■蓮の花とかっぱ河太郎
異常なほどの長雨が続き、テレビのニュースに登場した農家の人達の話では「太陽が顔を出さないのでキュウリが曲がって育ったり、スイカが水分を吸い過ぎて破裂したりしている」と言っていた。
やっと17日になり、7月になり初めて太陽が顔を出した。
そこで不忍池の蓮の花はどうなったかと思い、様子を見に行った。
不忍池の見学用木道にはオバサンが多かった。
上野駅から歩いて不忍池に向かうと、大勢の観光客が蓮の花を見に来ているのが分かった。
しかし近付いてみると、花は咲いているが例年より花の数が少ない。
やはり長雨の影響で、花の数が少ないのかもしれない。
既に咲き終った花も多いので、その日が満開の時ではないかと思った。
例年より花の数が少ない。
不忍池の脇の道路を渡った向こう側に、ケーキ屋のアウトレットがある。気候の良い時には、私はここに立ち寄ってプリンを2つ買う。
それを持って池の近くのベンチに行き、座ってプリンを食べながら池の様子を見るのが好きである。
このプリンの価格はなんと1個「50円」であるが、結構美味しいのである。「花よりプリン」である。
雨上がりなので、蓮の葉の上には水滴が残っていた。
(おまけの話)
蓮の花が期待外れだったので、色々と考えたが「合羽橋」へ行ってみることにした。
合羽橋へ行くには、上野公園の前から都バスに乗り菊屋橋で降りる。
バス停で降りてその先の交差点を左に曲がれば、その通りが合羽橋道具街である。合羽橋道具街は北の言問通り、南の浅草通りにはさまれた南北約850mの商店街のことである。
ニイミの屋上の「コック像」と金色の「かっぱ河太郎」
これだけ長い商店街の両側に、飲食に関する専門店が並んでいるのは凄いと思う。そもそもなぜ「合羽橋」と言うのか調べてみた。
それによると、合羽橋の由来には二つの説がある。
その一つは、「今から160年ほど前の文化年間のころ、この一帯は水はけの悪い土地でたびたび出水を起こしていた。そこで合羽川太郎は、私財を投じて排水工事に着手したが、工事はことのほか難航した」
外国人観光客の若者が、道具街を見て歩いていた。
「その時、昔、川太郎に助けられたことのある隅田川の河童たちは、これを見ていたく同情し工事を手伝ったおかげで、堀り割りは見事に完成した。この故事にちなんで合羽橋としたというものである」
もう一つの説は、「今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで合羽橋と呼ばれるようになった」というものである。
「氷屋の暖簾」と「鍋屋」。
合羽橋道具街の入口には、巨大なコックさんの人形が屋上に据え付けられた店がある。これが合羽橋の入口の目印になっている。
道具街の中ほどには合羽橋の守り神である金色の派手な銅像の「かっぱ河太郎」があるが、これは平成15年に「合羽橋道具街誕生90周年」を記念して建てられたそうで、見物客もいなくてあまりありがたみは無いように思えた。
外国人観光客のカップルが瀬戸物屋で、安物のお茶碗を見ていた。
合羽橋道具街には飲食に関するあらゆる品物が売られているが、最近は外国人観光客に人気があるそうだ。彼らの目当ては「食品サンプル」で、その精巧に作られたサンプルに驚くようだ。
そういえば私の多くの海外旅行でも、レストランや食堂の入口にサンプルを飾ってあるのを見たことが無い。これは日本だけの習慣のようだ。
外国人観光客のお目当ての「食品サンプル屋」には大量のサンプルが飾られている。
商店街をブラブラしながら、売られている商品を見て行く。
ニュース報道と違い、外国人観光客はいるにはいるが、探さなければ分からない程度の人数である。
食品サンプルを売っている店に入ってみたら、白人カップルが寿司のサンプルを見ていた。
この店は「撮影OK」の表示が入口に貼ってあったので、気兼ねなくサンプルの写真が撮れた。
食品サンプルは本物以上に良く出来ている。
私は特に買うものも無いので、合羽橋道具街から裏道を歩いて浅草に向かった。合羽橋からは、歩いて10分で浅草六区に着く。
こちらに来たら外国人観光客だらけで、見たところ合羽橋道具街の50倍くらいの人がいる。
みんな何かを買って食べ歩きをしている。
しかしこれがいま仲見世通りで問題となっている。
食べ物を掴んだ汚い手で商品を触る人が多く、商店街は「禁止にすべきかどうか?」迷っているようだ。
この日は29度にもなったので、ソフトクリームを食べたくなった。