
心の伊達市民 第一号
神田明神の「神田祭」が行われると知り、見に行くことにした。
10日に行われる氏子の町々を巡行する「神幸祭行列」は、平安時代の装束を身にまとった華やかなものだ。この日は朝から小雨で、果たして行われるか心配でちょっと嫌な感じがした。予定表を見たら、午前10時に行列は日本銀行の横に来るようだった。
時間に合わせて現地に行ったが来ないので、雨で遅れているのかもしれないと思い来る方向に歩いて行った。結局は来なかった。どうなったのかは不明だが、このまま帰るのもシャクだから神田明神へ行ってみたが普段と変りはなかった。
翌日の11日(日)は、各町会から多くの神輿の宮入が行われる。
予定表を見たら、日本橋三越前が10時、大手町の将門塚が13時10分だった。
日本橋へ行ってみたら、壁に貼ってある予定表では13時30分となっていた。
私は慌てた。また私の勘違いで、日本橋と将門塚の時間が逆だった。
急いで将門塚まで、早足で向かった。将門塚の近くの交差点まで来た時に、ちょうど神輿が出発するところだった。
「間に合って良かった」と思いながらも、足はガクガクするし、息はハアハアするし疲れ果てた。それでも写真を撮りながら行列と一緒に進み、少し先回りして動画も撮った。
この神輿は「将門塚保存会」が所有しているらしく、担ぎ手もサラリーマン達だろう。
それが分かるのが、「下町の男衆」という感じがしない。会社の命令で参加しているのかもしれない。
今回の時間の件で家に帰ってから、もう一度、「神田祭」のホームページで確認した。
そうしたら私が時間を間違えたのではなく、予定表の方が違っていたのである。
私は「またボケたか?」と落ち込んでいたが、そうでなくて良かった。
(おまけの話)
将門塚保存会の神輿の渡御を見た後に、また日本橋へ歩いて戻った。
2025年の「神田祭」は2年に1度の本祭りで、関係者は楽しみにしていたようだ。
「神田祭」とは千代田区の神田明神で行われる祭礼で、「神田祭」とも呼ばれている。
「山王祭」(千代田区)、「深川八幡祭」(江東区)と並んで江戸三大祭である。
京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」と共に、日本三大祭にもなっている。
神田祭の予定を見たら、次のようになっていた。
・5月9日(木) 午後7時 鳳輦神輿遷座祭
・5月10日(金) 夕刻 氏子町会神輿神霊入れ
・5月11日(土) 終日 神幸祭(神田・日本橋・大手・丸の内・秋葉原順光)
・5月11日(土) 午後3時 附け祭 午後4時 神幸祭神輿宮入
・5月12日(日) 終日 神輿宮入
・5月14日(火) 午前11時 献茶式 午後6時 明神薪能
・5月15日(水) 午後2時 例大祭
11時過ぎに日本橋に戻って来たので、神輿の渡御までかなりの時間がある。
そこで先ずは腹ごしらえで、蕎麦を食べた。そしてローソンのイートインに入って、コーヒーとロールケーキで休んだ。
まだ時間があるので、三越デパートの中に入ったら、中央の広場で神田祭の絵巻の展示があった。それでも時間を持て余し、入口横の椅子に座って本を読んでいた。
午後1時を過ぎたので、通りに出てみた。
段々と祭りの雰囲気が出て来て、先頭には子供の引く山車があり、子供たちが集まっていた。大人達は神輿の前で、代わる代わる記念撮影をしている。
デパートの横には立派な山車が置かれていて、「龍神」と書かれていた。
詰所の前を通ったら、パンフレットのようなものが見えた。
法被姿の男性に『これを頂いてもいいですか?』と聞いたら、『手拭いと一緒で2000円です』と言われたので買わなかった。
やっと神輿が動き出したのが見えた。私は三越デパートの正面の道路の反対側で待っていた。やがて神輿は三越デパートの正面入口に入って行った。
店内には入らず、その場で神輿を練る。そしてそこで神輿を台の上に置いた。
その後、代表が台の上に立ち「一本締め」を行った。
三越デパートはこの祭では、室町一丁目の大スポンサーなのだろう。
「一本締め」は代表が「お手を拝借」と言ってから、「いよおー」と音頭を取り、「三拍、三拍、三拍、一拍」で「パンパンパン パンパンパン パンパンパン パン」で手を叩き締めるやり方である。
1回だけ「パン」と手を叩いて締めるのは、「一丁締め」である。
「一本締め」を3回行うのは「三本締め」で、本来はこれが正式の手締めのようだ。
午後1時30分過ぎになり、神輿はやっと出発した。
しかし中央通りを通行止めにしないので、交通渋滞が起きてしまう。
2年に1度の神田祭で日曜日なのだから、警察もこの日だけは通行止めにして欲しい。
そして広い中央通りを、思い切り元気よく渡御して欲しいと感じた。
江東区の深川八幡祭では通行止めをする。中央区だって出来るはずだがなー。
私は富岡八幡宮の深川八幡祭の派手で、水をぶっかけ、下町の元気の良い男達の担ぐ神輿を見慣れているので、室町一丁目町会の神輿は元気が無く、品が良過ぎて物足りなかった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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いま、お馬さんと密な関係になってみた!LAKE TOYA RANCH
こちらの特集版にご訪問くださり、どうもありがとうございます^^ / 今後月に2~3回ほど、編集部のライターとして、皆様のお目目にかかることになりましたRiettyです。 この場では、私が出会った「好き」や「楽しい」や「いいね!」を皆様におすそわけさせていただきたいと思っています。 いろんなモノ。 いろんなコト。 いろんなヒト。 楽しむための情報の一つとして。 どうぞ末長くお付き合いくださいね ♡ さてさて。 国道230号線を留守都村方面に向かって車を走らせた時。 この看板を見かけたことはありませんか? 私、実はず〜〜っと気になっていたのですが、ついに曲がってみました。 すると…。 まずお迎えしてくれたのはこの子。 プードルのラヴィン君です。 まだ子供なので、「お客様だ〜!」とはしゃぐ姿がとても可愛い。 北海道弁では「おだつ」感じ。 そして誘導されるように歩くと…。 たくさんのお馬さんたちがのんびりお食餌中でした。 ここは、洞爺湖にほど近い月浦町にある「LAKE TOYA RANCH」さんです。 おっとり優しいお馬さんに跨り、ホーストレッキングや引き馬などを体験できるところです。 早速、体験してみました。 乗せてくれたのはヨーロッパ系ハーフリンガー&どさんこのミックス、大食漢のマックス君。 男子ですが可愛い顔立ちです。 山岳馬なので体力があります。 まずは「よろしくね ♡」とご挨拶。 そして、マックス君の相棒はアメリカ産クウォーターホースのローラちゃん。 カウボーイが乗るお馬さんです。 でも、ここで乗っているのはとても素敵な美人インスタラクターさん♡ トレッキングに出かける前に、「進め」「止まれ」「ターン」の手綱捌きを教わりました。 とても良くトレーニングをされているお馬さんたちなので、的確なアドバイスのもと、少しの練習と、「仲良くなりたい!」という気持ちがあればすぐに乗れるようになれます。 さあ! いざ! トレッキングに出発〜! 緊張と興奮でワクワク&ドキドキ☆ 親切なインストラクターさんは、ほとんど後ろを見た状態で爽やかに優しく指示をくれます。 上り坂は前傾して。 下り坂は後ろに反り気味に。 軸を保とうとするので、インナーマッスルが鍛えられそうです。 太腿の内側も締まりそう。 なかなかの運動量です。 二次的効果を密かに期待してしまいます。 途中、雪が降り出しました。 グリーンシーズンも良いけれど、白い雪原や山道を歩くのは本当に気持ちがいい ♡ お馬さんが一緒にいると、見慣れたはずの洞爺湖の景色が非日常なものに変わります。 お馬さんとの密なトレッキング。 元気に迎えてくれるラヴィンちゃんと、穏やかなお馬さんたちと、親切なスタッフさんたちに優しい時間をいただきました。 もちろんワイルド&イケメン社長 高橋洋一さんも、はにかみながら歓迎してくれます ^^ / 最後に地元密着耳寄り情報!!(地域外の皆様にはごめんなさい) 絶対にお得!! 絶対におすすめ!! 見逃さないでね♪♪ 帰りは高橋社長とラヴィン君が見送ってくれました。 レイクトーヤランチ情報 電話 0142-73-2455 住所 虻田郡洞爺湖町月浦44番地(カーナビ住所検索はうまくいきませんので、レイクトーヤランチと入れて検索してください) アクセス 洞爺湖温泉街より車で5分 E.mail toya@jphorseriding.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年) ※シェア、リンク等大歓迎です!
Rietty
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
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