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[2009.01.21]
■還暦は60歳では早過ぎる
私はズーと前に還暦を過ぎてしまった。 
それに私の場合は、還暦祝いというものはしなかったように覚えている。 
まだ現役だったし、なんだか年寄りになったようで嫌だったし、『もうすぐ終りだよ』と念押しされているように感じたからだ。 
 
昨年は伊達のKさんが還暦で、夏に一緒に簡単なお祝いをした。 
ところが今年の正月を過ぎた頃に伊達から還暦祝いのパーティの写真が送られて来た。 
それはイコロ農園のTさん夫妻の還暦祝いパーティの様子であった。 
数枚の写真の中にパーティの参加者から贈られた真っ赤な作業用のつなぎ服、真っ赤なパンツ、真っ赤なバラの花束、そして2人の写真入りのワインボトルが写っていた。 
 



1月の初めに2人とも還暦を迎えたTさん夫妻は嬉しそうに真っ赤なつなぎ服を着て、写真に納っていた。 
真っ赤なパンツを穿いたTさんの姿は笑える。 
 
目標達成赤パンツ 
 
パンツのゴムのところに書かれた『目標達成』の文字はなにを意味するのか?まさか、このパンツで豊作や子宝を願うということもあるまい。 
『下の世話にならずに100歳まで生きよう』というのかもしれないなー。 
 
お婆ちゃんの原宿で有名となった巣鴨の『とげぬき地蔵』前の商店街で売られている真っ赤なパンツは、『高齢になってもお漏らしをしないように』という縁起担ぎから来ているそうである。 
私は興味本位で3回ほど行ったことがあるが、私の居る場所ではないと思った。 
 
いずれにしても、『おめでたい』ことは良いことである。 
人が集まり賑やかな時間を過ごし、みんなの笑顔が出れば、日本の景気回復もそう遠くないと思う。 
頑張れ!赤パンツのTさん。 
 
(この物語がブログに登場する頃には、当事者のTさん夫妻は上京して私の家に来ていると思う。) 
 
(おまけの話) 
私のオヤジは還暦を迎える4年も前に亡くなってしまった。 
だから私はオヤジの死んだ年を過ぎて、還暦を過ぎて、更に7年近くも生きて来ていることに、自分で驚いている。 
 
伊達の友人達には私より年上と思われる人は1~2人しかいない。その代表がK会長である。 
私より10歳くらいは上のようだ。でも元気だし、気も若い。 
K会長は私のこの先の目標である。 
 
そこで思い付いた。 
日本人の男性の平均寿命が80歳近くなったのだから、還暦祝いは60歳ではしないで、72歳になってから祝った方が良いのではないか? 
還暦とは『人生わずか50年』と言われた時代の慣習なのだから、そろそろ変えた方がよいと私は思うが、どうだろうか? 
伊達のTさん、K会長に真っ赤なつなぎ服と真っ赤なパンツを貸してあげて、それを穿いた写真を送って下さい。 
TさんよりK会長の方がズーと似合うと思うのですが・・・・。 
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▼コメント(1)
名前:ckです。  2009.01.22 09:39:57
T夫妻の真っ赤なつなぎ姿は本当にかわいいものでした。私も還暦になったら自分で購入しようと思いました。ところで、平均寿命ですが・・・なんと明治は32歳、大正42歳、昭和60歳、平成現在のところ86歳・あと10年後は前人未踏の100歳と予想されているそうです。生きなきゃいけないのですよ。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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