ゴールデンウィーク中に行われる近所の祭礼は、5月2~5日の「鉄砲洲稲荷神社」の祭礼である。昨年も見に行ったが、その時は神輿を担ぐ全員がマスク姿で、しかも声も出さない。誠に静かなお祭りだった覚えがある。祭と言うより、葬列みたいだった。

今年は新型コロナウィルスの感染も収まりつつあり、5月8日から感染症法上の位置付けが2類から5類に変更になるので、神輿を担ぐ人もマスクはしていないだろうと思った。
今年は3年に一度の本祭ではないので、神輿は銀座1丁目東町会のものだけ出るらしい。


最初に「鉄砲洲稲荷神社」にお参りした。



「鉄砲洲稲荷神社」とは奇妙な名前なので、ネットで調べてみた。
『1500年頃の広重の時代、鉄砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれ、京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ細長い洲が「鉄砲洲」と呼ばれていました。名称の由来は、種子島に伝来した鉄砲に似ていたとも、徳川家が入府の際、大筒の試射場であったからとも言われています』。 


 祭礼の式典が始まった。



他の文献では『鉄砲洲は築地の内海寄りの方なり。寛永の頃、井上、稲富両家大筒の町見を試し所なり。されどこの地は金城に遠からずとて、後に鎌倉由比ガ濱にて稽古ありし也。それによりて、かく地名とせし。此の地は、南北凡そ八丁ありしという。江戸鹿子名所大全に、此辺昔し洲崎なりし時の形、鉄砲に似たるより名付といへるは誤なり』ということも書いてある。


 山本区長の挨拶(右上)



先ずは私は鉄砲洲稲荷神社にお参りしてから、神輿の出発地点の京橋公園に向かった。
神輿の巡行する経路は、予め地図をプリントして持参してある。
京橋公園に着いたら、中央区の山本区長が「祭のお祝い」の挨拶の最中だった。

私の行く中央区が関係しているイベントには、必ず山本区長は来ている。区長も大変だなー。次々と挨拶する人が出て来るが、みんな偉い。二言三言で挨拶を終える。


2人の神主が神輿の前で、なにやら神事を行った。



その後、2人の神主が出て来て祭事を行うが、暑い日だったので、これが長くて参った。それに続き、全員で記念撮影後、お神酒が配られて乾杯となる。
そして12時になり、やっと神輿が担がれた。3年ぶりの通常の祭りで、誰もマスクをしていない。

太鼓の音に続いて威勢よく、神輿は公園を出て行った。
昨年の台車に乗せた神輿をマスク姿の氏子が、声も出さずに引っ張る祭は異常だったと感じた。「祭には大声での掛け声が必要だ」ということを忘れていた。


 神輿は威勢よく京橋公園を出て行った。



(おまけの話)
ゴールデンウィークのお祭りの話では他にも色々あるが、亀戸の香取神社「勝矢祭」を見付けた。浅草寺はよく行くので、今回は初めて香取神社の祭礼に行ってみた。

「勝矢祭」を調べたら、『毎年5月5日に行われる。939年に平将門が反乱を起こした折、鎮圧に就いた藤原秀郷が亀戸香取神社に武運を祈願、乱を平定後に神助に感謝して当社に弓矢を奉納し「勝矢」と命名したことから、勝矢を献納する祭礼』とあった。


「香取神社」(亀戸)の「勝矢祭」



この祭りのメインイベントは「武者行列」である。
大島の亀出天神から香取神社までを、昔の衣装に身を固めた大勢の氏子たちが歩いて行く。私が武者行列が好きな理由がある。
それは夏の間だけ伊達市に滞在した時に、2年連続で私が参加したからだ。

1年目は歩きだったが、2年目は乗馬の練習をして大将となった。
しかしかなり暑い日で、落馬をする人も出たほどだった。
夜の山車が素敵で、若い女性が大太鼓の上に跨り打ち鳴らす姿に見惚れたものだった。


 沿道には外国人の姿が多く見られた。



話は「勝矢祭」に戻り、昼飯を新そばの「天せいろ」で済まし、店で武者行列の通る場所を聞いた。そしてその時、私は武者行列の出発する場所が「亀戸天神」と思い込んでいたが、そうではなく初めて聞く名前の「亀出神社」と知って焦ったのである。

亀出神社はスマホで調べたら大島にあるのだから、ここまで来るには1時間以上も掛かるはずだ。そこで気を取り直して、香取神社と亀戸天神に行ってみた。
亀戸天神では5月5日まで「藤まつり」が開催されているが、最終日のこの日は藤の花がもう終っていて緑一色だった。


 やっと行列の先頭がやって来た。



亀戸駅前の道路は、12時から「歩行者天国」となっていた。
なぜか理由は分からないが、外国人が非常に多い。みんな武者行列を見に来ているようだ。なにか外国人によく見られるサイトに、この日の武者行列が出ているのかもしれない。

見物客の20%は欧米系の外国人のように感じた。
午後1時を過ぎると、段々と見物客が集まって来て、道路の両側を埋めるようになった。


暑い日だったので、武者も疲れ気味。



午後1時30分頃になり、やっと亀戸駅の方から行列がやって来る雰囲気が感じられた。
そして私の目の前を武者行列が進んで行った。
だが伊達市の「武者まつり」に参加した私にすれば、馬も出ないし、大将もいないし、裃姿の役員や氏子も方が多過ぎて盛り上がりに欠けていた。

行列は音もなく、ただ静かに通り過ぎて行った。
2時間も待った私には、とても物足りない武者行列だった。
伊達市の武者行列は東京に持って来たら、みな驚くに違いない。


 気温27度の中を甲冑姿では、さぞ暑かっただろう。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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