
明るく元気な町づくり 洞爺湖町
酪農学園大学訪問
洞爺湖町と交流協定を結んでいる酪農学園大学の卒業論文発表会に出席。
おはようございます。しもみち英明です。
洞爺湖町と地域総合交流協定を結んでいる酪農学園大学の卒論発表会に出席。
2009年に協定を結びその後、廃校になった小学校を「成香教育研究センター」として利活用しています。
今回の卒論発表では、洞爺湖を研究フィールドにしている学部生を中心に短い時間でしたが聴講。
教授や学園関係者のご配慮により、竹花一成学長にお会いすることもできました。
竹花学長からは、地域総合交流協定をより充実した形で学生が研究に励み、地域住民も多様な交流深化につなげられるよう行政、議会も頑張ってほしいとのことでした。
走る学長として江別市、酪農学園大学をPRしている竹花学長。
お忙しい中、懇談時間を作って頂いた竹花学長の示唆に富んだお話をしっかり受け止め町づくりに活かしたいと思います。
今日も一日頑張りましょう!
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
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Beauty and Healing の空間 Hair design youLa
ドア前に立った時。 「ここはなんのお店かな?」 そう思い、不安で通り過ぎてしまう店と、ドアを開けたくなる店があります。 youLaさんはまさに後者。それはきっと、玄関にもオーナーである加藤幸子さんのほんわかした空気が溢れているから。 幸子さんは、2011年、伊達に美容室Hair design youLaをOPENさせました。 修行時代は、札幌11年、イギリスで2年7ヶ月を過ごしていらっしゃいますから、もう20年以上の大ベテランさんです。そんな幸子さんが、伊達で開業をしようと思われたきっかけについて話してくださいました。 「イギリスにいた頃、3.11の大震災が起きました。それまでは、日本に帰って仕事をするなら東京で…と思っていました。でも、あの震災をきっかけに都会への憧れが消えてしまいました。自然豊かな伊達に帰り、人との繋がりを大切にしながら暮らしたい。癒しの空間を提供したい。そう思うようになったのです。」 そんな幸子さんの想いは、お店のお名前にも表れています。 それは、youLaのyouに込めた想いです。 “ゆう” は、結う 優 そして あなた の意味があるそうです。 はにかみ屋の幸子さんはものすごく照れながら話してくださいました。 “ゆう”の中にはきっと、”友” とものところへ ”遊” あそびに行くように、 ”悠” ゆとりを持てる空間で ”有” ありたい…。 多くを語ろうとしない幸子さんでしたが、もしかしたらそんな想いもあるのではないかしら? 筆者は、勝手に想像してしまいました。 そう、youLaさんは、まさに幸子さんが込められた想い通りのお店だと、取材をさせていただいた1時間の中に感じました。 そして気になる小売りスペースは~♡ とても体に良さそうな興味深い食品が並んでいます。 こちらは、2020年6月から少しずつリニューアルされていったそうです。 美容室に整えに来てくださったお客様に、より楽しんで癒されてお帰りいただきたいという発想の元に、幸子さんご自身が食べたい!と思う自然食品(ほとんど無添加食品)を中心に仕入れて販売しています。 実は、このようなスタイルの発想の原点は修行時代に培われました。 「都会で見た美容室は、カフェや雑貨店が併設になっていて、それがトータルで癒しやゆとりを提供する空間になっていました。 いつか自分もこういうスタイルのお店にしたいとずっと思っていました。 そしてイギリスでは、身近なところにオーガニックスーパーがありました。 そこは敷居の高さを感じさせず、気楽に入ることができました。 そんな体験が原点となって、オーガニックや無添加の化粧品・ヘアケア商品を扱おうと考えました。 それが徐々に今の形になってきたのです。」 幸子さんらしく、のんびりとマイペースに ^^ でも確実に。 これからまだまだ進化して行きそうなお話でワクワクします♪♪ 通常、小売りスペースは、美容室のお客様のみのご利用となりますが、ひと月に1度か2度(日曜日or祝日 11:00~15:00位)のペースでキッチンカーや焼き菓子屋さん、雑貨屋さんをお呼びして、どなたにもお越しいただけるように「加藤商店」というタイトルでイベントが開催されています。 なので、この時の幸子さんは美容室をお休みにして販売に徹するそうです。 イベント情報はInstagramから。 https://www.instagram.com/hairdesign_youla/ 伊達に優しいそよ風を吹かせていらっしゃる” youLa ”さん。 目が離せません。 ↑ハニカミ屋幸子さんの愛娘チビ店長です。幸子さんの代わりに登場です♡ 店舗情報 Hair design youLa 営業 完全予約制 10:00~17:00(火~日) 休み 月曜日定休・日曜不定休あり・他加藤商店のイベントがある時は日曜日or祝日休み。 伊達市末永町121-3 0142-22-7233 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。取扱い商品等は変わることがあります(取材2021年8月)
Rietty
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洞爺財田(たからだ)に、地域をつなぐ店「いろは屋」あり。
久しぶりに洞爺湖の向こう側へドライブ。 目指すは洞爺財田(たからだ)にあるセレクトショップ「いろは屋」さん。 開店後まもなく到着すると、店の前の草取りをせっせと行うオーナー宮本好さんが迎えてくれました。 「いろは屋」さんはこの4月でオープン4周年だそうです。 4年前の3月に洞爺湖町の地域おこし協力隊を卒業、同時にこちらのお店をオープンされました。 ここへの永住の決め手は「子育ては自然環境の良いところでしたい」という強い想いからでした。 お生まれは札幌。 洞爺湖町には住んだことはありませんでしたが、宮本さんの曾祖母様が50~60年前までここ旧洞爺村で駄菓子屋さんをなさっていたのだそうです。 地域の子供から大人まで愛される人気店でした。 その時の店名が「いろは屋」さん。 なので、宮本さんは、ご自分のお店も迷わず「いろは屋」とされたのだそうです。 名前を受け継ぐ…ってとっても素敵です。 店内には宮本さんのセンスが光る雑貨が並びます。 「いま、入れ替え中なので商品が少ないのですが…」と宮本さん。きっと、これからどんどん新しい商品が入って来るはずです。 「長く使える道具、気持ちよく使える暮らしの道具を仕入れるようにしています」 と話す宮本さん。 使い捨てではなく、ものを大切に使いたいという強い想いを込めながら選ぶ商品は、とても質の良いものばかりです。 一例では~ 今治タオル・野田琺瑯・久留米の絣・洞爺湖町の陶芸作家「kanako」etc. 一つ一つに作り手の心を感じます。 また宮本さんは、洞爺湖有珠火山マイスター・薬膳フードアドバイザーなどの資格も有し、先日こちらでもご紹介をされました「里山デリバリー」の一員でもあります。 近々、「薬膳ワークショップ」の開催も計画中とか。 こちらもとても楽しみです。 2児のママでもありますが、多岐に渡ってご活躍中で、洞爺湖町在住7年目にして地域からも頼りにされる存在となっています。 本当に頼もしい限り。 最後に、「いろは屋」が目指すことは? と質問してみました。 「徹底的に地域に根差して、地域情報の発信地となりたい。」 と、力強い言葉が返ってきました。 決意に満ちた宮本さんの目は、本気のエネルギーに満ちていました。 きっと、セレクトショップを拠点に、これからますます地域を楽しく豊かにコーディネートする役割を果たしていかれることと思います。 期待したい存在です。 洞爺いろは屋 〒049-5813 住所 洞爺湖町財田18-1 電話 090-6997-4871 営業日 月・火・土・日 営業時間 11:00~16:00 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)。営業時間等は変わることがありますのでご注意ください。 ※シェア、リンク大歓迎です!
Rietty
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愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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森を観て世界の『美』を伝えたい! 〜『観森』代表 宇宙人 野田和規の探究
「今回は記事にするのは難しいだろうな…。」 という一抹の不安。 予想は見事的中した。 なにしろ、「観森」代表の野田和規氏はつかみどころが無さすぎる。 あまりにも捕まえられられなくて、もしかしたら実体もないのではないかとすら思ってしまう。 まあそれは言い過ぎにしても、言いかえるとすると宇宙人なのだ。 かといって、ミステリアスという表現は当たらない。 基本明るいし、表面的には軽く見える。 これも言い過ぎか? いやだって、「Riettyさんを必ず甲子園に連れていきますから!」などと、訳の分からないことを突如言い出したりするのだ。 初めて出会った2年半前。蝶ネクタイで現れた彼は、人懐こい笑顔でずっと目をキラキラさせていた。 なんてチャーミングな23歳男子なんだ!と、この時思った。 う〜む。 この笑顔に惑わされるのだ…。 困った…と頭を抱えたくなるが、取材したからには記事にしなければいけない。 だから書こうと思う。 ということで、筆者を大いに困惑させている今回の主人公は『観森』代表の野田和規氏である。 昨年12月に『Expedition 地球のエッセンシャルワーカーズ』全100PあまりのVolume 00を「観森」のフリーペーパーとして世に出した。 企画・撮影 野田和規(ノダカズキ) 企画・編集・撮影 安田祐太郎(Andy) デザイン イガラシモエ 素人だというふたりの写真は、観る者を強く惹きつける。 Instagramに投稿される写真もそうだ。 被写体はいつも神秘性を滲ませている。 けれども何かを狙っているようには思えない。 モノや事象の表と裏、そのモノ単独だけではない美しい関係性を表現しようとしている。 そして野田氏は飄々と面白く言う。 「僕、しゃべり担当ですから。」 たしかによく語る人だ。 大学生時代、ラジオパーソナリティーをしたり、芸人を目指したりしたこともあるらしく、人に刺さる言葉選びが上手な人だ。 しかも魅力的な文章も書く。 そんな野田氏のシャッターを押す手は、被写体にも語らせてしまうのだろう。 必然的に彼のファンは多くなる。 Instagramのフォロワーさんも多くいる。 でも気をつけよう。 それに感心しすぎて油断してしまってはいけない。 野田氏は軽く楽しい口調で話しながらも、ふいを突くように真理を語りだしたりする人だからだ。 ここで野田和規氏の基本情報を〜 ・ 佐賀県出身の25歳。 ・ 愛媛大学農学部入学、「水」の研究を志すも1年足らずで中退。 ・ その後、土・気象・海など、自然全体・地球への果てしない興味を持つようになる。 ・ のちに『観森』のビジネスパートナーとなる安田祐太郎氏(Andy)と出会う。それぞれに役割分担がある。野田氏は向いていることしかしない。「探究・発信・人と会うこと」担当。Andy氏はウェブと野田氏のやらないこと全てを担当。野田氏はAndy氏をベストパートナーだと言う。 ・ 2020年に白老町へ移住、地域おこし協力隊の森林ガイド枠で起用される。 ・ 2022年は、野田氏&安田氏の強みを発揮する大きな飛躍の年となった。それが『観森』である。 思えば、筆者が野田氏と出会ったのは、2020年の5月だった。 共通の友人と有珠のツアーに参加してくれた(筆者はガイドもしている)。 フィールドでの彼は、常に素敵な発見をするためにワクワクしながら歩いている。 いつかのInstagramで書いていた文章が印象的だった。 「『今日も世界は美しかった』と言える1日を過ごす繰り返しのみが人生の豊かさを作っていく。」 そう、野田氏の素敵な発見とは、モノを通して見る世界の美しさなのだ。 観るもの、手にするもの一つ一つに目を輝かせ、心から喜んでいる姿に惹きつけられた。 一瞬で人を惹きつける野田氏を、共通の友人は「人たらし」と呼んでいた。 まさに言い当てた表現だと思う。 そもそも『観森』とは何か? 読んで字の如く森を観る行為なのだけれども、彼らの観ているものはあくまでも『美』。 世界の『美』である。 それは時に色彩美であり、時に造形美でもある。 では『美』とは何か? 野田氏の言葉を借りれば『洗練されていること』。 では『洗練されていること』とはどういうことか? それは『原理原則に基づく法則性があり、秩序が存在し神秘性があること。』だと野田氏は言う。 そして、それは自然であるか人工であるかは問わないと言う。 そう言われて思い当たることが多々あった。 筆者は野田氏と何度かフィールドワークをしたことがあるのだが、モノの観方が非常に独特だ。 まさに色彩と造形に囚われる。 そしてその時の目はうっとりとして、明らかに興奮状態になる。 ところがだ。 なぜか執着しない。 瞬間で絶頂に達し、すぐに興味は他へ移る。 単に飽きっぽい? いや違う…。 いっときは興奮を与えてくれた個体に集中するが、それだけに心はとどまらない。 その個体を通して環境全体を観て知ろうとしている。 どのように洗練されていったかを知ろうとする。 みえない部分に興味がシフトしてしまうのだ。 故に目の前の個体には執着しない。 ほらね。 こんな風に、ふいに真理を突いてくる。 つまりは、自然界はもちろんモノごと全てにその存在の理由があるということだ。 だから野田氏は原理原則にこだわる。 神秘性に魅了される。 そしてこんなことも言った。 ほらまた。 でも、たしかに! さて、話を戻さないと。 今回の取材は筆者自身のコントロールが難しい…。 『観森』で何をしようとしているのか? 植物から観ようとするのは何故か? なるほど。 至極納得。 そして同意。 では具体的にどんな活動を行なっているのか?あるいは目指しているのか? 1. メディア事業 ポットキャスト:現在週2で配信。観森に一番合っていると思っていると自己分析している。 2. 出版 Vol.1を出版する。クラウドファウンディングで資金を集める予定。 3. 展示 京都芸術大学にて3回/年 4. 物販 笹のバスソルトなど 5. 地球の美、神秘・原理原則を伝える ガイド1~2本/月・ワークショップ1回/月 なるほど。 野田氏の取り留めのない話を聞いている時、いつもなにやら核心をはぐらかされているように感じていたが、こうして言語化することで『観森』の世界観をだいぶ理解できてきた気がする。 それは、実は筆者自身が「観森」ファンでもあるから喜ばしいことでもある。 最後に〜 野田氏の口から何度も出た言葉『美しさ』『原理原則』。 それは、回数を数えればよかった!と思うほどだった。 彼は森だけではなく町にいてもきっとそれを追求して歩き、徹底的に観てそのバックボーンを知ろうとするのだろう。 そのための好奇心はとどまることなく、その瞬間感じた好奇心に素直に反応し探究をし始める。 今日もきっと野田氏はどこかで何かを発見し、感動し、探究して『美』の蓄積をしているのだろう。 Andyとノダカズキが営む『観森』の今後のアウトプットに乞うご期待! ―観森 情報― Mimori 観森 ポッドキャスト 野田和規Instagram 安田祐太郎(Andy)Instagram mimori Instagram
Rietty
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
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