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[2008.10.23]
■町おこしについて考えてみる(伊達版)
夏になると全国から伊達市にやって来る常連達がいる。 
この人達は伊達市が企画した『お試し移住』で来ているのである。 
伊達市も全国の市町村と同じく町の活性化の為に色々な企画をしているが、その1つに人口増を掲げている。 
『住んでみたいまちづくり課』という、なんとも長いが、分かり易い名前の専門部署も設けている。 


私も4年前に少し関係したのだが、その部署が企画して、『試しに伊達市に住んでもらい、良かったら移住をしてもらおう』というものがある。 
その為に空きアパートの部屋に家具類を入れて、すぐに住めるようにしている。 
これが大ヒットで、希望者が多く断るほどであるが、残念ながら多くの人達は夏だけしか来てくれない。 
 
中にはお試し移住でこの町が気に入り、土地を購入し、家を建てた人も出始めている。 
伊達市の狙いはここにあるのだが、住む気は無いが、伊達市の夏が好きだという人達もいる。 
私はその人達と毎年、この町で再会し、親交を深めている。 
 
 
伊達の町が色々な企画を打ち出して、この町に人やお金を集めると、その影響で日本のどこかの町の人口が減ったり、消費が低迷する。 
今のようなゼロサム・ゲームの時代はこういうことが起きるのである。 
 
因みに、私達は毎年夏に伊達市に来るので、私達がこの町で使うお金というのは東京から伊達市に移動してしまっているのである。 
だから、どこかの町が栄えると、どこかの町が寂れているわけで、町おこしとは難しいものであると実感している。 
でも、伊達市は栄えて欲しいというのが私の願いである。 
 
(おまけの話) 
富良野や美瑛が全国的に有名になり賑わっているのは、倉本聰のテレビドラマ『北の国から』のヒットによるところが多いと思う。 
その倉本聰は昔は東京の吉祥寺の東京女子大学の近くに住んでいた。私のオフクロはその頃に倉本聰のお母さんに茶道を習っていた。 
 
オフクロの話では『先生の息子さんはテレビ局に勤めているのよ。お嫁さんは近代的な女性で、お茶の教室には似合わない真っ赤なスラックスを穿いているのよー。』とビックリして話していたのを覚えている。 
 
そんな倉本聰夫婦がいつのころか北海道へ引っ越しって行ってしまった。 
暫くして私はテレビで倉本聰の名前をよく見るようになった。それに連れて富良野の名前も全国区になって行った。 
 
伊達の町にも倉本聰みたいな人が欲しい。 
いかんせん、当り前であるが、私では力不足である。 
でも、9月27日、28日の大雄寺で開催した仏像展では、少しは町に経済効果をもたらしただろうと思う。 
それが伊達市の『心の伊達市民だより』にも載るくらいだから・・・。 
 

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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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