
Aroma Breath(アロマ ブレス)
Aroma&YOGAコラボ企画
【1月22日金曜日】
前回ご好評だった
YOGA&Aroma コラボ企画第2弾‼️開催します❤️
今回は
肩を軽るくし前へ✨新年の風に乗りましょう✨
詳しくはこちらをご覧ください↓
YOGA&Aromaコラボ企画 Instagram
皆様のご予約お待ちしております🍀😄
リラックス・リフレッシュ・お肌の悩み・睡眠の悩み・日々の疲れ・女性特有の不調など様々なストレスや不安が緩まりますよう、お客様の心身に寄り添ったトリートメントを心掛けております。
詳しくはこちらカテゴリー
ハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
09/30(木) アロマテラピートリートメント クレイパック無料体験クーポン
-
02/02(火) 季節の変わり目はアロマテラピーでバランス調整

イベント
ブログに関する
特集記事
-
-
パウダースノーをこよなく愛する店主の、素朴でやさしいネパールの味。ビスターレ・カナ【ニセコ】
旅に出る代わりに、時々、エスニック料理が食べたくなる。 日本にはない、異国の香りが心を自由にしてくれる気がするから。 ニセコの道の駅で小さなスパイスの袋を見つけた。「ネパールチキンカレー」と書いてある。 素朴なパッケージと民芸調のイラストが、いかにも本場の感じだ…。 エスニックな香りを求め、お店を訪ねた。 青年海外協力隊OBが、現地で覚えたネパールの味 アンヌプリ国際スキー場の麓に、ペンション&レストラン ビスターレ・カナはある。 こんもりとした緑に覆わた、石貼りの壁が印象的な建物。 正面の不思議な文字に、目を奪われた。ネパール語で「ビスターレ・カナ」と書いてあるらしい。 「ビスターレ」は「のんびり」、「カナ」は「食事」という意味があるそうだ。 店内にはネパールの民芸品が飾られ、窓から濃い緑がのぞいていた。 時間がゆっくり流れているような、静かで落ち着いた空間。「ビスターレ」という言葉がぴったりくる。 オーナーの山野 美昭(やまの よしあき)さんは東京出身。青年海外協力隊としてネパールに赴任した経験を持ち、現地で覚えた味を、独自にアレンジして提供している。 ニセコ産野菜をふんだんに使った「ネパールカレーセット」はとてもカラフル!この日は13種もの野菜が使用されていた。 中に見慣れない野菜…と思ったら「摘果メロンです」と聞いてびっくり。カレーによく合うことにも驚いた。 インドカレーとも、スープカレーとも違う、独特のスパイスの香り。どこか懐かしいような…これがネパールの香りなのだろうか、想像がふくらむ。 山野さんとニセコの出会いは古い。 26歳でネパールに行くもっと前、10代の頃に遡る。 中学生の時に、おじさんに連れられ白馬八方尾根に行って以来、スキーが大好きになった。高校でますますのめり込み、「ただただスキーがしたい」と進路を北海道に決めた。酪農学園大学短期大学部に進学し、スキー部に所属してニセコによく通うようになった。 初めはスキー関係の接点しかなかったが、短大を修了し大学に編入する間の1年間、ニセコで酪農実習を行った。そこで農家に出入りするようになり、農業や酪農に携わるさまざまな人たちとのつながりができた。 この頃から、ニセコは山野さんにとって第二の故郷となった。 大学を卒業後、町内のペンションで乳肉製品の製造担当として働き始めた。仕事は楽しく、冬はスキー三昧。「好きなこと」に邁進する日々は充実していた。 ところがある日、常連のお客さんに言われた一言が、山野さんに転機をもたらした。 山野さん: 「あんた、いつまでぬるま湯に浸かってんのさ」みたいなことを言われて(笑) お客さんて、本当によく見てますよね。 要するに「好きなこと」と言いながらも、社会的立場としてはアルバイトじゃないですか。いつまでこんなことやってんのさ、なんて言われちゃって。 それで、何かしなくちゃな、と考えたのが青年海外協力隊でした。 食に関わる仕事をする中で、「飽食の時代」に疑問を持つようになって。 業務上やむなくではありますが、まだ食べられるものでも捨てていくわけですよ。そういう現場を目の当たりにするうちに、「食えない国、貧しい国ではどういうふうな生活をしているんだろう」という興味がすごく湧いてきたんですよね。 貧しいっていうのはどういうことかを知りたかった。 26歳~29歳までの3年間、山野さんはネパールで野菜の普及活動に勤めた。 飼料作の経験はあったものの野菜は素人だったため、協力隊の試験前に八ヶ岳農業実践大学校で研究生として学んだ。 実際に赴任してみると、気候も栽培品種も日本とは大きく異なり、かなり苦労したそうだ。猛勉強しながら巡回指導や作付け計画など、さまざまな支援に取り組んだ。 現地の文化にも興味を持った山野さんは、村の子ども達に混じって祭りの踊りを習い、一晩中、村人達と踊り明かしたこともある。そのエピソードは今でも新しい協力隊に語り継がれているという。 山野さん: 最後にネパールを出る時、みんなが見送りに来てくれたんですよ。そうしたら、思いもよらなかったんですけど、涙が出てきて、止まらなくて…。 なんで泣きっぱなしなんだろう、周りに恥ずかしい…でも自分で止めることができないんです。 3年間で悔しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと。そういう喜怒哀楽や、いろんなものが、全部出ちゃったんだろうな、と思います。 協力隊は一人だったので、日本人の代表として恥ずかしくないように、日の丸を背負うような気持ちで取り組んでいました。とにかく一生懸命やって、日本人は勤勉だという姿を見せたかったんです。 すごい背伸びをしていた3年間でした。でもあれをしたから今がある。 涙は、バンコク空港に到着するまで流れ続けたそうだ。 帰国後、結婚した山野さんは、しばらく後に元の職場からオファーを受けた。妻のカナさんを連れニセコに戻り、3人のお子さんに恵まれた。 1995年にビスターレ・カナをオープンし、以来ペンションとレストランを営んでいる。 ネパールカレーの多くは、「唐辛子の辛さと塩っ辛いのが、どーーんと刺さってくるような味」で、日本人には食べづらい。日本でいう昔ながらの塩ジャケや漬物、味噌汁のような感じだそうだ。 そこで山野さんは、当時コックとして雇っていたネワール族の少年に、「こういう風に作って」と指示して毎日食べられるカレーを作ってもらっていた。ネワールは美味しいカレーを作る民族として知られている。 その味と、ネパールで友人の奥さんが作ってくれたカレーがベースになってビスターレ・カナのカレーが出来上がった。 電気もガスも水道もなく、朝日と共に起き、陽が沈んだら眠る。山野さんが体験したネパールのローカルな暮らし。そこから生まれたカレーなのだと思うと、一層味わい深い。 のどかな農村の風景が、ぼんやり見えてくるような、素朴さと優しさを感じた。 「ここのパウダーはすごい」外人さんが教えてくれた、ニセコの魅力。 ペンションが最も賑わうのはスキーシーズンの12月から3月。Booking.comへの登録を機に7年ほど前から海外宿泊客が年々増え、8割が外国人に。客層がガラリと変わった。 日本のスキー・スノボ人口が減少する中、海外からのお客様はとてもありがたかった。 しかしその分、コロナ禍による被害は甚大だった。「外人さんが来ないということはこういうことなのか」と思い知らされる日々。今も大きなダメージが続いているが、とにかくやれることをやっていこう、と夫婦で力を合わせ頑張っている。 ニセコの雪をよく知る山野さんだからこそ、海外のスキーヤーに伝えられることが沢山ある。 コロナ以前にはいいポイントを教えてあげたり、時に一緒に滑りに行ったりしてとても喜ばれたという。そうした交流がニセコの魅力を再発見することにつながった。 山野さん: 海外のお客様が来て、教えてもらったと思っています。ニセコの雪が、世界レベルなんだということを。 例えばカナダのバンフやウィスラーがベースだという人がここにくるわけですよ。 「なんで?」って聞いた時に「パウダーここ違うよ」という。 「ここのバックカントリーは、1週間いたら少なくとも2回は滑れる。世界有数のスキー場でも1か月滞在して1回あるかないかの素晴らしい雪質だ」と。 僕にとっては当たり前だったんですよ。ニセコのパウダースノーが大好きで、ずっと昔から滑っていましたから。 「アンヌプリはスキー場自体は小さいけれど、雪は最高だ」と聞いた時に、とても驚きました。 彼らを連れて一緒に滑った時の満足げな顔!それを見るのが僕はもう、最高ですね! 筆者は今年、初めてニセコの冬を体験する。昨冬、引っ越し準備に訪れた時には、どこもかしこも分厚い雪に覆われ、あまりの真っ白さに、おそろしいと思った。 しかし、厳しい冬ならではのパウダースノーであり、その雪をこよなく愛する山野さんの言葉に、なんだかとても勇気が湧いてきた。 ネパールカレーを味わいながら、「私も冬を、楽しむぞ!」と決意した。 世界中のスキーヤーでニセコが賑わう冬が早く戻るようにと祈るばかりだ。 ペンション&レストラン ビスターレ・カナ 詳細情報 住所: 北海道虻田郡ニセコ町ニセコ431-1 電話: 0136-58-3330 ランチタイム: 11時30分~15時(ディナーは要予約) 不定休あり。事前に電話確認するのがおすすめです HP: https://sites.google.com/site/bistarekana/ スパイスキットは道の駅ニセコビュープラザで購入できます ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
ch
0
-
旅するイタリアンレストランを目指して☆ 〜洞爺湖 Lagorto ファンキーコンビは今日もいく〜
左側は代表の木村香葉子さん。 伊達市ご出身。 東日本フェリーの船内で6~7年勤めたのち、派遣バイトを始め各地を転々としていました。 ある時はキロロで、またある時は礼文島で、そんな時、所属していた派遣会社を通して右側の利光優子さんと知り合いました。 そして真狩の佐伯農園さんで働いたことが、その後の二人を決定づけることになりました。 優子さんは愛知県のご出身。 29歳でホテル調理の仕事を始め、イタリアンやフレンチの修行を積みました。 育った場所も経歴も違う二人。 この二人を今に繋げたのは、佐伯農園さんが経営する『Pomme ポム』というファームレストランでした。 シェフを探していた佐伯さんに優子さんを紹介したのが香葉子さんだったのです。 そして優子さんは即断して北海道にやってきました。 裏の思いとして、あるメリットを感じたからでした ということで。 今回は洞爺湖温泉に2021年6月 カジュアルなイタリアンレストラン『Lagorto』をOPENされた香葉子さんと優子さんを尋ねました。 仕込み時間という短い時間をいただいた取材だったため、実は事前にお二人の人となりがなんとなく分かる写真のご提供をお願いしていました。 すると届いた写真がこちら〜。 むむむ〜! なんてファンキーな!! 今となってはどの人がお二人なのか分かりませんが、このイカした面々のうちのお二人がのちのLagortoコンビなのでした。 なるほど〜! これが裏のメリットか〜!! 筆者はライター・ガイドの他にもスキーインストラクターをしているのでイメージできるのですが、ちょうど彼女たちの世代の方々は、いわゆるリゾートバイトなどをしながら冬山に籠り、リフト券貸与の恩恵を受けながら、スキーやスノーボードをしまくる!という生活をする方が当時は多かったのです。 現在若い世代の方にはあまり見かけないワーク&ライフスタイルです。 これまで様々なジャンルの方を取材させていただきましたが、実はコロナ禍に新たな道を開拓された方が多いです。 そして成功されている。 それは決して火事場の馬鹿力ではなく、自分の生き方をしっかりと見つめ直し、コロナ禍をチャンスと見ることができた方々でした。 何を食べても美味しいとすぐに話題となった『Lagorot』では、顧客の7割が地元の方だそうです。 わずか2年余りで地域に根付くのは素晴らしいことです。 きっとそれだけ、おふたりの店への想いが強いということなのでしょうね。 ところで、店名『Lagorto』の意味を訊ねました。 なるほど、『洞爺湖を望む坂の途中にある菜園のようなレストラン』ということですね。 こちらはメニューのごく一部です。 Lagortoさんのメニューラインナップは、基本、お酒のつまみにもなるものが多いです。 それなのに、実は違いの分かるお子様にも人気なのだとか? パスタの具にご注目。 真狩佐伯農園さんとのつながりがあるからこその、ふんだんに使われた百合根! これ、都会で食べたらとんでもないお値段になります^^; なるほど。 『旅するイタリアン』というわけですね〜。 旅先では楽しく遊んだり、飲み歩いたりもしつつ、料理はガチで本物を提供する。 やっぱりファンキー! カッコいい!と思います。 めっちゃ喧嘩をするとは言いながらも、「二人でやりたいです!」とキッパリと話してくれました。 洞爺湖の『Lagorto』で食べるイタリアンはもちろん美味しいけれど、ふらりと出かけた旅先で、お二人に会えたら嬉しいなあ〜と思った筆者でした。 ―Lagorto情報― ・代表 木村香葉子 ・シェフ 利光優子 ・北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉54秋田ビル1F ・詳細はFBまたはInstagramよりご覧ください
Rietty
0
-
“ 一直線の縦糸 ” 〜 「手ぬぐい工房 さくら」代表 咲良あき の生き方
待ち合わせ場所を訪れると、華奢でたおやかな女性が立っていました。 その立ち姿が手ぬぐいを染めるという作家さんのイメージと重なり、「きっとあの方だ!」と直感したのですが…。 取材はまさかの展開になっていきました。 『手ぬぐい工房 さくら』代表の咲良あきさんは、2020年8月1日に洞爺湖が見える町に移住し、2021年11月には工房を開かれました。 すごいスピード感です。 「ただただ好き!というだけで突っ走ってきました」。 それまでの18年間は大阪で接客業に就かれていたそう。 最前線での接客業を退いた後は、運営・人事・教育などを担当されていたそうです。 まさにキャリアウーマンとして奔走されていました。 「順風満帆で活躍されていたように見えますが、なぜ、そのお仕事を辞めて洞爺湖へいらしたのですか?」 「ほかにどうしてもやりたいことがあったのです。ところが、会社を辞めた直後の世界的なコロナ禍。その時はその道を断念せざるを得ませんでした。洞爺湖に移住したのは、仲間が先に来ていたからです」。 「ところで、その、どうしてもやりたかったことって何ですか?」 「250kmのレースです!」 「え?え〜っと…それは、車のレースですか?」 「いえ、テント以外の1週間分の食料や装備、水を背負って走る自給自足のレースです。1週間で250kmを走ります。 会社を退職した時に目指していたのは2020年4月にアフリカのナミブ砂漠で開催されるレースでした」。 その突拍子もない答えに、目が点になりドギマギする筆者…。 詳しくお聴きするうちに、『手ぬぐい』とはどんどんかけ離れて行ってしまいそうになりました。 そしてさらに、筆者の混乱に追い討ちをかけるようなお話も飛び出しました。 「21歳の時にうつ病を発症し、その後は癌、バセドウ病になりました。 大病をし、治療を受けながら仕事を続ける中で気づいたのは、『明日が当たり前にあると思ってはいけない』ということでした。やりたいことがあってもやらない理由を探し、今度にしよう!と後回しにしていたことが多かった…。 だから、病気がわかった時、命あることへの限りない感謝と共に、『やりたいと思ったらやる』『会いたいと思ったら会う』と心に決めました。そんな時に『250kmアドベンチャーレース』の存在を知りました。 『このレースに出たい!』と瞬間的にそう思いました。強い想いはそれを引きつけると言いますが、その後、まさにそのレースに挑戦している人と出会ってしまったのです」。 そんなまるで一話のドラマのような出会いを経験し、主治医からレース出場の承諾書をもらい、トレーニングを重ね、咲良さんはニュージーランドで行われたレースに出場を果たしました。 けれども結果は、レース2日目でタイムアウトによるリタイアをしてしまいました。 →その時の様子をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」で観られます。(現在期間限定でYouTube にて無料公開中) https://www.youtube.com/watch?v=v5i6MBXc4Zw&t=4042s そして、リベンジをしようと目指したナミブ砂漠大会がコロナ禍により中止。 世界情勢など様々な理由が重なり、未だ再挑戦できていない状況が続いていると言います。 「それにしても病気が完治しない状態でなぜ、そのような過酷なレースにチャレンジしようと考えたのですか?」 「そのレースの存在を知った時、『元気になってこのレースで走りたい!』と1%ワクっとした気持ちを感じた自分に正直になりたかった。と同時に、その頃は自分の病気を人生の汚点だと思って生きていたので、私の挑戦が誰かの勇気に繋がるとしたら是非とも挑戦したいと思いました」。 あまりにも壮絶・壮大すぎて、お話しについて行くのに必死でしたが、次第に咲良さんと筆者の共通点・共感点が増えて行くのを感じていました。 「若い頃は一人旅が好きでした。手ぬぐい好きになったのはその頃です」。 訪れる先々で手ぬぐいを購入することが、 旅の一つの大切な目的にもなっていたそう。 「竹富島が大好きでよく通っていました」。 海好き、島好きも共通点です。 「はじめて手ぬぐいに出会ったのは2016年に瀬戸内国際芸術祭を訪れた時でした。 もともとアートには興味がありました。ただ、そこで手ぬぐいを手に入れたのは良いのだけれど、一体どうやって使うの?買ったけど私本当に使うの? そんな自問もあり、手ぬぐいの使い方などについて色々調べたりしていました。 ところがいざ使ってみるど、使うほどに洗うほどに柔らかく優しい肌触りになっていく。 そんな手ぬぐいがもう可愛くて可愛くて!すっかりとその魅力にはまってしまいました。集めた手ぬぐいは100枚くらい。それらの手ぬぐいたちは、その時の旅の記憶が蘇る愛おしい存在であり、ホッとする存在になっていきました」。 「なるほど。手ぬぐいとの出会いはわかりましたが…、なぜそれが作家への道へと進んで行かれたのですか? 全く異業種のご出身なのに…」。 「洞爺湖に移り住んだ時、いつもの旅先のようにお気に入りの手ぬぐいを探す中、洞爺湖の手ぬぐいはまだ買っていないということを友人に話したら、『自分で作ればいいじゃない?』 と言われました。なるほどそうか!やってみよう!となったのです」。 「え?そんなに簡単にやる気になったのですか?」 自らを猪突猛進型と認める咲良さん。 ここでも、やりたいからやる!となったわけです。 「先の計算ができない性質なんです笑 思ったら一直線だから」。 ああ…。 なりふり構わず。 計算せず。 一直線に突っ走る。 なんだか筆者と同じ匂いがすると思ったのは、どうやらこういうところだったようです。 染めについて並々ならぬ努力で独学をし、着実に実力を伸ばしてきた咲良さんは、ワークショップなどで講師活動も始めました。誰かに何かをレクチャーすることは、前職時代に培ったスキルでした。 内容が変わっても、楽しくわかりやすく伝えるスキルは共通していたのでしょう。 「染めの技術は学べたとしても、デザインセンスはそう簡単には育ちませんね。 何か芸術的なバックボーンをお持ちなのですか?」 「アートには元々興味がありましたので、手ぬぐいとの出会いの場となった瀬戸内国際芸術祭を訪れたわけです。 実は子供の頃からバレエをしておりまして、仕事としてジャズダンスのダンサーだった時期もありますし、ネイリストだった時期もあります。 もしかしたら芸術的に表現することの素地はあったのかもしれません」。 染めの原料は、環境に優しいベンガラを用いているそうです。 仕入れ先は、地元大阪。 生地もまた大阪から浴衣にも使用されている、手ぬぐい生地の『特岡』を用いているそうです。 「きめ細かい織り目が特徴の生地です。けれども使い込むほどにどんどん柔らかく優しく育っていく素材なのです」。 手ぬぐいが育つ。 素敵な言葉です。 なるほど。 手ぬぐい作家としての顔。 250kmレースのランナーとしての顔。 それぞれについては理解できましたが、今一つそれを繋ぐ糸が見つからず、さらに取材を続けさせていただきました。 …というよりも、咲良さんの生き方に強い興味を覚え、 もうすでに取材の域を超えていた筆者でした…。 すると、再び壮大なテーマを口にされた咲良さん。 「私、子どもの頃から『平和』にものすごく興味がありました。 小学生の時にイランイラク戦争が起こり、戦争や平和についての新聞の切り抜きを集めていた記憶があります。 その理由の一つには、学校が平和教育に熱心な学校だったこともあります。 今は、残された人生は平和に繋がることにも関わりたいとも考えています」。 またもや新たな情報に混乱する筆者…。 と、ここで、これまでの咲良さんのお話しを整理してみました。 ・病に向き合った20年間 ・旅を通した手ぬぐいとの出会い ・手ぬぐいの糸が手繰り寄せる旅の思い出 ・命への感謝と賛歌 ・平和への祈りを手ぬぐいに託す活動 ・当たり前ではない明日と今日への感謝 ・アート活動としての自己表現である染め ・誰かの勇気に繋がるならばと挑戦した250kmレース 取材中、急いで頭の中で整理し終えた後。 あ! 見えた! そう感じた瞬間がありました。 それは、咲良さんがバックの中に持参されていた ご自身が染めた普段使いの手ぬぐいに触れさせていただいた時でした。 その手ぬぐいは、横糸、縦糸がしっかりと織られているパリッとした『特岡』の生地で作られていました。 咲良さんが言うように、きっと洗うほどに肌に馴染んでいくのだろうと想像できる触り心地でした。 指への糸の感触を確かめた時、縦横直線の糸が織りなす手ぬぐいそのものこそが “ 咲良あき” だと気づきました。 一見器用そうに見える多才な方ですが、病気がちな華奢な体で、何にでもまっすぐ命懸けで取り組んできた1本1本の縦糸そのものが” 咲良あき “ であり、それぞれのシーンで彼女を支えてきた人々は横糸そのものであるということを。 一枚の布となったときの、そのしなやかさと、芯の強さ。 そして染めるという技法でさらなる命と愛を吹き込まれた『さくら工房の手ぬぐい』こそが ” 咲良あき “ なのだということを。 そして、それはきっと、真っ直ぐに平和に繋がっていくということを。 触れさせていただいた手ぬぐいから感じ取っていました。 最後にあきさんはこう話してくれました。 「平和についても命についても、 当たり前の未来はないと手ぬぐいを通して伝えたいですし、対象がなにであっても『大切』にする心を手ぬぐいを通して伝えたいと考えています。 染める時にはその一枚一枚を手にしてくださる方に寄り添えますようにと祈りを込めています」。 丁寧な語り口調で話してくださった1時間。 心が洗われたような取材の時間となりました。 ―手ぬぐい工房 さくら 情報― 代表 咲良あき(さくらあき) Instagram https://www.instagram.com/sakura.tenugui オンラインショップ https://sakurahappy.thebase.in/ [起業講座について準備中] ホームページや名刺・チラシなどの作製、イベント出展やワークショップ開催方法、起業するためのマインドが学べる『ハンドメイド作家さん向けの起業講座』をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」監督・プロデューサー小泉雅央と共に準備中。 *開催日程など詳細は【手ぬぐい工房 さくら】のInstagramでお知らせ予定
Rietty
0
-
確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
0
-
あなたの住まいの夢を叶えたい♡暮らしをマッチング ハウスドゥ伊達 〜専務取締役 木谷明実さんを尋ねて〜
今回は、創業53年の (株)伊達クリーニング様の進化に注目し、専務取締役 木谷明実さんにお話を伺いました。 商談コーナーに座る明実さん。 後ろにあるのは可動式のベビーベッド。 赤ちゃん連れでも安心です。 スタッフさん紹介です。 それぞれドゥー君を抱いた写真入りで自己紹介をしています。親しみが持てます。 なんと、8月24日に「ハウスドゥ伊達」として、不動産業への異業種参入が始まりました。 今回の新規部門は5年前からの構想だったのだそうです。 刻々と変わりゆく世の中の情勢、そして消費者ニーズ。 どの業界も苦心しているように、「クリーニング業界も変革の時を迎えていた」と木谷明実さんは言います。 明実さんは、「若い頃から家が好きで、引っ越しが好き。物件探しが好きで、よく見に行っていましたし、関連の情報誌を読むのも好きでした。」と話してくださいました。 庭造りの本などもあります。 イメージ作りのコーナーです。 住宅雑誌や物件紹介コーナー。 なるほど…。 元々の素地はお持ちだったようです。 そんな明実さんは、会社の方向性が決まった時に「宅地建物取引士」という難しい国家試験を目指すことになりました。 そして、2020年に見事合格を果たされました。 そう。 コロナ禍で色々なことが停滞しそうになっていたとき、着実に地に足を着け、未来を見つめながら前進していらっしゃったのです。 本当に素晴らしいです! 「好き」が与えるモチベーションは強いです。 息子さんとのツーショット。 現在息子さんも宅建の資格取得に向けて猛勉強中です。 ちなみに、「ハウスドゥ」は古田敦也氏がメインキャラクターのフランチャイズです。 コンセプトは「住まいのすべてをスマートに」。 そのマインドを大切にしながらも、明実さんの想いは、さらに上をいく温度の高さを感じました。 「私の最大の想いは、お客様の夢を叶えるお手伝いがしたいということです。そのために、お客様の暮らし方に寄り添いながら、新鮮で有益で必要な情報を的確にお届けしたいと考えています。そして、仲介だけではなくリフォームやリノベーションあるいは新築などのご相談にも応じて参ります。お住まいに関することでしたら、どんな些細なことでもお気軽に足をお運びいただきたいです。 もちろんご購入のご相談だけでなく、手放す場合のご相談もお受けいたします。」 買いたい! という時の人はポジティブ。 でも、売りたい。 という時の人はネガティブな事情を抱えている場合が多いと言います。 そんな時に相談者の立場で考え、適切なアドバイスをいただけるとしたら、こんなに心強いことはありません。 お話しをすればするほど誠実なお人柄を感じ、お話しに決して脚色がないことがわかります。 何かあったら相談に来よう! 明実さんは、筆者自身をそんな気にさせてくれました。 最後にOPENに向けてのさらなる構想をお伺いしました。 相談に来られたお客様にはドリンクサービスもご用意されています。 「こちらが売りたいもの=お客様が求めるものではないということを肝に銘じながら仕事をすることを信条にしています。 お客様には緊張感のない雰囲気の中で、ゆっくりとじっくりとお考えいただきたいですし、多くの選択肢をご提供したいので、店内の環境整備を急いでいるところです。例えば、“お家関連の本を貸し出せるような図書室”を作ったり、キッズコーナーを作ったり、授乳やおむつ替えを周りに気兼ねすることなく出来る部屋を作ったり、建設屋さんの紹介ブースを作ったりetc. くつろぎ環境をご提案する仕事なので、店舗もそうありたいと考えているのです。」 赤ちゃんのオムツ替えや授乳に使えるお部屋。 赤ちゃん用可動式ベビーベッド キッズコーナー なんとも女性らしい配慮が行き届いていて、聞いているだけで安心してしまいます。 そして、さらに構想は膨らんでいました。 「将来的には、関係各所と連携をしながら、伊達の空き家対策や移住促進にも関わっていきたいと考えています。」もう筆者までワクワクが止まらなくなりました。 店舗OPENは8月24日ですが、9月11日・12日にオープニングイベントが開催されます(新型コロナ感染状況によって変わる可能性があります)。 その時には、どうぞお子様連れで足を運んでみてくださいね。 場所は道の駅前の元au様があったところ。幟もあがります。 店舗情報 ハウスドゥ伊達 株式会社伊達クリーニング 営業時間 10:00~18:00 定休日 水曜日 北海道知事 胆振(1)第1047号 〒052-0014 北海道伊達市舟岡町175番地4号 電話 0142-82-8830 / FAX 0142-82-8835 携帯電話 080-6097-8444 E.mail. housedo-date@leaf.ocn.ne.jp むしゃなび内ハウスドゥ伊達のページ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年8月)
Rietty
0