心の伊達市民 第一号

図書館で伊集院静の「ひとりをたのしむ」を借りて来て読んだら、少し前に借りた本だった。
最近はこんなことが増えて来て、自分でも嫌になる。
「ひとり」は「1人」、「独り」、「孤り」など、色々な表し方がある。
「人は1人で生まれて、1人で死んでいく」という言葉もある。


「希望して1人でいる」場合もあるし、「不幸にあって1人になった」という場合もある。
人は色々な事情で「1人」で生きて行かなければならないこともある。




「雷門」から仲見世通りを見る。


そして私は今日(5月22日)も「ひとり」で、3年ぶりに開催される浅草神社の「三社祭」に出掛けて行った。前日に行くつもりだったが朝から雨なので、私が行くのを止めたら三社祭の大行列も中止となったようだ。


浅草神社のHPで確認したら、今年もコロナの影響で本社神輿の3基の「宮出し」と「宮入り」だけは行われるようだ。しかし町内の神輿100基が練り歩く「渡御」は、今回も見送りのようだ。
しかもコロナ対策で、町内を巡る3基の神輿は台車に乗せて巡行するそうだ。




浅草神社はお参りの人で大行列。


地下鉄を「浅草駅」で降りたら、雷門方面に向かう人で大混雑だった。
外へ出たら、人力車の客引きが若い女性を見付けては声を掛けている。
私に声を掛ける客引きはいない。恰好を見れば「乗る客か、そうでないかは分かる」のであろう。
雷門で写真を撮り、私は混雑している仲見世通りを避けて、裏通りを「浅草神社」に向かう。




やっと神輿が動き出したが、よく見えない。


浅草の旦那衆が揃いの法被姿で、浅草神社のお参りの列に並んでいた。
私はそれを横目で見て、浅草寺の裏から駒形通りを通り越して神輿の出発点に急ぐ。
この辺りまで来ると地元民が多く、町内揃いの法被姿の男女が目立つ。
小さな子供も法被を着ていて、とても可愛らしい。
奥の方で囃子太鼓の音がする。神輿の姿は見えない。




「子供神輿」は太鼓を引っ張る。


しばらく待っていたら、やっと警察官の先導で提灯を下げた竹竿を先頭に神輿が来るのが見えた。
大勢の観客が私の前に出て来て、彼らの頭越しの写真しか撮れない。


その人達を観察すると、家族連れが多く、次にカップル、そして男同士、女同士がいる。
「ひとり」はあまりいない。いるのは俄かカメラマンのジジイたちだ。
他の人から見れば、私もその中の「ひとり」なんだろう。




法被姿の小さな子供が可愛い。


神輿は台車に乗せていて、担ぎ手はマスク姿で声を出さない。
囃子太鼓の音はするが、「静々」と進んで行く。
江戸の「三大祭」は「神田祭」、「山王祭」、「深川祭」だが、なぜか「三社祭」は入っていない。
行列が静々と進むのでは、江戸っ子は「どういう態度をとればいいのか?」と思いながら台車を押しているのだろう。


神輿は担ぐから「神輿」なのである。台車に乗せた神輿を引っ張るのは、少し前に鉄砲洲神社の祭礼で見たが悲しい。お祭りは大騒ぎで盛り上がるから楽しいのであって、静かに進む神輿の列は、例えは悪いがアジアの国の「葬列」のようだ。




「江戸っ子」の法被姿はよく似合う。


神輿が台車に乗っている写真を撮りたいが、観客が邪魔で足元が見えない。
仕方ないので、先回りして「ひさご通り」の向かい側で待つ。
ここなら良く見えると思ったら、交通規制をしていないので、次々と来る自動車の陰に隠れてしまう。


今回は諦めようと思って帰り道を歩いていたら、右の方から囃子太鼓の音が聞こえた。
音のする路地に入ったら、殆ど観客がいなかった。そこでやっと台車に乗った神輿の写真が撮れたのである。「来年のことを言うと、鬼が笑う」と言われるが、三社祭が正常に戻っても、私が正常でいるかどうかは分からない。




駒形通りの「ひさご通り商店街」前を行く神輿。


(おまけの話)
私の母は50歳くらいで夫を亡くした。
それから36年間も生きたのだから、結婚生活より「ひとり」の方の時間が長かった。
幸いに親しい女友達が3人いて、しばしば旅行などに行って楽しんでいた。


しかし次々と友人達にお迎えが来てしまい、最後の10年くらいは「つまらない」が口癖だった。
最近の私は母の言っていた「つまらない」が分かるようになって来た。




行列の先頭は「天狗」


「ひとり」なのに2人で住んでいる」と奇妙な話を知ったのは、今から20年ほど前のことだった。
私の関わっていた、ある団体の事務局をしていた女性のことである。
その会で私が会長になり彼女とは個人的な話をするようになり、驚くような話を聞いたのである。


彼女は離婚したのであるが、なぜか元の亭主と一緒の家に住んでいた。
その理由は財産分与をしたくても家のローン残があり、売却がなかなか進まない。
仕方ないので我慢しながら、1階と2階に分かれて住んでいた。彼女は早く「ひとり」になりたかったようだ。




神輿を担いでいるように見えるが、車が付いているのが見える。


コロナ騒動で以前よりも「ひとり」で行動することが増えた私だ。
「増えた」というより、ほとんどいつも「ひとり」で行動している。
それに慣れてしまい、「ひとり」が心地良くなった。
人は必ず人との関わりの中で生きている。「家族」、「友人」、「親戚」、「社会」などである。


世の中には「ひとり」が好きな人達も大勢いると思う。
「ひとり」が好きになってしまうと、私は「人との付き合い方が下手になる」のではないかと心配している。




お姉さんは神輿の乗った台車を押す。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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