心の伊達市民 第一号

昔の同級生と作っている会「都心を歩く会」が、足腰が弱ったメンバーの為に「都心を歩かない会」になって久しい。4月に会を開催した時に、『5月も開催してくれ』という希望があったので、私は企画をメールで送った。


しかし計画日が5月末だったので、メンバーの1人が『その頃は梅雨入りの可能性もあるから、もう少し早めた方が良い』と提案があった。全く指摘の通りで、最近の私は曜日でさえも確かでないので、5月末の天気までは気が回らかった。





新橋駅前は「古本市」を開催中だった。


色々と調整した結果、5月19日に実行することになった。
計画では「新橋駅集合」、「新橋亭でランチ」、「愛宕神社に移動」、「出世の階段を登る」、「バスで東京駅に出る」、「ピカソの陶板画・ゲルニカを見る」、そして解散だった。


この中で元気の良い「歩く組」は「愛宕神社に移動」は徒歩、「歩かない組」の者はタクシーと決めた。
また「出世の階段」は急角度なので、「歩かない組」は少し離れたところにあるエレベーターを使うことにした。





ランチ「甲イカとセロリのゆかり炒め」・スープ・杏仁豆腐付(1500円)


19日は幸いに天気に恵まれて、11時30分に新橋駅「日比谷口」に集合した。蒸気機関車が飾ってある場所である。今回は全員で10名で、その中の2名は特別参加でやって来た。


その内の1人のKさんは、高校卒業以来だから62年ぶりの再会だった。
もう1人のSさんは以前は一緒に都心を歩いていたのだが、ある時から体調を崩し大手術をしたので、今はあまり歩けない。後期高齢者も、この年になると色々である。




 
鳥居から愛宕神社の「出世の石段」を見る。


先ずはランチから始める。
新橋はサラリーマンの町なので、ランチで10人もが一度に入れる店はほとんど無い。
そこでマンネリだが、駅からも近い中華料理店の「新橋亭」に行く。ここは前日に予約を入れておいた。


オミクロンが落ち着いて来たのか、1ヵ月前とは大違いで店は満席だった。
中華料理の円テーブルは向かい側の人とは距離があるので、コロナ下では話が届かないもどかしさがある。





元気の良い友人達は急こう配の石段を登って行く。


ランチの後に「愛宕神社」に向かうのだが、「帰る組」、「歩き組」、「タクシー組」に分かれた。
「歩き組」は6人で、築地市場のところでまだ工事中の都道2号線を、遠くに見える虎ノ門ヒルズを目指す。
20分ほどで「愛宕神社」に着いたら、「タクシー組」は「出世の石段」の下で待っていた。


みんなで石段に並び記念撮影をした後に、元気を持て余している男達は石段を登り始めた。
私は「歩き組」を案内して、エレベーターで上まで行ってみんなと合流した。
上から見る石段は怖い。「落ちたら死ぬ」と思う。




  
上から石段を見下ろすと、とても怖い。


最後の目的地は東京駅丸の内口の、「オアゾ・ビル」1階のピカソの陶板絵「ゲルニカ」を見ることである。「愛宕神社前」から東急バスで東京駅南口に出る。
折角の機会だからと私が提案して、東京駅をバックに1人1人の写真を撮る。
この年になると、「彼とはあの時が最後だったなー」となることがあるので、その記念である。


「オアゾ・ビル」に入る、なにか変だ。「ゲルニカ」の前に「ウルトラマン」がいて全体像が見えなかった。折角の私の自信の企画は、最後で台無しになってしまったのである。




  
東京駅前で1人ずつ記念撮影


ゲルニカの前で午後2時に、今日の企画は全て終り解散とした。
午後6時半に荻窪で会合があるというYさんに付き合って、スターバックスで2人で1時間を過ごすことにした。彼は現役の時はリネンの洗濯工場を経営していたので、老人ホームや介護施設に詳しい。


私は人生の最後が気になっているので、『ボケたり、体が動かなくなったら、あなたはどうするの?』と聞いた。私の予想では「かなり具体的に考えているはず」と思ったら、『考えないようにしている』という返事だった。現場を知り過ぎているYさんは、嫌な現実を見過ぎて来たのだろう。




 
「ゲルニカ」の前で、なぜかウルトラマン。


(おまけの話)
「出世の階段」を見上げて考えた。「もう出世も関係無い」・・・と。
引退すると特に義務となることが少くなるので、「なんでもいい」とか「明日でも、来週でもいい」となる。そうしている内に「いい加減な男」になり、周りから「嫌われて行く」のも知らずに平然としているようになる。


現役の時は朝起きると既に戦闘モードに入っていて、その日の予定が頭に浮かんだ。
問題を抱えている時は気が重かったが、逃れられないのでやるしかなかった。
だからボケることなど、考えてもいなかった。





愛宕神社に上るエレベーターから遺跡の発掘現場が見えた。


人は生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ。
引退してみると、殆ど私は誰の役にも立っていない自分に気が付く。
私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い。


出掛けたきり戻らなければ、家族は困って探すだろう。でも死んで居なくなった場合は、すぐに諦めるだろう。なぜかこの頃の私は暗い話になることが増えた。軽いうつ病かな?





東京駅丸の内側


コロナ騒動で単独行動が増えた結果、「1人は気楽でいい」と感じるようになった。
こうなると益々、「誰かの役に立つ」から遠ざかる。
今回、集まった同級生達は「誰かの役に立っている」のだろうか?


今でも現役で頑張り、世の中のお役に立っている男、老人会の会長で老人のお役に立っている男、写真クラブの役員でお役に立っている男、会社のOB会でお役に立っている男、孫のお役に立っている男、存在が家族のお役に立っている男など色々いる。私は「都心を歩く会」主宰で、少しは彼らのお役に立っているだろうか?




 
「出世の石段」を上ると、あまり大きくない本殿がある。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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