心の伊達市民 第一号

東京モダン建築さんぽ(5)・・・日比谷

【日比谷図書館】
日比谷公園にはよく行く。特に気温がマイナスになった時は必ず行っている。
公園内の鶴の噴水が凍るからで、私だけでなく多くのカメラマンがやって来ている。
その公園の中幸門の横に建つ、「日比谷図書館」が本に載っていた。

私は「それほどでも?」と思いながらも、出掛けて行った。
この建物の正式名は、現在は「日比谷図書館」ではなく「千代田区立図書文化館」である。

本には載っていないが、私が推薦するビルも併せて(★印)紹介する。


「日比谷図書館」



資料によると『1908年11月、東京市立日比谷図書館として開館。当時の建物は三橋四郎設計のアールヌーボー様式で鹿島組が施工、2万5000冊の貸出本を所蔵していた。閲覧は有料であった。以後、東京市立図書館の中心館としての機能を果たす。・・・』

『1923年9月1日の関東大震災では閲覧室等が破損したものの倒壊を免れ、11月1日から平常通り開館した。この当時の図書館は木造部分があり、関東大震災でも一部が破損したままであったため1934年に建て直しが決まった』。


 「日比谷図書館」の入口



『戦後の日比谷図書館は、1949年11月に京橋仮館舎にて閲覧を再開した。現在の施設は1957年10月に落成式が行われ、一般の利用が開始された。設計は東京都建築局(高橋武士)によるもので、特徴的な三角形の平面は土岐善麿の発案とされる。当初は予算上の制約から3階建てであったが、1961年4月に4階部分の増築が完成した。1978年1月には、統計資料を集計する利用者のために電卓専用席を開設。・・・』

『後に全国の図書館で設けられるパソコン利用可能席の先駆けとなった。2006年にはDOCOMO JAPAN剪定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選ばれている。なお現在は旧東京都立日比谷図書館の建物を千代田区が譲り受けて、2011年11月に開館した施設になっている』。


 2階から上のガラス窓      



【日比谷公会堂】★
日比谷公会堂は「日比谷図書館に隣接して建っている。
日比谷公園から新橋に行く時はこの建物の前を通るので、こちらの方が馴染みがある。
この建物は指名設計競技で一等となった「佐藤功一」の設計で、1929年に竣工した。
場所柄か戦前から政治演説会や国民大会が、数多く行なわれた場所でもある。

自由民主党はこの日比谷公会堂で、総裁公選を執行するための臨時党大会を何度も開いている。1960年10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事であった。


 「旧日比谷公会堂」



現在は『施設の老朽化及び耐震化を理由とした大規模改修工事を実施するため、2016年から改修工事終了まで施設の使用を休止している。改修工事とともに建物内部を公会堂創建時に近づける計画があるが、建物内部のトイレは創建後に中二階を造設するなどして設置され、バリアフリー化のためにトイレの拡張も必要であることから、・・・』


『2019年度に作成された基本設計案で公会堂創建時に近づけると興行法で定めるトイレ数を確保できなくなる問題が判明した。その後の調整で2023年度中に基本設計を修正し、2024年度の一般会計当初予算案に実施設計費が計上され、2025年度以降に改修に着工することになった。開館100年となる2029年に利用を再開する見通しとなっている』が、果たして間に合うか?


 「旧日比谷公会堂」の入口



私はこの建物の中に入ったことが無い。
しかしかなり前だが日比谷公会堂の裏側の半地下に「領土・主権展示館」があり、そこへ行ったことがある。まだ中国が尖閣諸島を「自国領」などと言い出す前のことで、小さな汚い部屋で、とても侘しかった。

韓国や中国の歴史を無視した発信に日本政府も、やっと思い腰を上げて虎ノ門に立派な展示館が出来た。話が逸れてしまったが、私はレンガ造りの建物が好きなようだ。
年代が経つに連れて、レンガの色に歴史が刻まれて来るように感じる。
2029年に再開するようだが、レンガ造りの外観は残して欲しいものだ。


 煉瓦造りの建物は趣がある。



【日生劇場】
ここは帝国ホテルと並んで建っていて、ミュージカル・ファンには馴染みの場所である。資料によると『日本生命保険が創業70周年を迎えたことを記念して劇場を作りたいとの構想を、当時の社長であった弘世現が東急の五島に打ち明けると、五島は弘世に浅利慶太らを紹介した。・・・』

『こうして、若い芸術家たちの野心と、スポンサーとしての弘世の並々ならぬ尽力により生まれたのが日生劇場である。こけら落としは、1963年10月20日にベルリン・ドイツ・オペラを招いて行われた。その後は現代劇や歌舞伎、そしてミュージカルの公演などに使用された。・・・』

『1970年5月からは、経営難を理由に自主制作から貸小屋方式に変更された。越路吹雪が1970年代当時、日本で最もチケットの入手が困難なステージのひとつともいわれた「ロングリサイタル」を長年にわたって行った。しかし、その卓越した音響効果は「良すぎて」クラシック音楽には向かないと言われており、実際、近年では著名オーケストラ による公演は行われていない』。


 「日生劇場」



私がこの建物の横を通り、日比谷公園に行こうと思い信号待ちをしていた。
すると小学生の団体が先生に引率されて、日生劇場の中に入って行くのが見えた。
私は今までに中に入ったことがないので、上手く紛れて一緒に中に入って行った。

劇場は更に上にあるようで、小学生は階段を上って行ったが、さすがに私は続いては行けない。でもロビーは広くとてもシックな造りで、少しの時間だが日生劇場を堪能したのである。


 1階フロア(日生劇場)

記事の問題について編集部に報告

コメント

  1. 外観(Y)

    外観(Y)

    返信

    今日の建物散歩ブログを見て、私は全て外から見ただけであったことが判りました。大きな建物は見ただけで怖気づいてしまう。中に入ることがなかなかできません。帝国劇場や帝国ホテルなどは特にそうであります。威圧感のある建築物が良いのかもしてないが、素人を相手とする百貨店などには向かない雰囲気でしょう。弱気になる必要のない建物でもそうなのだから困った性格なのでしょう。

  2. Shinji

    Shinji

    返信

    日生劇場は、わが村野藤吾大先生の素晴らしい建築です。卒業設計の最優秀賞は、”村野藤吾賞”と呼ばれていて、野心のある建築学生なら、必ずこの賞を取ろうと並々ならぬ努力を重ねます。 
    日生劇場へは、越路吹雪ワンマンショーや、シェイクスピアの劇や、ミュージカルなど、何度も足を運び、その劇場の抑制された、かつ、洗練された豪華さと豊かさに、観劇と感激を深く味わいました。

コメントを書く

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

詳しくはこちら
ジャンル
娯楽・趣味
アクセス総数
1,504,065回

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

詳しくはこちら
ジャンル
娯楽・趣味
アクセス総数
1,504,065回
Tag

ハッシュタグ

「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています

  • いぶり腎泌尿器科クリニック
  • 住まいのウチイケ
  • 大高酵素
Popular Post

人気の記事

Event

イベント

ただいま準備中です。

イベントの一覧はこちら

「楽しむ」カテゴリーのおすすめ記事

楽しむに関する

特集記事

特集記事の一覧はこちら