ブログ閉鎖中の話題(2017年7月31日)

梅雨が終り本格的な夏がやって来ると、日本中で花火の季節となる。
我が家から一番近い花火大会の会場は東京湾で行われる「東京湾大華火大会」であるが、昨年から中止となった。

その理由であるが、「東京オリンピックの選手村建設による」とのことである。
なにしろ花火大会は選手村のすぐそばで行われるし、その場所が一般に公開されていた無料観覧席なのであるから仕方ない。


(足立花火)



東京で一番早く花火大会を開催するのは、毎年、足立区である。
荒川の北千住に近い場所で行われる花火大会には、7月22日の午後7時30分から開始された。それを我が家では自宅から見るのである。
クーラーの効いた部屋で見る花火は良いのだが、音が聞こえないのが少し寂しい。


(足立花火)


でもマンション内には、花火大会の中止を喜んでいる人も大勢いる。
私の知り合いでも、窓の方向が東京湾に面している部屋に住む人がそうだ。
毎年、知り合いが花火大会の日に大挙して押し掛けて来るので、かなり奥さんが参っていると聞いていた。それが無くなったので、奥さんはルンルンだそうだ。


(足立花火)


窓から見える北東が足立区だと思って、そこにカメラのレンズを向けて開始を待った。
ところが花火が上がったのは、もっと左で浅草よりまだ左だった。
肉眼でも見えるので、部屋の電気を消して真っ暗にして花火を楽しむ。

途中で邪魔が入った。女房の知り合いから電話があり、「Uさんが亡くなった」と知らされた。26日が葬儀だと言っていた。お蔭で、花火どころじゃなくなってしまった。


(足立花火のフィナーレ)


次の我が家から見える花火大会は7月29日の隅田川花火大会である。
この日は中学時代からの友人で、近所に住むプロカメラマンの大高さんカップルを招待した。私はアルコールが駄目なので、事前に「酒は自分で持参して」と知らせてある。
午後7時丁度に2人はやって来たが、その少し前頃から雨が降り出した。


隅田川花火大会が始まったが、霞んでよく見えない。(中央左)


7時5分から花火大会は始まったが、遠い上に霞んでいて良く見えない。
仕方なので、テレビで見る。窓越しの花火とテレビの花火を代わる代わるに見るという変な花火見物となってしまった。
花火も終り、食事も終り、その後は2人は持参したワインを飲みながら話に花が咲く。


フィナーレの時は明るくなった。 (隅田川花火)



話題は一緒にアメリカ旅行をした時のことから、両親のこと、友人達のこと、人生の終り方などアチコチに飛んで、終ったのは午後11時を過ぎていた。
2人が帰ってから、彼が持参した亡き父のデザイン展覧会の本「大高重治 手書きの世界」に書かれていた話で、今まで知らなかった彼の側面を知った。
「人に歴史あり」である。

彼の父親は高名なデザイナーで、ニッカウィスキーのデザインを初め多くの作品を残したのは知っていたが、一世を風靡したあの「のりたま」のデザインもしていたのを知って驚いた。


「大高重治 手書きの世界」 大高さんの父の作品の中から代表作の 「のりたま」 ニッカウィスキーの「ヒゲの王様」。


(おまけの話)
私の年になると、来年のことを覚えておくのは無理だと分かっている。
今年のことだって、覚えていられない。
そこで手帳の最後のページに記憶としてメモ書きをしておき、新しい手帳になった時に書き写すのが毎年の習いとなっている。


花火大会の後半で少し靄が取れて来たが・・・・。(隅田川花火大会)


そんなメモ書きの中に「手筒花火」がある。
テレビなどで見る迫力に惹かれて本場の豊橋の手筒花火大会に行きたいと思ったが、この時期は梅雨なので中止もありうると聞き、行きたいが行けずにいた。

ところがひょんなことから豊洲の「ららぽーと」で、昨年の7月に手筒花火が行われたと知った。そこで「今年もやるはず」と思い、新年になって手帳に書き留めておいた。


テレビ画面から「隅田川花火大会・生中継」。


ところが手帳を良く見なかったのか、7月20日に気が付いた時には既に終っていた。
7月15日に行われたのである。自分に腹が立った。手帳には書いてあったのだから・・・。

仕方ないので、今年の手帳の最後のページに「7月、手筒花火」と書いて、女房に「来年は豊洲に見に行こう」と告げた。
その時の女房の言葉が胸に刺さった。「もうこの年じゃ、来年のことなど分からない」。


本場「豊橋の手筒花火」。 これを自分で写真に撮ってみたい。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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