■建国記念の日
2月11日に平成最後の「建国記念の日」がやって来た。 テレビなどで色々な行事などが「平成最後・・・・」と言われると、焦るから不思議だ。
次の年号はまだ分からないが、昭和、平成、そして次の年号と、3つの年号を生きる私は戦後の歴史の証人かもしれない。
出番を待つ女性達は生足で寒そうだ。
「建国記念日」とは何か?と思い、調べてみた。
【日本の建国は定かでないために、古事記や日本書紀にある神話建国を基にしている。
一番最初は1873年に2月11日を日本国の建国記念の日として定めた。その後、1966年に明治政府が「神武天皇が即位したとされる旧暦の1月1日を新暦に換算したのが2月11日」であったので、その日を建国記念日とし「紀元節」と定めた】
青山通りをパレードする大学の吹奏楽隊。
【しかし第2次世界大戦後の1948年に占領軍のGHQの指令で廃止となった。その後、復活の動きが高まり、1966年に「国民の祝日」となった。
その時の国会では「神武天皇の史実に確証が無い」という野党の反対があり建国記念日ではなく、「建国記念の日」となった経緯があったのは知らなかった】
黒づくめで格好良かった。
私は「建国記念日」とばかり思っていたのでカレンダーを見たら、確かに「建国記念の日」と書いてあった。「の」が入るか入らないかで、なにが違うのか?野党の反対理由が分からない。
西暦2019年の日本は「皇紀2679年」であるが、こんな長い歴史をもった国は世界に無い。だから世界の要人は天皇陛下に会いたがる。
共産圏の指導者も、それは同じだ。
表参道を行く大太鼓。
「この日にイベントは無いか?」と探したら、原宿の表参道で奉祝パレードが行われると知った。スタート地点は神宮外苑の銀杏並木通りなので、9時45分のパレード開始に併せて出掛けた。
家を出た時は寒くて雪がチラチラと舞っていたが、現地では止んでいた。
そこには既に大学のブラスバンドが何組も待機していた。
ブラスバンドのチアガールは超ミニスカートで震えている。
でも、なぜかそこにお神輿はいない。
この日は道路も神輿も日の丸だらけ。
後で分かったが、ブラスバンドは並木通りから明治神宮まで、お神輿は表参道と青山通りの交差する「表参道駅」付近から明治神宮までだった。
私はブラスバンドに付いて青山通りを進む。表参道駅の辺りに来たら、10基くらいのお神輿、大太鼓が勢揃いしていた。
行進もブラスバンドの若者は長距離を、年寄りのお神輿は短距離のようだ。
大太鼓を叩く。 神主も行く。
片側の車道を埋めた主催者側は大変に盛り上がっているが、歩道の見物客の方が少なく感じる。
そして気が付いた。「ブラスバンドには美男美女が少ないような気がするが、お神輿を担ぐ女性はほとんど美人」のように感じた。
最近はお祭り好きの女性が増えたように感じる。
寒くて疲れたので竹下通りに行ってみたら、そこは別世界で、建国記念日など全く関係ない若者で溢れていたのであった。
間もなく明治通りに差し掛かる。
(おまけの話)
原宿と言えば「若者の街」、「ファッションの街」として海外でも有名だが、私にとっては従弟のNちゃんが思い出される。
彼は私より1つ年下で、大学を卒業してアイビールックで名を馳せたVANの創業者の石津健介に憧れてVANに入社した。
しかし1年で退社してアメリカに渡り、その当時にLAで流行っていたヒッピーになった。
竹下通りは大混雑。
父親が亡くなったことで日本に戻り、青山通りで商店の軒先を借りてヒッピー用品を売り出した。これが大当たりで原宿に店を出して、これがファッション関係者の間では評判になった。
私もその店に行ったことがあるが、トイレに入って便器の蓋を上げたらネオンが輝いていて驚いた。
Nちゃんが日本で初めてアメリカの中古カジュアル用品を日本に広めた元祖である。
色とりどりのサングラス屋。
その成功を引っ提げて代官山に店を出した。
その名は「HOLLYWOOD RANCH MARKET」といい、廃業した風呂屋を借りて開業したので、店内の壁には風呂屋のタイルがそのまま残っていた。
Nちゃんが代官山に店を出した時は、その辺りは店も無く、現在の賑わいは想像も出来なかった。
原宿もそうだが、代官山もNちゃんがファッションの街の先駆者であることは間違いない。
私と違って、Nちゃんはファッション感覚が優れていた。
そのNちゃんは、もういない。
原宿と言えば、クレープ屋。