
心の伊達市民 第一号
ブログ閉鎖中の話題(2017年8月7日)
「来年のことを言うと、鬼が笑う」という言葉があるが、なぜ鬼が笑うのか?
私はこの年になっても知らなかったので、調べてみた。
『昔、曽爾(そに)村という村があった。曽爾村は、大和で一番東の端の村で、隣は伊賀の国でした。この村では年越しが来たら豆まきをします』。
『最初に炒った豆は神様に、次は自分らが食べるために、最後は豆まき用の豆で真っ黒に炒ります。豆まき用の豆を炒るのは、庭にまいても芽が出ないようにするためです。
これが、「来年のことを言うと鬼が笑う」ことに起源していたのです』。
『大昔に、鬼が村に時々やってきて、牛やニワトリをとったり、娘をさらって山に逃げ帰っていました。困った村人達は都の殿様に鬼退治を陳情しました』。
『その殿様は、鬼とまともに戦っても勝ちはないと悟り、鬼をだます手段を考えつきました。鬼に使いを出し、「もし、今後村を襲わなかったら一国の殿様にしてやる。ただし、年越しの豆の芽が出るのを見つけたら・・」という条件を伝えました』。
『鬼も沢山の軍勢と戦うのもやっかいだし、国の殿様になれると思い、条件を了承しました。 それから毎年、春先になると、鬼は年越しの豆の芽を見つける為に国中走り廻っていました。
そんなある時、良く炒ったはずの豆がなんと、芽を出していたのです。
鬼は喜び勇んで殿様のもとに走りました。聞いた役人もびっくりして鬼と一緒に来てみると、影も形も無いのです』。
『村人が鬼が戻って来る間に引っこ抜いたのです。鬼は何度もその辺りを探し廻ります。とうとう鬼は泣き出しました。
それを見て役人も可哀相になって「なんでもええがな。来年も年越しがあるのや。その時、また探したらええねん。」
鬼は「なんや、来年のこと言うて・・・・・」と急に泣くのを止めました』。
『鬼はみんなが自分を毛嫌いしているくせに来年の事を言うなんてと思って、鬼は笑い出しました』。
「来年の事を言ったら、鬼が笑う」とは、これから始まったという説があるが、確かかどうか私には分からない。 ・・・と長々と書いてしまったが、それには理由がある。
7月29日に近所に住むOさんカップルに「私の家から隅田川花火大会を見ませんか?」と誘ったのに、当日は生憎の雨の上に、ビルも出来て見通しが悪くなり良く見えなかった。ところが8月5日の午後7時過ぎに窓から外を見たら、真正面で花火が上がった。
全く邪魔ものは無い。素晴らしい光景だった。
そこでOさんに申し訳なかったので、お誘いのメールを出した。
「来年の江戸川花火を、もう一度、我が家で一緒に見ませんか?」・・・と。
そしてメールの最後に、「もし生きていたら・・」と追加した。鬼が笑っているか?
(おまけの話)
私は誰かに何かを頼まれると、よほどの事情が無い限り断れない性格である。
これで75年やって来たが、幸いに大失敗はしなかったのは運が良かっただけだ。
8月4日の「勝どき通信」で「築地市場の火事(号外)」を送信したら、かなりの人達から返信でコメントがあった。
その中の1人のA子さんは「TVの火災現場中継を見ながら、必ずどこかに橋本さんがいるはずだと主人と一緒に 野次馬ばかりを見ていました。橋本さんを見つけることはできませんでしたが、発見もありました。橋本さんがおっしゃるように、墓場があるんですね。面白いですね。橋本さんもぜひ、取材してください。鎮火後の状況も「橋本目線」で伝えてください。待ってます」と書いて来た。
A子さんに頼まれたので、翌日の午後から現場を見に行った。
ところがまだ消防隊員は現場に大勢いて、現場検証を行っているようだった。
火事の火元はラーメン屋「井上」と判明している。
新大橋通りに面した名物の食堂街はロープが張られ、全店が営業を出来ないでいる。
火災現場の一角を除き、他はいつものように営業していて、いつものように外国人観光客で溢れていた。一刻も早い復興を願う。でも、その時もまだ現場は焦げ臭かった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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有珠善光寺 2台の門前市 仲良く営業中♪~伊達みやげ研究所&morning owl Japan~
2006年 土日のみの営業で善光寺さんの門前市は始まりました。 「善光寺さんはもちろんのこと、伊達市の皆様のお力添えがあったからこそ門前市を始められました。」 当時を振り返り、そう語り始めたのは “伊達みやげ研究所”代表の赤塚文俊さんです。 その頃は仲間達と一緒に、木製の屋台を店舗にして門前市を開催されていたそうです。 けれども、店主たちの高齢化とともに屋台の老朽化も進み、一人抜け二人抜け、3年前からとうとう赤塚さんお一人になってしまいました。 ↑仲間とともに開催していた頃の様子です。 門前市を始めた頃の赤塚さんたちは、「伊達の文化財を活用して町の経済活性化を計りたい!」という強い想いのもと、週末の境内を賑わしていました。 お一人になった今でも、「観光振興の一助を担いたい!」という気持ちから、訪れた観光客にお勧め周辺スポットや善光寺・善光寺自然公園の見所などを語り、伊達の魅力の情報発信をしていると話していらっしゃいました。 「伊達は本当に素晴らしい資源がたくさんあるのです。」 このお話には筆者も激しく同意。 途中、取材だということを忘れてしまい語り合ってしまいました ^^; 対面販売の良さを大切にする赤塚さんの姿勢は、当然お客様にも伝わります。 「あ。おじさん居るかなあって思って来たのよ!」 取材中、登別からいらしたご夫婦が「鰐口もなか」を2箱買っていかれました。 「リピーターの方もいらっしゃり嬉しいです。」 心から頷いてしまう…。 ↑「鰐口もなか」は、地元有珠の老舗製菓店「日当製菓」さんが作っていらっしゃいます。 最中はもちろんですが、私は善光寺さんのお茶も強くおすすめします。 熱くしても冷やしても本当に美味しいのです。 お話をする中で何度も何度も赤塚さんの口から出たのは、「善光寺さんには本当に感謝しています。」という言葉でした。 そんな赤塚さんに、今後に向けての想いをお尋ねしました。 「自然・歴史・文化など、地域資源の保全も意識しながら伊達市の活性化をしたい!という想いを持つ、門前市の仲間を増やしたいです。」 控えめだけれど熱い心が伝わる言葉でした。 そして、その想いを繋ごうとしている若い門前市仲間が現れました。 “ morning owl Japan “さんです。 Japanとある通り、実はカナダのオタワに本店があります。 オーナーの西村ななさんは、札幌出身喜茂別在住。 オーストラリア・カナダ・ニュージーランド・アイルランドと、海外にトータル7年間住んでいらっしゃいました。 3年前に移動販売車でのカフェを始め、冬はニセコのヒラフ坂に常駐していらっしゃるのだそうです。 morning owl Japanを始めた時の想いを語ってくださいました。 それは、やはり豊富な海外経験から。 「向こうでは、キッチンカーが当たり前にあるのです。その文化を北海道にも根付かせたかったのです。」 そんな強い想いから、なんの躊躇いもなく一気にこの世界に飛び込んだのだそうです。 出店を断られることも多く、場所探しには苦労なさっているようですが、めげている様子は見せません。 「珈琲には特に力を入れています。こちらのエスプレッソマシーンは実は車より高いのですよ。」 ↑こちらのエスプレッソマシーンを載せているキッチンカーは他にはないとか。 珈琲豆は、札幌平岸のAce Coffee Roaster さんの浅煎り豆で、morning owl Japanオリジナルブレンドを作ってもらっているそうです。浅煎りなので豆の味がよくわかり、すっきりと美味しいです。 ↑ドリンクメニューがとっても豊富です。 要所要所に強いこだわりがあってほんと素敵♡ 常に筆者を真っ直ぐに見つめながらにこやかに話してくださる西村ななさん。 その目には、未来がはっきりと映っていると感じました。 「この店を通して、” 私もやってみたい “という方が意外と多いことを知りました。まだまだ認知度が低いキッチンカーですが、コロナ禍でも密にならないという利点もあります。共に北海道にキッチンカー文化を定着させられたら嬉しいです。」 ななさんは、最後にそう語ってくださいました。 ―善光寺門前市情報― 場所 有珠善光寺境内(伊達市有珠町124) 「伊達みやげ研究所」 冬季以外はほぼ毎日営業 代表 赤塚文俊 電話 090-9751-9065「morning owl Japan」 ひと月に週末のみ4回位営業 冬季は@ニセコ 代表 西村なな 詳細はQRコードを読み取りInstagramをご参照ください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。営業日等、変更になる場合があります(取材2021年)
Rietty
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布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
布をつなぐ、人をつなぐ、命をつなぐ。 今、室蘭からじわりじわりと広がり始めている集団アートの動きがあります。 ひとつひとつ”はぎれ”を手で縫って作られた、ハートをくわえた小鳥たち。ハート部分には参加者の名前やイニシャルが刺繍されています。これをタペストリーに縫い付けていき、どんどん集まっていくと…… 月へ向かうことりの群れが描かれた、巨大なタペストリーとなります。完成目標は1,000羽、長さ14m相当です。 ”月は星座と違って、世界中のどこから見ても同じ形だから”、”欠けて見えなくなっても、必ず光が戻るから” 、このデザインにしたそうです。 このプロジェクトの名前は「1000のことり」。布でつづる千羽鶴、アートによる平和の意志表示です。政治的なスローガンや言葉は一切使わず、”ころさないで”の一点で、そしてサイン(イニシャル・マークも可)の刺繍だけで、1,000人が繋がります。このタペストリーは完成後、「非戦」を求める場に飾られます。サイン参加者が使用することも可能だそうです。 ひとりひとりの想いが込められたパッチワークの美しさにエネルギーを感じます。現在、北は札幌、南は佐賀県まで参加者がいるとのこと。平和に心をよせるアートの波が、ゆるやかに広がっていっています。 今年20周年を迎える 『1000PEACE』 『1000PEACE』は、「戦争は昔話じゃない。現在進行形のリアルだ。お金も、地位もない、無名の自分にできることは何?」と感じた人たちが集まってできた有志団体です。 「未来の世代につながる具体的な行動をしている個人や団体を応援する」のが活動内容。対象は、国外・国内を問わず、忙しい日常の中で自分たちにできることをしています。活動内容は、その都度集まった人たちで自由に考え、話し合って決めます。 戦後60年の年であった2005年7月、募金を集めイラクの水支援に送ったことが始まり。そして今年20周年を迎えます。主に札幌を拠点に活動していましたが、今は室蘭に拠点が移っています。 直近では、パレスチナのこども達の心のケアの一環として、「パレスチナへのことり」プロジェクトもありました。北海道パレスチナ医療奉仕団の後発隊メンバーに「日本からのお土産」を託そうと、2024年10月~12月の間に子どもが描いた絵とカードを集めたのです。しかし現地の状況が緊迫し渡航を断念。次の渡航がいつになるかはわかりませんが、集まった169枚の絵はそれまで大切に保管されるとのことです。日本のこども達の絵とことり達がパレスチナのこども達に届く日が早く来ますように。 『1000のことり』に参加するには 1000PEACE には公的な事務所がないため、代表個人の連絡先が問い合わせ先となっています。「自分も参加したい」「ことりを預かって周りに声をかけるよ」という方がいらっしゃいましたら、下記問い合わせフォームよりお問い合わせください。 ~『1000のことり』参加の流れ~ ①お問い合わせフォームから『1000PEACE』と繋がる ▶直接お会いできる方 ②好きなことりセットを選ぶ ③参加シートにお名前を記入して戻す(ご自身で刺繍してもOK) ④片方のことりは自分のものに! ▶遠方の方 参加ハガキに記入していただき、後日、片方のことりが届きます。 実はことり達は双子で、1セット2羽になっており、片方は参加者が貰えるんです!ことりのハートにサインを縫って終わりではなく、このタペストリーがどこかで飾られるとき、自分のことりを探せるというワクワクが残されるのです。その場で終わりとならない、日常で忘れてしまいそうなときに思い出させてくれることりが近くにいてくれるのも大切ですね。ご興味を持たれた方は下記リンクよりお問い合わせください。 ~参加希望、お問い合わせはこちらまで~(筆者が代表の方をお繋ぎします。)
misaki
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