心の伊達市民 第一号

本から学んだろうか?


3年くらい前までは本は本屋で買ったり、Amazonで取り寄せていた。
その後、図書館を利用するようになり、借りるのと買うのが半々くらいになった。
ある時、図書館に欲しい本をリクエストすると、買ってもらえることが分かった。

それ以来、本は買わず、図書館で借りるようになった。
読む本と言えば全くジャンルに拘らず、なにかで知った本や、評判の本などである。


「芸人という生きもの」



「本から何か学んだろうか?」と言うと、若い頃なら学んだと思う。
「学ばないのか?」と言うと、そんなことはない。
でも読み終わって少し経つと、困ったことに全て忘れている。

同年輩の友人にその話をしたら、『私もそうだ。年をとると、そうなる』と言われて安心した。彼は『読んだのを忘れて、同じ本を3回も買ってしまったことがある』と言っていたが、これはボケて来たからではないだろうか?


 「いろいろあった人へ」



最近、「伊集院 静」のエッセイ集「大人の流儀」を何冊か読んだ。
それを機会に彼の経歴を調べてみた。1950年生まれで私より8歳も年下だが、昨年の11月に亡くなっていた。在日韓国人の2世とは、初めて知った。

人生で3回も結婚していて、1回目は離婚、2回目は女優の夏目雅子で、3回目も女優の篠ひろ子だった。羨ましいような人生である。著作の「いろいろあった人へ」には、自分の生い立ちも書いている。弟を海難事故で失い、妻の夏目雅子を白血病で失い、かなり壮絶な人生を送ったことが分かる。(合掌)


「散歩するネコ」



「伊集院 静」が人生で出会った人や、大いに助けてもらった人のことを書いているので、私も彼に見習って思い出して書いてみた。
子供の頃は訳も分からず過ごして来たので、あまり覚えていない。

40代の頃に、小学生の頃の友人達と「辰巳午(たつみうま)の会」を作った。
この会は地元小学校で、私の学年と1年先輩の遊びの会だった。
メンバーは水道工事屋、植木職人の親方、電気屋、洗濯屋のオヤジなどだった。


「世界はたくさん、人類はみな他人」



ある時、鬼怒川温泉の奥の秘湯「八丁の湯」に行った。
その頃はバスの終点から、1時間くらい歩かないと行けない秘湯だった。
電気も無いランプの宿で2泊して、麻雀ばかりして過ごしたことがある。
この宿は山登りをする人達の利用する温泉だったので、宿の主人も呆れていた。

それからズーと後になり、水道屋は倒産し、植木職人はマンションのオーナーになり、電気屋は無くなり、零細工場も倒産した。いまは付き合いも無くなったので、みんな消息が分からない。


「天誅下るべし!」



私の現役時代の最後の方の友人にSさんがいた。
彼は薬剤師で、自宅兼用の調剤薬局と、少し離れた場所で漢方薬局を経営していた。
Sさんとはある会で一緒で、よく麻雀をして遊んだ。時はバブルの真っ最中で、彼は自宅に隣接する土地を買い取った。

そしてお決まりのバブル崩壊で、どうにもならず薬局に置いてある「筋弛緩剤」を飲んでアチラヘ逝ってしまった。葬儀に参列したが、お棺を霊柩車に乗せる時に、彼の娘が大声で「XXXバンザイ!」と父の名前を叫んだのには驚いた。(合掌)


「最後はなぜか うまくいく イタリア人」



私が現役の時に入会していた、Hカントリークラブでの話である。
そこで知り合ったIさんという、私より20歳も年上の元気な人がいた。
彼は高級紳士シャツのメーカーの社長で、帝国ホテルなどに店を持っていた。
ある時、私は聞いた。『上手に年をとる秘訣はなんですか?』。

すると彼は『「亭主元気で留守がよい」と昔から言われているように、年をとったら、なるべく女房との接触時間を少なくすることだ』と言った。
私はその時のIさんの年齢となり、彼の教えを守っている。そのIさんも、もういない。(合掌)


「激安ニッポン」



私は死ぬのは怖くないが、死に至るまでが心配なの、色々と本を読んでいる。
一昨年に妹の亭主が亡くなった。昨年は姉の亭主が亡くなった。
妹の亭主は私と同い年だった。姉の亭主は朝起きたら、ベッドから落ちて死んでいた。
理想的な死であった。妹の亭主は長く患っていたが、病院で亡くなった。

二家族とも葬儀は家族だけで行い、後に私達を呼んで会食をした。
最近はこのようなスタイルが流行りのようで、私もそうして欲しいと思う。


「孤独こそ 最高の老後」



三回忌を終えた妹に、亭主の亡くなる様子を聞いてみた。
その返事である。『病気になる前に延命治療はしないと決めていました。入院する時に、どんな病気でも「どうしたいのか?」の意思表示をすることになります。「胃ろうはしない。一切の延命治療はしない」と届けを出しました』

『食べられなくなってからは点滴だけとなり、「逢いたい人に会って下さい」と言われました。先生も「あと数日かも」と言うような事を言ったので、3日間は泊まりました』


「長生き地獄」



『でも亡くなる日も娘が来て、分かっていました。前日まで少し話しをしていましたし、当日も亡くなるとは思いませんでした。看護師さんが「体を拭く」と言うので昼食を食べに1 階に降りたら、間もなく看護師さんに呼ばれて慌てて戻りました。亡くなる数日前には、「その時が来たら」というような冊子を渡されるので、葬儀の準備をする事になります』

『段々、心の準備も出来るものです。食べられなくなってから、3週間で亡くなりました。入院が長かったせいかも知れませんが、それなりの覚悟が出来ました』と書いてあった。彼も上手に人生を終えたと知った。(合掌)


 「病院・医師選び」

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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