■浅草寺の「白鷺の舞」
最近の浅草は外国人観光客の人気が高く、いつでも混雑している。 観光客を当てにした客待ちの人力車が増えているし、貸衣装の安物着物姿の女性も歩いている。
特に浅草寺の入口に当たる雷門の大きな提灯の前は、写真撮影する観光客で溢れている。浅草寺に繋がる仲見世通りは食べ歩きの観光客が多く、服に付けられないか心配になる。
「白鷺の舞」の踊り手は浅草寺の巫女さん。
今までに数え切れないほど浅草に行っているのに、今年になって初めて浅草寺の前で行われる「白鷺の舞」というイベントを知った。
東京の公式観光サイトによると、【白鷲の舞とは、昭和43年11月に明治100年(東京100年)を記念して、浅草観光連盟によって創始された行事。】
真っ白な羽を広げたところが美しい。
【浅草寺の慶安縁起絵巻にある祭礼行列からとったものと言われ、この貴重な絵巻のなかの遷座供養の祭礼行列のなかに、白鷲の舞がその姿を現している。武者、棒振り、餌まき、大傘、白鷲、楽人、守護童子らが、白鷺をかたどった平安装束に身をかためて舞い踊りながら一巡する様子は、きらびやかで、見応えのある光景だ。】とあった。
餌に見立てた小さく切った千代紙を撒く。(これを拾うと縁起が良いらしい)
この行事は毎年4月の第2日曜日(今年は4月14日)に行われると知った。初めてのことで様子が分からないので、早目に家を出た。
浅草寺の本殿の横にブルーのテープで囲った一角があり、何人かのカメラマンが席取りをしている。
私も場所取りを考えて、「逆光にならない」、「浅草寺が画面に入る」、「舞の一行が通らない」という場所を選んで座り込んだ。
暫くしたら私の隣に若い白人女性が来て、「ここいいですか?」と日本語で聞いて来た。
「どうぞ」と言った後に、こんな若い外国人女性ならお近づきになりたい。「場合によったらお茶でも」との下心もあり、「どこから来たの?」と聞いた。彼女は「ケベック、カナダ」と答えた。
そこで「日本に住んでいるの?」と聞いたら、全く分からない。
前からの姿も、後ろ姿も美しい。
そこで英語で聞いたら、私の発音が悪いのか殆ど分からない。
仕方ないので、日本語と英語のチャンポンで話を進めて、大凡のことが分かった。「大学の第二外国語で日本語を少し学んだ。ケベックはフランス語圏なので、英語はよく分からない」だった。
日本に来るような白人はみんな英語が分かると思ったら、大間違いだった。
羽をいっぱいに広げた白鷺は美しい。
白鷺の舞の一行は伝法院を出て仲見世通りを進み、浅草寺でお参りをした後に広場にやって来た。
太鼓と鉦と笛に合わせて、優雅に踊る。・・・というか「舞う」のである。白鷺の衣装がなかなか良く出来ている。
約10分くらいの舞だったが、とても良かった。
広場を囲んだ観光客も、みんな満足そうだった。
浅草は観光資源が盛りだくさんだ。
「白鷺の舞」は笛、太鼓、鉦に合わせて静かに踊る。
(おまけの話)
浅草に行ったついでに、浅草の地下街にも行ってみた。
この地下街は雑誌の記事で知ったのである。「白鷺の舞」もそうだが、これも私は初めて知った。
「浅草なら何でも知っている」なんて思ってはいないが、こんな古くからある地下街を知らなかった。
浅草に限らず、まだまだ私の知らない東京が山ほどあるようだ。
地下に降りると、突き当りの店から煮込みの匂いが漂って来る。
地下街のある場所は東武電鉄「浅草駅」の辺りで、「地下街入口」の案内板から地下に潜る。どうやら松屋デパート前の道路の下にあるらしい。
恐る恐る階段を降りてみると、まだ早い時間なので店は閉まっている。
「カット700円」はバカ安。流石に浅草だ!
昭和レトロの残っている空間は「新橋駅ビル地下街」、「新橋駅前ビル地下街」、「新宿ゴールデン街」、「新宿西口思い出横丁」、「有楽町ガード下、」他にも多くある。特に都電荒川線沿いには多く残っている。
私は昭和レトロに懐かしさを感じて好きだが、平成生まれの人達はどう思っているんだろう?
「不衛生だ」、「不味そう」、「オジサンが行く場所」など、否定的に感じているのかもしれない。でも変なことだが、外国人観光客はそんな場所が好きなようだ。
まだ午前中の早い時間だったので、開いている店が少ない。