
ホテルマンの幸せ
夏が終わったら…
おはようございます♪
ようやく北海道も真夏っぽい感じになりました☆
北海道は夏が短いのでこうじゃないと困っちゃいますよね。
毎年、真夏のビールフェア☆が終了したら4連休を取って気ままな旅をしているのですが今年はすでに14日と16日に伊達での予定があるので…
14日(日)夜 伊達市
15日(月)未定
16日(火)昼 伊達市
17日(水)未定
となっているので気ままな旅はしない年になりそうです。
それもまたいつもと違う休暇になってそれはそれでいい感じでもあります☆
昨年のこの長期連続勤務の後には…
こんな感じでした☆
Oh~Oh~~Ohっ~~~っ!
JAPA~~~~~~~~~~~っN!!!!!!

うっうおぉ~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!
剛ぃ~~~~~~~~~っ!!!!!!!
このオープニングの1曲目の『JAPAN』で涙が溢れてしまった…
「長渕剛富士山麓10万人オールナイトLIVE』に行っていたのでした。
この写真を見ただけでもまた泣きそうだ…

今まで曇っていて見れなかった富士山が朝日とともに広がって私が大好きでたまらない曲『Myself』のイントロが始まったのでした。
今日まで生きてこられた事や今ある全ての環境に感謝し今日からまた生きていこうと思いました。

長渕剛という人を信じ、今まで数えきれないくらい聴き、数えきれないくらい唄ってきた事を誇りに思います!
そんな昨年の熱い熱い夏の出来事だったのです。
私の一言から始まったこの富士山麓オールナイトLIVEに一緒に行ってくれた熱い仲間達にも心から感謝です!!


来月に会うあの仲間との再会がとても楽しみです…♪
本日のビールフェア☆ですが…
昨日の夜の時点で予約が190名様になっていたので250名様くらいになりそうな予感です…
アドレナリン全開で頑張ります!!!
本日もどうぞ宜しくお願い致します☆

北海道ランキングNo1を目指してチャレンジ中でございます♪
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きのこから森を観て、森から地球を観る 〜愛ある きのこアドバイザー 中嶋潔ワールドへようこそ!
きのこ観察会にて この日は、倶知安にある「GURUGULU」というオフグリットのゲストハウスで「きのこ観察会」が行われました。 参加者は小さなお子様から大人までの15~6人。 この日筆者は、「きのこ観察会」への参加と、今回の主人公 中嶋潔氏 の取材目的で出かけて行きました。 お天気最高の野外活動日和♪ 実は筆者、潔さんの観察会には“きのこ”以外でも参加しています。 今回で4回目。 中嶋潔ワールドは、毎回飽きることなく楽しい時間を過ごせます。 何故かって? それはきっと、森愛溢れる潔さんと森にいると、とても楽しくて、平和で、幸福感が何倍にもなるから。 森がいっぱいの日本に住んでいて良かった! 地球に生まれて良かった! そんな幸せの時間を与えてくれる人だからです。 子どもも大人も惹きつける潔さんの技はひとえにお人柄が成すものです。 子どもって、そういうところを察する力に長けていますので、すぐに人気者になってしまいます。 中には、きのこ博士くん候補生のように詳しい子もいました。 毎回観察会を楽しみにしているご家族もいらっしゃるようです。 そして観察会の締めは約11種類もの“きのこ”が入ったうどんを毎回振る舞ってくれます。 実は皆、これも大の楽しみ🎶 林床への興味 実は潔さんは、あの難関資格「森林インストラクター」でもあり、「きのこアドバイザー」でもある森の人。 2001年から6年間林業に携わり、現在はニセコのリゾート会社にお勤めです。 「北大のポプラ並木が倒れたり、支笏湖周辺の森の木が軒並みなぎ倒された大きな台風が来た2004年、悲しいことにリストラに遭ってしまいました。管理する木がほとんど倒れて無くなってしまったからです。でも林業の仕事が大好きだったのでその後は民間会社の林業部門で働きました。林業に携わっていた6年間で行っていたのは、育苗・植林・伐採・管理。おもにトドマツ・アカエゾマツ・カラマツ・ミズナラ・ケヤマハンノキなどを植えていました。働き始めた頃は何も知らなかった樹木の名前も、毎日触れて観察をしているうちに、2年で倶知安周辺の樹木は全て覚えてしまいました。この地域の樹木について、ある程度把握できてきた時に、次に興味が湧いたのが、いつも樹木のそばの地面にいる、きのこたちでした。」 「興味を持ち始めた頃から直ぐに“きのこ観察会”を催すようになりました。自分自身はまだまだよくわからなかったので、黙々と独学もしつつ、『誰か詳しい人!?』と呼びかけて興味がある人や詳しい人と一緒に観察をすることで少しずつ覚えていきました。最初の頃は図鑑を森に持って行き、調べながら歩いていました。でもそれをやるとなかなか進まず多くを観察できません。実は、“きのこ”ってまだ良く分かっていないことが多いです。日本には5千〜1万種類くらいはあると言われていますが、その内、名前が付いているのは2500種類くらいです。そしてそれらのうち、一般的な図鑑に掲載されているものが800種類ほどです。名前のない不明菌と呼ばれるものの方が非常に多いことになります。実際に森を歩いていてもわからないものがたくさんあるわけです。だから、図鑑を持ち歩くのはとても非効率になります。ある日、北海道大学名誉教授の五十嵐教授の観察会の仕方を見て衝撃を受けました。森の中では一切図鑑を開かなかったのです。だから、僕も現場で図鑑を開かずに、種を言い当てることができるようになる努力をしました。きのこ用のカメラを買い、色々な角度から写真に収めてあとで調べるという方法をとりました。10年くらい続けてやっと種の見分けに信憑性が出てきたかな〜。」 にわか仕込みで覚えようとしている筆者には耳が痛い話です^^; 「また、FaceBookでは『北海道のきのこ好き』というグループを作って、常に新鮮な情報交換をしています。オンライン上の趣味のグループって、とかくイザコザが起きやすいのですが、このグループは居心地の良いグループにしたかったので、しっかりルールを守り、ネット上のマナーをわかってくれる人のみを承認するようにしています。自分がなかなか見られない“きのこ”も皆さんがシェアしてくれるのでとても勉強になります。」 常に学ぶ姿勢を止めない潔さんです、 そしてじきに、潔さんに転機がやってきます。 「ニセコのある会社から、スキー場ゴンドラの夏季営業を始めるに際し、山頂で自然体験部門を立ち上げるのでその担当者にならないかという話しが舞い込みました。好きな分野でしたので直ぐにお引き受けし、2007年から2020年に廃止されるまで担当しました。コロナ禍がきっかけでその部門はなくなってしまい、今は別のセクションにいるのですがあれは楽しい仕事でした。」 今ももちろん“きのこ”への愛は変わらず持ち続け、観察会活動はライフワークとして続けているというわけです。 「ところで、“きのこ”は確かに可愛くて面白いですが、それほどまでにのめり込んだのは何故ですか?どこにそんな魅力を感じたのでしょうか?」 「石炭期を終わらせたのは“きのこ”だという話を知っていますか?」 「え? あ…はい。一応ネイチャーガイドの端くれですので…」 「“きのこ”への興味は食べられるor食べられないだけではありません。まず、一期一会で神出鬼没なところが面白いのです。“きのこ”への興味を覚えてから20年超えてもまだまだ情報は更新し続けています。実に奥が深い。地球上の“きのこ”の登場は、酸素と二酸化炭素濃度のバランスに関係しています。地球上にきのこが登場する前、植物たちは枯れても分解されることがないので、その遺骸は地面に溜まり続け、それが石炭となって地面の中に二酸化炭素の多くを封じ込めてしまいました。そのため地球の酸素濃度はどんどん上がり続けましたが、“きのこ”を含む菌類の登場により、死んだ樹木を菌類が分解するようになり、石炭はできなくなってしまいました。その後、大気は現状の酸素濃度で安定し、土壌も変化し生き物は進化し、現生の植物が誕生しました。“きのこ”の登場は、地球上の生物や植物にとってとても大きな出来事だったのです。“きのこ”をはじめとした菌類が地球上の生命活動の重要な鍵を握っているわけです。」 なるほど〜。 もうかなり前のめりな筆者。 目がキラキラしているのを自覚しました。 もっともっとその続きを聴きたい衝動を堪えて、取材モードに戻しました。 同時にここで、潔さんが一体どんな子ども時代、青年時代を過ごしたのかということに俄然興味が湧いてきました。 潔氏 小学生〜大学生の頃 「小学生の頃は物知り博士的キャラでした笑」 「それって今と変わらないですね笑」 「そうだね。たぶん僕は父親の影響をかなり受けていると思います。父は兵庫県赤穂市生まれで海育ちだったので、海が大好きな人でした。よく釣りやキャンプへ行ったなあ。今でいうグランピングのようなキャンプも体験させてくれました。父自作の2段ベッドがテントの中にあったんです。自然の中での過ごし方の基本を習ったのは父からでした。そして、ものすごい読書家で聡明でした。物事を科学的に考えることがとても好きな人で、それを試してみるのも好きでした。手先もとても器用だったので、周りが驚くようなものを色々作っていたなあ〜笑」 お父様のことを楽しそうに話す潔さん。 “ 困った人” “ 変な人 ” という言葉が何回も出てきましたが、その言葉の裏にある尊敬と愛が込められていることも筆者には伝わっていました。 「例えばね、自宅の一角にコンクリートの建物を作って、屋上に畑を作ったこともありました。ところが階段がない。梯子で上るわけです。そして父親だけはトイレを使わず糞尿を肥料として屋上の畑に撒くわけです。周りは住宅街。当然臭う。当時、父はEM菌関連の本を読み漁って研究をしました。決して環境問題に傾倒していたというわけではなく、素朴な感情で超循環の暮らしをしたいと考え、自給自足を目指していたのだと思います。大変だったのはお袋だろうなあ〜笑」 「あ。こんなこともありました。当時大阪府に住んでいたのですが、自宅の近くに天の川という名の川が流れていて、その河川付近に遊んでいる土地があると放っておけない。開墾しちゃうんですね。特に迷惑を被る人はいないとは思いますが、まあ、今なら問題になりそうですよね…^^; とにかく、学校では学べない自由な世界があることを父が教えてくれました。」 お父様のお話を伺っていたのですが、途中から潔さん自身のお話を聴いている錯覚を起こすほど、お父様の影響を強く受けていらっしゃるなあと感じて、心の中でクスッとしてしまいました。 「中学生の頃は自転車少年でした。自転車の旅が好きで、高校の卒業記念に友達と13泊14日四国の野営旅をしたこともありました。高校時代はワンゲル部・新聞部・クイズ同好会を掛け持ちしていました。自然の中にいることも、ものを読んだり書いたりすることも当時から好きでした。北海道新聞のコラムを12年間連載したこともあります。」 しまった…。 またやってしまった…。 最近どうもうっかりとモノを書く人を取材相手に選んでしまいます。 潔さんは常に笑いながら話してくれるのですが、緊張が走った瞬間でした ^^; 「大学時代はワンゲル部一筋でした。山は本当に好きで、仏教系の大学で哲学を学んでいたのですが、卒業後は北アルプスの山小屋で夏から秋まで五年間、小屋番をしていました。」 小学生から大学生時代のお話を聴き終わり、目の前にいる潔さんを作り上げてきた道筋が見えた気がしてものすごく腑に落ちました。 キノコから森を観つづけた潔さんが成し遂げたい想いとは 「最後に、成し遂げたい想いがあったら教えていただけますか?」 筆者が投げかけた質問に、それまで、ニコニコと顔いっぱいの笑顔で話していた潔さんの顔つきが急に変わりました。 「キノコは森を観る窓だと思っています。」 そう切り出した話の続きはこうでした。 「北海道の70%は森林と言われています。ずっと森を観てきた人間として、キノコを通して北海道だからこその森の守り方・育て方・稼ぎ方などを仕組み化していきたいと考えています。ご存じですか?北海道の人工林の約50%はトドマツ林です。 そしてなんと、トドマツ林にはおそらく世界で一番キノコの種類が多く生えているのです。 しかも、トドマツ林は保護林の中には存在しない。つまり、林床の利用は自由です。 北海道にしかできない「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたいと考えています。その資格制度を作ることで、北海道の人工林に最も多いトドマツ林に生えるキノコを熟知している人を増やせば、世界で最もキノコを理解している人を増やすことになります。キノコの理解者を増やすことで、森は森のまま木々を適正に管理して守り・育てることができます。木を切って売る林業ではなく、林床のキノコを売って稼ぐ林業を成り立たせる仕組み作りをしたい。トドマツの林床に生えるキノコの中には、マツタケよりも高値で取引されるものもあるんです。そして、その仕組みを推進する立場として『トドマツ林限定のきのこマイスター』が存在する。人工林ってね、人里に近いところにあるわけです。しかも人工林には必ず林道があるし、トドマツ林には笹がない。それらもその新しい仕組み作りにはメリットになります。つまり、人が入りやすくキノコが生えやすい環境である宝の森と言えるわけです。つまり、何をやりたいのかをもう一度と言うと、”森は森のまま維持する林業”の仕組み作りのために「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたい!と考えているんです。」 土の中や倒れた木の中で、人間の目には触れない世界の中に無数に張り巡らされている菌糸たちのネットワーク。 そして、空気中に飛び出した見えない胞子たち。 地表の循環の立て役者キノコたちを通して語る潔ワールドの森愛・地球愛・人間愛にすっかり魅了され、潔さんの成し遂げたい想いを応援したくなった筆者でした。 ―中嶋 潔氏 情報― FB : https://www.facebook.com/kiyoshi.nakashima.18 FB : 「北海道のきのこ好き」 ・倶知安「風土館」にて時々講演をしています。 ・「北海道のきのこ好き」に参加すると、各種ワークショップ情報を得られます。 10/29にも倶知安「GURUGURU」にてキノコ観察会があります。
Rietty
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木地師+α な多才人「工房夕花野」主宰 “ 石垣 拓也 “という人間に出会った。
大滝 三階滝近く、前夜雪が降り気温2度の寒い日。 広い建物にはストーブもなく、ほぼ我慢比べ状態の中取材をさせていただきました ^^; しかも2時間半。 今までの最長時間でした。 なぜならば、今回お会いした石垣拓也さんのお話がめちゃくちゃ面白い! それはもちろんお笑い的とかではなく、共感できるワクワク話が多かったのです。 もう、何をしに行ったのか忘れそうになるほどでした。 それはつまりはこんなお話し〜〜。 石垣さんは、今年の8月に置戸町から伊達市大滝区へ移住して来られた地域おこし協力隊員さんです。 そして、実は木地師でもあります。 そう、何を隠そうあの40年ほどの歴史がある「オケクラフト」の元職人さんでした。 しかも奥様も(奥様のお話はまた日を改めて。一緒に書いてしまうのは勿体ない程貴重な方なので〜)。 ここで少し「オケクラフト」についてご説明しますね。 https://okecraft.or.jp/about/ より引用 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 『オケクラフトは、置戸町の「オケ」、昔から地域産業として生産されていた曲げ桶の「オケ」と、「クラフト」を合わせた地域クラフトブランドです。 1983年(昭和58年)に置戸町と著名な工業デザイナーであった秋岡芳夫さんとの出会いから始まりました。誕生以来、置戸町では町を挙げた活動として、作り手養成のための研修制度、オケクラフトの販売、作り手への材料提供などをおこない、オケクラフトの生産、普及に努めてきました。』 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 地域を挙げてブランド作りに取り組み、成功した「オケクラフト」。 その影には元「Uni (鉛筆)」のデザイナーだった秋岡氏の存在がありました。 大量生産に疑問を持ち始めた秋岡氏が目指したのは、地域の木を使い、一つ一つ丁寧に作るクラフト職人を育てることでした。 その秋岡氏のマインドに共感し、師事されていたお一人が石垣さんだったのです。 でもちょっと疑問が…。 それは、何故、材料入手も販路も安定していた「オケクラフト」を卒業し大滝に来られたのか? 「たしかにオケクラフトを出るリスクはありました。オケクラフトにいれば販路は安定しています。 工芸家一本で食べていくのはとても難しいですから生活するには安心です。でも卒業しました。正直、職人として独立してもそれ一本では食べていけません。手作りなので数は作れませんから、収入は限られてくるのです。特にこの二年のコロナ禍では、それまで開催していた大手デパートでの展示会へもお客様が集まらなくなりましたし、中止になったものもありました。つまりコロナ禍での工芸品は、贅沢品で別に無くても困らない二の次の物になってしまったのです。」 ↑コロナ前までは札幌三越・さっぽろ東急百貨店などで展示販売をされていました。 このお話しは、観光に関わる仕事をしている筆者にも痛いほどに分かり共感しました。 でも、石垣さんは安定を捨てました。 「納品先(オケクラフトの場合は町)が安定しているということは、同じものを大量に作らなければいけなくなります。ここまで育てていただいたことにはとても感謝をしています。でも、もっとチャレンジがしたかった。たとえ時間が掛かったとしても、たとえ少ししか作れなかったとしても自由な発想で手間暇惜しまず物づくりがしたかった。大量生産から少量生産に切り替えたかった。つまり、作る量を半分に減らせば質は上がる!という結論を出したのです。でも、収入は確実に減る。…ということは、他に収入が無ければ食べていけません。」 なるほど。 とても納得します。 さらに石垣さんのお話しは続きました。 「他の収入を考えた時、広い工房を持って “ ワークショップ ” や ” 体験学習 ”を行って収入源にしようと考えました。対象は子供と親子。作品の材料となる木が生える森へ出かけていき、森、そして木に親しんでほしい。作品の背景となる木についても知ってほしかったので、近代化された都市部に行くつもりはありませんでした。自然豊富な環境に恵まれた地域で、そこに住む方たちと連携しながら、みんなで自分たちの住む地域を盛り上げていける所を探していて辿り着いたのが大滝でした。というか、ここしかない!と思いました。自然環境も人も建物環境も全て自分たちには最適な場所だったのです。 ここは本当にポテンシャルが高いです。札幌や千歳からのアクセスもとても良いですし。 あとは、どんなコンテンツを作ってどう発信していくか?だと思っています。もちろん資金確保の問題もありますが…。」 ↑材料はその木が育った森が分かるものを生木で購入します。材となり薬に浸かったものや外国産のものは使いません。あくまでも安心安全な北海道産のものに拘っています。 ↑皮を剥ぎ、用途に合わせて切り出していきます。 ここまで伺って、筆者はワクワクが加速していってしまいました。 なんて素敵な方が伊達市に来てくださったのだろう!! しかも石垣さん、オケクラフトメンバーになる前は店舗マネジメントのお仕事を8年ほど経験されておられ、その構想のお話しがただの夢物語ではなく、きちんとマーケティング理論に基づくものだということが分かりました。 なんとも頼もしい限りです。 掘れば掘るほど壮大な構想が出て来るご様子でしたが、今回はここまでの取材にとどめることにしました。 続きは素敵な奥様(曲師)の取材の時に伺いたいと思いますので乞うご期待! ↑奥様もオケクラフトご出身の曲げ職人さん。早く取材させていただきたい! 最後に、近々のご予定を伺いました。 「現在準備中の工房が年明けには整いそうです。 将来のワークショプのために、近々、木育マスターの資格も取得しようと考えています。そして来年9月には料理研究家の菅田奈海さんとのコラボで「食育と木育」のイベントを行います。対象は近隣の子供達と親子。伊達市内の会場を予定しています。」 話しは尽きなかったのですがここでタイムオーバー。 でも、筆者が石垣さんとお話ししていてはっきりと分かったことがありました。 それは子供たち、そして選んだ地域への愛でした。 日本の宝としての子供たちに、自分の仕事として何ができるか? 同時に、家族とともに協力しあいながら生活を支えるためにはここで何がしたいのか? 選んだ土地で、地域全体、そして自分が楽しく幸せに暮らせるために何をすべきか? すでにその答えは出ていました。 それらを考えた上での大滝移住でありビジョンなのでした。 地域おこし協力隊で 木地師+αの多才人 石垣拓也さんが起こす風。 風向きを見届けつつ応援したいと思います。 伊達市、ますます楽しくなりそうです。 ↓「夕花野」Instagram https://instagram.com/yuhanano_hokkaido ↓夕花野オンラインショップ https://yuhanano.handcrafted.jp/ 夕花野 主宰 石垣 拓也 E.mail : gakkey326@gmail.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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『道民割り』洞爺湖温泉でタイ古式マッサージ! [ loosen spa / 洞爺 ]
洞爺湖温泉街にタイ古式マッサージ店がオープン! 洞爺湖温泉街に新たなお店!”タイ古式マッサージ” のお店【loosen spa】(ルースンスパ)が2025年5月にオープンしました。 loosenは英語で「緩む」という意味。「お客様が身体も心も緩んでいただけることを心がけて」 この名前にしたそうです。 アパレル業界からセラピストへ転身、東京から北海道へ 店主、小山内陽子さんは伊達市の出身。上京し、はじめはアパレル業界で働いていました。今の陽子さんやお店の雰囲気からは想像できないですが、「渋谷の109でガングロになって」働いていたそう! その後、マッサージの虜となっていった陽子さんは、吉祥寺のリラクゼーションで2年間勉強。さらにご縁があり、芸能人も足繁く通うという、三宿のタイ式マッサージ店『アジアンブリーズ』で、10年以上勤務されました。本場のタイに何度も研修に行ったそうです。 「ずっとこのお店で働きたい!と思うほど」このお店で働くことが大好きだった陽子さん。しかし、離婚を経てシングルマザーとなり、地元の北海道に戻る選択を余儀なくされます。 北海道に戻ってからは、室蘭のリラクゼーションサロン『もみの木』で10年勤務し、洞爺湖の温泉ホテルでもセラピストとして勤務。そして2025年、「北海道にアジアンブリーズみたいなお店を出したい!」と一念発起。元はスナックだったという物件を改装し、5月にめでたく開店されました。 ”存在が安心そのもの” 愛されるセラピスト お店のロゴやイラストに看板、内装など、全てが手づくり。「全て友人がやってくれて!私は何もしてなくて……」と陽子さん。お店の至る所に、周りのみなさんの優しい想いが垣間見えます。 セラピスト仲間でもあるご友人のブログに、こんな文章を見つけました。 「彼女の人柄や生き方は、手放しで応援したくなる魅力があります。きっとすぐに人気のお店になると思うし、大変な時は力になりたいと心から思っているし、またわたしのような気持ちの人たちもたくさんいます。こんなに愛されているセラピスト、ほかに知らないかも。彼女のみんなに愛される魅力ってなんなんだろう?って今ならわかります。彼女の存在が安心そのもの、なんですよね」 付き合いの長いご友人がこんな風に綴ってくださるのだから間違いないですよね。明るい空気を纏う陽子さん、”存在が安心”という言葉にも頷けます。 タイ古式マッサージってどんなもの? タイ古式マッサージとは、タイに古くから伝わる伝統的なマッサージ。指圧、ストレッチ、整体などの手法を組み合わせたものです。全身の筋肉や関節をほぐし、血行を促進することで、心身のリラックスをもたらし、健康的な体調へと導きます。 タイ古式マッサージは着衣のままで良いので、動きやすい恰好であればそのまま私服で大丈夫。お着替えのご用意もありますので、お仕事帰りや外出から直接寄っても大丈夫です! 「2人で行うヨガ」とも言われていて、お家でのストレッチでは伸ばしきれない筋肉や関節が伸び、施術後はとってもスッキリ!ずっと同じ態勢でお仕事されている方、張っている身体をゴリゴリとほぐしてもらえますよ! イチオシはしっかりめの120min!最長は150minまでありますので、物足りないということはなく大満足でしょう。身体に常に健康でいてもらうために、メンテナンスとして定期的に組み込んでいきたいですね。 地元の方にも来てほしい!『道民割り』は20%OFF! 「観光客の方にも来てほしいですが、地元の方にも来てほしいと思っています。道民は20%引きです」。 メニューは ・タイ古式マッサージ ・足裏リフレクソロジー ・アロマオイル全身 ・贅沢組み合わせコース どれも時間別にコースがあり、なんと道民はどれでも20%オフで受けられます! ※メニューの詳細やお値段は、インスタグラム(@loosen_spa ) でご確認ください。 「大切なのは娘!!それしかないです!」とスパッと言い切る陽子さん。子育て中の方はマッサージだけでなく、お話することで力を貰えるかもしれません。 エネルギーが内から湧いてくるような、癒し空間を生み出す陽子さんが施す、”世界一キモチイイ”と言われるタイ古式マッサージ。頑張る自分へのご褒美に、温泉+マッサージ(+お隣のハンバーガー!)の至福セットはいかがでしょう。キモチイイひと時を『道民割り』で、ぜひ味わってみてください! 【loosen spa】(ルースン スパ) タイ式、リフレ、オイルのリラクゼーションサロン メニュー詳細はインスタグラム(@loosen_spa)にてご覧ください 定休日:日曜日・木曜日 営業時間:9:30-17:00 電話:050-8882-9361 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉70−5 ※駐車場は近隣の無料公共駐車場をお使いください。 セラピスト歴24年 🇹🇭ワットポータイマッサージ取得 🇯🇵タイマッサージ協会ベーシック取得 🇹🇭ロイクロフット&タイマッサージ取得
misaki
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「B5(シ)の声を絶対に出すんだ!!」 カッコつけないカッコ良さ 声楽家 加藤亮子の諦めない生き方
今回の主人公は加藤亮子さん。 声楽家としての軌跡を追いました。 お話を伺ったのはグランドピアノが置かれたご自宅でした。 窓辺にはウルトラマンがいました。 棚には亀さんたち。 大きな窓からは空と海と夕陽が見えました。 「ウルトラマンは子供の時から好きで、特にウルトラセブンが好きです。お話が今見ても深いんですよ。怪獣とかも何故地球を攻撃するのか?とか。人間同士の信頼を無くせば勝手に滅んでいく…とかね。」 ふむふむ…。 なるほど…。 「亀は何かゆっくり可愛い。水の中を気持ちよさそうに泳ぐ様子、卵を産むときの様子、陸亀の孤高感、なんとも言えないのですが好きなんです。」 物語のプロローグは音大受験失敗から 小さい頃から音楽好きだった亮子さんが大好きなテレビ番組は、『ミッチと歌おう』(放送1963~1965年)でした。 これは、アメリカNBCの人気ミュージカル・バラエティー番組をNHKで放送したものです。 指揮者のミッチ・ミラー率いる26名の男性コーラスグループで、「クワイ河マーチ」や映画「史上最大の作戦」のテーマソングは日本でも大ヒットをしたので、筆者も覚えています。 そしてもう一つの番組は、『アンディウィリアムスショー NHK』。 便利な時代です。 オンデマンドで視聴することができました。 今観ると、とってもオシャレで温かくて面白くてカッコいい。 https://www.youtube.com/watch?v=mFPID7igH1c なるほど〜。 ストンと来ました。 なんとなくオシャレでカッコいい亮子さんのルーツがわかった気がしました。 さて、小学生だった亮子さんの元にある日ピアノがやってきました。 なんと、酔った勢いでお父様がピアノを買ってきたと言うのですから驚きます。 そしてお母様の勧めでピアノを習い出したのでした。 音楽家への道の第一歩でした。 ピアノ科を目指していた頃 「ピアノは高校三年生まで習っていました。音大を目指していたのですが残念ながら落ちてしまいました。ピアノは決して嫌いではなかったのですが、人前で弾くのは本当に苦手でした。本番になるとアガってしまうんです。」 通っていたピアノの先生は、受験に失敗した亮子さんに遠藤道子先生を紹介しました。 「当時、遠藤先生は札幌ショパン協会会長をなさっていて、ピアノの先生としては3本の指に入る怖い方と有名でした。だから、受験のためとは言えもう怖くて怖くて…正直嫌々でした。」 通い出してみれば案の定怒られてばかり。 「私からしたら『あの人上手いな〜』と思う人でさえ、ものすごく怒られているのですから、本当に怖い…。」 そしてとうとう。 「あなたみたいな生徒は初めてです!!!」 と、言われてしまいます。 今までの生徒さんは、直線的にどんどん上手になっていくというのに、亮子さんの場合は波がありすぎる曲線だったらしく、とうとう先生は呆れてしまったのでした。 ところがその怖い先生は、何故かとても亮子さんを可愛がってくれました。 しかも亮子さん本人にはまったく自覚がない可愛がり方。 それというのも、他の生徒さんには見せないプライベートな一面を亮子さんには見せていたのだそうです。 それは、他の仲間が「信じられない!」と驚愕するエピソードでした。 きっと、怖い先生に対してもガードや壁を作らない、お茶目で素直でカッコつけない亮子さんが愉快で面白かったのだろうと、筆者は勝手に想像しています。 「けれどもレッスンはとにかく容赦無くて…。初めから『あなたはピアノが下手!基礎からやり直し!!』と言われ、ソルフェーズの指の基礎練習の猛特訓を受けていました。ところがある日、その勉強中にピアノではなく声を褒められたのです。なんと、『あなた、声は出るわね!声楽科に転科しなさい!』と勧められてしまったのです。」 ついに、亮子さんにとっての転機がやってきました。 声楽家としての門を叩くことになったのです。 声楽科への転向 短大ではカナダ人の先生に声楽を学び卒業をした亮子さん。 なぜか小学校教員の道を選びます。 「10年間、教員として勤めました。子どもたちから『先生っていつも歌ってるね♪』と言われていました。自覚はなかったんですけどね。そんなこんなで、あんなに頑張って学んだ声楽から20年くらいブランクがあり、気づいたら40歳を過ぎていました。」 声楽から遠ざかっていた亮子さんに再びスイッチを入れたのは、娘さんのピアノの先生でした。 それはちょっぴりお調子者(失礼…)の素質が見えるエピソードでして…。 ピアノではあんなに人前でアガってしまうのに、なぜが歌ではアガらないとい亮子さん。 「ちょっと歌ってみたら?」 とさり気なく誘われてイタリア歌曲をいきなり歌ってしまいました。 「超楽しい! まだイケるかも♪」 スイッチオン! そしてこんなことも。 誘われて、小さな教会でTUBEの曲をノリノリで歌いました。 「めっちゃ楽しい!!」 そう。 久しぶりに人前で歌ったことが着火剤となってしまったのです。 これらがきっかけで声楽家としての火が再燃。 やっぱり人の前で歌うことが本当に好きなのだと実感した瞬間でした。 そうこうするうちに自宅で歌を教える様になりました。 「声楽を学んだとは言え、20年以上もブランクがある中で、ただ歌うのが好きというだけで人様に教えるのは正直不安でいっぱいでした。自分はまだまだ下手だと思っていましたし指導法にも自信がありませんでした。もう一度学び直したい!と、教室を探したのですがなかなか見つからず…。諦めかけたころ、ようやく東園己先生と出会いました。55歳になっていました。」 歌は筋肉です!! ようやく素晴らしい先生と出会い、レッスンをしていただけることになり、いよいよ初レッスンという日、なんと亮子さんは雪まだ残る早春の道で事故を起こしました。 「中山峠へ向かう途中、車がドリフトして路外に飛び出してしまったんです。ところが、なんと細い木2本に支えられ、体は無傷でした。そして偶然通りかかった方にドアを開けていただき助かったのです。木に支えられたこと、偶然通りかかった方が助けてくれたこと、体も無傷だったことなど、運の良さを感じました。」 ハプニングからスタートしたレッスンでしたが、東先生との出会いも運が良かったとしか言えないエピソードがありました。 「最初のレッスンで言われたんです。『あなたは癖で歌っている』と。おまけに『その癖を直すには2〜3年は掛かる』とも言われました。そして、歌いやすくなるための “体の使い方” も徹底的に直されました。先生のレッスンはとてもわかりやすく、学生時代には理解できなかったことが30年経ってストンと腑に落ちました。もう必死で学びました。するとその効果あってか、直すのに2〜3年はかかると言われた歌い方の癖が1年で『直った』と言われました。嬉しかったです。」 体の使い方?とキョトンと驚く筆者に。 「歌は筋肉よ!!」と答えた亮子さんは、おもむろに筋トレ式発声法の仕方の一つを教えてくれました。 今年でレッスンに通い始めて14年になりますが、自分の発声に少しずつ自信が持てる様になった10年目の頃、亮子さんはある目標設定をしました。 それは〜。 「トスカの『歌に生き恋に生き』を歌いたい!!」 でした。 それにはB5(シ)の音が出せる様にならなければいけませんでした。 そしてそれは無謀とも言える挑戦でした。 ところが奇跡は起きました。 65歳になった亮子さんに奇跡の日がやってきました。 B5(シ)の音が出たのです。 それまで何度も口にしていた「私って怠け者だから。お尻に火がつかないとやらないの」という台詞の意味がわかりました。 亀さんのようにのんびりと構えながら。 本当の本気が出るまで力をためるタイプ。 まるでウルトラセブンがジュワッと変身する様に。 力むことなく。 カッコよく。 おしゃれ。 だから女性から見てもちろん、男性から見てもカッコよく映るのだと思います。 最後に次の目標を伺ってみました。 「二つあります。一つは死ぬまでにオペラのアリアをできるだけたくさん歌いたいということです。もう一つは完璧だとは思わないで常に高みを目指すということ。どちらも絶対に諦めたくないです。こんなもんだと思ったらだめだと思っているんです。」 いざという時にウルトラセブンになれるように。 亀の様に辛抱強く。 梅番茶で喉ケアをしながら。 今日も亮子さんは歌っています。 「声をかけていただければ、たとえ、たった一人のためでも、どこにでも行きますよ〜!」 声楽家 加藤亮子 情報 洞爺湖芸術館FB https://www.facebook.com/toyakomuseumofart 加藤亮子 FB https://www.facebook.com/ryoko.kato.9699 Instagram
Rietty
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愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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お腹と心が喜ぶごはん。ほっとするカフェ 洞爺湖「MITTSU みっつ」
ふらりと一人で入りたいお店に出会いました。 「MITTSU」のオーナー二瓶光子さんは、東日本大震災をきっかけに洞爺湖町に移住して来られた方。 当時、洞爺湖町から入っていた震災ボランティアNPO団体からのお誘いがなければ洞爺湖町には来ていなかったと言います。 ご縁は不思議ですね。 極限状態の時、人の繋がりは本当にありがたいものだと思います。 移住後は、2014年に現在の場所から300mほど離れたところでカフェとハンドメイド作品を取り扱う「MITTSU」を開業され、現在の場所に移転してからも丸4年になるそうです。 お食事メニューは A. ベジプレート(材料は野菜のみ) B. ベジプレート+肉料理 の二種類。 私はAをいただきました。 とてもとても優しいほっこり味。 おいしかった~! メニューは日替わりです。 「できる限り地元の野菜をふんだんに使うこと」 をポリシーにされていらっしゃいます。 「足りない場合は伊達野菜も使います。」 とのこと。これは伊達市民としても嬉しいです♡ 同じメニューをお弁当にもできるそうですし、ご予算や内容のご相談も受け付けてくれます。 1個からでもOK。 10個以上の時には5日前までのご注文をお願いしますとのことでした。 そして、もうひとつのお顔。 実は洋服の仕立て・リメイク・お直しなどの技術者さんでもあります。 夜の営業もなさっているのに、ふたつのお顔を同時にこなすスーパーウーマンです。 幸せを伝播させる笑顔の裏に、秘めた底力を感じる素敵人でした。 5月にはお友達とアロマのワークショップを開催予定だそうです。 そして、夏には店をリニューアル予定とか。 洞爺湖町の女性たち。 エネルギー満開です♪ ※夜の営業は2021年4月現在、予約制でひと組のみとなっています。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)。メニュー、料金は変わることがありますのでご注意ください。 ※シェア、リンク大歓迎です!
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