■50年も経つと
私達が高校を卒業して、今年が50年目だと友人が言っていた。そんな時に同期会の案内が来た。 今回の幹事は友人で従兄でもあるH君である。
当日は新宿の京王プラザホテルに同級生の80名が集合した。集まったのは68歳と69歳のオヤジというべきか、ジジイばかりであった。
我々は中学・高校の6年間を一緒に過ごしたので、みんな親しい。
京王プラザホテルからの夜景
顔を見て分からない男は居ない。・・・と思っていたら、いた。胸から下げた名札を見て、やっと分かる男もいる。
50年は人の顔つきや、体つきを大きく変えてしまうものなのである。
同じ小金井に住んでいるK君は、なんと50年ぶりで会った。
3人の先生が出席したが、この年になると先生と生徒の見分けは難しい。恩師より老けて見える男もいるからである。
一緒に卒業した仲間は200人くらいだが、その内の38名が既に鬼籍に入ってしまった。
嵐山光三郎くんの乾杯の音頭
作家の嵐山光三郎君の乾杯の音頭で、パーティが始まった。
彼は作家なので拘りがあるらしく、作家スタイルで登場した。それは足元を見れば分かる。いまどき珍しい下駄履きなのである。
私が下駄履きでホテルに入れば、支配人が飛んで来て、靴かスリッパに履き替えるように言われるに違いない。
下駄履きと、T君の作る清酒「金婚」
ところで、今回の同級会の準備をしてくれたH君は、当日は欠席であった。
その理由は、「胃癌が発見されて、手術の為に緊急入院した」とのことであった。卒業して50年も経つと、そんなことも起きるのである。
(おまけの話)
宴会が始まる前に、同級生による講演会があった。
講師は国立癌センター名誉総長の垣添忠生君である。
彼は人生の全てを癌に捧げて来た男である。
当然、日本では癌の第一人者である。
そんな彼も奥さんを癌で亡くしているし、自身も癌患者であった。
そんな体験も含めて、癌に関して1時間の講演を行った。
垣添忠生くんの講演
日本では死ぬ人の3分の1は、癌が死因だそうだ。
そして2分の1が癌になると言う。
これでは癌から逃げることは不可能に近い。
私も癌から逃げられなかったが、ボケるよりは良いのではないか?
他にもまだ講演をするような名士が何人かいるので、60周年の時は彼らに頼もう。
でも、そこまでお互いが生きていられるか?
この年になる、そんなことが問題となるのである。