
明るく元気な町づくり 洞爺湖町
虻田神社例大祭
虻田神社例大祭、神輿渡御の先導車で町内広報しました。
こんにちは。しもみち英明です。
虻田神社例大祭神輿渡御、先導車の広報案内を担当。
2年連続、コロナ感染症の影響で例大祭の神事等を大幅に簡素化して諸行事を実施。
神輿渡御では、虻田地区の自治会区分で20か所を回りました。
海上渡御も開催予定でしたが、波が高く中止。
本来なら担ぎ神輿、稚児行列、余興行事、露天出店、パークゴルフ大会を実施ていましたが中止となり、来年開催できることを祈って神輿渡御神事を実施。
虻田神社は、1804年に御創祀された古い神社です。
羊蹄山から富士山を直線で結ぶ線に虻田神社の鳥居があり、パワースポットの神社として、知る人ぞ知る神社です。
8年前の自分のブログに虻田神社のパワースポットを取り上げています。アクセスしてくださいね。
→「 虻田神社はパワースポットだ! 」
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
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05/02(日) 温めつづけた想い。「鹿の子」は夢のかたち
2021年5月1日 オーナーさんのお言葉をお借りすれば…。 壮瞥町に「ひっそりと」オープンされたのは、雑貨屋「鹿の子(かのこ)」さんです。 若い頃から雑貨好きで、収集もされていたというオーナーの三松こずえさん。 いつの日か自分の雑貨屋をもちたい! 壮瞥町の子育て支援センターにて保育士のお仕事をされながら、夢をあきらめずにいた 三松こずえさんは、この度、念願の雑貨店をオープンさせました。 このときはまだちょっと緊張した面持ちでした♡ どうやらこちらの店舗、ご自宅とひと続きのようです…。 はじめから店舗付き住宅として建てられているのでは? そう、奥様の夢を知る旦那様のご協力があってのこととお見受けいたしました。それを証拠に、取材中もせっせと外回りを整備する旦那様がいらっしゃいました♡ オープン初日は奥様を心配する旦那様の方が、そわそわと落ち着かないご様子に思わずほっこり ^^ アンティーク雑貨も並びます。 電笠も素敵。 有珠山ジオパーク友の会手工芸部会の作品も並びます。 お取扱い商品は、ガラス製品・「po-to-bo-」の陶製アクセサリー・「エル・ディマンシュ」のはがき・リネン・生活雑貨・絵本・アンティーク雑貨など、こずえさんのお気に入りのものたち。 ガラスでも陶器でも不思議な温かさを持っています。 きっと、こずえさんの温かさが商品にも映っているのだと思います po-to-bo-の陶器アクセサリー ハリオのアクセサリー こちらもハリオ アンティークガラス雑貨とリネン さてさて。 皆様、ここでちょっと「子鹿のお尻」と入れて検索してみてください♪ すると、とっても可愛い子鹿のお尻画像がいろいろ現れますよね? いかがでしょうか? キュンとなるほど可愛いでしょ? 思わず触れたくなるでしょ? とても癒やされるでしょ? エルディマンシェのはがき。 実はこれこそが「鹿の子」さんが目指すところなのです。 そこに存在するだけでほんわか癒やされる。 保育士さんならではの視点のような気がします。 響きも可愛いですし。 洞爺湖や昭和新山がある美しい景観のなか、小さな店ながらもホッとする空間でありたい。 特にいまコロナ禍で、人の心までもが殺伐としたものになりそうな空気にあって、「鹿の子に行くと落ち着くよね。癒やされるよね。」と、人々が自然と足が向いてしまう。 そんな肩の力が抜けて息抜きができる空間でありたい。 それが、こずえさんの想いなのです。 お友達からのお花もたくさん。 「今はオープンできたことが嬉しくて先のことはあまり考えられないですが、将来は、作家物の展示会などもできたらいいななんて思っています。」 と、恥ずかしそうに笑い、そして続けた言葉。 「ひっそりと、のんびりと出来たら嬉しいです。」 あくまでも控えめなこずえさんです。 きっと、そんなお人柄に惹かれたお客様が、くつろぎの場として訪れることと思います。 絵本のなかに入り込んだような「鹿の子」さん。 シンプルで優しく可愛いものたちに目移りしますが、一番可愛く魅力的なのは こずえさんでした。 ゆっくりと流れる時間を、皆様もお楽しみくださいね。 店舗情報: 雑貨屋「鹿の子」 北海道有珠郡壮瞥町字壮瞥温泉81-37 営業日 土・日・祝日 ★不定休ありますので、Instagram や Googlemap でご確認ください。 電話 0142-82-3700 mail kanokotokonoka@gmail.com ※地図修正しました(2021.05.03 編集部) ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)。 ※シェア、リンク大歓迎です!
Rietty
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06/02(金) 『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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02/10(土) “ 一直線の縦糸 ” 〜 「手ぬぐい工房 さくら」代表 咲良あき の生き方
待ち合わせ場所を訪れると、華奢でたおやかな女性が立っていました。 その立ち姿が手ぬぐいを染めるという作家さんのイメージと重なり、「きっとあの方だ!」と直感したのですが…。 取材はまさかの展開になっていきました。 『手ぬぐい工房 さくら』代表の咲良あきさんは、2020年8月1日に洞爺湖が見える町に移住し、2021年11月には工房を開かれました。 すごいスピード感です。 「ただただ好き!というだけで突っ走ってきました」。 それまでの18年間は大阪で接客業に就かれていたそう。 最前線での接客業を退いた後は、運営・人事・教育などを担当されていたそうです。 まさにキャリアウーマンとして奔走されていました。 「順風満帆で活躍されていたように見えますが、なぜ、そのお仕事を辞めて洞爺湖へいらしたのですか?」 「ほかにどうしてもやりたいことがあったのです。ところが、会社を辞めた直後の世界的なコロナ禍。その時はその道を断念せざるを得ませんでした。洞爺湖に移住したのは、仲間が先に来ていたからです」。 「ところで、その、どうしてもやりたかったことって何ですか?」 「250kmのレースです!」 「え?え〜っと…それは、車のレースですか?」 「いえ、テント以外の1週間分の食料や装備、水を背負って走る自給自足のレースです。1週間で250kmを走ります。 会社を退職した時に目指していたのは2020年4月にアフリカのナミブ砂漠で開催されるレースでした」。 その突拍子もない答えに、目が点になりドギマギする筆者…。 詳しくお聴きするうちに、『手ぬぐい』とはどんどんかけ離れて行ってしまいそうになりました。 そしてさらに、筆者の混乱に追い討ちをかけるようなお話も飛び出しました。 「21歳の時にうつ病を発症し、その後は癌、バセドウ病になりました。 大病をし、治療を受けながら仕事を続ける中で気づいたのは、『明日が当たり前にあると思ってはいけない』ということでした。やりたいことがあってもやらない理由を探し、今度にしよう!と後回しにしていたことが多かった…。 だから、病気がわかった時、命あることへの限りない感謝と共に、『やりたいと思ったらやる』『会いたいと思ったら会う』と心に決めました。そんな時に『250kmアドベンチャーレース』の存在を知りました。 『このレースに出たい!』と瞬間的にそう思いました。強い想いはそれを引きつけると言いますが、その後、まさにそのレースに挑戦している人と出会ってしまったのです」。 そんなまるで一話のドラマのような出会いを経験し、主治医からレース出場の承諾書をもらい、トレーニングを重ね、咲良さんはニュージーランドで行われたレースに出場を果たしました。 けれども結果は、レース2日目でタイムアウトによるリタイアをしてしまいました。 →その時の様子をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」で観られます。(現在期間限定でYouTube にて無料公開中) https://www.youtube.com/watch?v=v5i6MBXc4Zw&t=4042s そして、リベンジをしようと目指したナミブ砂漠大会がコロナ禍により中止。 世界情勢など様々な理由が重なり、未だ再挑戦できていない状況が続いていると言います。 「それにしても病気が完治しない状態でなぜ、そのような過酷なレースにチャレンジしようと考えたのですか?」 「そのレースの存在を知った時、『元気になってこのレースで走りたい!』と1%ワクっとした気持ちを感じた自分に正直になりたかった。と同時に、その頃は自分の病気を人生の汚点だと思って生きていたので、私の挑戦が誰かの勇気に繋がるとしたら是非とも挑戦したいと思いました」。 あまりにも壮絶・壮大すぎて、お話しについて行くのに必死でしたが、次第に咲良さんと筆者の共通点・共感点が増えて行くのを感じていました。 「若い頃は一人旅が好きでした。手ぬぐい好きになったのはその頃です」。 訪れる先々で手ぬぐいを購入することが、 旅の一つの大切な目的にもなっていたそう。 「竹富島が大好きでよく通っていました」。 海好き、島好きも共通点です。 「はじめて手ぬぐいに出会ったのは2016年に瀬戸内国際芸術祭を訪れた時でした。 もともとアートには興味がありました。ただ、そこで手ぬぐいを手に入れたのは良いのだけれど、一体どうやって使うの?買ったけど私本当に使うの? そんな自問もあり、手ぬぐいの使い方などについて色々調べたりしていました。 ところがいざ使ってみるど、使うほどに洗うほどに柔らかく優しい肌触りになっていく。 そんな手ぬぐいがもう可愛くて可愛くて!すっかりとその魅力にはまってしまいました。集めた手ぬぐいは100枚くらい。それらの手ぬぐいたちは、その時の旅の記憶が蘇る愛おしい存在であり、ホッとする存在になっていきました」。 「なるほど。手ぬぐいとの出会いはわかりましたが…、なぜそれが作家への道へと進んで行かれたのですか? 全く異業種のご出身なのに…」。 「洞爺湖に移り住んだ時、いつもの旅先のようにお気に入りの手ぬぐいを探す中、洞爺湖の手ぬぐいはまだ買っていないということを友人に話したら、『自分で作ればいいじゃない?』 と言われました。なるほどそうか!やってみよう!となったのです」。 「え?そんなに簡単にやる気になったのですか?」 自らを猪突猛進型と認める咲良さん。 ここでも、やりたいからやる!となったわけです。 「先の計算ができない性質なんです笑 思ったら一直線だから」。 ああ…。 なりふり構わず。 計算せず。 一直線に突っ走る。 なんだか筆者と同じ匂いがすると思ったのは、どうやらこういうところだったようです。 染めについて並々ならぬ努力で独学をし、着実に実力を伸ばしてきた咲良さんは、ワークショップなどで講師活動も始めました。誰かに何かをレクチャーすることは、前職時代に培ったスキルでした。 内容が変わっても、楽しくわかりやすく伝えるスキルは共通していたのでしょう。 「染めの技術は学べたとしても、デザインセンスはそう簡単には育ちませんね。 何か芸術的なバックボーンをお持ちなのですか?」 「アートには元々興味がありましたので、手ぬぐいとの出会いの場となった瀬戸内国際芸術祭を訪れたわけです。 実は子供の頃からバレエをしておりまして、仕事としてジャズダンスのダンサーだった時期もありますし、ネイリストだった時期もあります。 もしかしたら芸術的に表現することの素地はあったのかもしれません」。 染めの原料は、環境に優しいベンガラを用いているそうです。 仕入れ先は、地元大阪。 生地もまた大阪から浴衣にも使用されている、手ぬぐい生地の『特岡』を用いているそうです。 「きめ細かい織り目が特徴の生地です。けれども使い込むほどにどんどん柔らかく優しく育っていく素材なのです」。 手ぬぐいが育つ。 素敵な言葉です。 なるほど。 手ぬぐい作家としての顔。 250kmレースのランナーとしての顔。 それぞれについては理解できましたが、今一つそれを繋ぐ糸が見つからず、さらに取材を続けさせていただきました。 …というよりも、咲良さんの生き方に強い興味を覚え、 もうすでに取材の域を超えていた筆者でした…。 すると、再び壮大なテーマを口にされた咲良さん。 「私、子どもの頃から『平和』にものすごく興味がありました。 小学生の時にイランイラク戦争が起こり、戦争や平和についての新聞の切り抜きを集めていた記憶があります。 その理由の一つには、学校が平和教育に熱心な学校だったこともあります。 今は、残された人生は平和に繋がることにも関わりたいとも考えています」。 またもや新たな情報に混乱する筆者…。 と、ここで、これまでの咲良さんのお話しを整理してみました。 ・病に向き合った20年間 ・旅を通した手ぬぐいとの出会い ・手ぬぐいの糸が手繰り寄せる旅の思い出 ・命への感謝と賛歌 ・平和への祈りを手ぬぐいに託す活動 ・当たり前ではない明日と今日への感謝 ・アート活動としての自己表現である染め ・誰かの勇気に繋がるならばと挑戦した250kmレース 取材中、急いで頭の中で整理し終えた後。 あ! 見えた! そう感じた瞬間がありました。 それは、咲良さんがバックの中に持参されていた ご自身が染めた普段使いの手ぬぐいに触れさせていただいた時でした。 その手ぬぐいは、横糸、縦糸がしっかりと織られているパリッとした『特岡』の生地で作られていました。 咲良さんが言うように、きっと洗うほどに肌に馴染んでいくのだろうと想像できる触り心地でした。 指への糸の感触を確かめた時、縦横直線の糸が織りなす手ぬぐいそのものこそが “ 咲良あき” だと気づきました。 一見器用そうに見える多才な方ですが、病気がちな華奢な体で、何にでもまっすぐ命懸けで取り組んできた1本1本の縦糸そのものが” 咲良あき “ であり、それぞれのシーンで彼女を支えてきた人々は横糸そのものであるということを。 一枚の布となったときの、そのしなやかさと、芯の強さ。 そして染めるという技法でさらなる命と愛を吹き込まれた『さくら工房の手ぬぐい』こそが ” 咲良あき “ なのだということを。 そして、それはきっと、真っ直ぐに平和に繋がっていくということを。 触れさせていただいた手ぬぐいから感じ取っていました。 最後にあきさんはこう話してくれました。 「平和についても命についても、 当たり前の未来はないと手ぬぐいを通して伝えたいですし、対象がなにであっても『大切』にする心を手ぬぐいを通して伝えたいと考えています。 染める時にはその一枚一枚を手にしてくださる方に寄り添えますようにと祈りを込めています」。 丁寧な語り口調で話してくださった1時間。 心が洗われたような取材の時間となりました。 ―手ぬぐい工房 さくら 情報― 代表 咲良あき(さくらあき) Instagram https://www.instagram.com/sakura.tenugui オンラインショップ https://sakurahappy.thebase.in/ [起業講座について準備中] ホームページや名刺・チラシなどの作製、イベント出展やワークショップ開催方法、起業するためのマインドが学べる『ハンドメイド作家さん向けの起業講座』をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」監督・プロデューサー小泉雅央と共に準備中。 *開催日程など詳細は【手ぬぐい工房 さくら】のInstagramでお知らせ予定
Rietty
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