伊達市地域生活情報マガジン『むしゃなび』へ ブログ★むしゃなび トップへ [今日:1] [昨日:1] [673] rss feed
[2008.06.25]
■昔の名前で出ています
作詞家の星野哲郎さんの演歌に大ヒットした『昔の名前で出ています』というのがある。星野哲郎さんは私のゴルフ友達だったので、その歌の基となった事情を聞いたことがある。 
 
ある時、ある場所で、ある水商売の女性から電話があり、あまりに親しげに話すので、今更名前を聞けなくなり、遂に『今はなんという名前で出ているの?』と聞いたら、『昔の名前で出ています』と言われてしまい、彼女が誰だか分らないままになっていると言っていたのを思い出した。 


私にはそんな話はないが、トーヤレイクヒルGCにK女史が東京のゴルフ好きの経営者達を22名を引き連れてゴルフに来ると聞いた。 
 
 
K女史は44年前に私はニューヨークで一緒に働いていた仲間である。 
その企画の受け入れ側を担当している市内のKさんから電話があった。 
『21日、22日にゴルフをするので参加して欲しい。21日の夕食も参加して欲しい』と言う。なんでも参加の私に異議のある筈は無い。 
 
ゴルフは一緒の組のJさんが凄く上手で39・39で回った。 
私は引っ張られる感じで、思いも掛けず42・41という良いスコアだった。 
夕方から開かれたパーティではK女史は私を引っ張り出して、私との昔からの関係を説明していた。 
なんだか気恥かしかった。 
 
 
K女子達は1日目にワンラウンドのプレイをして、2日目にツーラウンドし、最終日にまたワンラウンドして、午後から観光をしてそそくさと帰って行った。 
この話の続きは、また明日。 
 
(おまけの話) 
私がニューヨークに滞在していた頃は、まだ日本食品店は無かった。 
今のように日本人が世界のどこにでも居る時代と違い、そもそも日本人がニューヨークに殆ど居ないのだから、そんな商売は成り立たないのだ。 
 
その時に一緒に行った200名くらいの女性達は実家から時々、日本食品が送られてくる。それをお裾分けしてもらうのが嬉しかった。 
そんな日本食品の中に日清のチキンラーメンがあった。 
大事なそのチキンラーメンを1袋だけもらいアパートに持ち帰り、本当は1人で食べてしまいたいのだが、5人部屋なので分け合うことになる。 
 
1袋を5人ではどうやっても無理だ。 
そこで私はスパゲッティを買って来て、それを鍋に入れて量を増やした。 
醤油も足して熱い内に食べると、懐かしい日本の味がした。 
 
そうやって分け合って食べた仲間はいまだにお付き合いがある。 
チキンラーメンもいまだに昔の名前で出ているし、私も昔の名前のままである。K女史は結婚して名前が変わり、昔の名前で出ていない。 
でも、経済界で大成功して、今の名前の方が有名である。 
▼トラックバック(0)
このエントリへのトラックバックURL:
現在トラックバックの受信を停止中です
▼コメント(0)

▼コメントを書く...
*必須入力です
 「コメント」欄は日本語で記入してください。
 英字数字のみだと、コメントと見なさず投稿できません。
*お名前:
URL:
*コメント:
プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
ブログ検索
最近のスナップから
2月の山中湖 
 
丸ビル方面の夜景 
 
ラーちゃん