
スペイン巡礼の旅
一夜明けた。
巡礼はB&B(Bed & Breakfast (注)漫才コンビではない)の宿でめぐるものだが、この日は長旅を気遣ってくれた宿のオーナーの計らいがあったのか、こうした宿にしては高級な部屋があたってゆっくりと休めた。
日本と7時間遅れているスペインで、時差ぼけらしいものはなく、目覚めはスッキリである。
外に出てみると、まだ暗いうちから次の目的地に向かう人たちが歩き始める。
朝6時頃である。
7時を過ぎて朝食をとった。
朝食と言っても極めて簡単な軽食で、基本的にパンとコーヒーのみである。
みなさん昨日までの長旅の疲れはどうやら残っていないようだ。
若者たちはもちろんだが、ロートル(中国語で老頭児)連中にしてみれば実に素晴らしい。
70過ぎてもみんなまだまだ若いな。
この日はモリーナセカをブラブラしてから、ポンフェラダという町にあるお城を見ながら、夜の講演会が開かれるサリアという町に向かう。
モリーナセカの街散策
朝食を済ませてからモリーナセカの町を歩いてみた。
この町は中世さながらの雰囲気を残す美しい町である。
ヨーロッパの小さな町の街並みは石の建物と石畳が基本である。
日本の田舎町と比べるとやはり外観は全然違うが、
田舎特有の雰囲気には共通するものがあった。
人柄もそうだ。
※PCはクリックで拡大
生木(いきき)観音像
この木に彫られた観音像は、日西交流400周年および四国霊場開創1200年を記念して香川県の仏師 凡海が3ヶ月かけて制作したものだ。
団長の所属する「NPO法人 遍路とおもてなしのネットワーク」とモリーナセカ町役場の間で2014年に設置された。
しかしこの仏像は四国遍路をアピールするのにかなりインパクトがあるのではないか。
この巡礼路の旅人がこの仏像をみて、いつか四国遍路を訪れてくれることを祈るのであった。
今回、観音像を彫ることにしたのは、母性的な雰囲気が漂い、禁教下の日本で聖母マリアに重ね合わせて信仰された歴史があるため、親しまれやすいと考えたからだ。凡海さんは「木を彫ることは、自然への畏敬の念を表現すること。ヨーロッパにもモミの木に精霊の存在を感じ、クリスマスツリーを飾る伝統がある。木の命を宿した仏像も、きっと心に響くはず」と確信している。〜読売新聞(大阪)より 〜
引用記事はこちら
モリーナセカからポンフェラダへ
モリーナセカを離れて車で約30分、ポンフェラダ(Ponferrada)へ移動する。
ポンフェラダは人口65千人くらいでこの地域の中心都市のひとつだ。
ロス テンプラリオス城(ポンフェラダ)
この町にあるロス テンプラリオス城に立ち寄った。
なかなか立派であった。
日本のお城とは全然違う感じではあったが、
中世ヨーロッパを肌で感じることができた。
このロス テンプラリオス城はテンプル騎士団の城としてスペインでも有名な城のひとつだそうだ。
11-12世紀から存在するとか。随分と古いな・・・。
そうか・・・
日本の天守閣を持つようないわゆる「お城」という意味で言えば15世紀、16世紀あたりからと考えるとかなり古いお城ということになる。
種子島に伝来した鉄砲しかり、黒船しかり、西洋人は戦いの歴史において戦争文明を発展させては遅れている国にやってきた。
そういう意味ではヨーロッパ諸国はやはり日本よりも先進国であった。
しかし、そうした進んだ軍事技術を伝えられた日本人は、そうした文明を発展させて彼らを凌いでは驚かせてきた。
薩摩藩に残る「鐡炮記(てっぽうき)」によると、鉄砲においては1543年に伝来して以来、日本人は瞬く間にそれを量産化し、まもなく世界のどの国よりも多くの鉄砲を生産していたということらしい。
鉄砲を初めて持ち込んだポルトガル人たちは、これは儲かるぞと、往復数年かけて日本に大量に鉄砲を売ってやろうと思って再来したときには、すでに沢山の鉄砲(しかも改良版)が作られていて驚いたとか・・・?
当時の外国宣教師の記録によると宗教を除いて文明度はヨーロッパのどの国よりも高い国と書かれている。昔から日本はすごい国だったのだ。
まあそれが日本がその頃に西洋国家の植民地にならなかった理由のひとつだと言う人もいる。
ところで巡礼の道の歴史についてはどうなのだろう。
サンチャゴ巡礼路の歴史が10世紀後半からと言われているが、9世紀に生きた空海(弘法大師)が開いたと言われる四国遍路もその後修験僧や修験者たちが少しずつ確立していったとしたら、だいたい同じ時期に始まったということになろう。
同じ時期に地球の反対側で始まり、発展していった2つの巡礼の道。
これは2つの道をつなげる意味でも意義深いことだと思う。
ここで昼食をとる。
モリーナセカでお世話になった宿のオーナーとモリーナセカの町長が親切にも同行してくれ、案内をしてくれたので、ここで一緒に乾杯をした。
スペインの食事は日本人に合うというが、ビールで乾杯しながらホスピタリティ溢れる地元の人たちと食べる昼食はまた格別である。
食べたいと思っていたこちらのステーキも美味しくいただいた。
サリアで講演会
さてさて、
この日のメインイベントはサリア(Sarria)という町での講演会である。
我らが団長がサリアの町民たちを相手に四国遍路の紹介をするというわけ。
昼食をとり、町長と宿オーナーに別れをつげ、我々はサリアへとレンタカーで向かった。
車で約2時間ほどであったか。
サリアに到着すると、このあとの通訳等でお世話になった武部夫妻と合流した。
お二人とも現地で活躍されている音楽家(ピアニスト)である。
団長が四国遍路を紹介
今回の旅のミッションはスペイン巡礼の道の町での四国遍路の紹介。
いくつかの町で講演会が予定されている。
四国遍路を広く知らしめて世界遺産にして、世界から人を集めるという団長の熱い思いを伝えるのだ。
団長の案内は1時間以上にわたってのものだった。
団長の相当な情熱は感じられたが、町の人たちは果たして長時間ついて来れたであろうか?
取り巻きの我々はただ見守るばかりであったが、ちょっと不安になった夜であった。
ということで、熱い講演会も無事終わり我々はサリナの宿でやっと休めることになった。
2段ベッドの相部屋はこれからスタンダードの宿泊スタイルとなるのであった。
団長、おつかれさまです。
お遍路プロモーションで1日歩いた兄貴も疲れたみたい・・?
みなさん、おつかれさまです・・・
※今後は週に1-2本のペースで更新していきたいと思ってます・・・
【第3日目(1)】 サリアからトリアカステーラへ
※ 内容修正
- 元町長 → モリーナセカの町長 (2022.10.9)
- 画像差し替え 巡礼者(2022.10.11)
- 画像追加 宿の主人・PRするお遍路さんたち・集合写真等(2022.10.11)
- 画像追加 仏像画像(2022.10.13)
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06/18(土) 景色がごちそう☆ “ モントーヤ “ ですごす ゆったり時間
温泉街から国道230号線を車で走ると、洞爺湖の上、畑の真ん中に突如現れる黒いコンテナ。 直線道路なので、気になりながらも通り過ぎ、農機具の倉庫かな?一体なんだろう?と気に留めていた昨年。 そんな、筆者のような読者の方もきっといらっしゃったことと思います。 そして今年、どうやらOPENしたらしい!との情報を得て、謎を解くべく取材をさせていただきました。 ↑この束石がポツネンとあるだけの国道からの入り口 ちょっぴり勇気がいる入り口からコンテナを目指して奥へ向かうと、そこには遮るものがほとんどない空間。 畑だと思っていたこの土地は、実は畑ではありませんでした。 周りを見渡して感動しました。 ぐるっと300度くらい見渡せます。 しかも、羊蹄山・尻別岳・ニセコ連邦・昆布岳・有珠山などなどが一望でした。 尻別岳 羊蹄山 取材に訪れたことをうっかりと忘れ、うっとりとゆったりモードにスイッチが入りそうになってしまったほどの眺望です。 「危ない 危ない」と、気を取り直して玄関に向かうと、思わず開けたくなる可愛らしい赤いドアがありました。 ↑入り口にメニューがあるのは安心します ↑ドアを開けると可愛いくて不思議でユニークなディスプレイ ↑厨房で忙しそうないずみさん こちらは、2022年5月にオープンしたカフェ&キャンプサイト “ モントーヤ “です。 札幌から6年前に移住して来られた オーナー 井上啓二さんと奥様 いずみさんが営むお店です。 実はお会いして驚いたことがありました。 ご縁というのは不思議なものだとも思いました。 ↑大きな窓からは遠くの山がよく見えます 奥様のいずみさんは2年前、筆者が企画したワークショップに参加してくださった4名様のうちのお一人だということ。 オーナーの啓二さんは、筆者がどうにも気になって気になって、何度も探しに行った洞爺湖畔の幻の珈琲ソフトクリーム屋さんのオーナーさんだったということ(数ヶ月で満足して閉店)。 そうだったんだ! そうだったんだ! このような形でお会いできるとは! と、敷地に入った最初から少々興奮気味の筆者…^^; 店内は、外からは想像できないくらい落ち着いていて、どこか懐かしい雰囲気の調度品が並んでいます。 ジャズが心地よく流れ、レコードジャケットやコレクションの古いカメラが並びます。 ↑筆者好みのアーティストとレコードジャケット ↑昭和感漂うレトロなコーナー。 「東京に居た頃は服飾デザインの仕事をしていました。いわゆるDCブランドの服です。札幌に戻ってからは、もともと好きだった馬の仕事に携わりました。馬の競りのためのプロモーションビデオを制作したり、牧場のWebを制作したりする仕事です。札幌競馬があるときは、競馬場で売店も営みます。だからまあ、そちらの仕事が本業かな。」 ↑こちらはオーナーの本業。代表取締役としての会社「inox」のwebページ なるほど…。 馬に関わる映像のお仕事と“ モントーヤ “の関連がいまひとつ見えませんでしたが、飲食業にはすでに携わっていらっしゃったわけです。 そして、奥様とのご縁も馬が取り持ったとか♡ ↑コンテナは雨よけにもなり、イベントなどのショップにもご利用いただけます。 1本だけ残したドロノキ(ヤマナラシかも)は、シンボルツリーになっています 「この5000平米の土地は、僕が買う前は何十年も手付かずだったそうです。太くなった木も草も伸び放題のジャングル状態。崩れ落ちた家もそのままで荒れ放題。呆然としてしまうような荒地となっていました。水道も通っていませんでしたので、大掛かりな工事になりました。途方に暮れるほどの手間を掛け、足掛け4年がかりで開墾していきました。」 「そこまで苦労して…。この場所の何にそんなに惹かれたのですか?」 「景色です。どこを見ても山があるこの景色を見ながら珈琲が飲みたかった。ただそれだけです。」 それまで、クールな面持ちで話をされていたオーナーの目が、ふっと力が抜けて優しくなった瞬間でした。 この景色を見ながら一杯の珈琲(お店の珈琲は札幌の有名焙煎ショップ「斉藤珈琲」の豆使用)が飲みたいというそれだけで、4年間も開墾をしてしまう井上夫妻がなんとも素敵です。 「でも、そもそも何故札幌から移住して来られたのですか?」 「きっかけはスイスを訪れたことでした。もう本当にスイスが素晴らし過ぎて、人生観が変わりました。ほんと、絶対に行ったほうがいい!」 この時のオーナーの目はキラキラに輝いていました。 そのご様子だけで、どれほどスイスが素晴らしかったのかが分かりました。 「帰国後、札幌に住まなくても今の仕事はできるよね?と夫婦で話すようになりました。その時の場所の候補は、北海道の都会ではない景色の良いところ、もしくは南阿蘇でした。 そうして洞爺湖畔に居場所を見つけ、その2年後、周りの山々が見渡せるこの場所が気に入り購入しました。」 それから、足掛け4年の開墾の日々が始まったのでした。 店舗は、コンテナ7つを繋げて造られています。 大きな窓の店内はオーナー自らがデザインされたもので、お気に入りの調度品は、山を楽しむためのレイアウトになっています。 「ところでメニューを見せていただけますか?」 とお願いし、見せていただいたのがこちら。なんと、絵本でした。可愛い〜♡ ↑画像はありませんが、珈琲おいしくチーズケーキが絶品です! ↑次回はこちらを食べてみたい! ↑生パスタも美味しそう〜♡ そういえば、入り口にも店内にも絵本が飾られていました。 てっきり、いずみさんのご趣味かと思いきや…。 なんと、「僕のアイディアです」と。 この時のオーナーはちょっとハニかんだ笑顔でした。 ↑思い切り照れたお顔で振り返ってくださったショット ところで、“ モントーヤ “ の “モン“ とは、フランス語で “私の”という意味だそうです。 つまり” 私の洞爺”。 それでも湖畔ではなく、300度にわたり遠くに山を望めるここを選んだのは、「ここで珈琲が飲みたかったから」。 ここがオーナーにとっての「私の洞爺」なのですね。 「洞爺湖も有珠山もいい。でも、ここから眺める羊蹄山も洞爺湖町のランドマークであって欲しいのです。阻害するものが何もない畑のど真ん中で、この景色を楽しみに来ていただきたいです。」 ↑キャンプサイトご利用の場合は店舗の玄関フード内のトイレが共用利用できます 今後は、プライベートキャンプサイトも整備して行くそうです。 ただし、利用できるのはオーナーの友達か、友達の紹介限定だそうです。 優しく尖った カフェ&キャンプサイト“ モントーヤ “。 広大な土地にポツンとコンテナは目立ちますが、素敵な隠れ家を見つけました。 ―モントーヤ情報―虻田郡洞爺湖町成香19営業日時はInstagramまたはHPをご確認ください。Instagramhttps://instagram.com/montoya_108?igshid=YmMyMTA2M2Y=HPhttp://montoya.jp/*イベントのご利用も可能です。HPのお問合せフォームよりご相談ください。
Rietty
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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