■上高地の秋(3)
3日目は更に早く起き、午前6時にホテルを出た。気温はマイナス5度だった。今回は合羽橋と梓川とウエストン碑を見るのが目的だった。 梓川に「けあらし」が上っているに違いない、と思ったからである。
さすがに今朝は早い時間だけあって、カメラマンも4~5人しかいない。
梓川の河原から見る「河童橋」(午前6時15分頃)
そして期待通りに梓川に「けあらし」が立っていた。
河原に降りて、低い位置から「けあらし」を狙う。
しかし目で見たほどには写真は良くない。
これも腕のせいだろうと思う。
6時30分を過ぎると穂高連峰の頂上付近に陽が当たり出す。
既に頂上付近には白い雪が見える。素晴らしい光景である。
梓川では「けあらし」が美しい。
帰りは梓川の反対側を歩き、ウエストン碑を見る。
まだ地面までは陽が当たって来ないので、木々の葉は白く凍ったままだ。
午前8時頃にホテルに戻り、家族とレストランに朝食を食べに行く。
そしてゆっくりと過ごした後に、バスターミナルから10時40発のバスに乗り「新島々駅」まで行き、そこから松本に出る。
マイナス5度は寒いが、「早起きは三文の徳」である。
新島々駅までの道路の両側の山々は、この2日間の冷え込みで山一面が紅葉となった。往きには見られなかった素晴らしい光景に出会えた。
松本駅では「特急あずさ22号」には2時間弱の待ち合わせ時間があった。家族はスターバックスで休んでいたが、貧乏性の私はコミュニティ・バスに乗って松本城を車窓から見て戻ったのである。
木の葉も凍る。
(おまけの話)
女房の従弟がアメリカから遊びに来て、新幹線の中にタブレットを置き忘れた。JRの逸失物係にも届けを出したが、帰国日までに出て来なかった。
それが帰国後に拾った人からアメリカの従弟にメールが入り、その人が築地の人だと分かり我が家に送ってもらった。
「従弟もボケたか?」と、その時は思っていたら、今回の旅で自分に跳ね返って来てしまった事件があった。
木々も凍る。
2日目の大正池での撮影を終った時に、女房から私の携帯にメールが入った。女房「今から朝食に行きます。何時に戻るの?」
そのメールを見た後に、大正池から路線バスに乗った。
そして明神池の近くで女房にメールをしようと思ったら、ズボンのポケットに入れた携帯電話が無いのに気が付いた。
梓川の向こうに焼岳(2455メートル)が朝陽を浴びている。
バスの中で落としたか、或いは他の場所か?、全く覚えが無い。
仕方ないので、明神池を見た後にバスターミナルに戻り、バスの受付とインフォーメーション・センターの2ヶ所に届けを出した。
「氏名、宿泊先、携帯電話番号」を書いて、「届けがあったら、帝国ホテルに知らせて下さい」と頼んでホテルに戻った。
風が吹き、「けあらし」が舞った。
ホテルにも事情を話し、「インフォーメーション・センターから連絡があったら、よろしくお願いします」と伝えた。
そして部屋に戻り、女房のスマホから失くした私の携帯電話に電話してみた。でも「電波の届かない場所か、電源が入っていません」というメッセージがあるだけだった。
松本電鉄「上高地線」の駅で見たリンゴの木。
諦めかけていた時にホテルのフロントから電話があり、「携帯電話が見付かった。拾った人が夕方までにインフォーメーション・センターに届けるそうです」とのことだった。
拾った人の話では「六百山への道中で拾った」と言っていたそうである。しかし私はそんなところには行っていない。なにか変だと思っている。
コミュニティ・バスの窓から見えた「松本城」。
なぜ拾った人がインフォーメーション・センターに連絡したのかと不思議に思ったら、そうではなくインフォーメーション・センターの人が念のために私の携帯に電話したら、拾った人が出たのだそうだ。
なぜ大正池の近辺で失くした私の携帯が、河童橋から遠くの六百山の方にあるのか?邪推はしたくないが、なぞに包まれている話である。
帰りの列車「あずさ22号」が松本駅のホームに入って来た。