心の伊達市民 第一号

再び聖オルバン教会へ 


少し前に「私の経験したウクライナの2つの話題」で取上げたのだが、また「聖オルバン教会」の話である。 
その時は「またチャンスがあれば行ってみたい」と書いたが、すぐにチャンスが来た。
私はブログに取り上げてから気になっていたので、「聖オルバン教会」のホームページにあった「問い合わせ」から質問をしてみた。

それは次のような質問だった。
「ウクライナ正教会に場所を貸しただけですか?」、「仏教徒が聖堂に入るのは構いませんか?」、「教会内の写真を撮るのは問題ありませんか?」、 「パイプオルガンはありますか?」など、6項目の質問をメール送信した。


 「聖オルバン教会」



この教会は英語でミサを行うので、日本語の分かる人がいるかどうか心配だった。
すると思いがけず、すぐに返信があった。そこには『メールを頂きまして、大変面白い質問を頂き、ありがとうございます』という書き出しから始まった。

『聖オルバン教会はウクライナ正教の信者のために1月6日~7日にミサ(礼拝)を行った事ではなく、ウクライナ正教の司祭と信徒達が聖オルバン教会(建物)の場を借りて、礼拝を自分達で行われました』とあった。
これは私の予想通りで、新聞のニュースでは分からない情報だった。


教会入口の表示板(全て英語)



聖堂内に仏教徒が立ち入ることに関しては『聖別された建物ですが、信仰に関係なく、座席のある所スペースに入る事は問題ない。フェンスの中は開けても閉まっても、一般人が入らない事となっています。教会内の写真を撮ることに関しては『普通の個人的に使用する為の撮影は問題ないです』と回答してくれた。

『パイプオルガンがあるか?』に付いては、『教会内にはパイプオルガンがありますが、ウクライナ正教の方たちは利用していませんが、歌声がとても良いので、オルガン無くても十分礼拝が成り立てます』とあった。
少し日本語が変なところもあるが、私は十分に理解できた。


  落ち着いた雰囲気の礼拝堂(聖堂)



そこで返信のあった2日後に、聖オルバン教会に行ってみた。
場所は東京タワーからすぐの場所なので、私が行くのも簡単である。
目的の教会は木造で素朴で、歴史を感じさせられる。

礼拝堂(聖堂)の入口から中を覗いたら誰もいないので、静かに中に入った。
写真を撮ろうとしたら、横のドアから小柄な白人女性が現れた。
私がお辞儀をすると、彼女が近付いて来た。


 小型のパイプオルガン



そこで私は名前を名乗り、メールで送信した内容を説明し、『私は仏教徒です』と告げた。彼女は日本語が上手であるが、私のメールに返信をしてくれた人ではなかった。
写真撮影の許可をもらっていること、パイプオルガンを見たいことを告げた。

彼女とは数分、話をしたが、最後に彼女は『12時半からミサがありますから、参加したらどうですか?』と言った。
私が『パイプオルガンの演奏はありますか?』と聞いたら、『今日はありません』と答えた。


 白人女性がミサの準備をしている



そこで話は終り、彼女は12時半からのミサの準備に取り掛かった。
私は写真を撮ったり、椅子に座って静かに聖堂内を見たりして時を過ごした。
パイプオルガンは他の教会を違って、聖堂の一番後ろの目立たない場所にあった。
あまり大きくは無いが、立派なオルガンだった。

でもミサまでの時間が1時間もあるので、彼女に「オルガン演奏のある時に、また来ます』と言って教会を出た。
お隣にある同じ聖公会の「聖アンデレ教会」では、ミサの最中だった。


主祭壇



教会を出てしまってから、『なぜ同じ敷地内に2つの教会があるのか?』を聞けば良かったと思った。家に帰ってからネットで色々と調べてみたら、その理由が分かった。

「聖アンデレ教会は1879年にイギリス海外福音伝道会の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが福沢諭吉の援助を受けて芝公園に最初の教会を建てたことから始まる。当初、礼拝堂は英国人会衆とシェアしていたが、1952年、英国聖公会から「敷地内に英語礼拝のための聖堂を建てたい」という申し入れがあり、新たな礼拝堂が建設された。

このような歴史から、同じ敷地内に2つの教会があるのだと知った。
たった1本のニュースに興味を持っただけなのが、こんなに深入りするとは、私は思ってもいなかった。


 窓から入る光が良い雰囲気を出していた。



(おまけの話)
私は熱心ではないが仏教徒で、形だけは築地本願寺の門徒である。
キリスト教と私の関係だが、幼稚園の時に遡る。
4歳の時に頼み込んで近くの幼稚園に入り2年間を過ごしたのだが、ここは普通の民家で教室はお座敷だった。

小学生の高学年になり、私が通っていた幼稚園はキリスト教の「小金井教会幼稚園」という名前だと知ったのである。
まだ戦後、間もなくの頃なので、教会を建てる余裕が無かったのだろうと思う。


パイプオルガンの演奏席



その後はキリスト教とは縁が無く過ごして来た。
ところが大学を卒業してニューヨークに行くことになり、父親が策を巡らした。
その当時は外貨持ち出しが500ドルと制限されていた時代である。

父親は知り合いのキリスト教の牧師に話を付けて、彼がアメリカから送金されて来る給料をオヤジが日本円で支払う。その給料のドルをアメリカに貯金してもらい、私がニューヨークに行った時に使えるようにしてくれた。
いま考えると、違法の究極の「親ばか」である。


 同じ敷地内の集会所



私はニューヨークでもらう給料が安いので、どうしても足りなくなる。
その時はドル預金を管理しているニューオリンズに住む牧師の母親に、「金送れ」の手紙を書く。真面目な牧師の母親は、日本に住む牧師である息子に連絡する。
すると牧師は私の父親に連絡して、「送金してもいいか?」を確認する。

そんな面倒な手順を踏むので、お金が届くのは2ヵ月くらい先になる。
あの時のアメリカ人牧師は八王子の崖の上にトレーラーハウスを持って来て住んでいたが、もう亡くなったろうなー。聖オルバン教会に行ったことで、昔のことを思い出した。


 この建物が何か?は、分からなかった。

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コメント

  1. Shinji

    Shinji

    返信

    木をたくさん使った教会内部は、落ち着いていて、北欧の教会のような雰囲気を醸し出しているように見えます。
    1960年頃の、外貨持ち出しが、500ドルに限られていたとは、全く驚きです。これでは、旅行もできませんよね。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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