 折原さんにお話を伺いました。 実は以前、こちらの場所には人気のうどん屋さんが入っていました。 ところが、そのお店が昨年閉店した後、2022年2月に新しい飲食店の公募がありました。 その際、5件の応募があった中、とうや水の駅食堂TSUDOUの企画が採用されました。 折原さん 「TSUDOU=集う 場として、あるいはコミュニティーの場として、人と人との交流の場として、“いつも開いていること” “いつも人が居ること” を大切にする場所づくりをしようと考えました。 その場の入口を『食堂』という形にしたのです。」 ↑注文カウンターは廃材を利用して作られています 移住を決意 筆者 「なるほど。ところで札幌ご出身ですよね。移住のきっかけは何ですか?」 お子様が小学校入学のタイミングで移住を決意されたということで、その背景を話していただきました。 折原さん 「札幌に住んでいた頃から、湖が近くて景観も良く、あくせくしていない旧洞爺村が気に入って、8~9年間くらいよく遊びに来ていました。子どもも連れてきていたのですが、湖畔の商店のお子さんと一緒に遊んでもらったりして、子どもの方がこの地域に早く馴染んでいました。大人たちも良く声がけをしてくれましたし、面倒もみてくれましたし。まさに昭和の子育てのような雰囲気でした。年代問わず、地域で子育てをしているような…そんな様子を見ていて、子育てするのにもここは良い環境だなあと感じるようになりました。それが移住の決め手です。」 このお話には筆者自身の思い出と重なり、とても懐かしい気持ちになりました。 自然も豊かなここがそういう地域ならば、確かに子育てには最適です。 ↑いつも温かく迎えてくれる洞爺湖 ↑お子様連れもWelcome! 筆者 「なるほど。では、初めからここで飲食業をしたいと考えて移住して来られたのですか?」 ↑お子様用オムライス。喜びそうです ↑シンプルさに安心感を覚えるカレーライス ↑伊達大矢ミートさんの黄金豚を使ったカツ丼 折原さん 「はい。飲食業に携わりたいと考えていました。この業界に長くいましたので、ノウハウは持っていました。それに自分が観光客としてここに来ていた頃、食事をするところを探すのに結構苦労しました。冬季休業してしまうお店も多いですし。ですので、ランチ難民を出さない地域にしたいとも考えました。」 ご自身の経験からこの地を選び、ご自身の経験から食堂のスタイルを決めました。 言ってみれば、約9年間のモニター結果から考えられた形ということになります。 まさにスーパーバイザーとしてのご経験が活きています。 ↑ホタテ漆喰を塗り、リノベした壁 TSUDOUへの想い さて、取材に伺った時はまだ店内が未完成の状態でした。 私ならきっと、あまりお客様には見せたくないと思う店内の姿がそこにはありました。 例えば壁。 ホタテ漆喰で塗られていましたが、まだ塗り残した面が多くあります。 テーブルも作成途中でした。 その理由の一つには、企画が採択されてからOPENまでの準備期間が1ヶ月そこそこだったということがあります。 でも折原さんは動じていませんでした。 “ TSUDOU “という場が徐々に変化していく姿も楽しんでほしいという想いがあったからです。 こちらのロゴマークをご覧ください。 とても余白の多い、シンプルすぎるように見えるデザインです。 でも、ちゃんと意味がありました。 「デザインの余白は、ここに集う人々が自由に描いてほしいと思っています。 地域の方はもちろん、観光で訪れた方にも、パブリックの場として誰もが気軽に入られる場でありたいですし、それぞれの想いを大切にしたいと考えています。 そのための入り口として『食堂』という形をとっています。 既住者であっても移住者であっても、子どもであっても高齢者であっても全ての垣根を取り払って融和していく中で、新しいアイディアや交流が生まれ、情報発信基地となり、結果として町に貢献できたら嬉しいです。」 と、折原さん。 ↑水の駅の入り口には車椅子も用意されています ↑いつも人がいる安心感を感じていただくために、施設内が見渡せる位置にテーブルを配置しています。とても開放的な雰囲気。 ↑大きなガラス戸の向こうには洞爺湖がいつも見えます 誰もが構えることなく入ることができる、親しみやすさと安心感がここにはありました。 きっと、“ 目の前に洞爺湖 “ というロケーションも手伝っていることでしょう。 「まずは水の駅をを含めて洞爺地区を盛り上げていきたいです。そのためにも、地域住民・役場・洞爺まちづくり観光協会・洞爺湖町商工会議所・地域の商店などとしっかりタッグを組みたいと考えています。そして、ゆくゆくは洞爺地区だけでなく虻田や温泉も含めて洞爺湖町の活性化に貢献していきたいと思っています。」 ご自身が観光客としてここに訪れていた時、地域の人々に温かく迎えていただいた恩返しをしたいとも話されていました。 食堂のこと ところで、食堂のお話。 筆者 「メニュー構成を教えていただけますか?」 折原さん 「メニューについては奇をてらったものは一つもありません。コンセプトは『洞爺の野菜と丼めし』です。食材については、野菜は洞爺産、肉は伊達の大矢ミートさん、鶏肉は伊達のめぐみ鶏を使用しています。将来的には、洞爺産野菜を使ったサラダプレートや、洞爺湖産のワカサギやヒメマスを使った料理も提供したいと考えています。」 ↑どれも馴染み深いメニュー構成です。メニューを見て料理をイメージできることは大切ですね。 最後に〜 お話を伺っていて筆者が気づいたこと。 それは〜 折原さんは、とてもフレキシブルな考え方をお持ちの方だということでした。 良い意味で頑固ではない方。 そして、全てにおいて『人』という存在を強く意識しておられる方でした。 “ TSUDOU “ という場から生まれる『何か』に大きな期待を寄せつつ、ロゴマークの余白が、訪れる人々の想いで彩られていく未来が楽しみになった筆者でした。 ―TSUDOU 情報― 場 所 洞爺水の駅内 営業日 ・5月中は不定営業 ・4~10月末 10:00~17:00 ・11~3月末 10:00~16:00 定休日 毎月第3木曜日(不定休あり) 詳細はinstagramをご覧ください。 https://instagram.com/toya.tsudou?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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02/12(土) 『役』を捨て自分自身に戻る時間 “hinna produced by Toya Pirka Shop” で癒される時
今回はToya Pirka Shopのオーナーで基礎化粧品“ hinna ”の開発者 加藤亜貴絵さんにお話を伺いました。 待ち合わせ場所に現れた亜貴絵さんは、スラリと背が高く素肌の美しい方でした。 石狩市ご出身で、短大では経済学を学び、長らく銀行員をされていたそうです。そして、6年前に洞爺湖町に移住されてからも同じ銀行の支店で働いていらっしゃいました。 ↑湖畔で遊ぶ亜貴絵さんの愛息子様 「地元に密着した洞爺湖町の支店では店内のチームワークも素晴らしく、営業の立場から地元の皆様とお話をさせていただく機会も多くあり、どんどん洞爺湖町の魅力に惹かれていきました。気づいたら洞爺湖町の大ファンになっていて、洞爺湖町の良さを町外はもとより町内の皆様にもっと知ってほしい!と思うようになっていました。」 そしてこんなお話も。 「自分自身、洞爺湖町に移り住んでから性格が変わったと感じています。それまでは常に何かに追われるようにキリキリとした生活でした。でも、洞爺湖町に移り住み、美しい自然や温かい人々に囲まれているうちに、周りの自然や人に心から感謝するようになりました。そして、“ 肩肘張らなくてもよい。自分の精一杯を生きればよい。”と、思うようになったのです。」 なるほど…。 “ hinna “のお名前の由来がわかりました。 hinnaとはアイヌ語で感謝を表すことばです。 「全てのものに感謝して生きていきたい」そんな亜貴絵さんの気持ちを表していたのですね。 さて、今回の主役 “ hinna “のことについて 「でも何故、その想いが化粧品に結びついていったのでしょう?」 そんな筆者の問いに、亜貴絵さんはこう答えてくださいました。 「私は元々アレルギー体質でもあり、ものすごい乾燥肌なのです。ですから、ありとあらゆる化粧品を試しました。その中で、これはいいかも!と思う基礎化粧品に出会ったとしても、何かしらの矛盾や難しさを感じて持続できない。加えて自分をすり減らす都会の生活にも疲れた頃に洞爺湖町に転勤して……。 そして先ほどの話に繋がっていきます。 ある日、ある農家の方に教えていただいた洞爺湖町名産の財田米と赤シソを知ったことは、私の中でとてもとても大きな出来事でした。洞爺湖町産の赤シソは、農家さんが毎年タネを採り、それを毎年撒き、手作業で何十年も繰り返し育てられているのです。命と産物を繋ぐ作業を全て手作業で行っていることに感動を覚えました。それに、抗アレルギー作用がある赤シソは、アトピー体質の私にはジャストフィットでした。この本当に素晴らしい洞爺湖町の産物をなんとか多くの人に知ってほしい! しかも私らしい方法で! そんな想いが化粧品とリンクしていったのです。」 一念発起した亜貴絵さんは、会社を辞め、わずか半年で『日本化粧品検定1級』を取得しました。 さらにお話しは化粧品成分に及び、語りは熱く繰り広げられました。 「まず、財田米はとにかく食べて美味しい! 実は私の父は石狩の米農家で育ちました。ですので、いつも美味しいお米をいただいていて、『うちのお米が一番美味しい!』と思っていたのです。ところが、財田米を食べたらそれが覆されました。初めて味わったお米での敗北感でした 笑。 心から美味しいと感じるものは肌にも良いと思っています。 お米には保湿や血行を促進する成分があると言われています。 そして赤シソ。赤シソには殊の他強い思い入れがあります。実は洞爺湖町は北海道で1.2を争う赤シソの産地なのです。それは残念ながらあまり知られていない事実です。こんなに良いものなのに何故!?と叫びたいくらい。赤シソには抗アレルギー・抗酸化作用があると言われる他、美白や保湿の効果もあると言われています。 この2大主役に加え、北海道産のサラブレッド由来のプラセンタも配合しています。こちらには優れたペプチドやアミノ酸が含まれているのです。 それと、hinnaは着色料や合成香料を使っていませんが、化学成分は含まれています。自然由来にこだわりすぎず、『人間が長年研究をし続けてきたお肌にとって必要な成分=化学の力』とのハイブリッドで作っているのです。 」 ↑手のひらサイズより大きな葉の赤シソ畑 ↑黄金色に稔った財田米 北海道産のサラブレッドにこだわった理由は、「餌の面でも衛生的にも丁寧に管理されていることと、北海道の原材料を使いたかったということです。」とのこと。 亜貴絵さんとお話ししていると、全てのことに裏付けがあり、きちんと分析されての言動だということが分かります。 ご自分のお仕事に対して『腹を括っている』という潔さが伝わり、ものすごく説得力がある。 本当にスカッと気持ちが良い方です。 ↑パンフレットデザインもパッケージデザインも全てご自分で行なっていらっしゃいます。 本当にバイタリティー溢れる方です。 ↑この優しい紫色は、お米の研ぎ汁の白と赤シソの紫を足した色だそうです。 「ところで、作っているのは亜貴絵さんご自身ではありませんよね? どのように開発レシピ通りに化粧品を作ってくれる製造会社を見つけたのですか?」 すると、その行動力に感動するお答えが返ってきました。 「あちこち電話を掛けまくって、直接営業をしにいきました! ですが、個人の話を聞いてくださるところはなかなか見つかりませんでした。変なオバさん扱い。ですが、実はこのコロナ禍はチャンスでもありました。化粧品業界もテレワークなどが多くなり、化粧をする人が減り、取引先自体が増えないという悩みを抱えていたのです。ですので、個人の話でも前向きに聞いてくださる会社様も現れました。それが現在、製造をお願いしております(株)粧薬研究所様です。こちらでは、私の話を本当に良く聴いてくださり、OEMに快く応じてくださいました。」 きっと、数字でものを説明できるという前職でのご経験も強みになっているのでしょう。 コロナ禍は、亜貴絵さん自身にも会社員であることのメリットとデメリットを深く考えさせてくれたと話してくださいました。 “ ピンチをチャンスに! コロナ禍をチャンスに!” 多くの人がそう口にしますが、誰にでも簡単にできることではありません。 でも亜貴絵さんは、コロナ禍をチャンスと捉えました。 止まりたくない。 前進あるのみ。 たとえ失敗したとしてもこうと決めたら突き進みたい! そんな亜貴絵さんの強い想いにより、準備期間に多くの苦悩を抱えて過ごしながらも、構想から1年半というハイスピードで ” Toya Pirka Shop ” を立ち上げることができました。 立ち上げ前には80人のモニターの方に使っていただきました。 いただいた感想から成分配合の手直しを繰り返し、ついに2021年12月に” hinna “が世に送り出されました。 最後にこう話してくださいました。 「しばらくは『変なオバさん』扱いでしたが、最近メディアで取り上げていただけるようになり、活動を知っていただけるようになったのはとても嬉しく有り難いことです。 ” Toya Pirka Shop “のコンセプトは10年後、20年後も使い続けたい持続的なものであることです。持続的であるためには価格はとても重要です。ですから、” Toya Pirka Shop ”の製品は価格設定が先です。 製造以外、今は一人で回しているので、製品コストは最低限に抑えることが可能です。 hinnaは1本3300円ですが、150ml入っていますので、だいたい2ヶ月半はお使いいただけます。内容成分的には絶対の自信を持っています。 女性にはたくさんの役割がありますが、1日の内のせめて数分だけでも自分自身に戻ってほしい、自分に優しくしてあげてほしい、そう願っています。スキンケアは自分自身の手で労わることができる作業です。自分で自分を癒すために毎日お使いいただけたら幸せです。 」 お話をいただく間、何度も周りの方への感謝の気持ちや、自然への感謝の気持ちを口にされた亜貴絵さん。 お話を伺い、この商品には” hinna “ 以外の名前は見当たらない。 そう思った筆者です。 ↑洞爺湖町 230号線沿いにある「きつつきカナディアンクラブ」さん敷地内にある「森と休日」さんで委託販売中です。 ↑こちらは洞爺湖温泉街の「越後屋」さんで委託販売中です。 「そうべつ道の駅 サムズ」さんでも2/11より委託販売が開始されました。 ※記事の内容は取材時の情報にもと基づいています(取材2022年)
Rietty
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01/27(木) スノースポーツをストレスなく楽しんでいただきたい! 〜スポーツたきぐち “ Ski & Board Tuning Service Center “ @倶知安町
北海道の冬と言えばパウダースノー! そしてスノースポーツですよね。 そこで、「世界一のパウダースノー」として有名になったニセコエリアのダウンタウン 倶知安町において、長年、地元に根付いた経営をされている ” スポーツたきぐち “ を訪ねました。 ↑お話をしてくださったのは、スポーツたきぐち 専務取締役 企画販売部長 滝口 和久 氏です。 滝口専務は小さい頃からアルペンスキー競技をされていました。 赤と青のポールを立てて、その間を回転し潜りぬけながら滑るスピード競技です。 ですので、スキーヤーの気持ち、道具の取り扱い方、その土地の気候を含めた雪のコンディション、斜面状況、その他スキー(スノーボードも)に関するあらゆることに精通されています。 “ スポーツたきぐち “ は、スポーツ用品全般を取り扱っていますが、今回は店舗の方ではなく、スノースポーツマテリアルのメンテナンス部門 “ Ski & Board Tuning Service Center “ の方でお話を伺いました。 「メンテナンス部門 “ Ski & Board Tuning Service Center “ ができた経緯とその想いを教えていただけますか?」 筆者特有のいきなり直球&核心的質問を投げかけました。 そんな唐突な問いに対して、とても詳しく丁寧に応えてくださった滝口専務です。 ↑年間1000台以上の板をチューンナップされています。 アルペンスキー・テレマークスキー・スノーボード・クロスカントリーなど、スノースポーツのあらゆる板をメンテナンスされています。ビンディング・ブーツの不具合などもご相談ください。 「Ski & Board Tuning Service Center(以下 Service Center)が出来たのは2019年5月です。” スポーツたきぐち “ は1964年創業、地元密着型のスポーツ店として今日まであり続けてきました。レンタル部門は以前からありましたが、商品については『売るだけではダメ』だ、何か付加価値を付けるサービス体制を作らなければ!と常々考えていたことを実行に移したのがService Center でした。」 ↑用途に合わせて様々な器具・機械が並びます。 おそらく、” スポーツたきぐち “ 創業当初は全国にもたくさんあったであろう地方のスポーツ店も、量販店の出現により徐々に減り、人口減少と少子化により廃業を余儀なくされた店が多いと思います。 そんな中において、今もしっかりと地元に根付いて存在しているということ自体が偉大なことです。 「10年くらい前からお客様のニーズに変化が現れました。 その主な理由は外国人観光客(スキーヤーやスノーボーダー)の急増です。 以前はスポーツ店とチューンナップ店は別々に存在するか、ホテルのレンタルコーナーでチューンナップを行うことが多かったのです。 ところが、『明日使いたい』とか『この後すぐ使いたい』という要望が徐々に増えました。 けれどもそのニーズに応えられる所はありませんでした。 外国人に限らず観光客は短い滞在期間でスノースポーツをしたい!という思いで訪れています。 それなのに、道具に不具合があって滑ることができないのはお気の毒です。そんな様子を見聞きするうち、顧客の細かいニーズに応えて差しあげたい! なんとかストレスなく滑れるようにして差しあげたい!と強く思うようになりました。」 滝口専務とお話しをしていると、「〜して差しあげたい」という表現がしばしば出てきます。とてもサービス精神旺盛な優しい方なのです。 筆者もスキーヤーですので分かりますが、チューナップ店に持ち込み「この後使いたいから直ぐに仕上げて!」と言って対応してくれるところは他に耳にしたことがありません。 こんな風に考えて取り組まれていらっしゃることは有り難いことです。 ↑エッジを研ぐ機械です。これがあるところは日本で何軒もないそうです。 この他の機械は全て、スキーだけでなくスノーボードも扱える構造になっています。 ↑中央のドームの中では板が通過しながらエッジが研がれていきます。 ↑サンディングマシンです。滑走面をフラットにする機械です。 ビンディングを付けた状態でも通すことができます。 ↑サンディングマシンにかけた後、水平を測ります。 「従来、チューンナップ店はスキーメーカーとのタイアップのもと、競技スキーヤーのためのストラクチャー(滑走面に付ける溝のこと。滑走面に小さな溝を削ることで滑走性を妨げる水分(摩擦熱で溶けた雪)を効率よくコントロールできる)を入れるための店が多かったのです。けれども道具が多様になり、パウダー用の板やカービングタイプの板などの出現で、スキーヤーの志向にも変化が現れました。 スノーボードもしかりです。 また一方で、ホテルでのチューンナップは機械の音が煩いとお客様からのクレームが絶えなかったそうです。 結果、ホテル内で整備を行うことはなくなりました。 このように、ニセコエリアでもニーズが変化し多様化する中で、メーカーとタイアップしてチューンナップを行なっていた店は、それに応えるためには機械を入れ替えなければいけないという問題(板が太いと既存の機械は使えない)が生じました。 けれども機械の入れ替えには莫大なコストが掛かります。 結局、諦めて廃業せざるを得ない店が出てきました。 そして追い討ちをかけたのが今もなお続くCOVIT19でした。」 ↑ストラクチャーを入れる機械です。ダイヤモンドの砥石が入っています。 こちらももちろんスノーボードの板も扱えます。 これらのことは、地域の課題であったと同時に、顧客ニーズになんとか寄り添えないだろうか…という滝口専務の想いを具現化するチャンスでもあったのでしょう。 販売からレンタル・メンテナンスまで一貫して顧客に寄り添う体制を作ることで、レギュラーチェーンとの差別化を図ろう!と ” スポーツたきぐち “ は高額投資を決意しました。 高価な最新の機械を何台も導入し、店舗とは別棟にしてメンテナンス専門の場所として作ったのです。 “ Ski & Board Tuning Service Center “ の誕生です。 「実はもう一つ、Service Center を作った理由がありました。 スキーもスノーボードも道具が高価ですよね? ブーツと板を揃えたら10万円は下りません。 せっかく買っていただいても、滑った後に手入れをしなければ直ぐに傷んでしまいます。 傷んだ道具は滑り辛く上手くならない、上手くならなければ楽しくない。 それで結局買い換えるか止めてしまう。 その負の循環を断ち切って差しあげたい! 楽しくスノースポーツを続けられるようお手伝いがしたい! 道具が長く使えるようにお手伝いをしたい! そんな想いがありました。」 今、どこの企業もSDGsへの取り組みが盛んです。 “ スポーツたきぐち “ としても、企業としてどんな社会貢献ができるか?と滝口専務は常時考えていらっしゃるそうです。 それが一つに「物を大切にするお手伝い」なのでしょう。 物を売る者としての責任を、販売部門・メンテナンス部門・レンタル部門を通して一貫して顧客に寄り添うスタイルで果たす。 その上で、持続可能なスノースポーツ業界を目指しているのです。 これは、スノースポーツに精通し、世界のニセコを有する倶知安に根ざした “ スポーツたきぐち “ だからこそできることなのかもしれません。 ↑このような制度もあります。試乗会だけでなく、もっと乗ってみなければわからない。 乗ってみたらとても良かったから手に入れたい。そんな方にはRent&Buyがおすすめ。 ↑ワックスもチューンナップ道具も揃えたけれど、使い方や整備の仕方が分からないという方向けにこのような企画もあります。 「さらに、SDGsの観点から言えばワックスにも注目しています。現在販売に力を入れているのはヴァウチというフィンランドのブランドです。 こちらは環境に配慮されたフッ素不使用品です。 フッ素不使用はFIS(国際スキー連盟)の規格にも合致しています。特長としては寒い地域に適していて、ノルディック競技はもとよりアルペン競技にも『滑るワックス』として定評があります。 また、ウェアなどもリサイクルの生地や糸などを使用した物も仕入れるようにしています。 実際に10年ほど前から欧米からのお客様はそういう環境に配慮されたものを求められる傾向にあります。」 ↑上の写真が世界的にオフィシャルをとったヴァウチのワックス。 日本国内の販売シェア80%をスポーツたきぐちが占めます。 ↑滑走面のケバを取り、ワックスをかける機械です。丁寧な作業をされる滝口専務。 ↑上の機械でワックスをかけた後、この機械の赤外線で浸み込ませます。 ↑Service Centerのスタッフは3人。 左から、スポーツたきぐち 専務取締役 企画販売部長 滝口 和久 氏。 右はアドバイザリースタッフ 江川 信以 氏。ニセコパウダープロスキースクール&ニセコテレマークスキースクール現校長。 中央はカスタマーサービススタッフ 竹花 健汰 氏。元スキージャンプ選手。 全員、スノースポーツに精通しているスペシャリストたちです。 このように、全力でスノースポーツをサポートする会社 スポーツたきぐち。 そして “ Ski & Board Tuning Service Center “ 。 「もっともっと、スノースポーツをストレスなく楽しんでいただきたい!」 という想いのもと、スポーツたきぐちは、日本だけでなく、あらゆる国のウィンタースポーツ愛好者たち一人一人に寄り添いつつ、トータルサービスを目指している会社です。 北海道の地元密着企業。 存在し続けてくださることが嬉しく心強いです。 スポーツたきぐち https://www.spotaki.co.jp スポーツたきぐちサイバーショップ https://shop.spotaki.co.jp ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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10/13(金) きのこから森を観て、森から地球を観る 〜愛ある きのこアドバイザー 中嶋潔ワールドへようこそ!
きのこ観察会にて この日は、倶知安にある「GURUGULU」というオフグリットのゲストハウスで「きのこ観察会」が行われました。 参加者は小さなお子様から大人までの15~6人。 この日筆者は、「きのこ観察会」への参加と、今回の主人公 中嶋潔氏 の取材目的で出かけて行きました。 お天気最高の野外活動日和♪ 実は筆者、潔さんの観察会には“きのこ”以外でも参加しています。 今回で4回目。 中嶋潔ワールドは、毎回飽きることなく楽しい時間を過ごせます。 何故かって? それはきっと、森愛溢れる潔さんと森にいると、とても楽しくて、平和で、幸福感が何倍にもなるから。 森がいっぱいの日本に住んでいて良かった! 地球に生まれて良かった! そんな幸せの時間を与えてくれる人だからです。 子どもも大人も惹きつける潔さんの技はひとえにお人柄が成すものです。 子どもって、そういうところを察する力に長けていますので、すぐに人気者になってしまいます。 中には、きのこ博士くん候補生のように詳しい子もいました。 毎回観察会を楽しみにしているご家族もいらっしゃるようです。 そして観察会の締めは約11種類もの“きのこ”が入ったうどんを毎回振る舞ってくれます。 実は皆、これも大の楽しみ🎶 林床への興味 実は潔さんは、あの難関資格「森林インストラクター」でもあり、「きのこアドバイザー」でもある森の人。 2001年から6年間林業に携わり、現在はニセコのリゾート会社にお勤めです。 「北大のポプラ並木が倒れたり、支笏湖周辺の森の木が軒並みなぎ倒された大きな台風が来た2004年、悲しいことにリストラに遭ってしまいました。管理する木がほとんど倒れて無くなってしまったからです。でも林業の仕事が大好きだったのでその後は民間会社の林業部門で働きました。林業に携わっていた6年間で行っていたのは、育苗・植林・伐採・管理。おもにトドマツ・アカエゾマツ・カラマツ・ミズナラ・ケヤマハンノキなどを植えていました。働き始めた頃は何も知らなかった樹木の名前も、毎日触れて観察をしているうちに、2年で倶知安周辺の樹木は全て覚えてしまいました。この地域の樹木について、ある程度把握できてきた時に、次に興味が湧いたのが、いつも樹木のそばの地面にいる、きのこたちでした。」 「興味を持ち始めた頃から直ぐに“きのこ観察会”を催すようになりました。自分自身はまだまだよくわからなかったので、黙々と独学もしつつ、『誰か詳しい人!?』と呼びかけて興味がある人や詳しい人と一緒に観察をすることで少しずつ覚えていきました。最初の頃は図鑑を森に持って行き、調べながら歩いていました。でもそれをやるとなかなか進まず多くを観察できません。実は、“きのこ”ってまだ良く分かっていないことが多いです。日本には5千〜1万種類くらいはあると言われていますが、その内、名前が付いているのは2500種類くらいです。そしてそれらのうち、一般的な図鑑に掲載されているものが800種類ほどです。名前のない不明菌と呼ばれるものの方が非常に多いことになります。実際に森を歩いていてもわからないものがたくさんあるわけです。だから、図鑑を持ち歩くのはとても非効率になります。ある日、北海道大学名誉教授の五十嵐教授の観察会の仕方を見て衝撃を受けました。森の中では一切図鑑を開かなかったのです。だから、僕も現場で図鑑を開かずに、種を言い当てることができるようになる努力をしました。きのこ用のカメラを買い、色々な角度から写真に収めてあとで調べるという方法をとりました。10年くらい続けてやっと種の見分けに信憑性が出てきたかな〜。」 にわか仕込みで覚えようとしている筆者には耳が痛い話です^^; 「また、FaceBookでは『北海道のきのこ好き』というグループを作って、常に新鮮な情報交換をしています。オンライン上の趣味のグループって、とかくイザコザが起きやすいのですが、このグループは居心地の良いグループにしたかったので、しっかりルールを守り、ネット上のマナーをわかってくれる人のみを承認するようにしています。自分がなかなか見られない“きのこ”も皆さんがシェアしてくれるのでとても勉強になります。」 常に学ぶ姿勢を止めない潔さんです、 そしてじきに、潔さんに転機がやってきます。 「ニセコのある会社から、スキー場ゴンドラの夏季営業を始めるに際し、山頂で自然体験部門を立ち上げるのでその担当者にならないかという話しが舞い込みました。好きな分野でしたので直ぐにお引き受けし、2007年から2020年に廃止されるまで担当しました。コロナ禍がきっかけでその部門はなくなってしまい、今は別のセクションにいるのですがあれは楽しい仕事でした。」 今ももちろん“きのこ”への愛は変わらず持ち続け、観察会活動はライフワークとして続けているというわけです。 「ところで、“きのこ”は確かに可愛くて面白いですが、それほどまでにのめり込んだのは何故ですか?どこにそんな魅力を感じたのでしょうか?」 「石炭期を終わらせたのは“きのこ”だという話を知っていますか?」 「え? あ…はい。一応ネイチャーガイドの端くれですので…」 「“きのこ”への興味は食べられるor食べられないだけではありません。まず、一期一会で神出鬼没なところが面白いのです。“きのこ”への興味を覚えてから20年超えてもまだまだ情報は更新し続けています。実に奥が深い。地球上の“きのこ”の登場は、酸素と二酸化炭素濃度のバランスに関係しています。地球上にきのこが登場する前、植物たちは枯れても分解されることがないので、その遺骸は地面に溜まり続け、それが石炭となって地面の中に二酸化炭素の多くを封じ込めてしまいました。そのため地球の酸素濃度はどんどん上がり続けましたが、“きのこ”を含む菌類の登場により、死んだ樹木を菌類が分解するようになり、石炭はできなくなってしまいました。その後、大気は現状の酸素濃度で安定し、土壌も変化し生き物は進化し、現生の植物が誕生しました。“きのこ”の登場は、地球上の生物や植物にとってとても大きな出来事だったのです。“きのこ”をはじめとした菌類が地球上の生命活動の重要な鍵を握っているわけです。」 なるほど〜。 もうかなり前のめりな筆者。 目がキラキラしているのを自覚しました。 もっともっとその続きを聴きたい衝動を堪えて、取材モードに戻しました。 同時にここで、潔さんが一体どんな子ども時代、青年時代を過ごしたのかということに俄然興味が湧いてきました。 潔氏 小学生〜大学生の頃 「小学生の頃は物知り博士的キャラでした笑」 「それって今と変わらないですね笑」 「そうだね。たぶん僕は父親の影響をかなり受けていると思います。父は兵庫県赤穂市生まれで海育ちだったので、海が大好きな人でした。よく釣りやキャンプへ行ったなあ。今でいうグランピングのようなキャンプも体験させてくれました。父自作の2段ベッドがテントの中にあったんです。自然の中での過ごし方の基本を習ったのは父からでした。そして、ものすごい読書家で聡明でした。物事を科学的に考えることがとても好きな人で、それを試してみるのも好きでした。手先もとても器用だったので、周りが驚くようなものを色々作っていたなあ〜笑」 お父様のことを楽しそうに話す潔さん。 “ 困った人” “ 変な人 ” という言葉が何回も出てきましたが、その言葉の裏にある尊敬と愛が込められていることも筆者には伝わっていました。 「例えばね、自宅の一角にコンクリートの建物を作って、屋上に畑を作ったこともありました。ところが階段がない。梯子で上るわけです。そして父親だけはトイレを使わず糞尿を肥料として屋上の畑に撒くわけです。周りは住宅街。当然臭う。当時、父はEM菌関連の本を読み漁って研究をしました。決して環境問題に傾倒していたというわけではなく、素朴な感情で超循環の暮らしをしたいと考え、自給自足を目指していたのだと思います。大変だったのはお袋だろうなあ〜笑」 「あ。こんなこともありました。当時大阪府に住んでいたのですが、自宅の近くに天の川という名の川が流れていて、その河川付近に遊んでいる土地があると放っておけない。開墾しちゃうんですね。特に迷惑を被る人はいないとは思いますが、まあ、今なら問題になりそうですよね…^^; とにかく、学校では学べない自由な世界があることを父が教えてくれました。」 お父様のお話を伺っていたのですが、途中から潔さん自身のお話を聴いている錯覚を起こすほど、お父様の影響を強く受けていらっしゃるなあと感じて、心の中でクスッとしてしまいました。 「中学生の頃は自転車少年でした。自転車の旅が好きで、高校の卒業記念に友達と13泊14日四国の野営旅をしたこともありました。高校時代はワンゲル部・新聞部・クイズ同好会を掛け持ちしていました。自然の中にいることも、ものを読んだり書いたりすることも当時から好きでした。北海道新聞のコラムを12年間連載したこともあります。」 しまった…。 またやってしまった…。 最近どうもうっかりとモノを書く人を取材相手に選んでしまいます。 潔さんは常に笑いながら話してくれるのですが、緊張が走った瞬間でした ^^; 「大学時代はワンゲル部一筋でした。山は本当に好きで、仏教系の大学で哲学を学んでいたのですが、卒業後は北アルプスの山小屋で夏から秋まで五年間、小屋番をしていました。」 小学生から大学生時代のお話を聴き終わり、目の前にいる潔さんを作り上げてきた道筋が見えた気がしてものすごく腑に落ちました。 キノコから森を観つづけた潔さんが成し遂げたい想いとは 「最後に、成し遂げたい想いがあったら教えていただけますか?」 筆者が投げかけた質問に、それまで、ニコニコと顔いっぱいの笑顔で話していた潔さんの顔つきが急に変わりました。 「キノコは森を観る窓だと思っています。」 そう切り出した話の続きはこうでした。 「北海道の70%は森林と言われています。ずっと森を観てきた人間として、キノコを通して北海道だからこその森の守り方・育て方・稼ぎ方などを仕組み化していきたいと考えています。ご存じですか?北海道の人工林の約50%はトドマツ林です。 そしてなんと、トドマツ林にはおそらく世界で一番キノコの種類が多く生えているのです。 しかも、トドマツ林は保護林の中には存在しない。つまり、林床の利用は自由です。 北海道にしかできない「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたいと考えています。その資格制度を作ることで、北海道の人工林に最も多いトドマツ林に生えるキノコを熟知している人を増やせば、世界で最もキノコを理解している人を増やすことになります。キノコの理解者を増やすことで、森は森のまま木々を適正に管理して守り・育てることができます。木を切って売る林業ではなく、林床のキノコを売って稼ぐ林業を成り立たせる仕組み作りをしたい。トドマツの林床に生えるキノコの中には、マツタケよりも高値で取引されるものもあるんです。そして、その仕組みを推進する立場として『トドマツ林限定のきのこマイスター』が存在する。人工林ってね、人里に近いところにあるわけです。しかも人工林には必ず林道があるし、トドマツ林には笹がない。それらもその新しい仕組み作りにはメリットになります。つまり、人が入りやすくキノコが生えやすい環境である宝の森と言えるわけです。つまり、何をやりたいのかをもう一度と言うと、”森は森のまま維持する林業”の仕組み作りのために「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたい!と考えているんです。」 土の中や倒れた木の中で、人間の目には触れない世界の中に無数に張り巡らされている菌糸たちのネットワーク。 そして、空気中に飛び出した見えない胞子たち。 地表の循環の立て役者キノコたちを通して語る潔ワールドの森愛・地球愛・人間愛にすっかり魅了され、潔さんの成し遂げたい想いを応援したくなった筆者でした。 ―中嶋 潔氏 情報― FB : https://www.facebook.com/kiyoshi.nakashima.18 FB : 「北海道のきのこ好き」 ・倶知安「風土館」にて時々講演をしています。 ・「北海道のきのこ好き」に参加すると、各種ワークショップ情報を得られます。 10/29にも倶知安「GURUGURU」にてキノコ観察会があります。
Rietty
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11/21(日) 夢を幻で終わらせない 自家焙煎「かのうち珈琲」的 夢の形
白老町北吉原の「かのうち珈琲」オーナー 鹿野内賢士さんを訪ねました。 遠軽ご出身で伊達に在住の方が白老町にお店を出したのは、「両親がここに土地を持っていたから。」 なのだそうです。 「かのうち珈琲」がオープンしたのは今年の9月22日のこと。 まだ出来て2ヶ月も経たないお店です。 白老町ゆうかり団地の住宅街に突如現れる「かのうち珈琲」は、隠れ家というよりはあまりにも唐突な現れ方で(失礼)そこにあります。 正直 「え!? ここ!?」と車の中で声を上げてしまったほどでした ^^; ところで、このベレー帽を被ったブタさんと、オーナーさんのお名前でピンと来た方はいらっしゃいますか? はい! 正解です♡ 実は、鹿野内さんは先日ご紹介いたしました「intime time アンティムティム」のオーナー浩子さんの旦那様なのでした。 「かのうち珈琲」の店舗はユニットハウスを2棟ジョイントして作られており、電気と水道以外の内装外装や棚などは全て、半年間をかけてご自身で作られたそうです。 ↑長居したくなる座り心地の良い椅子。 ↑壁をポンと叩くと灯りが点きます。 「元々大工仕事が得意だったわけではないので、妻には無理だと思われていました。」 と笑いながら話す鹿野内さん。 これは、一度ハマるととことん頑張るタイプとお見受けしました。 筆者から拝見する限りは、オホーツクサイクリング仲間だった頃から「とにかく優しい方」という印象でした。 定年すこし前に福祉関係のお仕事を辞められたのですが、それより以前から、夢を形にするための準備を少しずつ始めていらしたのだそうです。 元々珈琲好きだったこともあり、札幌単身赴任中に、200gまでを焙煎できる「テストロースター」を購入し独学で焙煎の勉強を始めていました。 これにはかなりハマって日々研究をされていたそうです。 ほらね、やっぱり…ハマるととことん凝るタイプ ^^ ↑札幌単身赴任中に手に入れたテストロースター。 「昔からただ漠然と喫茶店をやりたいなあ・・・とは思っていましたが、正直接客には自信がありませんでした…。」 と語り始めた鹿野内さん。 「長年、人と寄り添う福祉の仕事をしていたので、利用者さんたちからたくさんのことを学ばせていただきました。 ですから人はもちろん大好きです。でも営業的に接客をするのは自分にはあまりイメージできなかったし得意な方ではないと思っていました。 だから珈琲焙煎専門店にして、豆だけを売ろうと考えていたのです。 でも、せっかくならば自分が焙煎して挽いて落とした珈琲を目の前で飲んでいただきたいなあ…。と思い始めました。」 ↑じっくりと丁寧に淹れてくださいます。 と、照れ臭そうに話してくださいました。 けれども、そんな心配は無用でした。 早くもリピーターさんが多くいらっしゃり、地域住民の皆様にも好意を持っていただいていらっしゃる様です。 「夜遅くまで焙煎をしていると、伊達への帰りを心配してくださり “ 泊まっていきなさい “とか、“ 風呂に入っていきなさい “とか言っていただくのです。 でも店をオープンする前は、伊達から来るならきっと野菜の直売所だね!という噂が広まってしまっていて ^^; ドアを開けたら珈琲ショップだったので驚かれたこともありました。」 ↑珈琲は、アンティムティムさんでも購入できます。 これってきっと、鹿野内さんの優しく気さくなお人柄に惹かれたご近所さんたちが、何か世話を焼きたくなったり、顔を見に行きたくなってしまうということなのだと思います。 ↑立派なプレーヤー。近々ジャズをかけたいと思っていらっしゃるそうです。 「そういえば先日、テレワークの場として営業をしませんか?というお誘いを受けました。でも…お断りしました。 ここではゆっくりと日頃の疲れを癒して欲しいと思っているので、ここで仕事はしてほしくなかったのです。」 鹿野内さんらしいなあと、とても納得しました。 でも、焙煎への頑固なこだわりはしっかりとお持ちでした。 「毎日2kg~4kgの豆を焙煎しますが、ピッキングだけは絶対に手を抜きたくないと思っていますし、 それを店の持ち味にしたいと思っています。」 この言葉も激しく納得。 珈琲の袋を開けた時、変な豆が一粒でも入っていると本当にガッカリします。 筆者もカフェを営んでいたので、「丁寧にピッキングしていること」は焙煎所選びとして絶対に譲れないことでもありました。 ↑Kブレンドをいただきました。ドミニカベースで香りも豊か、本当においしかった〜! ↑ケーキは浩子さんが作っていらっしゃいます。お互いの夢を支え合う素敵なご夫婦です。 鹿野内さんが焙煎し淹れてくださった珈琲は、すごくクリアで雑味をまったく感じない本当に美味しいものでした。 量もたっぷりで160cc~170ccは入っています。 一杯を仕上げるため、丁寧に丁寧に珈琲豆を扱っていらっしゃることが、とてもよく分かる味でした。 またこんなお話もしてくださいました。 「仕事としての福祉への未練は全くありません。でもライフワークとしてはずっと関わっていきたいと思っています。要支援者は、障害者やご高齢の方だけでなく、例えば刑務所に入所していた方が社会復帰するときなども支援を要します。保護士としては現在も引き続いて活動していますので、将来はボランティアとして要支援者の皆様に珈琲を淹れて差し上げたいとも考えています。 私がお付き合いをさせていただいた利用者さんたちは、珈琲が大好きなんです!」 長年勤めた仕事を退職し、珈琲焙煎&喫茶店をオープンさせたことのまだ先に、鹿野内さんの夢は続いていたのでした。 「かのうち珈琲」的 夢の形は、分け隔たりなく多様な人々が癒されるように珈琲で橋渡しをすることだと気付きました。 壮大な夢にも思えますが、きっと鹿野内さんならばコツコツと一歩ずつ近づいていかれることと思います。 取材を終え外に出ると、昼間だというのに今にも大雨を降らせそうな空は黒くなっていました。 でも、暖かく周りを照らす太陽のような鹿野内さんとお話をさせていただいた筆者の心はポカポカでした。 住所 〒059-0923 北海道白老郡白老町北吉原661-337 ゆうかり団地
Rietty
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11/22(月) 木地師+α な多才人「工房夕花野」主宰 “ 石垣 拓也 “という人間に出会った。
大滝 三階滝近く、前夜雪が降り気温2度の寒い日。 広い建物にはストーブもなく、ほぼ我慢比べ状態の中取材をさせていただきました ^^; しかも2時間半。 今までの最長時間でした。 なぜならば、今回お会いした石垣拓也さんのお話がめちゃくちゃ面白い! それはもちろんお笑い的とかではなく、共感できるワクワク話が多かったのです。 もう、何をしに行ったのか忘れそうになるほどでした。 それはつまりはこんなお話し〜〜。 石垣さんは、今年の8月に置戸町から伊達市大滝区へ移住して来られた地域おこし協力隊員さんです。 そして、実は木地師でもあります。 そう、何を隠そうあの40年ほどの歴史がある「オケクラフト」の元職人さんでした。 しかも奥様も(奥様のお話はまた日を改めて。一緒に書いてしまうのは勿体ない程貴重な方なので〜)。 ここで少し「オケクラフト」についてご説明しますね。 https://okecraft.or.jp/about/ より引用 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 『オケクラフトは、置戸町の「オケ」、昔から地域産業として生産されていた曲げ桶の「オケ」と、「クラフト」を合わせた地域クラフトブランドです。 1983年(昭和58年)に置戸町と著名な工業デザイナーであった秋岡芳夫さんとの出会いから始まりました。誕生以来、置戸町では町を挙げた活動として、作り手養成のための研修制度、オケクラフトの販売、作り手への材料提供などをおこない、オケクラフトの生産、普及に努めてきました。』 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 地域を挙げてブランド作りに取り組み、成功した「オケクラフト」。 その影には元「Uni (鉛筆)」のデザイナーだった秋岡氏の存在がありました。 大量生産に疑問を持ち始めた秋岡氏が目指したのは、地域の木を使い、一つ一つ丁寧に作るクラフト職人を育てることでした。 その秋岡氏のマインドに共感し、師事されていたお一人が石垣さんだったのです。 でもちょっと疑問が…。 それは、何故、材料入手も販路も安定していた「オケクラフト」を卒業し大滝に来られたのか? 「たしかにオケクラフトを出るリスクはありました。オケクラフトにいれば販路は安定しています。 工芸家一本で食べていくのはとても難しいですから生活するには安心です。でも卒業しました。正直、職人として独立してもそれ一本では食べていけません。手作りなので数は作れませんから、収入は限られてくるのです。特にこの二年のコロナ禍では、それまで開催していた大手デパートでの展示会へもお客様が集まらなくなりましたし、中止になったものもありました。つまりコロナ禍での工芸品は、贅沢品で別に無くても困らない二の次の物になってしまったのです。」 ↑コロナ前までは札幌三越・さっぽろ東急百貨店などで展示販売をされていました。 このお話しは、観光に関わる仕事をしている筆者にも痛いほどに分かり共感しました。 でも、石垣さんは安定を捨てました。 「納品先(オケクラフトの場合は町)が安定しているということは、同じものを大量に作らなければいけなくなります。ここまで育てていただいたことにはとても感謝をしています。でも、もっとチャレンジがしたかった。たとえ時間が掛かったとしても、たとえ少ししか作れなかったとしても自由な発想で手間暇惜しまず物づくりがしたかった。大量生産から少量生産に切り替えたかった。つまり、作る量を半分に減らせば質は上がる!という結論を出したのです。でも、収入は確実に減る。…ということは、他に収入が無ければ食べていけません。」 なるほど。 とても納得します。 さらに石垣さんのお話しは続きました。 「他の収入を考えた時、広い工房を持って “ ワークショップ ” や ” 体験学習 ”を行って収入源にしようと考えました。対象は子供と親子。作品の材料となる木が生える森へ出かけていき、森、そして木に親しんでほしい。作品の背景となる木についても知ってほしかったので、近代化された都市部に行くつもりはありませんでした。自然豊富な環境に恵まれた地域で、そこに住む方たちと連携しながら、みんなで自分たちの住む地域を盛り上げていける所を探していて辿り着いたのが大滝でした。というか、ここしかない!と思いました。自然環境も人も建物環境も全て自分たちには最適な場所だったのです。 ここは本当にポテンシャルが高いです。札幌や千歳からのアクセスもとても良いですし。 あとは、どんなコンテンツを作ってどう発信していくか?だと思っています。もちろん資金確保の問題もありますが…。」 ↑材料はその木が育った森が分かるものを生木で購入します。材となり薬に浸かったものや外国産のものは使いません。あくまでも安心安全な北海道産のものに拘っています。 ↑皮を剥ぎ、用途に合わせて切り出していきます。 ここまで伺って、筆者はワクワクが加速していってしまいました。 なんて素敵な方が伊達市に来てくださったのだろう!! しかも石垣さん、オケクラフトメンバーになる前は店舗マネジメントのお仕事を8年ほど経験されておられ、その構想のお話しがただの夢物語ではなく、きちんとマーケティング理論に基づくものだということが分かりました。 なんとも頼もしい限りです。 掘れば掘るほど壮大な構想が出て来るご様子でしたが、今回はここまでの取材にとどめることにしました。 続きは素敵な奥様(曲師)の取材の時に伺いたいと思いますので乞うご期待! ↑奥様もオケクラフトご出身の曲げ職人さん。早く取材させていただきたい! 最後に、近々のご予定を伺いました。 「現在準備中の工房が年明けには整いそうです。 将来のワークショプのために、近々、木育マスターの資格も取得しようと考えています。そして来年9月には料理研究家の菅田奈海さんとのコラボで「食育と木育」のイベントを行います。対象は近隣の子供達と親子。伊達市内の会場を予定しています。」 話しは尽きなかったのですがここでタイムオーバー。 でも、筆者が石垣さんとお話ししていてはっきりと分かったことがありました。 それは子供たち、そして選んだ地域への愛でした。 日本の宝としての子供たちに、自分の仕事として何ができるか? 同時に、家族とともに協力しあいながら生活を支えるためにはここで何がしたいのか? 選んだ土地で、地域全体、そして自分が楽しく幸せに暮らせるために何をすべきか? すでにその答えは出ていました。 それらを考えた上での大滝移住でありビジョンなのでした。 地域おこし協力隊で 木地師+αの多才人 石垣拓也さんが起こす風。 風向きを見届けつつ応援したいと思います。 伊達市、ますます楽しくなりそうです。 ↓「夕花野」Instagram https://instagram.com/yuhanano_hokkaido ↓夕花野オンラインショップ https://yuhanano.handcrafted.jp/ 夕花野 主宰 石垣 拓也 E.mail : gakkey326@gmail.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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08/03(水) 〜栄養と音楽で人生に彩りを〜
『ニュートリション&ミュージックルーム』 主宰 石岡祥子さんプロフィール ピアノ、ウクレレ、チャイルドコーチ 発達凸凹ちゃんレッスン オーソモレキュラー こども分子栄養学アドバイザー 中医学、自然、アロマ、ワイン好き HSS型HSP はじめて石岡祥子さんのプロフィールを拝見した時、正直「??」が飛び交いました。 自然、アロマ、ワイン好き…はともかく、音楽以外のお仕事が頭の中でつながらなかったからです。 この方は一体どんな方なのかしら…? そんな疑問を持ちながらも、顔いっぱいの笑顔にとても魅せられ、Instagramをフォローさせていただき、「いつか取材をさせていただきたい!」とチャンスを狙っていた筆者でした。 ということで、そのチャンス到来! 今回は『ニュートリション&ミュージックルーム』主宰 石岡祥子さんにお話を伺いました。 分子栄養学と音楽の関係のこと そこはグランドピアノが置かれた音楽教室でした。 いしおかミュージックルーム 「音楽業界でのお仕事は26年になります。ヤマハとローランドの講師資格を取得して、自宅教室を主宰しています。今でも室蘭教室はありますが、3年前に伊達市に移住してきたのです。」 早速、疑問を投げかけてみました。 「分子栄養学と音楽教室の関係が見えづらいのですが、具体的にどのような活動をされていらっしゃるのですか?」 すると祥子さんは、まるで音楽が流れるように話してくださいました。 「栄養学を学んだきっかけは、私自身の体調不良でした。不定愁訴もあり、常に体調がすぐれないことが悩みでした。そんな状況から抜け出したくて、7〜8年前から栄養学・漢方・中医学などを学び、食生活の改善や生活習慣の改善に取り組みました。その過程で出会ったのが分子栄養学でした。私自身初めて目にするものでしたが、ある方の講演を拝聴して強く感銘を受けたのです。 その後、トップ講師の方から分子栄養学を学ぶ機会を得て、分子栄養学アドバイザーの資格を取得したのが3年前のことでした。自分自身が分子栄養学に基づいて食生活の改善をした結果、みるみる体調が改善されていくのを実感しました。」 「なるほど…。活動の背景には祥子さんご自身の体験があったわけですね。でも、音楽との関連がいまひとつ見えて来ないのですが…。」 「26年間音楽教室をしていますと、3歳から習いにきてくださったお子様も成人します。とても長い期間のお付き合いになるわけです。ですから、幼児特有のイヤイヤ期やメソメソ期、思春期で不安定な時期なども時を一緒に過ごします。なかには発達がゆっくりめのお子様がいらしたり、とても繊細だったり、悩みを抱えていたり、そのような場面にも遭遇します。中には、それらが要因となって生きづらさを感じてしまうこともあるわけです。かつての私のように…。」 音楽教室といえども、20年以上も同じ時間を過ごされている中で、生徒さんの成長を音楽以外でも見守り、寄り添いながら、人間同士のお付き合いをされているということなのですね。 誰にも人生を謳歌してほしいという願いをこめて 「体だけでなく心の不調も、実は食生活改善によって大きく解消されます。体調がよくなるとパフォーマンスも上がることを知ったのは大きな収穫でした。本来、その人が発揮できるはずの力を支えているのは、毎日の食事と睡眠です。 分子栄養学的アプローチで、生活改善をすると日常のストレスも軽減されるということを、多くの方に知ってほしいと思っています。私がお伝えしていることは、私の心身で実証された実体験がベースです。そこに音楽をプラスすることで、人生をより楽しく謳歌してほしいと願って活動しています。」 「私の中では、音楽も食も人生をより豊かにするものだと思っています。決して音楽と食を融合しようとしているわけではありませんが、どちらも人生には不可欠なものだと思っています。誰でも皆、人生を楽しみたいですよね。ところが、お子様でも大人でも、様々な心身の悩みを抱えていたり、生きづらさを感じていたりする方は多いです。ですので、私は音楽と食の面から、人生を楽しむお手伝いをしたいのです。分子栄養学を学んで実践していただくことで、心身の不調の原因を推測できるようになり、ご自分の身体を整える方法を知ることができます。分子栄養学も音楽も、その方の人生に彩りを加えることができるものと信じています。」 ここまでお話を伺い、ストンと腑に落ちました。 ものすごく納得しました。 祥子さんのお話は、自らのお体で実証済みですし、科学的裏付けもあるのでとても説得力があります。 さまざまな講座を開講☆ どの企画も興味津々! これらは既に終了した企画ですが、次回開催に期待したいです。 ※画像はクリックで拡大表示できます そして・・・ なんと! 8月10日には「なつやすみこども分子栄養クッキング」教室が開催されます! 皆様に人生を楽しく謳歌してほしい! 生徒さん、お一人お一人に寄り添いながら、栄養と音楽の両方からサポートを続けている石岡祥子さんです。 ―『ニュートリション&ミュージックルーム』情報― 住所 伊達市南稀府町 電話 090-9080-5877 ◆「お子さまとママを幸せにする栄養のお話」 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆「からだ」と「こころ」に必要な栄養のお話 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆その他個別相談 1回1時間〜1時間半 3,000円 ホームページ http://ishiokapiano.music.coocan.jp/ LINE公式 lnktr.ee/ShokoIshioka Instagram https://instagram.com/musicroom_is?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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10/30(月) 農業は化学&科学だ! 〜尾川農園的マネジメントとは? 尾川 圭延・佳奈夫妻を訪ねて
別海町の酪農家に生まれ、中学生までは早起きして親の仕事を手伝う毎日。 家族でどこかへ出かけることすら出来ない。 あまりの大変さに、“ 絶対に農家にはなりたくない “ と、サラリーマンの道を選び、営業マンとして忙しい日々を送る圭延さんでした。 一方、地方回りで忙しく、1週間に2日くらいしか家に帰ってこない夫を待つ妻 佳奈さん。 佳奈さんは当時医療事務の仕事をされていました。 そんな尾川夫妻が伊達への移住を決め” 就農する “ と決めたのは13年前のことでした。 農業の道を選んだ理由とは? 「いったい何故、そんなに嫌いだった農業の道を選んだのですか?」 「別海に住んでいた両親はすでに酪農を引退し、今は弟子屈町に住んでいます。そこへ遊びに行った時、家庭菜園を楽しみながらのんびりとスローライフを楽しんでいるのを見た時、なんだかとても良いなあって思えて憧れました。周りでも農的生活を見聞きする機会があり、農業への興味が湧いて来て、転職を考えるようになりました。両親の生活を見て来た上でそう思ったので、できる気がしたんですよね。」 「まあ、圭延さんはよいとして…。佳奈さんはそんな旦那様の提案に抵抗はなかったのですか?」 「私自身も夫の親の姿を見て、土や野菜に触れながら生活する暮らしはいいなあと感じていました。それに農業ならば一緒に仕事ができるので嬉しかったんです。でもね、理想と現実は違っていました 笑 喧嘩もずいぶんしました。」 そもそも農業をやりたくて伊達に来たわけではないという尾川夫妻。 「サラリーマン時代、営業でこの辺りも回っていました。その時も感じたのですが、伊達の気候の良さにはいつも驚かされていました。東の方から車を走らせてくると、伊達市に入った途端晴れているということが良くあります。知り合いの学校の先生も” 退職後に住むなら伊達だ “ という話をよく聞いていました。全道各地を転々とする学校の先生の言葉には信憑性があります。そして、伊達が農業の町であることも知りました。その時に、自分の想いと伊達とが繋がりました。” ここで就農したい! “ と。」 ついに『伊達に移住して農業を仕事にする』と決意した圭延さん。 伊達市の農務課へ向かいました。 ところがその時は、移住も就農もあまり勧められなかったそう。 けれどもそんな反応に怯むことなく、農業についていろいろ調べた圭延さんは〜 「調べれば調べるほどできる気がしていました。でもお金を貯めなければ!と札幌の家を引き払い、まずは洞爺湖温泉街の寮がある職場を探し、二人で8ヶ月間働いてお金を貯めました。いきなり伊達に移住せず、洞爺湖温泉に行ったのは正解でした。そんな僕らの真剣さを知り、伊達市の農務課の方はその後親身になって相談に乗ってくれました。」 さて、ご存知かもしれませんが、農業はなりたいからと言ってすぐに出来るものではありません。 認定新規就農者になるためには、1年間の修行を経なければならないのです。 「研修期間は、土起こし・肥料撒きなどの畑作りに始まり、農業全般一連の作業を親方に付いて学びます。もちろん学ぶ中には「作業」だけでなく、経営についても学ばせていただくわけです。思いだけでは食べていけません。経営が上手くいってこそですからね。」 1年間の修行を終えた尾川夫妻は、牧草地を手に入れました。 “ 自分にも出来るような気がする” という想いをついに現実に繋げました。 尾川農園的マネジメントとは? 尾川農園の経営スタイルは考え抜かれていました。 ・一年中収穫できるように、ビニールハウスでのみ栽培をする。 ・作る野菜の数を極力絞り込む。 ・出面さんは雇わず二人でできる範囲で行う。 ・土との対話を常に行う。 「2011年5月から始めたのですが、収益は経験値と共にどんどん上がっていきました。わずか1~2年で “ 大丈夫だ “ と実感しました。安定した生活は思った以上に叶えられ、住宅も購入することができました。ところが3年目に連作障害を出し、そこからは随分と「土」に悩まされました。土のECやPHを頻繁に測り、農家を始めて5年くらいで土の扱いを変えました。連作障害への不安は結局事業開始後9年間くらい続きました。そんなこんなで、理想としていたスローライフとは段々かけ離れていきましたね 笑 」 ビニールハウスの栽培は、天候に左右されることなく収穫することができます。 一年に6~7作もできるというのは、北海道としては画期的なことです。 伊達市では、150種類を超える種類の野菜を作っていますが、特に、冬でも葉物野菜が道の駅に並ぶ地域は他にはあまりありません。 尾川農園では、切れ間なく作物が育ち出荷できるように、ハウス毎・作物毎にタネを蒔く時期や植え付けの時期をずらしながら栽培しているそうです。 「チンゲンサイは1月上旬から11月半ばまでが栽培〜収穫期。そのほとんどを市場に出します。コマツナと水菜は道の駅のみ販売。夏場の2ヶ月は少しだけオクラも作ります。」 「種類をかなり絞り込んでいらっしゃるのですね。」 「はい。手法的にはほとんど修行先の親方のやり方を真似しています。その農家さんはしっかりと経営が上手くいっていらっしゃいますから。やはり生活ができるということが大前提です。だから、人を雇わなくても二人で出来る範囲で、無理をせずに確実に利益を生める方法で営むというスタンスをとっています。野菜の種類を絞り込むというのもその一つです。」 「さきほど連作障害への不安も語っていらっしゃいましたね。全くの素人的質問ですが、同じ野菜ばかりを作るということはそのリスクが高まるということはないのでしょうか?」 「一般にはそう言われています。ですので、『これが良い』と言われる色々なやり方も試しながら、土と肥料のバランスにはとても気を配っています。同時に、僕の中での「土のマネジメント」は、いかに土の良さをいかに壊さないかに尽きると思っています。畑ではない土の中は、多様な微生物たちが絶妙なバランスを保って存在しています。例えば森は何も手を加えなくてもほとんど毎年同じものが生えてきますよね。」 ものすごく納得します。 化学的見地に立ち、いかに地力を壊さないようにするかを考えて土に向かう圭延さんの姿勢に、農業者の日々の努力あってこその美味しい作物なのだと認識新たにしました。 この夏の異常な暑さにより、多くの農家は作物の出来が悪く苦戦を強いられました。 けれども、尾川農園のハウス栽培の葉物へのダメージは少なかったそうです。 ハウス栽培のみを選択したことが功を奏した今年の異常気象だったようです。 「今年はあまり被害を受けませんでしたが、同じ作物でも毎年出来が違います。大切なのは常に化学目線で作物を育て、科学的にマネジメントすることだと思っています。当たり前のことですが、作物は土の栄養を吸い上げています。収穫した後は土に足りなくなった成分を補わなければいけない。ある時から、” 土作り “ という表現が僕の中でしっくりと来なくなりました。土を本来持つ力に戻す、言い換えれば土の良さを壊さないのが一番大切だと考えるようになりました。でもまあ、今でもトライアンドエラーの繰り返しです。研究し続けたいです。」 面白いエピソードを伺いました。 「だて道の駅でのチンゲンサイの販売が終了した11月末、お客様から1本の電話が掛かって来ました。” もうチンゲンサイ出さないの?うちの鳥が尾川さんのチンゲンサイしか食べないのよね “と言われたんです。聞いてすぐは “え? 鳥? “ って、正直釈然としませんでした。でも、冷静に考えたらすごいことだと気づきました。舌が敏感な生き物がうちのチンゲンサイを安全で美味しいと認識して食べてくれているわけですから。嬉しかった。ネタも出来ましたしね笑」 素敵な話です。 鳥の真似をして生で齧りたくなりました。 「最後に今後の展望を聞かせていただけますか?」 「事業を拡大したいとかは全く考えていません。現状をできるだけ維持したい。そして新しい人がどんどん続いて伊達で農業を始めて欲しいと思います。そのためにも何らかの仕組みがあるといいなと思います。現在、新規就農研修者の受け入れ先が高齢化で減少してしまい、新規就農がここ数年止まった状態です。たとえば学生の農業体験受け入れなどもできる仕組みがほしい。体験をきっかけに若い人が農業を職業選択のひとつに考えてくれたら嬉しいです。」 「決して裕福な暮らしをしているわけではありませんが、今まで僕らがしてきた選択は間違っていなかったと自信を持って言えます」と圭延さん。 「農業が好きです。最初に話した “ 農家ならば二人で一緒にできるから嬉しい “と言ったこと、やっぱり優等生みたいで恥ずかしいから書かないでね。」と佳奈さん。 こんな素敵なお話し、書かないわけにはいきません♡ ごちそうさまでした! ありがとうございました〜! ―尾川農園情報― 代表 尾川 圭延 住所 伊達市弄月町75-9 電話 0142-25-2125 Instagram :https://instagram.com/oga_farm0501
Rietty
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04/12(火) The 洋菓子界のサムライ 川村拓也 “ Sweets Nature “のオーナーシェフに出会った。
今回は、2021年10月に新規オープンした洋菓子店“ Sweets Nature “のオーナーシェフ川村拓也さんを訪ねました。 「お菓子作りに絶対に妥協はしません!」 可愛らしい洋菓子がずらりと並ぶショーケース。 ため息が出るほど繊細で可愛らしく美しいデザインに、誰もが一目で幸せに浸れるほどのインパクトがあります。 そして、綺麗に並べられたケーキの前に立つオーナーシェフ川村拓也さんは力強く言いました。 「お菓子作りに絶対に妥協はしません!」 拓也さんは神奈川県川崎市ご出身の33歳。 1歳の娘さんを持つパパでもあります。 建具職人の家に生まれ育ったことは、しっかりと少年の心と頭に刷り込まれていたようです。 中学生の頃になると、「将来もの作りをする人になる!」と決めていたといいます。 そして、当時放送されていた「アンティーク」というパティシエのテレビドラマが、拓也さんの将来の職業を決定づけました。 「自分は絶対にパティシエになる!」 そう決めてからは、脇目もふらずその道に一直線でした。 拓也さんのパティシエ修行の始まりです。 高校卒業後は「国際フード製菓・製パン専門学校」へ進学。 1年目は和菓子とパンも学びました。 卒業後は、東京の有名洋菓子店「ラテール」に就職し5年間勤めました。 ラテール退職後は、恩師の紹介でウィンザーホテル洞爺に出店していた「ミシェルブラン」にて8年間パティシエ修行。 その後退職され、起業準備を始められました。 「何故、起業の地に伊達を選ばれたのですか?」 「実は伊達は妻の出身地でもあります。ここは気候も温暖ですし、周辺地域ではフルーツ各種の生産農家さんも多くいらっしゃるからです。」 なるほど。 フルーツは洋菓子には欠かせない素材です。 「フルーツ以外の素材選びはいかがですか? 何か拘りはありますか?」 「メイン素材としての小麦については、北海道産があまり洋菓子には向かないので使っていないのですが、乳製品・卵・砂糖・塩は北海道産です。なかでも砂糖は北海道糖業(伊達市)のものですし塩はカムイミンタルの塩(洞爺湖町)です。できるだけ近隣の、もしくは北海道のものを使うと言うのが素材へのこだわりです。」 材料の出処がわかるということは、消費者としてとても安心します。 「ところで、中学生の時にパティシエになると決められてから、一直線にこの道を歩んで来られたわけですよね? 特に影響を受けた方はいらっしゃいますか? またそれはその方のどういうところですか?」 「二人います。一人は横浜の洋菓子店 “ グリューネベルグ “の浜田さん。もう一人はミシェルブラスさんです。どちらの方もケーキ一筋で引き出しが非常に豊富でしたし、私の知らない世界を見せてくださいました。そんなお二人のフランス菓子に取り組む姿勢全てに影響を受けていると思います。」 拓也さんとお話をしていると良くわかるのですが、とにかく洋菓子への想いがものすごく深いのです。 ストイックにとことん追求しようとされている姿勢が、尊敬するお二人に学んだというお話からも感じ取れました。 もの作りの魅力は、形のないゼロから作り出して自己表現することにあり、洋菓子作りは自分にとっての最大の表現方法だとも話してくださいました。 「お菓子のイメージ作りに参考にするものは何かありますか?」 「料理やジュースなどを見て、使われている素材そのものや組み合わせなどを参考にしたりしています。デザイン的にはフランス人のパティシエのインスタなどを参考にすることもあります。 レシピは仕事の最中に突然沸いてきます。」 常に勉強熱心な拓也さんです。 現在、1週間に3~4日の休業日を設定していますが、店の休業日は全て仕込みに使われているそうです。 開業以来全く休んでいらっしゃらないとのこと。 ただし、ショーケースに並ぶ生菓子は全て当日の朝作られたものです。 当日以外に作られるのは焼き菓子のみとなっています。 このことは、“ Sweets Nature “のコンセプトにも通じていました。 それは〜 『フレッシュなものをフレッシュなうちに召し上がっていただくこと』 絶対的に新鮮であることにこだわっていらっしゃいます。 そのために命を賭けていると言っていいほどだとおっしゃいます。 「だから、生ケーキはその日に売り切ります!」と断言されていました。 生ケーキは、夕方行くとショーケースがガラガラのこともあります。 新鮮さを追い求めると同時に、食品に携わる者の責任としてフードロスを出さないこともポリシーとされているため追加製造はしていないそうです。 店舗デザインについては、シンプルであることにこだわりました。 シンプルであれば季節感の演出もしやすくなります。 ロゴもまたシンプル。 自然派をイメージした清潔感あふれるものになっています。 そして、店舗デザインで最もこだわったところは作業場が見える大きな窓でした。 「双方に顔が見えると、お互いに安心しますよね。ここに窓をつけました。」 「でもちょっと大きすぎました。」と照れ笑いをした拓也さんへ、最後の質問をしてみました。 「ご自分を一言で言うとどんな人間だと思いますか?」 しばらく考えて答えてくれた言葉に、筆者は大きく頷いて「その通りですね!」と間髪入れず言ってしまいました。 「難しいなあ…。ひとことで自分を表現すると…、“ まっすぐ “ かな…?」 職人気質で一直線な“ Sweets Nature “のオーナーシェフ川村拓也さん。 まさに洋菓子界のサムライのような人でした。 Sweets Nature情報 オーナーシェフ 川村 拓也 住所 〒052-0027 伊達市大町3-2 電話 0142-88-6093 営業日・休業日はInstagramをご参照ください。 https://instagram.com/sweets_nature_kawamura?igshid=YmMyMTA2M2Y= ケーキの種類 :ショーケースには定番・季節ごと合わせて常時12種ほどのケーキがあります。マカロンは5種類。パンはクロワッサンとパンオショコラの2種類があります。また、焼き菓子はクッキーからバターケーキなど多数。季節のイベントに合わせて特別な商品も並びます。
Rietty
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11/17(水) “悩める女性の力になりたい”「Thyme on greentea @ツケダ薬局本店」
ツケダ薬局さんと出会ったのはこの夏のことでした。 普段元気な筆者にはあまり縁のない「薬局」という場所でしたが、この時はまったく別の用事で訪れたのでした。 食品や化粧品・衛生用品・雑貨などが並ぶ大型のドラックストアとはまた違う雰囲気の薬局は、「病気を前提に少し緊張感を持って入るところ」。 そんなイメージを勝手に持っていました。 けれどもツケダ薬局さんは違いました。 入った瞬間になんとなく温かく優しい空気を感じました。 そして、気になった薬局店内にある「薬膳カフェ Thyme on greentea 」の看板。 いつか取材させていただきたい!と3ヶ月想いを溜めていたのでした。 今回、取材に応じてくださったのは「ツケダ薬局」取締役の附田 綾さんです。 綾さんは釧路のご出身で、長らく行政の保健師としての立場で健康相談・指導をされてきました。 ご結婚後、密かに温め構想を持っていらしたこと。 それは。 「もっと薬局の敷居を下げたい」 「気楽に立ち寄って、皆様に健康になってほしい」 「悩める女性の力になりたい」 ということでした。 そしてそれらを総合した『街の保健室計画』のもと、2019年9月にオープンされたのが「薬膳カフェ Thyme on greentea 」でした。 ↑明るく気取らない心地よい空間。 ↑可愛い椅子が並びます。 綾さんは保健師の資格の他に、国際中医専門員としての資格をお持ちです。 日本的に言えば漢方相談員。 皮膚の悩みと不妊の悩み・更年期などを中心に体のあらゆる悩みの相談に乗ってくださいます。 時には不登校の悩み相談も。 「相談」の場は、「薬膳カフェ Thyme on greentea」のスペース。 メニューには、いかにも体に良さそうなドリンクが並びます。 ↑筆者はクラフトコーラとグリーンサブレを注文。丁字の香りが心地よい刺激で私好み。青汁が混ぜ込んであるサブレはサックサクですごく美味しい♡ ↑奥の厨房で注文品を作る綾さんの姿はまるで調剤をしているように見えました ^^ 「人間の体は口に入れるものからできています。 一方で心の動きもありますね。体の不調はその方の「体質」によるものなのです。 けれども、心も体もスパっと割り切れないのが人間でもあります。 もし、相談にこられた方が占いで体調が良くなるのならそれがベストだと考えますし、マッサージでよくなるのならそれがベストなのだと考えます。 相談者の方に合う改善策が必ずあるのです。 ですので、私は中医専門員としてあるいは保健師として改善のお手伝いをさせていただきます。 こちらでは、中医学や分子栄養学などの理論からアプローチをして改善策をご提案しています。 ひとりでも多くの方に健康になっていただきたいと心から願っているのです。」 すこぶる納得。 そしてとても不思議な感覚でした。 取材で訪れているのに、何故か心が癒されていく。 それはきっと綾さんがもつエネルギーのなす技なのだと思いました。 夏に初めて訪れた時の「なんだか温かくて優しい空気」を発しているのは綾さんだったと気づきました。 ↑ご相談ご希望の際はご予約されることをお勧めします。 ツケダ薬局さんはレンタルルームとしても利用できます。 ↑月に2度 「お耳セラピー ソエルテ」さんの体験会が開催されたり。 ↑月に1度 「手作りコスメとアロマの フランジバニ」さんの体験会が開催されたりなどしていますし。 数店出店していただく健康になるためのイベントなども企画されたりしています。 それらも全て。 「薬局の敷居を下げて、気楽に立ち寄って皆様に健康になっていただきたい。そのお手伝いがしたい。」 そんな綾さんの強い想いからのものなのですね。 1時間ほどの取材ののちには、心も体もスッキリしていたことには驚きました。 心地よい薬局を見つけてしまいました。 ↓ツケダ薬局さん入り口。店舗裏に駐車場があります。 体の不調を感じている方。 ぜひ、ツケダ薬局さんの綾さんを訪ねてくださいね。 もちろん、お茶タイムだけでもOK ♡ 気軽に入れる薬局です ^^ 心が元気になりますよ♡
Rietty
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10/19(水) 危ない木、切ります! “ キコリワークス ” の着地点とは?
お二人は7~8年前、なんと洋上で出会いました。 そのとき、岡山さんはピースボートのスタッフ。 水鳥さんはお客様でした。 ひょんな事から意気投合したことが、その後、壮瞥への移住に繋がっていくなんて、当のご本人たちが、夢にも思わなかったことと思います。 タイミングの不思議を感じてしまいます。 「彼とはたくさん語り合いました。そう…、戦友のような関係かな?でも、ビジネスだったらフラットな関係で、お互いに苦手部分を気負わずに補い合えると感じました。」 出会いから数年、特殊伐採 “ キコリワークス ” を立ち上げたのは2022年4月のことでした。 さて、水鳥さんと出会ったあと、岡山さんはピースボートの仕事を辞めました。 その後は、紆余曲折があったといいます。 時には北アルプスの「涸沢小屋」で1シーズン働くなどして暮らし、北海道への移住前は千葉県の山で林業の仕事を5~6年経験しました。 「その時、経済優先のオーバーワークが原因で大怪我をしたのです。」 怪我について、岡山さんは多くを語りませんでしたが、おそらくは、働き方・生き方を考え直すきっかけになったエピソードなのではないかと察しました。 そして、この林業経験が、岡山さんと水鳥さんの移住への道を決意させるものとなるのでした。 一方、水鳥さん。 水鳥さんは、3年間浅草で人力車を曳いていました。 実は筆者も2度、浅草で人力車に乗ったことがありますが、曳き手1対お客様1or2の関係。 前を向いて車を曳きながら、お客様とのコミュニケーションを上手に図り、街を楽しく案内してくれます。 ガイド(筆者は実はガイドでもあります)の立場から見ると、お客様と目を合わさずに楽しませることができるコミュニケーション能力は、とても感心するものがありました。 人力車の仕事で培った柔軟性が、岡山さんとの仕事をし易くしているのかもしれません。 「それにしても・・・。人力車からキコリへというのは、かなりの方向転換だと思うのですがどういう想いだったのでしょうか?」 「特にやりたいこともなかったですし、強い想いで『キコリをやろう!』と考えていたわけでもありませんでした。」 少々拍子抜けするような答えが返ってきたのですが、代表の岡山さんにとっては「そこがいい!」のだそうです。 だからこそ、フラットな関係でいられると。 なるほど…。 お互いがお互いを邪魔に感じない関係作りはビジネスパートナーに限らず大切ですね。 この人と仕事を一緒にしよう!と思わせる人には、そうそう出会えるものではないと思います。 けれども、出身地も違うお二人が共通項もない土地に移住し、一緒に事業を起こすという決意が、側で考えるほど重いものではなかったということなのか?と不思議に感じてしまうお話しでした。 何故ならば、今まで取材させていただいた方々は、皆様熱い想いを持って移住やお仕事に向かっていらっしゃったからです。 ですから、お二人のように“自然な流れに乗る“というスタンスが、「これもありなのかな」と思わせられ、妙に新鮮に映りました。 ところで、” キコリワークス “ はもう一つの肩書きを持っています。 …というよりも、3年後を目指して考えていることがあります。 それは、「山Labo」としての自伐型林業です。 「キコリワークスが特殊伐採を主な仕事にしているのに対して、こちらの事業は正に自伐型林業です。諸事情で管理が出来なくなった山をお預かりして整備し、地域の方・子ども達も利用できる山に育てたい…と考えています。つまり、山に関わる人を増やすことが目的です。」 「現在は、人口減少・少子高齢化によって放置されたままの山が多いです。皆伐をせず、山にとっても人にとっても無理なく優しい地域にしていきたい。その山を育てながら利用することで、自然環境教育にも活かして行きたいと考えています。」 なるほど。そこがお二人の着地点ということなのですね。 なんだかワクワクします。 「ここでPRです!山Laboの事業に取り掛かるまで、ここ3年くらいで土台作りをしていきたいと考えています。西いぶり+札幌+後志地域はお見積り無料で伺います。これからの季節、雪で倒れそうな木を切ってほしいなど、危ない木の伐採のご相談を受け付けております。どうぞお気軽にお問合せください。」 「最後に。壮瞥に移住して良かったと思いますか?」 「はい。大正解です!!移住してからずっと、地域の皆様に色々助けていただいて本当に感謝しています。ほどほどに何もなく、自然は豊か。望んでいた暮らしができています。壮瞥に移住して良かった!と心から思っています。」 切り倒された大木の前に立つ子は、岡山さんのお子様です。 水鳥さんももうすぐパパになります。 決意したお二人の目に映る未来は、大切な家族もいるからこその確信に満ちたものでした。 ―特殊伐採・危険木撤去のキコリワークス情報―
Rietty
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09/13(火) 終わりなき研究をしつづけるために〜谷藤貴昭さんの『チョコレート研究室』
店を継ぐ決意とチョコレート ごはん処「たにふじ」は室蘭の有名な老舗です。 主力商材は仕出し弁当。 もちろん、店内でお食事をすることも出来ます。 さて、北見のパティスリーで8年間パティシエとして活躍をされていた谷藤貴昭さんは、2021年9月にお父様が営む「たにふじ」を継ぐ決意をして帰郷されました。 今回は、ごはん処「たにふじ」の三代目 谷藤貴昭さんを取材させていただきました。 ただし、お話を伺ったのは和食の料理人としてではなく、bean to barを手掛けるパティシエとしてでした。 そう、貴昭さんは「たにふじ」を継ぐ決心だけではなく、チョコレート研究室を室蘭に立ち上げるために帰郷したのでした。 挑戦したかったチョコレートは、カカオ豆からチョコレートまでを一貫して手掛ける製法のbean to barチョコレート。 様々な産地から原料を仕入れ、カカオ豆という原点からオリジナルのチョコレートを製造されています。 オリジナルチョコレートとの出会い 高校卒業後調理師専門学校に進学した貴昭さんは、在学二年間のうち一年間は調理の勉強を、一年間は製菓の勉強をしました。 そして、卒業後は北見のパティスリーに就職、持ち前のコツコツ気質が徐々に頭角を現わし、1年に1度開催される国内最大規模の洋菓子コンクール「ジャパン・ケーキショー東京」では、銅賞の受賞するほどにパティシエとしての腕をあげていきました。 ところが、順調にスキルを磨いていた頃、コロナが蔓延し始めました。 「今年もコンテストで頑張ろう!と思っていた矢先のことでした。全精力を注ぎたいと考えていたのですがエントリーは叶いませんでした…。でもその時、そのエネルギーをお菓子に関わる何か未知のことに向けたい!!と、気持ちを切り替えることにしました。それがチョコレートでした。」 コロナだからと凹まず、エネルギー転換をする。 全てのことにおいて、その転換が出来た人が成功を手にしているような気がしています。 「当時お世話になっていたパティスリーのオーナーシェフが、フランスのチョコレートメーカー『カカオバリー』が行なっていた、オリジナルチョコレートを作れるサービスシステム(オ・ル・ノワール)の提供を受けていらっしゃいました。そして、店独自のチョコレートを作っておられたことに強く影響を受け、チョコレートに大きな興味を持つようになりました。」 それは、パティシエとして扱う素材の一つ、チョコレートが特別なものに見えた瞬間でした。 けれども貴昭さんは、オーナーの真似に止まりませんでした。 自分のオリジナルチョコレートを作りたい! 「カカオ豆からチョコレートを作るbean to barに挑戦しよう!」 そう考えた貴昭さんは、” 将来は親の店を継ぎたいこと “ “ どうしてもbean to barに挑戦したいこと “ をオーナーシェフに相談をしました。 すると、理解をしてくれたオーナーシェフは、店の厨房を貸してくれ、同時経営をしていたカフェの一角で販売することを認めてくれました。 こうして夢への第一歩を歩き出した貴昭さんは、オリジナルチョコレートのブランド名を「チョコレート研究室」としました。 「ところで、なぜ、『研究室』と名付けたのですか?」 「カカオ豆からチョコレートへと加工する『bean to bar チョコレート』に挑戦したいと思ったものの、当時はそのやり方を全く知りませんでした。そこで『bean to bar チョコレート』の数少ない実践者(全国でも少ない)に教えていただいたり、独学をするなどして工程を習得していきました。同時に『チョコレート検定』にもチャレンジをしてカカオ豆の知識はもちろん、チョコレートの歴史なども学びました。カカオ豆の香りや味わいは、産地によって全く違います。それが、焙煎具合や洗練時間、副材料によって複雑に混ざり合った結果、芳醇な香りを作り出すことができます。学んでも学んでも、本当に奥が深い世界で、日々研究をし続けなければなりません。だから研究室にしました。」 なるほど…。 地道な努力を続けようとする、貴昭さんの決意の現れなのですね。 「たにふじ」に工場を作る! さて、帰郷した貴昭さんでしたが、「たにふじ」には製菓スペースがありませんでした。 保健所の許可を得るためには、料理をする厨房とは別に工場を作らなければなりません。 そこで、ご両親の許可を得て、亡くなった御祖父様の寝室を工場にさせてもらうことにした昭貴さんは、2022年4月、クラウドファンディングで資金を集めることにしました。 そして見事に資金集めに成功。 元寝室が、念願の工場に生まれ変わりました。 「室蘭にオープンされて5ヶ月ですね。チョコレート研究室を通して皆様に伝えたいことがあれば聞かせていただけますか?」 「実は、現在日本に入ってきているカカオ豆の産地はそのほとんどがガーナ産なのですが、カカオ豆は産地によって香りやテクスチャーが全く異なるのです。その違いを含めてチョコレートや産地に興味を持っていただけたら嬉しいです。それと、カカオ豆農場で働く人々の労働環境などを考えて、可能な限り正当な取引をしようとすると実はとても高価であることに気づきます。そういうことも含めて、チョコレートについての認識を新たにしていただき、チョコレート研究室を通してチョコレートの価値を上げていきたいと考えています。」 取材させていただき、チョコレートの社会問題をも含めたその深い歴史と、魔力とも言える魅力に満ちたbean to barに惹き込まれました。 そして、bean to barに取り憑かれた貴昭さんが、コツコツとひたむきにチョコレートと向き合う姿に、原点を知る人の真の魂を見た気がしました。 本物との出会いに感謝しながら、ショコラとコーヒーのジュレを堪能させていただきました。 ―チョコレート研究室情報― ※ 公開初日に「貴昭さん」のお名前を間違えて公開してしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
Rietty
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06/28(金) 【あの人に会いに】納得いくまで突き進む [あいなさん / 壮瞥]
『臥薪嘗胆』 ―目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。 「曲がったことが嫌い。 筋を通して生きるって言う事と、 根拠のない自信はどこかにある ってスタイルで生きてきたかも」 【あの人に会いに】vol.4 今回は、『美容室AINA.』こと あいなさんにフィーチャーします。 美容師で、東京のど真ん中へ あいなさんは壮瞥町出身。中学生の頃には既に美容師になることを決めていました。「子どもの頃から髪をアレンジするのが好きでした。美容師になるなら東京!と、もう東京しか見えていなかった」 高校卒業後、東京の美容専門学校に進学。卒業後に短期間メイクの学校に通った後、銀座の美容室に就職します。場所柄、メインとなる業務は夜職のママたちのヘアセット。しかし、あいなさんには目指していたところが別にありました。 「憧れていた有名な美容室が、原宿にありまして……」 何事も中途半端が嫌いで、せっかくやるなら一番いいところまで行きたい、という気持ちが強いあいなさん。東京まで出てきたなら、美容師になったなら、”ここまで行きたい” そう思うところがありました。 「その頃の流行がビビットカラー。髪の毛しましまにしたりとか、オレンジ・金・緑って3~4色いれたり、刈り上げたりとか。そんなデザインが好きだったし、その人たちと働きたいなって」 憧れていたものの、ほとんどが新卒採用のみの業界。しかしある時、その憧れの美容室で中途採用枠が出たのです。 「働いていた銀座のお店の先輩が、『あんたなら受かると思うよ』って背中を押してくれたの」 先輩の一言が支えとなり、採用試験を受けることを決意。面接のたびに毎回ヘアスタイルを変えるなど、努力とアピールを惜しみませんでした。 その結果、たった2名の枠で採用!めでたし……かと思いきや、”中途半端が嫌い”なあいなさん、この狭き門の合格を勝ち取ってもなお上を見ていました。配属が決まった店舗では納得できず、一番の有名店である原宿店で働きたい!と入社直後から直談判します。 「今思えば本当にただ生意気……普通はあり得ない、ダメなんですよ、そんなの。でも、ど~しても、ここでは気が済まない!と猛アピールして。憧れのスタイリストが在籍する原宿店に行きたい!と」 その熱意が伝わり、なんと入社後たった3ヶ月で原宿店へ異動が叶います。一流スタイリストはもちろん、アシスタントですらファッション誌に載る人が沢山いるようなお店です。 「下積みですね、がむしゃらに練習してた。仕事終わってから練習して、練習後にモデルハントして(街中で自分のスタイリング練習のためのモデルを探す)、レッスンノート書いて、デッサンして、って寝る暇なく」 結果として、アシスタントの中でも一握りの人しか就くことができない、トップスタイリストのアシスタントにまで辿り着きます。 「おかげさまで、全部見させてもらいました。ファッション誌の撮影現場とか、早朝から撮影の下準備させてもらったり……」 業界の第一線でアシスタントとしての全てを経験することができました。その後ジュニアスタイリストになり、このまま順調に美容師の道を進むかと思いますが……ここで驚きの方向転換に至ります。 諦めきれず、歌の舞台へ 「歌も諦められなくて」 実は、子どもの頃から歌が大好きだったあいなさん。歌の道を進む事を決意します。 「みんなと歌いに行くと楽しくて、やっぱり歌でステージに立ちたいなって」 ここでも、やるならいいところまで行きたい。歌をやると決めたなら、芸能事務所に入るところを目指します。 とはいえ東京で音楽をやっていたわけではなく、ゼロからのスタートでした。 「はじめは仲間探しから。音楽スタジオに行って掲示板のビラを見て……スマホも無い時代だから!!男性ボーカル希望って書いてあるバンドにまで電話して、まず一回練習入らせてくださいって。そうしたら女性だけど気に入ってくれたんだよね」 音楽の好みや雰囲気が合っていたロックバンドに加入し、そこで長く歌っていくこととなります。 お昼は美容師、夜は夜職の方々のヘアメイクに戻り、そして時折ライブハウスでライブをする生活を送りました。活動を続けるうちに事務所からオーディションの話も来ましたが、バンドに愛着があったあいなさんは、ボーカルのみのオーディションを受けられなかったと言います。「このバンドで音楽をやっていたい」と、活動を続けました。 地元・壮瞥で繋ぐ、ご縁の美容室 精力的に音楽活動を続けていきましたが、ハードな生活に不摂生。とうとう身体を壊してしまい、音楽の道は夢半ばで終わりを迎えます。 療養のため一度北海道に帰るも、再び東京に戻ったあいなさん。そしてご縁があり、30歳のときに出産。転機は子どもが2歳になるとき。シングルマザーとなり、壮瞥町に戻ることを決めました。 「東京に居たいと思っていたけど、ひとりで育てるには厳しくて……選択肢が無かった」 あいなさんのご実家は壮瞥町。祖父の代から商店を営んでいました。もちろん、町での知名度はバッチリです。 「育った環境上知っている人も多いから、肩身狭く感じていたというか……。周りの目があるから、娘としてもママとしても、ちゃんとしなきゃ、みたいな。自由にいられないなと」 窮屈さを感じていたあいなさんが、壮瞥町をまた好きになっていけたのは、人との出会いが大きかったと言います。 「本当に、ママ友と、この美容室のゆみさんとの出逢いだね。この方達がいなければ、壮瞥ではやっていけなかった」 美容室AINAとしてオープンした今の美容室は、元はゆみさんという別の美容師さんが営んでいたお店でした。あいなさんは壮瞥に帰って来てから、ゆみさんの美容室に通っていたそうです。 「ゆみさんは、子ども共々お世話になった人」 大切な人からのバトンを繋ぎ、生まれ故郷の壮瞥町でお店を開くこととなりました。 「洞爺湖が好きで、温泉街でお店を開きたいと思っていて……まさか壮瞥でお店をやるとは思ってもみなかった。でも、ゆみさんへの想いとご縁でここで始めて、本当にたくさんの人からずっと応援してもらっているなって」 お店のオープン時には沢山のお花が届き、多くの人に支えられていることを実感したそうです。お店のインスタグラムには感謝の言葉がずらりと綴られています。 これからは”健康” のことを伝えていきたい 2024年3月に無事にお店をオープンしたばかりですが、今後はどんな展望があるのでしょうか。 「自分自身、身体を壊したことから健康オタクで。東京の時だけでなく、北海道に帰って来てからも身体に出て。骨盤が痛くて眠れなかったりとか。自分の身体の不調は、息子にも悪影響。本当にボロボロで……40歳まで生きられないかも、そしたら息子はどうしようとか、ずっと不安に思っていた」 今のエネルギッシュなあいなさんからはとても想像ができませんが、疲れが取れない、アレルギー、痛みからの不眠、等々……様々な身体の問題に悩んできたそうです。ヨガ、体操、骨盤矯正、とにかく端から端まで色々なものを試し、最終的に辿り着いたのは『栄養学』。独学で勉強、更にオンラインで先生と学んでいるそう。今後はしんどそうな悩める女性を助けていきたいと考えているそうです。 「中途半端が嫌いと言いつつ、方向転換してきているから中途半端になっていたと思うこともあるし……自分に自信が持てなかったときもある。けど、その時その時でがむしゃらにやってきたから、全て無駄にはならずに今に繋がっていると思う」 美容師も、歌の道も、本気で全力で突き進んだからこそ辿り着いた”今”のあいなさん。 悩める女性の皆さんは特に、パワフルなあいなさんにぜひ一度会いに行ってみてください! 美容室は壮瞥町役場 山美湖 の目の前というわかりやすい立地!美容室のご予約は電話とインスタグラムのDMで受け付けています。 美容室AINA 営業時間:月~金 8:30~18:00 / 土 8:30~17:00 定休 :日曜日&第1・3月曜日 電話 :0142-66-2527 場所 :壮瞥町滝之町284 (壮瞥町役場 山美湖の前)
misaki
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02/12(金) いま、お馬さんと密な関係になってみた!LAKE TOYA RANCH
こちらの特集版にご訪問くださり、どうもありがとうございます^^ / 今後月に2~3回ほど、編集部のライターとして、皆様のお目目にかかることになりましたRiettyです。 この場では、私が出会った「好き」や「楽しい」や「いいね!」を皆様におすそわけさせていただきたいと思っています。 いろんなモノ。 いろんなコト。 いろんなヒト。 楽しむための情報の一つとして。 どうぞ末長くお付き合いくださいね ♡ さてさて。 国道230号線を留守都村方面に向かって車を走らせた時。 この看板を見かけたことはありませんか? 私、実はず〜〜っと気になっていたのですが、ついに曲がってみました。 すると…。 まずお迎えしてくれたのはこの子。 プードルのラヴィン君です。 まだ子供なので、「お客様だ〜!」とはしゃぐ姿がとても可愛い。 北海道弁では「おだつ」感じ。 そして誘導されるように歩くと…。 たくさんのお馬さんたちがのんびりお食餌中でした。 ここは、洞爺湖にほど近い月浦町にある「LAKE TOYA RANCH」さんです。 おっとり優しいお馬さんに跨り、ホーストレッキングや引き馬などを体験できるところです。 早速、体験してみました。 乗せてくれたのはヨーロッパ系ハーフリンガー&どさんこのミックス、大食漢のマックス君。 男子ですが可愛い顔立ちです。 山岳馬なので体力があります。 まずは「よろしくね ♡」とご挨拶。 そして、マックス君の相棒はアメリカ産クウォーターホースのローラちゃん。 カウボーイが乗るお馬さんです。 でも、ここで乗っているのはとても素敵な美人インスタラクターさん♡ トレッキングに出かける前に、「進め」「止まれ」「ターン」の手綱捌きを教わりました。 とても良くトレーニングをされているお馬さんたちなので、的確なアドバイスのもと、少しの練習と、「仲良くなりたい!」という気持ちがあればすぐに乗れるようになれます。 さあ! いざ! トレッキングに出発〜! 緊張と興奮でワクワク&ドキドキ☆ 親切なインストラクターさんは、ほとんど後ろを見た状態で爽やかに優しく指示をくれます。 上り坂は前傾して。 下り坂は後ろに反り気味に。 軸を保とうとするので、インナーマッスルが鍛えられそうです。 太腿の内側も締まりそう。 なかなかの運動量です。 二次的効果を密かに期待してしまいます。 途中、雪が降り出しました。 グリーンシーズンも良いけれど、白い雪原や山道を歩くのは本当に気持ちがいい ♡ お馬さんが一緒にいると、見慣れたはずの洞爺湖の景色が非日常なものに変わります。 お馬さんとの密なトレッキング。 元気に迎えてくれるラヴィンちゃんと、穏やかなお馬さんたちと、親切なスタッフさんたちに優しい時間をいただきました。 もちろんワイルド&イケメン社長 高橋洋一さんも、はにかみながら歓迎してくれます ^^ / 最後に地元密着耳寄り情報!!(地域外の皆様にはごめんなさい) 絶対にお得!! 絶対におすすめ!! 見逃さないでね♪♪ 帰りは高橋社長とラヴィン君が見送ってくれました。 レイクトーヤランチ情報 電話 0142-73-2455 住所 虻田郡洞爺湖町月浦44番地(カーナビ住所検索はうまくいきませんので、レイクトーヤランチと入れて検索してください) アクセス 洞爺湖温泉街より車で5分 E.mail toya@jphorseriding.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年) ※シェア、リンク等大歓迎です!
Rietty
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10/25(月) 洞爺湖の紅葉
10月も残りあとわずかですね。 紅葉も終盤という時期ですが、 ここにきて、洞爺湖の紅葉の色づきが一段と鮮やかに。 ぐるっと回って見てまいりました! 仲洞爺キャンプ場近く 仲洞爺から洞爺水の駅方面の道路。 紅葉トンネルが続きます。 えぼし岩公園 山全体が色とりどりに染まって錦絵のよう・・・素晴らしい眺めでした! 葉陰から洞爺湖。 葉陰から洞爺湖その2 財田周辺 画像では見えづらいですが、中島も色づいています。 夕日の見える渚公園 駐車場の周りも見事に色づいていました。今年の紅葉、本当にきれいでした!! このあと今月いっぱいは楽しめそうな感じです。 みなさまもドライブやサイクリングに出かけてみては。
むしゃなび編集部
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07/14(金) ☆洞爺湖からの極上ラグジュアリーを届けたい 〜LUX Hokkaido Advisor代表 佐藤 徹氏の人生第二ステージ物語
佐藤 徹氏は、40年以上のキャリアを重ねたラグジュアリーホテルでのお仕事をこの春辞され、「LUX Hokkaido Advisor」の起業という形で人生の第二ステージを歩み始めました。 まずは「LUX TOYA」のおはなし 皆様、前回の「ハーバルランチ」の記事の最後を覚えていらっしゃいますか? このようなテーブルセッティングが現れ。 「ウグイスデリ」のシェフが現れ。 「LUX TOYA」のワードが登場しました。 実は、ここ「ハーバルランチ」をメイン会場に「LUX TOYA」ブランドでケータリングを仕掛けた方こそが、「LUX Hokkaido Advisor」代表 佐藤 徹氏でした。 そして、RanchでLunchの仕掛け人も☆ では今回の主役 佐藤 徹氏の略歴を 「サラリーマンの時よりも楽しいですよ!」と話す佐藤氏は群馬県高崎市のご出身です。 「大学生時代からパーティーなどのイベント企画をするのが大好きで、企画してはチケット販売なども行い、いわゆる学生ベンチャー企業のハシリのようなことをしていました。バックギャモン大会なども行ったことがあります。私自身も強かったので、唯一東大生にも勝てる技でした笑」 あるバックギャモン大会に参加した際、なんと日本4位になったそう。 そして、この出来事が佐藤氏の人生を決定づけることになりました。 「この時、賞品として、東京ヒルトンホテルメインダイニングでのペアのお食事券が当たったのです。生まれて初めてホテルのメインダイニングでの食事を経験し、学生でもリラックスさせ楽しませてくれた一流ホテルのサービスと素晴らしさに、強い感動と衝撃を受けました。その瞬間、ホテルの営業職に就きたい!!と心が決まりました。」 就職活動の時期になり、超有名ホテルの試験を受けました。 「結果、帝国ホテルもホテルオークラも落ち、東京ヒルトンホテルに無事合格しました。 そして採用内定後にお誘いをいただき、在学中からインターンシップで通うことになりました。」 さて、憧れていたホテルの仕事でしたが、インターンシップで配属されたのは「宴会ハウス」と呼ばれる料飲部の裏方作業でした。 宴会場のテーブルをセッティングし、片付けるサービスには携わらないとても地味な仕事です。 「41年間ホテルの仕事を辞めたいと思ったことは一度もなかったのですが、この時だけは最初の3日目で『もういやだ‥。』と先輩に弱音を吐きました。思い描いていた華やかさは微塵も無かった。今思えばつくづく未熟だったな…と思いますが、その時、先輩に諭されたことで『まずは3ヶ月頑張ろう!』と思いとどまり、その後は無我夢中で働きました。そして、自分から『レストランのサービスをやりたい!』と申し出て配置転換をしてもらいました。外資系のホテルは自分から願い出ないとセクションはずっとそのまま変わらないのです。結局サービスの仕事は3年、その後26歳の時、念願の営業職に異動することができました。最年少採用でした。」 冒頭の画像でもご紹介した通り、佐藤氏はトライアスロンレース愛好歴30年の方。 あの過酷さに耐えられるのですから、並大抵な精神力ではありません。 人並み外れた努力家であり、ど根性の持ち主ですので多くの業績をあげた事と想像します。 実は、現在も開催されている洞爺湖を舞台にしたトライアスロン大会を最初に誘致した立役者も佐藤氏でした。 「営業職でしたが、正直、喋るのはあまり得意ではありません。ただ、アイディアは誰よりも豊富に持っていると自負していましたし、『やるからにはトップセールスマンになりたい!』という想いだけは人一倍強かったので、営業成績はいつもトップでした。要は負けず嫌いなんですよね。」 ヒルトンホテルで15年間勤めた後は、常にヘッドハンティングを受けながら、パークハイアット東京やウィンザーホテルなどのラグジュアリーホテルで経験と実績を積み上げてきました。 「順風満帆にお見受けしますが、失敗談の一つ二つはありますか?」 「あります!あります!本が書けるくらいありますよ〜!笑」 「え!? ^^; では、本一冊分はお聴きできないので一つか二つお願いします笑」 「一番忘れられないのは、というか、お客様に物凄く怒られたことがあるんですが…。某有名企業の社長が亡くなったという情報を得た時、すぐに次期社長の就任パーティーの企画書を作り、お葬式の日にプレゼンしに行ったんです。他所に取られたくないから一刻も早くと思って。もちろん物凄く怒られました。今思えば当然なんですが笑 その時はもう夢中でした。でも、なぜか私の上司は怒りませんでした。 それから…、もう時効だからいいかな…。東京都庁で当時の知事主催で『都民栄誉賞』の式典があったときのことです。20,000円20人分の弁当のご注文をいただいたのですが、スロープで台車を使って運ぶ際に全部落としてしまったんです(部下)。昼食の時刻も迫っている。料理長は当然カンカンに怒る。でもなんとかしなければいけない。有名デパートにも頼みましたが、20,000円の弁当を今直ぐ作ることはできないと断られる。もう一度料理長に頭を下げて頼みに行きました。当然材料が少なかったので、10,000円の弁当をなんとか作ってもらって急場を凌ぎました。お客様には行程を入れ替えるなどしていただき、自分は場を繋ぐためにひたすらお飲み物をお注ぎしていました。冷や汗エピソードです。」 「それはどちらを伺っても顔が青くなるエピソードですね…。」 「私が営業の仕事をする中でポリシーにしていることがあります。それは決して諂わないこと。絶対に満足していただける仕事をすることで、お客様とは対等でありたいと思っています。ホテルの仕事をしていると、本当に数え切れないほどのクレームを受けます。時には理不尽とも思える件も。ですが、どんな揉め事でも全て穏便に治めてきました。もちろん胃が痛くなることもありましたが、クレーム対応は得意なんです。毅然として諂わず、誠意を持って傾聴するように心がけていました。」 佐藤氏のお話を伺っていると、「Win-Win」というワードがよく出てきます。 プロのサービスとその対価に自信があるからこその言葉です。 今までの経歴からの気づき 「40年以上ホテルのお仕事に携わっていらして、気づき学ばれたことは何でしょうか?」 「現在の活動に大きく関わっていると思う気づきは、『地元事業者との連携の大切さ』です。これはハイアットリージェンシー京都にいた頃の経験に基づくものです。京都では、寺社仏閣との連携で仕事をさせていただくことが多かったのですが、少子化の影響で修学旅行が減り、拝観者が減り、檀家さんも減り…。ですので、京都の神社や寺の経営は楽ではないのです。そこで、夜を貸切にしていただき特別な体験メニューを企画しました。参加してくださるのはほぼ外国人でした。お寺や神社はもちろんのこと、お客様にも喜んでいただけたのでとても嬉しかったです。パークハイアット東京にいた頃は、食とアートを繋げた企画として、美術館と連携をしてラグジュアリーブランドのケータリングを行っていました。ホテル滞在のお客様に向けて高付加価値なラグジュアリー商品の開発や、MICEのローヤルコーディネートも行いました。」 素晴らしすぎる! お話を伺う筆者の目がキラキラハートになっていたのは言うまでもありません。 「ウィンザーホテルの東京本社から洞爺の現地に赴任した際、ウィンザーホテルは地元との連携があまり出来ていませんでした。ですので、私は洞爺湖温泉に家を借りて住み、洞爺湖周辺の全てのお店に通い、顔を知っていただく努力をしました。おかげで、様々な企画をご一緒いただくことができました。その頃からの人の繋がりと経験は全て財産です。」 この気づきと実践こそが、佐藤氏が話す「Win-Win」の考え方に沿う企画を生み、今に繋がりました。 さて、再びハーバルランチ会場へ〜 佐藤氏も大工仕事を手伝った外のデッキは屋根付き&シート付きなので雨の日もOKです。 自然に囲まれた贅沢空間でのBBQケータリングメニューは24名様まで可能だそうです。 しかも、1日に昼夜一組限定なので、時間を気にせずにゆっくりとお食事を楽しめます。 これらの画像に写るシェフ達は、有名高級ホテルで腕を振るった方ばかり。 この凄腕達による最高級のフレンチスタイルBBQをケータリングサービスする部門が「LUX TOYA」であり、そのメイン会場が「ハーバルランチ」というわけです。 つまり、ハーバルランチや各事業所のシェフの皆様と連携をされているということになります。 ここでも地元の事業者との「Win-Win」の考え方が生きています。 「LUX Hokkaido Advisor」ケータリング以外の事業のおはなし さて、なんと佐藤氏ご自身も得意分野のサイクリングでガイドも始めることになりました! 「洞爺湖町の、特に元洞爺村周辺の、調和がとれた自然と文化の素晴らしさを自らお伝えしたくなりました。」 湖畔の彫刻を愛でたり、洞爺湖芸術館を観覧したり、ハーバルランチでハーブティーを楽しんだりできて、ガンガン漕ぐ行程ではなく、のんびり走るのがとても魅力的です☆ また、自らのガイドだけではなく、地元のガイド事業者との連携もしっかりと考えていらっしゃいました。 ホーストレッキング・カヌー・ネイチャートレッキングなど、今後の展開が楽しみです。 そしてもう一つ。 佐藤氏のこれまでの職歴の集大成とも言える事業はホテルのコンサルティングです。 「『営業・マーケティング・サービスのプロフェッショナルとして是非うちのホテルへ!』と、あるホテルの総支配人としてのお誘いもいただき、とても有り難かったのですが、丁重にお断りさせていただきました。どうしても『自営でやりたい!』という想いが強くなっていたからです。実はこれら全ての構想は2年前から大事に育てて温めてきたものでした。」 現在、あるホテルとゲストハウスのコンサルティングも既に始めていらっしゃいます。 なんと心強いコンサルタントなのでしょう!! 最後に「LUX Hokkaido Advisor」のポリシーとビジョンを語っていただきました。 「何よりも地元の事業主さんの役に立つことを第一に考えるということをポリシーにしています。将来は洞爺にラグジュアリーマーケットを増やしていきたいです。目指すは北海道のラグジュアリーアドバイザーです!!」 観光業界のアイアンマン佐藤氏。 人生の第二ステージを既に全速力で走り出しています。 ―LUX Hokkaido Advisor・佐藤 徹氏 情報― 代表 佐藤 徹 住所 北海道伊達市末永町175-32-102 電話 080-3725-0262 Email :tsato@lux-hokkaido.com ・ LUX TOYAのメニュー(今後も進化する気配☆) https://lux-hokkaido.com ・ サイクリングガイド(今後もアクティビティーメニューが増えそう☆) https://toyako.biz/cycling/
Rietty
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03/29(水) 雑貨店『風花』に咲く 〜三橋真紀子さんの名刺「❤️のA」にこめられた想い
いただいた名刺がまるでトランプのような❤️のA 。きっと何か意味があるはず!そう思いながらも、終始ニコニコクルクルと笑う可愛らしい『風花』オーナーの三橋真紀子さんの楽しいペースにはまり、その意味をすっかり聞きそびれてしまいました。 今は、お洒落な雑貨屋さんですが 、“ 元々は60年続いた作業衣料のお店だった “ と伺い、その意外性にまず驚かされました。 「祖父が、室蘭市と伊達市で “働来館(ワーク館)”という店を営んでいました。その後、バラ好きな母がこの場所にガーデニングショップを開きました。その頃、私はある会社の事務職員をしていたのです。」 『風花』は広い店舗に豊富な商品の品揃えがあります。 「私は、若い頃から大の雑貨好きでした。たまに東京へ行くと、雑誌に載っているような可愛くて素敵なものがたくさんあり、見ていても触れていてもウキウキと楽しくて色々買ってきていました。それにね、雑貨をワクワクと活き活きとした表情で嬉しそうに選んでいる方のお顔がもう本当に大好き!いつかは自分が発信する側、売る側になりたいとその頃から思っていました。ただね、母が営むガーデニングショップは私のイメージしている店とはちょっと違っていました。時々、母から手伝い要請がかかるのですが、商品が重たいものばかりで、ラッピングも管理も大変だなあと感じていました。もちろん、選んでいるお客様は楽しそうなのですが…。」 ところがこれ、どうやらお母様の作戦だったのではないか?と真紀子さんは言います。 「私の雑貨好きを見込んで、ガーデニングショップを私に任せるつもりだったようです。会社勤めをしていた私は、その策略にまんまとひっかかったわけですが ^^; 私は私で、ずっとやりたいと思っていた自分の好きな雑貨屋にしちゃいました。」 と、いたずらっぽく笑う真紀子さんでした。 なるほど〜。 そんな歴史が! きっと、真紀子さんの夢を知っていたお母様が、場を作って背中を押してくれたのではないかと想像します。 その後、お母様は伊達市でバラに特化した園芸のお店を開き、現在は野菜を中心に果樹も育て、赤いルバーブジャムやアロニアジャム・ブルーベリージャム、黒ニンニクなどの製造も手掛けていらっしゃいます。 風花ファーム →https://www.kazahana-garden.jp/風花ガーデンの移り変り/ さてところで、真紀子さんの雑貨店『風花』は創業21年となりました。 「雑貨って生活の中では無くても困らないものですよね。世の中、シンプルかつ便利なものにシフトしてきている中で、まあ、実用的ではないしムダかな?と思うようなものでも、それがあることでなんとなく心が弾み、笑顔になるのならば決してムダなものではないと思うのです。って、実は自分自身がそうなのですが^^; 私と同じように感じるお客様もきっといらっしゃると思い、そういうお客様の気持ちに寄り添いたいと思っているのです。『可愛い!』とか『おもしろい!』とか『なんか笑っちゃう』とかいうもの。正直、仕入した後で『なんでこれ買っちゃったんだろう?』っていうこともあります。それはもう、その時のインスピレーションっていうか、遊び心を発揮しちゃうというか。『あ!これ!』みたいな直感で買ってしまうんですよね。たまにお客様から『またこんなものを仕入れて!』と言われたり(笑)、でもそう言いながら買ってくださったり。本当にうちのお客様は私のことを良く理解してくださっているので助けられています。それにね、仕入れをする時に、いつもお客様のお顔が浮かんじゃうんです。あ!これは〇〇さんが好きそうだから買っちゃえ!とかね。」 このお話だけ伺ってもお客様とのコミュニケーションがしっかりととれていることが分かります。 さらに真紀子さんのお話は続きました。 「なんだかね、常連様も多くいらっしゃるのですが、もう本当に素敵なお客様ばかりで。子どもが小さかった頃、お店が忙しかったりすると、お客様が子どもをみていてくださったこともありますし、時には私の食事のことまで心配してくださったり。皆様とっても優しくて。本当に周りの方々に助けられていることを感じています。ありがたいです。」 このお話を伺い、筆者は気づきました。 それは何より、真紀子さんご自身がお客様を大切にされているからこその関係だということを。 雑貨を見に来ているけれど、実は真紀子さんに会いに来ているのですよね。 さて実は、『風花』は雑貨だけでなく食品も扱っています。 伊達のお母様の店『風花ガーデン』でも食品製造を行なっていますが、真紀子さんも安心安全な食品には元々強い関心を持っていました。 類は友を呼ぶではないですが、真紀子さんの周りには真面目に真摯に食品に向き合っている方が多いようです。 例えばこの塩。 なんと、牧場主さんが手作りで作っています。 「大切な牛たちに納得できないものは舐めさせられない!」という思いからだそうです。 牧場で塩作りというのは初めて耳にしました。 詳しくはこちらを →https://www.n-slow.com/shopdetail/000000000364/ それからこちらの醤油。 白醤油は見たことありますが、透明な醤油って…。 詳しくはこちらを →https://www.fundodai.com これらも真紀子さんの感性にピンときたものたちです。 そしてこちらも。 何事にも誠心誠意まっしぐらで頑張る真紀子さんは、カンボジアで有機栽培農業をしている農家さんが手摘みで収穫し、管理された工場で丁寧に作られている希少種のクメール種胡椒で作られた「生胡椒の塩漬け」の販売を始めました。 しかも、より確かな保証が付いたものをお届けしたいと「有機JAS(オーガニック)」の認証までご自分で取得したのです。 この認証を取得するにはとても厳しい審査にクリアしなければなりませんし、取得した後の商品管理はもちろん、ラベル管理に至るまで厳しくチェックされています。 さらに、現在では北海道内でオーガニック認証を受けた事業者同士で集まり、『既存の農業生産に付加価値をつけ、国内外へのPRと、次世代に北海道農業の魅力と可能性を伝えていくこと』を理念とした「Green horaizon」という団体の一員にもなりました。 真紀子さんは、「生胡椒の塩漬け」を厳正に管理された部屋で袋詰めし、オーガニック認証ラベルを貼って販売をすることをご自分の使命にしています。 雑貨はもちろんですが、今最も真紀子さんが力を入れている商品です。 「とにかく、安心して美味しく食べていただきたいのです!」 そのまま食べても美味しいのですが、例えばこんなお料理に使ってみてほしいとのことでした。 「それにこの生胡椒の塩漬けで雇用も生みたいのです!ですから、もっと販路を拡大していきたい!」 コロコロと可愛らしく笑う真紀子さんから出てきた言葉は、本気が強く感じられる決意の言葉でした。 「コロナ禍が長引いたので、まだ行けてないのですが、今年はカンボジアの胡椒農場を訪れたいと思っています。想いを共感できる生産者さんを縁の下で支え、発信していく側として頑張りたいです。」 その言葉は、『風花』であつかう商品全般に対しての想いなのでしょう。 そうそう! 帰宅後、どうしても気になった「❤️のA」の意味を改めて伺うことができました。 「❤️は、実はプレゼントをする方の気持ちを表しています。販売する側としては、その “あなた”の気持ちを届けるお手伝いをさせていただきます!という想いです。そして、Aは “あなた”を表すAです。」 ものすごく納得☆ やはり素敵な想いがこもった名刺だったのですね。 店舗には、選んでくださる「A」あなたの「❤️」気持ちに寄り添った商品を揃え 常に向上心を持って決して止まらず まっすぐに突き進んでいく 『風花』オーナー三橋真紀子さんのそんな姿に大いに勇気をいただいた筆者でした。 ―「風花」情報― Instagram(風花) https://www.instagram.com/kazahana.zakka/?igshid=YmMyMTA2M2Y%3D Instagram(noproblem.3bridge : オーガニック生胡椒の塩漬け) https://instagram.com/noproblem.3bridge?igshid=Mzc1MmZhNjY= Base https://kazahana.base.shop/ GREENHORIZON https://www.greenhorizon-group.com/
Rietty
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01/29(日) 旅するイタリアンレストランを目指して☆ 〜洞爺湖 Lagorto ファンキーコンビは今日もいく〜
左側は代表の木村香葉子さん。 伊達市ご出身。 東日本フェリーの船内で6~7年勤めたのち、派遣バイトを始め各地を転々としていました。 ある時はキロロで、またある時は礼文島で、そんな時、所属していた派遣会社を通して右側の利光優子さんと知り合いました。 そして真狩の佐伯農園さんで働いたことが、その後の二人を決定づけることになりました。 優子さんは愛知県のご出身。 29歳でホテル調理の仕事を始め、イタリアンやフレンチの修行を積みました。 育った場所も経歴も違う二人。 この二人を今に繋げたのは、佐伯農園さんが経営する『Pomme ポム』というファームレストランでした。 シェフを探していた佐伯さんに優子さんを紹介したのが香葉子さんだったのです。 そして優子さんは即断して北海道にやってきました。 裏の思いとして、あるメリットを感じたからでした ということで。 今回は洞爺湖温泉に2021年6月 カジュアルなイタリアンレストラン『Lagorto』をOPENされた香葉子さんと優子さんを尋ねました。 仕込み時間という短い時間をいただいた取材だったため、実は事前にお二人の人となりがなんとなく分かる写真のご提供をお願いしていました。 すると届いた写真がこちら〜。 むむむ〜! なんてファンキーな!! 今となってはどの人がお二人なのか分かりませんが、このイカした面々のうちのお二人がのちのLagortoコンビなのでした。 なるほど〜! これが裏のメリットか〜!! 筆者はライター・ガイドの他にもスキーインストラクターをしているのでイメージできるのですが、ちょうど彼女たちの世代の方々は、いわゆるリゾートバイトなどをしながら冬山に籠り、リフト券貸与の恩恵を受けながら、スキーやスノーボードをしまくる!という生活をする方が当時は多かったのです。 現在若い世代の方にはあまり見かけないワーク&ライフスタイルです。 これまで様々なジャンルの方を取材させていただきましたが、実はコロナ禍に新たな道を開拓された方が多いです。 そして成功されている。 それは決して火事場の馬鹿力ではなく、自分の生き方をしっかりと見つめ直し、コロナ禍をチャンスと見ることができた方々でした。 何を食べても美味しいとすぐに話題となった『Lagorot』では、顧客の7割が地元の方だそうです。 わずか2年余りで地域に根付くのは素晴らしいことです。 きっとそれだけ、おふたりの店への想いが強いということなのでしょうね。 ところで、店名『Lagorto』の意味を訊ねました。 なるほど、『洞爺湖を望む坂の途中にある菜園のようなレストラン』ということですね。 こちらはメニューのごく一部です。 Lagortoさんのメニューラインナップは、基本、お酒のつまみにもなるものが多いです。 それなのに、実は違いの分かるお子様にも人気なのだとか? パスタの具にご注目。 真狩佐伯農園さんとのつながりがあるからこその、ふんだんに使われた百合根! これ、都会で食べたらとんでもないお値段になります^^; なるほど。 『旅するイタリアン』というわけですね〜。 旅先では楽しく遊んだり、飲み歩いたりもしつつ、料理はガチで本物を提供する。 やっぱりファンキー! カッコいい!と思います。 めっちゃ喧嘩をするとは言いながらも、「二人でやりたいです!」とキッパリと話してくれました。 洞爺湖の『Lagorto』で食べるイタリアンはもちろん美味しいけれど、ふらりと出かけた旅先で、お二人に会えたら嬉しいなあ〜と思った筆者でした。 ―Lagorto情報― ・代表 木村香葉子 ・シェフ 利光優子 ・北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉54秋田ビル1F ・詳細はFBまたはInstagramよりご覧ください
Rietty
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05/09(月) ガイドの仕事は原点回帰。Sotoasobu江川理恵さんに聞く、人生の原点と観光のこれから
自然ガイドとして洞爺湖・有珠山エリアを飛び回る江川理恵さん(Sotoasobu代表)。 豊富な知識とガイド経験を持ち、お客様ひとりひとりに寄添うホスピタリティで、団体旅行から個人旅行まで、幅広く案内するガイドさんです。 火山マイスター、ジオガイドとして地域の自然に精通し、メディア出演も多数。「職業としてのガイド」がほとんど認知されていなかったこの地域で、地道にその立ち位置を築いてきました。 ガイドに加え、子どもたちへの自然体験指導も行うほか、冬はスキー&テレマークスキーのインストラクターとしてゲレンデに現れ、小誌むしゃなびでは、ご存じの通りライターRiettyとして色々なお店や人を訪ね、「駄菓子カフェれん」のオーナーでもある… 地域全体を仕事場に、オールラウンドに活動されています。 Sotoasobu代表 江川 理恵さん 肩書きだけ伺うと「どんなに逞しい方なのだろう」とマッチョな女性を思い浮かべますが、実際にお会いする江川さんは、軽やかで透明感があって、少女のような雰囲気のある方。 その一言一言から、自然への愛とお客様への繊細な心遣いが伝わってきます。一方で「上っ面なことが大嫌い」とさっぱり言い切る、男前な一面も。 静と動をあわせ持つナチュラル・ウーマン。そんな印象を受けました。 江川さんはガイドの仕事を、ご自身にとっての「原点回帰」と語ります。 江川さんの「原点」と、その先にあるこれからの観光について伺いました。 おてんば娘がたどり着いた、人生の原点。 有珠山頂展望デッキからのパノラマ 取材の時間を頂いたのは、まだ雪の残る3月末のこと。 有珠山ロープウェイに乗り、山頂を目指しました。 コロナ前のハイシーズンには、週の半分以上、ガイドに来ていたこともあるという、江川さんの主要な仕事場のひとつです。 ピカピカのゴンドラは2020年にリニューアルされたスイス製。ガラス面が大きくなったそうで、車窓からの景色が一段とワイドでクリアに!空中散歩をしているかのような大迫力でした(画像は有珠山ロープウェイHPからお借りしました) さて、コロナ禍で観光客が激減したここ数年、江川さんは道内客に向けたツアーを企画するなど、制限の中でも精力的に活動してきました。 オンラインセミナーや関係団体とのミーティングも忙しく、世の中の新しい動きに乗るための準備の日々。昨年より観光によるまちづくりを主眼とした伊達市のモニターツアー(だて観光協会主催)にも携わっています。 インドアの活動が増えたこの間、いつも江川さんの心の真ん中にあったのは「一番やりたい仕事」のこと。 それはもちろん、自然の中に出て、お客様をガイドすることです。 江川さん「机の上で考えるよりも外に行きたい…考えるより先に身体が動いてしまうタイプです。 何よりフィールドが大好きなのです! 自然の中にお客様をご案内しながら時間を共有することが私の一番大切な、大好きな仕事です」 コロナ前に行われた子供向けプログラムの様子 江川さんがガイドの仕事を始めたのは10年ほど前のこと。 もともとアウトドアやスポーツが得意だった江川さんは、アクティビティ担当としてホテルでインストラクターの仕事をしていました。 その仲間からガイドの仕事もしてほしいと言われたことがきっかけとなりました。 有珠善光寺にて しかし当時は、ガイドに対する認識が今よりもさらに低く、十分な研修制度も整っておらず、ノウハウを知る先輩ガイドも近くにはいませんでした。 ないない尽くしの中、「勉強しなければガイドは務まらない」と、自費で膨大な量の勉強をこなし、遠方の研修に出かけて10以上もの資格を取得。国内唯一の知事認定ガイド資格である「北海道アウトドアガイド」の優良認定も受けました。 驚くべき集中力とエネルギーですが、何が江川さんの情熱に火をつけたのでしょうか? 江川さん「ガイドの仕事との出会いは、私にとって「原点回帰」というべき出来事でした。 子供の頃、外で遊んで楽しかった思い出が、来るべくして戻ってきた、と思ったのです」 冬もアクティブな江川さん 江川さんは神奈川県の海山に囲まれた地域で育ちました。 どんな子どもだったかといえば… 一言で「おてんば娘」! 毎日真っ暗になるまで外で遊び、お母さんから締め出されるのは日常茶飯事。図鑑を片手に、どこまでも行ってしまうような活発な女の子だったそうです。 (図鑑を手にしているところがただのおてんばではない…ガイドの片鱗が見えますね) 野草の花が一斉に開く4月 中高生の頃は体育教師になることが夢だったそうですが、ご両親に進学の負担をかけたくないと、観光業へ進路変更しました。 江川さん「もともと一人旅が好きで、国内のいろんな場所をふらふら歩いていました。 旅先で知り合った人と一日行動をともにしたり、 お店のおばさんと仲良くなったり、 危うく婿さんを紹介されそうになったり(笑) 人との交流がすごく楽しかったのです。 そういう楽しさを提供できる仕事だ、と思って、両親に内緒でアルバイトをして学費を貯めて、観光の専門学校に進学しました。 ところが、観光の世界に飛び込んだら実はそうじゃなかった… 現実を知って愕然としました」 というのも当時(1980年代)は高度成長期真っ盛り。 旅行といえば団体旅行ほぼ一択、決まったコースを巡り、通り一遍な説明を聞く、というのが主流でした。 まるで「連れて行かれる旅行」のような観光のあり方に失望した江川さんは、 「私がやりたいのはこういうことじゃない」 と、学校をやめてしまったそうです。 その後、北海道移住、離婚、再婚と山あり谷あり、観光から遠ざかっていましたが、お子さん達の手が離れた頃に、かつて諦めた道が再び開かれたというわけです。 これからの観光は??「本物」を知る旅に出かけよう! 近年、「アドベンチャーツーリズム」という旅行スタイルが注目されています。 「アドベンチャーツーリズム(以後AT)」とは ・自然 ・アクティビティ ・文化体験 のうち2つ以上で構成される旅行のことで、欧米を中心に発展してきました(※)。 ※参考:(一社)日本アドベンチャーツーリズム協議会ウェブサイト https://atjapan.org/adventure-tourism その土地ならではの体験や、ローカルな人々との出会いに重点が置かれ、「異文化」との接触を通して「自己変革」が起こることを目的としています。 昨年、各国から旅行業者やAT関係者が集う、世界規模の商談会「アドベンチャー・トラベル・ワールド・サミット(ATWS)2021」が北海道を会場に開催されました。コロナのため、オンラインでのバーチャル大会となりましたが、アジア初開催の快挙です。さらに2023年には北海道でのリアル開催が決定しており、コロナ後を見据えたATへの期待が高まっています。 2021年のサミットでは、道内をはじめ日本全国の体験ツアーが映像で紹介されましたが、江川さんは道南地区の有珠山・洞爺湖エリアのガイドとして出演しています。 https://youtu.be/bUXvAhdHknI 動画を拝見すると、従来の観光旅行との違いがよくわかります。ただ「楽しい」とか「おいしい」だけでない、地域に密着したリアルな体験が魅力的ですね。 江川さんは初めてATを知った時、自分の追求する観光のあり方と重なり、「まさにこれ!」と思ったそう。 プライベートツアーでの一コマ。バチラー夫妻記念教会堂 江川さん「お客様は物見遊山が目的ではなく、地元が知りたい、本物が知りたいのだと思います。 本物とは、その土地で暮らす人の思いであり、いわば「暮らし」そのものが「本物」ともいえるでしょう。 ATでは、食べ物・言語・文化といった異文化を通して自己変革が起こることがテーマとなります。 ですから自然や特産品そのものよりも、成り立ちや、それを生業にしている人の「思い」にフォーカスしています。 例えば農家さんの「美味しくしたい」という思いや、生産者さんのこだわり。 そういった「心」にまで触れられるような体験が、ATの醍醐味です」 お子さん連れツアーも江川さんとなら安心!アルトリ岬にて 日本が「観光立国」を掲げてきた背景には人口減少があり、外貨を取り込み消費を促すために、観光が重要な役割を担うとされています。 北海道も観光に力を注いできましたが、その結果、大勢の観光客が押し寄せ、地元の人たちが暮らしにくくなってしまう「観光公害」という問題も出てきました。 「来てほしいけれど荒らされるのは嫌!」 観光地の住民にとってとても大きな問題です。 ATにはそれを解消できる力がある、と江川さんは語ります。 江川さん「いくらお金を落としてもらっても、自然や地域が破壊されたらダメですよね。 従来の観光では、お客様と事業者の両者が満足することをよしとしています。 一方ATは「四方よし」と言われていて、 環境、地域の人、お客様、事業者 の四つ全てが満足することを理想としています。 つまり「くればくるほど豊かになる」というのがATの真髄なのです。 フィールドワークにはゴミ袋が必需品。「悲しい現実、でも皆で守りたい」と江川さん 実践の上で重要になるのは、地域の人の理解を得て、巻き込んでいくことです。 例えば農家さんや漁師さんが仕事に対する誇りを語るなど、そういった体験を通してお客様は満足しますし、地域の経済も潤います。さらにシビックプライド(住民が自分の暮らす地域に対する誇り)も上がるという、まさに「どこをとってもよくなるサイクル」というわけです。 地元でも知らない穴場がたくさん!伊達の牧場 ATが日本で本格的に盛り上がってくるまでには、まだ何年もかかるでしょう。 その頃私は、今のように現場に出ていないかもしれません。 ですから「自分が活躍するための現在」ではなく、私自身の役割はあくまでも「土台固め」だと思っています」 コロナ禍を経て、人々の価値観が変わろうとしつつあることを感じます。 十把一絡げ的な団体旅行よりも、個人のニーズと体験の質が重視されるATのような旅行を望む人は、今後ますます増えていくのではないでしょうか。 旅の面白さは、人との出会いにかかっている。 江川さんのように幅広い知識を持ち、人間性豊かなガイドがこの地にいるということは、地域全体にとって非常に頼もしいことだと思います。 2023年のサミットに向け、ますますアクティブに各地を飛び回りそうな江川さんですが、これから先のご活動は? 雪の残る有珠山頂にて 江川さん「もう私も孫のいる年ですし、未来の人間じゃないわけですよ。 でも未来の人間ではないけれど、 「なんかあのおばさん、楽しそうにやってるよね」 と後に続いて下さる方が出てきてくれたら嬉しいな、と思いながら活動しています。 「あの人が楽しそうにやっているから、私もやってみたい!」 という方がどんどん増えて、ガイドという仕事がひとつの職業として市民権を得るために、これからも動いていきたいです」 カフェタイム付きツアー名物、駄菓子カフェれん特製スイーツ!! 今回、いろんなお話を伺いました。 書ききれなかったですが、視覚障害の方々をガイドした時のエピソードも、とても印象に残っています。 (興味のある方は、ぜひブログをご覧になってみてください→ http://sotoasobu.blog.jp/archives/04166.html) 忘れられないのは、 「伝えると、伝わるは、違うんです」 とおっしゃった、その一言です。 真摯な眼差しから、江川さんがいかにお客様のことを考え、お一人お一人に合わせたガイドに心を砕いているか、ということが伝わってきました。 情熱とプロ魂に、参りました! 旅行で来られる方だけでなく、地元の方にもぜひ、江川さんのお話を聞き、一緒に大自然を味わっていただきたいです。 各種ツアーの詳細はホームページからご覧ください。 Sotoasobu(ソトアソブ) 代表:江川 理恵 事務所:北海道伊達市弄月町249-4 TEL:090-3892-3695 HP→ https://peraichi.com/landing_pages/view/caferoom/ 最新情報はSNSをご覧ください(^^) Facebook→ https://www.facebook.com/rie.egawa.94 Instagram→ https://www.instagram.com/sotoasobu/ 取得資格一覧: 北海道アウトドア優良認定ガイド 自然ガイド NEAL自然体験活動インストラクター 環境教育プログラム 各種エデュケーター 日本シェアリングネイチャー協会ネイチャーゲームリーダー 洞爺湖有珠火山マイスター 北海道知事登録旅行サービス手配業 登録番号 第173号 国内旅程管理主任者 全日本スキー連盟 スキー準指導員 日本テレマークスキー協会 公認指導員 CONE認定リスクマネジメント講師 ウェルダネス メディカルファーストエイド アソシエイツ インターナショナル認定 WAFAアドバンスレベル国際資格 (一社)日本WEBライティング協会 Webライティング能力検定2級 日本ホスピタリティ推進協会認定 アソシエイト・ホスピタリティ・コーディネーター 洞爺湖有珠山ジオパーク オンラインツアー5/15 江川さんのガイドをオンラインで楽しんでみませんか。申し込み受付中です。 【地球から見る、日本の旅/第11回】 洞爺湖有珠山ジオパーク~はじまりは、崩れた有珠山から!?~ 2022年5月15日(日)20時~21時 参加料:1000円 (1か月間のアーカイブ見逃し配信あり) 詳細・予約はこちらから 有珠山頂にカフェがOPEN!! 今回訪れた有珠山ロープウェイの頂上に、4月よりカフェ「Mt.USUテラス」がオープンしました。 さらに広くなった展望デッキから見るパノラマが、本当に最高です!絶景を眺めながら美味しいドリンク&フードを楽しんでください。 オススメは、洞爺湖・伊達・壮瞥・豊浦の4市町でとれたフルーツ&野菜を使った「ジオの恵みスムージー」です! おしゃれなプライベート席もあり。ご家族やお友達とどうぞ。 営業情報はこちら→ http://usuzan.hokkaido.jp/ja/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューなどは変更になることがあります(取材2022年)
むしゃなび編集部
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06/02(金) 『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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11/22(金) 【あの人に会いに】二人三脚で支えていく [ 宇川 勝哉 さん / 豊浦 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい、地域を盛り上げる ”人” に フォーカスする企画、『あの人に会いに』。 今回は豊浦町で印刷業を営む、有限会社さんおん 専務の宇川 勝哉(うかわ まさや)さんです。 あの『海産総選挙』ポスターの作り手! 先日行われた衆議院選挙、その期間中に豊浦町で同時開催し注目を集めているのが、こちらの『”海産”総選挙』。噴火湾とようら観光協会が、衆議院の解散・総選挙にあわせて行っているもので、今年が3回目。恒例となり、衆議院の解散が決まると豊浦町はザワザワし始めます。 令和6年度、この海産総選挙のポスター類を全面制作した方こそ、今回ご紹介する宇川勝哉さんです。 「ポスターは(観光協会の担当者)岡本君が原案を持ってきて、二人で作っていく感じ。自分の作品というのはおこがましい……岡本君の作品だと思ってる」 同い年だという二人、夜な夜な案を出し合って作っているそうです。 ウニ「やめよう!”ちくちく”言葉。”トゲ”のない社会をめざして」 ボタンエビ「”かけ違い”のない世界へ。”エビ”デンスならあります。」 鮭「3年越しの想いを”ハラス”」…… 凝ったダジャレがこれでもかと盛り込まれた鮮魚公報。そのこだわりの多さは、読者が気付ききれないほどです。 「前回、令和3年度の時にツイッター(現X)でたまたまバズってくれて、ネットで盛り上がってくれたのが本当に嬉しかった。テレビでも取り上げてもらって『文章がセンスの塊』って言ってもらえたのは凄く嬉しかったね」 そんな喜びの反面、回を重ねるごとにハードルが上がっていき、ボツになっているネタも結構あるんだとか。 『海産総選挙』が話題になった理由のひとつは、パロディとしての忠実さではないでしょうか。実は、ポスターのみならず選挙に関するあらゆるコンテンツが存在しているんです。さきほどの『”鮮魚”公報』(『選挙公報』)の他にも、開票速報やニュース速報の画面、さらには開票後の新聞『”豊スポ”(豊浦スポーツ)』まで存在しています。 「前回(令和3年度)の時に、最後に開票結果の新聞も作ってほしいと言われて、開票日1日の納期だから最初は一度断ったんだけど……。でも、急な依頼にも応え、”タイ”(鯛)!!」 そうして無理をしながら誕生した『豊スポ』ですが、この本当にありそうな新聞が評判となり、今ではパロディ新聞の依頼が来るようになったそうです。用途は社内報や広告などで、内容も様々!”それっぽく”はあり、でも忠実に再現しすぎずちょっと崩す、この塩梅がこだわりとのこと。オリジナル新聞を作ってみたい方はぜひ『さんおん』へ。 このように今では主にデザインや印刷の仕事を担当されている勝哉さんですが、実は、はじめから家業を継いでいたわけではありませんでした。勝哉さんのストーリーをご紹介します。 プロレスラーになりたかった! 勝哉さんは 『さんおん』 の三男として誕生。長女、そして双子の兄がいる四人姉弟です。『さんおん』は勝哉さんの祖父から続いている印刷会社で、現在は企画・デザイン・映像制作・印刷を手がける総合印刷会社です。会社は豊浦町の山方面と呼ばれる大和地区にあり、元喫茶店の社内は現在も町の社交場として健在しています。 2歳年上の双子の兄たちと3つ子のように育ち、ジャッキーチェンの映画やプロレスを見るのが大好きでした。双子の兄が高校に進学し、そこで『格闘技同好会』(※ 顧問の先生の関係で名前は『少林寺拳法部』)を創設。勝哉さんも格闘技同好会に入りたいという一心で、同高校に進学、部長を務めました。 充実した高校生活を経て、卒業後は札幌の格闘技ジムに通うことを決意します。 「本当はずっとプロレスラーになりたかった。でも高校一年生のときにプロレスラーはスクワット1000回するって聞いて、やってみたら700回しかできなくて。プロレスラーにはなれないなって(笑)。 身長も足りないし……」入門テストが厳しいプロレスの世界。格闘家からプロレスラーに潜り込む道があることを知っていた勝哉さんは、まずは格闘家を目指すことに。 様々なバイトを経験しながらジム通いの生活を数年。バイトはゲーム制作会社、ヒーローショー、郵便局の配達……等々、幅広い業種を経験しました。しかし22歳の頃、急にバイトに受からなくなったことをきっかけに、実家に戻ることを決めます。 デザインを始めたきっかけは 『とわにー通信』 実家に戻り、家業を手伝うことにした勝哉さん。「当時はパソコンが出始めた頃。デザインも何もできなくて、本当にただのお手伝いだった」そんな生活を数年続けたのちの2006年、29歳の頃に転機が訪れます。 「とわにー(豊浦町の地域交流センター)の管理人をやらないかと声をかけてもらったんだよね。その時に、『”とわにー通信”を作ってほしい』と言われたのが全てのはじまり」 2ヶ月に一回、町の全戸に配布される広報と共に配られるおたよりを発行することになりました。「その時、全力でやって。そこで初めてイラレ(illustrator:グラフィックデザインソフト)を触って、段々使えるようになっていったんだよね。わからないことはお兄さんに聞いて教えてもらったりして」 『とわにー通信』をきっかけに、さんおんでも段々と印刷だけでなく、データを組んだりデザインしたりと幅を広げられるようになり、”お手伝い”から卒業。実働できるようになり、後に専務となりました。 『とわにー通信』は無くなってしまいましたが、勝哉さんは現在もとわにーの管理人を続けています。町の子ども達の多くは、勝哉さんのことを”とわにーのお兄さん”として知っているはず。「とわにーで毎日顔を合わせていた子どもたちが大人になって、また会いに来てくれたりするんだよね。それは嬉しいよね!!」 反面、最近子どもの利用が減り寂しいという話も。(『とわにー通信』が無くなったからなのでは?!)また、とわにーが子ども達で溢れ返る日が来てほしいですね。 「プロレスで人生を学ぶ!」 お話を伺っていると、どの相手に対しても謙虚にリスペクトを示すところが印象に残りました。 「自分以外、みんな、どんな人でも先生になり得るっていう教え*が少林人拳法にあって。相手は絶対に自分より優れているはずだと。腹が立っても、『それは俺にはできない、すげえな!』って言ってみると、まぎれるというか。いろんな問題を見ていても、お互いにリスペクトしていれば、こじれないのにな、と思うことが沢山ある」 *『我以外皆師』:自分以外、皆師である。相手から善悪どちらを受けても学べる人間になる。 このような学びは少林寺拳法から得たそうですが、「人生を学ぶのはプロレス!」だそうです。 『とわにー通信』を作っていた頃は「担当者が笑ってくれることが一番嬉しい」、『海産総選挙』では「まず岡本君を笑わせたいと思って作ってる」、そして、実兄とずっと一緒に働いているのにとても仲が良い。二人三脚で支える側として応えていく勝哉さん。格闘技でありながら、二人一組でつくるエンターテイメントともいえるプロレスと重なって見えました。 「プロレスで人生を学ぶ!」そんな話がしたいプロレスファンの方、ぜひ『あの人に会いに』行ってほしいと思います。真狩~豊浦町方面を行き来する際には、現存する古き良き町の社交場『さんおん』に寄ってみてくださいね。 __________________ 印刷も写真もドローン撮影も 地域をまるっとデザイン さんおんデザイン 〒049-5402 北海道虻田郡豊浦町字大和144-1 有限会社さんおん \オリジナル新聞などのご相談もぜひ/ TEL 0142-86-1234 FAX 0142-86-1218 __________________
misaki
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08/01(火) 原体験に導かれて〜好きを極めた永遠の鉄道少年 横山靖樹氏
原体験 「父親に連れられて、今はなき室蘭機関区に蒸気機関車を良く見に行っていました。たしか2歳頃からだったと思います。当時は90%が貨物か客車を引っ張る機関車で、間近で聴く警笛の音に驚き、父の膝の上でビクッと飛び上がった記憶があります。」 そう語り始めたのは室蘭市舟見町ご出身の横山靖樹氏。 今回の主人公です。 数年前に伊達市役所を退職し、今は室蘭で週数日の仕事を請け負っていらっしゃるそう。 全く知らずに取材を申し込んだのですが、実はその世界の専門誌に登場する有名なモデラーとライターさんでもあることが発覚! なんとも恐れ多いことをしてしまいました。 ですが、とても気さくに丁寧に取材に応じてくださった横山靖樹氏でした。 「12歳になると鉄道模型に夢中になりました。二年間で貯めたお年玉1万1千円で初めて買ったのは金属モデル16番セット(日本規格のJゲージともいう)のBタンクと呼ばれるものです。だいたい6時間くらいで作ったかな…。当時はプラモデルがとても流行っていましたが、僕が作る鉄道模型は真鍮でできています。ですから、父からハンダ付けの道具を借りて作りました。今でもその時の模型は電源・レールともに保管してあります。」 わ! いきなり専門用語が出てきました。 Bタンクって何? 鉄道模型ってプラモデルとは違うんだ! 電源ということは動くの? これはお話に付いていけない予感…。 けれども靖樹氏は優しい口調で丁寧に説明してくださいました。 「Bタンクというのは動輪が二軸あることです。16番(Jゲージ)というのは実際の大きさの1:80の大きさと機能を表すものです。特徴としては加工がしやすくキットが豊富で精密にできます。つまり、より本物に近いものができる。精密に作ることができるので、1:80の大きさとパワーで本物っぽく動かすことができるのです。動かない鉄道模型は僕の中では認めていません。」 鉄道模型には強いこだわりがあるようです。 優しさの中に頑固さを見た瞬間でした。 鉄道模型への想いが熱い!! こちらも模型です。 雪煙を上げながら走るこの列車のカラーは国鉄色と呼ばれるオレンジ色です。 市役所現役時代から所属していた鉄道模型クラブの仲間同士の合同運転会などで、 情報交換やアドバイスをもらい技術を上げていったと言います。 なるほど! 文頭の画像は特別なものではなく、大きさは色々でも全て精巧に動くように作られているというわけです。 模型作りにどんどんハマる靖樹氏でしたが、子どもにはとても高価なのでそう簡単に買えるものではありませんでした。 ある日、中学生になった靖樹氏は鷲別機関区へ行きました。 「その頃は緩かったというか、車庫入りしている機関車に乗せてくれたり、警笛を鳴らさせてくれたりして、今でいう『体験』を通したさり気ない教育をしてくれたんです。」 結果、この時の体験は靖樹氏を『撮り鉄』の道へと駆り立てました。 北海道の蒸気機関車を撮りたい! 靖樹少年、ついに『撮り鉄』の旅を始めます。 「中学生の頃は学校の長期休みを使用しながら、日帰りで出掛けていました。カメラはお年玉で買いました。でも、ジュラルミン製のカメラバックと三脚は父が買ってくれました。」 「高校生になり、宿泊しながら撮りに行くようになりました。とは言っても、夜行列車を利用した車中泊です。いままで一度だけ遠軽の旅館に泊まったな。カメラは当時日給が高かった母方の親戚の酒屋のバイトをして一眼レフを手に入れました。室蘭は急な坂が多いでしょう。坂の下で車から荷物を下ろし、上り坂を担いで行くんです。キツかった…。」 「ところで、撮り鉄時代の面白エピソードや、車中泊や駅泊で困った思い出などありましたら教えていだけますか?」 「高校生時代からひとり旅を許されたのですが、予備フィルムやカメラ、列車時刻の確認、移動切符手配など、周到な準備で出かけるようにしていました。厳冬期 -25℃の道東の朝の出来事なんですが、メガネの金属製ヒンジがポロリと折れてしまいました。ツルの一つはかろうじて耳にかかっていましたが、直ぐずれて間抜けな顔に…。カメラファインダーも覗けず難義しました。メガネの予備を持たなかった失敗談です。また、あるお盆近くの日の出来事です。北見方面の長さ600m程の有名な怪談トンネルを訪れたのですが、トンネルの先は絶好の撮影スポットなので是非とも撮りたいと思っていました。信号所の職員さんに蛍光灯を点けてもらい、帰りもお願いしたのですが、帰りの約束の時間になっても蛍光灯は点かず辺りは真っ暗。職員さんは約束を忘れてしまっていたんです。山間はもう真っ暗でしたが、ダイヤを確認し勇気を振り絞りいざトンネルへ。そこで体験したのは超怪奇現象でした…。真っ暗なトンネル内で何度も転び、真っ黒になって信号所に助けを求めたところ、『あっ 忘れていた! また出たの!? しょっちゅうあるんだよね〜!』って…。今思い出しても寒気がする出来事です。」 「トンネルでの出来事は気になりますが、きっと、苦しい作業の末に亡くなられた成仏できない霊が彷徨っているのでしょうね…。勇気を振り絞って中に入った靖樹少年すごすぎます ^^;」 「また、こんなこともありました。夏の駅での野宿の時です。当時は、駅ホームの待合室では寝ていいよ、っていうのは結構ありました。でも夜中に貨物列車がゴウゴウと通過するのでその度に目が覚めます。でも屋根付きは良かった。特に雨の日。次の朝は蚊に刺され顔がむくんでいましたが笑 昭和の駅員さんはおおらかでした。」 「駅ホームの待合室泊…。実は筆者にも経験があります!今は締め出されちゃいますね。」 車中泊で全道各地の蒸気機関車を撮るようになった靖樹少年は、「もっと技術を上げて良い写真を撮りたい!」「自分で現像をしたい!」という思いから、高校では写真部に入部しました。 一度決めたらまっしぐら。 「現像のための暗室は自宅の一室に毛布をかけて作りました。家中酢酸の匂いがしていました笑」 カメラや鉄道にハマりながらも陸上部を掛け持ちし、短距離走が得意だったとも言います。 文武両道だったというわけですね。 〜というか、じっとしていられないタイプ? 自宅では模型を作り、外ではカメラを担いで蒸気機関車を追いかける日々。 そんな靖樹少年に辛い転機がやってきました。 国鉄の合理化です。 昭和50年代に入り、走る途中で水や石炭を補給しなければならない蒸気機関車は、真っ先に合理化のターゲットとなりました。 そしてついに、通常営業運転としては全国最後になった室蘭本線の蒸気機関車は消えてしまいました。 「被写体がなくなってしまい本当に気落ちしてしまいました。ディーゼルには興味がなかったので撮る気にはなれなかった。当時『赤ブタ』と呼んでいた機関車は撮りたい対象ではなかった。今となれば撮っておけばよかったと思いますが…。貨物車も、昭和の時代にはタンク車があったり、木材を積んだ貨車があったり、引っ張られている貨物車がバラエティーに富んでいたのですが、いまは画一化されたコンテナになり、それらさえも見ることがなくなってしまいました。」 「模型鉄」再開と新たな展開と その後しばらくして結婚。 そして子育ての時期。 「約15年間は鉄道から離れていました。けれども、札幌へ出張するたびに本屋へ行っては専門誌3冊を捲り、『またこの世界に戻りたいな…』という想いを膨らませていました。いつかは再開したいと思いつつも、再スタートの一歩を踏み出せずにいた僕の背中を押す記事を、ある日専門誌に発見してしまいました。自分が中学生の時よりも模型が数倍精密になっていたのです。それを知った時、俄然と模型作りをしたくなりました。実はちょうどその頃、超過勤務の給与を多くいただいていた頃で、それを原資にすることで再開することを決意しました。上の子どもが高校生の時でした。」 聞いて驚いたのが真鍮製機関車模型の価格。 なんと、1台20万円〜50万円くらいするそう! 何しろ、全てが本物の1 : 80なのですからその位はしてもおかしくないわけです。 ですから模型作りよりも家庭経済を優先させた靖樹氏の判断は当たり前と言えば当たり前でした。 「それは『我慢した』という感覚でした。」 15年ぶりの模型鉄再開はさぞかし嬉しかったことと思います。 さて、再開をした靖樹氏は鉄道模型を作るだけでなく、模型とジオラマの融合を始めました。 そして、仲間を集めて倶楽部活動も始めました。 先ほども少し触れたご自身が会長を務める「北軌道倶楽部」です。 「現在20名ほどの会員がいます。年代は40代から60代の方々。実は自分のような人間がいるのが不思議なくらい裕福な方が多いです。模型は高いですからね。その仲間で2~3ヶ月に1回くらい例会をしています。会でしていることと言えば、持ち寄った模型を走らせて酒の肴にして語り合う。そんな会です。」 どうやら想像以上にマニアックな会のようです。 「ところで、新たな展開としてジオラマも手掛けるようになったようですが、ジオラマも真鍮製なのですか?」 「真鍮も使いますが、ジオラマの材料のほとんどはお菓子の空き箱などのボール紙です。コルク板、発泡スチロール、集成材やプラスティック加工用のスプレーなども使います。他に使う材料は…、選ぶのがちょっと恥ずかしいのですが、100均のコスメパーツです笑。」 「え!? 化粧品ですか?」 「はい。たとえばネイルパーツなどをよく使います。」 つまりオリジナルの世界なのでキットでは作れないというわけです。 それではここで鉄道模型とジオラマの世界をとくとお楽しみください。 いかがでしょう? 細かい作業が苦手な筆者には、神業すぎて、素晴らしすぎて写真だけでもコーフンします。 もちろんこれらは靖樹氏のコレクションの極々一部です。 現在、車両のみで300両はあると言います。 それらは全て自宅納戸に保管されているそう。 「どれも皆素晴らしいですね!ところで、いま一番作りたいものは何でしょうか?」 「ジオラマでは鉄橋です。河川に架かる橋は鉄道車両と一体になる風景です。橋梁製作、法面の(植物)作成、河川表現等ジオラマの世界では高度な技術を駆使します。今、橋でも難しいリベット組立の魚腹ガーダー橋梁を使用したジオラマ製作を行なっています。」 最後に鉄道模型車両とジオラマ風景を融合させることの魅力を語っていただきました。 「まず、作ることそのものが魅力です。そして、ジオラマと融合させることで自分が育ってきた北の街の昭和の風景を再現することができる。あの頃の時代は戻らないけれど、自分で作ることでいつでも手の届く存在として側に置くことができる。まあノスタルジーですね。北軌道倶楽部のアジトにはレイアウトを考えた線路が常時敷かれた状態になっています。そこに人や樹木や草地や川や土手など風景を加えていくことで、想像の世界が広がっていきます。そうそう、今、会で『樹木ひとり一本運動』というのに取り組んでいます。一人一人が樹木を作り森を育てています。ジオラマの環境整備ですね。皆んなで作ることで、会員同士が交流し合い、切磋琢磨し合って、技術レベルも上げていきたいし、より素敵な模型とジオラマの融合の世界を作っていきたいと思っています。その過程が魅力です。若い人も増やしていきたいな。」 そして、実は「撮り鉄」も復活していました。 「撮り鉄はデジカメ時代になって復活しました。銀塩カメラ時代は現像して見ないと画像の確認ができませんが、今は出来をその場で確認できるのでとても便利で良いと思います。今でも車中泊の撮影旅(放浪の旅とも言う)を許してくれる嫁さんには本当に感謝しています。もちろん、キチンと1日一度安否報告はします。列車撮影、車中泊等全ての面でちゃんとコンプライアンスは厳守していますので、昔のようなエピソードはありません。でも、列車の遅れ、運休は昭和より多いですね。安全を考慮するとそうなるのかもしれませんが、『鉄道魂』と言うものが現場から消えかかっているのでしょうか…。時代は変化しているという事をつくづく感じます。」 永遠の鉄道少年靖樹氏は、終始にこやかに物語を話してくれました。 「どこかで常設展示していただきたい気持ちはありますが、車両1両が何十万円もする物ですし、輸送中壊れやすいジオラマもありますのでそう簡単なことではありませんね。」 是非「だて歴史文化ミュージアム」に横山靖樹コーナーを作って欲しい! 切に願います!
Rietty
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02/07(火) 『心地よい毎日』へのキーワードは『整える』こと 〜La Flice代表 小野友美氏の思いとは
・『La Felice』代表 小野 友美氏 ・室蘭市出身 現在は伊達市在住 ・二児の母 『La Felice』とは、イタリア語で「心地よい」という意味だそうです。 代表の友美さんは、誰もが心地よい暮らしができるように、様々なアプローチで活動をされています。 今回は、友美さんが思う、より心地よい暮らしについてお話を伺いました。 友美さんは、約24年前から看護師のお仕事をされています。 けれども、子育て期間の6年半はお仕事を休んでいました。 友美さんの感心するところは、資格を取得したら直ぐに誰かに試してやってみて、直ぐに仕事にするところ。 しっかりとPDCA(Plan Do Check Action)を回すことです。 これって誰でも出来そうで、意外と出来ない人の方が多いこと。 友美さんの最大の強みのような気がします。 さて。 『La Felice』のロゴには 〜アロマとおかたづけ〜 と書かれていますが、実は友美さんの活動はそれだけではありません。 現在行なっている講座メニューを書き出すと… 1. アロマアナリーゼ 香りの心理分析 2. アロマテラピー講座 3. アロマハンドトリートメント 4. 片づけ心理学 5. おかたづけのきほん講座 6. おかたづけ相談・訪問 7. 片づけオンライン訪問 8. 方眼ノート1dayベーシック講座 9. 地元ラジオ番組「ときめきテラス」パーソナリティー こんなに色々なことをされています。 やはり直ぐやる課! ^^ 友美さん曰く「やる!と決めることが大事」なのだそう。 「やろうと思ったけれど」 「やるつもりだったのに」 これは筆者の得意のセリフ…^^; それではダメなのですよね。 わかってはいるのだけど…。 あ。これもダメなセリフ 笑 ふむふむ…。 なるほど〜。 実体験に基づいたお話は説得力があります。 そんなに良いものならば、一度体験してみよう〜!! ということで、筆者、「方眼ノートメソッド」を体験して参りました! 正直なところ、まだ出会ったばかりなので絶大なる効果を感じるまでには達していませんが、方眼ノートの活用によって、目指すゴールに向けての道筋が見えやすくなり、段階ごとの考えがスルスルと出てくる感覚はありました。 うん。 これはなかなかよいかも…。 現在、東京のある公立中学校では教員全員がこのメソッドを学び、生徒にも方眼ノートの書き方を指導し、生徒一人一人にとって何がどの程度わかり、何がどの程度わからないのか?を、誰にも見える化出来たことで、中間テストも期末テストも廃止したという実践報告もあるそうです。 公立学校でもそこまで出来るということには正直驚きました。 〜と、これまでご紹介したことを図式化されていました。 さらにさらに友美さん。 ワイラジオのパーソナリティーもされています。 番組名は「ときめきテラス」 お友達とお二人で30分の枠で様々なお話をされていいます。 パーソナリティーを始められたことで、話す訓練にもなっていることを実感しているそうです。 一見、多方面で活動されているように見えますが、実は「整える」というキーワードで全てが繋がる。 『全ての方が心地よい毎日を過ごしてほしい』という願いを込めた友美さんの活動なのでした。 ―La felice 情報はこちらから― おのともみFB https://www.facebook.com/tomomi206 La Felice Instagram https://www.instagram.com/lafelice_aroma.shuunou?igshid=YmMyMTA2M2Y HP https://la-felice.com/
Rietty
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10/23(月) “窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
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11/19(金) 人生は後半戦が面白い。楽輝己書道場・兼子孝子さん
大町ミニギャラリー(伊達市大町3番地7)で11月26日まで楽輝己書(ラッキーおのれしょ)道場の作品展が開催されています。 独特の丸いフォルムが特徴の己書。筆ペンを使って誰でも手軽にできて、「描いて楽しい、見て楽しい、もらって嬉しい」のが魅力です。 会場には笑顔を誘う優しくておおらかで、ユーモラスな作品たちが賑やかに並んでいました。 兼子さんと生徒及び推薦した師範の皆さんの作品 楽輝己書道場の代表・兼子孝子さんは登別在住。「人生は後半戦が面白い。楽しんで輝いて生きましょう!」をモットーに登別、室蘭、伊達、白老、苫小牧、と西胆振中心に、札幌、旭川他、道外でも教室を主催しています。 都道府県ご当地地蔵シリーズ 5年前、知人のFacebookに投稿された己書を見て衝撃的な出会いをしたという兼子さん。それまでは一人で飛行機に乗れなかったそうですが、一念発起して本州に通い師範、さらに上席師範の資格を取得。北海道で己書を広めるため道場を開き、現在は指導者の育成にも力を注いでいます。 今年の作品展は室蘭市民活動センター、旧室蘭駅舎、カフェアンジュリエ登別、のぼりんと続いて大町ギャラリーで年内最後となります。 一番の見どころは壁一面に広がるカラフルな小型のパネル!ひとつひとつに素敵な文字が書かれています。通称「なっとう額」、なんと納豆のフタに土佐和紙を貼った手作りの額縁です。その数なんと544枚! ギャラリーの壁を一眼見てひらめき、お弟子さんたちと力を合わせて展示したそうです。 ほかにも個性的な作品がたくさん! だるまと招き猫シリーズ。かわいい! 「己書は己の書だから他人と比べなくていいんです」と兼子さん。 筆ペンなので二度書き、三度書きOK。筆圧がなくてもかけるので、年齢問わず体が不自由な方や病気の方にも喜ばれるそう。 私も体験させてもらったのですが、一文字一文字、ゆっくり書いていると心が安らぎ、まるでセラピーのような癒しの時間だな、と思いました。 兼子さん「自分の時間が形になって楽しめること。みんなに喜んでもらえることが一番の魅力だと思います。己書に出会ってからご縁がどんどん繋がって活動が広がり今があります。涙が出るほど嬉しいです!」 コロナ禍で生徒さんが教室に来られない状況が続く中、オンラインレッスンを活用して活動の幅を広げ、さらに今年は自宅で己書を楽しんでもらおうと仲間とアマゾンから電子書籍(無料)を出版しました↓↓ 筆ペンで描いた 淳ちゃんとカネちゃんから贈りもの 一期一会を大切に、面白がって新しいことにチャレンジし続ける兼子さん。おおらかな笑顔が己書のお地蔵さんの表情と重なりました。 作品展は2021年11月17日〜26日まで(最終日の展示は13時まで)。 各教室のほか、年賀状講座も募集中です。 手書きでちょっとしたものをサラッとかけるようになり、実用性もかなり高い己書。あなたもはじめてみませんか。 兼子孝子さん 日本己書道場公認 上席師範 楽輝己書道場 代表 090-1388-4716 オンライン幸座も受付中!! Facebook Instagram むしゃなび掲載ページはこちら ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
むしゃなび編集部
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08/28(日) 「またたび文庫」の羽地夕夏さん(羽ちゃん)〜人の心に風を送る人〜
嵐ではない。 そよ風でもない。 ヒュン!と人の心に風を送り。 ハッとさせてくれる人だと思いました。 ひさびさに「いいものみつけた!」という気持ちにさせてくれた人。 と、失礼な書き方をしましたが「なんて素敵な人なんだ!!」という意味です。 そして、実際には見つけたというよりも、出会いのきっかけは若い友人からの紹介でした。 ただその時には、羽ちゃんはその「光」を見せてはくれませんでした。 沖縄の人らしいのんびりした感じの印象。 表面的に溢れ出すオーラで、その存在の凄さを隠せない人はいますが、羽ちゃんはそういうタイプではないように見えました。 決して隠しているわけではなく、あくまでも自然体で、自分をそれ以上にも以下にも見せない人でした。 それがもう、話してみてビックリ! さらに彼女の書いたものを読んでみてビックリ! https://www.instagram.com/matatabibunko_hon/ ↑本の書評や所感などを書いています。 こちらを読むと、只者ではないことが分かります。 ということで、今回は白老を本拠地に移動本屋「またたび文庫」を展開している羽ちゃんこと羽地夕夏さんを取材させていただきました。 この日、またたび文庫は、白老の子育てふれあいセンター「すくすく3・9」の森のカフェイベントに参加されていました。 庭が森になっているそこには、小さい子を連れたお母さんや、地域の方々が来場者となって訪れていました。 その脇にあるニッセの小屋では、地元の店「カイザー」さんが珈琲を落としていました。 「すくすく森のカフェ」は、手作り感溢れるあったかい和みの空間でした。 そんな雰囲気の中で出店されていた、またたび文庫の羽地夕夏さんは、沖縄県読谷村出身の24歳。 大学で国際政治を学び、卒業後は東京の出版会社の営業を1年経験されました。 その後、2022年5月より白老町の地域おこし協力隊員として活動をされています。 「本は子供の頃から好きでした。学生時代は古本屋巡りが好きでした。何かを調べたい時は必ず本。ひとつのテーマについて深く知りたいときは、本を探して読みます。」 何故白老だったか 白老に来たきっかけは、先ほどお話しをした共通の若い友人でした。 それは羽ちゃんが大学4年生の時、初めてその友人に案内されて白老の森を歩き、すっかり白老の自然に魅せられました。 「それまでの人生では森歩きをしたことってなかったんです。」 同時期に読んでいたのはアイヌを題材にした小説「熱源」。 沖縄とは全く異なる北海道の自然への興味、アイヌ文化への関心も後押しをして、白老移住を決めたそうです。 そして実際に移住をした白老は期待通りだったと言います。 またたび文庫の誕生 「人口1万6千人の町 白老の文化拠点として、本屋をつくりたい。」 〜という想いで羽ちゃんは移住後、ほどなくして始めた 古本メインの移動本屋(新刊も1割ほどあり) 「またたび文庫」を立ち上げました。 マタタビといえば、あの齧った猫が恍惚状態になると言われる樹木の名前です。 「初めて北海道を訪れた時、森で初めてマタタビを口にし、とても美味しかったのです。これが猫もうっとりするというマタタビの木の実か!!」と。 きっと、その実は熟したオレンジ色をしていたのでしょう。 ほんのり甘いマタタビは、アイヌ文化史にもたびたび登場し、現代でも果実酒にして薬効を得るなど様々な利用法があります。 そしてまた。 羽ちゃんが好きなアーティスト奥田民生のCDにも「股旅」というタイトルのものがあるそうです。 こちらは旅のうたですが…。 旅先だった北海道に移住した羽ちゃんにとって、「またたび」という響きには特別な想いがあるのでした。 ところでこの日、鮭の木箱に入れて持ってきた本は100冊くらいでした。 「在庫はどのくらい持っているのですか? また、ここに持ってくる時の選書の基準は何でしたか?」 「在庫は2000冊くらいです。今は主にイベント出店という形で販売をしているので、出店するイベントの趣旨や、集まるであろうお客様の層を考えて、その志向を想像しつつ選書しています。今日は子育てイベントですので、お母さんが読める本・子ども向けの本をご用意しました。コンセプトは日と場所によって変わり、持ち歩く本も変わります。冊数もあえて少なくしています。」 この選書のセンスがまた抜群です。 ただの勘ではなく、自分のお客さまになりうる層をしっかりと分析しているようです。 それが証拠に、いらっしゃったお客様の年代・会話・購入された本などの記録をされています。 入れ替わり立ち替わりお客様がいらしたことと、雨が降り出したことでじっくり本を選ぶことができなかったのですが、どれもこれも気を惹くものばかりでした。 筆者の図書館司書の友達が、いたく褒めていたのが納得でした。 本へのおもい 「ところで何故、古本をメインにしているのですか?」 「一つには、誰かに大切にされていた本が次の人に回っていく循環に魅力を感じるからです。もう一つは、流行りものの宣伝にまみれた新刊書店より、ひっそりと本が積み上がっている古本屋での本との出会いの方が “ 自分の感覚で選んだ “という実感があり面白かった…という実体験からです。」 なるほど…。 ベースは大学生の頃の古本屋巡りだったのですね。 そしてこんな質問も〜。 「いちばん大切な本はなんですか?」 「いちばん長い期間、定期的に読み返している本は『星の王子さま』です。王子さまとキツネのお話しが大好きです。まわりの人やモノを大事にするとはどういう行為なのか、どんなふうに世界の見え方がかわるのか、美しい言葉で教えてくれます。」 筆者も遠い昔に読んだ本でしたが、このお話を伺い、また読みたくなりました。 羽ちゃんの言葉は、とても人を惹きつけ「読みたい!」気にさせてくれます。 ではもうひとつ。 少し難しい質問を投げかけさせていただきました。 「生き方を決定づけた本はありますか?」 「難しいですが…。平野啓一郎さんの『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本をあげさせていただきます。モラトリアム真っ盛りの大学生時代に読みました。自分のアイデンディティーは確固たるものではなく、他者との関係性の中でうまれる多様なものだという考え方に出会い、“ 自分とは何か?” という内向きの漠然とした悩みに対する執着がうすくなりました。」 う〜む。 深い…。 これもまた俄然読みたくなりました。 あらためて羽地夕夏という人 羽ちゃんはInstagramやnoteに本にまつわるいろいろを書いています。 その中から一部抜粋してみますね〜 『現時点のスタイル→本との一期一会の出会いの場をつくるというスタンスで、毎日本棚を入れ替える。POPをおくなどの装飾はとくにしない。自分の感性で本をえらぶという行為じたいを楽しんでもらいたい。。。と思いながら。』 こちらは移動文庫のスタイルのお話ですね。 おもしろい。 とにかく本と真摯に向き合っている。 そしてもう一話。 『〜前略〜「読書は人生に役立つのか?」というテーマに近づけたい。読書とは「自分で問いをたて、知識を得て、深めていく習慣」と定義してみる。特定のスキルや知識は陳腐化してしまう。だとしたら、せめて今の自分が本当に関わりたいものを、自分でえらべるようになること、ってすごく大事なのでは。。。読書が「自分のものさし」をアップデートしていく手段になるなら、「読書は人生に役立つ」と言えるんじゃ〜〜中略〜〜地理、社会、個人の思想を紐づけてみていくのは終わりがないから面白い。なんの役にたつかはわからないし、時間があるときのお楽しみになっちゃうけど。 今日もよい一日をおすごしください』 こちらは羽ちゃんの読書観。 と、こんな感じで羽ちゃんが発信するInstagramの書評や所感、あるいは考え方は、とてもグッとくる文章ばかり。 それでも物書きではなく、人や本との一期一会を大切にしたいと、売る側を選びました。 最後に地域おこし協力隊卒業後の構想を伺いました。 「拠点としての古本屋(店舗)を持ち、時々移動するというスタイルにしたいと考えています。 同時に、これから製本の勉強もする予定です。その後、絵本作りのワークショップを行ったり、出版のサポートもしたいと考えています。」 本を軸に活動の幅を広げていかれるようです。 今後の活動が楽しみです。 羽ちゃんの発する言葉ひとつひとつが筆者のこころに風を送ってくれた気がしました。 気がつけば秋。 読書を楽しみたいですね。 ―またたび文庫情報― クラウドファウンディングは2024年4月8日まで! 応援はこちらから。 白老でのおもな拠点は蔵、Haku hostel、観光協会(ポロトミンタラ)など。 出店予定は毎月更新されます。 営業時間は11:00~17:00 *出店予定は、Instagramにある月次予定表をご覧ください。 ・しらおい創造空間「蔵」 〒059-0906 白老郡白老町本町1丁目7-5 ・haku hostel+café 〒059-0905 白老郡白老町大町3丁目1-7 ・白老観光協会(ポロトミンタラ) 〒059-0902 白老郡白老町若草町1丁目1-21 Instagram https://www.instagram.com/matatabibunko_hon/ note https://note.com/matatabibunko/m/m10475c2e1abd?nt=magazine_mailer-2022-08-25 買取り情報
Rietty
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10/18(金) 【あの人に会いに】『認知症カフェ』の認知を上げたい! [ 猪股 薫 さん / 伊達 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい、地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】 今回は10月から『認知症カフェ』をスタートさせる 猪股 薫(いのまた かおる)さんです。 「末っ子の自分、両親に何ができるだろう」 薫さんは伊達市のご出身。保育や福祉のお仕事をされてきました。 「元々は人のお世話をするような人ではなく、末っ子で、全部”やってもらう側”で。両親が高齢になったときに、何にもできない自分って良くないなと思って……たまたまヘルパーの通信講座を受けたんです」 資格を取り働き始めると、次々と介護福祉士やケアマネージャーの資格もとることに。「ケアマネージャーの仕事を始めたら、認知症に悩む人が沢山いて。それで認知症について勉強し始めたら、ハマっちゃったんですね。色々な教授の講演を聞きに行ったりして勉強しました」 介護の知識・経験を身に着けていく中で、お母さまが入院された時、ご自身のスキルを活かしてサポートできたそうです。「それで、末っ子の自分が取れたような。自分にも親に何かできると思わせてもらえました」 『認知症カフェ』は、地域に開かれた交流の場 そんなやさしさに溢れた薫さんがこれから始めようとしているのが、『認知症カフェ』というものです。「認知症カフェなのに認知度が低くて」と笑う薫さん。きっと知らない方がほとんどだと思うので簡単にご紹介。 『認知症カフェ』とは、認知症の人、家族・介護者や友人、地域住民など、誰もが気軽に集える交流の場を開く活動で、世界中で行われている取り組みです。認知症に関する悩みを相談したり、お喋りすることで繋がりが生まれ、孤立防止にもなります。また、専門家から認知症に関する情報を得ることもできます。 『認知症カフェとは』 厚生労働省 伊達市には”チームオレンジ”という認知症サポーターの集いがあり、ケアマネージャーとして認知症について学び続けていた薫さんもそのメンバー。その活動の中では、病院や介護老人保健施設で認知症カフェを開催していました。 「これを、病院や施設ではなくて、民間でできないだろうか……と思い始めて」 認知症は、中途の段階が大変だと言います。「ちょっと物忘れが出てくる時、まだらボケ”とも言われるのだけど、その頃が一番苦しいし、周りの家族も苦しい。物忘れが出てきて「あれあれ、それそれ」と思い出せなくなる。人の名前を忘れちゃう。そんな自分をさらけだしたくなくて、だんだん外に出なくなっちゃう……」簡単なことができなくなる、物忘れしてしまう自分を恥ずかしく思い、段々と引きこもってしまうことも多いのだそうです。 「今までは簡単に喫茶店に入れたり、ラーメン屋さんにも行けたのに、行けなくなっちゃう。寂しいじゃないですか。気楽にお茶ができる場所をつくることができないかなと。老後楽しく豊かに暮らしたいと思うじゃない?軽度の人たちが頑張る気持ちになれると良いなと」 道がわからなくなっちゃっても、聞けばいいじゃない。人の名前を忘れてしまっても、また忘れちゃってって聞いても大丈夫。何も恥ずかしいことじゃなくて、みんな同じようなことで悩んでるから心配しなくて良いよ。認知症カフェは、そんな風に辛いこともまるっと含めて肯定してもらえる、誰もが安心できる場です。 「かっこつけたい時もあると思うけどね、何も気にせずに本来の自分の姿で……オープンマインドでいられる、気兼ねなく来られてリラックスできる場所にできたらなと」 認知症には珈琲が良いらしい?? コーヒーを飲む習慣は、認知症の発症リスクの減少と関連しているという研究が発表されており、コーヒーを1日に2~3杯飲んでいる人は、アルツハイマー病の発症リスクが21%低いことがわかっています。コーヒーなどに含まれるカフェインが、軽度認知障害や認知症に対して予防的に働いているそうです。 そんなこともあり、こちらの認知症カフェ『くるみ茶屋』では、会場であるカフェ道楽さんの美味しい珈琲や、茶道の師範である薫さんの御抹茶をいただけるとのこと。ちなみに、抹茶も珈琲と同等のカフェインを含んでいるんですよ。珈琲や薄茶をいただける認知症カフェ、とても贅沢ですね! 会場となる『カフェ道楽』。野鳥が飛んでくる素敵なお庭を眺め、癒されるお店です。過去にむしゃなびでもご紹介しています。(↑画像をタップ)ぜひご覧ください。 誰もがオープンマインドでいられる場所を 最後に、薫さんご自身の介護のお話を少しだけしてくださいました。 「父は100才まで生きてくれたんです。母が亡くなった後は一人でご飯を食べるのは可哀そうだから、ご飯はいつも一緒に食べるということだけは、やめなくてね。父はお蕎麦が大好きで。美味しいなって言ってお蕎麦をすする姿、珈琲を旨いな~と言って飲んでいる姿、そういうのがずーっと残ってるものでね」 「もしイライラしたときは、そういうところに立ち返ったりして。みんなが優しいところを持っていると思うんです。まずは相手のお話を聞くことが大切、傾聴ですね。あなたの意見はあなたの意見で、尊重はしているよ、と話し合っていくと真実みたいなものが見えてくるというか。理解し合える道を考えていく、ということかな」 もし今、介護のことで悩んでいる方がここを読んでいらしたら。そのもっと手前の、ちょっとした物忘れが気になっている方、またはそのご家族やご友人が読んでいらしたら。ぜひお気軽に、認知症カフェ『くるみ茶屋』、カフェ道楽へ足を運んでみてください。猪股さんとお喋りするだけで、不思議と気持ちが軽くなります。 暖かい気持ちを持つ有志の方々で立ち上げられた、”オープンマインドでいられる場所”。認知症に関わらず、全ての人にとって居心地の良い場所になることでしょう。月に一度の息抜きの場として、ぜひご活用ください。 認知症カフェ『くるみ茶屋』 日時 :毎月 第4月曜日 13:30~15:30 会場 :カフェ道楽(南黄金町163-10) 参加費:100円(飲み物・おやつ付き) ※ 申し込み不要、時間内出入り自由
misaki
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06/08(土) 『Cafe Pito』&『Pitoゼミ』 〜満たされる場であるために カフェと塾=食と教育 その融合を目指す檜山夫妻の実践とは
以前から気になりながらも、なかなか訪れることができなかった『Pito』さんのドアを開けたのは早春の頃でした。 看板料理、スープをひとくち口に運んだ時、「おいしい…」。と心が言いました。 なんと表現をしたら良いのか? 有名シェフの高級料理を口にした時の「美味しい〜!!」というのではなくて。 おふくろの味に安心する「うん、うまい」。というのでもない。 ほっと心が落ち着いて、しみじみとその美味しさと、作り手の優しさがじわじわと伝わってくる味と言ったら良いのかな…。 ということで、その「おいしい…」スープをいただいた瞬間、是非、こちらを取材させていただきたい!となったのでした。 室蘭出身の檜山祥太さん35歳は、大学院卒業後、新規オープンの塾に携わるなどして塾講師をされていました。 福島県出身の檜山翠さん33歳は、大学卒業後企業の管理栄養士として働いていました。 そんな時にやってきたあのコロナ禍。 「ずっと機械的に同じことを繰り返す毎日に疑問を感じるようになりました。働き方やライフスタイルを変えたいと思ったのです。この先は、自分たちでなければできないことをしていきたいと考えました」。 そう語る檜山夫妻。 取材を通し、同じようにコロナ禍をきっかけにライフスタイルを変えた方々に出会ってきましたが、その多くが何故か同じくらいの年齢の方々でした。 心機一転、当時住んでいた岡山県から祥太さんの生まれ故郷室蘭にUターンされましたが、選んだのは実は翠さんなのだと言います。 「空き家利用助成金制度が有り難かったのもありますが、なんというか、室蘭の奥ゆかしさというか、さびれ加減の良さというか、昔ながらというか、静かな感じがよかったんです」。 と、翠さんは、スープをいただいた時に感じたお人柄そのままに、丁寧に言葉を選びながら 優しく話してくれました。 そうそう! こちらも! こちらは取材の日にいただきました。 世界のスープDayと称して、月替わりで世界各国のスープを提供しています。 この月の「ウクライナのスープ」は、本当に具沢山でからだ喜ぶ味。 そして、ユニークだったのがシシャモの天ぷら! 煮豚も柔らかくて「おいしい…」。 シシャモの天ぷらは、福島では当たり前に食卓に上るのだそう。 こちらはウクライナではなく、翠さんの故郷の味でした。 「ところで、メニューへのこだわりを教えていただけますか?」 「管理栄養士でもあるので、なにより栄養を一番に考えています。Pito Cafeはスープがメインの店なので、できればスープで栄養も完結させたいと考えています。できるだけ調味料を使わず、素材そのものの味を活かすように工夫して調理をしています。お握りにしているのは、ちいさなお子様からお年寄りまで食べやすいから。ご希望によっては、グルテンフリー・ハラル・ベジタリアン・ヴィーガン対応もします」。 「それと、世界のスープは、スープをきっかけに室蘭以外の世界の歴史にも目を向けて欲しいと願う夫の提案です」。 まさに、教育と食の融合スープなのですね。 しかも、各種嗜好や宗教にも対応されるとは、世界のスープに着眼されるだけのことはあります。 そうそう! この日は「ドッグカフェの日」でした。 年一回開催されるお隣の「犬の洋服屋さん」のイベントに合わせ、ワンちゃん用のお食事とデザートを用意して開放されています。 また、このイベントの日ではなくても、ワンちゃん用のスープ・バースデーケーキ・お菓子などの注文も受け付けているそうです。 大の犬好きな翠さん。 筆者が飼っていた犬が亡くなった時の話をすると、目を腫らして泣いてくれました。 本当に優しいお人柄。 「この町で、Cafeをやっていて良かったと思う時はどんなときですか?そして、これから先、どんな存在でありたいと思いますか?」 カフェの取材の最後に聞いてみました。 「好きなことができて、好きな町でできて、本当に良かったなあと道を歩いていて思うんです。だから、Pitoもいつもそこにあって、ふらっと寄れる場所でありたいと思います」。 ここまで気負わない自然体の翠さんと、もっと一緒にお話をしたいと思った筆者でした。 さてそして、Pitoゼミの祥太さんにもお話を伺いました。 「妻はこの町を選びましたが、実は、室蘭出身の僕は帰って来たくなかったんです」。 いきなりそんな話から始まり、少々焦る筆者…。 「Pitoゼミは、もしかしたら世間の流行とは逆行しているかもしれません。僕のスタイルは褒めて伸ばすのではなく、やる気の見えない生徒は徹底的に怒るスタイル。だから、入塾前の保護者を交えた説明会でもそのことをしっかりと伝えます。すると、何人かは入りません。それと、親の説得を受けて嫌々入った子は途中離脱する子もいます」。 またもや過激な発言…。 そして、「僕の喋ることは半分も書けないかもしれませんよ」。と… なんだかドキドキしてきた筆者。 カフェの取材だけでやめておけば良かったかも…と後悔半分…。 でも、実は祥太さんにはその台詞を言うだけの強い信念と覚悟がありました。 「今の室蘭の子どもたちって、たとえば、勉強をダラダラとしていたとしても、学校でも家でもあまり怒られていない。だから僕は、敢えて怒るべき時はきちんと怒りたい。それが何故かというと、たとえ地方で乗り切れたとしても、そんなんじゃ全国へ行ったら戦えないんです。僕は一人でも戦える人間を育てたい。受験は人生を賭けた戦いです。Pitoゼミとしては、受験対策を通して「学ぶ」ということを学ぶ。「自立」ということを学ぶ。それを伝えていきたいと考えています。例えば、文献の調べ方・データの取り方などを知らなければ、今盛んに叫ばれている真の「探究学習」などできません。洞察力を高めたり、自分を認識できるようになるなど、本来「探究学習」はとても大切なんです。でも、僕から見たら、どうしても表面的なところで満足しているように見えてしまう。だから、本物を伝えたいと考えています」。 生ぬるい優しさを捨て、自ら嫌われ役を買って出てでも子どもたちの将来を真剣に思う。 強烈な愛の表現です。 「カフェだけの取材だけでやめておけば・・・」と一瞬でも思った自分を恥じました。 「ですから、入塾前の保護者説明会では、子どもがどれだけ真剣に「学ぶ」に向き合っているかを見ています。そこで、僕の方針をきちんと親御さんと共有しなければいけませんから」。 確かに。 共通認識のもとに始めなければトラブルの元になりかねませんね。 それにしても営業的にはどうなのかと、余計なお世話が働く筆者・・・。 ところでPitoゼミは大人対象にも塾を開催しています。 たとえば ・論理的思考を高めたい ・学びなおしたい ・公務員試験対策をしてほしい ・英検やTOEIC対策をしてほしい ・講演会の講師をしてほしい などなど、様々なご要望にお応えされているそう。 最後に 「Pitoゼミの未来も根幹を変えるつもりはありません」。 そうきっぱりと話してくれた祥太さん。 長いものに巻かれない確固たる信念に、清々しさを感じた筆者です。 Pito Cafe と Pitoゼミ=食と教育の融合 室蘭で、唯一無二の存在として、これからも発展していく予感がしました。 早くまたスープをいただきたい! ―Pito Cafe & Pitoゼミ情報― 室蘭市中央町2丁目7−10 P : 大町商店街お客様用駐車場利用のこと 電話:080-3233-6454 Pito Cafe https://www.instagram.com/cafe_pito?igsh=MWVnN3VyMGxmaTA5dQ== 定休日:日曜日 Pito ゼミ https://www.instagram.com/pito_semi.study?igsh=aDdlcm54ZHRkeDVu
Rietty
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