■静かに過ぎる時間を1人楽しむ
朝から女房が用事があって出掛けて行った。 私は1人で留守番となり、ラーちゃんと一緒にゆっくりと過ごすことになった。
私の部屋でラジオを聞きながら、久し振りに仏像彫刻をしていた。和室のガラス越しに庭の大きな柿の木が見える。
たわわに実った柿をいつものように尾長が突っついて食べている。
障子には今朝、女房が干した洗濯物の影が淡く写っている。ただ静かに時だけが過ぎて行く。何事も起きない。
なんだか小津安二郎の映画の場面のようだ。
そんな静かに過ぎる時間を楽しんでいたが、ふっと気が付いた。これだけ沢山の柿を全て鳥に食べられてしまうのも勿体ないなー。
そこで、急に思い立って、干し柿を作ろうという気になった。そこが貧乏性の私なのである。
テレビショッピングで買って置いてあった伸び縮みする高枝切りで枝を切る。
生食用に4個、干し柿用に柿を6個を採った。
その6個を包丁で剥いて、それからどうしたものか考えた。
干している時に雨が降ることもあるだろう。
そんな日は、取り込めるようにした。
荷造り用ビニールテープで柿の枝の端を縛り、反対側は洗濯屋から来るワイシャツの簡易ハンガーに3個づつ留めて吊るした。
手作り干し柿
それを2セット作り、物干し竿に架けてみたら、かなり絵になっている。どの位の日数で完成するのか分からないが、これからが楽しみだ。
こうやって1日が過ぎて行く。
今日も明日も特にやらねばならないこともない。
どうしてもやらなければならない日課は、朝のゴミの選別とゴミ出しくらいだ。
やらなければならない事に追われていた現役の日が懐かしいが、そうかといってそこへ戻りたくはない。
こうやって年を取って行くのだなーと思う。
でも、それもいつまでもは嫌だ。
私の母のように、『ある朝、家人が起きたら死んでいた』という風になりたい。
(おまけの話)
夕方になり女房が出先から戻って来た。
その手には買って来たお茶菓子を持っているのが見える。
『帰り道にパン屋でシベリアを売っていたので買って来た』と言う。
今の若い人はシベリアと言えば、ロシアのことだと思うはずである。もしかしたら、伊達の人はシベリヤ抑留を連想するかもしれない。
シベリア
これはお菓子である。
しかも和菓子か洋菓子かの区別もハッキリしない中途半端なお菓子である。
カステラとカステラの間に羊羹が挟まっている。
私の子供の頃は普通のお菓子であった。それがいつの間にか消えてしまった。
それが最近になりまた復活して来たのはテレビの影響かもしれない。
伊達の和菓子屋の久保で『中華』というお菓子を初めて見た時はビックリした。
それと同じように伊達では『シベリア』でビックリする人がいるはずである。伊達のKさん、知っていましたか?
そのシベリアを食べながら、北海道がその日は11月では20年振りという寒さのマイナス22度の気温だったとテレビのニュースが知らせているのを見ていた。
北の湘南はどうであったか?
話題としてはお菓子の名前にピッタリであったのが可笑しい。