心の伊達市民 第一号

門前仲町の豆まき

今年の節分は2月2日だと聞いて、「エー!」と思った。
私は子供の頃から、「節分は2月3日」と思い込んでいたのである。
みんなは知っていたのだろうが、この年になって初めて知ることもあることに自分でも驚いた。

そこで調べてみたら、『節分とは四季を分ける節目のことで、本来は季節の始まりである立春、立夏、立秋、立冬の前日を指す言葉でした。ただ、このうち春の始まりを表す「立春の前日」だけが「節分の日」として残ったようです・・・』


  「節分福豆」(1合マス・1500円・5合マス・3000円)・深川不動堂



『地球が太陽を1周する時間は、実は、365日ぴったりではありません。暦のうえでの1年が365日なのに対し、地球が太陽の周りを1周する時間は365. 2422日となっています。地球が1年かけて1周してもまだ0. 2422日 (=約6時間) 分、足りません。そのため、毎年少しずつ地球の位置がずれることになり、「立春」といった二十四節気の時刻も毎年約6時間ずつ遅くなっていきます』とあった。

・・・というわけで、2月2日に門前仲町の「深川不動堂」と「富岡八幡宮」の「節分祭」の「豆まき」に行くことにした。
この日の天気予報では『東京都心でも3センチくらいの積雪」と知らせていた。

深川不動堂は境内があまり広くないので12時に入場券を配布し、160人だけ入場できる。私は11時30分に現地に行ったら、すでに30人以上が並んでいた。
寒い中を待って、12時に入場券を手にした。


 警察官が厳重な警備をしていた。



午後2時30分に門の外に集合させられて、赤・青・黄いろ・緑の入場券ごとに並ぶ。
3時少し前にやっと入場となり、私は2ヵ所の舞台の内の右側の「青」のコーナーに入った。案内嬢がマイクで何度も説明している。

『地面に落ちた豆は絶対に拾わないこと。傘を広げないこと。年男・年女は入れ替えで2回、豆をまく。危険が察知されたら、豆まきは中止する』。

将棋倒しの事故を心配し、地元警察からも数人が来て警備をしている。
午後3時30分になり、やっと1回目の豆まきが行われた。豆は大量に用意されていて、同じ年男・年女が枡に豆を追加して2回まく。


 年男・年女が豆をまく。



この寺の本尊は「不動明王」である。
そのためか、「福は内」だけで、「鬼は外」は言わない。

案内嬢の説明では『不動明王は鬼をも改心させる強い力を持つとされることから、不動明王のもとに鬼はいないということで 成田山新勝寺 及び全国各地の分院では「福は内」だけを唱えます』と言っていた。

「不動明王のもとに鬼はいない」というわりには、舞台の上には鬼がいて豆をまいているのが可笑しい。


「赤鬼」と「白鬼」が僧侶と共に登場した。



私の今回の目的は「豆を取る」ことではなく、動画撮影である。
撮影中も豆が滝のように降って来る。顔に当たって痛い。
この寺では最近の他の寺と違い、本物の豆をまく。

多くの都内の神社では「袋に入れた豆」や「お菓子」をまく。これでは絵にならない。
そこで動画撮影の為に、私は本当に豆をまく深川地蔵堂まで来たのである。
その割にはタイミングが合わず、何度も撮影したが納得の動画はまた撮れなかった。



年男・年女が入れ替わり、2回目の豆まきが行われた。
近くの富岡八幡宮と違い、ここにはあまり有名な芸能人や相撲取りなど来ていない。
2回の豆まきが終り、僧侶・年男・年女が舞台から降りて、やっと我々も退出できた。
その後の地面には大量の豆が落ちていて、それが踏み潰されていた。

「ポリティカル・コレクトネス」の人達がこれを見たら、『世界には食べ物が無くて苦しんでいる人達が大勢いる。豆をまくな!』と言いそうだ。
でも私は伝統を大事にして、袋入りではない豆をまく行事を大事にして欲しいと思う。


 「豆まき」の後の地面



しかし寒かった。
雪は降らなかったが気温が下がり続け、体が芯から冷えてしまった。
会場からの出口では、僧侶が入場券と引き換えに「深川成田山」と書かれた紙袋入りの豆を配っていた。

私の後ろで豆をもらうために並んでいたオバサンが、『フードに豆がいっぱい入っていますよ』と言った。確かめてみたら、防寒コートのフードとポケットに沢山の豆が入っていた。

みんなは紙袋などで豆を受け取っていたが、私は撮影に夢中になっていて、豆を受けることが出来ずにいた。それが思いも掛けず、勝手にフードとポケットに入っていたのである。今年はなにか良いことが起きそうな予感がした「豆まき」だった。


 お土産の「豆」



(おまけの話)
深川地蔵堂の豆まきでは、芸能人が少しは来ていたようだ。
でもなんとなく顔を見たことがあるような気がするだけで、名前までは分からない。
私の入ったコーナーの反対側の舞台に、見たことがある演歌歌手がいた。

どうしても名前が思い出せない。最近は人の名前が思い出せないことが増えているから仕方ない。その隣にいた男も、もしかしたら俳優ではないかと思った。
年女・年男なのか、寺からギャラで呼ばれたのかは不明である。


 演歌歌手のように思う女性。



私のいた舞台には、懐かしい「ウィッキーさん」がいた。
彼は以前にもここで見ているので、年男ではなく寺から呼ばれているのだろう。
若い人はウィッキーさんを知らないだろうが、今のスリランカで1936年に生まれたから今年で89歳である。

彼は1970 年に始まった、日本テレビの「ズームイン朝 ! !」の「ウィッキーさんのワンポイント英会話」コーナーで人気が出た。ウィッキーさんの経歴を調べてみたら、セイロン大学卒、カリフォルニア大学留学、国費で日本留学と華々しい。

テレビでは朝の通勤・通学時間に道行く人に、突然、英語で話しかけるのが面白かった。豆まきで見たウィッキーさんは、もう昔の面影は無かったのだ寂しかった。


 舞台の上のウィッキーさん。



「深川地蔵堂」と「富岡八幡宮」は歩いても2~3分の距離にある。
そこで深川地蔵堂で豆まきに参加した人は、引き続き「富岡八幡宮」の豆まきに参加するようだ。そちらの「まき」の開始時間は午後4時30分から始まる。しかも「富岡八幡宮」は金があるらしく、「富くじ」を配っている。

今年の賞品は分からないが、以前は1等賞はハワイ旅行だった。
私は深川不動堂で入場券をもらった後に、富岡八幡宮の様子を見に行った。
こちらの動画も撮るつもりでいたが、深川不動堂での待ち時間で体が芯まで冷えてしまい断念した。動画より健康を優先したのであった。


「富岡八幡宮」の午前中の豆まき会場

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コメント

  1. Shinji

    Shinji

    返信

    豆まきの様子を詳しく知ることが出来ました。私にとっては小さな旅です。
    それにしても、雪の降りそうな寒い日に11:30から並んで、2:30の開始まで待つ辛抱強さを敬服します。

  2. 年男(Y)

    年男(Y)

    返信

    今年は巳年で私は「年男」であります。昭和100年、戦後80年、開戦の年に生まれ動乱の時代を生き抜いきバブルまで経験した世代でもあります。7回目の年男は既に83歳となり、節分の豆もお皿の上に満杯でそれでも一生懸命に食べました。自宅の玄関、居間の窓から「福は内」「鬼は外」と大声で叫ぶ孫たちの歓声が心地よい夜でした。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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