
ホテルマンの幸せ
緊急「野球を語る会」開催☆
おはようございます♪
過去に…
青森に付き合ってもらって、東京に付き合ってもらって、横浜に付き合ってもらって、大阪に付き合ってもらって、洞爺湖1周を自転車で付き合ってもらってくれていたのに伊達ではまだ1回も一緒に酒を呑んだコトがなかった函館の村瀬さんがよ~~~~~~~~~やく泊まりで伊達に来てくれました。
まぁ遊びに来たワケではなくて仕事の提案で来たのですが、それでもようやく伊達で一緒に呑むことになったのです。
それに合わせて札幌の小西さんも泊まりがけで伊達の来てくれました。
なので急遽『緊急!野球を語る会』を開催することにしたのでした。

手前にいる陽気な若者は語学留学から帰国したばかりでこの日私に顔を出しに来たチェスです。
彼は「野球を語る会」には全く関係のない陽気な若者なのですがたまたま顔を出しに来て『磯辺さんっ!!いつ呑みに行きますか?』と言ってきたのでついでに誘ったのです…☆
村瀬さんがみんなにお土産を配っておりました。
みんな初対面なのにさすがに村瀬さんは律儀な人なのです!

大沼だんごです☆
さらにこの日函館から村瀬さんが来るというコトで札幌からも野球人の小西さんも伊達に来てもらいました。
すると…

おおぉ~~~~~~~っ☆
ぶどうと桃とみかんとおつまみをお土産に下さいました☆
でもね…
開けてビックリ☆

なんかテロっテロなフィルム感があるのです!!!
みかんの方もダンボールを開けてみると…

ゼリーでした☆
しかも全部果汁100%のゼリーだったのです♪
超嬉しい☆
この日も粋やで吞んでそのまま中井さんのホームグラウンドのスナックへ移動しました。

この日は他のお客様もたくさんいたので中井さんは珍しくお利口さんにお酒を呑んでおりました。
なので…

なにか歌ってましたケド、何を歌っていたのかはサッパリ聴いてなかったので全然わかりませんがなにかは歌ってました…♪
そしてこのままいつものKANZYに移動して呑んでいたのですがチェスト片桐先生と北川さんと村瀬さんの真面目な人たちで何やら吹奏楽の話に盛り上がっていました…☆
そんなとある日の夜でした…♪

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影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
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布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
布をつなぐ、人をつなぐ、命をつなぐ。 今、室蘭からじわりじわりと広がり始めている集団アートの動きがあります。 ひとつひとつ”はぎれ”を手で縫って作られた、ハートをくわえた小鳥たち。ハート部分には参加者の名前やイニシャルが刺繍されています。これをタペストリーに縫い付けていき、どんどん集まっていくと…… 月へ向かうことりの群れが描かれた、巨大なタペストリーとなります。完成目標は1,000羽、長さ14m相当です。 ”月は星座と違って、世界中のどこから見ても同じ形だから”、”欠けて見えなくなっても、必ず光が戻るから” 、このデザインにしたそうです。 このプロジェクトの名前は「1000のことり」。布でつづる千羽鶴、アートによる平和の意志表示です。政治的なスローガンや言葉は一切使わず、”ころさないで”の一点で、そしてサイン(イニシャル・マークも可)の刺繍だけで、1,000人が繋がります。このタペストリーは完成後、「非戦」を求める場に飾られます。サイン参加者が使用することも可能だそうです。 ひとりひとりの想いが込められたパッチワークの美しさにエネルギーを感じます。現在、北は札幌、南は佐賀県まで参加者がいるとのこと。平和に心をよせるアートの波が、ゆるやかに広がっていっています。 今年20周年を迎える 『1000PEACE』 『1000PEACE』は、「戦争は昔話じゃない。現在進行形のリアルだ。お金も、地位もない、無名の自分にできることは何?」と感じた人たちが集まってできた有志団体です。 「未来の世代につながる具体的な行動をしている個人や団体を応援する」のが活動内容。対象は、国外・国内を問わず、忙しい日常の中で自分たちにできることをしています。活動内容は、その都度集まった人たちで自由に考え、話し合って決めます。 戦後60年の年であった2005年7月、募金を集めイラクの水支援に送ったことが始まり。そして今年20周年を迎えます。主に札幌を拠点に活動していましたが、今は室蘭に拠点が移っています。 直近では、パレスチナのこども達の心のケアの一環として、「パレスチナへのことり」プロジェクトもありました。北海道パレスチナ医療奉仕団の後発隊メンバーに「日本からのお土産」を託そうと、2024年10月~12月の間に子どもが描いた絵とカードを集めたのです。しかし現地の状況が緊迫し渡航を断念。次の渡航がいつになるかはわかりませんが、集まった169枚の絵はそれまで大切に保管されるとのことです。日本のこども達の絵とことり達がパレスチナのこども達に届く日が早く来ますように。 『1000のことり』に参加するには 1000PEACE には公的な事務所がないため、代表個人の連絡先が問い合わせ先となっています。「自分も参加したい」「ことりを預かって周りに声をかけるよ」という方がいらっしゃいましたら、下記問い合わせフォームよりお問い合わせください。 ~『1000のことり』参加の流れ~ ①お問い合わせフォームから『1000PEACE』と繋がる ▶直接お会いできる方 ②好きなことりセットを選ぶ ③参加シートにお名前を記入して戻す(ご自身で刺繍してもOK) ④片方のことりは自分のものに! ▶遠方の方 参加ハガキに記入していただき、後日、片方のことりが届きます。 実はことり達は双子で、1セット2羽になっており、片方は参加者が貰えるんです!ことりのハートにサインを縫って終わりではなく、このタペストリーがどこかで飾られるとき、自分のことりを探せるというワクワクが残されるのです。その場で終わりとならない、日常で忘れてしまいそうなときに思い出させてくれることりが近くにいてくれるのも大切ですね。ご興味を持たれた方は下記リンクよりお問い合わせください。 ~参加希望、お問い合わせはこちらまで~(筆者が代表の方をお繋ぎします。)
misaki
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マニアではなく科学する人 世羅繁宇氏の“ Stage 2 “〜自家焙煎ジャズ喫茶『COSSETTE COFFEE』
過去最長の書き上げ時間を要してしまいました…。 そのくらい筆者を悩ませた人、世羅繁宇氏が今回の主人公です。 お話を伺う限り、全てにエビデンスに基づく計算があるということを察しました。 きちんと科学する人でした。 実は感覚派の筆者には一番不得手なタイプ。 言い換えれば、一番興味をそそられるタイプ。 だからこそ、理解に時間がかかったという訳です。 「起業する前は大企業のエンジニアでした」。 全てが腑に落ちたご経歴の持ち主でした。 『COSSETTE COFFEE』をオープンされたのは2022年6月のこと。 会社員時代から珈琲焙煎は趣味でなんとなく行っていたそうです。 その時使っていたのは銀杏を炒る道具。 その後、当然のごとくエンジニアスピリッツがより良い焙煎機への開発へと繋がっていきます。 「珈琲焙煎という趣味は、アウトドアの趣味とは違い金銭メリットが生まれます。 料理もそう。遊びの中でメリットがある。そんな気づきが起業に結びつきました」。 世羅さんの言葉に、単に趣味が高じたわけではないというニュアンスを感じました。 「誰かに師事したことはありません。バイブルは『田口護 珈琲大全』のみです。 焙煎、ネルドリップの淹れ方はこの本で学びを深めました」。 この本の冒頭にはこのように書かれていました。 (引用) [コーヒーの焙煎は名人上手の専売特許ではなく、職人的なカンの世界などでもない。 理詰めの数学であり論理学の世界なのである。 生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、 各プロセス上に存在する複数の条件によって、 さまざまな味が生み出されるメカニズムに着眼した「システム珈琲学」。 豆の種類から焙煎方法まで網羅した本格的珈琲実用書。 珈琲生産地の現状や栽培状況、味の特徴を決める焙煎、カッティング・抽出までを ていねいに解説する。焙煎技術書としてプロも活用可能]。 なるほど…。 この文章を読んだ瞬間に世羅さんに少し近づけた気がしました。 珈琲を科学する世羅さんにとって、焙煎機は最も重要な相棒。 なので、その制作にも理詰めの数学と論理的思考が働きます。 持ち前のエンジニアスピリッツも相まって、 とことんこだわるということなのでしょう。 「拘ったのは極力 “ 風 ”を入れず、温度管理を徹底させた香りの調整です」。 「え? 温度はイメージできますが、風もですか?」 「はい。現在、95%の焙煎は半熱風式で行われていると言われています。 大手さんになると熱風式となります。僕は難しいとされているほんの数%の隙間を狙った焙煎機を作りたかった。できるだけ豆本来が持つ香りをなくしたくない。 焙煎された珈琲って、3000~4000くらいの化学物質が生成されるのです。 それが、150℃位で香りの成分が気化します。できるだけその香りたちを封じ込める焙煎機を作りたい。それには風と温度の管理が最も重要です。 だから常に課題を見つけては一つ一つ改善する。ひとりPDCAをくるくる回す日々です」。 これは、機械技術者としての誇りを感じるお話でした。 弛まぬ研究から生まれた機械は、2007年に第1号機、2009年に第2号機、そして最新の第3号機が現在店舗内で稼働しています。 「現在「浅煎り」と呼ばれるものがブームですが、うちで煎り上がった豆は、一般的なカテゴライズには入らないと思います。 シティーロースト風シティーローストとでも言うのかな…。 正直、うちより香り高い珈琲は飲んだことがありません。『世界にひとつだけの珈琲』だと自負しています」。 この話しを聞いた時、筆者はこう尋ねました。 「それは、自分の舌への絶対的な自信ですか?」と。 当然。 「そういうことじゃない」。 と一蹴されました。 今思えば愚問でした。 あくまでも世羅さんの自信は科学的根拠に基づくものなのです。 「嗅覚で感じた香りは脳で増幅させられて味覚に刺激を与え、『味』を作ります」。 「なるほど…。 それをどう感じ、好みかそうではないかは味わう人次第ということになるわけですね」。 ネルドリップは筆者が一番好きな淹れ方です。 この素敵な膨らみ! 銅のポットから注がれるお湯で、 ネル袋のなかにふんわりと膨らむ豆を見るだけで興奮し、 既に口の中が美味しくなります。 マイセンの素敵なカップ&ソーサー いつまでも香りが鼻腔に残る美味しい「パナマゲイシャ」をいただきました。 常時8種類くらいを扱います。 ところで、店内を見回すとなんとなくレトロな雰囲気の調度品が目立ちます。 そこで尋ねてみました。 「レトロなものがお好きなのですか?」 「いいえ、これも計算です」。 「な…。なるほど…」。 「信頼している苫小牧の家具屋のオーナーがいらっしゃるんですが、話していると時代の変わりで生活様式も変化しているということを言っているんです。だから、その度に売るものを変化させて対応するんだそうです。その言葉を聞いて、インテリアにも気を配るようになりました。モードの時代は終わり、レトロデザインの時代が来ているんですよ。レトロなものは落ち着きますしね」。 「調度品にもデータに基づく根拠があるわけですね!」 日本のレトロとは違う、アメリカっぽい感じが若い層にも男性にも刺さりそうです。 筆者みたいなおひとり様好きな女性にも好まれそう。 「では、もしかしてオーディオも?」 「そうです。珈琲もそうですが、音についても僕はマニアじゃない。全て計算の上で選んでいます。現在置いているオーディオはアルテック605Aで、アビーロードスタジオで使用されていたものです。この環境に合うものを選びました。高音質をお楽しみいただけますよ」。 ハイクオリティーなモノへの追求は止まるところを知りません。 「もしかして焙煎機も4号機計画があったりしますか?」 少し間をおいて、世羅さんは力強く頷きました。 エンジニアスピリットを持つ珈琲焙煎士 世羅さんは、 空間コーディネーターとしても最善のトータルでお客様をお迎えする姿勢を持つ人でした。 店内にはジャズのレコードがずらりと900枚並びます。 圧巻。 最後に尋ねました。 「ジャズも計算ですか?」 「ジャズはもともと好きです。 ピアノならキースジャレット。オルガンならジミースミス」。 この答えをいただき、なぜかホッとした筆者でしたが、 正直、世羅さんをもっともっと掘り下げたい! そんな衝動を抑えながら、悶々と『COSSETTE COFFEE』を後にしました。 ん?? これももしかしてリピーターを生むための計算? ふとそんなことが頭をよぎりつつ、 今度はカレーを食べに行こう!と、決めていた筆者です。 ―COSSETTE COFFEE 情報― Web page https://cossette.theshop.jp Instagram https://www.instagram.com/cossette_coffee?igsh=MzRlODBiNWFlZA== 世羅繁宇氏FaceBook https://www.facebook.com/sera.shigetaka
Rietty
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【あの人に会いに】心に正直に [ 今井真希さん ヨツカド商店 / 壮瞥 ]
むしゃなび地域を盛り上げる”人”にフォーカスする【あの人に会いに】。今回は、壮瞥町『ヨツカド商店』のチーズ担当、今井 真希 さんです。たった数分の偶然が人生を大きく変えたストーリー、そして新たなチャレンジについても伺いました。 突然の進路変更、看護から酪農へ 真希さんは青森県弘前市出身。リンゴ畑の中で育ったそうですが、両親は会社員で、農業や酪農に馴染みはなかったと言います。「小さい頃から看護師になろうと思っていた」という真希さん。チーズの道に進むきっかけは、たまたま目にしたテレビ番組でした。 「高校3年生のときに、ドキュメンタリー番組でヨーロッパのチーズづくりを見て……」 スイスの山小屋、おばあちゃんが薪をくべて火を焚き、銅鍋でミルクをかき混ぜているシーン。真希さんは、そんな美しい情景に釘付けになりました。 「すごい、こんな世界があるんだ……!私、こんなおばあちゃんになりたい!チーズをつくる人になる!って」 そのテレビ番組を見た日は、なんと看護学校の願書を提出する一歩手前でした。急いで酪農を学べる大学を探し、帯広畜産大学へと大幅な進路変更を即断しました。 「小さい頃から、朝にテレビでやっていた『ハイジ』が大好きで。今思えば、ずっとあの世界への憧れはあったのかも」 『ハイジ』への憧れと、偶然目にしたたった数秒の景色が、人生のターニングポイントとなりました。 大学時代の部活は『牛部』 「チーズをやるならば、私はきっと牛を知らずにチーズの世界に入ってはいけない。チーズを語る前に、まず土壌や牛のことをちゃんと学ぼう、と思った」 高校3年生にして、既に本質を突くような思考で帯広畜産大学へ進学。さらに驚きなのは、当時、真希さんは猫以外の動物が苦手だったということ! 「動物苦手だけど、牛、大きいけど……学ばなきゃいけないよねって、自分に厳しく。笑」 そんな真希さんなので、部活動まで『牛部』を選択。朝四時に搾乳、講義を受けて、また夕方に搾乳、という牛中心の生活を送りました。「大学生なのにずっとつなぎを着ていて。四年間のうちのほとんどが牛だったけど、楽しくて充実していた」 大学の四年間を過ごした十勝、その広い大地にも魅せられていたと言います。 「北海道って、私たちが生きていくのに必要なものを作ってくれる方々、農家さんだったり、ミルクを出してくれる牛だったりが身近にいて。十勝は特に、広大すぎる土地に 生かされているってまざまざと感じさせられる。ちっぽけな自分を感じる。北海道はそういうのを教えてくれたかな」 つくる人ではなく、伝える人に チーズ職人になるつもりで大学生活を送っていた真希さんでしたが、卒業後はチーズを輸入する商社に入社。チーズを「つくる人」ではありませんでした。 「大学四年間の過程で酪農や農業に携わって、こんなに良いものをつくる素敵な人たちがいるのに、みんなに知られていないことにもどかしさを感じて。私はこういう人たちを世の中に伝える側になりたいと思ったの」 ”今は、つくる人ではなく、伝える側になりたい” そう思った真希さんが見つけたのは、生産者に会いに行き直接買い付けるスタイルをとっていた、ヨーロッパチーズ専門の商社でした。 「その会社は新卒採用が無かったんだけど、手紙を書いて」 なんとも行動力溢れる真希さん。それでも、新卒は採っていないから、と一度お断りされたそうですが、最終的には熱意が伝わり、入社が決まります。ヨーロッパの生産者の元を訪ねる機会を得て、たくさんのチーズと出会いました。 独立を望んでいた真希さんは、八年ほど勤めた後に退職。川崎(神奈川県)に自分のお店をオープンします。オープンした当時はなんと子育て真っ只中。子どもを育てながら店舗を準備していたそうですが、そのエネルギーや行動力はどこから湧いてくるのでしょうか。 「明日どうなるかわからない。いつ何があるかわからないから、今を大切に、心に正直に。それは家族や子どもに左右されるものではなくて……というのは、ずっと思ってる」 神奈川から壮瞥町へ、二組の家族が一緒に移住 現在、真希さんは壮瞥町で『ヨツカド商店』を営んでいます。ヨツカド商店は二組の家族が一緒に移住してきてお店をオープンするという、異色の移住スタイル。二組の出会いはどこだったのでしょうか? 「神奈川でお店をやっていたとき、マルシェを開いていて、史子さん(ヨツカド商店のコーヒー担当、青森出身)がお客さんで来ていたのが最初で……青森の物を売っていたから、引き寄せられてかな」 (「ヨツカド商店」移住ストーリー詳細は、ぜひこちら(壮瞥町HP)もご覧ください。) 真希さんと史子さんは”チーズとコーヒー”という組み合わせで、自然と一緒に活動する機会が増えていったそう。そしてコロナ禍もきっかけとなり、それぞれ移住を考えるように。二組の家族は北海道を巡り、空気感が好きだったという壮瞥町に移住を決めます。 2021年9月、神奈川のお店を閉店し、壮瞥町へと移ってきました。 チーズと向き合い続ける、再び十勝へ 2024年から、真希さんは新たなチャレンジに乗り出していました。十勝の更別村の農場へ通い、チーズづくりのアドバイザーとして活動されています。 「誰かのために何か役に立てるということを、今まであまりしてこなかった。好きなことで積み上げてきたことが、誰かの喜びとか誰かの助けになるってことが分かって、そういうのもいいなって思って」 また、「壮瞥のものを使ったチーズをつくりたい」と、ワインぶどうの搾りかすを使ったチーズを開発中とのこと。壮瞥町の新たな特産品の誕生が楽しみですね。 取材中、趣味を聞いても「趣味もチーズかもしれない」、「チーズに触れている時、心落ち着く」、と答える真希さん。終始お話がチーズから逸れることはなく、チーズとの深い繋がりが見えました。 作り手と消費者が繋がる場を 真希さんを紹介するときに外せないものがもう一つ。『農園キッチン』という素晴らしいイベントです。生産者と消費者を繋ぐ、農園で食卓を囲むイベントを毎年開催されています。 「つくる側と消費する側との関係がすごく希薄だと感じていて。この人とこの人が繋がったらきっと素敵だろうな、とか考えている」 ”食の巡り”を感じる機会としてイベントを開催してきたヨツカド商店ですが、それを日常化した場として『ヨツカドホール』が2024年3月末から始まりました。ヨツカド商店の建物のもう半分であった旧『ミナミナ』が、喫茶とフリースペースの場として生まれ変わりました。食材の豊かさ、そして様々な立場の人がお互いを感じ合える場であってほしい、と運営されています。 フリースペースはパソコンでお仕事をしている方がいたり、親子連れでランチに来ていたり、カフェでお喋りしている地元の方々がいたり……と、それぞれが自由に過ごす、居心地の良い空間となっていました。『ヨツカドホール』の身体に染みわたるランチ、ぜひお試しください。 チーズを愛し、チーズと共に人生を歩んでいる真希さん。そんなチーズのプロとお話をしながらお買い物ができるお店が胆振にあるということが、本当に豊かだなと感じます。ワイン・珈琲・チーズやナッツ類などの食品まで、都会並みの品揃えを楽しめます。母であっても”自分”という軸を大切にされている真希さんに会いに、そして食を楽しみに、ぜひヨツカド商店に足を運んでみてくださいね。 『ヨツカドホール』水-土ランチもやってます! 場所:壮瞥町 道の駅 情報館i (サムズ) 目の前 【ヨツカド商店】 営業日:火~土曜日 10-17時 日月定休 【ヨツカドホール】 営業日:火~土曜日 | 喫茶10-17時 (ランチ:水~土曜日 11-14時) ※変更となることがあります。 インスタグラムのストーリー、 営業日カレンダーを要チェック! Instagram @yotsukadosyouten @yotsukadohall
misaki
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川のほとりの癒しのお花屋さん “青葉“
こちらは気門別川のほとりにあるお花屋さん「青葉」さんです。 20年前から変わらぬ可愛らしい笑顔で店主の知子さんが迎えてくださいました。 今の場所に引っ越されて8年目。 2001年にオープンされた時は山下町にお店を構えていらっしゃいました。 その時はまだお勤めをされていたので、そのお休みを利用し、土日のみの営業だったと言います。 素敵なランプは、おそらく洞爺湖のglaglaさんの作品。 「若かったからできました。」と、当時を振り返る知子さん。 でも、それだけではない起業への強い想いを感じました。 同時に、ものすごい努力だったのだろうと想像します。 壁をさり気なく飾りたい方に~ 人気の多肉植物や、可愛らしい花瓶も並びます。 「お花屋さんというお仕事は、実は子供の頃からの夢ではなかった。」というお話しには驚きました。 一旦は札幌で就職をなさった知子さんは、一念発起してお花を学ぶ学校へ通い始めました。 「その時もなんとなく花かな~という程度だった。」と。 学校卒業後は、お花屋さんに就職。 3年間の実践的な修行が始まりました。 初めはそれほど強い思いでお花の道に入られたのではない知子さんが、とても厳しいお花の仕事を経験されてからどんどんのめり込んでいったというストーリーが、私にはとても興味深く聞こえました。 「今日はお花が少なくて…。」 とおっしゃった知子さん。 お互いを引き立て合う様なラインナップで素敵です! きっと、3年間は自分自身の本気を試す期間だったのだと思います。 もちろん、知子さんは本気でした。 というより、どんどん本気度が増していきました。 だからこそ、お勤めがあるにもかかわらず、お休みの日にお花屋さんになるという大胆行動を起こされたのだと思います。 窓の向こうには川が流れています。 右端が空いているのは筆者が連れて帰ったからです ^^ ハンショウヅルという植物を購入しました。 「川が好きだからこの場所を選んだ。」とおっしゃる知子さん。 “青葉”の店名の由来も尋ねてみました。 「洞爺湖畔の仲洞爺あたりの道が大好きなのです。 木のトンネルが続いていて、そこからの木漏れ日を感じたり木々の隙間から見える洞爺湖の水に癒されたり。 だから、緑にまつわる名前にしたかったのです。」 なるほど~! あの道をイメージしてのお名前だったのですね! とっても納得してしまいました。 そんな理由もあって、“青葉”さんでは、お花はもちろんですが枝物やグリーン系のラインナップに力を入れていらっしゃるのだそうです。 確かに、店内はカラフルというよりも緑色が多いです。 いかにも、緑のトンネルがお好きな知子さんらしい♡ 緑好きなお客様にもとても喜ばれているそうです。 これは、“青葉“さんならではの大きな特色ですね。 面白い植物も並びます。 育て方も相談に乗ってくれます。 シダ類! 涼しげです。 そして。 「“コロナ禍なので、おうち時間を明るく過ごしたい“ とお花を買いに来てくださる方が実は増えているのです。 そのお気持ちが本当に嬉しいです♡」 という素敵なお話も飛び出しました。 「ゆくゆくは、アンティーク雑貨と植物を組み合わせた商品も作っていきたい。」 と、今後への想いも語ってくださいました。 アンティーク好きとしては本当に楽しみです。 最後にこのお店を通して、皆様にお伝えしたいメッセージはありますか? とお尋ねしました。 「こんな時だからこそ、植物の癒しの力を感じていただきたくて、気軽に入れる雰囲気作りを心がけています。 雑貨も置いていますので、お気軽にご入店いただけたら嬉しいです。 そして販売するだけでなく、アフターケアのことなどお花の相談所的な感じでいろいろご相談いただけたら嬉しいです。」 取材時もちょうど、お花の寄せ植え相談に訪れたお客様がいらっしゃっていました。 大滝の方の手作り葉書です。 ハンドメイド作家さんの作品も並びます。 どの花よりも輝いていた知子さんの笑顔でしたが、とっても恥ずかしがり屋さんなので写真はパスでした ^^ 実は、筆者が最後に気づいたことがありました。 それは、”青葉”さんの心地良さは、自然の中にいる状態に近い雰囲気だからだということ。 きっと、自然好きなオーナーの知子さん・植物たち・店舗・雑貨全てが作る空気感なのでしょうね。 川のほとりの “青葉“さんは、全てが癒しの空間でした。 青葉 住所 伊達市錦町15-2 電話/Fax 0142-21-1112 Open. 10:00~18:00 Close. 月曜日 http://aoba-flower.exblog.jp ※配達で不在の場合もあります。お出かけ前にはお電話でお確かめください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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