引退したばかりの頃のことだが、急に自由になる時間が増えて、自分ではどうしていいか分からなかった。そんな時に何で見たのか忘れたが、「四国お遍路の旅」に行こうかと思った。

煩悩だらけだった現役時代の垢を落とすには、最適ではないかと思ったのである。そこで女房にも話し、『一緒に行かないか?』と誘ったら『嫌だ』と簡単に断られてしまった。



隅田川テラスから勝鬨橋を見る。


八十八ヶ所の霊場を全て徒歩で廻ると、約2ヵ月近く掛る。
まあ良く考えてみたら、2ヵ月近くも女房と一緒に歩き続けるというのは最初から無理な話だった。それでその計画は頓挫しまい、「いつかは行きたい」と思いながら今に至っている。

お遍路には必需品がある。それは「輪袈裟」、「菅笠」、「金剛杖」、「白衣」などである。その中でも金剛杖は、どうしても外せない必需品である。
この杖は「同行二人(どうぎょうににん)」と言われ、「弘法大師と2人連れ」という意味があるそうだ。



「みなと公園」で。


そんな昔話を思い出していたら、「そうだ!徘徊の時に私も2人連れで行こう」と思い立ったのである。私の場合の同行者は弘法大師ではなく、手作りのお地蔵さんである。

このお地蔵さんは仏像彫刻を始めて少し経った頃の教材で、誰でも最初は1面だけの簡単なお地蔵さんを彫ることから始めるのである。今回の徘徊で久し振りにその時のお地蔵さんを取り出してみたら、上手ではないが味があった。



ビルの消火栓と一緒に(意外と似合う)


天気の良い、ある日を狙って「コロナ終息」を願い「同行二人」で家から出た。
小さなお地蔵さんだし、光背が接着剤で止めてあるので壊れやすい。
そこで箱に入れてから、バッグにしまった。

家から裏通りだけを歩いて、銀座まで行くことにした。
そしてその途中途中で、お地蔵さまと風景の写真を撮ることにした。



木賊の植え込みの中で。


先ずはいつものコースである「隅田川テラス」に出る。
勝鬨橋を渡って対岸のテラスに出て、そこから「勝鬨橋とお地蔵さん」を撮る。

その先の「はとば公園」の鏡状の丸いモニュメントが好きなので、そこでも撮る。そして道路に出たらビルの消火栓が目に付いたので、面白そうなので、ここでも撮る。



アジサイを背景に(あかつき公園)


その先の和風のレストランの店先に木賊(とくさ)の鉢があったので、そこでも撮る。先に進むと「あかつき公園」があるので、中に入る。

幼稚園生が先生に連れられて遊びに来ていた。
私は邪魔にならないように公園の端のアジサイの花とお地蔵さんと撮る。
次に私の菩提寺の築地本願寺に行き、蓮の鉢の縁にお地蔵さんを置いて撮る。



お地蔵さんは蓮が似合う(築地本願寺)


次に東銀座のビルの前の松の葉っぱの中にお地蔵さんを置いて撮る。
その横は首都高速道路で、高層道路の所々で上に公園が作られているので、花の前でも撮る。

もうここまで来たら銀座はすぐである。三越の目印のライオンの背中にお地蔵さんを乗せて撮る。
そして帰りは都バスでマンションに戻り、3階のロビーで最後の1枚を撮って今日の「同行二人」の徘徊は終ったのである。



ビルの前の松の木の中で(東銀座)


(おまけの話)
引退してしばらくしてから、偶然、仏像彫刻に出会った。
飽きっぽい私は「1回ごとに月謝を払う」というシステムが気に入って、中野の成願寺の教室に通った。

仏師の宣道先生は私より若く、教え方が怖くないのが気に入って私の趣味になった。毎週金曜日の午後からの教室が楽しみで、学生時代もしなかった「予習復習」までしてしまった。



お花畑を背景に(築地川公園)


先生の与えてくれる教材だけでは飽き足らず、自分で東京ハンズに行ってヒノキの端材を買い求めて彫刻をした。その内に同じ仏像で小さ目のものを彫る、庭の自然木に彫るなど自己流のアレンジまで始めた。

そしてある時、私は先生に『このままではマンネリになるので、ハワイで作品展をしましょう』と申し出た。先生は『そんなことが出来るの?』と言うので、『出来ます』と言って、それからハワイの知り合いを探して遂にハワイで仏像展までやってしまった。



三越デパート銀座店のライオンの背中で。


その後には私が夏の間にお世話になっていた伊達市でも開催したくなり、大雄寺の住職に相談して開催に漕ぎ付けたのである。その時は仏像教室の生徒達も多く旅行に参加して、伊達市の観光を楽しんだのであった。

ここに引っ越して来る前は和室の6畳間に台湾の友人から贈られた1畳の大きさの台湾ヒノキの座卓があり、そこの掘り炬燵で色々な趣味をいつでも出来た。しかしマンションで私の部屋が無くなり、仏像彫刻の趣味も封印されたままになっている。



マンション3階のロビーのガラステーブルの上で。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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