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[2020.07.14]
■ベトナム(7)・・・頑張る若者を応援したい 
(2013年7月12日) 
 
ここでは庶民の収入は、1ヶ月に1万5000円から2万円である。 
収入が少ない割には、物価は高いように感じる。 
庶民の好みの食べ物のフォーは、安い店でも2万ドン(100円)する。 
 
日本語学校でテスト 


日本では立ち食いソバ屋なら、400円(8万ドン)も出せば、天麩羅が付いて来る。日本との給料の差は10倍以上あるのだから、この町は高い。 
 
スーパーに日本語学校の女生徒2人を通訳で連れて、買い物に行った。 
その後にスーパーの隣のフード・コートで夕食となった。 
『好きな物を食べなさい』と言っても、遠慮して言わない。 
 
先生の質問に、昔の日本のように皆が手を挙げる。 
 
 
私が『ベトナム食以外がいいなー』と言ったら、『ピザが食べたい』と言う。『ピザが好きなの?』と聞いたら、『今までに食べたことはない』と言う。 
 
そこでピザを注文し、彼女達は生れて初めて食べてみた。 
私は『想像していた味と違う?』と聞くと、彼らは『ピザは甘い食べ物だと思っていた』と言う。 
 
テープレコーダーで聞き取りテスト。 
 
 
食後に女生徒のティァンさんが、『私の屋台に来て下さい』と言うので、彼女のバイクで向かった。 
 
近くの大学のような門の前の薄暗がりの中に3軒の屋台があり、若者が椅子に腰かけてなにか食べている。 
その中の1軒が彼女の屋台だそうで、夜だけの営業である。 
 
右がティアンさん。クレープのような物を焼いてくれた。 
 
 
自分で作った「フルーツと豆のジュース」のようなものと、小海老とソーセージが乗ったクレープのような物を売っている。 
 
ジュースを渡されたので、『これを飲んでも病気にならない?』と聞いたら、『先生、大丈夫です。飲んでみて下さい』と言う。 
 
ティアンさんのお兄さんと。彼も7月中には日本(愛知県)に行く。 
 
 
暗い中でジュースを飲んだ。彼女は『どうですか?』と聞く。 
答えに詰り、『不味くはないが。美味しくもない』と答えたら、日本語が上手でない彼女には難し過ぎて、解説するのに苦労してしまった。 
 
彼女は田舎から出て来て日本語学校に通い、日本人観光客のガイドもして、夜は屋台を経営している。親からの仕送りもなく、全て自分で賄って日本に行き、お金を溜めて会社を作りたいという。 
健気だが芯がシッカリしていて、応援したくなる。 
 
ベトナム風クレープ (米で作った物の上に小海老やソーセージが乗っている)タレを付けて食べる。 
 
 
こんな若者が多くいるベトナムである。 
この年になると私には夢も希望も特に無いので、そこに一緒にいられるだけで元気をもらい、生きている喜びを感じさせてもらえる。 
 
ティアンさんの兄妹と。屋台は背の低い椅子がベトナムの特徴である。 
 
 
(おまけの話) 
屋台の後に彼女の住むアパートに行った。 
狭い路地を入った奥のアパートは家というより、飯場に近い。 
1部屋は10畳ほどで、そこに6人の若者達が一緒に住んでいる。 
 
ベッドは無い。バイクは大事なので、夜は部屋に6台を入れる。 
 
 
1ヶ月の家賃は電気、水道代を入れると200万ドンになるそうだ。 
(1万円)これを6人で割り勘にしている。 
シャワーも無い。トイレも共同である。 
 
『体を洗うのはどうするの?』と聞いたら、『トイレに洗面器を持って行って、そこでタオルで体を拭く』と言う。 
話を聞いて、悲しくなった。 
 
こんなことろに住んで日本に行くことを夢見て日本語を勉強し、燃えるような向上心を持った若者達を見ると涙が出て来た。 
 
ルアンさん。彼は7月に福岡に行く。真面目な男である。 
 
 
このような若者が大勢いるベトナムは、必ず発展すると確信した。 
それに引き換え、日本の若者たちの精気の無いのはどうしたのだ? 
彼らを見ていて、豊かになり過ぎると国は滅びるのかもしれないと思った。 
 
(追記) 
昨日、ティアンさんから久し振りにメールが届き、彼女は2016年に結婚し、いまは日本語を使う仕事で、夫婦共稼ぎで7ヶ月の子供を育てているそうだ。 
 
ベトナム人は恥ずかしがり屋だ。それを直すのも、この学校の目的のひとつ。 
 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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