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[2008.12.03]
■中ジョッキを両手で10杯、運んだあの日。
今から44年前に私はニューヨークに住んでいた。 
その時の事情に関しては、話が長くなるので、以前のブログを参照して欲しいので、ここでは省略する。 
(ブルー色のところをクリックすると現れます) 
 
ある日のことである。いつもの幹事役のOさんからメールが来た。 
『ハワイに在住のSさんが東京に出て来るので、久し振りに同窓会をしよう』というお誘いである。 
Sさんは親分肌の女性で、みんなに人気があった。 
私は彼女には今年の2月にハワイで開催した『仏像 in ハワイ』でお世話になった。 
その時は私の女房も一緒に行ったので、その時のお礼も兼ねて2人で出向いた。 


11月30日の日曜日に有楽町のニュートーキョーの中の指定の料理屋に行った。 
そこには懐かしい仲間達が勢ぞろいしている。 
その日はバスボーイを中心に私達を入れて11人が集まった。 
戦争に行ったオヤジ達の年齢の人は『同じ釜の飯を食った』と言って、かなり仲間意識が強いし、特別な関係のようだ。 
私達バスボーイ15人も同じような経験から、『同じ釜の飯を食った』仲間である。 
 
銀座ニュートーキョー「さがみ」 
 
当時は色々な事件もあったが、今となっては全て時効である。素晴らしい青春時代の良い思い出しか残っていない。 
 
いつでも、その時の仲間に会うと、40年以上も昔の青春時代に引き戻される。 
これが若さを保つ秘訣なのかもしれない。 
午後4時から始まった宴会は延々と続き、3時間が経過してやっと終った。 
昔話ばかりする私達に女房は少し詰まらなかったかもしれない。 
 
いまどきの若者には『だからオヤジは嫌だ。昔話ばかりしている』と言われそうだ。 
でも、そんな若者も40年も経てば、私と同じ年になり、同じ事をするはずだ。 
 
帝国ホテルのイルミネーション 
 
(おまけの話) 
ニューヨーク世界博覧会の日本館では劇場付きのレストランを開くので、素人の私達をサービスする側で飲食業に慣れさす必要があった。そこで研修となった。 
私は今回の会合の場所となった銀座ニュートーキョーでの研修となった。 
そこを通るといつも懐かしさがこみ上げて来る。 
他の仲間達はヒルトンホテルに研修に行った。 
 
季節は夏で、ニュートーキョーは当時ではまだ珍しい生ビールをジョッキで飲ませていた。 
私は客席係でビールと料理の注文を取り、それを調理場に伝え、生ビールをお客のところに運んだ。 
片手に中ジョッキを5杯、両手で10杯を持って、よろよろと運んだ。 
そんな研修を1ヶ月もやったが、ニューヨークに行ったら、私はバスボーイなのでお客から注文を取ることはできない。 
『では、あの研修はなんだったのか?』と、今になって思う。 
 
その後に翌年の2月に米軍のキャンプ座間で『アメリカ・ミニ体験』の研修があった。 
そこで3泊4日くらいだったと思うが、キャンプの中で何かの研修があったが忘れた。 
そして、食事の時は食堂でアメリカの兵隊と一緒に食事をした。まだ日本では『ワタナベの粉末ジュース』の時代に、アメリカ兵は新鮮なミルクと生のオレンジ・ジュースを飲んでいた。 
メインディッシュは分厚いステーキで、食後には冬だというのにアイスクリームが出て来た。 
 
こんな生活がニューヨークで待っているのかと思うと、私は興奮したのを覚えている。 
それが、今では普通の日本人が当時のアメリカ兵と同じ食事をしている。 
そして、メタボだとかなんとか言っている。私はあの時代が懐かしい。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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