壮瞥町久保内在住の土屋知実さんは、 
「悉有仏(しつうぶつ)」という工房名・創作名で 
さまざまな作品を作り出している。 
 
この「悉有仏」は、仏教の教えである 
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の一部。 
意味は、 
「生きとし生けるものは、すべて仏陀になる可能性 (仏性) を 
もっており、すべて悟りうる」。 
 
仏教哲学を抱いて生き、やわらかな想像力を発揮して創作するのは、 
ジオラマクラフト、詩や詩画、物語、回想録、フリーハンド絵画など多岐に渡ります。 
 

 
その中で、土屋さんの代表的な作品群といえるのは 
包装用の紙バンド(かみひも・エコクラフトテープ)を使った「ジオラマクラフト 空想景」。 
実際の建築物を正確に縮小し、その周りの景色を空想し、「その一部を切り取った」ジオラマ作品。 
「本当はこの周り(作品の外)にも、空想の大きな風景が広がっているんですよ」と土屋さん。
 

この写真の椅子は小指の先ほど。 
このジオラマに、ぐぐっと顔を近づけていくと、どんどん、 
小さな別世界に入ってゆくような不思議で楽しい感覚に包まれます。 
自分が小さくなったような? いやもしかしたら、逆に巨人になったような? 
とにかくとにかく、不思議な感覚。 
 
椅子やテーブル、庭の木々、家庭菜園のビニールハウス、小川も流れていたり、 
細かいところまで作り込んであることに気づいておどろきました。 
家の中や、外灯にはLED電球が仕込んであって、小さな光も灯ります。

 
土屋さんは、四十五年前、蟹工船に乗った経験をもちます。小林多喜二の小説で有名な、あの、過酷な「蟹工船」です。 
実際に工員として乗船し、カムチャッカ海上の船の中で働いたといいます。 
 
土屋さんがはじめて紙バンドのクラフトに出会ったのは、

この船の中。蟹工船時代の貴重なお話を聞かせてもらいながら作品を見せていただきました。


蟹 工 船

ーーーーーーーーーー「何かがある」ーーーーーーーーーー

 
木の枝で、見よう見まねで「熊」を彫り、黒く、よく光る最高の塗料は姉のマスカラだと発見して喜んで塗って熊を完成させ、 
姉にこってり叱られたこともあったという、少年時代の土屋さん。 
 
 
やがて18歳、高校を卒業して、 
当時の日魯漁業株式会社(現在マルハニチロの名がよく知られる)に就職。 
 
(以下、太字部分は、土屋さんが書いた「回想録 西カムチャッカ 蟹工船」からの抜粋) 
 
当時、わたしは高卒で工員3級であった。同じ高卒で事務職の女子は、準社員なのである。社員と工員は、社員食堂でも座る場所や、食事の一部が違っていた。 
採用条件が違うのかどうかは知らないが、それにしてもひどい制度ではないか。将来的不安が膨む一方であった。

 
札幌の中央市場の近くの「冷蔵庫」での仕事は、早朝2時30分起きで、遅くとも3時には冷蔵庫のシャターを開けるという早番もあり、重労働だった。 
 
「冷蔵庫」で一緒に働く蟹工船経験者、季節雇用のK氏の、 
「これじゃ、船の方が、楽だなあ」という言葉をきっかけに 
自分も蟹工船に乗ろうという気持ちが膨らんでいった。 
 

K氏から蟹工船の話しを聞くたびに、こころは西カムチャツカの海上にあった。 
何も知らない蟹工船を、将来の不安解消に選択したのである。

 
タラバガニ漁、そして捕獲したタラバの身を缶詰にするまでの作業を全て海上の船の中で行うという蟹工船。 
当時は函館から出航する巨大な蟹工船が5船団あり、乗組員が1船団に500名。工員は、言い値で給金の一部を先払いで受け取り、春から8月まで約4ヶ月間、無休で、一度も船を降りずに働く。 
 
「蟹工船など、お前に耐えられるわけがない」と皆に笑われた土屋さん。 
しかし社内に蟹工船経験者がもう一人いた。 
 
退職を控えていた社員食堂のコック長である。 
良い経験になるから乗りなさい。俺は、あの頃が一番楽しかった、っと言ってくれたコック長のことばに、わたしの心はしがみついたのである。
 
 
  どんなに過酷だとしても、直感的に、 「何かがある」と思ったそうだ。
 

ーーーーーーーーーー蟹工船の夜の隠れ鍋ーーーーーーーーーー

 
日魯が操業するの蟹加工母船「協宝丸」に、工員として乗船したのは二十歳の時。 
函館から船に乗り込むときのことを土屋さんはこう書いている。 

協宝丸は、1万2~3千トンCLASSの船だと聞いていたが、
母船をこんなに身近に見たのははじめてだ。
横っ腹を手で触れた。本当に、デカイ! 
私はその時、協宝丸を単なる鉄の板ではなく、生き物のように感じた。

 
 「タラバガニは、鱈(タラ)のいる所(場所)にいるからタラバガニというんだよ」 
と土屋さん。協宝丸が漁をするのはその鱈場、カムチャッカ。 
 
「タラバガニも鱈もいくらでも穫れるんだけど、日ソ協定があるから、小さなタラバは穫ってはいけないし、鱈もダメ。船に水産庁の監督官が乗っていて、それはもう厳重で」 
 
しかし、その目をかいくぐって、毎日の酒のつまみ、夜食は・・・。 
 
 
野菜が一番のごちそう。そんなものなのか、たしかにそうなるのだろう。 
しかし、今、オカにいる者にとっては・・・醤油味の鍋の中で花開くタラバの身! 
今すぐ食べたくなってくるような実においしそうな文章だ。 
 
監視人の目をかいくぐる技は、役割分担とチームワーク、そして素早さがカギのようだ。 
見張り番、あがった鱈を部屋の中へと放る者、その鱈の頭を打つ者、次にさばく者、それを冷蔵庫に運び隠す者、全ての素早い連係プレーがなければ成功しない。 
 
 

ーーーー少年の地獄寝入りーーーー

 
また、こんな話も聞かせてくれた。 
 
この蟹工船には15歳ほどの「子供」が何人もいて、土屋さんはそのうちの一人と同室だった。 
「どうしてそんな子供が船にいると思う?」と土屋さん。「親が船にのせるんだよ。何のためだと思う? 金のためだよね」 
 
その少年の眠り方を「地獄寝入り」と名付けてこう書いている。 
 

彼ほど、寝ながらにして、 
この蟹工船の地獄を見せつけた者はいない。 
いったい、どのようにしたら、 
このような寝ぞうになるのか。
 
ごうごうといびきを立てながら、二段ベットから頭と背中を投げだし、 
今にも落ちそうに寝ている。いくら呼べど叫べど起きることなどない。 
疲れて…疲れて。 
いつも食べている夜食も食べず寝る。 
眠くて…眠くて。 
この世のすべてのものは、今、只今から、神のお告げにより、 
眠りにつかなければならないのである、かのように眠っている。 
今、命を取られても、寝る方がまし…。そのような、寝ぞうである。 
 
たまりかねた同僚二人が、足を引っ張り頭を抱えベットに戻す。 
彼は航海中に数えきらないほど、地獄寝入りを見せていた。

 

ーーーーーーーーー先輩が作った帆舞船と、二つの地獄ーーーーーーー

 
そんなある日、土屋さんは、蟹工船に三十数年も乗っている先輩が、紙の荷造りバンドや船の中にあるものを使って船の模型を作っているのを見かけた。 
 
「帆舞船でね。今思い出しても決して鑑賞に足りうるような出来ではなかったんだけど、なにか、ハッとしてね」 
 
強く心をひかれた土屋さんは、先輩に「自分も作りたいから教えて」と頼んだが、 
「こんなのやってたら仕事ができなくなるから」と教えてくれなかった。体力も精神力もぎりぎりの状態で働いている上、これ以上睡眠時間が減ると、すぐに倒れてしまうのは目に見えていたからだ。しかし仕事は絶対休まないということで何度も頼み込み、その熱意に負けて一度だけ教えてくれたそうだ。
 

蟹工船の過酷な試練に負けたなら、 
われわれは、二つの地獄のどちらかに堕ちていくのである。 
二つの地獄とは、いったいいかなるものなのか?  
 
ひとつは、肉体地獄。もうひとつは、精神地獄である。

 
実際、盲腸を我慢して癒着し、稚内まで4、5日かかる巡視船の中で死亡した者もいた。 
ある乗組員は、強い望郷心に駆られ気が触れてしまった。 
 
2年に渡り2航海を蟹工船で過ごした土屋さんは、自分がこの試練を戦い抜けたのは、 
蟹工船歴三十年以上の大ベテラン「カムチャツカ・ジェントルマン」の3人や、 
船の中で出会った人々とのかかわりだったと言う。 

 

そこに、人あり、温かい気持ちあり、親以上の心遣いあり、なのである。 
乗船するときに、甲板にわれわれを運んでくれた大きな網のように、人の絆がわたしを地獄から救ってくれていたのだ。
 
 
そして、こう綴っている。 
 
この想い、45年経った今でも、断じてセピア色にはなっていない。  
 
(尚、現在では、蟹工船は運航されていない) 
「回想録 西カムチャッカ 蟹工船」の全文はこちらのHPで読むことができます。

 



「五つのたましい、二男三女の4番目に生を受けた。親の恩は忘れがたい」 
と語る土屋さん。詩集「人生に舞う」にはこんな一編が。 
 
 
 
そして詩を書くきっかけになった出来事は・・・ 
 
(ホームページ内 おもいでばなし お婆とぼく NO3 【人生の陽と影 】より) 
 
「ああっ お婆が 死んだ!」 
高1の春、お婆が亡くなった。 
わたしはお婆に育てられたといってもよい。 
白装束で横たわる、お婆の懐に感謝の詩 
「人生の陽(ひかり)と影」 を差し込んだ。 
 
硬くて冷たかった。 
 
その秋、私に某ラジオ局から電話があった。 
出たのは親父だ。 
いきなり「何悪いことをスタ!」と怒鳴られた。 
わたしの詩「人生の陽と影」を放送したいというのである。 
この詩をどのような気持ちで書いたのかインタビューをしたいという。 
 
とてもきれいな女性の声だ。 
ほんとうにきれいな声だった。 
今も覚えている。 
 
その日、田舎者の子どもが札幌駅に立ちタクシーで局まで向かった。 
局に着き応接室に通された。 
「遠いところ、ありがとう。」 
応接室のドアが開きあの声で話しかけられた。 
 
わたしはすぐ声を確認できたが、 
顔がイメージとかけ離れすぎて思わず女性の姿を探そうとした。 
 
いや、目は探していた。 
 
あああッ。 
声と・・・顔は・・・違うンだ・・・。 
帰りの家路がとてつもなく遠く感じた。 
 
あの「衝撃!某ラジオ局女性アナ事件!」の後、私の心のどこかの扉が開いた。 
 
それから私はこころの詩(うた)を書き続けているのである。 
あの女性に感謝をしなければ・・・いけない。

 

 
さて、蟹工船で教わった紙バンドのクラフトを再開したのは、 
下船後すぐのこと。 
 
 
 
「今は、好きなように色々なものを作っています。ごはんも作るし」 
奥様との二人暮らしで、ごはん作りも楽しそうな様子。 
 
クラフトや絵や文章、色々なものを創作している理由を聞いてみると、 
 
「空想することが面白くてね。作り(描き)ながら、 
ここには何があるだろうと考えていると、どんどん風景が広がってわくわくする。 
ところが、出来上がったとたん、まったく興味がなくなって、 
ほかのことをはじめるんです」。 
 
土屋さんのジオラマクラフト作品は、壮瞥役場「やまびこ」や、 
JR伊達駅付近「食工房チロル」などでも見ることができます。 
(作品の販売はしていません)

 
クラフト工房 悉有仏(しつうぶつ)土屋知実  
北海道有珠郡壮瞥町久保内89-3 
電話:090-7659-9158 
メール:situubutu@rainbow.plala.or.jp 
ホームページ :http://shitsuubutsu.com/  
 


 


※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2015年)  


むしゃなび編集部

アクセス総数:187,999

コメント

コメントを書く
お名前 必須

名前を入力してください。

メールアドレス
(表示されません)

正しいメールアドレスを入力してください。

コメント必須

コメントを入力してください。

コメントに不適切な言葉が含まれています

パスワード必須

パスワードを入力してください。

パスワードは半角小文字英数字で入力してください。

Cookie

むしゃなび編集部からの関連記事

むしゃなび編集部

アクセス総数:187,999

むしゃなび編集部のよく読まれている記事(直近期間)

むしゃなび編集部のカテゴリー

むしゃなび編集部のハッシュタグ

むしゃなび編集部のアーカイブ