心の伊達市民 第一号

徒然なるままに(69)


時々、全くやることが無い日がある。
読みたい本も無いし、見たい映画も無いし、行きたいところも無い。そんな時は船に乗る。なぜかと言うと、午後3時過ぎに、窓から「ポー、ポー」という船の汽笛が聞こえて来る。

この汽笛は東京都が所有している「東京みなと丸」という船が出す音である。
午後の視察を終えて係留所に戻るため、浜離宮の水門から中に入る時に警笛を鳴らす。
そして窓から船を見下すと、「そうだ。船に乗ろう」となるのである。


「竹芝桟橋」のデッキから、レインボーブリッジを見る。



新型コロナウィルスのまん延でしばらく休止となっていた、「東京みなと丸」の運行が2022年の4月から再開された。その時から、すでに私は3回は乗船しているので、今回で4回目である。以前の予約は30名の団体が優先で、残りの席が空いていれば乗船できた。

だからなかなか予約が取れなかったが、最近は団体が優先でなくなったようで、1週間前でも予約が取れる状況にある。天気の良い日に東京湾を1時間半で、しかも無料で案内してもらえるのはありがたい。 何回乗ってもそう思う。  


 天気は良かったが、波が高かった。



今回は乗船の目的があった。
中高時代の同級生と作っている「都心を歩く会」で、東京国際クルーズターミナルへ行く予定がある。そこで「東京みなと丸」から東京国際クルーズターミナルの写真を撮ろうと考えたのである。

午前10時30分の回に乗船した。写真を撮るには、進行方向の右側が必要である。
この日は天気は良いが風が強く、波が高いので水しぶきが窓を濡らして曇りガラス風になってしまう。


東京国際クルーズターミナルに着岸している「SILVER MUSE」



もう4回目なので、ガイドの説明も聞き飽きた。
レインボーブリッジの下を通過すると、右側に大井ふ頭のクレーンが林立しているのが見える。沖に出たところでUターンする。羽田空港に着陸する飛行機が低空に見える。

東京ゲートブリッジ近くで左に旋回して、いよいよ「東京国際クルーズターミナル」が近付く。正面にクルーズ船「SILVER MUSE」が見えるが、曇りガラス風で写真がハッキリしない。そしてまたレインボーブリッジを通過して、1時間15分の東京湾クルーズは終った。


 波しぶきで曇った窓ガラス越しで、ハッキリ見えない。



次は古い話になるが、高齢者はなかなか新しい話が無いのが難点だと分かっている。
私の現役時代の1970年代に、取引のあった会社に「山善」という会社があった。
この会社は機械工具の卸商で、東証一部の上場企業である。

会社の創業者は山本猛夫といい、その人生があまりに波乱万丈だったので、1973年にテレビドラマ「どてらいやつ」で、西郷輝彦の主演で181回のシリーズで放映されたことがある。


コンテナーを運ぶ準備をしているトレーラー・トラック。



私の会社が取引していた時は、山本猛夫はまだ現役社長で、新年に開催される賀詞交歓会の後に行われる社長の講演が楽しみだった。彼が常に言っていた言葉に『世の中すべて、3- 4-3』がある。

この意味は『世の中の全てのことは、上位30%、中間40%、下位30%となっている。会社も同じだ。良い会社、普通の会社、駄目な会社の比率は3-4-3になっている。社員も同じだ。だから駄目な社員を引き上げる努力をするより、普通の社員を上位30%に入れる方が簡単だ』ということだった。
他にも色々とユニークな話をする人で、とても面白かった。


 ガントリーの上空を羽田空港へ向かう飛行機。



同じ時期に私の会社は、空調のダイキン工業とも取引をしていた。
当時の株価をうろ覚えだが書くと、「山善」(180円)、ダイキン工業(250円)だった。その株価が「最近はどうなっているか?」を調べたら、「山善(1031円)、ダイキン工業(2万3540円」だった。

山善は40年で6倍に過ぎないが、ダイキン工業はなんと約100倍近くにもなっている。
あの時にダイキン工業株を1000株(25万円)買ってそのまま持っていれば、2354万円になっていた。残念!


 「東京ゲートブリッジ」の近くで、船は反転する。



(おまけの話)
本文で「世の中、すべて3-4-3」に付いて書いたら、気が付いたことがある。
私が気が付いた数字は「20-40-20」である。
これは大凡だが、生まれてから教育を受けていた期間が20年、社会人となって働いた期間が40年、そして今はリタイアして20年となった。

この数字を見ると、社会に貢献した期間とお世話になった期間が同じになっている。
ここで人生が終れば、プラスマイナスはゼロであるが、まだこの先も長生きすると借りが出来てしまう。


 係留所から乗り場に近付く「東京みなと丸」



この1年で姉と妹のご主人が亡くなった。
1人は少しボケていた。もう1人は長く患っていた。
どちらもそういう意味では、女房に迷惑を掛けただろうと思う。

1人は「朝起きて来なかったので、見に行ったら亡くなっていた」という私の理想の最後だった。もう1人は自宅で療養していて、最後の1年は病院で亡くなった。


 着岸をする操船技術は上手だ。



人は「死に方」を選べない。
日本のこれから始まる「超高齢化社会」では、どういうことが起きるのだろう?
50年ほど前は「団塊の世代」と呼ばれ、日本経済の発展に大いに尽くした人達がいる。彼等はそろそろ後期高齢者となるが、人生の全てのことで競争にまみれて過ごして来た。

しかもリタイアした後もボケたり、入院したり、介護施設に入るのも競争になりそうだ。死ぬのも「早い者勝ち」となりそうで、寂しい老後が待っていそうで嫌になる。
私は「どうすればいいのだろう?」。


 大井ふ頭の「ガントリー・クレーン」

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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