
明るく元気な町づくり 洞爺湖町
ななかまどの夕べ
ボランティア団体ななかまどの会主催「ななかまどの夕べ」に出席。叔母が総合司会、母、叔母夫婦を連れて参加(^0^;)
おはようございます。しもみち英明です。
台風の影響で北海道にも今後上陸しそうです。
また旅行中の方は、お気をつけください。
ボランティア団体ナナカマドの会主催による「第9回ナナカマドの会」に出席。
叔母が総合司会だったので、母を連れて参加。
室蘭を中心に活動している「高田ダンススクール」のダンス講師をお招きしてアトラクション。
大賑わいで皆さん、踊っていました。
全体で踊るダンスでは、母親も飛び入り参加しました。
音楽は、人を元気にさせるんですね。
ナナカマドの会が地域に根ざした活動をされていることにお礼申し上げます。
これから、体育協会主催の「とうや湖スポーツまつり」に行ってきます。
台風が来る前にスポーツイベント開催できることに感謝しながら行ってきます。
Have a nice day ( ' ' )/
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
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12/25(水) ブナの森の中にある小さな菓子工房 aimer -エメ- [ 黒松内 ]
自然とつながるおやつ aimer -エメ- は、ブナの北限といわれる黒松内の森の中にある菓子工房です。 真っ白な世界の中にぽつんと佇む可愛らしい小屋。中に足を踏み入れると、暖かくてほっこりしました。美しい木々の雪景色を眺めながら、心にも身体にもやさしいおやつを頂くことができます。 おやつは全て植物性。乳、卵不使用、更にオーガニックで、アレルギーの方も安心して頂けます。 玄米ケイク[ガトーショコラ]を頂きました。クランベリーがマッチした、ふわふわしっとりなケーキ。玄米からできているとは想像できませんでした。 メニュープレートには、「自家栽培の自然農法による玄米がベース」と書かれています。なんと、店主自らお米を作っているというのです! 店主の杏紗(あずさ)さんにお話を伺いました。 杏紗さんが手にしているのは、森から採ってきた”松ぼっくり”。この中から松の実を取り出し、おやつにも使います。 「お花とか木の実とか葉っぱとか、なるべく自然の中から採ってきたものを取り入れるようにしています。そのまま入れたり、上にのせて焼いたり」 「最初は全てに手が回らなかったので、まずはアレルギー対応、次に自分で米を育ててそれを使う、そして今、自然のものを取り入れるという段階にきています」 『自然が好き』がベース 「自然が大好きで、自然ありきの自分の人生という感じです」 お店を始める前は、製菓に携わっていたわけではなく、自然環境調査の会社で事務をされていたという杏紗さん。 「元々は(お菓子作りに)自信もスキルも全くなかったんです。でも健康的な食には昔から興味があったのと、子どものアレルギーというモチベーションのみで、ここまでやってきました」 「上の子がアレルギーで。お米がダメだったので、離乳食もキヌアとかアマランサスのおかゆからデビューしたんですよ。セレブ離乳食でした。(笑)」 お子さんは卵、小麦、ゴマ、さらには魚や米まで、ありとあらゆるものがアレルギーだったそう。お子さんのために、お菓子作りを始めたことがきっかけとなり、工房をオープンするまでに。2018年4月に七飯町大沼で活動を開始しました。 「大沼はとても良いところでしたが、さらにワイルドな環境で……と思っていたんです。容赦ない厳しさと相まって、深く美しい自然に囲まれながら暮らせるような場所を探していました」 水が綺麗で森がいっぱいというイメージがあった黒松内に1年半ほど通い、今のお店の場所を見つけました。 「森の中にあるということを大事にしたかったんです」 2023年の春分の日、念願叶い森の中に工房兼店舗がオープンしました。夏は緑が美しく、誰もが「良い場所……」と呟いてしまう素敵な風景。外の席でおやつタイムを楽しむこともできます。 おいしいの先にある豊かさの本質 ”からだにやさしい、おいしい、だけではない おいしいの先にある 豊かさの本質を感じられるような おやつを通じた暮らしをお伝えしていきます” 『おいしいの先の豊かさの本質』を見つめる杏紗さんが手掛けるのは、おやつだけではありませんでした。aimerには”ひつじ会員”なるコミュニティが存在します。なんと、お店に羊が現れるのです! 去年の夏、積丹の牧場から羊が4匹やってきました。数か月間、工房の横の草地でのびのびと暮らし、地域の人たちはふれあいを楽しみました。秋になり、可愛がられた羊が出荷されていきました。羊はお肉となって工房に戻り、杏紗さんの手で、丁寧に調理されました。そうして”aimer ひつじの謝肉祭” が開催されました。多くのひつじ会員が集まり、大人も子どもも羊料理を楽しみました。 「羊は、自分たちで食べて終わりってことではなく、地域の人とのコミュニケーションの一環なんです。地域の方々と関わり合うきっかけでもあり、生き物の命について考えるきっかけでもあり……」 杏紗さんは、出荷の日は涙が止まらず仕事が手につかなかったといいます。 食と命について考え続ける、aimerのひつじのストーリーは続いていくようです。”ひつじ会員”に興味がある方は、ぜひお店で聞いてみてくださいね。 「小さいお店だけど、これからもいろんなことを考えながら、仕掛けていきたい。来年はまた違う事を始めているかもしれません」 黒松内の道の駅から車で3分! お店の場所は人里離れた森の中と利便性の良い場所ではありませんが、自然を愛する人々、コアなファンがどんどん増えていきます。店主自ら生産者となり、さらに黒松内の自然の豊かさも詰め込まれたおやつ。アレルギーの人もそうでない人もみんなで一緒に、妥協なく美味しいものを食べられる、その喜びを感じられるお店です。 自然の中にある工房の美しい景色は、四季折々変わっていきます。店頭販売が大好きだという杏紗さんとお話しに、お店まで足を運んでみてくださいね。 森の中と言っても道路沿い、冬道でも安心です。 黒松内の道の駅から車で3分程度です。 自然とつながるおやつ aimer -エメ- 住所:寿都郡黒松内町字白井川4-81 電話:090-2056-3206 Instagram:aimer_hokkaido
misaki
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07/16(金) 家具と雑貨と憩いの店 洞爺湖畔「KITORINGO」
KITORINGOって何語だろう…? そう思った方に、まずは種明かしから。 実は「木と林檎」なのだそうです。 国彦さんは家具製作をなさっているので「KI」。 雑貨屋とカフェを切り盛りする瑠美さんが林檎好きなので「RINGO」 なんとも単純明快なお答えが返ってきました。 りんご好きな瑠美さんが作るジャムです。 りんごを持ち上げるエゾリスのシールが可愛い! ブルーベリーは自家栽培です。 お店を始めて6年目のKITORINGOさんは、当初、留寿都村の旧三の原小学校で5年間営業されていました。 そして、今の場所に移転オープンされたのが今年の4月29日になります。 奥様の瑠美さんはカフェと雑貨担当。 伊達のご出身です。お店を始める前は札幌のアパレル会社でバイヤーをされていたそうです。 旦那様の国彦さんは山形県のご出身。 家具職人になるか建築家になるかを迷った末、家具職人の道を選び、旭川の高等技術専門学院で家具制作を学んだのち、札幌で修行をされたそうです。 当時、札幌に住んでいらした佐藤さんご夫妻は、週末カヤックをするために通っていたのがここ洞爺湖だったと言います。 「ここの環境がすっかり気に入り、住みたいと思うようになりました。2年半懸けて家探しをしていたところ見つけたのがここでした。」 現店舗と工房は、家を借りていた当時は倉庫と畑だったのだそうです。 「実は、私たちが住む家の前所有者は私の出身幼稚園の園長先生だったのです。」 と、瑠美さん。不思議なご縁とタイミングに恵まれた佐藤さんご夫妻でした。 だって、洞爺湖まるごと敷地のようなロケーション! なんという贅沢! 現在ではその家を購入し、店舗兼工房を新築、内装は全てご自身の手でおこないました。 店内には国彦さん作品の会計カウンター兼キッチンと雑貨コーナーがあるのみ。 ドリンク&フードは、テイクアウトまたは外のデッキ(こちらも国彦さん作)でご飲食可能です。 雑貨は日本のものも一部ありますが、多くはスウェーデン・フィンランド・デンマークなど北欧で買い付けてきたもの。 「今はコロナで行けなくなりましたが、以前はスーツケースとリュックにプチプチと新聞紙だけを詰めて仕入れに行っていました。」 と、語る瑠美さん(シャイな瑠美さんは写真NGでした)。 商品選びの勘とセンスはバイヤー時代に取った杵柄なのでしょう。 小さな体でリュックを背負いスーツケースを引く瑠美さんを想像するとちょっと驚きます。 食器をスーツケース一杯に入れたらどれだけ重かったことか…。 でも、自分の目で見て選びたい気持ち、よくわかります。 だからこそのこのラインナップ。 海外へ出かけられない今は、その時に知り合ったフィンランド人から仕入れをしているそうです。 食器はどことなくレトロ感漂います。 ヴィンテージ物だそうです。 「ちょっとレアな食器に拘っています。これらが生活に加わることで精神的に豊かな気持ちになってほしい。」 瑠美さんはそう語ってくれました。 家具職人の国彦さんには工房を案内していただきました。 大きな機械がたくさんあり、工房というよりも工場といった雰囲気です。そこには、見たこともない重たそうな機械が所せましと置かれていました。 当たり前ですが、全て使い道が違います。 これらを全てお一人で使いこなしています。そして、これらの機械でカットされ加工され材となった木は、国彦さんの手で家具などに生まれ変わるのです。 ダイニングチェアからスツール、箱物、キッチン周りなど家具全般を制作なさいます。 たとえフシがあってもそれを活かしたものを作るなど、端材も決して無駄にしないそうです。 こちらのカッティングボードもフシがありますが、味わい深い作品になっています。 そして、どうしても作品にならないときには薪に。 “ 材料を無駄にしない “というのは国彦さんのポリシーです。 こちらはオガクズを集める機械です。 もちろんオガクズも無駄にはしません。 肥料として引き取ってもらっているのだそうです。 国彦さんは丁寧に言葉を選びながら家具作りへの想いを語ってくださいました。 「なるべく環境に配慮したいと考えています。 自分が作るものを通して、あるいは木を通して地域や社会に貢献したいと思っています。」 “ 環境への配慮 “ “ 社会貢献 “ いまやどの分野でも気を配らなければいけないキーワードです。 それを意識した実践は素敵です。 そして最後にこうも話してくださいました。 「KITORINGO作品を使っていただくことで、生活に精神的な豊かさを感じてほしい。これが来てから生活が楽しくなったね。これが来たから生活しやすくなったね。そんな風に思っていただけるような、品質の良い使いやすい作品を作りたいです。」 近々新作発表があるそうです。 ある方とのデュエット作品とか…? とてもワクワクします。 珈琲の香り。 良質でハイセンスな雑貨。 瑠美さんの笑顔。 木の香り。 シンプルで使い心地の良い家具。 国彦さんの木への眼差し。 そしてまるで庭のように遮るもののない洞爺湖。 それらすべての融合である「KITORINGO」さん。 なんとも言えない心地よさを感じる素敵な空間でした。 KITORINGO キトリンゴ 営業 土日祝 11:00~16:00 住所 虻田郡洞爺湖町洞爺町174-7 電話 0142-82-9382 e.mail kitoringo@gmail.com Facebook ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。取材2021年
Rietty
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02/20(火) クールに攻める両立への道 〜味と時間で勝負!地域にファーストフード文化を育てたい!『GOTHAM DRIVE IN』オーナー成田大海氏の戦略とは〜
取材に伺ったのはグランドオープン1週間前でした。 かっこよくコーヒーを落としてくれたので、さっそく聞いてみました。 「珈琲はどこで修行されたのですか?」 「YouTube先生です。いまどき修行なんて流行りませんよ。」 「え……。」 こんな会話から始まった今回の主人公は成田大海(Hiromi)さん。 3シーズンは俱多楽湖で「Paddle Street Outdoor Service」として カヤック・カヌー・サップガイド事業をされています。 入店いきなりの会話で「意外と軽い人?」と思いきや、 実は真逆なタイプであることが段々と分かってきました。 バックボーン(学生時代)のこと 改めて、成田大海さんは苫小牧市ご出身の35歳。 小さい頃から大学までアイスホッケーに勤しんでいました。 御祖父様からお父様、大海さんまで三代続くアイスホッケー一家だったと言います。 「大学にはスポーツ推薦で入学しました。 16歳の時に日本代表にもなりました。 でも、それほどアイスホッケーが好きだったのか?と問われると実は微妙です。練習が終わるのはいつも夜中の2:00頃でした。 競技場があまりないので、小さい子どもから順番に予約を入れていくと、大学生は夜中の割り当てになるんです。 これは結構キツかった…。 それに、本当は美術部に入りたかったし・・・(笑)絵を描くのが好きでしたから」。 「美術部ですか?また随分かけ離れていますが…。 それにしても練習終了が夜中の2:00とは驚きです。寝る間もなければ、学校へも行けなくなりますよね」。 「そうですね。大学では法律を学んでいましたが、授業はほとんど出ていませんでした。だから結局、退学して働くことにしました」。 「辞めてしまわれたのですね。授業はほとんど出ていなかったとのことですが、アイスホッケーは続けていらしたのですよね? 続けてやっていたことで今に繋がっていること、やっていて良かったと思えることはありますか?」 「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 なるほど。 このことについては、また後ほど触れるとして〜。 バックボーン(料理)のこと 「大学を辞め、勤めはじめたのは西麻布のバーでした。 そこは六本木や恵比寿にも店を持っていたので、その3店舗を昼夜行き来して働き、飲食店の辛さや面白さを4年ほど学ばせていただきました」。 「ほ〜!GOTHAM DRIVE INのルーツはそこにあるわけですね! その時、今の大海さんのその後を決定づけた方はいましたか?」 「はい、いました。かなりぶっ飛んだ人でしたが、メキシコ料理がすごく上手で美味しくて、いっつもテキーラを飲んでいる恵比寿店の店長でした 笑 でも、この店長のおかげで本物上質なテキーラを知り、メキシコ料理を学ぶことができました」。 なるほど! 繋がりました! バックボーン(パドル アクティビティー)のこと 「ありがとうございます。料理の背景は分かりました。では、パドルアクティビティーの世界へのきっかけを教えていただけますか?」 「趣味は釣りなんですが、その延長線上にあったのがカヤックでした。 カヤックに乗って釣りをしたいなあ〜と。 僕、基本、人見知りなんです。釣りなら一人でできますし。 学生時代からアイスホッケーにも釣りに行かないときは引きこもって調べ物ばかりしていました。 で、カヤックを色々調べていたら、小樽の塩谷でガイドをしている『ブルーホリック』に行きつきました。そのときは、へ〜!こんな仕事があるんだ…。と思った程度でした」。 「なるほど。飲食店で働き出す前から興味はあったのですね」。 「はい。北海道に帰って仕事をしたいと考え始めたとき、ブルーホリックを思い出して履歴書を送りました。 そうしたら、わざわざ代表の嘉藤さんが上京して会いにきてくれました。 事実上の出張面接となったのです」。 面接をパスして25歳で帰京。 ブルーホリックで働くことになった大海さんは、カヤック修行への道に入りました。 入店時、「修行なんていまどき流行りませんよ」 と言っていた大海さんでしたが、アイスホッケーにしても、カヤックにしてもその道をきちんと歩いたからこその台詞だったというわけです。 「上下関係の厳しさが身についているというのは私生活にも役立っていると思っていますが、特に仕事には必要なことだと思っています。 例えばブルーホリックの嘉藤さんは仕事には物凄く厳しいんです。 一歩間違えば大変危険な環境の海で行うカヤックというアクティビティーですが、どんな時でも、お客様の命を絶対に守らないといけないわけです。 だからどうしても指導は厳しくなる。 当然だと思います。 でも、そのような嘉藤さんの姿勢をなかなか理解できない人もいる。 そう言う意味で、僕はアイスホッケーにしても料理にしても上下関係が厳しい世界にいたので、耐えられたしそういうものだと捉えることができました。打たれ強さも育っていたかもしれません」。 先ほど、「アイスホッケーをやっていたことが今に生きていることは? の質問に「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 と答えてくれましたが、なるほど〜と思えたお話しでした。 大海さんはブルーホリックで2シーズンを修行した後、嘉藤さんの紹介を受け、沖縄座間味島でさらに2シーズン修行しました。 のちに独立を考えだした大海さんの背中を押してくれたのも嘉藤さんだったと言います。 「でも、強く押されたと言うよりも、『いいんじゃない?』と言った軽いかんじで・・・(笑) これ、嘉藤さんらしさです。 人の繋がりを大切にする本当に懐が広く深い方でとても尊敬しています。テキーラ好きな六本木の店長ともなんとなく似ているかも」。 二つの道を極めようとした背景には、二人の師匠がいらっしゃったわけですね。 それぞれのバックボーンを活かしたい! 独立を決めた時、飲食業とアウトドア業の両方をやりたい! と考えていた大海さんは、北海道に戻り活動フィールド探しを始めました。 2019年のことです。 本当は前職で貯めたお金で南米へ料理修行に行きたいと思っていたそうですが、それよりそのお金で早く事業を始めようと考え直し、南米行きを諦めたと言います。 支笏湖や洞爺湖も視野に入れつつフィールドを探し回り、倶多楽湖に出会った瞬間「ここだ!」と即決したそうです。 「俱多楽湖がなかったらここには来ませんでした。 とにかく水が綺麗で感動しました。 すぐに元々あった施設で当時休止中だったレイクリゾートのオーナーさんに交渉し、施設管理を条件に使わせていただけることになりました。 パドルアクティビティーの拠点は確保しましたが、飲食店の店舗探しには苦労しました。 予算の関係もあってなかなか決まらなかった。でも粘り強く探し、待ち、いまの場所を購入することができました」。 決断と行動の速さを感じるエピソードに、アイスホッケーでゴールキーパーを務めていた大海さんの判断の速さがリンクして聞こえた筆者です。 店舗は、以前『ケニア』というレストランだったところです。 登別駅から登別温泉方面に向かうメインストリートに位置するとても目立つ場所にあります。 ドア枠は大好きな緑に塗り変えました。 店内の内装は電気工事(資格も持っています)に至るまで、 ほとんど自分でリノベーションされています。 「ところで、GOTHAM DRIVE INという店名の由来を教えていただけますか?」 「映画のバットマンに出てくる地名です。 映画の中のGOTHAMはNEW YORKのことなのですが、劇中では薄暗いイメージに描かれています。 それが登別という晴天率の低い街と重なりました。 まあ、単純にバットマンが好きというのもあるんですけどね。 それと、うちは『CAFÉ』ではないんです。 あくまでも『DRIVE IN』として存在したいと考えています。つまりファーストフード店でありたい。 そういう意味で、クオリティーの高さと提供の早さを売りにしたい。 観光のお客様って結構時間に追われています。 レストランやカフェは14:00くらいで一旦閉めてしまうところが多いですよね? だから14:00を過ぎても開いていて、その時間に食べても夕食に影響が少なくて、車の中で片手でも食べられるものと考えたらこのようなメニュー構成になりました。 何より、大好きなメキシコ料理が提供できますし」。 「カルニタスの肉は牛肉と豚肉を別々に煮込み、合わせて作っています。 牛肉は肉の食感を残したいので歯応えを感じるように。 豚肉は柔らかく煮込んであります。 それと、メキシコ料理は辛いイメージがあると思いますが、お子様でも食べられるように、ベースの味付けには辛みスパイスは使用していません。辛いのが好きな方には別添えのスパイスで調整していただいています」。 味への拘りも相当なものでした。 時間を作っては、東京や大阪などの珈琲店や飲食店などを巡り、知識やアイディアの入手に努めているというお話しも伺いました。 日々の研究にも余念がありません。 「GOTHAM DRIVE INは、『おいしいね!』と言ってもらえるもの、手軽に直ぐに食べられるものを提供する親しみやすいファーストフード店を目指します」。 最後にそう語った大海さん。 日本マクドナルド創業者の藤田田さんを尊敬していると伺い、全てに合点がいった筆者です。 目指す師匠がもう一人いらっしゃいました。 もしかしたらいつの日か、西胆振にGOTHAM DRIVE INがチェーン店展開する日が来るかも? 大海さんがクールに目指すパドルアクティビティーとファーストフード店の両立。 心から応援したいと思いながらタコスを頬張りました。 次はナチョスをいただきます!! ―GOTHAM DRIVE IN 情報― https://www.instagram.com/gotham_drivein?igsh=MWx2eGk3dTI1bjJidg== 住所 〒059-0463 登別市中登別町174-9 電話 090-6937-7540 営業 10:00~18:00(水曜日11:00~22:00) 休み 木曜日 *2024.2月現在求人中 ―Paddle Street Outdoor Service情報― https://www.instagram.com/paddlestreet?igsh=enh5eGY3c3BuaDB1
Rietty
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01/27(木) スノースポーツをストレスなく楽しんでいただきたい! 〜スポーツたきぐち “ Ski & Board Tuning Service Center “ @倶知安町
北海道の冬と言えばパウダースノー! そしてスノースポーツですよね。 そこで、「世界一のパウダースノー」として有名になったニセコエリアのダウンタウン 倶知安町において、長年、地元に根付いた経営をされている ” スポーツたきぐち “ を訪ねました。 ↑お話をしてくださったのは、スポーツたきぐち 専務取締役 企画販売部長 滝口 和久 氏です。 滝口専務は小さい頃からアルペンスキー競技をされていました。 赤と青のポールを立てて、その間を回転し潜りぬけながら滑るスピード競技です。 ですので、スキーヤーの気持ち、道具の取り扱い方、その土地の気候を含めた雪のコンディション、斜面状況、その他スキー(スノーボードも)に関するあらゆることに精通されています。 “ スポーツたきぐち “ は、スポーツ用品全般を取り扱っていますが、今回は店舗の方ではなく、スノースポーツマテリアルのメンテナンス部門 “ Ski & Board Tuning Service Center “ の方でお話を伺いました。 「メンテナンス部門 “ Ski & Board Tuning Service Center “ ができた経緯とその想いを教えていただけますか?」 筆者特有のいきなり直球&核心的質問を投げかけました。 そんな唐突な問いに対して、とても詳しく丁寧に応えてくださった滝口専務です。 ↑年間1000台以上の板をチューンナップされています。 アルペンスキー・テレマークスキー・スノーボード・クロスカントリーなど、スノースポーツのあらゆる板をメンテナンスされています。ビンディング・ブーツの不具合などもご相談ください。 「Ski & Board Tuning Service Center(以下 Service Center)が出来たのは2019年5月です。” スポーツたきぐち “ は1964年創業、地元密着型のスポーツ店として今日まであり続けてきました。レンタル部門は以前からありましたが、商品については『売るだけではダメ』だ、何か付加価値を付けるサービス体制を作らなければ!と常々考えていたことを実行に移したのがService Center でした。」 ↑用途に合わせて様々な器具・機械が並びます。 おそらく、” スポーツたきぐち “ 創業当初は全国にもたくさんあったであろう地方のスポーツ店も、量販店の出現により徐々に減り、人口減少と少子化により廃業を余儀なくされた店が多いと思います。 そんな中において、今もしっかりと地元に根付いて存在しているということ自体が偉大なことです。 「10年くらい前からお客様のニーズに変化が現れました。 その主な理由は外国人観光客(スキーヤーやスノーボーダー)の急増です。 以前はスポーツ店とチューンナップ店は別々に存在するか、ホテルのレンタルコーナーでチューンナップを行うことが多かったのです。 ところが、『明日使いたい』とか『この後すぐ使いたい』という要望が徐々に増えました。 けれどもそのニーズに応えられる所はありませんでした。 外国人に限らず観光客は短い滞在期間でスノースポーツをしたい!という思いで訪れています。 それなのに、道具に不具合があって滑ることができないのはお気の毒です。そんな様子を見聞きするうち、顧客の細かいニーズに応えて差しあげたい! なんとかストレスなく滑れるようにして差しあげたい!と強く思うようになりました。」 滝口専務とお話しをしていると、「〜して差しあげたい」という表現がしばしば出てきます。とてもサービス精神旺盛な優しい方なのです。 筆者もスキーヤーですので分かりますが、チューナップ店に持ち込み「この後使いたいから直ぐに仕上げて!」と言って対応してくれるところは他に耳にしたことがありません。 こんな風に考えて取り組まれていらっしゃることは有り難いことです。 ↑エッジを研ぐ機械です。これがあるところは日本で何軒もないそうです。 この他の機械は全て、スキーだけでなくスノーボードも扱える構造になっています。 ↑中央のドームの中では板が通過しながらエッジが研がれていきます。 ↑サンディングマシンです。滑走面をフラットにする機械です。 ビンディングを付けた状態でも通すことができます。 ↑サンディングマシンにかけた後、水平を測ります。 「従来、チューンナップ店はスキーメーカーとのタイアップのもと、競技スキーヤーのためのストラクチャー(滑走面に付ける溝のこと。滑走面に小さな溝を削ることで滑走性を妨げる水分(摩擦熱で溶けた雪)を効率よくコントロールできる)を入れるための店が多かったのです。けれども道具が多様になり、パウダー用の板やカービングタイプの板などの出現で、スキーヤーの志向にも変化が現れました。 スノーボードもしかりです。 また一方で、ホテルでのチューンナップは機械の音が煩いとお客様からのクレームが絶えなかったそうです。 結果、ホテル内で整備を行うことはなくなりました。 このように、ニセコエリアでもニーズが変化し多様化する中で、メーカーとタイアップしてチューンナップを行なっていた店は、それに応えるためには機械を入れ替えなければいけないという問題(板が太いと既存の機械は使えない)が生じました。 けれども機械の入れ替えには莫大なコストが掛かります。 結局、諦めて廃業せざるを得ない店が出てきました。 そして追い討ちをかけたのが今もなお続くCOVIT19でした。」 ↑ストラクチャーを入れる機械です。ダイヤモンドの砥石が入っています。 こちらももちろんスノーボードの板も扱えます。 これらのことは、地域の課題であったと同時に、顧客ニーズになんとか寄り添えないだろうか…という滝口専務の想いを具現化するチャンスでもあったのでしょう。 販売からレンタル・メンテナンスまで一貫して顧客に寄り添う体制を作ることで、レギュラーチェーンとの差別化を図ろう!と ” スポーツたきぐち “ は高額投資を決意しました。 高価な最新の機械を何台も導入し、店舗とは別棟にしてメンテナンス専門の場所として作ったのです。 “ Ski & Board Tuning Service Center “ の誕生です。 「実はもう一つ、Service Center を作った理由がありました。 スキーもスノーボードも道具が高価ですよね? ブーツと板を揃えたら10万円は下りません。 せっかく買っていただいても、滑った後に手入れをしなければ直ぐに傷んでしまいます。 傷んだ道具は滑り辛く上手くならない、上手くならなければ楽しくない。 それで結局買い換えるか止めてしまう。 その負の循環を断ち切って差しあげたい! 楽しくスノースポーツを続けられるようお手伝いがしたい! 道具が長く使えるようにお手伝いをしたい! そんな想いがありました。」 今、どこの企業もSDGsへの取り組みが盛んです。 “ スポーツたきぐち “ としても、企業としてどんな社会貢献ができるか?と滝口専務は常時考えていらっしゃるそうです。 それが一つに「物を大切にするお手伝い」なのでしょう。 物を売る者としての責任を、販売部門・メンテナンス部門・レンタル部門を通して一貫して顧客に寄り添うスタイルで果たす。 その上で、持続可能なスノースポーツ業界を目指しているのです。 これは、スノースポーツに精通し、世界のニセコを有する倶知安に根ざした “ スポーツたきぐち “ だからこそできることなのかもしれません。 ↑このような制度もあります。試乗会だけでなく、もっと乗ってみなければわからない。 乗ってみたらとても良かったから手に入れたい。そんな方にはRent&Buyがおすすめ。 ↑ワックスもチューンナップ道具も揃えたけれど、使い方や整備の仕方が分からないという方向けにこのような企画もあります。 「さらに、SDGsの観点から言えばワックスにも注目しています。現在販売に力を入れているのはヴァウチというフィンランドのブランドです。 こちらは環境に配慮されたフッ素不使用品です。 フッ素不使用はFIS(国際スキー連盟)の規格にも合致しています。特長としては寒い地域に適していて、ノルディック競技はもとよりアルペン競技にも『滑るワックス』として定評があります。 また、ウェアなどもリサイクルの生地や糸などを使用した物も仕入れるようにしています。 実際に10年ほど前から欧米からのお客様はそういう環境に配慮されたものを求められる傾向にあります。」 ↑上の写真が世界的にオフィシャルをとったヴァウチのワックス。 日本国内の販売シェア80%をスポーツたきぐちが占めます。 ↑滑走面のケバを取り、ワックスをかける機械です。丁寧な作業をされる滝口専務。 ↑上の機械でワックスをかけた後、この機械の赤外線で浸み込ませます。 ↑Service Centerのスタッフは3人。 左から、スポーツたきぐち 専務取締役 企画販売部長 滝口 和久 氏。 右はアドバイザリースタッフ 江川 信以 氏。ニセコパウダープロスキースクール&ニセコテレマークスキースクール現校長。 中央はカスタマーサービススタッフ 竹花 健汰 氏。元スキージャンプ選手。 全員、スノースポーツに精通しているスペシャリストたちです。 このように、全力でスノースポーツをサポートする会社 スポーツたきぐち。 そして “ Ski & Board Tuning Service Center “ 。 「もっともっと、スノースポーツをストレスなく楽しんでいただきたい!」 という想いのもと、スポーツたきぐちは、日本だけでなく、あらゆる国のウィンタースポーツ愛好者たち一人一人に寄り添いつつ、トータルサービスを目指している会社です。 北海道の地元密着企業。 存在し続けてくださることが嬉しく心強いです。 スポーツたきぐち https://www.spotaki.co.jp スポーツたきぐちサイバーショップ https://shop.spotaki.co.jp ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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08/28(日) 「またたび文庫」の羽地夕夏さん(羽ちゃん)〜人の心に風を送る人〜
嵐ではない。 そよ風でもない。 ヒュン!と人の心に風を送り。 ハッとさせてくれる人だと思いました。 ひさびさに「いいものみつけた!」という気持ちにさせてくれた人。 と、失礼な書き方をしましたが「なんて素敵な人なんだ!!」という意味です。 そして、実際には見つけたというよりも、出会いのきっかけは若い友人からの紹介でした。 ただその時には、羽ちゃんはその「光」を見せてはくれませんでした。 沖縄の人らしいのんびりした感じの印象。 表面的に溢れ出すオーラで、その存在の凄さを隠せない人はいますが、羽ちゃんはそういうタイプではないように見えました。 決して隠しているわけではなく、あくまでも自然体で、自分をそれ以上にも以下にも見せない人でした。 それがもう、話してみてビックリ! さらに彼女の書いたものを読んでみてビックリ! https://www.instagram.com/matatabibunko_hon/ ↑本の書評や所感などを書いています。 こちらを読むと、只者ではないことが分かります。 ということで、今回は白老を本拠地に移動本屋「またたび文庫」を展開している羽ちゃんこと羽地夕夏さんを取材させていただきました。 この日、またたび文庫は、白老の子育てふれあいセンター「すくすく3・9」の森のカフェイベントに参加されていました。 庭が森になっているそこには、小さい子を連れたお母さんや、地域の方々が来場者となって訪れていました。 その脇にあるニッセの小屋では、地元の店「カイザー」さんが珈琲を落としていました。 「すくすく森のカフェ」は、手作り感溢れるあったかい和みの空間でした。 そんな雰囲気の中で出店されていた、またたび文庫の羽地夕夏さんは、沖縄県読谷村出身の24歳。 大学で国際政治を学び、卒業後は東京の出版会社の営業を1年経験されました。 その後、2022年5月より白老町の地域おこし協力隊員として活動をされています。 「本は子供の頃から好きでした。学生時代は古本屋巡りが好きでした。何かを調べたい時は必ず本。ひとつのテーマについて深く知りたいときは、本を探して読みます。」 何故白老だったか 白老に来たきっかけは、先ほどお話しをした共通の若い友人でした。 それは羽ちゃんが大学4年生の時、初めてその友人に案内されて白老の森を歩き、すっかり白老の自然に魅せられました。 「それまでの人生では森歩きをしたことってなかったんです。」 同時期に読んでいたのはアイヌを題材にした小説「熱源」。 沖縄とは全く異なる北海道の自然への興味、アイヌ文化への関心も後押しをして、白老移住を決めたそうです。 そして実際に移住をした白老は期待通りだったと言います。 またたび文庫の誕生 「人口1万6千人の町 白老の文化拠点として、本屋をつくりたい。」 〜という想いで羽ちゃんは移住後、ほどなくして始めた 古本メインの移動本屋(新刊も1割ほどあり) 「またたび文庫」を立ち上げました。 マタタビといえば、あの齧った猫が恍惚状態になると言われる樹木の名前です。 「初めて北海道を訪れた時、森で初めてマタタビを口にし、とても美味しかったのです。これが猫もうっとりするというマタタビの木の実か!!」と。 きっと、その実は熟したオレンジ色をしていたのでしょう。 ほんのり甘いマタタビは、アイヌ文化史にもたびたび登場し、現代でも果実酒にして薬効を得るなど様々な利用法があります。 そしてまた。 羽ちゃんが好きなアーティスト奥田民生のCDにも「股旅」というタイトルのものがあるそうです。 こちらは旅のうたですが…。 旅先だった北海道に移住した羽ちゃんにとって、「またたび」という響きには特別な想いがあるのでした。 ところでこの日、鮭の木箱に入れて持ってきた本は100冊くらいでした。 「在庫はどのくらい持っているのですか? また、ここに持ってくる時の選書の基準は何でしたか?」 「在庫は2000冊くらいです。今は主にイベント出店という形で販売をしているので、出店するイベントの趣旨や、集まるであろうお客様の層を考えて、その志向を想像しつつ選書しています。今日は子育てイベントですので、お母さんが読める本・子ども向けの本をご用意しました。コンセプトは日と場所によって変わり、持ち歩く本も変わります。冊数もあえて少なくしています。」 この選書のセンスがまた抜群です。 ただの勘ではなく、自分のお客さまになりうる層をしっかりと分析しているようです。 それが証拠に、いらっしゃったお客様の年代・会話・購入された本などの記録をされています。 入れ替わり立ち替わりお客様がいらしたことと、雨が降り出したことでじっくり本を選ぶことができなかったのですが、どれもこれも気を惹くものばかりでした。 筆者の図書館司書の友達が、いたく褒めていたのが納得でした。 本へのおもい 「ところで何故、古本をメインにしているのですか?」 「一つには、誰かに大切にされていた本が次の人に回っていく循環に魅力を感じるからです。もう一つは、流行りものの宣伝にまみれた新刊書店より、ひっそりと本が積み上がっている古本屋での本との出会いの方が “ 自分の感覚で選んだ “という実感があり面白かった…という実体験からです。」 なるほど…。 ベースは大学生の頃の古本屋巡りだったのですね。 そしてこんな質問も〜。 「いちばん大切な本はなんですか?」 「いちばん長い期間、定期的に読み返している本は『星の王子さま』です。王子さまとキツネのお話しが大好きです。まわりの人やモノを大事にするとはどういう行為なのか、どんなふうに世界の見え方がかわるのか、美しい言葉で教えてくれます。」 筆者も遠い昔に読んだ本でしたが、このお話を伺い、また読みたくなりました。 羽ちゃんの言葉は、とても人を惹きつけ「読みたい!」気にさせてくれます。 ではもうひとつ。 少し難しい質問を投げかけさせていただきました。 「生き方を決定づけた本はありますか?」 「難しいですが…。平野啓一郎さんの『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本をあげさせていただきます。モラトリアム真っ盛りの大学生時代に読みました。自分のアイデンディティーは確固たるものではなく、他者との関係性の中でうまれる多様なものだという考え方に出会い、“ 自分とは何か?” という内向きの漠然とした悩みに対する執着がうすくなりました。」 う〜む。 深い…。 これもまた俄然読みたくなりました。 あらためて羽地夕夏という人 羽ちゃんはInstagramやnoteに本にまつわるいろいろを書いています。 その中から一部抜粋してみますね〜 『現時点のスタイル→本との一期一会の出会いの場をつくるというスタンスで、毎日本棚を入れ替える。POPをおくなどの装飾はとくにしない。自分の感性で本をえらぶという行為じたいを楽しんでもらいたい。。。と思いながら。』 こちらは移動文庫のスタイルのお話ですね。 おもしろい。 とにかく本と真摯に向き合っている。 そしてもう一話。 『〜前略〜「読書は人生に役立つのか?」というテーマに近づけたい。読書とは「自分で問いをたて、知識を得て、深めていく習慣」と定義してみる。特定のスキルや知識は陳腐化してしまう。だとしたら、せめて今の自分が本当に関わりたいものを、自分でえらべるようになること、ってすごく大事なのでは。。。読書が「自分のものさし」をアップデートしていく手段になるなら、「読書は人生に役立つ」と言えるんじゃ〜〜中略〜〜地理、社会、個人の思想を紐づけてみていくのは終わりがないから面白い。なんの役にたつかはわからないし、時間があるときのお楽しみになっちゃうけど。 今日もよい一日をおすごしください』 こちらは羽ちゃんの読書観。 と、こんな感じで羽ちゃんが発信するInstagramの書評や所感、あるいは考え方は、とてもグッとくる文章ばかり。 それでも物書きではなく、人や本との一期一会を大切にしたいと、売る側を選びました。 最後に地域おこし協力隊卒業後の構想を伺いました。 「拠点としての古本屋(店舗)を持ち、時々移動するというスタイルにしたいと考えています。 同時に、これから製本の勉強もする予定です。その後、絵本作りのワークショップを行ったり、出版のサポートもしたいと考えています。」 本を軸に活動の幅を広げていかれるようです。 今後の活動が楽しみです。 羽ちゃんの発する言葉ひとつひとつが筆者のこころに風を送ってくれた気がしました。 気がつけば秋。 読書を楽しみたいですね。 ―またたび文庫情報― クラウドファウンディングは2024年4月8日まで! 応援はこちらから。 白老でのおもな拠点は蔵、Haku hostel、観光協会(ポロトミンタラ)など。 出店予定は毎月更新されます。 営業時間は11:00~17:00 *出店予定は、Instagramにある月次予定表をご覧ください。 ・しらおい創造空間「蔵」 〒059-0906 白老郡白老町本町1丁目7-5 ・haku hostel+café 〒059-0905 白老郡白老町大町3丁目1-7 ・白老観光協会(ポロトミンタラ) 〒059-0902 白老郡白老町若草町1丁目1-21 Instagram https://www.instagram.com/matatabibunko_hon/ note https://note.com/matatabibunko/m/m10475c2e1abd?nt=magazine_mailer-2022-08-25 買取り情報
Rietty
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06/28(金) 【あの人に会いに】納得いくまで突き進む [あいなさん / 壮瞥]
『臥薪嘗胆』 ―目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。 「曲がったことが嫌い。 筋を通して生きるって言う事と、 根拠のない自信はどこかにある ってスタイルで生きてきたかも」 【あの人に会いに】vol.4 今回は、『美容室AINA.』こと あいなさんにフィーチャーします。 美容師で、東京のど真ん中へ あいなさんは壮瞥町出身。中学生の頃には既に美容師になることを決めていました。「子どもの頃から髪をアレンジするのが好きでした。美容師になるなら東京!と、もう東京しか見えていなかった」 高校卒業後、東京の美容専門学校に進学。卒業後に短期間メイクの学校に通った後、銀座の美容室に就職します。場所柄、メインとなる業務は夜職のママたちのヘアセット。しかし、あいなさんには目指していたところが別にありました。 「憧れていた有名な美容室が、原宿にありまして……」 何事も中途半端が嫌いで、せっかくやるなら一番いいところまで行きたい、という気持ちが強いあいなさん。東京まで出てきたなら、美容師になったなら、”ここまで行きたい” そう思うところがありました。 「その頃の流行がビビットカラー。髪の毛しましまにしたりとか、オレンジ・金・緑って3~4色いれたり、刈り上げたりとか。そんなデザインが好きだったし、その人たちと働きたいなって」 憧れていたものの、ほとんどが新卒採用のみの業界。しかしある時、その憧れの美容室で中途採用枠が出たのです。 「働いていた銀座のお店の先輩が、『あんたなら受かると思うよ』って背中を押してくれたの」 先輩の一言が支えとなり、採用試験を受けることを決意。面接のたびに毎回ヘアスタイルを変えるなど、努力とアピールを惜しみませんでした。 その結果、たった2名の枠で採用!めでたし……かと思いきや、”中途半端が嫌い”なあいなさん、この狭き門の合格を勝ち取ってもなお上を見ていました。配属が決まった店舗では納得できず、一番の有名店である原宿店で働きたい!と入社直後から直談判します。 「今思えば本当にただ生意気……普通はあり得ない、ダメなんですよ、そんなの。でも、ど~しても、ここでは気が済まない!と猛アピールして。憧れのスタイリストが在籍する原宿店に行きたい!と」 その熱意が伝わり、なんと入社後たった3ヶ月で原宿店へ異動が叶います。一流スタイリストはもちろん、アシスタントですらファッション誌に載る人が沢山いるようなお店です。 「下積みですね、がむしゃらに練習してた。仕事終わってから練習して、練習後にモデルハントして(街中で自分のスタイリング練習のためのモデルを探す)、レッスンノート書いて、デッサンして、って寝る暇なく」 結果として、アシスタントの中でも一握りの人しか就くことができない、トップスタイリストのアシスタントにまで辿り着きます。 「おかげさまで、全部見させてもらいました。ファッション誌の撮影現場とか、早朝から撮影の下準備させてもらったり……」 業界の第一線でアシスタントとしての全てを経験することができました。その後ジュニアスタイリストになり、このまま順調に美容師の道を進むかと思いますが……ここで驚きの方向転換に至ります。 諦めきれず、歌の舞台へ 「歌も諦められなくて」 実は、子どもの頃から歌が大好きだったあいなさん。歌の道を進む事を決意します。 「みんなと歌いに行くと楽しくて、やっぱり歌でステージに立ちたいなって」 ここでも、やるならいいところまで行きたい。歌をやると決めたなら、芸能事務所に入るところを目指します。 とはいえ東京で音楽をやっていたわけではなく、ゼロからのスタートでした。 「はじめは仲間探しから。音楽スタジオに行って掲示板のビラを見て……スマホも無い時代だから!!男性ボーカル希望って書いてあるバンドにまで電話して、まず一回練習入らせてくださいって。そうしたら女性だけど気に入ってくれたんだよね」 音楽の好みや雰囲気が合っていたロックバンドに加入し、そこで長く歌っていくこととなります。 お昼は美容師、夜は夜職の方々のヘアメイクに戻り、そして時折ライブハウスでライブをする生活を送りました。活動を続けるうちに事務所からオーディションの話も来ましたが、バンドに愛着があったあいなさんは、ボーカルのみのオーディションを受けられなかったと言います。「このバンドで音楽をやっていたい」と、活動を続けました。 地元・壮瞥で繋ぐ、ご縁の美容室 精力的に音楽活動を続けていきましたが、ハードな生活に不摂生。とうとう身体を壊してしまい、音楽の道は夢半ばで終わりを迎えます。 療養のため一度北海道に帰るも、再び東京に戻ったあいなさん。そしてご縁があり、30歳のときに出産。転機は子どもが2歳になるとき。シングルマザーとなり、壮瞥町に戻ることを決めました。 「東京に居たいと思っていたけど、ひとりで育てるには厳しくて……選択肢が無かった」 あいなさんのご実家は壮瞥町。祖父の代から商店を営んでいました。もちろん、町での知名度はバッチリです。 「育った環境上知っている人も多いから、肩身狭く感じていたというか……。周りの目があるから、娘としてもママとしても、ちゃんとしなきゃ、みたいな。自由にいられないなと」 窮屈さを感じていたあいなさんが、壮瞥町をまた好きになっていけたのは、人との出会いが大きかったと言います。 「本当に、ママ友と、この美容室のゆみさんとの出逢いだね。この方達がいなければ、壮瞥ではやっていけなかった」 美容室AINAとしてオープンした今の美容室は、元はゆみさんという別の美容師さんが営んでいたお店でした。あいなさんは壮瞥に帰って来てから、ゆみさんの美容室に通っていたそうです。 「ゆみさんは、子ども共々お世話になった人」 大切な人からのバトンを繋ぎ、生まれ故郷の壮瞥町でお店を開くこととなりました。 「洞爺湖が好きで、温泉街でお店を開きたいと思っていて……まさか壮瞥でお店をやるとは思ってもみなかった。でも、ゆみさんへの想いとご縁でここで始めて、本当にたくさんの人からずっと応援してもらっているなって」 お店のオープン時には沢山のお花が届き、多くの人に支えられていることを実感したそうです。お店のインスタグラムには感謝の言葉がずらりと綴られています。 これからは”健康” のことを伝えていきたい 2024年3月に無事にお店をオープンしたばかりですが、今後はどんな展望があるのでしょうか。 「自分自身、身体を壊したことから健康オタクで。東京の時だけでなく、北海道に帰って来てからも身体に出て。骨盤が痛くて眠れなかったりとか。自分の身体の不調は、息子にも悪影響。本当にボロボロで……40歳まで生きられないかも、そしたら息子はどうしようとか、ずっと不安に思っていた」 今のエネルギッシュなあいなさんからはとても想像ができませんが、疲れが取れない、アレルギー、痛みからの不眠、等々……様々な身体の問題に悩んできたそうです。ヨガ、体操、骨盤矯正、とにかく端から端まで色々なものを試し、最終的に辿り着いたのは『栄養学』。独学で勉強、更にオンラインで先生と学んでいるそう。今後はしんどそうな悩める女性を助けていきたいと考えているそうです。 「中途半端が嫌いと言いつつ、方向転換してきているから中途半端になっていたと思うこともあるし……自分に自信が持てなかったときもある。けど、その時その時でがむしゃらにやってきたから、全て無駄にはならずに今に繋がっていると思う」 美容師も、歌の道も、本気で全力で突き進んだからこそ辿り着いた”今”のあいなさん。 悩める女性の皆さんは特に、パワフルなあいなさんにぜひ一度会いに行ってみてください! 美容室は壮瞥町役場 山美湖 の目の前というわかりやすい立地!美容室のご予約は電話とインスタグラムのDMで受け付けています。 美容室AINA 営業時間:月~金 8:30~18:00 / 土 8:30~17:00 定休 :日曜日&第1・3月曜日 電話 :0142-66-2527 場所 :壮瞥町滝之町284 (壮瞥町役場 山美湖の前)
misaki
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02/10(土) “ 一直線の縦糸 ” 〜 「手ぬぐい工房 さくら」代表 咲良あき の生き方
待ち合わせ場所を訪れると、華奢でたおやかな女性が立っていました。 その立ち姿が手ぬぐいを染めるという作家さんのイメージと重なり、「きっとあの方だ!」と直感したのですが…。 取材はまさかの展開になっていきました。 『手ぬぐい工房 さくら』代表の咲良あきさんは、2020年8月1日に洞爺湖が見える町に移住し、2021年11月には工房を開かれました。 すごいスピード感です。 「ただただ好き!というだけで突っ走ってきました」。 それまでの18年間は大阪で接客業に就かれていたそう。 最前線での接客業を退いた後は、運営・人事・教育などを担当されていたそうです。 まさにキャリアウーマンとして奔走されていました。 「順風満帆で活躍されていたように見えますが、なぜ、そのお仕事を辞めて洞爺湖へいらしたのですか?」 「ほかにどうしてもやりたいことがあったのです。ところが、会社を辞めた直後の世界的なコロナ禍。その時はその道を断念せざるを得ませんでした。洞爺湖に移住したのは、仲間が先に来ていたからです」。 「ところで、その、どうしてもやりたかったことって何ですか?」 「250kmのレースです!」 「え?え〜っと…それは、車のレースですか?」 「いえ、テント以外の1週間分の食料や装備、水を背負って走る自給自足のレースです。1週間で250kmを走ります。 会社を退職した時に目指していたのは2020年4月にアフリカのナミブ砂漠で開催されるレースでした」。 その突拍子もない答えに、目が点になりドギマギする筆者…。 詳しくお聴きするうちに、『手ぬぐい』とはどんどんかけ離れて行ってしまいそうになりました。 そしてさらに、筆者の混乱に追い討ちをかけるようなお話も飛び出しました。 「21歳の時にうつ病を発症し、その後は癌、バセドウ病になりました。 大病をし、治療を受けながら仕事を続ける中で気づいたのは、『明日が当たり前にあると思ってはいけない』ということでした。やりたいことがあってもやらない理由を探し、今度にしよう!と後回しにしていたことが多かった…。 だから、病気がわかった時、命あることへの限りない感謝と共に、『やりたいと思ったらやる』『会いたいと思ったら会う』と心に決めました。そんな時に『250kmアドベンチャーレース』の存在を知りました。 『このレースに出たい!』と瞬間的にそう思いました。強い想いはそれを引きつけると言いますが、その後、まさにそのレースに挑戦している人と出会ってしまったのです」。 そんなまるで一話のドラマのような出会いを経験し、主治医からレース出場の承諾書をもらい、トレーニングを重ね、咲良さんはニュージーランドで行われたレースに出場を果たしました。 けれども結果は、レース2日目でタイムアウトによるリタイアをしてしまいました。 →その時の様子をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」で観られます。(現在期間限定でYouTube にて無料公開中) https://www.youtube.com/watch?v=v5i6MBXc4Zw&t=4042s そして、リベンジをしようと目指したナミブ砂漠大会がコロナ禍により中止。 世界情勢など様々な理由が重なり、未だ再挑戦できていない状況が続いていると言います。 「それにしても病気が完治しない状態でなぜ、そのような過酷なレースにチャレンジしようと考えたのですか?」 「そのレースの存在を知った時、『元気になってこのレースで走りたい!』と1%ワクっとした気持ちを感じた自分に正直になりたかった。と同時に、その頃は自分の病気を人生の汚点だと思って生きていたので、私の挑戦が誰かの勇気に繋がるとしたら是非とも挑戦したいと思いました」。 あまりにも壮絶・壮大すぎて、お話しについて行くのに必死でしたが、次第に咲良さんと筆者の共通点・共感点が増えて行くのを感じていました。 「若い頃は一人旅が好きでした。手ぬぐい好きになったのはその頃です」。 訪れる先々で手ぬぐいを購入することが、 旅の一つの大切な目的にもなっていたそう。 「竹富島が大好きでよく通っていました」。 海好き、島好きも共通点です。 「はじめて手ぬぐいに出会ったのは2016年に瀬戸内国際芸術祭を訪れた時でした。 もともとアートには興味がありました。ただ、そこで手ぬぐいを手に入れたのは良いのだけれど、一体どうやって使うの?買ったけど私本当に使うの? そんな自問もあり、手ぬぐいの使い方などについて色々調べたりしていました。 ところがいざ使ってみるど、使うほどに洗うほどに柔らかく優しい肌触りになっていく。 そんな手ぬぐいがもう可愛くて可愛くて!すっかりとその魅力にはまってしまいました。集めた手ぬぐいは100枚くらい。それらの手ぬぐいたちは、その時の旅の記憶が蘇る愛おしい存在であり、ホッとする存在になっていきました」。 「なるほど。手ぬぐいとの出会いはわかりましたが…、なぜそれが作家への道へと進んで行かれたのですか? 全く異業種のご出身なのに…」。 「洞爺湖に移り住んだ時、いつもの旅先のようにお気に入りの手ぬぐいを探す中、洞爺湖の手ぬぐいはまだ買っていないということを友人に話したら、『自分で作ればいいじゃない?』 と言われました。なるほどそうか!やってみよう!となったのです」。 「え?そんなに簡単にやる気になったのですか?」 自らを猪突猛進型と認める咲良さん。 ここでも、やりたいからやる!となったわけです。 「先の計算ができない性質なんです笑 思ったら一直線だから」。 ああ…。 なりふり構わず。 計算せず。 一直線に突っ走る。 なんだか筆者と同じ匂いがすると思ったのは、どうやらこういうところだったようです。 染めについて並々ならぬ努力で独学をし、着実に実力を伸ばしてきた咲良さんは、ワークショップなどで講師活動も始めました。誰かに何かをレクチャーすることは、前職時代に培ったスキルでした。 内容が変わっても、楽しくわかりやすく伝えるスキルは共通していたのでしょう。 「染めの技術は学べたとしても、デザインセンスはそう簡単には育ちませんね。 何か芸術的なバックボーンをお持ちなのですか?」 「アートには元々興味がありましたので、手ぬぐいとの出会いの場となった瀬戸内国際芸術祭を訪れたわけです。 実は子供の頃からバレエをしておりまして、仕事としてジャズダンスのダンサーだった時期もありますし、ネイリストだった時期もあります。 もしかしたら芸術的に表現することの素地はあったのかもしれません」。 染めの原料は、環境に優しいベンガラを用いているそうです。 仕入れ先は、地元大阪。 生地もまた大阪から浴衣にも使用されている、手ぬぐい生地の『特岡』を用いているそうです。 「きめ細かい織り目が特徴の生地です。けれども使い込むほどにどんどん柔らかく優しく育っていく素材なのです」。 手ぬぐいが育つ。 素敵な言葉です。 なるほど。 手ぬぐい作家としての顔。 250kmレースのランナーとしての顔。 それぞれについては理解できましたが、今一つそれを繋ぐ糸が見つからず、さらに取材を続けさせていただきました。 …というよりも、咲良さんの生き方に強い興味を覚え、 もうすでに取材の域を超えていた筆者でした…。 すると、再び壮大なテーマを口にされた咲良さん。 「私、子どもの頃から『平和』にものすごく興味がありました。 小学生の時にイランイラク戦争が起こり、戦争や平和についての新聞の切り抜きを集めていた記憶があります。 その理由の一つには、学校が平和教育に熱心な学校だったこともあります。 今は、残された人生は平和に繋がることにも関わりたいとも考えています」。 またもや新たな情報に混乱する筆者…。 と、ここで、これまでの咲良さんのお話しを整理してみました。 ・病に向き合った20年間 ・旅を通した手ぬぐいとの出会い ・手ぬぐいの糸が手繰り寄せる旅の思い出 ・命への感謝と賛歌 ・平和への祈りを手ぬぐいに託す活動 ・当たり前ではない明日と今日への感謝 ・アート活動としての自己表現である染め ・誰かの勇気に繋がるならばと挑戦した250kmレース 取材中、急いで頭の中で整理し終えた後。 あ! 見えた! そう感じた瞬間がありました。 それは、咲良さんがバックの中に持参されていた ご自身が染めた普段使いの手ぬぐいに触れさせていただいた時でした。 その手ぬぐいは、横糸、縦糸がしっかりと織られているパリッとした『特岡』の生地で作られていました。 咲良さんが言うように、きっと洗うほどに肌に馴染んでいくのだろうと想像できる触り心地でした。 指への糸の感触を確かめた時、縦横直線の糸が織りなす手ぬぐいそのものこそが “ 咲良あき” だと気づきました。 一見器用そうに見える多才な方ですが、病気がちな華奢な体で、何にでもまっすぐ命懸けで取り組んできた1本1本の縦糸そのものが” 咲良あき “ であり、それぞれのシーンで彼女を支えてきた人々は横糸そのものであるということを。 一枚の布となったときの、そのしなやかさと、芯の強さ。 そして染めるという技法でさらなる命と愛を吹き込まれた『さくら工房の手ぬぐい』こそが ” 咲良あき “ なのだということを。 そして、それはきっと、真っ直ぐに平和に繋がっていくということを。 触れさせていただいた手ぬぐいから感じ取っていました。 最後にあきさんはこう話してくれました。 「平和についても命についても、 当たり前の未来はないと手ぬぐいを通して伝えたいですし、対象がなにであっても『大切』にする心を手ぬぐいを通して伝えたいと考えています。 染める時にはその一枚一枚を手にしてくださる方に寄り添えますようにと祈りを込めています」。 丁寧な語り口調で話してくださった1時間。 心が洗われたような取材の時間となりました。 ―手ぬぐい工房 さくら 情報― 代表 咲良あき(さくらあき) Instagram https://www.instagram.com/sakura.tenugui オンラインショップ https://sakurahappy.thebase.in/ [起業講座について準備中] ホームページや名刺・チラシなどの作製、イベント出展やワークショップ開催方法、起業するためのマインドが学べる『ハンドメイド作家さん向けの起業講座』をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」監督・プロデューサー小泉雅央と共に準備中。 *開催日程など詳細は【手ぬぐい工房 さくら】のInstagramでお知らせ予定
Rietty
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