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[2012.03.21]
■稀と言われても・・・ 
この3月で70歳になってしまった。 
私の父は56歳でアチラへ行ってしまったので、オヤジの年より14年も長生きしてしまった。 
 
70歳は「古希」というそうだ。 
それは「人生七十年 古来稀なり」という杜甫の「曲江」の中の詩から出た言葉だそうだ。 
 
今じゃ珍しい町の材木屋 


いまじゃ、70歳なんてその辺りにゴロゴロいるし、見た目が若いので誰が古希だか分からない。 私の同級生もみんな古希を過ぎた。 
 
まだ働いている男もいるし、アチラへ行ってしまった男もいるし、いまだに悟らない男もいる。 
昔は「美しく年をとる」ということが言われたような気がするが、今じゃそんな言葉は聞かなくなった。 
 
見捨てられたような深川の民家 
 
元気過ぎる古希オヤジ、オババが増えて、世の中の落ち着きが無くなったように思う。 年寄りは我儘で自分勝手な人が多く、その上に頑固になる。 
 
早死にすると、「惜しまれる」。 
長生きすると、「うとまれる」。 
100歳を超えると「祝われる」。 
 
引退して100歳になるまでは、ジジイは「うとまれる」だけである。 
この期間が長く、年金問題、健康保険問題など、現役の人達に迷惑を掛け続ける。 
 
「深川めし」の店 
 
還暦の時は家族が祝ってくれそうになったが断った。 
あの頃から見れば、確実に体力・知力・聴力・視力は落ちて来た。 
古希の祝いは、引っ越し1周年記念と一緒だった。 
 
年寄りの良いところを一生懸命になって探してみた。 
その結果は、「なにもない」。 なんだか悲観的になって来た。 
なんとか元気なジジイ達が、世の中のお役に立てることはないのだろうか? 
 
昔はよくあった町の鉄工所 
 
(おまけの話) 
私はいつでも思っているが、「十分に人生を生きて来た。いつお迎えが来ても悔いは無い」。 これは本当に、いま感じていることである。 
 
ところが、このマンションでお付き合いをしている男性は、喜寿を過ぎた人が多い。彼らと話していると、「90歳までは生きたい」と言っている。 
 
「70歳の時は80歳まで生きたいと思っていたが、喜寿を過ぎたら欲が出て、90歳まで生きたくなった」と言う。 
 
レトロな佃煮屋 
 
彼らが90歳に近付いた頃には、きっと「100歳までは生きたい」と言うに違いない。 100歳まで生きたら、妻も子供も友達もいないだろうと思う。 
 
「惜しまれて去るということも大事である」と、私は考えているが、惜しまれるかどうかは、その時にならないと分からないのである。 
 
最後は、最新版の銀座和光の飾り付け 
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▼コメント(2)
名前:H.YAMA  2012.03.21 10:12:38
今夜は、友人の通夜である。大学のクラブでの同期生であった。奥様をガンで見送って10数年を独りで暮らし続けた。娘が一人いたが、優秀すぎて女医さんとなり、独り立ちしてしまった。料理が不得意でコンビニと酒で暮らしていた。趣味の謡のクラブを通して、半世紀におよぶ付き合いであったが、長年の独り暮らしから、少しの認知が入ってきたので、謡の教室に誘って、月2回の昼食と稽古を楽しんだ。ところが、ここ3ヶ月ほど稽古を休んでいたので、心配していたら、先週土曜日に自宅の庭先で倒れていたのを発見されたが、既に死亡していた。孤独死である。  
自宅の部屋の中でなくてよかった。  
近所付き合いもなかったようで、最近の孤独死のニュースになるところであった。  
今夜、同期生が集まるが、「daisukey」さんの言われるように、考えさせられる課題である。 
名前:daisukey  2012.03.21 06:12:25
考えさせられます。  
昔も今も同じで、順番にそのことを考える時がやってくるのですね~ 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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