
カオリの北海道おいしいもの探し

読んでいただきありがとうございます。
個人ブログでは、地域おこし協力隊の活動や北海道移住生活、
道内旅などに幅広く書いています。
また、ツイッターとインスタも更新中!
こちらは日々のつぶやきや、多言語発信をしています。
ぜひお越しください😄
個人ブログ「カオリのすむふむ~移住生活@今は登別市地域おこし協力隊~」
噴火湾の恵み
醤油を入れて、数時間〜数日冷蔵庫に入れておくだけでおいしいだし醤油ができるというものです。
醤油をいれたところ↓
醤油の中にプカプカと浮かぶ唐辛子や魚介だしのもとになる海鮮類が見えます。
漬けて数時間後に味見をしましたが、変化は感じられず。
2、3日置くと魚介だしがきいてきて、ほんのちょっととろみが出てきました。
食べ方を調べてみたところ、刺身醤油として使う人が多くみられました。
でも私、刺身類がほとんど食べられないので・・・
スープや炒め物の味付けに使っています。
肉にも魚介系の料理にも合います!
特によかったのが鶏団子スープです。
粉だし(さばなどの)、だし醤油、水だけでスープを作ったのに本当においしい!
鶏団子はすりおろし生姜と料理酒(塩分ゼロ)だけでOK。
いい調味料を使うと、料理っておいしくなりますね〜
2016年に日本へ帰国後、北海道へ移住。旭川→札幌→東京→札幌→2022年9月に登別へお引越し。現在は登別市地域おこし協力隊として活動中。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
11/09(木) [のぼりべつ酪農館] のむチーズ
-
08/19(土) [登別温泉グルメ]adex cafe で朝食をいただく
-
07/23(日) [登別カフェ] CUBERU Green&Coffeeでデザートを楽しむ
-
05/19(金) 壮瞥町・ヨツカド商店のコーヒーと焼き菓子
-
05/31(水) 「噴火湾のめぐみ」を使って料理
-
03/13(月) 望月製麺所の「ぎょうざの皮」で焼き餃子!

イベント
「食べる」カテゴリーのおすすめ記事
-
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/04/03(木) ☆本日のメインはごろごろカレーです☆
-
2025/03/24(月) 今日のメインは国産豚ロースの肉豆腐です!
観月旅館
0
-
2024/12/13(金) ある会のメンバー紹介
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/01/09(木) ☆本日のメインはごろごろカレーです☆
-
2025/03/13(木) 今日のメインは豚バラ肉と玉ねぎの生姜焼きです!
食べるに関する
特集記事
-
10/23(月) “窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
0
-
06/21(金) 【あの人に会いに】表現を愉しむ [ 村井裕介さん / 洞爺 ]
Love & Peace な好青年。 自然にありのままに、穏やかに。 けれど、どこか静かに自分を内観してる。 陰と陽、内に秘めた熱さ。 【あの人に会いに】vol.3 3人目の今回は、 ROUGH LAUGH Coffee の 村井 裕介 さんです。 一歩ずれていたら、全く違った道を 全く別人のように歩いていたかもしれない、 そんなストーリーを伺いました。 『人生このまま終わるのか?』 裕介さんは登別市出身。高校卒業後は美容師を目指して専門学校に進みます。しかし、なんと1週間で辞めてしまいます。始まりからパンチの効いたストーリーです。 「辞めた理由を色んな人に聞かれるんですけど、わからなくて。まあ明らかに無理だなって。でも1週間なんで、ハサミも持ってないんですけどね !!」 札幌に引っ越して家具も一式揃えたのに、引き返すという思い切りの良さ。 「自分に嘘がつけないっていうのは子供の頃からありました」 専門学校を辞めたあとは登別の実家に戻り、工場で働き始めます。 「働いて、結婚して、車買ってマイホーム建てて……っていうのが”普通”の環境で」 日々淡々と、真面目に働きました。しかし1~2年ほど経った頃、『人生このまま終わるのか?』とふと思うようになります。 「働いていて『これじゃない感』というか……」 転職や、やりたいことを考え始め、ハローワークに通いましたが、そこに興味のある求人はありませんでした。 「仕事も辛くて、行きたくなくなって、鬱みたいな。今みたいに外に出ることも少なくて、ずっとスマホ見て、求人見たりSNS見たり、夜更かしして。テラスハウス(当時大人気だったテレビ番組。夢を追う若者たちのシェアハウス生活を映し出していた。)見て、『俺もやりたいことが見つかれば……』とか思ったり」 夜更かしにスマホで質の悪い睡眠、抜け出せない負のループ。そんな生活を続けていると、身体に不調が現れ始めます。 「めまいが半年くらい続いちゃって。脳外科も行ったけど、何も悪くなかった」 看護師である彼女に、自律神経では?と言われ、心の不調に気付きます。 「その時は”自律神経”という言葉すら知らない。『自律神経 直す』とかググって……夜更かししながら (笑) 」 夜中にスマホが教えてくれた答えは、皮肉にも ”朝日を浴びる”。 「めまいが辛いから、もうやるしかなかった」 『早起き』から流れが変わった 早起きして、朝日を浴びて、深呼吸。 そして朝読書。 朝に心が整う気持ち良さ。 自分を悦ばせられることを体感し、朝型のライフスタイルにシフトしていきました。 「自然のリズムで暮らしたら、普通に自然になるじゃないですか。そしたら働きながらでも良くしていけるなって。早起きして本読んでから仕事に行けば、良い感じなんじゃないって。土日は休みなんだから、お出かけして、楽しく過ごせばいいんじゃんって。本当に普通の、当たり前のことなんですけどね」 転機が訪れたのは23歳のとき。 急遽、沖縄へ移り住むことを決めます。 「彼女から『沖縄に住みたい』と結構本気で伝えられたのがきっかけで。最初はビックリ。でも次の日には、良いかもな……と思うようになって。それで3日後にはもう、会社辞めます、って。沖縄が好きだったし、旅や移住に興味はあったので……」 興味があったとは言っても、北から南への大移動、更に長い間辞められなかった会社の辞職、とても大きな決断です。そうと決めたら早い!専門学校を1週間で辞めたという冒頭の話が思い出されます。 いざ沖縄へという時も、思い切りの良いエピソードが。「飛行機高くない?お金そんなに変わらないなら、車で行っちゃおう!って。日本縦断しました」 今だから見える 地元・西胆振 のポテンシャル 2人は沖縄で1年ほど暮らしたのち、”なんとなく自然と” 北海道に戻って来ました。 裕介さんの現在の主軸は、農業・スノーボード・珈琲の3本。 夏はひたむきに農業に打ち込み、 冬は目一杯スノーボードを愉しみます。 スローライフ、自給自足、自然の近くで暮らすライフスタイルに惹かれていた裕介さん。自然な流れで農に携わるようになりました。 巡り巡って地元に戻って来た裕介さん。今、この地域に可能性を感じていると言います。 「西胆振で生まれ育って、沖縄に住んだり、日本縦断の旅で色々見てきたけど、結局ここに帰って来てる。これはひとつ強みだなと思ってます」 田舎出身者の良くある話、裕介さんも例に漏れず、地元は ”何も無いところ” だと思っていました。しかし一度外に出て戻ってくると、西胆振のポテンシャルが見えるようになりました。 「海も山も、湖も、活火山もあって。ちょっと車を走らせれば世界的なパウダースノーがある。これって凄いこと」 今まで当たり前すぎて気付かなかった豊かさ。大人になり珈琲や農の世界にも出て、新しい繋がりもどんどん広がっていきます。Uターン勢の今後が楽しみです。 珈琲は表現のひとつ 「早起きを始めてからは、全部 ”きっかけ” とか ”理由” とかがなくて、自然な流れでそうなってきた」と語る裕介さんにとって、珈琲も自然と極めていったものの一つ。農に携わる傍ら、イベント等で珈琲を淹れたり、地域のお店に自家焙煎の珈琲豆を卸したりするようになりました。 「珈琲もスノーボードも、”表現”。音楽と同じような感じ。楽しくて歌っちゃうのと同じ」 『ROUGH LAUGH Coffee』は店舗は持たず、不定期でイベントに出店しています。アーティスティックであり、職人気質でもある裕介さんの、”表現”としての一杯を味わいに、ぜひ立ち寄ってみてください。珈琲片手にゆるりと語り合えるような心地の良いイベントが多いので、肩の力を抜いて楽しめるはず。 イベント出店情報は、『ROUGH LAUGH Coffee』インスタグラムをチェック! ______________________ \直近イベント情報/ ●6月21日(金) 「夏至のたそがれ」麻麦カフェ(ルスツ) ● 7月6日(土) ニセコでイベント出店予定 ● 7月12日(金) 麻麦カフェ営業日(ルスツ) [ 月1程度で出店中!] ※ 詳細はインスタグラムにて @roughlaugh_coffee.creation
misaki
0
-
-
07/31(水) 『心の中の小さな夢』に辿り着く 〜おにぎり屋 『tanto』 店主 加藤 朋香氏の新たなみち
「ぜんぶ一個ずつください!」 思わずそう言いたくなる優しい三角のフォルム。 おにぎりほど心を温めてくれる食べ物はないと思うのです。 長年、看護師として旭川・札幌で勤務し、旦那様の転勤により室蘭に移住されました。 室蘭に来られてからは、看護学校の教員免許を取得、8年間教鞭を執っていらっしゃったそうです。 「私、気持ちのON/OFFが下手なんです。強制的に環境を変えないとスイッチの切り替えがうまくできない。それは夫も同じだったので、年に2回くらいは旅行に行き、大好きな洞爺にもよく来ていました」。 そんな平穏な暮らしが続いていたある日、世界的に訪れたコロナ禍。 「大好きな旅行も外出もままならなくなる中、授業の準備のための自己研鑽に励んだり、仕事を家に持ち帰ったりしているうちに、心身のバランスを崩してしまいました。心も閉ざしがちになってきた時、生き方・働き方の見直しもしたくなり、40歳を機に看護学校の教員の仕事を辞めてしまったのです。本当は夫婦共に変化を好まない性格なのですが、この時ばかりは何だか仕事にも燃え尽きてしまっていました」。 以前の記事にも書きましたが、コロナ禍を経験して、生き方の方向転換をされる方を多く見てきましたが、加藤さんご夫婦もまた同じでした。 「おにぎり屋さんを始めたくてお仕事を辞めたのではないのですか?」 「それが違うんです。洞爺へはよく来ていたので、財田米が美味しいことはよく知っていました。 “ このお米でおにぎり屋さんをやってみたい “ それは、看護師時代から漠然とした夢として心の中であたためていました。 ところが仕事を辞めることを決断したある日、” おにぎり屋さん、本当にやったら? ” って急に夫に言われたのです。 ビックリしました」。 旦那様に背中を押され、なんとなくその気になってしまった朋香さん。 でも、この時点ではまだなんとなくでした。 それが大きく動いたのは、「このお米でおにぎり屋さんをやりたいな」。と心密かに思うきっかけとなった大好きな財田米の生産者である塩田さんのお宅のお隣の土地と出会った時でした。 「退職後、洞爺への移住を考えて物件探しをしていたところまでは、おにぎり屋さんになる決断をしていたわけではありませんでした。洞爺湖の穏やかな景色が好きで、のんびり過ごしたいと思っていたのです。夫もまた仕事が忙しいため、洞爺でOFFになる時間を持ちたいと思っていました。ところが、塩田さんのお隣の土地に出会ってしまったのです。しかも、そのタイミングでNHKの番組に映る塩田さんの仕事風景を拝見しました。そこには地元の子どもたちと田植えをし、学校給食にそのお米を提供し、食育に関わっていらっしゃる様子が映し出されていました。財田米の生産者さんのお隣の土地に家を建てると決めたところで、 " もうやるしかない!! " と本気モードにスイッチが入りました。もしかしたら今の場所に移住を決めなければ、おにぎり屋さんはやっていなかったかもしれません。ここならば始める条件は揃っている!と思い、本気でチャレンジする気になったのです。そのくらい、何ていうかその時の出会いには運命を感じました。心が決まったあとは、各種準備をどんどん進めていきました」。 「お隣さんになった塩田さんご一家には、それ以来本当にお世話になっています」。 と朋香さん。 というわけで、朋香さんの心の中で温めていた小さな夢は、旦那様に背中を押されたことで実現への道を歩き出しました。 そして2024年4月18日、テイクアウト専門店のおにぎり屋『tanto』はOPENしました。 「物件が決まったところで、全く畑違いのお仕事をされていたわけですから、OPENまでの準備は色々大変だったのではありませんか?」 「はい。商工会主催の創業セミナーに参加して、起業の基本を学んだり、おにぎり食べ歩きの旅に出たりもしました。東京では、浅草の「宿六」さん、大塚の「ぼんご」さん、米どころ新潟へも出かけました。何軒かのおにぎり屋さんで食べ歩きながら、ワンオペで営業をする自分が無理なくできるためにはどうしたら良いかを研究し、安心安全で、心身がよろこぶ味の研究も重ねました」。 実は、加藤さんご夫婦は室蘭と洞爺湖の2拠点生活をされています。 最初に書いたように、ON/OFFの切り替えが苦手だというご夫婦なので、tantoの営業は木〜土として、他の平日は朋香さんも室蘭で旦那様と一緒に生活をし、週末は旦那様が洞爺で生活をするというスタイルをとりながら、スイッチの切り替えをされているそうです。 けれども、旦那様は朋香さんの背中を押しただけではありませんでした。 「美術部部長と呼んでいる夫は手先が器用で、デザインセンスもあるのです。ですから、看板から名刺・ショップカードまで色々作ってくれているんです。私にはそういう才能がないので、とても助かっています」。 「それはとても心強くありがたいですね!ところで、前職の経験が今に生きていることはありますか?」 「はい。あります。健康と食の関係についてですが、食べることを大切にしている人は元気になる!ということは看護師時代から患者様を通して感じていました。 ですから、お客様にたくさん食べてほしいという想いから、店名は「たんと召し上がれ」という意味を込めてtantoと名付けました。ちなみにイタリア語のtantoも「たくさん」という意味なのだそうです」。 「食材へのこだわりと具の種類を教えていただけますか?」 「お塩は洞爺湖町の事業者さんが作られているミネラル豊富な釜焚自然塩を使用しています。梅干しも洞爺湖町産のもの、豚汁で使用する野菜は近郊で採れたものを使用しています。海苔は今は瀬戸内海産を使用しています。具の材料はできるだけ近隣のもの、あるいは道産のもの、なければ国産のものを使用します。具の種類はその時々で変わりますが、平日はだいたい5~6種類を30個くらい、土曜日は7~8種類を60~80個くらいご用意しています。フードロスを避けるため追加をしない売り切りのスタイルをとっていますので、早い時間になくなってしまうこともあります。その時はごめんなさい」。 「では、最後に伺います。おにぎりと共にお客様に伝えたいメッセージはありますか?また、これからどんなお店に育てていきたいですか?」 「お店は細く長く、一人でできる範囲で続けていきたいです。看護師からの転身ですが、とても充実感がある毎日を過ごしています。思い切って始めて本当に良かったと思っています」。 「tantoはテイクアウト専門店ですので、お客様にはおにぎりと共に穏やかな気持ちを持ち帰って欲しいと考えています。私自身がここの景色と人と美味しいお米に救われたように、お客様にも、この風景とともに楽しんで癒されていただきたいと思っています。徒歩1分のところに洞爺湖小公園もあります。敷物の貸し出しも行っておりますので、ぜひ美しい洞爺湖畔でおにぎりを頬張ってください」。 心の中であたためていた小さな夢。 「このお米でおにぎり屋さんをやってみたいな♪」 朋香さんの中の小さな夢が、何気なく口をついて出て、その想いが現実となり、大好きな洞爺湖で叶うまでのみちのりには、最大の理解者であり美術部部長でもある旦那様の後押しと、周囲の人たちの協力がありました。 おにぎり屋 tanto は、これからも美しい洞爺湖とともにここにあり続けることと思います。 ―おにぎり屋 tanto 情報― 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町 150-3 営業日:木・金・土 営業時間:11時~売り切れまで *変更の場合はInstagramにてお知らせします Instagram :https://www.instagram.com/tanto.toya?igsh=cm80dnFsb2U1dnk4
Rietty
0
-
12/25(水) ブナの森の中にある小さな菓子工房 aimer -エメ- [ 黒松内 ]
自然とつながるおやつ aimer -エメ- は、ブナの北限といわれる黒松内の森の中にある菓子工房です。 真っ白な世界の中にぽつんと佇む可愛らしい小屋。中に足を踏み入れると、暖かくてほっこりしました。美しい木々の雪景色を眺めながら、心にも身体にもやさしいおやつを頂くことができます。 おやつは全て植物性。乳、卵不使用、更にオーガニックで、アレルギーの方も安心して頂けます。 玄米ケイク[ガトーショコラ]を頂きました。クランベリーがマッチした、ふわふわしっとりなケーキ。玄米からできているとは想像できませんでした。 メニュープレートには、「自家栽培の自然農法による玄米がベース」と書かれています。なんと、店主自らお米を作っているというのです! 店主の杏紗(あずさ)さんにお話を伺いました。 杏紗さんが手にしているのは、森から採ってきた”松ぼっくり”。この中から松の実を取り出し、おやつにも使います。 「お花とか木の実とか葉っぱとか、なるべく自然の中から採ってきたものを取り入れるようにしています。そのまま入れたり、上にのせて焼いたり」 「最初は全てに手が回らなかったので、まずはアレルギー対応、次に自分で米を育ててそれを使う、そして今、自然のものを取り入れるという段階にきています」 『自然が好き』がベース 「自然が大好きで、自然ありきの自分の人生という感じです」 お店を始める前は、製菓に携わっていたわけではなく、自然環境調査の会社で事務をされていたという杏紗さん。 「元々は(お菓子作りに)自信もスキルも全くなかったんです。でも健康的な食には昔から興味があったのと、子どものアレルギーというモチベーションのみで、ここまでやってきました」 「上の子がアレルギーで。お米がダメだったので、離乳食もキヌアとかアマランサスのおかゆからデビューしたんですよ。セレブ離乳食でした。(笑)」 お子さんは卵、小麦、ゴマ、さらには魚や米まで、ありとあらゆるものがアレルギーだったそう。お子さんのために、お菓子作りを始めたことがきっかけとなり、工房をオープンするまでに。2018年4月に七飯町大沼で活動を開始しました。 「大沼はとても良いところでしたが、さらにワイルドな環境で……と思っていたんです。容赦ない厳しさと相まって、深く美しい自然に囲まれながら暮らせるような場所を探していました」 水が綺麗で森がいっぱいというイメージがあった黒松内に1年半ほど通い、今のお店の場所を見つけました。 「森の中にあるということを大事にしたかったんです」 2023年の春分の日、念願叶い森の中に工房兼店舗がオープンしました。夏は緑が美しく、誰もが「良い場所……」と呟いてしまう素敵な風景。外の席でおやつタイムを楽しむこともできます。 おいしいの先にある豊かさの本質 ”からだにやさしい、おいしい、だけではない おいしいの先にある 豊かさの本質を感じられるような おやつを通じた暮らしをお伝えしていきます” 『おいしいの先の豊かさの本質』を見つめる杏紗さんが手掛けるのは、おやつだけではありませんでした。aimerには”ひつじ会員”なるコミュニティが存在します。なんと、お店に羊が現れるのです! 去年の夏、積丹の牧場から羊が4匹やってきました。数か月間、工房の横の草地でのびのびと暮らし、地域の人たちはふれあいを楽しみました。秋になり、可愛がられた羊が出荷されていきました。羊はお肉となって工房に戻り、杏紗さんの手で、丁寧に調理されました。そうして”aimer ひつじの謝肉祭” が開催されました。多くのひつじ会員が集まり、大人も子どもも羊料理を楽しみました。 「羊は、自分たちで食べて終わりってことではなく、地域の人とのコミュニケーションの一環なんです。地域の方々と関わり合うきっかけでもあり、生き物の命について考えるきっかけでもあり……」 杏紗さんは、出荷の日は涙が止まらず仕事が手につかなかったといいます。 食と命について考え続ける、aimerのひつじのストーリーは続いていくようです。”ひつじ会員”に興味がある方は、ぜひお店で聞いてみてくださいね。 「小さいお店だけど、これからもいろんなことを考えながら、仕掛けていきたい。来年はまた違う事を始めているかもしれません」 黒松内の道の駅から車で3分! お店の場所は人里離れた森の中と利便性の良い場所ではありませんが、自然を愛する人々、コアなファンがどんどん増えていきます。店主自ら生産者となり、さらに黒松内の自然の豊かさも詰め込まれたおやつ。アレルギーの人もそうでない人もみんなで一緒に、妥協なく美味しいものを食べられる、その喜びを感じられるお店です。 自然の中にある工房の美しい景色は、四季折々変わっていきます。店頭販売が大好きだという杏紗さんとお話しに、お店まで足を運んでみてくださいね。 森の中と言っても道路沿い、冬道でも安心です。 黒松内の道の駅から車で3分程度です。 自然とつながるおやつ aimer -エメ- 住所:寿都郡黒松内町字白井川4-81 電話:090-2056-3206 Instagram:aimer_hokkaido
misaki
0
-
11/28(日) ミツバチの声を聴きたい!「anmi」が選んだ道
なんて素敵な笑顔の人なんだろう!! それは、今年の夏、初めて彼女に出会った時の印象でした。 ここまで顔いっぱいに心からの嬉しい!を表現する人はなかなかいないと思いました。 一体この人は何者なんだろう? どんな生き方をしている人なんだろう? 俄然興味が沸いたのを覚えています。 さて、今回のご紹介は豊浦町の地域おこし協力隊で養蜂家の久保亜由美さんです。 亜由美さんは、高校生までを札幌で過ごし、カナダの大学に留学しました。 専攻は開発学とスペイン語のダブルメジャー。 その後、カナダの大学の交換留学でメキシコへ1年、スペイン語の習得のため渡りました。 「サスティナブルデベロップメント」という言葉が今の様に頻繁に使われる前から、それを学び、大学卒業後もそれに携わっていた亜由美さんです。 でもある日、自分の生き方に疑問を持ち始めました。 「サスティナブルな社会を目指し、多様性を真に尊重する社会になるために、私はどう生きればよいのか?」 亜由美さんは、そんな深く困難な壁にぶつかり、自分の道を知るために手当たり次第アルバイトを始めました。 そして、東京の農業ベンチャー企業で働いていた2014年、ついに養蜂と出会います。 その後に働いたのが「銀座みつばち」さんでした。 初めてミツバチという生き物の生態を知り、亜由美さんは大きく心を揺さぶられました。 そして、社会性昆虫と言われるミツバチにのめり込んでいく自分を感じました。 悩み抜いた挙句に亜由美さんが出した答え。 それは。 「多様なものは多様なままの未来である続けるために、私は農業と教育に力を注いでいきたい!」 というものでした。 真面目で正直で信じたらとことん突き進むタイプの亜由美さんは、1年間、埼玉の養蜂家に師事し、さらに知見を深めようと1カ月間、ニュージーランドでのワークアウェイへと旅立ったのでした。 ↑ニュージーランドにて。養蜂の師匠と。 亜由美さんにとって、ミツバチの魅力って何ですか? と質問をしてみました。 「ミツバチは、集団生活をする上でそれぞれにはっきりとした役割を持っているのです。 女王蜂の存在は絶対ではあるのですが、実は集団の統制を執っているのは働きバチです。 何よりも感動したのが、“それぞれのハチたちが個のために生きているのではない”ということでした。種が持続可能であるために、各々の役目を全うしている(このあたりは捉え方が様々だと補足してくれました)。」 筆者は、このお話を伺って大いに腑に落ちました。 ミツバチたちは、まさにサスティナブルな社会を実現している! 亜由美さんは、学生時代から学んできた学問の答えをミツバチ社会に見出していたのでした。 ↑スズメバチが来たぞ! の合図のもと、警備隊がスクラムを組んでいる様子。 ↑なんて美しいハニカム! それぞれの場所が決まっています。 そしてこうも話してくれました。 「ミツバチは私のパートナーです。私の役割は、彼らが棲み良い環境を作り、病害虫から守ることです。棲み良い環境作りのためには、豊富な蜜源も必要ですし、冬の寒さからも守らなければいけません。働いてくれているのはミツバチたちなので、私は私の役割を全うしたいと思うのです。」 ↑亜由美さん手作りの巣箱。 ↑冬はこの洞窟に巣箱を入れてあげます。北海道は越冬が難しいと言われますが、亜由美さんは昨年の冬に試したことで手応えを感じていると言います。 ↑後ろには昆布岳。水色の巣箱は昨年初めて作ったもの。 お話を伺ううちに、筆者には亜由美さんがミツバチに見えてきました ^^; まさにミツバチ社会の一員になろうとしている亜由美さん。 ほんとうに一途です。 ↑夏の洞窟はこんな感じになります。 「私、ミツバチの声を聴きたいんです!!」 なんと!唐突な! 「ミツバチたちが私に何をして欲しいのかが知りたいのです。 ベテラン養蜂家さんの話によると、会話ができる方もいるらしいのです。」 ここまで熱いミツバチ論を聴くと、筆者自身もあながち思い込みでしょ?とは思えなくなりました。 というよりも、亜由美さんならきっとそうなれると思ってしまいます。 いま存在している養蜂家は、約9割が移動養蜂の形をとっています。 亜由美さんのように定地養蜂をされている方はごくわずかです。 「定地で行うには、蜜源確保が重要になります。ですから、里山作りにも取り組み始めました。ハーブ園も作りたいと思っています。 偵察部隊のミツバチが見つけて情報共有された蜜源を自由に採ってきてほしいので、蜜源環境を整えるのは私の役目です。現在、製品として販売している蜂蜜は、季節ごとに蜜源が変わり多種類の密で作られる“百花”なのです。」 ↑自然との共生を共に考えるための様々なワークショップも行ってきました。倒れた白樺の皮を使った作品にもチャレンジしました。 なるほど。 ミツバチのための環境作りとして里山作りにも力を入れているというのは、結果として人間の社会生活にも良い環境を与えていますね。 ミツバチへの関わりからあらゆることが良い方向へ循環していく。 亜由美さんが描く未来に次第に近づいていっているのがわかりました。 ↑こうやっていただいたことがあります。気絶ものの美味しさでした。 ↑初代の友人手作りの遠心分離機。現在、2代目を手配中だそうです。 養蜂家亜由美さんの屋号は ” anmi ” 製品名は “ 888 はちみっつ “ という名前で販売されています。 ↑蜜蝋です。 今後の構想についても伺ってみました。 「蜜蝋を有効活用したいと思っています。ビーラップや蝋燭も作りたいです。現在、ほとんどの養蜂家たちが処分してしまっている蜜蝋を回収したいとも考えています。ミツバチたちは、1gの蜜蝋を作るためにその8~10倍の蜂蜜を使うのです。捨てるなんてもったいないです。ミツバチたちが力一杯働いて作ったものですから、大事にして有効に使わせていただきたいのです。」 亜由美さんの愛溢れるビーワールドに筆者もすっかりはまり込んでしまいました。 ここまで愛されたパートナーのミツバチたちは幸せです。 だからこんなにも “ anmi の888はちみっつ ” は、体にも心にも沁み渡る美味しさなのだ!と納得してしまいました。 ↑商品は豊浦のセブンイレブンさん、しおさい温泉前 たけしま商店さん、洞爺のトイタさんで購入できます。 亜由美さんが選んだミツバチとの道。 そう遠くはない未来に、素敵な笑顔の亜由美さんとミツバチが語る姿が見えた気がしました。 『anmiの888 はちみっつ』 皆様にもぜひ出会ってほしいです。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
0
-