
ホテルマンの幸せ
初の江差を散歩しました☆
おはようございます♪
ここ数日連続で書かせていただいております南へ散歩シリーズなのですがもう少しだけお付き合い下さいね…♪
寄り道をしながらも南へ移動して行くと…
『江差追分』で有名な江差町まで辿り着きました☆

私は顔ハメニスト☆として数多くの顔ハメパネルを体験してきましたがこんなにしっかりした顔ハメパネルは初めてでした…♪
ハメ心地はそんなに高くもなかったのですがアスレチック感が高かったのでナイスな顔ハメパネルだったと思います☆

せっかくですのでこのすぐ隣りにあった和食レストランでニシン蕎麦を食べて来ました♨
とっても美味なお蕎麦でした☆
江差の道の駅にはなんだかよくわかりませんが存在感のある人がいました☆
この人です。

よくわかりませんでしたがこの人はきっとこの海岸に関係のありそうな人だと思います。
名前がついてますからね…☆

風が強い海岸でしたがそんな日本海もいいですね☆
私が暮らす伊達市の海岸とはやはり全然違う海岸ですね。
先程の人とも記念写真を撮影してみました☆

ここは江差の道の駅なのですが北海道で1番小さい道の駅らしいのです…♪
なぜなら…
そんな紙が貼ってありました☆

にしん蕎麦を食べてさらに南へ向かおうかと思った時でした…
『おおぉ~~~~~~いっ!!』と小さな声が聞こえてきました☆
んっ?!
どこだろぉ~~?
するとさらに…
『おおぉ~~~~~~~いっ!!こっち!こっち~~~~』と聞こえてきました☆
おおぉ~~~~~~♪
キミかぁ~~~~♪
この人でした☆

おおぉ~~~~~♪
なんだか楽しそうな街道じゃないですか☆
彼がいざなういにしえ街道はまた明日書かせていただきますね☆
北海道Blogランキング現在5位です☆

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クールに攻める両立への道 〜味と時間で勝負!地域にファーストフード文化を育てたい!『GOTHAM DRIVE IN』オーナー成田大海氏の戦略とは〜
取材に伺ったのはグランドオープン1週間前でした。 かっこよくコーヒーを落としてくれたので、さっそく聞いてみました。 「珈琲はどこで修行されたのですか?」 「YouTube先生です。いまどき修行なんて流行りませんよ。」 「え……。」 こんな会話から始まった今回の主人公は成田大海(Hiromi)さん。 3シーズンは俱多楽湖で「Paddle Street Outdoor Service」として カヤック・カヌー・サップガイド事業をされています。 入店いきなりの会話で「意外と軽い人?」と思いきや、 実は真逆なタイプであることが段々と分かってきました。 バックボーン(学生時代)のこと 改めて、成田大海さんは苫小牧市ご出身の35歳。 小さい頃から大学までアイスホッケーに勤しんでいました。 御祖父様からお父様、大海さんまで三代続くアイスホッケー一家だったと言います。 「大学にはスポーツ推薦で入学しました。 16歳の時に日本代表にもなりました。 でも、それほどアイスホッケーが好きだったのか?と問われると実は微妙です。練習が終わるのはいつも夜中の2:00頃でした。 競技場があまりないので、小さい子どもから順番に予約を入れていくと、大学生は夜中の割り当てになるんです。 これは結構キツかった…。 それに、本当は美術部に入りたかったし・・・(笑)絵を描くのが好きでしたから」。 「美術部ですか?また随分かけ離れていますが…。 それにしても練習終了が夜中の2:00とは驚きです。寝る間もなければ、学校へも行けなくなりますよね」。 「そうですね。大学では法律を学んでいましたが、授業はほとんど出ていませんでした。だから結局、退学して働くことにしました」。 「辞めてしまわれたのですね。授業はほとんど出ていなかったとのことですが、アイスホッケーは続けていらしたのですよね? 続けてやっていたことで今に繋がっていること、やっていて良かったと思えることはありますか?」 「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 なるほど。 このことについては、また後ほど触れるとして〜。 バックボーン(料理)のこと 「大学を辞め、勤めはじめたのは西麻布のバーでした。 そこは六本木や恵比寿にも店を持っていたので、その3店舗を昼夜行き来して働き、飲食店の辛さや面白さを4年ほど学ばせていただきました」。 「ほ〜!GOTHAM DRIVE INのルーツはそこにあるわけですね! その時、今の大海さんのその後を決定づけた方はいましたか?」 「はい、いました。かなりぶっ飛んだ人でしたが、メキシコ料理がすごく上手で美味しくて、いっつもテキーラを飲んでいる恵比寿店の店長でした 笑 でも、この店長のおかげで本物上質なテキーラを知り、メキシコ料理を学ぶことができました」。 なるほど! 繋がりました! バックボーン(パドル アクティビティー)のこと 「ありがとうございます。料理の背景は分かりました。では、パドルアクティビティーの世界へのきっかけを教えていただけますか?」 「趣味は釣りなんですが、その延長線上にあったのがカヤックでした。 カヤックに乗って釣りをしたいなあ〜と。 僕、基本、人見知りなんです。釣りなら一人でできますし。 学生時代からアイスホッケーにも釣りに行かないときは引きこもって調べ物ばかりしていました。 で、カヤックを色々調べていたら、小樽の塩谷でガイドをしている『ブルーホリック』に行きつきました。そのときは、へ〜!こんな仕事があるんだ…。と思った程度でした」。 「なるほど。飲食店で働き出す前から興味はあったのですね」。 「はい。北海道に帰って仕事をしたいと考え始めたとき、ブルーホリックを思い出して履歴書を送りました。 そうしたら、わざわざ代表の嘉藤さんが上京して会いにきてくれました。 事実上の出張面接となったのです」。 面接をパスして25歳で帰京。 ブルーホリックで働くことになった大海さんは、カヤック修行への道に入りました。 入店時、「修行なんていまどき流行りませんよ」 と言っていた大海さんでしたが、アイスホッケーにしても、カヤックにしてもその道をきちんと歩いたからこその台詞だったというわけです。 「上下関係の厳しさが身についているというのは私生活にも役立っていると思っていますが、特に仕事には必要なことだと思っています。 例えばブルーホリックの嘉藤さんは仕事には物凄く厳しいんです。 一歩間違えば大変危険な環境の海で行うカヤックというアクティビティーですが、どんな時でも、お客様の命を絶対に守らないといけないわけです。 だからどうしても指導は厳しくなる。 当然だと思います。 でも、そのような嘉藤さんの姿勢をなかなか理解できない人もいる。 そう言う意味で、僕はアイスホッケーにしても料理にしても上下関係が厳しい世界にいたので、耐えられたしそういうものだと捉えることができました。打たれ強さも育っていたかもしれません」。 先ほど、「アイスホッケーをやっていたことが今に生きていることは? の質問に「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 と答えてくれましたが、なるほど〜と思えたお話しでした。 大海さんはブルーホリックで2シーズンを修行した後、嘉藤さんの紹介を受け、沖縄座間味島でさらに2シーズン修行しました。 のちに独立を考えだした大海さんの背中を押してくれたのも嘉藤さんだったと言います。 「でも、強く押されたと言うよりも、『いいんじゃない?』と言った軽いかんじで・・・(笑) これ、嘉藤さんらしさです。 人の繋がりを大切にする本当に懐が広く深い方でとても尊敬しています。テキーラ好きな六本木の店長ともなんとなく似ているかも」。 二つの道を極めようとした背景には、二人の師匠がいらっしゃったわけですね。 それぞれのバックボーンを活かしたい! 独立を決めた時、飲食業とアウトドア業の両方をやりたい! と考えていた大海さんは、北海道に戻り活動フィールド探しを始めました。 2019年のことです。 本当は前職で貯めたお金で南米へ料理修行に行きたいと思っていたそうですが、それよりそのお金で早く事業を始めようと考え直し、南米行きを諦めたと言います。 支笏湖や洞爺湖も視野に入れつつフィールドを探し回り、倶多楽湖に出会った瞬間「ここだ!」と即決したそうです。 「俱多楽湖がなかったらここには来ませんでした。 とにかく水が綺麗で感動しました。 すぐに元々あった施設で当時休止中だったレイクリゾートのオーナーさんに交渉し、施設管理を条件に使わせていただけることになりました。 パドルアクティビティーの拠点は確保しましたが、飲食店の店舗探しには苦労しました。 予算の関係もあってなかなか決まらなかった。でも粘り強く探し、待ち、いまの場所を購入することができました」。 決断と行動の速さを感じるエピソードに、アイスホッケーでゴールキーパーを務めていた大海さんの判断の速さがリンクして聞こえた筆者です。 店舗は、以前『ケニア』というレストランだったところです。 登別駅から登別温泉方面に向かうメインストリートに位置するとても目立つ場所にあります。 ドア枠は大好きな緑に塗り変えました。 店内の内装は電気工事(資格も持っています)に至るまで、 ほとんど自分でリノベーションされています。 「ところで、GOTHAM DRIVE INという店名の由来を教えていただけますか?」 「映画のバットマンに出てくる地名です。 映画の中のGOTHAMはNEW YORKのことなのですが、劇中では薄暗いイメージに描かれています。 それが登別という晴天率の低い街と重なりました。 まあ、単純にバットマンが好きというのもあるんですけどね。 それと、うちは『CAFÉ』ではないんです。 あくまでも『DRIVE IN』として存在したいと考えています。つまりファーストフード店でありたい。 そういう意味で、クオリティーの高さと提供の早さを売りにしたい。 観光のお客様って結構時間に追われています。 レストランやカフェは14:00くらいで一旦閉めてしまうところが多いですよね? だから14:00を過ぎても開いていて、その時間に食べても夕食に影響が少なくて、車の中で片手でも食べられるものと考えたらこのようなメニュー構成になりました。 何より、大好きなメキシコ料理が提供できますし」。 「カルニタスの肉は牛肉と豚肉を別々に煮込み、合わせて作っています。 牛肉は肉の食感を残したいので歯応えを感じるように。 豚肉は柔らかく煮込んであります。 それと、メキシコ料理は辛いイメージがあると思いますが、お子様でも食べられるように、ベースの味付けには辛みスパイスは使用していません。辛いのが好きな方には別添えのスパイスで調整していただいています」。 味への拘りも相当なものでした。 時間を作っては、東京や大阪などの珈琲店や飲食店などを巡り、知識やアイディアの入手に努めているというお話しも伺いました。 日々の研究にも余念がありません。 「GOTHAM DRIVE INは、『おいしいね!』と言ってもらえるもの、手軽に直ぐに食べられるものを提供する親しみやすいファーストフード店を目指します」。 最後にそう語った大海さん。 日本マクドナルド創業者の藤田田さんを尊敬していると伺い、全てに合点がいった筆者です。 目指す師匠がもう一人いらっしゃいました。 もしかしたらいつの日か、西胆振にGOTHAM DRIVE INがチェーン店展開する日が来るかも? 大海さんがクールに目指すパドルアクティビティーとファーストフード店の両立。 心から応援したいと思いながらタコスを頬張りました。 次はナチョスをいただきます!! ―GOTHAM DRIVE IN 情報― https://www.instagram.com/gotham_drivein?igsh=MWx2eGk3dTI1bjJidg== 住所 〒059-0463 登別市中登別町174-9 電話 090-6937-7540 営業 10:00~18:00(水曜日11:00~22:00) 休み 木曜日 *2024.2月現在求人中 ―Paddle Street Outdoor Service情報― https://www.instagram.com/paddlestreet?igsh=enh5eGY3c3BuaDB1
Rietty
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【あの人に会いに】地域にひらく [ 坂本瑠美さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 一度は会いに行ってみてほしい、 地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.2 今回は、2024年6月2日(日)に 洞爺八幡神社にて開催される 『とうや古本市』の主催者 坂本瑠美さんにフィーチャーします。 瑠美さんが暮らしているのは洞爺地区。一緒に町を歩いてみると、並外れた情報量に驚きます。 「ここは〇〇さんが管理してくれてる場所でね……」「ここの道は子ども達と歩くのにとっても良い場所で……」「あ、〇〇さんがいる!寄っていこう!こんにちは~」……と、こんな様子でエンドレスに繰り出される地域のお話。 この地区の住民はほぼ全員知り合い、町のあらゆることに詳しい、まさに地域の生き字引。そんな瑠美さんなので、もう何十年も洞爺地区の住民かと思いきや……なんと移住してまだ8年だと言います。 「何年も前から居る人みたいだって、洞爺に来て数週間の時にはもう言われてたね (笑)」 多くの人と繋がり、大量の情報を蓄積し、それをまた人へ繋げていく。瑠美さんにとってはとても自然なことなのかもしれません。 移住の決め手は、子どもが沢山いること 瑠美さんは帯広市出身。清水高校の総合学科に進学します。とても自由な校風で、好奇心の赴くままに楽しく過ごし、”キャンプ好き”となっていきました。卒業後は札幌の調理専門学校へ。そこで旦那様と出会い、結婚・出産。若くして母となりました。瑠美さんについて特筆すべきことのひとつは、”子どもと仲良しな母ちゃん”。 「長男がもう20歳!長女も中3、子育てが終わっちゃうのが寂しい!!!」 札幌や江別で長く暮らしていましたが、よくキャンプに訪れていた洞爺湖に惹かれ、移住を決めます。長男が中学校に進学するタイミング、長女が小学校2年生の時でした。 「札幌はモノも人も多くて沢山繋がれるけど、都会ならではの子育てのしにくさもあって。例えば、騒音問題だったり、公園でボール遊びしちゃダメだったり、子どもだけで遊びにいけるところがなかったり……」 洞爺地区で、自由に遊ぶ地元の子ども達を見かけていたことが、のちに移住の決め手となりました。 地域に根差し、広がり続ける人脈 食べるの大好き、食べさせるのも大好き!な瑠美さんは、調理師として働いていましたが、洞爺移住後は「生産者側を経験したかった」と農家へ。3年程働き、調理の道へ戻ろうと転職を考え始めた頃に新型コロナウイルスが流行します。飲食業は縮小、調理師としての就職先は狭まっていました。そんな中、変わらずに募集があったのが保育園の給食室でした。 「午前は給食の調理をして、午後は学童スタッフとしても勤務できることになって。学童で子ども達と遊ぶのが、とっても楽しかったんだ~!ずっと一緒に遊んでいられる!」 偶然たどり着いた二つ目の天職。現在は学童の職員となり、時には給食センターやとうや水の駅食堂TSUDOUにて調理師も続けています。母でありながら3足の草鞋!とても忙しそうですが、まだまだそれだけではありません。 NPO法人地域自然活動センター森・水・人ネットの理事、PTA活動、洞爺八幡神社の総代、等々……ここに書ききれないほど多くの団体に携わっています。あちこちから声をかけられるひっぱりだこ、人脈は広がり続けます。 地域の神社をもっとオープンに! 沢山の活動のうちの一つ、洞爺八幡神社で開催している『とうや古本市』はどのようにして始まったのでしょうか。 きっかけは、瑠美さんが町内会の役割の一つとして、たまたま総代*になったことから。長く神社を支えてきた会長や総代たちの想いを聞き、動き出します。 「総代を務めたい人も少なくて、町内会で回り番でっていう感じで……もっと地域の若い人に楽しんで場所を繋いでもらわないとっていう危機感があったんだよね。会長も、もっと自由に使ってと言ってくれていて」 氏子……氏神様がお守りする地域に住んでいる人々。氏神神社の運営・維持、行事などを行う。 総代……氏子の総代表。祭祀や保持活動に努める役割を持つ人々。 ”本好き”という共通点があった会長や総代たち、話はとんとん拍子で進みました。 「(当時)本屋が無いこの地域で、本を手にとれる場所が欲しいよね、とよく話していて。神社での開催だから(予算をかけず)”ばくりっこ”で。この地域だとどんな本が出てくるんだろう、という興味もあったしね」 とうや古本市は、不要な本を持参し欲しい本を持って帰る、”ばくりっこ”スタイル。ゆったりとした境内では『その本は〇〇さんのオススメだよ』、『これ面白いね』と会話が生まれ、来場者が本を通して繋がっていきます。 「小さい頃この境内で遊んでいたという人たちが、『神社で何かやってる!』とたまたま来てくれたことがあって、そういうのも嬉しいよね」 ただ場を繋ぐためのイベントではなく、持続可能な開催を目指して主催者が楽しむことを大切にしていることも、とうや古本市の特徴。『焚き火で焼き芋がしたい』、『地域の楽しいお店も呼ぼう』……そうして、地域住民にも毎年楽しみにされるイベントとなりました。 子ども達のたまり場をひらきたい 地域のために動き続ける、実行力抜群の瑠美さん。これからやっていきたいこと、目指すところはあるのでしょうか。 「誰もが気軽にふらっと集まれるような、子ども達のたまり場を作りたいなと思っていて」 学童で日々子ども達と触れ合い、真っすぐな好奇心に共鳴していくうちに、もっと探求できる場をひらいてあげたいと思うように。 「大人は知りたいことを自分で見つけられるし、すぐに調べることもできる。でも、子ども達が自分でリーチできるものって、自分の周りにある環境だけ。すぐ近くに沢山の面白いこと・面白い人がいるから、それを繋いであげられる場所がほしいなって」 そんな場所ができたなら、子どもだけでなく大人も楽しめるスポットになりそうです。老若男女がワイワイ集い、誰でもフラットな関係で、好奇心のままに学びを追求できる……素敵な”未来の場”のイメージが浮かびました。 来る6月2日(日) のとうや古本市は、そんな明るい未来の話が自然と生まれる場所でもあります。とにかく多忙な瑠美さんとゆったり話せる、貴重な機会かもしれません。新緑が眩しい、気持ちの良い境内を楽しみに、ぜひ足を運んでみてください。明るい瑠美さんにつられて、笑顔になってしまうこと間違いなしです。 <とうや古本市> 日時:2024年6月2日(日)10:00~15:00 場所:洞爺八幡神社(虻田郡洞爺湖町字洞爺町1番地) ★入場無料、飲食や雑貨など各種出店あり ★お家に眠る不要な本がありましたら、ぜひご持参ください! ★とうや古本市は、年2回、春・秋に開催しています。今回が5回目!
misaki
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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垣根のないコミュニティー作り “ とうや水の駅食堂 TSUDOU ” の未来像
交流の場つくり はじめにお二人がタッグを組み“とうや水の駅食堂 TSUDOU “ をつくりました。 一人目。 運営担当 折原 英明さんは札幌ご出身の46歳。 8年間、フランチャイズの外食産業においてスーパーバイザーとして勤めていました。 そして二人目。 店長 石塚 誠さんは伊達ご出身の44歳。 23年間、洋食の調理を経験されていました。 さて、始まった“ TSUDOU “ の未来をお二人はどのように想い描いているのでしょうか? 今回は、洞爺水の駅に5月6日に新規オープンされた“ TSUDOU “の運営担当 折原さんにお話を伺いました。 実は以前、こちらの場所には人気のうどん屋さんが入っていました。 ところが、そのお店が昨年閉店した後、2022年2月に新しい飲食店の公募がありました。 その際、5件の応募があった中、とうや水の駅食堂TSUDOUの企画が採用されました。 折原さん 「TSUDOU=集う 場として、あるいはコミュニティーの場として、人と人との交流の場として、“いつも開いていること” “いつも人が居ること” を大切にする場所づくりをしようと考えました。 その場の入口を『食堂』という形にしたのです。」 ↑注文カウンターは廃材を利用して作られています 移住を決意 筆者 「なるほど。ところで札幌ご出身ですよね。移住のきっかけは何ですか?」 お子様が小学校入学のタイミングで移住を決意されたということで、その背景を話していただきました。 折原さん 「札幌に住んでいた頃から、湖が近くて景観も良く、あくせくしていない旧洞爺村が気に入って、8~9年間くらいよく遊びに来ていました。子どもも連れてきていたのですが、湖畔の商店のお子さんと一緒に遊んでもらったりして、子どもの方がこの地域に早く馴染んでいました。大人たちも良く声がけをしてくれましたし、面倒もみてくれましたし。まさに昭和の子育てのような雰囲気でした。年代問わず、地域で子育てをしているような…そんな様子を見ていて、子育てするのにもここは良い環境だなあと感じるようになりました。それが移住の決め手です。」 このお話には筆者自身の思い出と重なり、とても懐かしい気持ちになりました。 自然も豊かなここがそういう地域ならば、確かに子育てには最適です。 ↑いつも温かく迎えてくれる洞爺湖 ↑お子様連れもWelcome! 筆者 「なるほど。では、初めからここで飲食業をしたいと考えて移住して来られたのですか?」 ↑お子様用オムライス。喜びそうです ↑シンプルさに安心感を覚えるカレーライス ↑伊達大矢ミートさんの黄金豚を使ったカツ丼 折原さん 「はい。飲食業に携わりたいと考えていました。この業界に長くいましたので、ノウハウは持っていました。それに自分が観光客としてここに来ていた頃、食事をするところを探すのに結構苦労しました。冬季休業してしまうお店も多いですし。ですので、ランチ難民を出さない地域にしたいとも考えました。」 ご自身の経験からこの地を選び、ご自身の経験から食堂のスタイルを決めました。 言ってみれば、約9年間のモニター結果から考えられた形ということになります。 まさにスーパーバイザーとしてのご経験が活きています。 ↑ホタテ漆喰を塗り、リノベした壁 TSUDOUへの想い さて、取材に伺った時はまだ店内が未完成の状態でした。 私ならきっと、あまりお客様には見せたくないと思う店内の姿がそこにはありました。 例えば壁。 ホタテ漆喰で塗られていましたが、まだ塗り残した面が多くあります。 テーブルも作成途中でした。 その理由の一つには、企画が採択されてからOPENまでの準備期間が1ヶ月そこそこだったということがあります。 でも折原さんは動じていませんでした。 “ TSUDOU “という場が徐々に変化していく姿も楽しんでほしいという想いがあったからです。 こちらのロゴマークをご覧ください。 とても余白の多い、シンプルすぎるように見えるデザインです。 でも、ちゃんと意味がありました。 「デザインの余白は、ここに集う人々が自由に描いてほしいと思っています。 地域の方はもちろん、観光で訪れた方にも、パブリックの場として誰もが気軽に入られる場でありたいですし、それぞれの想いを大切にしたいと考えています。 そのための入り口として『食堂』という形をとっています。 既住者であっても移住者であっても、子どもであっても高齢者であっても全ての垣根を取り払って融和していく中で、新しいアイディアや交流が生まれ、情報発信基地となり、結果として町に貢献できたら嬉しいです。」 と、折原さん。 ↑水の駅の入り口には車椅子も用意されています ↑いつも人がいる安心感を感じていただくために、施設内が見渡せる位置にテーブルを配置しています。とても開放的な雰囲気。 ↑大きなガラス戸の向こうには洞爺湖がいつも見えます 誰もが構えることなく入ることができる、親しみやすさと安心感がここにはありました。 きっと、“ 目の前に洞爺湖 “ というロケーションも手伝っていることでしょう。 「まずは水の駅をを含めて洞爺地区を盛り上げていきたいです。そのためにも、地域住民・役場・洞爺まちづくり観光協会・洞爺湖町商工会議所・地域の商店などとしっかりタッグを組みたいと考えています。そして、ゆくゆくは洞爺地区だけでなく虻田や温泉も含めて洞爺湖町の活性化に貢献していきたいと思っています。」 ご自身が観光客としてここに訪れていた時、地域の人々に温かく迎えていただいた恩返しをしたいとも話されていました。 食堂のこと ところで、食堂のお話。 筆者 「メニュー構成を教えていただけますか?」 折原さん 「メニューについては奇をてらったものは一つもありません。コンセプトは『洞爺の野菜と丼めし』です。食材については、野菜は洞爺産、肉は伊達の大矢ミートさん、鶏肉は伊達のめぐみ鶏を使用しています。将来的には、洞爺産野菜を使ったサラダプレートや、洞爺湖産のワカサギやヒメマスを使った料理も提供したいと考えています。」 ↑どれも馴染み深いメニュー構成です。メニューを見て料理をイメージできることは大切ですね。 最後に〜 お話を伺っていて筆者が気づいたこと。 それは〜 折原さんは、とてもフレキシブルな考え方をお持ちの方だということでした。 良い意味で頑固ではない方。 そして、全てにおいて『人』という存在を強く意識しておられる方でした。 “ TSUDOU “ という場から生まれる『何か』に大きな期待を寄せつつ、ロゴマークの余白が、訪れる人々の想いで彩られていく未来が楽しみになった筆者でした。 ―TSUDOU 情報― 場 所 洞爺水の駅内 営業日 ・5月中は不定営業 ・4~10月末 10:00~17:00 ・11~3月末 10:00~16:00 定休日 毎月第3木曜日(不定休あり) 詳細はinstagramをご覧ください。 https://instagram.com/toya.tsudou?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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