サンティアゴ巡礼の道が町を通るおかげで、巡礼者による多くの建築物、一般建築物、軍事建築においても多くの中世の建築遺産が残っています。城、マグダレーナ修道院、サン・マリーニャ教会、エル・サルバドール教会等をぜひご覧ください。もちろん、地元の古美術商で足を止めてみるのもおすすめです。
スペイン観光公式サイトから

レトロな感じの宿

今回の宿は貸切だった。
こちら正面が宿泊した宿。

そしてこの宿の前には、団長が設置した石柱記念碑があった。

「CAMINO友好記念碑」とある。

CAMINOはスペイン語の「道」。
「サンティアゴの道」はスペイン語で「El Camino de Santiago」となるわけだ。


団長が設置した石柱

この記念碑はこの「サンティアゴまでの巡礼の道」を通る巡礼者のためにサンティアゴまでの距離を表示する道標でもある。
巡礼路には各所にこうした道標があるのだが、団長は道中にいくつかこうした石柱を建立している。
とにかく頭が下がる。大したものだ・・・・。


巡礼の終点サンティアゴまでの距離を示す

「フランス人の道」はスペイン北部を横断する

ところで、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道には9つのルートがある。
今回の巡礼路は「フランス人の道」と言われる一番主要な経路である。

他にも「ポルトガルの道」とか「イギリス人の道」とかいろいろあるようだ。

我々が今回一部を巡った「フランス人の道」は、全長約800kmの道である。
四国遍路は歩き遍路で約1200kmというから、距離からすると「フランス人の道」は3分の2の長さということになるが、スペイン北部の各州を西へ西へと横断していく道だ。
それはフランス側の「サン=ジャン=ピエ=ド=ポール」という町から始まり、ピレネー山脈(ルートで標高1,400mくらい)を越えてスペイン北部のナバラ州にはいり、カスティーリャ・イ・レオン州の北部を西に横切り、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう道。


フランス人の道

フランス人の道
ルートの標高も確認できる地図がある

この日滞在したサリアという町は最後(西側)に通過する「ガリシア州」の主要都市のひとつで、同州にあるサンティアゴまで約100kmほどなので、体験的に「巡礼の道」を少しだけ歩いてみたいという人がスタートするのに良い町でもあるらしい。(と、観光ガイドに書いてあった。 参照元 トラベルjp

スペインも各州がそれぞれの歴史を持っており、巡礼の道をたどると自ずといろいろな歴史や文化に触れることになる。

前日に宿泊したモリーナセカや騎士団の城があったポンフェラダという町は、隣のカスティーリャ・イ・レオン州のレオン県になる。


アルフォンソ町長

そこで第2日目の内容の訂正加筆となるが、あの親切にポンフェラダまでも同行して案内してくれたモリーナセカ町長のアルフォンソ・アリソン・バルボア氏だが、彼は政治家としてなんと27歳から32年間、町長をしながらレオン県の西半分の郡長(ビエンソ郡)を兼務しているというなかなかの人物らしい(このブログを見た団長から情報の修正依頼がはいった)。
いろいろと調べてみると、彼の政治家としての活躍の一部がネット上に載っていた。


アルフォンソ・アリソン・バルボア氏の記事
https://www.lanuevacronica.com/alfonso-arias-repite-como-candidato-del-pp-en-molinaseca


それともう一人。同じく一緒に我々に同行してくれていたあの宿の主人。アルフレッド・アルバレス氏。
彼についてもちょいと調べてみたらネット記事に載っていた。
彼はその記事の中で彼は自分とCAMINOについて語っている。


アルバレスさん(宿の主人)

「私にとって、サンティアゴ巡礼道はすべてでした。それは私の人生であり、私の大学であり、私の学習でした。すべてルートのおかげです。私は彼に私の人生の一部を与えましたが、彼は私にすべてを与えてくれました。私は彼にお世話になっています。巡礼の道を旅する旅人は観光客としてぼったくりするのではなく、巡礼者として扱うべきです。道は巡礼者とビジネスと共に成長してきました。しかしビジネスが無く道があった前から地元の人は皆のためにそこにいたのです。(インタビューの一部から。翻訳間違っているかも?)」

アルフレッド・アルバレス氏の記事
https://www.infobierzo.com/molinaseca-y-el-camino-de-santiago-a-traves-del-historico-hospitalero-alfredo-alvarez-para-mi-lo-ha-sido-todo/707941/


というような、とても深いことを主張しているようだった。

うーん・・・・すごいな。

多分、四国遍路にもこうした考えを持った地元の人たちが巡礼者を支えているんだろうな、と思った。


ふたりとも実にいい男だった。
しかしこんな偉い人たちがだとわかっていたら、もっと接し方を考えたのに・・・・

旅を終えてから知るもったいない情報だった。

さて、
この日の朝食は外に出てカフェでとった。
僕は4ユーロ(今は円安で570円くらい)のNo.1を選択。


朝食スペシャル メニュー


こちらでお初にお目見えのクロワッサン

・生ジュース
・コーヒー(大)
・ペストリーかトースト2枚

ちょいと寂しい内容だが、朝はいつもこんな感じだ。


これはサンドウィッチ No.2のかな

朝食を済ませてから宿に戻って今日の作戦を立てる。


お土産屋にあった首かけ


カボチャのアクセサリー


家壁面の広告?が気に入った

宿に帰ってからなぜか「二十四の瞳」の読み方についてみんなで論争となった。


隠れ家のような宿。この日貸切。

サリアからルーゴへ


google mapから

この日はサリアを出てルーゴ(Lugo)という町で観光をしてからトリアカステーラ(Triacastela)で講演会だ。

朝食の後、まず我々は車で30分のルーゴへと向かった。

【第3日目(2)】ローマ帝国時代の名残を残す町 ルーゴ


農業もゴルフも続けるのだ! りっきー

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伊達の経済界を引退後、会員制農園の経営者であり、農家になる。だいぶ自由が利かなくなった体に鞭を打ち、毎日の農作業とゴルフに励む。

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