
心の伊達市民 第一号
私が時々、私が公開講座に行っている、「東京工芸大学」の中野坂上キャンパスで「芸術学部フェスタ」が開催された。
前回の公開講座の時に、講師が『是非とも芸術学部フェスタにお出で下さい』と言っていたからだ。
このフェスタは学生の発表会ではなく、教授たちがアートに付いての研究成果を発表する場のようだ。面白いかどうかは不明だが、浮世の義理もある。
新宿でランチを食べてから、中野坂上の東京工芸大学に行った。
公開講座では決められた場所で行うので、学生たちの学ぶ校舎には入ったことが無かった。先ずは1号館に入り、事務所でパンフレットと案内書をもらう。
この館では2階と3階の廊下に、教授たちの研究成果が簡単にまとめられて貼り出されていた。文章とデータと写真などで、私にはあまり興味がなかった。きっと真面目な研究なのだろう。
あまり面白くないので、2号館に行ってみた。
そこではアニメや映像が大きなモニター画面に映し出されていて、これなら私でも分かるし楽しめた。この学校の教官の中には、かなり有名なマンガ家とかアニメーターがいるようだ。
歩いている生徒達も、普通の大学の学生とは少し感じが違うように思った。
服装もそうだが、年齢も色々のようだ。
研究発表より、私は掲示板の告知が面白かった。
「ピ逃げ、代理出席は不正です」とあったが、「代理出席」は私の時代にもあったから分かる。分からないのが「ピ逃げ」である。いくら考えても、全く想像がつかない。
家に帰ってからネットで調べて分かったが、「時代を反映しているなー」と感じた。「ピ逃げ」の意味は「大学の講義などにおいて出欠確認や点呼時のみ出席し、あとの内容は聴講せずに退室するということを示す俗な言い方である。「ピ」の字は出席確認用の学生証をセンサーにかざした時の反応音から来ている」。
掲示板には色々なものが貼り出されている。
今の時期なのか「就活案内」と書かれたところに、色々な企業からの採用案内が出ていた。「4年生向け」と「3年生向け」が別々にある。
今の時期に4年生向けということは、まだ就職が決まっていない生徒用なのだろう。普通は3年生で「内定」が出るのではないか?
貼り出された紙に書かれた内容を読んでみたら、色々あるなーと感じた。
1号館の1階の裏の通路に、「へー?」と思う部屋があった。
それもかなり広い。入口に若い女性の大きな写真があり、「本日開催中」とあった。よく見たら、私も聞いたことがある和服店の「鈴乃屋」の部屋であった。
この大学には女性の生徒も多いらしく、部屋を借りても商売になるのだろう。
卒業式の時に着る「袴(はかま)」を売り込んでいるのである。
時代は変った。私の学生時代とは大違いだ。
更に面白く驚いたのが、掲示板に出ていた学食の「100円朝食」である。
その内容は「小鉢2品」、「ご飯」、「みそ汁」である。
小鉢には色々な種類があり、鶏のから揚げ、五目ひじき煮、モーニング・カレー、ウインナーエッグ、青菜の煮びたし、温泉たまご、金平ゴボウ、ポテト・コロッケとあり、その中から好きな2種類を選べるようだ。
こんな朝食が100円で食べられるなら、家で食べないで学校に来る生徒も多いだろうと思う。この学校の生徒は恵まれている。思わず私も食べたくなった。芸術を見に行ったのに、校内の掲示板の方が面白かった。
(おまけの話)
ラジオの映画観賞券の応募に「春画先生」というものがあった。
「エー!春画を映画にするの?」と思ったが、応募は外れた。
お金を払ってまで、見に行こうとは思わなかった。
その次に出て来たのが、「春の画」であった。
これは「春画先生」の制作過程のドキュメンタリーらしかった。
どちらも珍しい映画を上映する「シネスイッチ」という名の映画館で、銀座4丁目の和光の裏にある。
私が「春画」を初めて見たのは、中学3年生の時だった。
友人のS君が家から持ち出した「春画」を、教室の片隅で見せてもらったのだった。
その時は驚き言葉にならなかった。彼の親の趣味だったのかもしれない。
彼は同じ年なのにマセていて、性に関して色々と知っているようだった。
私はただただドキドキするだけで、なにを話したか全く覚えていない。
またラジオ番組だが、女性アナウンサーが「銀座の小さな春画展」を見に行った話をしていた。場所はシネスイッチの隣のようだ。私はパンを買いに行ったついでに、その場所に行ってみた。しかしどうも臨時の画廊のような気がする。画廊に入るには予約が必要で、料金は1000円だった。
1950年にD.H.ロレンスの書いた「チャタレー夫人の恋人」を翻訳した出版物が「猥褻かどうか」で争われたことがあり、その時は「有罪」になった。
あれから73年で、「春画」が公然と銀座に登場する時代となった。
世の中の変わりように、付いて行けない私だ。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
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