■ダイヤモンド・ヴェールを撮る
東京タワーは1958年10月14日完成したので、もう50年も経っている。それを記念して、東京タワーが衣替えするとテレビで放送していた。 照明デザイナーの石井幹子が東京タワーの生誕50年にダイヤモンドのヴェールをプレゼントするという企画である。
このダイヤモンド・ヴェールは電気代が掛かるからか、決められた日の決められた時間にしか見ることが出来ない。
そこで、12月8日の夜8時から10時の間のライトアップに合わせて、伊達市の報道記者を自任している私は勝手に伊達市民を代表して撮影に出かけて行った。
東京タワー
その日の夜は天気予報では1月の寒さだそうだ。
まだ風邪が治り切っていないというのに、伊達の人達にダイヤモンド・ヴェールを見せたくて無理して出掛けた。
麻布のうなぎ屋の野田岩の向い側の路地を入ると、目の前に東京タワーが現れる。
ここは私だけが知っている秘密の撮影場所である。
ところが、現場に着くともう大勢のカメラマンが来ている。
東京タワー・ライトアップ
時間が早いので、東京タワーの1階に行ってみる。
そこには観光客が大勢来ていて、『こんな時間に何してるの?』と驚くような光景である。
彼らは外に出ないところをみると、ダイヤモンド・ヴェールのことは知らないらしい。
オレンジ色の照明が午後8時丁度に、一斉に消される。
そして、その後に徐々にタワーの下から明りが灯り、いよいよダイヤモンド・ヴェールが現れた。でも、少しガッカリ。
想像していたほどのことはなかった。
ダイヤモンド・ヴェール
本物のダイヤモンドのヴェールを見たことはないが、なんだか華やかさに欠ける。
寒い中を頑張った割には、驚くようなイベントではなかった。
私が演出した自動車の車体やガラスに映る東京タワーの方が余程、芸術性が高いと自分では自画自賛して、風邪をひかない内に戻った。
東京タワー・ライトアップ
(おまけの話)
東京タワーが完成した4年後くらいに、タワーの隣にボーリング場が完成した。
その頃はまだ父が健在で、父の会社ではボーリング場の椅子の金属部分の製造も行っていた。
そんな関係で、父は開場記念に呼ばれた。
そこに私も付いて行った覚えがある。
東京タワーボールでは、記念式典の後にボーリングの無料ゲームをさせてくれた。
それが私の初めてのボーリング体験であった。
その後、しばらくして私はニューヨークに渡り、そこで本場のボーリングをやった。
現地では仕事が終って帰って来ると、すぐに近くのボーリング場に行った。
かなり上手になって帰国したら、日本は間もなくボーリング・ブームとなった。
マイボールを持っていた私はみんなの先生となり、週末はいつもボーリング場にいた。
私のハイゲームは270点くらいだったと記憶しているが、それから暫くしてブームは去って行った。
そして、私はゴルフに転向したのである。
私はいつも何でもみんなより早く始めるのだが、運動神経が悪いのか、すぐに追い付かれてしまう。
その東京タワーのボーリング場は今は無く、駐車場となっていた。
寒さの中で、時代の変遷を感じさせられたダイアモンド・ヴェールの撮影だった。