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[2011.05.24]
■同じ釜の飯を食った仲間 
47年前にニューヨークで一緒に働いていた友人達が、引越し先の我が家にやって来た。 
 
当時、一緒に働いた仲間は15人だったが、この年になると色々と事情が出て来て、平日の昼間でも来られるという幸せな条件の5人が集まった。 
 
22歳の元気な盛りに野心を持ってニューヨークに渡った仲間達は、将来はどんな大物になるのだろうかと私は秘かに期待していた。 
それは自分にも当てはまるのであるが・・・。 
 
自由の女神(ニューヨーク) 


一般的に考えれば、みんなかなり成功していると言える。 
上場会社の社長や役員になった者や、中小企業の社長もいる。だが、世間に名前を知られるほどの成功者は出なかった。でも、みんな「内福」である。 
 
昼食は竹若で(築地) 
 
関西では「内福」と言って、「あまり目立たないが、内実は豊か」であることを良しとするようだ。 
これは関西系の父親を持った女房から聞いた。 
 
引退オヤジ達の話は原発から始まって民主党政権の話となり、最後は年金の話になった。 
その話を聞いて、私は羨ましくなってしまった。 
 
歩いて家まで(晴海通りを勝鬨橋へ) 
 
M君と私を除いた3人は、なんとアメリカ政府からの年金も受け取っている。 
しかもドルで送金されるので、これからの円安傾向を考えると、ドンドンと支給額が増えそうである。 
 
この5人は、ニューヨークで「同じ釜の飯を食った」仲間である。 
アメリカだから、「同じテーブルで飯を食った」というべきかもしれない。英語にそういう言い方はあるのかなー? 
 
ニューヨーク世界博覧会の日本館(HOUSE OF JAPAN) 
 
(おまけの話) 
我が家で暫く過ごした後に、みんなで銀座に繰り出した。 
「繰り出した」という言葉を最近は聞かなくなったが、あれはまだ日本が絶好調の時代の言葉なのだろうか? 
 
銀座にはNY時代を一緒に過ごしたダンボちゃんがいる。 
彼は私よりかなり年上だが、まだ銀座でバー「ダンボ」を開いている。 
 
昨年に行った時にダンボちゃんは『来年の春で店を閉める』と言っていたのだが、常連さん達に引き留められて、いまも渋々やっている。 
 
銀座金春通りにあるバー「ダンボ」 
 
今回はもう最後と思い、女房も一緒にダンボへ連れて行った。 
半畳くらいの狭いバーカウンターの中から、40年以上もお客の人生を見て来たダンボちゃんの言葉は重い。 
 
こんなに本格的な洒落たバーが、銀座から消えてしまうのは残念である。 
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▼コメント(1)
名前:shinji  2011.05.24 10:01:35
感慨深いものがありますねえ。 人生をフラッシュバックで見るようですね。  
 
銀座ダンボにもこの秋に是非行ってみたいですが、まだやっているかどうか、わかりませんね。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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