今年も靖国神社の秋季例大祭が例年通りに行われた。
私は行くところが無くなると、靖国神社に行くことが多い。
幸いと言うべきか、私の父母の兄弟で戦死した者はいないので、本来はあまり靖国神社に縁が無い。でも靖国神社に行くと、ここに眠る日本の為に戦って亡くなった兵士達のことを思う機会となる。

靖国神社に関しては色々な意見があることを承知しているが、その割には「行ったことが無い」という人が意外に多いのである。何ごとも経験であるから、「行ってみたらよい」と、私は思うのだが・・・


神官一行が浅沓の音を響かせてやって来た。



靖国神社の例大祭は、毎年10月17日から19日までの3日間行われる。
18日は「当日祭」で天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの「供物」が献じられる。その時間が午前10時頃なので、その時間に合わせて出掛けて行った。

春秋の例大祭の最大の違いは「霊璽(れいじ)大安祭」の存在で、秋季例大祭でのみ行われる。これは新規に合祀する祭神の霊璽を奉安する神事だそうだ。


天皇の勅使が篭を担いで拝殿に向かう。



以前にたまたま勅使参向を見たことがあるが、その時は詰所から神殿に向かうところを見ただけだった。今回は十分に時間を取って来たので、最初から最後まで見ることにした。

まだかなり時間があるので、神楽殿で行われていた「古式武道」の演技を見て時間を待った。午前10時丁度となり、神官の一行が歩いて来る木の靴の音が聞こえて来た。
帰ってから調べたら、この靴のことを「浅沓(あさぐつ)」と言うそうだ。


拝殿の前で篭から白い箱を取り出した。



私は中門鳥居の横で待って、カメラを構えた。
全員が白装束で篭も担いでいないので、これは勅使ではなく靖国神社側の神官だと思う。しばらくしてまた浅沓の音がして、今度は本物の天皇の勅使の一行が来た。

色付きの衣装で、2人が篭を担いでいる。その中に「供物」が入っているのだろうと思う。勅使の一行は拝殿の前で、篭から供物を取り出している。
白い包が2つ見えた。勅使たちはそれを捧げ持って、奥の神殿に入って行ったのが見えた。


 神殿に供物を届けてから、戻って来た。



30分近く経った頃に、勅使の一行が戻って来た。
私は場所を移して参集殿の前の正式参拝入口の向かい側に立った。
目の前には正装した男女10数人が、もう1時間以上前から立ち続けている。
代表の掛け声で、勅使が通る時には彼らは頭を下げる。

私は勅使一行が通り過ぎたところで場所を移し、詰め所に戻る勅使一行の後ろ姿をカメラに捉えた。そしてしばらく後に今度は彼らは黒のワゴン車で、驚くことに石段のある神門から出て行った。
1時間15分くらいの儀式だったが、来て良かったと感じたのである。


勅使一行は詰所に戻って行った。



(おまけの話)
靖国神社の例大祭の後に、日本武道館を通り過ぎて北の丸公園に行ってみた。
安倍元首相の国葬が行なわれた日本武道館は、今は何ごとも無かったように建っていた。私が歩いていたら、高齢の夫婦に呼び止められた。
『近衛歩兵連隊の碑はどこにありますか?』。

突然の予想外の質問に戸惑ったが、何回も来ている「北の丸公園」だが、私は知らなかった。彼等と別れて「北の丸公園」の「小さな秋」を見付けるウォーキングをしていたら、途中の小径の奥にそれはあった。
次に誰かに聞かれたら教えることが出来るが、そんな機会は無いだろう。


皇居東御苑の天守閣の石垣



「北の丸公園」は静かな大きな公園だが、意外にも紅葉は見当たらなかった。
池の傍に「ススキ」があり、銀色に輝いていた。
林の中に入り「キノコ」を探したが見当たらない。

やっと見付けたのは、木の切り株の上だった。
仕方ないので北の丸公園は諦めて出て、その先の「北桔梗門」から皇居東御苑に入った。入口では警備の係が手荷物検査をしている。


 「オガタマノキ」



中に入ると目の前にあるのは「天守台」の石垣である。
天守閣は1657年の明暦の大火で焼失してしまい現在は無いが、一方で「江戸城天守を再建する会」が、熱心に再建運動をしているようだ。

ここにも外国人観光客が大勢来ていて、インバウンドに貢献しているようだ。
白人には変な人がいるようで、私がダウンのチョッキを着ているのに、Tシャツで歩いている男がいた。


 「ウメモドキ」



まだ紅葉には早いが、「なにかないか?」と思い東御苑で秋を探してみた。
すると「実」はかなり見付けられる。
「オガタマノキ」とか「ウメモドキ」など聞いたことの無い木に赤い実がなっていた。

ここでは珍しい木には「標識」が取り付けられているので、私にはブログに載せる時に助かる。ベンチがあったので、そこで森下駅で買った「海老の天むす」を食べた。


 お茶の花が咲いていた。



食後には「果樹古品種園」に行く。
ここには柿と柑橘類の古品種が植えられていて、いまはそれらに実が付いている。
上皇上皇后は2020年にこの園に植樹をしている。

果樹園を見た後とに出口に向かう。帰りは「平川門」から出たが、まだ続々と外国人観光客が入って来ていた。都会の中に残された自然いっぱいの皇居とは、我々にはとてもありがたい場所である。


 古品種の柑橘類「クオンボ」


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    勅使一行の衣装は、古代からの日本の伝統染色の色彩でしょう、素晴らしいです。

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