
心の伊達市民 第一号
ブログ閉鎖中の話題(2017年9月22日)
元産経新聞の記者で、現在はジャーナリストをしている高山正之という人がいる。
私は彼の書く皮肉を込めた評論や、それをまとめた本が好きでよく読んでいる。
インターネット放送の番組 「放言BAR リークス」のホストも務めていて、この番組は
結構面白いのでよく見る。
(今回の写真は9月15日に撮影した相生橋近くの土手と、日比谷公園の彼岸花です)
彼は海外駐在や取材も多く、驚くほど世界の事情に詳しい。
私は彼の著書のタイトルにもある「世界は腹黒い」から、世界の腹黒さを教えられた。
そもそも歴史というのは、どの国でも勝者が書いているから敗者の事情については書かない。だから、正しい歴史、或いは公平な歴史というのは自分で調べないと分からない。
世界は腹黒いと感じるのは、殆どの白人国家「オランダ、スペイン、イギリス、フランス、ポルトガル、ベルギー、イタリア、ドイツ、アメリカ、ロシア」が世界の殆どの陸地を自国の植民地にし、そこからの搾取のやり放題の歴史と、その後の態度があるからだ。
現在、起きている紛争や事件はそのことが100年以上も経ってから自国に跳ね返って来ているのであるから自業自得とも言えるが、高山正之氏以外は誰もそのことには触れない。
最近はミャンマーの「ロヒンギャ」が迫害を受けているとニュースになっているが、これには私の知らない裏の事情があったのである。
イギリスはインドを植民地にした後に、現在のミャンマー(昔の国名はビルマであるが)を植民地にしようと考えた。
イギリス人の腹黒いところは、自分で支配すると報復される恐れがあるので、インド東部に住むイスラム教徒のベンガル人をビルマに連れて行き過酷な支配を代理でやらせたのである。
そして長いイギリスの支配の間にそのベンガル人と現地人と混血したのがロヒンギャと呼ばれる人達なのである。第2次世界大戦後、ビルマが独立すると、ビルマ人は今までの恨みを晴らすべくロヒンギャに国籍を与えず差別し迫害するようになったのである。
だからこの問題はイギリスが責任を持って解決すべきなのに、国連は知らないふりをしてアウン・サン・スー・チーを非難している。「違うだろー!」と言いたい。
中東の民族抗争もイギリスとフランスに責任がある。
第一次世界大戦後、オスマントルコの支配地をイギリス、フランス、ロシアで分け合った。その秘密協定を「サイクス・ピコ協定」と言うそうだが、勝手に国境を線引きしたために、民族、宗教などが分断されてしまい、現在の紛争や難民発生の原因となっている。でもイギリスもフランスも知らぬふりをして、その責任を果たそうとしない。
ベトナム戦争の末期に「ボート・ピープル」と言って、闇雲にベトナムから小舟で海に逃げ出した人達がいて、海で多くの避難民が死んだニュースを見て、「可哀想だ」と思っていた。
ところが本を読むと、逃げ出したのは純粋のベトナム人ではなく、支配層にいた華僑であった。
政権と密着して金儲けばかりしていた彼らは、仕返しを恐れて海に逃げたのである。
ニュースというのは、表面からだけでは分からない奥深さがあると高山氏の本で知った。まだまだ多くの「世界の腹黒さ」を、彼の本で知ることが出来た。
(おまけの話)
日本の新聞では報道されないニュースに、「奥繁治氏が韓国で出国禁止」というのがある。このニュースは面白いし、私はその行方に大いに興味を持っている。
今でも朝日新聞の虚偽の報道で、日韓がぎくしゃくしている原因の1つが「慰安婦の強制連行」の嘘話の本を書いた故吉田清治である。彼には男の子がいる。
彼は父親の嘘のせいで、世間に顔向けが出来ず世を憚って生きていたが、遂に人生の最後で父親のことを文芸春秋に公開した。
彼は自分の父親が韓国の国立墓地に建立した慰安碑に書かれた嘘を書き換えたくて、元自衛官の奥茂治氏に書き換えを依頼したのである。奥氏は日本から持参した石碑を真夜中に秘かに持ち込み、今までの石碑の上から貼り付けて、碑の文字を書き換えた。
そして正々堂々と、氏名、住所の連絡先を墓地の事務所に知らせてから帰国した。
その後、それを発見した韓国警察は、慌てて奥氏に「出頭せよ!」と連絡して来た。
彼は「これで裁判になり、吉田清治の嘘がハッキリする」と言って、わざわざ日本から韓国警察に出頭したのである。
韓国警察も「まさか出頭しないだろう」と思っていたので、彼の出頭に驚いたし、その扱いにも困っている。とりあえずは出国禁止という処置をしたが、裁判で吉田清治の嘘が大々的ニュースになり、韓国国民に真実を知られるのも困る。
「さー、どうする? 韓国政府!」
今までの日本政府の低姿勢が韓国に付け込まれた理由でもあるので、こんな国士が日本にいることを私は誇りに思う。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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02/26(水) 布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
布をつなぐ、人をつなぐ、命をつなぐ。 今、室蘭からじわりじわりと広がり始めている集団アートの動きがあります。 ひとつひとつ”はぎれ”を手で縫って作られた、ハートをくわえた小鳥たち。ハート部分には参加者の名前やイニシャルが刺繍されています。これをタペストリーに縫い付けていき、どんどん集まっていくと…… 月へ向かうことりの群れが描かれた、巨大なタペストリーとなります。完成目標は1,000羽、長さ14m相当です。 ”月は星座と違って、世界中のどこから見ても同じ形だから”、”欠けて見えなくなっても、必ず光が戻るから” 、このデザインにしたそうです。 このプロジェクトの名前は「1000のことり」。布でつづる千羽鶴、アートによる平和の意志表示です。政治的なスローガンや言葉は一切使わず、”ころさないで”の一点で、そしてサイン(イニシャル・マークも可)の刺繍だけで、1,000人が繋がります。このタペストリーは完成後、「非戦」を求める場に飾られます。サイン参加者が使用することも可能だそうです。 ひとりひとりの想いが込められたパッチワークの美しさにエネルギーを感じます。現在、北は札幌、南は佐賀県まで参加者がいるとのこと。平和に心をよせるアートの波が、ゆるやかに広がっていっています。 今年20周年を迎える 『1000PEACE』 『1000PEACE』は、「戦争は昔話じゃない。現在進行形のリアルだ。お金も、地位もない、無名の自分にできることは何?」と感じた人たちが集まってできた有志団体です。 「未来の世代につながる具体的な行動をしている個人や団体を応援する」のが活動内容。対象は、国外・国内を問わず、忙しい日常の中で自分たちにできることをしています。活動内容は、その都度集まった人たちで自由に考え、話し合って決めます。 戦後60年の年であった2005年7月、募金を集めイラクの水支援に送ったことが始まり。そして今年20周年を迎えます。主に札幌を拠点に活動していましたが、今は室蘭に拠点が移っています。 直近では、パレスチナのこども達の心のケアの一環として、「パレスチナへのことり」プロジェクトもありました。北海道パレスチナ医療奉仕団の後発隊メンバーに「日本からのお土産」を託そうと、2024年10月~12月の間に子どもが描いた絵とカードを集めたのです。しかし現地の状況が緊迫し渡航を断念。次の渡航がいつになるかはわかりませんが、集まった169枚の絵はそれまで大切に保管されるとのことです。日本のこども達の絵とことり達がパレスチナのこども達に届く日が早く来ますように。 『1000のことり』に参加するには 1000PEACE には公的な事務所がないため、代表個人の連絡先が問い合わせ先となっています。「自分も参加したい」「ことりを預かって周りに声をかけるよ」という方がいらっしゃいましたら、下記問い合わせフォームよりお問い合わせください。 ~『1000のことり』参加の流れ~ ①お問い合わせフォームから『1000PEACE』と繋がる ▶直接お会いできる方 ②好きなことりセットを選ぶ ③参加シートにお名前を記入して戻す(ご自身で刺繍してもOK) ④片方のことりは自分のものに! ▶遠方の方 参加ハガキに記入していただき、後日、片方のことりが届きます。 実はことり達は双子で、1セット2羽になっており、片方は参加者が貰えるんです!ことりのハートにサインを縫って終わりではなく、このタペストリーがどこかで飾られるとき、自分のことりを探せるというワクワクが残されるのです。その場で終わりとならない、日常で忘れてしまいそうなときに思い出させてくれることりが近くにいてくれるのも大切ですね。ご興味を持たれた方は下記リンクよりお問い合わせください。 ~参加希望、お問い合わせはこちらまで~(筆者が代表の方をお繋ぎします。)
misaki
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