私の住んでいる場所は墨田川、2つの運河、そして東京湾に囲まれている。
東京湾で大地震が起きたら、四方から水攻めにあうかもしれない。
以前にあった関東地方の大雨では、隅田川のテラスまで水浸しになった。
しかし一方で水が身近にあると、心が和み落ち着くという利点もある。



豊海公園(右側は朝潮運河)

マンションに住む友人(Xさん)が、「釣りをしませんか?」と誘って来た。
私は釣りの趣味が無いので、「道具を持っていない」と答えた。
すると彼は「私が余分に持っているから大丈夫です」と言うので、お誘いに乗ってなん10年ぶりの釣りをすることになった。



近所の子供達もハゼ釣りに来ていた。

少し肌寒くなった10月後半の夕方に、Xさんと2人で「ハゼ釣り」に行くことになった。
Xさんは私を誘った責任から、前日に試し釣りに行って来た。
そしてその報告をメールで送信して来た。

「予め干潮の時間に釣りをしたところ、3センチのハゼが1匹と1センチのダボハゼが4匹と不漁でした。従って明日は豊海公園で釣り糸を垂らすことにしましょう」と、予防線を張って来た。



正面奥がレインボーブリッジ(豊海公園の南端から)

豊海公園というのは、私の住むマンションに隣接する公園である。
ここは朝潮運河に面していて、東京湾まで200メートルくらいだ。
約束の時間の午後3時に、豊海公園に出掛けて行った。

道具は全てXさんが用意してくれているので、私は手ぶらである。
午後5時30分くらいまで釣りをするようなので、魔法瓶にお茶だけ入れて持って行った。



子供達がエスボードで遊び、うるさくて参った。

先に来ていたXさんは、ハゼ釣り用の竿の準備をしていた。
だが釣りを始める前に糸が絡んでしまい、釣りはなかなか始まらない。

やっと準備が整い、針にエサを付けて運河に投げ入れた。
するとリールに慣れていない私は、また糸が絡んでしまった。
リールで巻き取れないので、糸を手繰り寄せたら餌を取られていた。



まだ釣らない内に糸がこんがらかってしまった。

Xさんに竿を渡し、私はXさんの竿で釣りを続けた。
しばらくしたら竿に「ガガッ」と当りがあった。
すぐに竿を上げたが、ハゼは釣れていなかった。

餌は取られていなかったので、もう一度、竿を投げ入れた。
全然、当たりが無いので竿を上げると、運河の底のなにかに引っ掛かってしまった。



やっと竿を運河に入れることが出来た。

Xさんに処置を頼んだら、上がって来たのは牡蠣だった。
牡蠣を外してもう一度やり直すためにXさんに餌を付けてくれるように頼んだら、Xさんが驚くようなことを言った。「もう餌が無い」。私はまだ10分も釣りをしていない。

Xさんに問い質したら、「子供達が餌を欲しがったので、あげたら無くなった」と言った。
文句も言えず、「近い内に、もう一度やりたい」とXさんに言って、家に帰ったのだった。



黄色のウキが、ピクリとも反応しない。

   (おまけの話)
釣りは趣味ではないが、釣りで思い出すことは3つある。
小学生の低学年の頃に、父親に連れられて多摩川の関戸橋で「按摩釣り」という釣り方を習った。
「変な名前の釣り方だ」と思ったので、父親に聞いてみた。

すると父は「川の中に入り、石の下にいるチョロを餌に使う。そして釣り糸を手に持ち、前後に動かす。目が見えなくても釣れるから、按摩釣りと言う」と言った。
今なら差別用語だ。そしてその頃は、ハヤがかなり釣れたのである。



Xさんと2人で並んで糸を垂らす。

小学生の高学年になり、兄に連れられて砂利穴に釣りに行った。
いま考えると京王線の「西調布駅」から多摩川に向って歩いた場所である。
その頃は「上石原」という駅名で、砂利を採掘した後に出来た池のような場所だった。

釣れるのは「くちぼそ」という小さな魚で、勢い良く吊り上げると魚の口だけが針の先に釣れてしまうので、ゆっくりと吊り上げる必要があった。



釣り上げたのは運河の底の「牡蠣」だった。

中高時代の同級生のE君の実家が伊豆半島の宇佐美に別荘を持っていて、時々、そこに招かれた。
ある時、2人でカツオのトローリングに行った。

漁船を貸り切って、1人が2本の竿を使いトローリングを始めた。

するとすぐにカツオの大群に出会い、竿を1本にしても間に合わないほど釣れてしまった。
別荘に戻ったが食べ切れないので、カツオの腹を裂き干物を作ろうとした。
しかし素人の悲しさで、作り方が良く分からずみんな腐ってしまった。  



子供達が釣り上げたハゼ。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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