僕は神社というものが大好きだ。

なぜだろう?
幼い頃から20年近くも祖父母のいた鎌倉が大好きで
よく入り浸っていたからであろうか。

祖父母の家の近くには神社仏閣が数多あり、
日本史を勉強してからは近くにあった
源頼朝のお墓などによく行ったのが懐かしい。

そこに行くとなんともいえない、不思議な、
もう800年以上前から変わっていない空間があり、
佇んではしばし鎌倉時代の空気を感じるのが好きだった。

鶴岡八幡宮では1219年に公暁が源実朝を待ち伏せて暗殺したという
大階段の脇にあった大銀杏をみては当時の暗殺劇を妄想したものだ。

しかし、中でも一番好きだったのは神社だった。
神社ではいつも、そこ潜む、深奥な雰囲気に自分がとけ込めると
何かの一部になった、なんか清々しい、神々しい気分になれた。

日本という国が実にユニークな国と言われる所以。
それはこうした長い歴史が今も連続的に綿々と感じられる空間があり、
それをベースに持っている民がいるからとも言えるのではないか。


2019年の豊浦神社祭から

世界どこの国をみても一つの王朝が数千年も続いているところはない。
ということは、日本という国は世界でもっとも古い国だとも言える。

つまり他の国というのは、文化や歴史の伝承もその都度途絶えているわけだ。
中国という国が5千年の歴史というが、入れ替わり立ち替わり
支配者や民族が変わってはいつもガラガラポンとなっている。
今が漢人だとしたら、その前は満洲人、その前はモンゴル人の国(土地)だった。

しかしそんな長い歴史を継続させている日本も、
果たしてこのままこれまで続いている大切なものを
失わずにいられるのか、とても心配になるときがある。

そのひとつが、「神社」という存在であり、空間であり、
そこに息づく世界観である。

神社の持つ力のようなものは、
日本人のDNAに刻まれ、つながり(絆?)をつくり、
日本人たるもの、在り方のようなものをどこかで形作っているような気がするのだが、
科学や合理性という目に見える世界ばかりを重視する世界観が優勢をとり、
哲学や宗教のようなよくわからない精神的世界が置き去りになってきている中、
こうしたものも存在意義が薄れて忘れられてきているのはいうまでもない。

そしてこれは北海道の田舎町においても例外ではない。
僕の住む豊浦町ではここ2年はコロナの影響で神社祭は中止。
僕は町に移住してから、自治会の神社係として、
毎年お祭りに積極的にお手伝いさせていただいてきたが、
このままお祭りも無くなってしまうのではないかと随分と心配していた。

ところが今年は3年ぶりに神社祭が開催されることになった。
僕はとてもうれしくなった。
そして今回、また神社がつなげる不思議な縁も体験することになるのであった。

(つづく)

コミュニティをつなぐ神社(2)はこちら


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