
心の伊達市民 第一号
東京オリンピック(1)・・・22日前
東京オリンピックの中止運動があったりしたが、いよいよ7月23日に開会式が行われることが最終的に決定した。当初の計画より規模を縮小し、観客は1万人か競技場の50%のどちらか少ない方となった。
しかし国際オリンピック委員会(IOC)関係者はこの人数に含まれていないようだ。
またJOCはスポンサーに気を使って競技場での酒類販売も行うような話が出ていたが、多くの反対に遭い、またスポンサーからの申し入れもあり酒類販売は中止となった。

オリンピックまで「あと30日8時間53分51秒」(6月23日)
我が家のすぐ近くにオリンピック村があるし、家からも見える築地市場跡地は選手、関係者の送迎車輌の駐車場となっている。競技場も豊洲市場の先の有明地区に何ヵ所か準備されている。
その競技は有明テニスの森で「テニス」、有明アーバンスポーツパークで「BMXレーシングとスケートボード」、有明体操競技場で「体操」、有明アリーナで「バレーボール」などが予定されている。
有明は中央区の隣の江東区にある。
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マンション前の環状2号線は9月30日まで通行止め。
マンション脇を通ってオリンピック村に繋がる環状2号線は、既に6月23日から勝どきから先は9月30日まで通行止めとなっている。オリンピックの為に検問所を設けたり、専用車線の工事をしているようだ。
その為に銀座や新橋で飲食店を経営していた人は、豊洲市場に仕入れに行く時に環状2号線を使えなくなった。そうなると晴海通りを行くので、遠回りで混雑に巻き込まれる。
飲食店はコロナで痛め付けられ、外国人選手達はオリンピック村から外に出ず、追い打ちをかけるように政府は「観戦の後は直帰」と言っているのだから気の毒を絵に描いたようだ。

前方に見えるのがオリンピック村
実際のオリンピック競技が始まるのは7月21日である。
開会式より先に競技が始まってしまうのも、なにか変だと思っている。
カウントダウン時計は7月23日には「ゼロ」を示すのだろうか?
開会式の翌日は「プラス1」と表示されるのだろうか?
或いは時計自体を撤去してしまうのか、それが気になっていて「見に行かねば」と思っている。

オリンピック村の入口にはテント張りの検問所が見える。
6月19日に成田空港から入国したウガンダ選手団9人の中の1人が、空港のPCR検査で陽性となった。残りの8人は泉佐野市に入ったが、更にその中から1人が陽性となった。
オリンピックには発展途上国からも多く参加するので、これからも陽性者が出る恐れがある。選手村で陽性者が出たら選手村は私の住む中央区にあるので、その所管の保健所は中央区になる。
万が一、クラスターでも起きたら、我々区民はどうなるのか?

振り返れば環状2号線沿いに私の住むマンションが見える
「通行止めとなった、環状2号線のオリンピック村の辺りはどうなっているのか?」と思い、私はカメラを持って出掛けて行った。写真を撮って戻る途中で、夕立が来た。
慌てて近くのマンションの屋根の下に入った。雨宿りである。雨宿りなんて、何年ぶりだろうか?
目の前の朝潮運河の水面を夕立が激しく叩くのを見ながら、雨の上がるのを待った。やることも無いので濡れるのを覚悟で運河に近付き、水面に出来た波紋を撮影した。
なんだか子供の頃に返ったような気がした「ひと時」だった。

環状2号線の真ん中に工事用事務所らしきものがある。
今回の東京オリンピックは、本来は去年の7月に開催されるはずだった。
それが新型コロナウィルスの蔓延で、1年の延期となった経緯がある。
延期になってもコロナ感染が収まらず、再々延期とか中止とか、色々な意見があった。
思い出してみると、最初からケチが付いていた。
エンブレムの模倣問題、メインスタジアムの設計発注キャンセル、JOC会長の辞任など、大きなことだけでも3つもあった。やはり何ごとも出だしが肝心なのであったなー。

朝潮運河の水面に、雨で出来た「波紋」
(おまけの話)
6月30日の午前中に、私は2回目のワクチン接種を行った。
前回と同じマンション1階のクリニックである。
2回目の接種の方が1回目より副反応が出ると聞いていたので、この日は家に戻り静かにしていた。
まだ1晩寝ただけだからハッキリは言えないが、今のところ大丈夫そうだ。
とりあえずは、少しだけだが安心になった。

都バスもオリンピックで規制されて、ビックカメラと床屋に行くのが不便になった。
ところで気になっていたことがある。それはワクチンの価格である。
製薬メーカーと契約者の間でワクチン価格は、守秘義務として公開出来ないことになっていた。
ところが迂闊にもベルギーの予算担当大臣が、購入数と金額の書かれた一覧表をネットに投稿してしまったのである。その投稿は30分後に削除されたが、もう遅かった。

その表によるとEUが契約した価格は1回分が、アストラゼネカが約225円、モデルナが約1860円、ファイザーが約1520円だった。ワクチン接種は2回、行うので、1人分としてはこの2倍である。
日本の契約価格は公表していないので不明だが、1回分が2000円と言われている。しかしワクチンがどのくらいの期間、効果が続くか不明であるから、今後、更に接種が行われたら国家財政はコロナで破綻してしまう恐れがある。どうすればいいのだろうか?

雨が上がったら、朝潮運河のテラスのパイプにスズメがやって来た。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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01/01(土) 「SeicomartのCMソングを歌いたい!!」 伊達のArtist 藤河 ちあき の未来予想図
むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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02/20(火) クールに攻める両立への道 〜味と時間で勝負!地域にファーストフード文化を育てたい!『GOTHAM DRIVE IN』オーナー成田大海氏の戦略とは〜
取材に伺ったのはグランドオープン1週間前でした。 かっこよくコーヒーを落としてくれたので、さっそく聞いてみました。 「珈琲はどこで修行されたのですか?」 「YouTube先生です。いまどき修行なんて流行りませんよ。」 「え……。」 こんな会話から始まった今回の主人公は成田大海(Hiromi)さん。 3シーズンは俱多楽湖で「Paddle Street Outdoor Service」として カヤック・カヌー・サップガイド事業をされています。 入店いきなりの会話で「意外と軽い人?」と思いきや、 実は真逆なタイプであることが段々と分かってきました。 バックボーン(学生時代)のこと 改めて、成田大海さんは苫小牧市ご出身の35歳。 小さい頃から大学までアイスホッケーに勤しんでいました。 御祖父様からお父様、大海さんまで三代続くアイスホッケー一家だったと言います。 「大学にはスポーツ推薦で入学しました。 16歳の時に日本代表にもなりました。 でも、それほどアイスホッケーが好きだったのか?と問われると実は微妙です。練習が終わるのはいつも夜中の2:00頃でした。 競技場があまりないので、小さい子どもから順番に予約を入れていくと、大学生は夜中の割り当てになるんです。 これは結構キツかった…。 それに、本当は美術部に入りたかったし・・・(笑)絵を描くのが好きでしたから」。 「美術部ですか?また随分かけ離れていますが…。 それにしても練習終了が夜中の2:00とは驚きです。寝る間もなければ、学校へも行けなくなりますよね」。 「そうですね。大学では法律を学んでいましたが、授業はほとんど出ていませんでした。だから結局、退学して働くことにしました」。 「辞めてしまわれたのですね。授業はほとんど出ていなかったとのことですが、アイスホッケーは続けていらしたのですよね? 続けてやっていたことで今に繋がっていること、やっていて良かったと思えることはありますか?」 「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 なるほど。 このことについては、また後ほど触れるとして〜。 バックボーン(料理)のこと 「大学を辞め、勤めはじめたのは西麻布のバーでした。 そこは六本木や恵比寿にも店を持っていたので、その3店舗を昼夜行き来して働き、飲食店の辛さや面白さを4年ほど学ばせていただきました」。 「ほ〜!GOTHAM DRIVE INのルーツはそこにあるわけですね! その時、今の大海さんのその後を決定づけた方はいましたか?」 「はい、いました。かなりぶっ飛んだ人でしたが、メキシコ料理がすごく上手で美味しくて、いっつもテキーラを飲んでいる恵比寿店の店長でした 笑 でも、この店長のおかげで本物上質なテキーラを知り、メキシコ料理を学ぶことができました」。 なるほど! 繋がりました! バックボーン(パドル アクティビティー)のこと 「ありがとうございます。料理の背景は分かりました。では、パドルアクティビティーの世界へのきっかけを教えていただけますか?」 「趣味は釣りなんですが、その延長線上にあったのがカヤックでした。 カヤックに乗って釣りをしたいなあ〜と。 僕、基本、人見知りなんです。釣りなら一人でできますし。 学生時代からアイスホッケーにも釣りに行かないときは引きこもって調べ物ばかりしていました。 で、カヤックを色々調べていたら、小樽の塩谷でガイドをしている『ブルーホリック』に行きつきました。そのときは、へ〜!こんな仕事があるんだ…。と思った程度でした」。 「なるほど。飲食店で働き出す前から興味はあったのですね」。 「はい。北海道に帰って仕事をしたいと考え始めたとき、ブルーホリックを思い出して履歴書を送りました。 そうしたら、わざわざ代表の嘉藤さんが上京して会いにきてくれました。 事実上の出張面接となったのです」。 面接をパスして25歳で帰京。 ブルーホリックで働くことになった大海さんは、カヤック修行への道に入りました。 入店時、「修行なんていまどき流行りませんよ」 と言っていた大海さんでしたが、アイスホッケーにしても、カヤックにしてもその道をきちんと歩いたからこその台詞だったというわけです。 「上下関係の厳しさが身についているというのは私生活にも役立っていると思っていますが、特に仕事には必要なことだと思っています。 例えばブルーホリックの嘉藤さんは仕事には物凄く厳しいんです。 一歩間違えば大変危険な環境の海で行うカヤックというアクティビティーですが、どんな時でも、お客様の命を絶対に守らないといけないわけです。 だからどうしても指導は厳しくなる。 当然だと思います。 でも、そのような嘉藤さんの姿勢をなかなか理解できない人もいる。 そう言う意味で、僕はアイスホッケーにしても料理にしても上下関係が厳しい世界にいたので、耐えられたしそういうものだと捉えることができました。打たれ強さも育っていたかもしれません」。 先ほど、「アイスホッケーをやっていたことが今に生きていることは? の質問に「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 と答えてくれましたが、なるほど〜と思えたお話しでした。 大海さんはブルーホリックで2シーズンを修行した後、嘉藤さんの紹介を受け、沖縄座間味島でさらに2シーズン修行しました。 のちに独立を考えだした大海さんの背中を押してくれたのも嘉藤さんだったと言います。 「でも、強く押されたと言うよりも、『いいんじゃない?』と言った軽いかんじで・・・(笑) これ、嘉藤さんらしさです。 人の繋がりを大切にする本当に懐が広く深い方でとても尊敬しています。テキーラ好きな六本木の店長ともなんとなく似ているかも」。 二つの道を極めようとした背景には、二人の師匠がいらっしゃったわけですね。 それぞれのバックボーンを活かしたい! 独立を決めた時、飲食業とアウトドア業の両方をやりたい! と考えていた大海さんは、北海道に戻り活動フィールド探しを始めました。 2019年のことです。 本当は前職で貯めたお金で南米へ料理修行に行きたいと思っていたそうですが、それよりそのお金で早く事業を始めようと考え直し、南米行きを諦めたと言います。 支笏湖や洞爺湖も視野に入れつつフィールドを探し回り、倶多楽湖に出会った瞬間「ここだ!」と即決したそうです。 「俱多楽湖がなかったらここには来ませんでした。 とにかく水が綺麗で感動しました。 すぐに元々あった施設で当時休止中だったレイクリゾートのオーナーさんに交渉し、施設管理を条件に使わせていただけることになりました。 パドルアクティビティーの拠点は確保しましたが、飲食店の店舗探しには苦労しました。 予算の関係もあってなかなか決まらなかった。でも粘り強く探し、待ち、いまの場所を購入することができました」。 決断と行動の速さを感じるエピソードに、アイスホッケーでゴールキーパーを務めていた大海さんの判断の速さがリンクして聞こえた筆者です。 店舗は、以前『ケニア』というレストランだったところです。 登別駅から登別温泉方面に向かうメインストリートに位置するとても目立つ場所にあります。 ドア枠は大好きな緑に塗り変えました。 店内の内装は電気工事(資格も持っています)に至るまで、 ほとんど自分でリノベーションされています。 「ところで、GOTHAM DRIVE INという店名の由来を教えていただけますか?」 「映画のバットマンに出てくる地名です。 映画の中のGOTHAMはNEW YORKのことなのですが、劇中では薄暗いイメージに描かれています。 それが登別という晴天率の低い街と重なりました。 まあ、単純にバットマンが好きというのもあるんですけどね。 それと、うちは『CAFÉ』ではないんです。 あくまでも『DRIVE IN』として存在したいと考えています。つまりファーストフード店でありたい。 そういう意味で、クオリティーの高さと提供の早さを売りにしたい。 観光のお客様って結構時間に追われています。 レストランやカフェは14:00くらいで一旦閉めてしまうところが多いですよね? だから14:00を過ぎても開いていて、その時間に食べても夕食に影響が少なくて、車の中で片手でも食べられるものと考えたらこのようなメニュー構成になりました。 何より、大好きなメキシコ料理が提供できますし」。 「カルニタスの肉は牛肉と豚肉を別々に煮込み、合わせて作っています。 牛肉は肉の食感を残したいので歯応えを感じるように。 豚肉は柔らかく煮込んであります。 それと、メキシコ料理は辛いイメージがあると思いますが、お子様でも食べられるように、ベースの味付けには辛みスパイスは使用していません。辛いのが好きな方には別添えのスパイスで調整していただいています」。 味への拘りも相当なものでした。 時間を作っては、東京や大阪などの珈琲店や飲食店などを巡り、知識やアイディアの入手に努めているというお話しも伺いました。 日々の研究にも余念がありません。 「GOTHAM DRIVE INは、『おいしいね!』と言ってもらえるもの、手軽に直ぐに食べられるものを提供する親しみやすいファーストフード店を目指します」。 最後にそう語った大海さん。 日本マクドナルド創業者の藤田田さんを尊敬していると伺い、全てに合点がいった筆者です。 目指す師匠がもう一人いらっしゃいました。 もしかしたらいつの日か、西胆振にGOTHAM DRIVE INがチェーン店展開する日が来るかも? 大海さんがクールに目指すパドルアクティビティーとファーストフード店の両立。 心から応援したいと思いながらタコスを頬張りました。 次はナチョスをいただきます!! ―GOTHAM DRIVE IN 情報― https://www.instagram.com/gotham_drivein?igsh=MWx2eGk3dTI1bjJidg== 住所 〒059-0463 登別市中登別町174-9 電話 090-6937-7540 営業 10:00~18:00(水曜日11:00~22:00) 休み 木曜日 *2024.2月現在求人中 ―Paddle Street Outdoor Service情報― https://www.instagram.com/paddlestreet?igsh=enh5eGY3c3BuaDB1
Rietty
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03/21(金) ここでしか食べられない「ホタテの噴火焼き」?!活きの良いホタテの秘密 [すいしゃ / 豊浦]
釣って、焼いて、食べられる!新たな「すいしゃ」 <今シーズンの営業は終了しました> ~春・夏もイベント開催予定、続報を待ちましょう~ 2022年春に惜しまれながらも閉店した、豊浦町のカフェ兼地場産物販売加工施設「すいしゃ」が、この冬リニューアルオープン!ホタテの直売、さらにホタテ釣り体験やホタテの噴火焼きが楽しめるお店となり、話題を呼んでいます。 すいしゃ店長 ”のむちゃん” こと、噴火湾とようら観光協会の野村さんにお話を伺いました。 豊浦町で開催されている ”世界” 大会 店内に入ってみると、「♪ ホタテホタテホタテ~♪」頭から離れなくなるBGMが聞こえてきます。豊浦町民にはおなじみ、「TOYOURA世界ホタテ釣り選手権大会」テーマソングです。新すいしゃのメインコンテンツは、「ホタテの釣り堀」なんです。 「TOYOURA世界ホタテ釣り選手権大会」とは、毎年3月に開催されている豊浦町の一大イベント。豊浦町の基幹産業である水産業の中でも一番の水揚高を誇るのがホタテ。このホタテを活用し、公式ルールを設定して競技化、”世界”大会として開催しています。 ホタテ釣りのルールは簡単。水槽の中の口の開いたホタテに、釣り糸を垂らして専用仕掛けを入れ、口が閉じた瞬間に釣り上げます。1ラウンド3分間で、釣った枚数が多い方が勝利。 その人気は簡単には本選に出場できないほどで、まさに選手権大会!64名の本戦出場枠を目指して、全国各地から挑戦者が集まり、予選から白熱します。 すいしゃでは、このホタテ釣りを誰でも気軽に体験できるんです!「ホタテの釣り堀」は、なんと3分1,000円で釣り放題!さらに万が一釣れなくても”3枚保証”付きなので安心です。 取材に伺った日は、小学生やもっと小さい子もチャレンジしていました。大人もやり始めると段々熱が入り大盛り上がり。北海道を車で旅しているという長野県からのお客様もいらっしゃり、スタッフかのようにノリノリで撮影に応じてくださいました。ありがとうございました! ”活きが良いホタテ” の秘密 「実は、『ホタテ釣り』に使うホタテは、どのホタテでも良いわけではないんです」 「ホタテ釣り」は仕掛けに食いついてもらわなければ釣れないため、ホタテの”活きの良さ”が重要。なるべくホタテにストレス・ダメージを与えず、弱らせずに出荷することが求められます。そのため、付着物を手作業で落とし、さらに特別な機械で優しく汚れを落としているという、北海スキャロップさんのホタテのみ使用しているそうです。釣り堀の中には、海水を循環装置でろ過し酸素を送るポンプも設置され、ホタテの鮮度は抜群です。 ホタテの一番美味しい食べ方?!新名物「噴火焼き」 「『噴火焼き』は、伊達の石材屋さんで特注した 溶岩プレート を使っています!」 有珠山周辺で採掘した天然の溶岩で作られた石のプレートの上にホタテを並べ、金物のバケツ缶をかぶせてセット。数分すると、缶の上部から蒸気がもくもく!これが新名物「噴火焼き」です。「蒸気が出る穴は自分で開けていて、噴火っぽくなるように、穴の大きさ、個数、位置など何度も試しました」 点火してから約10分、店員さんが缶を開けに来てくれます。オープンの瞬間は蒸気がぶわ~っと。 生と焼きの間のようになる、ちょうど良い加減の蒸し焼き。溶岩プレートの遠赤外線効果でふっくらジューシーに仕上がります。あらゆるホタテを食べてきた地元民たちも唸る美味しさ。そのままでも十分濃厚な味わいですが、醤油やトッピング(別売)のバターもあり、その相性は言うまでもありません!現在すいしゃのメニューはこちらのホタテのみなのですが、とても大ぶりなので、ホタテだけでも満足度が高いと評判です。 もちろん、ホタテ釣りをせずに「ホタテを食べるだけ」や「ホタテを持ち帰り」も可能です。ホタテの発送も受け付けています。また、店内にはホタテの加工品がずらり。ちょっとしたギフトに良いですね。 3月いっぱいで「すいしゃ」は一度クローズとなりますが、豊浦町はホタテの次はいちごの季節。春・夏も「すいしゃ」でのイベントを企画中とのこと。続報を待ちましょう! まずは残り三日の営業日、ホタテを存分に味わいに、足を運んでみてくださいね。楽しい店長に会えますよ~! すいしゃ【期間限定オープン!】 ホタテ釣りを楽しんで新鮮なホタテをその場で焼いて食べよう! 【2025年残りの営業日】 ●3月22日(土) ●3月26日(水) ●3月29日(土) 11:00~15:00(ラストオーダー14:00) https://toyoura-feel.com/stay/suisya/ ちなみに…… 店内の白い壁は漆喰塗り、この漆喰は豊浦町の”ホタテ漆喰”なんです!ホタテの殻を再利用した漆喰は、調湿・空気清浄など様々な効果などがあると言われています。ご来店の際は美しい”壁”にもご注目ください!
misaki
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03/22(月) 元気をもらえる蕎麦屋「なかよし」さんはおかみさんと娘さんの笑顔あふれるお店です♡
伊達市北黄金、国道沿いのお店の「なかよし」さん、気にはなるのになんとなく入りにくい…。 ここは皆、ついついスピードを出してしまうところ。 だから、通り過ぎざまに視界に入ってもなかなか入っては行きにくいのです。 でも「よし!」と左にハンドルを切り、暖簾を潜ったのが一年前でした。 衝撃的でした。 とにかくめちゃくちゃ蕎麦が美味しかった! 頼んだ“ もりそば “は、半分以上つゆをつけずにそのまま食べてしまいました。 何故もっと早く入らなかったのだろうと後悔しました。 入る前「意外と混んでるなあ…」と思ってしまったことを反省しました。 意外と…なんかではなく、美味しいからお客様はいらっしゃるのだと。 あの時の”もりそば “の味が忘れられず、今回も!と思っていたのですが、「そうだ。今日はしっかりとつゆを飲もう!」と” かしわそば “を注文しました。 予想以上のかしわの量。 そして煮込んだ葱の量もたっぷり。 鶏肉のコラーゲンと葱でつゆにも自然なとろみがついていました。 「おいしい~!」 つゆも期待通りにおいしい!! 鼻に抜ける出汁の香りも素晴らしい。 あまりに美味しかったので出汁の材料を聞いてみました。 なんと、鰹節・昆布はもちろん、5種類もの材料から毎朝出汁を取っているのだそうです。 蕎麦は基本2:8で、石臼で挽いた蕎麦粉で毎日打っていらっしゃいます。1日2回打つこともあるそうです。 平日は蕎麦の産地がミックスされるそうですが、土日・祭日は1産地100%の自家製蕎麦粉10割をいただくことができます。 こちらも是非とも行かなくては! 原料の蕎麦は幌加内・蘭越・黒松内・下川・積丹・洞爺の農家さんと契約をして仕入れているので、1産地100%の日(土日・祝日)は、店に来たらどこの産地か分かるという仕組み。 その時のお楽しみで訪れるのもワクワクしますね。 創業25年の「なかよし」さん。 最後に名前の由来を尋ねてみました。 「実は、亡くなった姉が東京と函館で店を営んでいた時の名前なんです…。」 一瞬寂しそうな顔を見せたおかみさん。 同じ名前のラーメン屋さんがあることから、別の名前にしようかと、悩まれたこともあったと言います。 でも、店名とお店の皆様の笑顔を見ると、私には「なかよし」以外の名前は思いつきませんでした。 「家族なかよくできればいいしね!」と言った時には、また元の笑顔に戻っていたおかみさん。 その明るく優しい笑顔につられ、1杯のお蕎麦で随分と長居をしてしまいました。 「コロナ禍でもお客様が減らなかった。」の言葉には納得。 こういう時だからこそ、「なかよし」さんに行きたくなるお客様たちの気持ちがわかりました。 天ぷらも好評らしいので、次は海老天蕎麦にしようかな♪ 美味しいお蕎麦と素敵な笑顔をごちそうさまでした! 石臼自家製粉 手打ちそば処 「なかよし」 営業時間 11:00~蕎麦がなくなるまで(14:00くらい) 定休日 火曜・水曜 住所 〒059-0272 伊達市北黄金町65-44 電話 0142-24-1765 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニュー、料金等変更になることがあります。(取材2021年3月) ★シェア、リンク 大歓迎です!
Rietty
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03/09(水) 自分に向き合い「茶〜しばく?」〜” チャシバクINN “ 的暮らし
オーナーの田中陽介さんは京都のご出身。 そして奥様の瑠奈さんは大阪のご出身。 お二人が2018年にオープンしたチャシバクINNは、客室4部屋のご自宅兼宿泊施設です。 只今、4月半ばの2022年度OPENに向けて準備中ですが、実はこの春、田中夫妻にとっての何度目かの大きな転機が訪れます。今回は、そんなチャシバクINNの秘話を陽介さんにお伺いしました。 ↑部屋からは洞爺湖が見えます。 学生時代の4年間、ニュージーランドで暮らした経験をお持ちの陽介さんは、2004年4月、加森観光 ルスツリゾートへの就職を決め、北海道留寿都村に移住して来られました。 ルスツリゾートでは、ベル・フロント・教育旅行営業・予約・レベニューなどのキャリアを積まれていたので、いわば宿泊業のプロフェッショナル。 INNを行うための土台が整っていたとも言えます。 けれども、後に脱サラをされた陽介さんの現在まで道のりは、チャシバクINNまっしぐら!ではありませんでした。 ルスツリゾート勤務時代、今の家に移り住む以前は社宅に暮らしていましたが、2012年より旧洞爺村あたりで家を探し始めました。 「洞爺湖畔には、留寿都に住んでいた頃によくキャンプをしに来ていました。通う毎にどんどん好きになり、湖畔に住みたいと思うようになりました。物件は、静かに湖を眺めるくらしができる洞爺湖北岸のエリアに魅力を感じていたので、このあたりで探していました。留寿都へ通勤するにも便利でしたし。」 そう。 つまり、初めからここで商売をしようと思っていたわけではなかったのです。 「偶然にも、毎日窓から洞爺湖を眺められる中古物件との出会いがあり、2013年10月に移り住みました。けれどもその頃は、インバウンドのお客さまがたくさん訪れていた頃でもありました。ですから、2歳になった息子の寝顔を見てから出勤し、帰宅してまた寝顔を見るという毎日が続いていました。そんな日々に疑問を持つようになっていったのです。」 息子さんが生まれた2011年、この年の3月に東日本大震災は起こりました。 親になった年にこの大震災を体験したことは、田中さんご夫妻の人生観に大きな影響を与えたことは容易に想像できます。 「いつ死ぬかわからない。 明日の命の補償なんてない。」 ということを誰もが痛烈に感じたことと思います。 とは言え。 たとえ考え方の変革は起きたとしても、ほとんどの人が日々の忙しさに埋もれてしまい、なかなか行動変革にまで及ばないことが多いのではないかと思います。 けれども。 田中さんご夫妻は行動を起こしました。 息子さんが4歳になり、幼稚園に上がった年。 2015年6月に、瑠奈さんがドーナツ屋を始めたのです。 材料にもこだわった " 豆乳焼きドーナツ " 『チャシバクドーナツ』の 誕生です。 決め手は瑠奈さんの一言でした。 「家の前にデッキを作ってくれたらドーナツとドリンクを出す店をやりたい。」 「大阪出身の妻は、帰省の際に奈良のお店で目にした光景が、" とてもいいなあ… " と思ったと話していました。そこには、おじいちゃん、おばあちゃん、小さい子どもまで美味しそうにドーナツを食べている姿があったそうです。チャシバクドーナツも、お客さまが湖畔散歩のついでにふらっと立ち寄ってくださったり、近所の子どもたちや親たちがおやつとして買いに来てくれる店にしたいと思ったそうです。」と、陽介さん。 ドーナツは。 ケーキのようにお洒落すぎず。 子どもから大人まで大好きで。 片手にドリンクを持ち、もう一方の手でドーナツを持ち、お散歩しながらでも気取りなく食べられる。 チャシバクドーナツは、原材料にもこだわって作られていますし、揚げてお砂糖をまぶしたものとは違うので、子どもでも、服も手も汚すことなく食べられるというのも良さだなあと、筆者自身が購入したチャシバクドーナツを運転しながら食べた時に感じました ^^; 母目線を感じます。 さて。 オンラインショップも開き、軌道に乗っていたのですが、再び転機が訪れました。 洞爺湖畔に購入した店舗兼自宅(店舗部分は陽介さんによるリノベーション)は、実は元民宿の二階建てでした。 そして、その後のオーナーが改築してアパート経営をしていた際に、2階の4部屋それぞれに風呂場とトイレを設置していました。 そのことは田中夫妻にとっての購入の決め手ではなかったのですが、陽介さんはこの家で宿経営をすることを思い付きました。 「この地域には温泉街と違い宿が少ないです。ですから、ここに宿を作るのは自分の役割かもしれないとも思いました。まさに運命のようなものも感じました。」 悩んだのはその宿のスタイル。 ここに陽介さんのこれまでの生き方が表れてきます。 ・13年間、リゾートホテルの社員としてホテル業の経験を積んだ。 ・ニュージーランドでは、学生的な貧乏旅でバックパッカーズ(日本でいうホステルやゲストハウス)を泊まり歩いた。 「学生時代とサラリーマン時代に様々なタイプの宿を経験したことが原体験となって、自分が好きな旅のスタイルにマッチしたものを作りたいと思いました。」 今のスタイルに行き着いた経緯や想いについては、陽介さんのnote https://note.com/chashibaku_inn/n/ne55019de8408 に詳しく書かれていますので、陽介さんの言葉でご覧くださいね。 陽介さんのお話しを伺っていると、今の暮らし方はなるべくしてなった、導かれてなった、そんな気がしてなりません。 ↑ツインルームです。とても清潔感があります。 さて、ここでもう一度チャシバクドーナツに話を戻します。 2004年に北海道移住。 2009年に結婚し2011年に子どもが生まれる。 2013年洞爺湖畔で中古物件を購入し転居。 2015年チャシバクドーナツを開業。 2017年35歳で会社を退職。そして1年かけてINNスペースをセルフリノベーション。 2018年チャシバクINNをオープン。 と、このように何度も転機を迎えた田中一家でしたが、実は2022年3月末までの営業でチャシバクドーナツが無期限休業となります。 「息子を屋久島の山海留学へと送り出すことにしたからです。それに関連して妻は2拠点生活になりますので、ドーナツ屋を続けることは不可能になりました。もともと、息子が高学年になったら多様な文化や自然、人に触れてほしいという願いから外国へ連れて行きたいと思っていました。ところがこのコロナ禍でそれが叶わぬ夢となってしまいました。もちろん、コロナ禍が落ち着けばいつかはできるかもしれない。でも、出来るだけ子どものうちに体験させてあげたかったのです。ですから気候も含め環境が北海道とは全く異なる屋久島を選びました。」 ↑夏の洞爺湖 チャシバクドーナツのファンはとても多いので、きっと残念に思う方も多いかと想像します。 でも、ファンの方々ならきっと、田中一家の暮らし方や生き方に共感する方が多いと思います。 今後のチャシバクを応援して行きたいですね。 さてさて。 ところで皆様。 「チャシバク」の語源をご存知でしたか? それは〜。 「茶〜しばく?」=お茶しない? なのだそうです。 これって実はコテコテの関西弁。 関西ご出身の田中ご夫妻ならではの発想です。 「ゆっくりお茶でも飲んで休んでいって」 そんな気持ちを込めて「チャシバク」としたのだそうです。 そしてこのロゴマーク。 旅するバクの絵がなんともユニーク。 こうして、様々な経緯で、旅する人々を迎えるチャシバクINNは4月15日(金)に再オープン(現在は休館中)します。 最後にチャシバクINNのコンセプトを伺ってみました。 『洞爺湖畔のいつもの空気をあじわえる、地元の暮らしに近い宿』 「旅には旅人それぞれのいろんな目的があります。旅人がここに泊まる時、ここを住まいとする僕らと同居するかたちとなります。旅人にはチャシバクINNの暮らしの形を体験することで、” あ〜こんな暮らし方もあるんだ “ とか “ こんな働き方があるんだ “ などの気づきを通して、” 自分の暮らしを見つめる “ “ 自分と向き合う “ そんな時間を提供できたらいいなあなんて思っています。 一言で言えば『暮らしのおすそわけ』かな。」 いつまででも眺めていられる美しい洞爺湖。 静かな街。 押し付けがましさを微塵もかんじさせない、優しく人懐こい陽介さんの笑顔。 そして心地よい部屋。 ↑シングルルームです。カバーやシーツなどはリネンを使用しています。壁の色が素敵。 チャシバクINNで過ごす時間は、間違いなく豊かであることを確信した筆者です。 チャシバクINN オーナー 田中陽介 住 所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町109-1 電話 0142-82-3257 Web site. http://www.chashibaku.com/inn/i/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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